チャラノ小路チャラ隆の野望 作:ぺこりーにょ
ふぅん。三ヶ月も放置してさぞ話数が溜まっているなどという考えは甘いぞ!遊戯!
1話もリザーブはない!リバースカードオープン!エネミーコントローラー!
なんのかんのと騒がしかった放課後の勉強会を終え、俺と堀北は、すっかり夜の帳が下りたキャンパスから学生寮へと続く並木道を二人並んで歩いていた。
頭上に茂る木々の葉が夜風に揺れ、サワサワと涼しげな音を立てている。等間隔に並んだ街灯がアスファルトの上に丸い光の輪を落としており、俺たちの影が足元で伸びては縮んでいくのを繰り返していた。
須藤のあの凄まじい剣幕と、それを正面からねじ伏せた堀北の容赦ない舌鋒。図書室を出る頃には、あのお調子者の池や山内ですら完全に毒気を抜かれ、借りてきた猫のように大人しくペンを走らせているのだから収穫は上々と言っていいだろう。
「……途中でテスト範囲が変わっていたのには少し焦ってしまったけれど、この分なら、どうにか本番までに形にはなりそうね」
夜道の静けさの中、隣を歩く堀北がふとそんな言葉をこぼした。
いつもなら周囲を寄せ付けない張り詰めた空気を纏っている彼女だが、今は大きな山場を一つ越えた安堵からか、その横顔には珍しく柔らかな疲労感が滲んでいる。
「だな。あいつらも最初はペンを握るだけでアレルギー反応を起こしそうな勢いだったが、なんとかなるだろう。これもひとえに、ほりぴーの愛の鞭と、俺という精神的支柱が醸し出す安心感の賜物ってやつだな」
「あなたの存在が私にとって最大のストレス要因だったことは訂正しておくけれど……まあ、協力に関しては素直に評価してあげるわ」
そんな風に、目前に迫った中間テストの手応えについて言葉を交わしながら、緩やかなカーブに差し掛かった時だった。
ピタリ、と。
隣を歩いていた堀北が、まるで目に見えない壁にでも激突したかのように、突如として足を止めた。
「……ん? どうした、夜食にラーメンでも食いに行きたくなったか?」
俺も半歩遅れて立ち止まり、彼女の横顔を覗き込んだ。
しかし、堀北は俺の軽口にいつも通りの毒舌を返すどころか、俺の声が耳に届いてすらいない様子で、ただ前方の闇の一点を凝視して固まっていた。息を呑む小さな音が聞こえ、手提げ鞄を握る彼女の指先に、白くなるほどの力がこもっている。
ただ事ではない気配を感じ取り、俺は彼女の視線の先へと目を向けた。
数メートル先の街灯の真下。白い光が降り注ぐその場所に、一人の男が静かに立っていた。
背筋が伸びた隙のない立ち姿に、夜の闇の中でも知的な光を反射する銀縁の眼鏡。どこか見覚えがあるような、ないような端正な顔立ちだが、その切れ長の目元や冷ややかな輪郭には、隣にいる堀北と妙に共通する雰囲気が漂っている。
男は腕を組み、俺の存在など最初から背景の一部とでも思っているかのように一瞥もくれず、ただ真っ直ぐに堀北だけを見据えて口を開いた。
「──鈴音。ここまで追ってくるとはな」
静まり返った夜道に、低く、それでいて芯の通ったよく響く声が落ちた。
おっと。俺は内心で小さく口笛を吹いた。
いきなり下の名前で気安く呼び捨てにする謎のメガネの登場である。
俺が親しみを込めて名前を呼ぼうものなら、即座に文房具を凶器に変えて頸動脈を狙ってくるほどガードの固い彼女だ。それなのに、こんな夜の並木道で待ち伏せした挙句、我が物顔で鈴音、などと声をかけるとは、このメガネ、なかなかの命知らずと見える。
その瞬間、俺は猛烈にワクワクしていた。
心の特等席では、すでに山盛りのポップコーンと、氷がたっぷり入ったLサイズのコーラの準備は万端だ。照明が落ち、スクリーンの中で極上のエンターテインメントが幕を開けるのを待つ観客の心境である。
さぁ、くるぞくるぞ。
いつもの、あの切れ味鋭い言葉のジャックナイフが!
