入学式当日、綾小路清隆は『福音書』に出会った。
なんか唐突にギャグを書きたくなる時あるよね。
これまで目標も野望もなく、ただ与えられた課題を完璧にこなすだけの無機質な空間——『ホワイトルーム』と呼ばれる白いだけの部屋で育ってきた俺は、ついに外の世界へと飛び出した。
高度育成高等学校。そこが俺の向かうべき新たなフィールドだ。しかし、入館証代わりの学生証を胸にポケットに忍ばせ、バス停に向かう俺の足は、道中のコンビニエンスストアでピタリと止まっていた。
理由は単純だ。バスに乗るまでの時間を潰すために入ったその店で、俺は『福音』と出会ってしまったのである。
雑誌コーナー。色鮮やかな表紙が並ぶ中、俺の目を引いたのは10代から20代前半の男性向けファッション誌やライフスタイル誌だった。
そこには、俺が今まで学んできた帝王学や高度な数学、武術の知識とは全く異なる、未知の学問が記されていた。
『春のモテコーデ決定版! 彼女の視線を独り占め!』
『もう非モテとは言わせない。ワンランク上の男になるための50の法則』
『ストリートで映える! 最高にチャラいアクセ使いでライバルに差をつけろ!』
「……モテる、か」
俺は店内でその雑誌を何冊か手に取り、ページをめくった。
健全な若者というものは、異性から好意を得ること、つまり『モテること』が人生における最大の目標であるらしい。ホワイトルームでは「優秀な遺伝子を残すための生物学的本能」としてしか教えられなかった事象が、外の世界ではこれほどまでに体系化され、一つの巨大な文化として成立していることに俺は静かな感銘を受けていた。
せっかくあの白いだけの部屋から出て、絶対的な支配者の目から逃れて自由を満喫できる三年間を手に入れたのだ。
ただ平穏に過ごすだけでは、外の世界の真理に到達することはできない。ならば、この外の世界の一般常識における『最高到達点』を目指すべきではないだろうか。
決まった。
自由を満喫できるこの三年間の目標。それは、「最高にモテるチャラ男になること」だ。
俺は吟味に吟味を重ねた結果、最も情報量が多いと判断したファッション誌を3冊購入した。熟読し、内容を脳にインプットしていたためか、気づけば予定していたバスを何本か見送ってしまっていたが、些細な問題だ。今日から俺は、ただの綾小路清隆ではない。
『チャラノ小路チャラ隆』として生まれ変わったのだから。
ようやく乗車したバスの中で、俺は最後尾の座席に陣取り、先ほど購入した雑誌の復習に読み耽っていた。
車内は同じ制服を着た新入生たちで溢れかえっており、皆一様に緊張と期待の入り混じった顔をしている。周囲の喧騒をBGMに、俺は冷静に『チャラ男プロトコル』の構築を進めていた。
雑誌の記述を総合的に分析すると、チャラ男としてモテるためには以下の要素が不可欠であるという結論に至った。
服装の着崩し:規則に従順なだけでは魅力に欠ける。適度な反逆心(ルールの逸脱)が雌の生存本能を刺激するらしい。
特有の言語体系:「ウェーイ」「マジ卍」「それな」「ワンチャン」といった、論理性を排除した共感特化型のボキャブラリーを駆使すること。
パーソナルスペースへの侵入ムーブ:物理的・心理的な距離を躊躇なく詰める「馴れ馴れしさ」が、自信の表れとして評価される。
謎の自己肯定感:根拠のない自信が、結果的に
俺は本を閉じ、窓ガラスに映る自分の顔を確認した。
無表情。感情の読めない瞳。これではダメだ。雑誌のモデルたちは皆、歯を見せて笑うか、あるいは斜め下を見下ろすような『アンニュイな表情』を作っている。
俺は表情筋の制御に意識を集中させた。
