くっ
ガハッ
血が止まらない--
手の甲で喀血を拭う
拭った唇の端からまた血が滴った
よろめく身体を木に預け上空を見遣る
荒い息で彼女の人とはかけ離れた風合いの黄緑の瞳が曇った
此方はいずこであろうか…
以前ならば目を瞑り気を研ぎ澄ませれば目的地に近づいているのかくらいは察せた
しかし今は感知が覚束ない
無理もない
寿命には逆らえない
それでも歩みを止められない理由は、と考えため息を吐いた
本件は流石に自身にしか対処できる気がしなかった
他の人間に行ってもらうには危険過ぎた
犠牲が出るだけ出て成果ゼロと言うのが一番あり得る結果
恐らく、およそ考え得る限りの強者が絡んでいる
そう鳥土里竹刀(とおどりしない)は予測していた
しかし、道に迷ったのは誤算だった
やはり座標をはっきり調べてから来るべきだったのだ
後悔先に立たず
今更引き返すことなどできようはずもなく、また歩み始めた先に
ふと
大きな建物が見えてきた
山の上の立派な構えの屋敷だ
神社の神に仕えし巫女の彼女にはそれが何だか一目でわかる
宗教施設であった
上司が行方不明となった
今彼女が籍を置く組織においてそれは少なからず衝撃を呼ぶ出来事であった
何せ上司はある意味で組織の顔役なのだ
もっと偉い人物はいるが、皆の心の中に常にいる優しくも厳しさを教えてくれる支えそのものであり
例えるならば彼女がよく身につけている特徴的な髪飾りの意匠である
美しき羽ばたき持つ『蝶々』
彼女の上司である胡蝶シノハユはそんな人物であった
元々少し長めとなる見込みの潜入任務に就いてはいた
しかしひと月ふた月と経過し常なら欠かさない報告の文も一向に届く気配がない
そして三か月目、彼女と共に潜入していた彼女の実の姉であり
こちらもシノハユに負けず劣らずの実力者である胡蝶カナヰだけが重傷を負い帰還した
彼女は今も療養中だが竹刀がこっそりと
彼女の持つ治癒効果のある特別な血を分け与えた事で
一命は取り留めた
時期に目も覚ますだろう
しかし…
竹刀はカナヰが屋敷に戻った時の様子を思い浮かべる
あの穏やかではあるけれども
素朴な花のような明るい朗らかな笑みが印象的なカナヰ先輩が
酷く怯えた表情で帰って来たのを見た時は心が痛んだ
最愛の妹を失ったからだろうか
いやきっとそれだけではない何か酷く恐ろしい物を目撃した
そんな光景がありありと思い浮かぶに十分な目の色をしていた
竹刀は困惑した
自身の最も敬愛する先輩が任務の最中行方不明となり、片割れだけが戻ってきたなどあり得る話だろうか?
いや、きっと
違うのだ
恐らく態と生かされた
これは敵側からの警告だ
二度と触れてくれるなという
帰ってこなかった先輩は殺されてしまったのかは分からないが
きっと碌な目に遭っていまい
そう彼女は確信していた
それを思うと腸が煮えくり返る思いだ
敬愛する先輩は彼女にとってただの上司ではない
憧れだった
自身を件の組織に身を置こうと決意させてくれた人物
竹刀は本当は当該組織に所属する必要性はまるでなかったのだが
旅先でたまたま出会ったシノハユの
獲物を狩る際の凛然とした美しさに一目惚れしてしまっていた
彼女に再会したい一心で組織の入門試験を受けたのがつい4ヶ月ほど前のことになる
そうして無事に彼女に再会は果たせたが
たった一ヶ月で、件の潜入任務へと赴き帰らぬ人となった
そう、だからこそ、やって来たのだ
本当は組織に籍を置いてから、たかが四ヶ月の新米が来て良い死地ではない
しかし彼女は選択した
己が犠牲になる事をか?
とんでもない
彼女の実力に敵う者などきっと彼女の所属する組織内、いや敵側にもどこにもいないだろう
鳥土里竹刀はひと言で言えば化け物であった
しかし彼女の強さを知る者はわずかしかいない
誰も彼女を歯牙にも掛けない
常に顔を前髪で隠して真っ黒い巫女服に身を包み
その割にはなぜか服の上からでもはっきりわかる大きな大きな胸元をやたらはだけて
どうにも周囲に近づきがたい雰囲気を醸し出す少女
口数は少なく友好的に接する者もほとんどおらず
そもそも目元を隠しているためその風貌すら謎に包まれてしまっている
一応組織に所属する身でありながらも何の手柄も立てず
階級は当然のごとく最低のまま
入隊直後に頭角を現し即出世していく者達とは真逆であった
彼女ははっきり言って組織としての仕事にはまるでやる気を出さなかった
彼女の目当てははじめから自身が一目惚れした先輩との交流のみ
しかしそんな時間もたった一ヶ月で奪われ業を煮やしてもいた
そんな時だ
先輩が行方不明になったという報せが入ったのは
竹刀は怒った
本当はすぐに飛び出し敵の首根っこを捕まえてやろうかと息巻いたが
流石に少し冷静になり、まずは姉のカナヰが目を覚ませば出てくるはずの情報を待つことにした
しかしその必要はなくなった
カナヰが帰還してからというもの
屋敷の他の者は気づいていなかったが
竹刀だけはとある異変に気づいた
視線を感じることが増えたのだ
あきらかに物影からこちらの様子を伺う気配がしている
彼女は一計を案じ得意の撹乱術や気配殺しにてその誰か、に対し
自身をその場にいないものと誤認させ続けた
誰かの気配は彼女には筒抜けであり
間もなくその正体も見て取れた
氷だ
そうとしか言えない
手のひらくらいの大きさの人形の形をした氷の塊が
今は冬だと言うのに
最近やたら温かい日差しに照らされ溶け切る寸前であった
彼女はその氷人形を掬い上げ観察してみた
気のせいか氷人形がぐったりしているように見える
おや、斯くは流石に可哀想かも?
そう思った彼女は思いつきで自身の腕に手頃な刃物で傷をつけ
滴る特別な血を人形に浴びせてみた
するとどうしたことだろうか
溶けていた氷の人形は一瞬光ったかと思うとみるみる形を取り戻し
自ら跳んだり跳ねたりを繰り返した後
口を開いたのだ
はじめまして!
優しいお姉ちゃん
俺を助けてくれてありがとう
氷の人形はにっこりと笑う
竹刀は先ほどまではこの人形のことを自身から先輩を奪った、
にっくき敵の一味だろうと踏んでいた
どう料理してやろうかとすら思っていた
だが
可愛いーーーーーー!!
何これ超絶可愛いお人形さんでございますです!
えーーー何これ何これよくわかりませんですが絶対私がお世話致しますです!
そんな気分は秒で吹き飛んだ
化け物は実に単純な思考をしていたのだった