チャラノ小路チャラ隆の野望   作:ぺこりーにょ

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──────ついて来れるか






考察と推論と確信

 おそらく初めて一般的な授業と呼ばれるものに触れているのは、このDクラス、いや、学年全体、ひいてはこの高度育成高等学校の全生徒を通しても俺一人だろう。

 

 朝のホームルームが終わり、一時間目のチャイムが校舎に鳴り響く。それは俺にとって、知識を詰め込むための単なる合図ではなく、これまで図鑑や映像データの中でしか見たことのなかった『青春』という名の不可解なシステムの稼働を告げるファンファーレだった。

 初日ということもあってか、教壇に立つ教師陣は皆一様に、これから一年間の勉強方針や解説、成績の評価基準などを熱心に話している。彼らの口調は穏やかで、生徒たちに理解を促すような、ある種の『優しさ』すら孕んでいた。

 

 しかし、俺の視線の先にあるのは真っ白なホワイトボードだ。俺は少しだけ姿勢を正し、それが残念でならないと密かにため息をついた。

 黒板を見てみたかった。

 外の世界の一般的な学校を舞台にしたデータ(漫画や小説などの娯楽媒体)において、教室の象徴といえば深い緑色の黒板だった。チョークが黒板を叩くカツカツというリズミカルな音。黒板消しから舞い散る白い粉。日直が黒板を綺麗に拭き上げるという非効率的なアナログ作業。それらすべてが、俺が思い描いていた普通の学生生活のイデアだったのだ。

 だが、この政府主導で作られた最先端の施設では、そんな前時代的な遺物はとうに排除され、機能的で粉も舞わない無機質なホワイトボードに置き換わっていた。その合理的すぎる設備は、俺が長くいたあの白いだけの部屋をわずかに連想させ、少しだけ俺を落胆させた。

 

 それにしても、と俺は教壇で熱弁を振るう教師の声をBGMに思考を巡らせる。

 そういえば勉強方針などというものを説明されるという経験も、過去を振り返ってみてもあまり覚えがない。

 俺の育ったあの施設——ホワイトルームにおいて、『どのように学ぶか』というプロセスを生徒側が選択したり、教官から懇切丁寧に説明されたりする余地など一ミリも存在しなかった。ただ徹底的に、毎日、毎日、来る日も来る日も朝からあらゆる学問を詰め込むだけだ。限界まで詰め込み、脳細胞が焼き切れる寸前まで演算を強制され、そして実戦的な応用へと用いる。

 カリキュラムは主要5教科といった生ぬるい枠組みには収まらない。経済学の複雑な市場モデル、工学における流体力学や構造計算、生物学における遺伝子操作や解剖学など、およそ子供が学ぶべき範疇を逸脱した幅広い分野を、ただ息をするように学習させられてきた。

 その際、教官からこんな呑気に「一年間、こういう方針で学習を進めますよ」とチンタラと学習方針? とやらを説明された覚えはない。与えられた膨大な課題をこなすか、あるいは脱落するか。そこにあったのは極めてシンプルな二択の生存競争だけだった。

 

 俺は机の上に重ねられた、真新しい教科書の一冊を手に取り、パラパラとページをめくった。

 真新しい紙の匂いが鼻を突く。しかし、そこに印刷されている文字や図解を見ても、俺の脳内になんら新しい刺激は生まれなかった。教科書をめくれば、そこに記載されているのは数年前にとうに学び終え、完全にマスターした内容ばかりだ。数学、歴史、物理。基礎的な定理や過去の事象の羅列。

 懐かしくは有るが、目新しさはない。特に数学分野などはヘタすれば何十、何百年も前から数式に変わりはない。ピタゴラスの定理も、微積分学の基本定理も、外の世界の高校生が今から数ヶ月かけて学ぶであろう内容も、俺にとっては幼少期に済ませたパズル遊びの延長でしかない。知識という観点において、この学校が俺に与えてくれるものは皆無に等しかった。

 

 だが、それでも。

 環境という最大の変化には、どうしても胸を躍らせてしまう自分がいた。

 