口角を右側だけ3ミリ上げる。左目は軽く細め、右目は通常通り。いわゆる「ニヒルな笑み」というやつだ。心拍数は通常通りの60BPMを保ったまま、脳のシミュレーション通りに完璧な表情を作り上げる。
よし、悪くない。これなら「ちょっとワルだけど影のあるイケメン」というカテゴリに分類されるはずだ。
次に服装の調整だ。
俺は首元のネクタイを正確に4.5センチ下方にずらし、第一ボタンと第二ボタンを開けた。鎖骨を露出させることでフェロモンをアピールできると、雑誌の特集ページ(P.42)に書いてあったからだ。
姿勢は背筋を伸ばしすぎるのではなく、あえて重心を少し後ろに倒し、脚を肩幅よりやや広く開く。これで『余裕のある男のポーズ』の完成だ。
準備は整った。あとは、このプロトコルを実践に移すだけだ。
バスが次の停留所に停まり、新たな乗客が乗り込んできた。
俺の視線の先、少し離れた席に一人の女子生徒が座っているのが見えた。黒髪のロングヘア、背筋をピンと伸ばし、周囲を寄せ付けない孤高のオーラを放っている。手には文庫本。
間違いなく美少女というカテゴリに入る容姿だ。
彼女の隣の席は空いている。
俺の脳内のスーパーコンピューターが弾き出した最適解は一つ。「チャラ男として、あそこに座り、ナンパという名のファーストコンタクトを図る」だ。
俺はゆっくりと立ち上がり、意図的にだるそうな歩き方(いわゆるストリート系ウォーキング)で彼女の隣へと移動した。
「……」
ドカッと、あえて少し乱暴に座席に腰を下ろす。隣の彼女は、一瞬だけ不快そうに眉をひそめたが、すぐに視線を本に戻した。
反応が薄い。だが、これも雑誌の想定内だ。「最初はツンツンしている子ほど、落とした時のリターンが大きい(P.68)」と書いてあった。
俺は右側の口角を3ミリ上げる『ニヒルな笑み』をキープしたまま、彼女に声をかけた。
「ウェーイ。隣、いいっしょ?」
感情を完全に排除したフラットな声質で、抑揚の一切ない「ウェーイ」が車内に響いた。
隣の黒髪の少女は、本から目を離さないまま、氷点下の声で答えた。
「……もう座っている人間が聞くセリフではないわね。それに、あなたのその奇妙な発声は一体何かしら? 病気?」
見事なまでの冷遇。普通の男ならここで心が折れるだろう。しかし、俺の心は波一つ立っていなかった。むしろ、彼女の反応をデータとして収集・分析していた。
「マジウケる。君、けっこー強気なタイプ? それな。俺、そういう芯のある女、ワンチャン嫌いじゃないぜ」
俺は学んできたばかりのチャラ語録を、機械翻訳のように正確に羅列した。瞬きすら一つせず、彼女の目をじっと見つめながら。
少女はついに本を閉じ、信じられないものを見るような目で俺を見た。その瞳には「不気味」「関わりたくない」「知的障害を疑う」といった感情が複雑に混ざり合っていた。
「……あなた、正気なの? 目が全く笑っていないのに、口調だけ無理に軽薄を装っているわ。背筋が凍るほど気持ち悪いから、今すぐ私に話しかけるのをやめてちょうだい」
完璧に見抜かれている。
俺は内心で感嘆した。どうやら、声のトーンと表情筋の連動性が不足していたようだ。ホワイトルームでは感情を表現する訓練は行われなかったため、このあたりの調整は至難の業だ。
しかし、俺はチャラノ小路チャラ隆。ここで引き下がるわけにはいかない。
「アハハ、照れ隠しとか、マジ可愛いところあるじゃん。L○NE交換しとく?」
俺が携帯電話を取り出した瞬間、彼女はあからさまな舌打ちをした。
素晴らしい反応だ。これが世に言う『ツンデレ』の『ツン』の極致か。俺は確かな手応えを感じていた。
その時、バスの前方でちょっとした騒ぎが起きた。
