チャラノ小路チャラ隆の野望   作:ぺこりーにょ

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人気作側に立つんは 俺や!!!





ギャグ作品にあるまじきギャグ少なめ回?




乳碑︀露陰

 

 Prologue.

 

 

「入るわよ」

 

 薄暗い廊下にその一言だけを落とし、私はもう何度目になるか分からない男の部屋のドアノブを回した。

 電子キーが解除される短い音のあと、ドアを開けると、微かに香るムスク系のルームフレグランスが鼻をくすぐる。靴を脱ぎ、一切の躊躇なくその空間へと足を踏み入れた。

 

 この学校に入学して一ヶ月。

 女子寮とは違う、この一室を訪れることで、私は部屋の広さや間取り自体は男女で全く変わらないという事実を知った。

 しかし、その使われ方は私の殺風景な部屋とは雲泥の差だった。

 

 部屋の主は決して几帳面というわけではないはずなのだが、室内には生活感が極限まで排除されており、不気味なほどの清潔感が漂っている。そして、インテリアのチョイスがやけに凝られていた。率直に言って、ティーン向けのファッション誌の『モテる男の部屋大特集!』というページをそのままハサミで切り抜いて、現実世界にペーストしてコーディネートしたような、あからさまにオシャレな部屋なのだ。

 

 黒を基調とした間接照明。無駄に大きくて座り心地の良いレザーのソファー。そして、壁には一枚だけ、外国人の金髪女優のモノクロポスターがデカデカと貼られている。

 それが誰なのか知らなかったので、いつだったか尋ねてみたことがある。すると彼は、感情の一切籠もっていないフラットな声で「マリリン・モンローだ」と答えた。

 外国人の映画女優が好きなのかと思ったが、その後に続く彼の長々とした説明を聞いて、すぐさまそういう純粋な理由ではないと思い直させられた。

 

『彼女は20世紀最大のセックス・シンボルであり、すべての男たちを魅了した愛の女神というわけだ。なぜ彼女がセックス・シンボルと言われたのか、その豊満なプロポーションとモンロー・ウォークと呼ばれる歩き方が大衆心理に与えた影響についてだが……』

 

 そこから数分間、彼はモンローの身体的特徴と大衆の性衝動の相関関係について、まるで教授のような淀みない口調でうんちくを語り続けた。そして最後に、バカでかいヘッドホンを直しながらこう締めくくったのだ。

 

『だから俺は、彼女のポスターを部屋に飾ることで自らのバイブスを高め、常に彼女のような極上の女を抱くのに恥じない男を目指しているわけだ。マジ卍』

 

 ……相変わらず、その無駄な知識の広さと、結論のどうしようもないアホらしさには脱帽するしかない。私はその時、彼の頭のネジが数本ではなく、規格ごと間違って取り付けられているのだと確信した。

 

 今夜も、部屋の主である綾小路清隆は、その無駄に大きいレザーのソファーに深く腰掛け、両脚をだらしなく広げた気怠いポーズのまま、いつものように真剣な表情でファッション雑誌に目を走らせていた。

 

「ウェーイ。来たな、子猫ちゃん」

 

 私が部屋に入ってきたことに気づくと、彼は雑誌から視線を上げることなく、抑揚のない声で挨拶をしてきた。

 

「その気持ちの悪い呼び方はやめろって、何度も言ってるはずだけど」

 

 私は冷たく言い返し、彼を一瞥してから部屋の奥へと進む。

 

 クローゼットを開け、自分のハンガーを手にとる。首元のリボンを外し、ブレザーを脱いで、いつもの決まった場所にかける。

 私はキッチンに直行し、冷蔵庫を開けた。

 

 一番下のチルド室の奥に隠された、琥珀色の液体が入った瓶。そして炭酸水のペットボトル。

 私はそれらと、グラスを二つ、そして氷が入ったアイスペールをトレイに乗せ、ソファーへと向かった。

 

「どっこいしょ、と」

 