『気安く名前で呼ばないでちょうだい、その眼鏡のレンズごと眼球を砕くわよ』と切り捨てるのか、それとも『夜道で女性を待ち伏せするなんて、あなたの脳内は犯罪者のそれと同じ構造をしているのね』と一刀両断するのか。
いずれにせよ、あの高慢ちきなメガネ野郎のプライドが木っ端微塵に吹き飛ぶ瞬間を特等席で拝めるに違いない。
俺はポップコーンを口に放り込むイメトレを完了させ、今か今かと隣の反撃を待った。
「……あ……っ」
ところが。
俺の期待とは裏腹に、隣から漏れてきたのは、ジャックナイフどころか水に濡れたティッシュペーパーのように頼りない、言葉にならないしおれた声であった。
ギョッとして、俺は思わず隣を見る。
そこにいたのは、クラスの隣人に向けて文房具を放出してくる女王ではなかった。まるで雷鳴に怯える小動物のように肩を小さくすぼめ、唇を微かに震わせながら、縋るような、それでいて怯えるような瞳で眼鏡の男を見つめる、見たこともないほど弱々しいほりぴーの姿だった。
おいおい、嘘だろう。あの天下の堀北鈴音が、一言も言い返せずにしおれているだと?
俺が内心でポップコーンのバケツをひっくり返して驚愕している間にも、眼鏡の男は一歩前へと踏み出し、容赦のない冷徹な言葉を彼女へと浴びせかけた。
「お前は何も変わっていない。三年前と、何一つ変わらずだ」
「兄さん……」
絞り出すような、ひどくか細い声が堀北の喉から漏れた。
男の冷ややかな眼差しは、まるで出来の悪い答案用紙を採点するかのように、妹である彼女を上から下まで射抜いている。
「後を追ってきたかと思えば、結果はDクラスへの配属だ。しかも、お前は自分がなぜその場所に落とされたのか、己の抱える致命的な欠点にさえ気づいていない」
「それは……っ!」
堀北は必死に顔を上げ、震える拳を握りしめて声を振り絞った。
「でも、見ていてください! 私はこのままDクラスで終わるつもりはありません。必ず自分の力でクラスを引き上げてAクラスに上がってみせます……!」
普段の彼女からは想像もつかないほど必死で、どこか子どものように承認を求める痛々しい叫びだった。
だが、兄と呼ばれた男は眉一つ動かすことなく、氷の塊を投げつけるように無情な宣告を下した。
「無理だな。お前は──『なるほど、お義兄さんでしたか。では末永いお付き合いになりますので、まずはご挨拶をば』
俺は、話している最中のお義兄さんの重々しい口上のド真ん中に、一切の躊躇なく割り込んだ。
ここであの可憐なほりぴーが一方的にやり込められているのを黙って見過ごすなど、男が廃るというものだ。
なにより、彼女の実の兄ということは、将来的に俺とほりぴーが深い仲になるにあたって避けては通れない最重要の親族──すなわち『お義兄さん』である。第一印象でガツンと頼れる男っぷりを見せつけておく必要があるだろう。
チャラノ小路、イッキまーす!
