竹刀は、はたと我に返った
小さな氷の人形に対し、膝を折り三つ指をついた
あ、コホン
取り乱しまして申し訳ございませんでしたです
私は鳥土里竹刀と申しますです
斯様な通り若輩の未熟者なれど仲良くしていただけますと幸いでございますです
竹刀の年の頃は十くらいに見える
氷人形は、自身を敵側の諜報役だと説明した
竹刀にはさしたる驚きもない
敵側、正しい名称は「羅刹(らせつ)」
そう呼ばれる生物達の生態を鑑みれば
そこにいる誰もがすぐに思いつく話ではあった
羅刹の一部には「魏術(きじゅつ)」と呼ばれる術を操り
普通の人類にはおよそ奇跡としか思われないほどの事象を引き起こす者がある
彼女もこの自立する氷人形はその術によって生成された物だろうと推測していた
この氷人形は別のところにいる本体の羅刹の分身体であり
見たもの聞いたものを観察し本体へ情報を送る役割であると語った
竹刀は情報収集に特化した魏術の産物を目にしたのは初めてであるが、予想の域を出なかった
そもそも世に無数いると目される羅刹は、それを生み出した親玉にして首魁、その名も「来羅木祇園(くるらぎぎおん)」にて常に動向を監視されている、という情報がある
配下の羅刹が類似した能力も持っていても不思議はない
そう、配下だ
この世全ての羅刹は来羅木祇園の配下である
例外はないとされている
そして、そこには序列が存在する
人形は自身の本体について何者かなど詳細は明かせないが、羅刹の頂点の一角と説明した
それだけでわかる者にはピンと来る
有象無象の雑魚羅刹には決して与えられない称号
「二十四節巍」
きっと人形はそれを指して言ったのだ
竹刀はそれを聞いても特に何の動揺もしなかった
もとより、その可能性は考えていたからだ
シノハユは強い
そこらの雑魚羅刹に殺られる理由がない
しかし相手がもし二十四節巍であっても、例えば最下位の二十四番などであればやはり全く遅れは取らなかっただろう
という事は…
少なくとも相手は上位、つまり拾弐番以上であろうと伺い知れた
いやもしかするとだが…
竹刀は考察を続けた
姉妹二人で赴いた任務だったのだ
どちらも実力は同等であること、そして帰還した姉の時々肩が震えるかのような怯えた様子を見れば
相当な実力者を相手にし敗北したのは明白である
だから相手は一度も組織に目撃情報が上がっていない上位陸番以上かもしれない
竹刀は初めから薄々その可能性を考えていたがここで改めて
やはり私が行くべき案件、なのかもしれませんですね
深い溜息と共にそう結論づけた
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行くのは躊躇したが先輩を救いたかった
結局そんな思い一つで飛び出してきてしまった
彼女はこの4ヶ月世話になっていた屋敷の者には何も告げなかった
もちろん組織にも報告など出さない
しかし彼女を心配しての捜索願いなどが出されないようには配慮した
彼女は羅刹ではないが同じく情報操作は得意だった
氷人形を連れ、その本体に繋がる気配を探り大よその方向には見当がついたが
どうにもあと少しのところで道に迷ったようだ
流石に見切り発車で行動しすぎたのかもしれない
彼女は内省するがもうここまで来てしまったならば今更引き返す気も起きない
氷人形の存在からして恐らくだが先輩は殺されていない
何らかの理由により羅刹の捕虜となっている可能性が高いと竹刀は判断した
しかし、と彼女は内心で舌打ちした
己の朽ちゆく身体が惜しい
これも知る者はごく僅かな話ではあるが、彼女はもうあと幾ばくかで燃え尽きる身の上だ
もっと正常であれば先輩の気配も敵の気配もはっきり探れたはずだ
彼女は元々は非常に強力な人間離れした探知能力を持っていた
しかし最近急にそれの機能が落ちてきていた
それでも彼女のやるべき仕事はできていたのであまり気に留めていなかったが
こうなってはやはり不便なのだなと感じていた
その時ふと見上げると
山の上に大きな立派な構えの屋敷が改めて視界に入った
住居と思われる建物が二つ
講堂を備えて外部の出入りを許してそうな殿舎
建物の造り・構え・配色・配置どれをとっても見事だった
彼女は察した
ああ、この建物は…
彼女の知るとある方面の分野に精通した者が建てさせたものだとわかる
そう
つまりは神社の神様に仕える巫女をしている竹刀と同業にあたる
