背後から大きなたくましい手ががっしりと竹刀を掴んでいるのがわかる
竹刀は弾かれたように振り向き、声の主を視界いっぱいに入れ、膝立ちしている人物の足元から頭頂部までをゆっくりと見上げた
そこには美丈夫といって差し支えのないうら若き青年がいた
しかし、若くはあるが今朝の穏やかな日差しを背にして立つなんとも優美且つ堂々とした居住まいからその人物は紛れもなくその施設の主であると一目で知れた
竹刀も筆頭の話し振りから風雅な人物像を思い描いていたとは言え、容貌だけは想像と似ても似つかなかった
とにかく若すぎる
どう見ても二十代前半程度にしか見えない非常に均整の取れた顔立ちの好青年であった
身長は六尺を越す大柄で柔和な雰囲気に似合わず鍛えているのだろう筋骨隆々なのが服の上からでも見て取れた
しかし着目すべきはそこではなく真っ白い髪と非常に特徴的な虹色の瞳
西洋の血が入っているのかと竹刀は思ったが、しかし若白髪はまだ色素の薄くなる類の病や西洋人のブロンド髪の一種とは分類出来ても、虹色の瞳は竹刀の持つ豊富な知識を持ってしても心当たりが無かった
(お、お顔物凄く美形…斯くはなかなか格好いい殿方でございますですね)
竹刀は十歳程度とやや幼くはあるが、精神的には恋愛に憧れを持つ年頃の娘であり、これほどの美青年を見るのは初めてであったためその容姿に見惚れてしまっていた
竹刀が長い前髪で隠れた瞳でじっと見つめていると彼は徐に口を開いた
ごめんごめん
ちょっと前に用事が済んでこっちに来れてたんだけどなんか二人でお話盛り上がってたみたいだから邪魔しちゃ悪いかなって
宗祖は片目を瞑ってみせた
お待たせ
四半刻くらい経っちゃったね
俺がここの宗祖だよ
宗祖は威風堂々とした姿に似合わず歯に衣着せぬ物言いで竹刀は面食らってしまった
宗祖はそのまま立ち上がり少し離れた上座へ移動する
取り敢えずまず自己紹介するね
俺は
お、お待ちくださいませです
竹刀は宗祖の言葉を遮り頭を垂れる
私のほうが若輩でございますですゆえ、あの、僭越ながら私の方から
ご挨拶申し上げさせていただきたく存じますです
え、うん?
お客さんなんだからそこは気にしなくて良いんだけども
きゃ、客人とは勿体なきお言葉、滅相もございませんです
私などただの通りすがりに過ぎません者ですゆえ
あの、えっと、し、失礼いたしますですが、その、
こほん、と竹刀は一つ咳払いをした
私は、えっと、あの、奥羽の奥地にある鳥土里神社という小さな神社の神様にお仕えする巫女でございますです
名前は鳥土里竹刀と申しますです
あの、こ、此の度は、その、えっと、道に迷い此方にたどり着き、大層な御慈悲を賜り
あの、斯様な素晴らしき宗祖様に拝謁する機会を、その、いただいてしまい
非常に心苦しく思って、あの、おります、です
竹刀はわかりやすく吃った
いつもそうなのだ、誰と喋ってもこんな風にボロボロになってしまう
彼女はそんな格好悪いことを誰にも知られたくはないし、覚えてもらいたくもないと思っている
だからこそ前髪で顔を隠しているのだ
左様な自分が情けなくて仕方ないーー
そう自虐心に苛まれていたところ
ぽん、と頭に宗祖の大きな骨ばった手が置かれそのまま撫でられた
竹刀は妙なことだと思った
宗祖は先ほど大分前の方にある上座に座り直していたはずだ
頭を垂れている間にこちらへ移動していたのだろうか
偉いねえ君は
そんなにちっちゃい身で頑張って旅してここまで来たんだねえ
ようこそ琉堂教へ
俺は宗祖の琉堂狩衣(るどうかりぎぬ)
可愛い女の子は大歓迎するぜ☆
いかにも身体が強張る幼い竹刀を励ますためだろうか
形式張らずに大分距離を詰めてきた
なんともノリの軽すぎる自己紹介だった
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それから暫し時間が経っていた
筆頭はもう退出していた
去り際に先程はありがとうございました、本当にいつか行ってみることを検討してみます、と竹刀は礼を言われたが、彼女としては望まれるままに写真を見せ、旅に対する持論を展開しただけで特に何もしていない
礼を言われるのは筋違いだと思ったが黙っておいた
ねえねえさっきは筆頭と何話してたの?