俺は呆然と目を見開く堀北の斜め前へとスッと躍り出ると、お義兄さんの真正面に仁王立ちし、見えない着物の袖をまくし上げるような粋な手つきでビシッと見得を切った。
「てやんでぃ、てやんでぃ! なにをおっしゃいますやらお義兄さん、ほりぴーは立派に成長してまんがな! どこがってぇの!? 胸! 尻! お前さんのその端正なお顔につけたお目々は節穴か!? 三年前と比べたら、そりゃあもう雲泥の差でありんしょう!」
夜の並木道に、俺の渾身の啖呵が朗々と響き渡った。
これぞ、人情と粋を重んじる都会の江戸っ子アピールである。途中に商人の街のバイブスや花魁の雅な語尾がブレンドされた気もするが、細かいことは気にしてはいけない。
日本の伝統的な粋の文化を総動員することで、年長者であるお義兄さんへの最大限のリスペクトを表現したのだ。
しかも、俺のこの主張は単なるハッタリではない。
確かに俺は三年前の彼女を直接見たことはないが、一般的な十代の女子における成長曲線を考えれば、中学入学当時から高校一年生の現在にかけて、女性ホルモンの分泌に伴う乳腺組織の発達、および骨盤周辺の丸みを帯びたラインの形成が進んでいないはずがないのだ。
先日プールサイドで目撃したあの引き締まりつつも美しい曲線美は、紛れもなくこの三年間の確かな成長の証である。
その明白な肉体的進化を無視して、何も変わっていない、などと断じるのは、お義兄さんの観察眼が、否、観察眼鏡が節穴であると言わざるを得ないだろう。
俺が極めて論理的かつ情熱的に妹の発育状況を弁護してやると、辺りには虫の声すら消え失せたかのような、絶対的な静寂が降り立った。
隣を振り返ると、堀北が先ほどまでのしおれた表情を通り越し、魂が口から抜け出たかのように白目を剥きかけてフリーズしている。
そして正面のお義兄さんはといえば、冷徹なエリート然とした表情を完全に凍りつかせ、眼鏡の奥の瞳をわずかに見開いたまま、目の前に突然現れた謎の江戸っ子(俺)を凝視していた。
おそらく、これまで生きてきた人生の中で、実の妹の胸と尻の成長度合いについて他人から真正面で説教された経験がなかったのだろう。
数秒間の重苦しい沈黙ののち、お義兄さんは絞り出すような低い声で、ぽつりと尋ねた。
「……だれだ?」
素晴らしい。これ以上ないほど完璧なフリが飛んできた。
俺は待ってましたとばかりに胸を張り、親指で自分自身の胸元をビシッと指し示しながら、夜空に向かって朗々と名乗りを上げた。
「こたえてあげるが世の情け! べらんめぇ!お宅の麗しき妹さんと、昼も夜も二人三脚で組んず解れつの仲でAクラスを目指す、この俺は人呼んで──」
ぽかっ!
俺の口から歴史に残る二つ名が放たれる直前、背後から伸びてきた白い手が、俺の後頭部を小気味よい音を立てて引っ叩いた。
「……なにすんの、ほりぴー。いま一番いい所だったのに。俺とお前の熱きパートナーシップをお義兄さんに披露するクライマックスだぞ」
俺が後頭部をさすりながら心外そうに振り返ると、そこには髪の毛が逆立ちそうなほど顔を真っ赤に染め上げ、全身をわなわなと震わせる堀北(妹)が立っていた。先ほどまでの借りてきた猫のような萎縮っぷりはどこへやら、その瞳にはいつもの百倍近い獰猛な光が宿っている。
「あ……綾小路くんっ……! あなた、私に恥をかかせるのはいつものことだけれど、兄さんの前だけはやめてちょうだい!!」
夜道に響き渡る、悲鳴にも似た魂の叫び。
だが、その言葉を聞いた瞬間、後頭部の痛みも忘れて目を見開いた。
「ええっ!? いつも!?」
思わず聞き返した。ちょっと待ってくれ。俺は入学以来、常に彼女の隣で最先端のユーモアとスマートなエスコートを提供し続けてきたはずだ。
それをまさか、毎回、恥をかかされていると認識していたというのか!?