 小さく息を吐きながら、私も男の隣──ただし、絶絶妙な距離感を保って腰を下ろす。

 ローテーブルの上にグラスを二つ置き、手慣れた手つきでカランと氷を入れる。瓶の蓋を開け、琥珀色の液体を注ぎ、そこに炭酸水を注ぎ込んで軽くマドラーで混ぜる。シュワシュワと弾ける細かい泡の音が、静かな部屋に心地よく響いた。

 

 出来上がったグラスのうちの一つを手に取り、ソファーで雑誌を読んでいる男の顔の前で、ぶらぶらと揺らす。

 

「……ん」

 

 男は雑誌から目を離し、無表情のままスッと手を伸ばしてグラスを受け取った。

 

「で、今日は何の特集を読んでるのよ。また『絶対に外さない夜の口説き文句』とか、そういう下らないやつ?」

 

 私が冷ややかなトーンで尋ねると、男は真顔で雑誌の表紙を見せてきた。

 

「いや、今日は『初夏のビーチで視線を独り占め! 最新水着トレンドと細マッチョの作り方』だ。俺のシックスパックはすでに完成されているが、最先端のナウい水着の形状については常にアップデートが必要だからな」

 

「あっそ⋯本当にブレないわね、あんた」

 私は呆れ果ててため息をつき、自分用のグラスを手にした。

 

「まあいいわ。とりあえず、雑誌を置いて。乾杯しましょ」

 

 私がグラスを少しだけ高く掲げると、男はピタッと動きを止め、バカでかいヘッドホンの下から、少しだけ目を細めて(おそらく彼なりの驚きの表情なのだろう)私を見た。

 

「……ウェーイ? ついに! この黒ニーソ美少女が、彼女第一号となるための、愛の誓いの乾杯を求めてきたってわけだな!?」

 

 相変わらず、少しでも隙を見せるとその腐った脳髄から湧き出る狂った論理を全開にしてくる。私はグラスを持ったまま、鼻でフッと冷笑した。

 

「馬鹿言わないで。誰があなたみたいな感情死滅ロボットの彼女になるもんですか。寝言は実技体育の夢の中だけで言ってちょうだい」

 

「じゃあ、何の乾杯だ? 俺の圧倒的なバイブスへの祝杯か?」

 

「違うわよ」

 

 私はグラスの中で氷をカランと鳴らし、そして、今日この学園を揺るがした『最悪のニュース』を、たっぷりの皮肉と哀れみを込めて口にした。

 

「あんたのクラス──1年Dクラスが、学園史上初の最速の0ポイントを叩き出した、その輝かしい大惨事の記念によ」

 

 私──神室真澄が所属するAクラスとは違い、彼のいる底辺のDクラスは、入学から一ヶ月間、授業態度、素行、遅刻欠席など、あらゆるマイナス評価を積み重ねた結果、CPが0となり、毎月振り込まれるはずの十万が全額没収されるという、前代未聞のペナルティを受けたのだ。

 明日から、彼のクラスの連中は一文無しでこの学園をサバイバルしなければならない。

 

 私は意地悪く微笑むと、静かに自分のグラスを男のグラスへと合わせた。

 チンッ、という澄んだ音が、5月の夜の部屋に響き渡る。

 かくして、私とこの不気味なチャラ男との、奇妙で退廃的な夜は更けていくのだった。

 

 

 時は少し遡る。

 

 神室真澄は、まるで滑らかな水流のような無駄のない動作で、1本のアルコール飲料の缶を自らのスクールバッグへと忍ばせた。

 陳列棚の配置、店員の視線の向き、そして天井に設置された監視カメラの死角。それらすべての情報を一瞬で処理し、最も安全なコンマ数秒のタイミングを見計らった上での完璧な手腕だった。誰の目撃者もいない。