聖職者が建てた宗教施設であった
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ごめんくださーい
竹刀は石段を登り見えてきた建物の入り口から声を掛けてみた
道に迷っているのは変わっていないが、ともかく何らか人のいる建物に到着したのであれば
周囲の街や集落などの情報も得られるかもしれない
そう、それだけだ
自分は敬愛する先輩を探しに来ただけで
決して彼女をして、これは似非ではなく本物だと言わしめる見事な造りをしている施設に興味を惹かれたから立ち入った訳では無い
ええ、決してだ
しばし後
奥から声が掛かった
自身を信者の筆頭だと名乗る初老のはげ頭の男が出てきた
下男…と言うにはこざっぱりした外見をしている
まさに修行に打ち込む信者なのだろう
少し話してなるほど
と竹刀は思った
信者からしてこのように敬虔且つあまり自己主張もしていないような賢明な様子
自身のような十歳程度の子どもに丁寧に阿る態度
どうやらこちらを治める主は相当に徳も人望も高い人物のようだと知れた
竹刀はこれまで巫女としてひたすらに様々なことを学んできた
そのためこちらの主にあたる宗祖というらしい御仁にとても興味が惹かれたがあくまで今は大事な人助けの真っ最中である
余計な雑念は捨てるのだと心に決めた
はず、だったのだが
おかしい--
竹刀は思った
入り口で周囲の道を聞くだけのはずでございましたですが?
なにゆえ中に通され、あまつさえ今、宗祖様がお出ましになるのをお待ちしている状態なのでございますです…?
現在は通された施設の一室で別の仕事が入っているため時間がかかるという宗祖を待っていた
最初は伏せていたのだが、手持ち無沙汰が手伝って筆頭には自身は他の宗教に帰依する巫女であると語ってしまった
基本的にこれまでの経験上、他の宗教の名前、つまりこの場合は神道を他の宗教施設の前で出せば門前払いを食らう事は骨身に染みていた
ゆえに道だけ尋ねた後に素性を明かしてさっさと移動するはずが?
筆頭の話によれば
宗祖は非常に立派な徳の高い人物であるがそれなりに変わり者であり
幼いながら一人旅をする私に興味を持っただとかなんだとか…
いや、あの…
知りませんですし
本当に迷子になってただけでございますですし!
早く道だけお教えくださいませですー!
と内心毒づいたがこうなっては仕方ない
大人しく待つことにした
しかし普通に暇である
筆頭はお茶を用意してくれたがあくまで通りすがりで即立ち去るつもりの身でおいそれとそれをいただくわけにもいかない
困った
実はせっかくだからと通された以上は歩きながらちゃっかり目に入る限りの施設見学はさせてもらったのだが、
正直な話、この宗教は面白いなと言う感想を持ってしまっていた
仏教が基盤なのはわかるが壁画ひとつとっても随所に神道や道教や切支丹の意匠など明らかに計算されて配置されているちゃんぽん宗教だった
斯くは人によっては胡散臭く感じる場合もございましょうですね…
竹刀は内心ごちた
典型的な新興宗教ではあるがよくある金儲けのための物とここは決定的に違う
本当にきちんとあらゆる宗教を学んだ恐らく非常に優れた勤勉な人物がそれらのいいとこ取りをしているような印象で
しかも決して浅くない
竹刀も自身の大切な神に仕える巫女として恥じないようこの十年間ありとあらゆる知識、
中でもとりわけ宗教については非常に深い学びを得てきた
その自分にも匹敵するのではないか?と思わせるほどの、
要するに年齢の割には生き字引と言って相違ないほど知識豊富な竹刀の知的興味関心を惹くに足る十分なほどの物をこの施設からは感じ取っていたのだ
そのため竹刀も宗祖様とは一体いかなる御仁だろうと気にはなってはいた
それに絵や仏像やその他の霊験あらたかそうな神具仏具などを見回しある一点が非常に目についた
彼女の知識には一切符合しないそのとある何の変哲もない意匠がである
きっと宗祖独自の解釈があるはずと竹刀は考え、どんな意味を持たせているのかと尋ねてみたくなったのだ
そう、
その『蝶々』にしか見えない意匠についてをだ
宗祖様のお出ましを待つ間、筆頭は何事かを竹刀に尋ねたいような素振りを見せていた
どうせ何もせずにいるのも時間がもったいないので竹刀は付き合うことにした
あの、もしもし、
何か私めにお尋ねになりたいことでもございましょうかです?