確か名勝地の写真見てたんだよねえ
えっと、
筆頭さんは見てみたい景色があっただとかで、その、私がたまたま持っていた写真をば
俺も見たいなあ
他にも写真撮ったのあるの?
(え?いやあのわたしは単に此方の施設周辺の道を知りたいだけなのでございますですが…)
どう見ても狩衣が竹刀の話に興味ありげに虹色の瞳を輝かせていたため道をすぐに訪ねるのは諦めた
仕方ない、こうなったら話のきりが良くなってから切り出そう、
先輩の身は気がかりだが、しかし目的があって囚えたはずの先輩が今すぐ殺されているわけでもないだろう
竹刀はそう思うしかなかった
(にしても写真…次も早く出てきますですかね?)
一抹の不安がよぎった
写真でございますですね、えーとそのいずこへしまったかを忘れておりますですゆえ
あの、少々お待ちをば…
え?
うんわかった
竹刀はまず袖元に手を突っ込んでごそごそやりだしたが見つからない
という事はここしかないとばかり、元々胸元に切り取られたように開いている大きなひし形の穴の部分をぐっと掴んでが手入りやすいように服を伸ばして広がった穴の中に勢いよく腕をがばっと突っ込んでその無駄に巨大な胸の谷間の中をごそごそと探し出した
その光景を見ている狩衣がぎょっとした視線を竹刀に向けていたことに彼女は気づかなかった
やがて写真は見つかった
手の奥でそれを引っ掴み竹刀は自身が趣味で撮った旅先の写真束の本を六冊ほど引っ張り出した
本は身丈の低い竹刀には大きすぎるものに見えた
狩衣は思わずといった表情で竹刀に話し掛ける
君はそんなところに何冊も本を持っているんだね
あーえーと、其の、はい、あの、斯くの通り、無駄に大きな胸ですゆえ
谷間にいろいろしまうにとても便利でございまして、です
竹刀は適当な返事で受け流した
本当はそんなところに大きな本が何冊も入るはずはないのだが、そこに触れられると困るためだ
狩衣はその説明をいろいろ疑問に思っていたようだが取り敢えず
そうなんだ
女の子の胸元は不思議な入れ物なんだねえ
と頷いてはくれた
良かった
余計な詮索をされなくて
なんとか誤魔化せたようだ
竹刀はほっと息をついた
胸元の正体は彼女が術で作り出している異空間だった
竹刀はおよそ住居一個分くらいの荷物を全て体の中の異空間にしまい込み身軽に旅をしていた
そう彼女は単なる巫女ではなくいわゆる神通力、それも神様直伝の正式名称「神祷術(しんとうじゅつ)」を扱う聖職者である
当然そんなものを使える人間はまずいないので秘密にするに越したことはない
だが竹刀は誰であれ、何かを頼まれたら断れない性分だった
初対面の者にだろうと自身の撮った写真を見たいと言われれば、異空間からでも探してくる外はない
例え、その胸元に手をやる奇異な様子を見られるのだとしてもだ
ぶっちゃけ竹刀はあまり細かな物事に頓着しない娘であった
写真を見ながら竹刀と狩衣は名勝や絶景、秘境、温泉そんな話に花を咲かせた
狩衣は旅には行かないらしいが話の切り口や質問が鋭く、それが竹刀には面白かった
つい釣られて彼に受け応えしているうちに元々道を尋ねようとしていたことなどは本気で忘れ、話に興じていた
竹刀は事情があって笑えないのだが狩衣はそんなの気にしないような素振りで彼女の代わりとばかり笑っていた
竹刀にはそれが嬉しかった
自身の話で盛り上がってくれた者など老若男女誰も思いつかなかったためだ
常なら話し下手で吃りで緊張してなかなか言葉を出せないのが竹刀である
狩衣は慣れているのだろう距離の詰め方が非常に近く、それが竹刀には考え様によっては美丈夫に距離を詰められていることになるため心臓が跳ねる方面の緊張を呼ばないでもないが少なくとも話し下手方面の緊張は解きほぐしてくれる貴重な御仁に思えた
いやあ君、博識なんだねえ驚いたよ
俺も知識量には自信あるんだけどさ
これまで何冊くらい本読んでるの?