 俺は教科書から視線を上げ、静かに教室内を見渡した。

 初日の、しかも第一回目の授業だというのに、教壇の教師が話している最中に、信じられない光景が広がっていた。

 

 右斜め前の席では、赤い髪の男子生徒が、堂々と机に突っ伏して居眠りしている。時折、かすかな寝息まで聞こえてくる始末だ。

 その数席隣では、別の男子が隣の男子とニヤニヤと笑みを浮かべ小声で話している。

 さらに窓際の生徒たちは、頬杖をついて窓の外の景色をぼんやりと見つめ、完全に意識を別の世界へと飛ばしていた。

 女子たちもまた同じように隠れて携帯を弄って退屈な授業から逃避している。

 

 初日から居眠りするもの、携帯を弄るもの、窓の外を見ているもの。彼らは教室という一つの空間にいながら、見事に多種多様な模様(パターン)を描いている。

 

 ホワイトルームであれば、教官の話す内容には常に注意を払い、言葉の裏を思考し続けた。絶対的な規律と、隣り合わせの緊張感。それが俺の日常だった。

 しかし、ここにはそれがない。

 教師は居眠りする須藤をチラリと見たが、特に注意するでもなく淡々と説明を続けている。携帯を弄る池も放置されている。

 自由だ。圧倒的で、無防備で、あまりにも非効率的な『自由』がここにある。

 誰も強要されない。誰も監視の目に怯えていない。個人の怠惰が許容され、それぞれの意思で時間を浪費することが許されている。俺にとって、この緊張感の欠如した生ぬるい空間こそが、外の世界の象徴であり、何よりも得難い未知の体験だった。

 

(……面白い)

 俺は、内面から湧き上がる純粋な知的好奇心に突き動かされる。冷徹な眼差しで無意識のうちに真剣な顔で、周囲を観察していた。

 

「……ちょっと」

 

 不意に、隣から声をかけられた。

 黒髪の美少女、堀北鈴音だ。彼女は先ほどから、教師の言葉を一言も聞き漏らさまいと真面目にノートを取っていたはずだが、今はペンを止め、こちらを胡乱な目で見つめている。

 

「なんだい、鈴音ちゃん」

 俺はすぐさま内面のスイッチを切り替え、綾小路からチャラノ小路へと設定して答えた。

 

「……あなた、さっきから不気味なほど静かじゃない。いつもみたいに『YO! YO!』だの『ウェーイ』だのと奇声を上げて授業を妨害するのかと思って、ずっと警戒していた私の身にもなってちょうだい。なぜ急に、世界の名画でも鑑賞しているような真剣な目でホワイトボードを凝視しているの? 何かよからぬ企みでもしているの?」

 

 堀北は眉間に深いシワを寄せ、警戒心を露わにしている。

 どうやら、朝から散々チャラい言動を撒き散らしていた俺が、授業が始まった途端に微動だにせず、ただ静かに鋭い眼光で黒板を見つめているというギャップが、彼女の神経を逆撫でしてしまったらしい。

「馬鹿が急に静かになると逆に怖い」という、外の世界の法則が完璧に機能している証拠だ。

 

「ウェーイ、誤解だぜ。俺はただ、この『授業』っていうパンピーたちの営みが、マジでエモいなって感動してただけだ。このフリーダムなバイブス、最高にチルいっしょ」

「……チルい? バイブス? ああ、もうダメね。あなたが静かなのは単に脳細胞が機能停止していただけだということがよく分かったわ」

 

 堀北は深い絶望の溜息をつき、再びノートへと視線を落とした。しかし、そのペンの動きはどこかギクシャクしており、俺の突然の『静寂』が彼女に与えた心理的ダメージ(あるいは意識の植え付け)が思いのほか大きかったことを示している。

 