あ、ははあ
申し訳ございませんね
態度に出てしまっておりましたかね?
お気になさらずです
私などのような若輩でもお役に立てるのでございましたらば、と思いましてのことでございますです
若輩、そう聞いてしまうと申し訳が立ちませんなあ
いえ、其れこそお気になさらず
どうぞなんなりと
…暇ですしね
最後の言葉は飲み込んだ
ではお言葉に甘えて
あのう、旅をなされているというのは大体どのくらいの距離なのでしょうか?
距離?
えーと…
取り敢えず距離というか場所でしたら大和の国全国津々浦々でございますです
なんと!
それではあの名勝と名高い松の実筋には行かれたことが?
ああ、はい
もちろんでございますです
よろしければお写真をばご覧になりますです?
是非に!
彼女は袖の下にさっと手を入れ糸で括られた写真束を引っ張り出す
…良かった
いつもどこに閉まったか分からなくなってしまうのですが今回は比較的簡単に出てきてくれましたです
そんな内心はお首にも出さず、というか、そもそも顔が長い黒髪で覆われていて表情など元から見えはしないのだが、涼しい態度を装っていた
実は顔に少しだけ汗を掻いていたのは内緒だ
写真を広げめくっていく
おお、これがあの…
はい、並び称される天立端は此方でございますです
竹刀は指で示した
筆頭は目を潤ませた
おお、おお、よいですなあ…
老いた身ではもう一生見られないと思っておりましたよ
竹刀は躊躇いがちに尋ねた
其の、足腰がお悪いので?
ああいえそこまでは行ってないのですがね
どちらかと言うと体力の方かもしれませんね
この年ですし、
それにこちらに帰依してからというもの
とても素晴らしい修行の毎日で宗祖様はとてもご立派なお方でございますし
それはありがたいことなのですがあまり外に出るなどで修行を怠ってはいけませんのでなかなか難しくてですね…
其れでしたらきっと大丈夫でございますです
今どきは列車などもこざいますですし
其れに…
竹刀は若干早口気味で話し出す
その声には少し熱が籠もった
ニ本の足があれば人はどこにだって行けますです
行けない場所なんてきっとございませんです
人はそもそも自由の生き物だと思っておりますです
左様に筆頭さんもお考えになってはいかがでございましょうです…
なんてちょっと偉そうでしたかね?
最後の方は自信がなさそうに声が少し消え入りそうになっていた
筆頭は少し気圧されていたが
すぐさま居住まいを正し、幼いながらも存外意思がはっきりしている眼前の少女の手を取った
いえいえそんな事はありません
ただ若いというのやはり素晴らしいですね
元気が出ましたよ
ありがとうございますね
いえ、私のような若輩者に筆頭さんの苦労がわかるわけでもございませんですゆえ…
さらに尻すぼみになった
竹刀は他人との会話が苦手だ
気を遣ってなかなか自分には向かないと考えている
今回もそれは変わらなかった
内心そんなところに気を取られていたためだろうか
なんだかとてもいい雰囲気だねえ
え?
わ!?
竹刀と筆頭の肩にそれぞれ手を置かれ背後からとても穏やかな声が掛けられた