「いつもよ!! 毎日、毎時間、あなたが口を開くたびに私は身の置き所のない恥をかかされているの!! 少しは自覚しなさい!!」
「そんなまさか……俺の都会派江戸っ子バイブスが、まさか羞恥プレイとして処理されていたとは……」
俺が衝撃の事実に胸を押さえてよろめき、堀北が顔を真っ赤にして肩で息をしながら俺を睨みつける。
俺たちが街灯の下でそんな風にギャーギャーと言い合いを繰り広げていた、その時だった。
「……ふっ」
張り詰めていた夜の空気をふっと緩めるような、小さな吐息がすぐそばから漏れた。
俺と堀北が同時に動きを止めて視線を向けると、そこには、右手の指先で銀縁の眼鏡のブリッジをくいっと押し上げるお義兄さんの姿があった。
街灯の光に照らされたその口元には、先ほどまでの突き放すような冷酷さはなく、どこか呆れたような、それでいてわずかに感心したような微かな笑みが浮かんでいる。
「なるほど……。入学してから一ヶ月。どうやら、少しはお前も成長しているようだな、鈴音」
「え!?」
思いがけない兄の言葉に、堀北が間の抜けた声を上げて目を瞬かせた。
堀北(兄)はこちらに向けてきた。
「綾小路と言ったか、ユニークなやつだ」
おおっ! やはり江戸っ子の礼儀正しい挨拶は初対面のお義兄さんの好感度をぐっと稼ぐことに正解したようだ。
お褒めの言葉をもらったので粋で返そう。
「妹さんからもよく言わるぜお義兄さん」
「嘘です! そんなことは一度も言ってません!」
お義兄さんは組んでいた腕を解き、俺と堀北の二人を交互に見比べながら、静かに頷いた。
「昔の、他者を徹底的に見下して寄せ付けようとしなかったお前なら、誰かと並んで道を歩くことなどあり得なかった。ましてや、感情を露わにして言い合うなど、三年前のお前からは想像もつかない姿だ」
どうやらお義兄さんの目には、俺の後頭部を引っ叩いて、いつも恥をかかせないで!とキレ散らかした堀北の姿が、気心の知れた相手と遠慮なく痴話喧嘩を繰り広げる青春のワンシーンとして映ったらしい。
さらに言えば、普段なら兄を前にすると極度に緊張して自分の意見すらまともに言えなくなる彼女が、俺の暴走を止めるためとはいえ、兄の目の前で殻を破って普段通りの感情を爆発させたのだ。
それが兄にとっては、妹が他者と関わることで得た精神的な変化と成長の証拠に見えたようだった。
つまり、俺の江戸っ子アピールが結果として二人の氷のような空気を打ち砕き、ほりぴーの株を爆上げしたというわけだ。いやあ、やっぱり持つべきものは機転の利くパートナーである。
「自分の欠点に気づくにはまだ遠いようだが……少なくとも、周囲を見ようともしなかった頃よりはマシになっているらしい。次は中間テストだな。せいぜい、今の言葉が虚勢で終わらないよう励むといい」
それだけを告げると、お義兄さんは踵を返し、翻る制服の裾とともに夜の闇へと歩き出した。
「あ……っ、あ、兄さん!?」
兄が去っていくのを見て、ようやく事態の成り行き──自分が俺と気心の知れた仲だと誤解されたまま兄が納得して帰ろうとしていること──に気づいた堀北が、顔面を蒼白にして慌てて一歩踏み出した。
「ち、違うんです、兄さん! 誤解です! 彼はただのクラスメイトで、決してそんな友人などという真っ当な関係ではなくて──えっ!? ちょっと待ってください、話を聞いてくださいっ!!」
しかし、堀北の必死の弁明も虚しく、お義兄さんは一度も振り返ることなく、颯爽とした足取りのまま並木道の暗がりへと姿を消していった。
残されたのは、夜の静寂と、闇に向かって片手を伸ばしたまま石像のように固まっている堀北、そしてやりきった達成感に包まれている俺の二人だけだ。
「いやあ、お義兄さんになかなかいい挨拶ができたな、ほりぴー。最初は少しお堅い人かと思ったが、最後は俺たちの熱い絆を認めてくれて何よりだぜ」
「……あ、あなたねぇ……」
ゆっくりとこちらへ首だけを回した堀北の背後から、夜の闇よりも濃い、どす黒い怨念のオーラが立ち昇るのが見えた気がした。
だが、彼女の耳と頬が夜目にもわかるほど真っ赤に染まっているあたり、お義兄さんに俺との仲を公認されたことがよほど照れくさかったに違いない。
彼女の手が手刀の形となっているのを確認したので、さりげなく半歩距離を取りつつ、賑やかな夜の帰り道を再び歩き始める。
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いよいよ1巻完結間近!後のイベントはもういらんだろ!
1巻の綾小路くんホンマ君誰ってぐらいキャラ違うよね。つまり同じ。