 俺は心の中で静かに笑った。

 表向きは最高にナウでイカれたチャラ男を演じつつ、裏ではこの無防備なパンピーたちの生態を冷徹に観察し、分析する。

 非効率極まりない一般的な授業。緊張感の欠如したクラスメイトたち。そして、隣で俺の挙動にいちいち過剰反応するツンデレの隣人。

 ああ、やはりこの外の世界は素晴らしい。

 ホワイトルームでは決して味わうことのできない、極上の『無駄』に満ち溢れている。

 

 午前中の授業は、俺の体感ではあっという間に終わってしまった。

 ホワイトルームでの、脳髄が焼き切れるような高密度の情報処理を強いられる日々に比べれば、この学校の授業スピードはあまりにも緩やかで、むしろ退屈な余白の時間が多すぎるほどだ。だが、その余白こそが俺にとっては未知の体験であり、心地よい疲労感すらないまま、終了を告げるチャイムを聞き届けることとなった。

 

 教師が教室から立ち去った瞬間、それまで静かだった教室内が一気に騒がしくなる。

 何事かと周囲を観察していると、どうやら生徒たちは昼食という一大イベントに向けて色めき立っているようだ。午前中の授業から解放されたという安堵と、食欲を満たすという根源的な欲求。それらが教室の空気を一気に弛緩させ、活気づけている。

 観察を続けると、クラスの半分ほどの生徒たちが学生証の入った端末を手に、三々五々、教室から去っていく。おそらく敷地内に併設されているという学食や、カフェテリアにでも向かうのだろう。

 一方、残りの半分は購買などで買ってきたパンや弁当を自席で食するつもりのようだ。

 

 だが、ここで一つの問題が発生した。

 

 残っている生徒たちは、まるで示し合わせたかのように、親しい者同士で机を密接させ、小さなグループを形成し始めたのだ。

「これ美味しいね」「午後の授業だるいなー」などと、栄養摂取という本来の目的を後回しにして、無駄話に花を咲かせている。生物学的に言えば、食事中という最も無防備になる時間帯において、個体同士が密集することで外敵からの防衛本能を高め、同時にコミュニティ内での社会的結合を強化する行動だ。

 

 俺は自分の席から、その光景を静かに見渡した。

 どのグループも、俺の席から半径二メートル以内には絶対に近づこうとしない。見事なまでの隔離空間ができあがっている。初日の自己紹介で放った「ベッドでの実技体育」という強烈なプロトコルが、彼らの本能に俺を『関わってはいけない捕食者』として刻み込んだ結果だろう。

 

 教室内を見渡して、一人、完全に孤独なのはどうやら俺と、ツンデレ隣人のみのようだ。

 相方である彼女は、周囲の喧騒など一切意に介さず、背筋をピンと伸ばしたまま、購買で買ったと思われるシンプルなサンドイッチを黙々と食べている。その姿は、群れることを嫌う孤高の肉食獣のようで、実に美しい。

 

 さて、この状況下において、俺はどう行動すべきか。

 脳内の演算装置が高速でシミュレーションを開始する。

 海外のティーン向けドラマで学習した不良(バッドボーイ)のメソッドに従うならば、ここは静寂を切り裂いて『おーまいごっ!』と叫び、手近な机を派手に蹴り飛ばして周囲を威圧しつつ、隣人の堀北を強引に学食に誘う、というのが最適解の一つかもしれない。

 俺は机の脚に視線を落とし、蹴り飛ばすための最適な角度と力学的な破壊限界点について悩む。しかし、机を破壊した際のペナルティと、堀北がそれに素直に従う確率を天秤にかけ、一旦そのハードなアクションは保留することにした。

 

 ポケットから無糖ガムを取り出して口に入れ、一定のリズムで咀嚼しながら、ぷーっとピンク色の風船を膨らませて一旦考慮する。パチン、と風船が割れる音が、俺の周囲の空白地帯に虚しく響いた。

 

 ガムの味を満喫している最中、俺の脳裏に、ふと重大な論理的欠陥が閃いた。

 そういえばと、思い改めることがあったのだ。

 