停留所から乗り込んできた足腰の悪そうな老婦人が、座る席を見つけられずにふらついている。優先席には、金髪で筋骨隆々の男子生徒がふんぞり返って座っており、譲る気配は微塵もない。
見かねたショートヘアの可愛らしい女子生徒が声を上げた。
「あの、どなたか席を譲っていただけませんか?」
車内に沈黙が落ちる。誰もが目を逸らし、関わり合いになるのを避けている。
隣の黒髪の少女も、知らん顔で本を読み直そうとしていた。
俺の脳細胞が、再び猛烈な勢いで回転し始めた。
雑誌の『モテる男の絶対条件』の第3章。そこにはこう記されていた。
【ギャップ萌えを制する者は、女心を制す。普段チャラい男が見せる『ふとした優しさ』は、破壊力抜群!】
今こそ、その『ギャップ萌え』を披露する絶好のチャンスだ。
俺は立ち上がり、ポケットに片手を突っ込んだまま、わざと気怠げな足取りで前方の優先席付近まで歩いて行った。
車内の視線が一斉に俺に集まるのを感じる。
俺は老婦人の前に立つと、前髪を軽くかき上げ、再び右の口角を3ミリ上げたニヒルな笑みを作った。
「ウェーイ、ばあちゃん。ここ、俺の特等席なんだけどさ。今日は特別に貸してやんよ。俺、脚長いから立ってた方が映えるしね。マジ卍」
抑揚のない、まるで合成音声のような平坦なトーンで放たれたその言葉に、車内の空気が一瞬で凍りついた。
意味不明な若者言葉。一切感情の籠もっていない目。そして、親切な行動とは裏腹の傲慢な態度。情報量が多すぎて、周囲の乗客たちはどう反応していいか分からず硬直している。
老婦人はポカンとした後、「あ、ああ……ありがとうねえ」と戸惑いながらも、俺が確保してやったスペースの席へと座った。
俺は「アザマル水産」と小さく呟き(これも最新の挨拶だと記憶している)、指で銃の形を作って老婦人にウインクをした。両目を同時に瞑ってしまったため、ただの瞬きになってしまったのは計算外だったが。
「あの……! ありがとうございます!」
先ほどのショートヘアの女子生徒が、目を輝かせて俺に近づいてきた。周囲の空気が少し和らいだのを感じる。
「気にすんなって、子猫ちゃん。困ってるレディを助けるのは、男としてトーゼンっしょ」
俺は彼女の肩をポンと叩き、再び席へと戻った。
(分析:『子猫ちゃん』という呼称は支配欲を満たし、アルファオスとしての地位を確立するのに有効。P.82参照)
さきほどの席近くへと戻ると、隣の黒髪の少女が、先ほどよりもさらに冷ややかな——いや、もはや汚物を見るような目で俺を見ていた。
「……あなた、本当に何かの病気なのね。不気味な作り笑いに、意味不明な言葉の羅列。しかも、親切にしたいのか、目立ちたいだけなのか分からない奇行。一つ忠告しておくわ。今後一切、私に話しかけないで」
「フッ、マジウケる。そんなに俺のギャップ萌えにやられちまったのか? 素直じゃないねえ」
「……死ねばいいのに」
少女はついに完全に背を向け、窓の外を見つめ始めた。
その耳がわずかに赤くなっているのを、俺の優れた動体視力は見逃さなかった。
窓ガラスに映る自分を見る。
崩した制服、計算された姿勢。周囲からの視線も確実に集めている。
初日にしては、悪くないスタートだ。
モテるための道は、ホワイトルームのカリキュラムよりも遥かに複雑で、難解な数式のようだ。人間の感情という不確定要素が絡むこのゲームは、俺の知的好奇心を大いに刺激してくれる。
待っていろ、高度育成高等学校の女子たちよ。
この三年間で、俺は必ずや頂点に立つ。学力でも、身体能力でもない。
『圧倒的チャラ男』という、究極のステータスにおいて。
俺は心の中でそう誓い、次に試す予定の「壁ドン(物理的破壊を伴わない適切な力加減の算出が必要)」のシミュレーションを頭の中で開始した。