え、冊数でございますですか?
えーと三億冊くらい?と言っても瓦版とか巻き物とか碑文とか宗教画とか冊数換算できないものも大分多いのでございますですが
彼女は何でもないことのように言った
さ、三億!?
狩衣は驚いたが竹刀はけろりとした様子で言葉を続けた
まあ産まれてからずっと旅しておりますですゆえ…
其れ自体は全く嘘ではなかった
彼女が一か所にとどまることは普通ない
今、籍を置いている組織で使わせてもらっている屋敷もあくまで彼女にとっては借宿だ
組織の隊舎の一部だからといってそこを決して離れてはいけないという風にはまるで思っていない
何せ昼夜問わずそこから今回この施設へ人探しの流れでやって来ているように勝手気ままに出掛けている
正直、自身に良くしてくれている屋敷をきり盛りする主人には申し訳ないが、あくまで点呼代わりに時々顔を出しているという認識に過ぎなかった
尚、今回のように常に神祷術にて屋敷から一歩も出ていないように誤認させているため
全く怪しまれることも無い
竹刀は空間術だけでなく情報操作術も得意だった
三億、ねえ…
狩衣はもう一度同じことを呟いた
竹刀には自身が何かおかしなことを言ってしまったのかわからなかった
彼女は基本的に誰とも接してこなかったため、すっかり忘れていたのだが本を読むときにも術を使っていた
それは神祷術による速読術で、これを使えば視認できた程度の範囲にある文献形式の情報なら全部たやすく抜くことができた
読むのも一秒とかからない
旅先で厳重そうな蔵を見つけると後は適当に手を翳す
それだけで一子相傳の秘術も滅んだ忍術の極意も読み放題というわけだ
金沢文庫一棟すらも雑多な彼女の頭の中にある一知識に過ぎない
流石に重複知識が多すぎて最近はとんと新しい知識にはご無沙汰となっているが、定期的に都会の本屋を訪れてはその書棚の知識全て吸収することを習慣としていた
(はて?代金?泥棒?左様な事は存じ上げませんですとも
後学のため読んでるだけで別に覚えようともしておりませんですゆえ)
生まれつき得た知識は決して忘れない完全記憶能力持ちの化け物には些細な事だったようだ
すごい冊数すぎて反応に困るから、まあ、子どもの他愛もない冗談と思っておくよ…
思考に耽っていた竹刀は狩衣の言葉で我に返る
訝し気な視線を向けられつつもまたもや聞き流してくれて安心していた
それからも二人は様々な話をした
なにせ互いに知識人同士だ
竹刀は狩衣から聞いた、最近読みさしているという本の題名に心当たりもあると告げると
本当にかい?と身を乗り出し竹刀の方へ距離を詰めた
ゼロ距離
竹刀にぴったり寄り添う形で本を見開き、二人で一緒に読む格好となった
(…どうでもいいですが、あの、私の前髪越しに顔に息が掛かるんですけど)
なぜか肩に腕まで回される密着状態となった
態勢は不可解だがそれはさておき竹刀は狩衣が懐から取り出した本に視線を向けた
竹刀は記憶を辿ったが、それは印刷所からまだ世に出る前の初版本を勝手に読みあさり知識だけいただいたものと同一だった
狩衣が解釈に詰まっているという点を聞き、過去文献とも照らし合わせた彼女なりの解釈を語ったところ狩衣は得心したようだ
これで距離を離してもらえると思ったのもつかの間、本は閉じられたが態勢は変わらず結局、別の話が始まった
宗教画、ちょっとした世事の宗教的見地・解釈の応酬、竹刀の旅先で見た有名な意匠など話せること自体は無限にあった
竹刀はいちいち密着状態でなければ良いのにと最初は思っていたが、だんだんと慣れてどうでもよくなってきていた
竹刀は訪れた先の集落などから不定期に日雇い仕事を頼まれること以外、ほとんど誰かと真っ当に接していないため、狩衣と話してとある違和感に気づいた
竹刀が受け応えしていると狩衣が困惑したように話を切ってしまうことが何度かあったのだ
しかし、その後すぐに満面の笑みで
竹刀ちゃんは可愛いなあ
と言い慰めるように彼女の頭を撫でるのだった
何かおかしなことを言ったのだろうか、竹刀は考えてもわからなかったが、しかしまるで自身の失敗を誤魔化すかのような態度をされるのは抵抗があった
なにせ彼女は、自身を実年齢が低いだけの大人と考えているからだ
子ども扱いは耐え難い
間違っているならきちんと反省するので理由をさっさと述べていい加減手を離してほしいと強く思っていた
(まったく何なのでございましょうです、というかそもそもくっつきすぎなのです、初対面でございますですが?)