 俺は昨日の自己紹介で、クラス全員に向けて「彼女をダース単位で募集」と大々的に宣言した。だが、冷静に母集団の数値を計算してみる。

 この学校は1学年につき4クラス有り、1クラスの人数は約40名。男女比が半々だと仮定すれば、Dクラスに所属する女子生徒の数は約20名に過ぎない。

 20名の中から12名を選抜するというのは、競争率が低すぎる。採用率60%などという緩い条件では、真に質の高いパートナー(ハーレム)を形成することは不可能だ。

 

 それに何より、残りの3クラス(A〜Cクラス)の女子生徒たちには、俺のこの偉大な『募集通知』を行っていないではないか。

 これはマーケティング戦略における致命的なミスだ。俺の圧倒的な魅力をDクラスという狭い水槽の中だけで留めておくのは、人類にとっての大きな損失と言える。

 

 残りのクラスに今からでもかちこんで、学食に行くついでに募集をかけて回るべきか? 

 いやいや、まてまて。俺の思考はさらに飛躍した。

 

 何も同学年の1年生だけに絞る必要はないのではないか。

 この世の半分は女であり、それは当然、上の学年(2年生、3年生)も同様ではないか。年上女性というカテゴリは、チャラ男のステータスを飛躍的に向上させる強力なトロフィーだ。ターゲット層を全学年に拡大すれば、母集団は一気に約240名にまで膨れ上がる。これならダース単位の選抜にも十分な競争原理が働く。

 

 さらにだ。

 俺の脳内の知識データベースが、ネットの深淵から拾い上げたある一つの『特殊な概念』を提示してきた。

 

 世間(主に日本のサブカルチャー界隈)では、『男の娘』なる存在がいるという。

 生物学的な性別は男性でありながら、衣服、化粧、振る舞いによって、女性と同等、あるいはそれ以上の可愛らしさを体現する特異な存在。ホワイトルームの教官たちは決して教えてくれなかった、極めて現代的で複雑なジェンダーの概念だ。

 もしこの学園にそんな未知の存在がいるのなら、是非とも一度お目にかかってみたいものだ。

 

 しかし、ここで一つの哲学的な問題が生じる。

 俺が募集しているのはあくまで『彼女』である。男の娘をダース単位のハーレムの中に組み込む場合、俺の認識システムはどちらの基準を採用すべきなのだろうか。

 染色体(XYかXXか)という絶対的な生物学的ファクトを重視すべきか? 

 それとも、網膜から脳へと伝達される見た目のKAWAIIという主観的な真実を優先させることが、チャラ男としての真の懐の深さに繋がるのだろうか? 

 

 この深遠なる命題は、俺一人の演算では即座に答えを出せなかった。

 他者の意見、それも極めて冷徹で客観的な視点を持つ人間の意見が必要だ。

 

 俺は、隣で静かにサンドイッチを咀嚼している黒髪の少女に視線を向けた。

 そして、極めて真面目なトーンで、しかしチャラ男としての軽さを纏わせた独自の呼称を用いて、彼女に問いかけた。

 

「なぁ、ほりぴー。男の娘って、俺の『彼女』の枠組みにカウントしても論理的に問題ないよな?」

 

 ピタッ。

 堀北が、サンドイッチを口に運ぼうとしていた手を空中で完全に停止させた。

 

 周囲のグループで談笑していた数人のクラスメイトたちが、俺の放った『ほりぴー』という常軌を逸したフレンドリーな呼称と、『男の娘を彼女にする』という高度すぎる性癖の開示を聞きつけ、一斉にこちらを振り返り、そして瞬時に青ざめて再び前を向いた。

 

「……」

 堀北は無言のまま、ゆっくりとサンドイッチを包み紙の中に戻し、そして机の横にかけてあった通学用のカバンから、先が鋭く尖ったコンパスを取り出した。

 

「どうした、ほりぴー。その鋭利な文房具は、俺のジェンダーに対する多様性を受け入れるための儀式に使うのか?」

 俺が一切の感情を交えないフラットな声で尋ねると、堀北は一切の感情を排した、しかし絶対零度の殺意を込めた目で俺を睨みつけた。

 