 店内の明るい照明の下で、神室は小さく息を吐いた。バッグの底で微かに冷たさを放つその金属の円柱が、自分にとって何か特別な価値を持っているわけではない。神室自身としては、特段アルコールが好きなわけでも、味に興味があるわけでもなかった。ビールなど、ただ苦いだけの炭酸水だと思っているし、定期的に飲まなければいけないというアルコール中毒者でも決してない。

 

 ただ、どうしてもやめられないのだ。誰からも求められない、誰からも重視されないという、心の底に沈殿した泥のような空虚感。自分という存在の希薄さ。それが若気の至りという言葉で片付けられるものなのかは分からないが、この高度育成高等学校に入る前からずっと、彼女の心に巣食うその虚無感が、このような窃盗という愚行へとたびたび走らせてしまう。

 酔っているのだ。アルコールという物質そのものにではなく、社会のルールを破ることでしか得られない、実にチープで一時的なスリルに酔っているのだ。そうでもしなければ、自分が世界に存在している輪郭すら曖昧になって消えてしまいそうだった。

 

 いつものように、レジで退屈そうにしている店員にも、無機質な監視カメラにも気づかれることはなく、神室は堂々とした足取りでコンビニの自動ドアを抜けた。

 肌を撫でる夕暮れの風。胸の奥で微かに跳ねる心臓の鼓動。完璧な犯罪の完遂。これでまた、数時間は自分の存在意義を保てる。そう思いながら学生寮への道を歩き出そうとした、まさにその時だった。

 

「待ちな、お嬢ちゃん」

 

 背後から、不意に声が鼓膜を打った。

 感情の起伏が一切削ぎ落とされた、まるでスマートフォンの音声ガイダンスのような、ひどく平坦で無機質な声だった。

 

 心臓が、チープなスリルとは全く違う、本能的な警鐘を鳴らして跳ね上がった。神室が振り返ろうとした瞬間、ガッと強烈な力で右腕を掴まれた。

 万力のような、絶対に逃れられない冷たく硬い感触。掴んできたのは、同じ学校の制服を着た見知らぬ男子生徒だった。

 

 しかし、神室の視界に映ったその男の姿は、一目見て強烈な嫌悪感と、それ以上の得体の知れない恐怖を抱かせるものだった。それは、あまりにもチグハグな印象を強く受ける存在だったからだ。

 シャツのボタンを不自然に開け、ネクタイを緩め、首に大きなヘッドホンをかけている。いかにも不良っぽさを気取ったストリート系の着こなしだが、高校デビューしたにしても度が過ぎている。何より恐ろしいのは、その『顔』だった。

 

 まるで、感情という機能が最初から欠落しているロボットに、無理やり『チャラい男』というチープな人格データをインストールして、深刻なバグを起こしているかのような不気味さ。

 口角だけが、定規で測ったように正確に右側だけ吊り上がり、笑みの形を作っている。しかし、それは笑みと呼ぶにはあまりにも人工的で不気味すぎた。そして、神室を見下ろすその目の奥には、他者への興味も、欲望も、怒りも、何者も写していないかのような、ただ底なしの深い闇だけが広がっている。

 

「……っ!」

 

 神室は恐怖で喉が引きつり、声を上げる間もなかった。

 男の空いた左手が、蛇のような正確さと滑らかさで、神室のスクールバッグの口へと触れた。そして、外側からピンポイントで、先ほど神室が忍ばせたばかりの冷たいアルコール缶の輪郭を的確に撫でたのだ。

 

 ──見られていた。

 あの完璧な死角で? 自分の洗練された手技を? 

