狩場は山の中だった
それ自体は予想の範疇を出ない
昼間にちょっと喧嘩してしまったあの山からは、十里ほど離れた場所だと君は説明してくれた
君ったら十里の距離を文字どおり一息で渡るんだもの
しかもそれでもまるで本気じゃないらしい
恐ろしいほどの脚の速さだ
俺が昨日、一番最初に対峙したあの時、本当は一瞬で俺から逃れられたんだねって思って若干悲しくなった
それにしてもここには、探知のとんと鈍い俺でもわかるくらい多くの羅刹がいるらしい
ただ、一体どうやっておびき寄せて退治するつもりなんだろうか…
そう思っていたら
君は俺に少し距離を取るように指示を出してきた
まあ、いいかと言われたようにしたところ、
君は何事か唱え
その瞬間まるで漁師網にでも掛かったかのように、大量の羅刹が俺達の周囲に数百ほど一気に姿を現した
しかも、引き寄せられたのは周囲の羅刹だけじゃない
俺もだった
鼻、肌、耳、口、目
全ての器官が君を捉えて離さない
当然口にはよだれも溜まるし
全身の穴という穴が君という極上の餌に吸い寄せられているのがわかった
今まで全くそんな気配は無かったのに今、君から発せられているのは、間違いなく途轍もなく甘美で周囲の空気にさえも満ち満ちる稀血の匂い、味、その奥にありありと感じられる莫大な力
理解した
この突然現れた無数の君の獲物たちは、君が術を行使したからやって来たのではない
君そのものに釣られて勝手に姿を現しただけなのだと
思わず俺も口元を手で押さえ正気を保つのに必死になる
君を食らいたい欲求がこれでもかと膨れ上がってきて、抑えるのに苦労した
そしてはっきりわかった
君をいつだって性的な意味で食べたくなり、その欲求が留まることを知らなかったのは単に君を愛しているから、俺の性欲が強すぎるからってだけではなくて、君のこの迸るほどの莫大な稀血の力を無意識下で感じとり、羅刹としての本能が揺さぶられている面も間違いなくあったのだと
闇に閃く黄緑の眼光
月を反射して虹色に煌めく二対の刀
その刀身には血の一滴さえも相応しくないとばかり、片時も留まることを許されぬただの肉塊たち
入れ食いだ――――
君は一体一体、いや数十体単位で非常に淡々と処理していく
正確無比に頸を狙いただ一刀にて斬り伏せ、次々にまるで屠殺場のように屠っていく
相変わらずの無表情で、自身が捕食対象とされていることなどまるで歯牙にも掛けない
誰もがただの一瞬すらも君に肉薄することも許されず、襲い掛かられ反射的に反応しただけとも言うべき君の剣技の無慈悲さで死んでいった
これには流石の俺も舌を巻いた
(強過ぎる…)
これはなんと形容したら良いものか…
うん、大人しく認めよう
竹刀ちゃん、君はやっぱり「化け物」だったみたいだね
不意に視線が合う
もう俺もいつの間にか君への食人衝動は治まっていたから大丈夫だった
…まあ食欲っていう生物の本能よりも、ドン引きっていう感情が勝っただけな気もするけど
君はそんな様子の俺を知ってか知らずか手招きした
不審に思いつつも取り敢えず邪魔な雑魚羅刹を蹴散らし駆け寄ってみると
あなたもやってみますです?
羅刹の塊を一息で屠りながら俺に狩りのお誘いをしてきた
(え?)
普通に疑問に思って俺はそう言ってしまったけど君は怪訝そうに
さっき「お手伝い」とかなんとか仰っていたと思いましたですが
こちらを見ずに話す
(ああ、その事か)
其れとも私の背中を刺したいなら其れは其れでご勝手にどうぞ
けれど、どうせ此れ片付けないと邪魔でたまりませんでしょうです
(今、君が邪魔扱いして虐殺してるの仮にも元人間なんだけど…)
この場に居合わせてしまったばかりに儚く命を散らされてしまった哀れな同胞達に対して、俺は普段なら決して抱かない慈悲の心を持ってしまっていた
まあ一応の聖職者としての顔もそこまでで、結局君と肩を並べて虐殺に加わる俺だった
やがて俺たちは同時にそれぞれ刀と扇を仕舞った
まだ頸を落とされたばかりで消滅しかかっている雑魚羅刹の断末魔も聞こえてくるが、段々とそれも少なくなっていく
仮にも二人掛かりでだったからだろうか
四半刻もせずに数百体余りの羅刹が葬り去られていた
今夜の釣果はどんな塩梅かと、一応君に聞いてみたところ
別にさほど早くもないでございますですが
まああなたの取り分残すくらいの配慮は必要かと
「三つ指ついて三歩下がって殿方を立てる」ができた、はいから乙女の心得というものでございますですゆえ
君の言う、「はいから乙女」は羅刹大量虐殺娘の事なのか?と物凄く突っ込みたかったが、ド天然で感性がずれてるのはもう慣れたので俺は耐えた
(誰か俺を褒めてよ…)
尚、事が済んだ後、昨日から何かにつけ、俺に辛口な評価を下し続ける君にしては珍しく素直に
あなた流石に大寒の弐番さんでございますですね
羅刹さん方を屠る速さは私が知る限り私の次に速いです
仲間殺しの速さを賞賛され、余りにも複雑だった
(折角、君が褒めてくれたのに何一つ嬉しくないのはなんなんだろうね、これ)
多分、俺の虚しさは君には全く伝わっていなかった
羅刹狩りが持つ「陽光刀」にて頸を斬られた羅刹は、霧散し死体一つ残らないため、先ほどまでの喧騒はどこへやら、夜の帳が降りた山間ではいつの間にか静寂が辺りを支配していた
まあ、そうなる前に相変わらず君ったら
今夜の狩りしゅーりょー
って、朝の神楽舞の時よろしく素っ頓狂な声を出してたけど、それも山彦が少し木霊したくらいですぐに掻き消えた
ねえ、竹刀ちゃん
流石に疲れでも出てるのか、まだ帰る様子のない君に俺から声を掛ける
はい、なんでございましょうです
さっきの羅刹何体いたっけ?