「……一つ、確認させてちょうだい」

 地を這うような、低い声だった。

「今、あなたが私のことを、その……おぞましく、反吐が出るような奇妙な呼称で呼んだことと。食事中の私の耳に男の娘という単語とあなたの性欲を直結させた汚物を流し込んだこと。どちらから先に、その舌を引き抜いて代償を払わせてほしいかしら?」

 

「ウェーイ。究極の二択だな。だが、俺は染色体よりも見た目のKAWAIIを重視する派に傾きつつある。ほりぴーも、男の娘の美しさには嫉妬しちゃう感じ?」

 

 ほりぴーの放った、的確に狙う致死性のコンパスの刺突。俺はそれを最小限の首の動きだけでスタイリッシュに回避し、そのまま流れるような足取りで席を立ち上がった。

 

「じゃあな、ほりぴー。俺はこれから学園という名の大海原に、新たな出会いの網を張りに行ってくるぜ。ウェーイ」

 背後から「二度と戻ってくるな」という絶対零度の呪詛が聞こえた気がしたが、真のチャラ男たるもの、去り際の後ろ姿こそが最もセクシーでなければならない。俺は振り返ることなくクラスを離れ、教室から出てひとまず学食へと向かうことにした。

 

 昼休みの廊下は、様々なクラスの生徒たちが入り乱れ、活気に満ち溢れていた。

 その道中、俺はポケットに両手を突っ込み、重心を後ろに預けた気怠いストリートウォークを維持しながら、口元のガムをぷーっと膨らませていつものように歩いていた。ピンク色の風船がパチンと弾ける音が、周囲の喧騒の中で妙に異質な響きを持っている。すれ違う生徒たちが、俺の着崩した制服と首にかけているバカでかいヘッドホン、そして一切の感情が読み取れない無表情を見て、サッと道を空けていく。

 ヒエラルキーの頂点に君臨する覇者の歩みとは、斯くも孤独なものか。俺がそんな哲学的な感傷に浸っていた、まさにその時だった。

 

「あの……」

 

 突然、背後から遠慮がちな、しかし鈴を転がすような愛らしい声で呼び止められた。

 

「綾小路くん⋯だよね? 私、同じクラスの⋯」

 

 足を止め、ゆっくりと気怠げに振り返る。

 視線の先には何かを覚悟し、思い詰めたような顔の美少女が立っていた。

 肩口より少し短い、ふわふわとしたショートヘア。大きな瞳は上目遣いにこちらを捉え、その唇は緊張からか微かに震えているように見える。

 俺の視線は、彼女の顔から下へと論理的にスキャンを下ろしていった。昨今の女子高生らしい、膝上十五センチはあろうかという短さのスカート。麗しい隣人が黒いニーソで防御力を高めているのとは対照的に、短いスカート丈に短いソックスという組み合わせで、瑞々しく健康的な生足を見せつけている。

 太ももからふくらはぎにかけての黄金比率。そして、ブレザーの上からでもはっきりと分かる。それは堀北のモノよりも大きいことは明らかである。

 

 俺の脳内のスーパーコンピューターが、瞬時に一つの確固たる結論を弾き出した。

 

 そうか、ようやく──来たな。

 

 昨日のホームルームにおいて、俺は全生徒の前で「彼女をダース単位で募集する」という、生物学的本能に直接訴えかける究極のプロトコルを発動した。

 あれから約、24時間。

 あの圧倒的な宣言を聞いて、普通の女子高生ならば「私なんかが釣り合うのだろうか」と恐れをなすのが当然だ。しかし、彼女はその恐怖と羞恥心を乗り越え、自らの意志で俺の前に立ったのだ。

 

 おそらく昨晩は、自室のベッドの上で「どうすれば綾小路くんの目に留まるか」と悶々と悩み抜いたに違いない。どんな勝負下着にクラスチェンジしたのかは定かではないが、ようやく腰の重い大和撫子も決断したということか。

 