 

 全身から血の気が引いていくのがわかった。アルコール飲料の万引きという、退学に直結しかねない致命的な現行犯。終わった。この、狂人のような目をした不気味な男に、これから何をされるのか。

 沈黙を盾にしてプライベートポイントを極限まで揺すられるのか。もしくは、人のいない場所へ連れ込まれ、下劣に身体を要求されるのか。神室の脳内で、最悪のシナリオが猛スピードで駆け巡る。手足が震え、抵抗する気力すら削がれていく。

 

 だが、男は神室の恐怖など全く意に介していない様子で、口元だけの張り付いた笑みを浮かべたまま、ピンク色のガムをクチャリと噛み、そして信じられない言葉を放った。

 

「アルセーヌ・ルパンの名は、そう簡単に譲れねえな」

 

「……え?」

 

 極度の緊張感と恐怖の糸が、あまりにも突拍子もないそのセリフによって、プツンと切れた。

 思わず、神室の口から間抜けな声が漏れ、問い返してしまった。アルセーヌ・ルパン? 今、この状況で? フランスの怪盗小説の主人公の名前が、なぜここで出てくるのか。脅迫の言葉を待っていた神室の脳は、想定外のエラーに直面して完全にフリーズした。

 

 男は神室の混乱した顔を見て、なぜか満足そうに(やはり目は死んだまま)一つ頷き、バカでかいヘッドホンを少しだけずらして言った。

 

「おっと、自己紹介がまだだったな。オレの名は怪盗TAKA、探偵さ」

 

「……は?」

 

 神室の口から、今度は怒りすら混じったような純粋な疑問符が飛び出した。

 混乱がますます増えた。いや、増えたどころの話ではない。意味がわからない。怪盗と名乗りながら、次の瞬間には探偵と言っているではないか。泥棒なのか、それを捕まえる側なのか、属性が完全に矛盾している。この男の脳内はどういう了見なのだ。精神に異常をきたしているとしか思えない。

 

 私が万引きしたのを見て、自分も怪盗だと言い張りたいのか? それとも、万引きを見つけた探偵だと言いたいのか? 恐怖よりも、目の前にいる生命体に対する理解不能という感情が上回り、神室はただ唖然として男の顔を見つめ返すことしかできなかった。

 

 すると男は、神室の腕を掴んでいた手をパッと離し、これ見よがしに右目だけでウインク(しかし左目もつられて閉じていたため、ただの瞬きになっていた)を放った。

 

「缶ビール一つで勝ったつもりになるのは甘いな。令和のルパン三世とは俺のことさ。ウェーイ」

 

 そう言い残すと、男は神室に背を向け、気怠げな足取りで──先ほど神室が出てきたばかりのコンビニの自動ドアを抜け、再び店内へと戻っていった。

 後に残された神室は、夕暮れの風に吹かれながら、完全に思考停止に陥っていた。

 

 通報されるのか? いや、あの様子では違う。揺すられるのか? それも違う。なら、一体何だったのか。あの意味不明な自己紹介と、「勝ったつもりになるのは甘い」というセリフ。

 逃げるべきだという理性が働く前に、足が地面に縫い付けられたように動かなかった。ただ呆然と、コンビニのガラス扉の向こうに消えた不気味な男の背中を見つめ続けるしかなかった。

 どれくらいの時間が経っただろうか。体感では数十分にも感じられたが、おそらく数分程度のことだった。

 

 ウィーン、という電子音と共に、自動ドアが開いた。

 男が戻ってきたのだ。相変わらず、一切の感情を排した死んだ魚のような目に、口角だけを吊り上げた不気味な笑みを浮かべて。

 しかし、神室の視線は男の顔ではなく、男の右手に握られている『それ』に釘付けになった。

 男の手には、学校指定のスクールバッグが提げられていた。だが、そのバッグの形状は、元の長方形を保てないほどに、異常なまでにパンパンに膨れ上がっていたのだ。

 男は神室の目の前まで来ると、無言のまま、その今にもはち切れそうなバッグのジッパーをジーッと開け、中身をこれ見よがしに見せつけてきた。

 

「……っ!!」

 

 神室は息を呑み、一歩後ずさった。

 バッグの中は、まさに狂気の沙汰だった。神室が盗んだような缶ビール1本などという次元ではない。

 缶チューハイ、発泡酒、瓶のワイン、さらにはウイスキーの小瓶に至るまで、ありとあらゆる酒、酒、酒。さらにその隙間を埋めるように、スルメや柿の種、チータラなどの乾き物のツマミが、テトリスのように一切の隙間なく、物理的な限界を超えて詰め込まれていたのだ。