竹刀には訳がわからなかったが痺れをきらして尋ねてみた
あの、私のお顔、見えてはいないですよね?
竹刀は自身の長く伸ばした黒い前髪越しに自身の目元を指さした
うん見えないよ
だって顔隠してるし恥ずかしがりやさんなんでしょ?
別に構わないよそのままで
そりゃ本当はどんなお顔してるか見たいけどさ
いえ、其れはあの、其の、無理で…
うんわかってるわかってる別に気にしないから
(なら密着するのもやめてもらえませんかね?)
その言葉は飲み込んだ
内心ため息を吐きながら竹刀は狩衣と話し出してから経過したこの一刻ほどを振り返ってみたが、
短い時間の中でも彼女は、狩衣が距離は近すぎるが優しく自然に自身が話せる数少ない人物であると認めていることに気づいた
だからだろうか、一期一会と見定めている相手に言わなくても構わないことを話し出していた
私、以前女衒さんに売られそうになった事があり其の時からずっと
誰にもお顔見せるの嫌で前髪伸ばしてるのでございますです
結局は顔を見せない言い訳かもしれなかったが嘘はつきたくなかった
ごめんなさいです
あの変な目の色ですゆえ
変な?
それなら気にしなくてもいいんじゃない?
俺の目ほど変な目の色も無いと思うし
いえ、滅相も!
宗祖様の瞳はお綺麗です!
虹色で光ってて
私のは、何だか、人らしくも無いやつでして…
竹刀には自身が化け物である自覚があった
普通の人間ではありえない目の色、能力、常人離れした部分が多く、神祷術が使えることなどその副産物に過ぎなかった
(私は正真正銘の化け物でございますです)
自身の大きすぎる胸元に目をやり、その中でくつろいでいるだろう可愛い氷の子を思い浮かべる
血の一滴を与えただけで致命傷が癒され、無機物に意思を与えるなど普通ではないのだ
竹刀は自身が何者であるのかは知らないが善い物ものではないという確信だけはあった
羅刹ではないが別種の悪い何かだと頑なに思い込んでいた
だから誰とも深く関わろうとしなかった
本来なら、今いる組織に身を置くことすら避けるべきなのだ
もっとも、羅刹を狩ること自体に迷いはない
あれらは放置していい存在ではないからだ
そもそも竹刀が各地を旅しているのも、観光のためではない
行く先々で羅刹を狩る
それが目的だった
彼女は神様に命じられた巫女
羅刹を狩り、殺すための存在である
ふーん?
そう言われると流石に気になっちゃうなあ
お顔見せて
狩衣の手が竹刀の髪へと伸ばされる
だ、駄目でございますです!
流石に振り払う
けれど極力力は抜かねばならない
なにせ彼女がその気になれば相手を天井まで吹き飛ばしてしまうくらいの膂力があるのだ
狩衣は振り払われた手を眺め、目を瞬いた
あははそっかー無理かあ
ごめんごめん
怖がらせちゃったかな?
許してね
そう言い、竹刀の手を取り口づけを落とす
!?
竹刀の心臓がドクンと大きく跳ねた
初めてのことで前髪越しに顔もみるみる赤くなった
と同時にとあることを思い出した
(か、斯くは!私の愛読書 『恋愛白楽御殿〜はいから乙女は青年将校に恋をする〜』の第2巻の33頁11行の一幕と同じ!
す、すごい端正な美貌持つ殿方は本当にさらっと、すかしたキザな伊達男風な事が
出来てしまうのでございますですね!!)
若干感動していた
竹刀はそれまでの化け物の自身への葛藤など見事に忘れ去った
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狩衣視点
(わあ、お顔見えないのに多分真っ赤だなあこれ
すっごいわかりやすい子だ
頭いいのに人に慣れて無いんだねえ
可愛いなあ
俺がもっともっと染めてあげたいかも、なあんて)
俺は今自身がとても大切にしている、ある少女の事を思い浮かべた
(やっぱり浮気はだめだよね?)
彼の脳裏に自身の手元にある
一羽の健気で美しい蝶々が浮かんだ