 俺は無表情のまま、心の中で快哉を叫び、福音書に感謝の祈りを捧げる。

 同時に、頭の中のほりぴーに謝罪しておく。あれほど俺から粉をかけ、コンパスによる高度なスキンシップまで交わしたにもかかわらず、記念すべきダース単位のファースト彼女の座はどうやらツンデレ隣人ではなく、目の前のショートヘアの美少女の手に渡ってしまったようだ。あはれ。勝負の世界は非情である。

 

「ウェーイ。櫛田ちゃんでしょ? 可愛いから覚えてる覚えてる」

 

 右目で軽くウインクを飛ばす(実際には両目が同時に閉じてしまったが、些細な問題だ)。

 

 櫛田桔梗。

 初日の自己紹介で、クラス全員と友達になりたいと宣言した、絵に描いたような善人キャラクター。彼女のような『みんなのアイドル』的ポジションの女子が、俺のような孤高の『不良系チャラ男』に惹かれるというのは、恋愛マニュアル本の第三章に記されている「優等生と不良の惹かれ合いの法則」そのままである。

 

「えへへ、覚えててくれたんだ。嬉しいな」

 櫛田は胸元で両手をギュッと握り合わせ、少しだけ頬を染めて見せた。

 完璧なリアクションだ。しかし、彼女の瞳の奥には、単なる照れや恋心とは違う、どこか探るような、切羽詰まった光が宿っているのを俺は見逃さなかった。

 

「……あのね、綾小路くんにちょっと聞きたいことがあって」

「オッケー。俺のスリーサイズか? それとも実技体育の得意な体位か? 何でも包み隠さずオープンに語るのが俺のモットーだからな。マジ卍」

「あ、ううん、そうじゃなくて……っ」

 

 俺の高度な下ネタジョークに対し、櫛田はわずかに顔を引きつらせたが、すぐに本来の愛らしい表情を取り繕った。そして、周囲に人がいないことを確認するようにチラリと視線を泳がせた後、声をひそめて本題を切り出してきた。

 

「堀北さんとは……仲良いの? ほら、堀北さんってあんまり誰とも仲良くしてくれなくて⋯」

 

 ピクリ、と。

 俺の脳内の『チャラ男論理回路』が激しく反応した。

 

 ──なるほど。そういうことか。

 

 俺は全てを理解した。なぜ彼女が、意を決したような思い詰めた顔で俺の前に現れたのか。なぜ、俺という至高のオスを前にして、自分自身のアピールではなく、別の堀北(メス)の話題を口にしたのか。

 

 嫉妬、だ。

 そして、ライバルの力量の測定(リサーチ)である。

 

 櫛田は俺の彼女の第一号に立候補したい。しかし、俺の隣の席には常に、あの氷の美少女である堀北鈴音が座っている。授業中も、休み時間も、俺が堀北にちょっかいを出し、堀北が鋭い言葉という名の愛情表現で返している姿を、櫛田は後ろの席からギリギリとハンカチを噛みちぎるような思いで見ていたに違いない。

『あんなに可愛くて、いつも綾小路くんの隣にいる堀北さんが、もしかして本命なのでは?』

 その焦燥感が、彼女をここまで突き動かしたのだ。これはスクールカーストの覇者たる俺を巡る、女同士の静かで熱い戦いの幕開けである。

 

 ならば、俺の取るべき行動は一つ。

 ここで「堀北とは別に仲良くない」などと安易に否定してしまえば、櫛田は安心してしまい、恋の炎は鎮火してしまう。真のチャラ男は、常に女を不安にさせ、嫉妬心を煽ることで、自分に対する執着を最大化させなければならないのだ。

 

「ほりぴー? 隣だからめっちゃ仲良いよ」

 

 俺はガムを噛む手を止めず、あえて余裕たっぷりに、さも『すでに俺たちは深い関係にある』と言わんばかりの態度で言い放った。

 

「ほ、ほりぴー……? そ、そうなんだ。でも、堀北さんっていつも一人で本を読んでるし、綾小路くんともそんなに喋ってないように見えたけど……」

 櫛田は食い下がる。認めたくない現実を突きつけられながらも、索敵のジャブを放ってくる。その声は微かに上擦っており、俺と堀北の親密度を測ろうとする焦りが滲み出ている。