 

 その総重量はおそらく十キロを優に超え、金額にして数万ポイント分にはなるだろう。

 これだけの量の品物を、たった数分間で、レジの店員や監視カメラの目を完全に欺き、一切の不審な挙動を見せることなくバッグに詰め込んで店を出てきたというのか。

 神室の洗練されたスリの技術など、児戯に等しい。これはもはや、窃盗という枠を超えた、神業的な手品か魔法の領域だ。

 

「……な、なに、これ……」

 震える声で神室が呟くと、男──怪盗TAKAこと綾小路清隆は、無表情のままピンク色のガムの風船をパチンと割り、平坦な声で言い放った。

 

「言っただろ? 俺が令和のルパン三世だって。俺の圧倒的なバイブスの前じゃ、ただのままごとだ。せいぜい精進するんだな、子猫ちゃん。アーイ」

 

 男はそう言うと、膨れ上がった重すぎるバッグを軽々と肩に担ぎ直し、ヘッドホンを揺らしながら、再び気怠いストリートウォークで学生寮の方へと歩き去っていった。

 一人残された神室真澄は、自分のバッグに入ったちっぽけな缶ビールの存在がひどく惨めで、滑稽なものに思えてならなかった。

 恐怖、混乱、そして完全なる敗北感。

 彼女はこれまでの人生で感じていた空虚感など吹き飛ぶほどの、圧倒的で理不尽なバグに遭遇した自分の不運を呪いながらも、その背中を無意識に追いかけていた。

 

 

 

☆☆☆☆☆☆

 

 入学してから一週間が経った。あの無機質で息苦しい白い部屋から脱却し、ついに手に入れた完全なる自由。ウキウキルンルンの学生生活は留まるところを知らない。表情筋は相変わらず死滅しているため傍目には気怠げな無気力男に見えるだろうが、心情的にはスキップが止まらない毎日だ。

 

 そんな俺のバイブスをさらに高め、行動指針を決定づける重大な出来事があった。俺が絶対の信頼を置く福音書の新たな特集ページを開いた時のことだ。そこには、俺のこれまでの価値観を揺るがすような驚くべき真理が記されていた。

 

『ちょっと危険な香りに惹かれる! 不良はモテる!』

 

 さらに記事を読み進めていくと、『喧嘩に強いヤンキー彼氏が、いざという時に自分を守ってくれる姿に胸キュンする』とまで明確に記されていたのだ。

 ふーむ。なるほど。生物学的な観点から見れば、より強力な腕力を持つオスに庇護を求めるのは、外敵から身を守るためのメスの生存本能として極めて正しい理にかなっている。俺は腕を組み、真剣に考察した。

 

 手っ取り早く俺の圧倒的な戦闘能力をアピールするためには、誰かを生贄に捧げる必要がある。クラスメイトの中で一番喧嘩っ早そうなのは、常に赤い髪を逆立てて威嚇しているチンピラ風の須藤辺りだろうか。

 よし、明日の朝一で教室に入った瞬間、あの須藤をボコボコにしばき倒そう。俺のホワイトルーム仕込みの身体能力と生体力学の知識をもってすれば、彼が瞬きをする間に頸椎を極めて意識を刈り取り、血の海に沈めることなど造作もない。彼を物理的に破壊し、クラスの頂点に君臨することこそが、雌たちからの絶大なモテを獲得する最短ルートだ。

 

 そう決意し、須藤の関節を外すシミュレーションを終えてページをめくろうとした俺の目に、欄外に極小のフォントで書かれた注意書きが飛び込んできた。

 

※ただし、喧嘩が強くてモテるのは中学までです。高校生になったら、手を出さずに落ち着いた大人の余裕を見せましょう。

 

「……危ないところだった」

 

