鳥達が求愛の歌を口ずさむ新緑の森
今日は一段と朗らかな陽気だった
生命の息吹が溢れ、これから夏に向かっていくのを示唆するように、木々には、むっとした熱気が漂い始めていた
青々とした匂いが森中に響き渡っている
そんな山道を背の高くなってきた草を掻き分けながら、押し黙って巡礼のようにゆっくりと歩む者がある
長い黒髪の女性だ
青白い顔をしている
襤褸の衣を引っ掛け髪には毛じらみが付き、うら若き娘であろうに、もう何日も湯浴みしている様子がない
典型的な困窮者なのだろう
頬がこけているが、切れ長のまつげの奥に俯きがちに流した瞳は憂いを帯び、身なりさえ整っていれば、それなりに見られるべき顔立ちに違いなかった
両手に粗末な布で雑多に包まれた物を抱え、重いのか時々足を取られながら片足を引きずるように前へと静かに歩を進める
それを少し離れた場所から、光の当たらぬ木の隙間に身を潜め、頻りに見つめる黒い影があった――
◇
玉乃衣の訴えを受け、女神はしばし目を瞑る
彼女は全知全能の権能を持つのは確かだが、殊この件に関しては無力だった
先ほどの玉乃衣の指摘の通りだ
ループが発生する原因も、その方法も、もちろん止め方も何もわからない
推測している事はあれど、まだ言の葉に出してよいほどの根拠がない
迂闊なことは何も言えなかった
つくづく情けない、とは女神自身が思っている
20回も徒らに時が重なり、もう幾許の猶予もなかった
女神は自身の最期をひっそりと感じていた
ループもただ発生するに任せているだけなら消耗も何もなかった
だが、彼女は状況に抗おうとしており、結果、力を使い過ぎ、摩耗し続けていたのだ
もう次のループは望めないかもしれないとさえ思っていた
(そうなるのはまずい…)
なにせ、羅刹狩りの神が消える
世が羅刹で溢れても、誰も止められない事態となる
今日に伝わる呼吸法、照陽刀といった羅刹狩り組織の要となる力は、全てが彼女由来のものだった
彼女がいなければ因果が成立せず
つまり理屈上、誰一人羅刹を狩れなくなる
現在の羅刹狩り達は自身の膂力のみで戦う者も居るのだが、彼らの常人からすれば格別な力ですらも女神の祝ぎを色濃く受け継いでいるがゆえに外ならなかった
それらすべての希望を消すわけにはいかない
羅刹とは人食いをする元「人」であった者
「表面上」はそれだけの存在だが、捨て置けるものでもなかった
(自身の最期となるこのループで、現状を打破する可能性のあるそれまでとは違う真新しい奇跡が望めるか?)
彼女は自身に問いかける
現時点で賭けるべき「何か」があるとすれば…
小さく舌打ちをした
あるにはあるのだ、それまでのループとは全く「違う」事が一つだけ…
最愛の娘、竹刀を知る者が今回だけはいる
女神は思考を止め、目を開ける
汝の想いは改めてわかった、十分過ぎるほど知ってはおったから蛇足じゃが
じゃがな、この件は汝ごときただの人の子が手を出すには余りあるんじゃ
竹刀は、あの子は、汝も知っておろうがまるで普通ではない
事あるごとに自身を半分「化け物」と蔑んでおったろう
わらわはずっと竹刀の中におった、結局その正体まではついぞ掴めておらんが勘でもわらわの考え得る限りの知識を総動員しても、あの子はヤバイ存在じゃ
本当に化け物なのかは知らんがの
ただ、いつも自身の中の何かに怯えている子、そんな子じゃよ竹刀は
あの子にはわらわだってもっと、使命への重圧など課さず屈託なく笑っていてほしいがそれは多分無理な話じゃ
仮にも女神の一柱たるわらわですらもそんな様なのに汝に何ができると?
玉乃衣を厳しい視線で見つめるが、その瞳からは強い意志しか見て取れなかった
ため息交じりに続けた
もし、それでもやはり引かぬと言うなら…
ここで言い淀む
そして腹のうちで自身にまた一つ問い掛ける
(わらわもいい加減覚悟を決めるべき、か?)
また、ため息が一つ溢れた
やれやれ、分の悪い賭けなんて嫌いなんじゃがのう―――—