四百と少しくらいだったかと
やっぱりそのくらいいたよね
祇園様に知られたら大目玉だなあ、これ
黙ってれば良いではございませんです
羅刹さんの首魁さんに今あなたの情報は伝わっておりませんですよ
君の情報遮断のお陰でね
にしても、たった一晩どころか半刻もしないうちにこれだけの数ってさ
こんな勢いで狩ってたら大和中から羅刹消えちゃうね
元より滅亡させるために動いているのでございますですが
君は無表情で黄緑の瞳を閃かせる
いやそれにしても限度があるっていうかさ、
俺の知る限り、全国津々浦々大和中の羅刹は額面上は五十万体弱くらいいるはずなんだけど、一日辺り四百ずつ狩ったらさ、四年足らずで滅亡だよ?
はあ、左様でございますですが何か
君こそ何か思うところは無いのかい
羅刹はあくまで人間の成れの果てなのに…
ゆえに慈悲を与えよと?
私は人殺し羅刹さんに掛けるような優しさなどまるで持ち合わせるつもりはございませんです
(当然だけど、全く引く気はないみたいか)
うん、そうだね
人殺し専門の虐殺者だもんね君は
意地悪な言い方になった
ええ、全くでございますです
でも全く気にしない君
たまに君は命に対して恐ろしいほど淡白になるね
…一応聞くんだけど、君は人間じゃない部分がある子で、それはつまりある種の人外である俺達羅刹と似通った部分があるってことになると思うんだけど、それでも羅刹は絶対「悪」と言うの?
今更、其の質問をなさるとは
昨日契約前に仰るべきでございましたですね
何もかも遅すぎますです
そしてお答えいたしますが私は化け物ではあってもあなた方には与しない
基本的には人類の味方のつもりでおりますです
なんで?
俺達羅刹に恨みでもあるの
君ほど強い子が
…………当然、ございますですが?
(えっ)
何を驚いておられますので?
それは何、
答えたくはございませんです
君は俺の言葉を遮るように言い放った
はい、斯くお話はお終いでございますです
「言いたくない」か、そんなにはっきり意思表示されては仕方ない
またの機会にしよう
ただ、その話題を出したからだろうか、君の無表情がまた一段と深い無表情に変わった気はする
気にはなったが、今は聞くべき時ではないのだろうとして俺は口を噤んだ
(話題を変えよう…)
ところでさ、シノハユちゃんを囚えた時に、お姉さんのカナヰちゃんにたまたま聞けた話だけど、羅刹狩り組織では羅刹を計五百体狩ったら幹部に上がるらしいよ
竹刀ちゃんは二日で上がっちゃうわけだね
まあ確かに
左様には聞いておりますですね
君は幹部ではないよね
ええ、組織のお仕事はまるでしておりませんですゆえ
寧ろ、私は組織のお偉方さんから怪しいと睨まれ、監査対象とされていたようでございますです
出世も何もあったものではございませんでしたです
階級も最低級でしたし
まあ尻尾を見せない私を追及するのはお可哀想なことに、絶対無理なんでございますですが…
因みに今回は敢えて数が多いと目される狩場を狙いましたです
いつもは百〜二百体程度となりますです
(それでも一晩辺りって考えると普通に多いんだよなあ…)
ふーん倍なんだ
ええ、昨日はあなたの下を訪れそのまま夜までずるずると、ですゆえノルマ果たせず終いにございました
普段の倍となると、私としてもやや骨は折れるところをお手伝いのお申し出はなかなか有難かったりした次第にございますです
それならまあ俺も少しは役に立った、のかな
有難かったことには違いございませんですね
(いろいろ引っ掛かるところはあるけど感謝されてるならまあいいか…)
「はいから乙女」の舞は恐ろしいほど美しいって新たな知見も得られたことだしね