 俺は心の中で冷や汗を拭った。外の世界のルール、モテの概念は、年齢という変数によって劇的に、そして残酷に変化するらしい。もしこの注意書きを見落として、明日嬉々として須藤の顔面を陥没させていたら、俺はモテるどころかただの「知性が欠落した凶悪な傷害犯」として社会的に抹殺され、この学園から退学処分を受けていたところだった。福音書の奥深さと情報網の緻密さに戦慄しつつ、俺は「暴力で支配する不良」から「大人の余裕を見せる落ち着いた不良」という新たなペルソナを脳内にインストールし直した。

 

 その日の放課後。

 俺は落ち着いた不良としてのナウい女子を求めて、日課となっている敷地内の商業施設ケヤキモールの徘徊(パトロール)を気怠げに行っていた。

 すると、コンビニエンスストアの飲料コーナーの奥で、明らかに不審な挙動をしている女子生徒が俺の目に止まった。

 

 不審というか、周囲を過剰なまでに警戒しているのだ。その鋭い視線の動かし方や、肩の力の入り具合は、地獄と称される都内の通勤ラッシュの満員電車とやらで、四方八方から迫る痴漢の魔の手を全力で警戒する乙女の如く、といった感じだ。しかし、言うまでもなくここは治安の守られた学内施設のコンビニであり、痴漢が潜むような異常な人口密度もない。彼女のその過敏なまでの警戒システム(ソナー)の稼働は、この平和な空間において明らかに浮いていた。

 

 俺は気配を完全に押し殺し、心拍数と呼吸音を極限まで低下させるステルス技術を用いて商品棚の陰に潜み、彼女の姿を冷徹な分析官の目でスキャンした。

 その女子生徒の風貌は、たしかに見目麗しいと表現するのに何の違和感もない、極めてハイレベルなものだった。俺の隣の席で常に殺意という名の愛情を放っている永遠のツンデレ隣人である、あの麗しき堀北鈴音とも甲乙つけがたいといえば、そのレベルの高さは並大抵ではないことがわかるだろう。

 

 腰のあたりまで伸びた、手入れの届いた艶やかな長髪。何かに対して常に反抗しているような、気の強そうな鋭い瞳。そして何より、指定のブレザーの下から伸びる健康的な太ももと、それを包み込む黒の長いニーソックスがこれまた絶望的に似合っている。絶対領域の黄金比率は、俺のチャラ男演算回路において限界突破の数値を叩き出していた。

 

 俺が息を潜めて注目していると、彼女は周囲のモブ生徒たちや店員の視線が完全に逸れた、ほんのコンマ数秒の死角を正確に突いて動いた。

 スッ、と。滑らかな腕の軌道。その女子生徒は、棚に陳列されていた缶のアルコール飲料を手慣れた手つきで掠め取り、一切の音を立てずに自らのスクールバッグへと滑り込ませたのだ。

 

「……ほう」

 

 俺は無表情のまま、心の中で純粋な感嘆の声を漏らした。

 その一連の動きは、素人が出来心で昨日今日に行えるような動作ではない。腕の筋肉の無駄な緊張を完全に抜き、対象物の重心を的確に捉え、最も死角となる角度から最短距離で懐に収める。まさに巧みの技術。芸術的なまでのスリのプロ。

 

 とはいえ、法律的な観点から見れば、彼女の今の行動は明確な窃盗行為である。いわゆる万引き。日本の刑法第235条に抵触する立派な犯罪行為であり、この閉鎖された高度育成高等学校においては、発覚すれば間違いなく退学、あるいはそれに準ずる重いペナルティが課せられる致命的な愚行だ。

 

 もしここにいるのが、一般的な倫理観の高い生徒(例えば平田洋介のような男)ならば、「君、そんなことはやめるんだ」と正義感を振りかざして止めるか、あるいは即座に店員を呼ぶべき場面かもしれない。

 が、残念ながらここにいるのは、ホワイトルーム最高傑作と称される人間であり、倫理観の欠片も人権という概念すらない、絶対的効率主義の場所で育った男だ。俺の辞書に「正義」や「通報」などという無粋な単語は存在しない。俺にとって他人の犯罪行為など、その辺でアリが角砂糖を運んでいるのと同じくらい、どうでもいい自然現象に過ぎない。

 

 では、オレがこの状況で行動すべき最適なアクションとは何か? 

 俺は頭の回転を最高速にまで引き上げた。

 まず前提として、福音書によると不良はモテる。そして、この黒ニーソの美少女は、未成年でありながらアルコールを万引きするという、極めて反社会的な「ワル」の属性を持っている。類は友を呼ぶ。俺が落ち着いた不良として彼女に接触すれば、相性は抜群のはずだ。

 

 そして諸君は知っているだろうか。『吊り橋効果』というやつを。

 1974年、カナダの社会心理学者のドナルド・ダットンとアーサー・アロンによって実証された、極めて有名な心理学の実験結果である。足元が激しく揺れる高く危険な吊り橋の上と、安全で頑丈な橋の上の二箇所で、魅力的な女性のインタビュアーを用いて男性被験者にアンケートを行った結果、危険な吊り橋の上でインタビューを受けた被験者の方が、後日その女性に対して強い好意を抱く確率が圧倒的に高かったのだ。

 これは、恐怖や不安によって引き起こされる自律神経の興奮(心拍数の上昇、発汗、呼吸の乱れなど)を、人間の脳が「目の前にいる異性に対する恋愛感情」だと誤認してしまうという、生理的覚醒の錯誤帰属を証明したものだ。

 

 これを現在の状況に当てはめてみよう。

 目の前の黒ニーソの彼女は、万引きという重大な犯罪を実行した直後であり、いつ誰に見つかるか分からないという極度の緊張と恐怖の渦中にある。心臓は早鐘のように打ち鳴らされているはずだ。つまり彼女は今、心理学的に見て『ぐらぐらと揺れる危険な吊り橋のど真ん中』に立っている状態に他ならない。

 もしこの絶対的な恐怖の瞬間に、俺という最高にナウでイカした落ち着いたチャラ男が彼女の目の前に颯爽と現れたらどうなるか。

 彼女の脳は、万引きの発覚による冷や汗と激しい動悸を、俺の圧倒的なオスとしての魅力に対する『一目惚れのサイン』だと完全に誤認するはずだ。弱みを握って脅迫するなんていう、三流のチンピラがやるような手口は使わない。俺はただ、彼女の最も無防備で心拍数が跳ね上がっている絶好のタイミングに、完璧なバイブスをもって接触(エンカウント)するだけでいいのだ。

 

「……完璧な理論だ」

 俺は右の口角をあげ、ニヒルな笑みを浮かべた。ホワイトルームの科学と、ストリートのチャラさが融合した、誰にも真似できない最強のナンパ術である。

 彼女が店を出ようと歩き出したのを確認し、俺は一切の足音を立てずに彼女の背後へと忍び寄る。ターゲットは、あの警戒心の強い見目麗しき黒ニーソの美少女。彼女の万引きによる心臓の鼓動を、俺への愛のビートへと不可逆的に変換する究極の心理戦(実技)が、今まさに始まろうとしていた。

 

 

 








なんということでしょうか⋯
まさかあのアンケに意味があったなんて⋯作者にも驚きが隠せません



ギャグやシリアスは書いたことあったけどミステリーは書いたことないのでいっしょ賢明にプロローグの序盤が、まるでほりぴーのミスリードとなるように書いてみました
たぶん⋯ミスリード上手い人は最後の最後まで引っ張れるんだろうな⋯

と、言うわけでAクラスからのヒロイン登場。神室ちゃんでした☆
皆様の予想通りでした?

で⋯ここからどうなるん?知らん
あと無駄にこの話が文字数くったから作者の呪力が尽きたからGWはなにもでけん
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