 

 俺はここで、さらに彼女の嫉妬心を煽るための燃料を投下する必要があると判断した。

 適当に仲良いエピソードをでっち上げるのだ。

 相手に「私たち、あなたたちの知らない昔からの秘密を共有しているのよ」と思わせるような、もっともらしい嘘。

 とはいえ、実際パーソナルデータは愚か、好きな食べ物などの情報さえ知らない。

 俺はホワイトルームで培ったプロファイリング能力を全開にし、堀北鈴音という人間の生態を逆算した。

 

 初日から真面目にノートを取り、無駄話を一切せず、孤高を貫くあの姿勢。あれは一朝一夕で身につくものではない。間違いなく、過去の学生生活でも似たようなルーティンをこなしてきたはずだ。中学時代、彼女が不真面目に遊び歩いていたなどとは論理的に到底考えにくい。

 

「まあ、教室ではあんなツンツンしてるけどさ。二人きりになるとけっこー色んな話してくれるんだぜ。中学時代から勉強一筋の裏側で結構読書好きなんだよね、ほりぴー」

 

 俺は、さも昨晩、ベッドの中で腕枕でもしながら堀北から昔話を聞かされたかのような、生々しく親密なトーンでそう語った。

 誰もが予想できる当たり障りのない推論。だが、中学時代というワードを出せば、俺と堀北は、互いの過去を語り合うほど精神的な距離が近い、という強烈なアピールになるはずだ。

 

 その瞬間だった。

 

「……えっ?」

 

 櫛田桔梗の顔面から、全ての表情が抜け落ちた。

 

 天使のような愛らしい笑顔が、まるで電源を切られた精巧なロボットのように停止する。

 大きく見開かれた瞳の孔がキュッと収縮し、そこには深淵を覗き込んだような、あるいは自らの心臓を素手で鷲掴みにされたかのような、凄まじい動揺と恐怖が走った。

 彼女の呼吸が一瞬だけ止まり、血の気が引いていくのが、俺の優れた動体視力にはっきりと見て取れた。

 

 ──櫛田は劇的に反応する。

 

「あ、中学……時代……? 堀北さんが、綾小路くんに、中学の話を……?」

 

 絞り出すような声。その両手は、スカートの生地を破れるのではないかというほどの力で握りしめられていた。

 

 完璧だ。俺の脳内は勝利のファンファーレで満たされた。

 チャラノ小路として、もうこれ以上ないほどに俺と堀北の仲の良さを見せつけられ、焦燥感と嫉妬で精神が崩壊しかかっているのだと極めて論理的に解釈した。

 

「ウェーイ。そうそう。だからさ、櫛田ちゃんもウカウカしてると、ほりぴーに俺のファースト彼女の座、取られちゃうかもよ? ワンチャン、今すぐ俺に飛び込んでくるなら特別枠で面接してやってもいいぜ」

 

 俺がトドメとばかりに得意のニヒルな笑みを浮かべてそう告げると、櫛田はガチガチと歯の根を鳴らしながら、もはや言葉にならない引きつった笑いを顔面に貼り付けた。

 

「そ、そ、そうなんだ……。ふふっ、綾小路くん、冗談が上手だね。ごめんね、私、ちょっと学食に急ぐ用事があって……ま、またね……っ!」

 

 言うが早いか、櫛田は踵を返し、まるで何かに追われるような──いや、大災害から逃げ惑うような凄まじいスピードで、廊下の向こうへと走り去っていった。その足取りは明らかにフラついており、後ろ姿からも彼女の心が激しく乱れていることが伝わってくる。

 

「……フッ。罪な男だぜ、俺も」

 

 俺は小さく鼻で笑い、一人残された廊下でガムの風船を膨らませた。

 嫉妬のあまり逃げ出してしまうとは、まだまだ可愛いところがある。しかし、あれほど劇的なリアクションを見せたのだ。彼女が俺のハーレムに陥落するのは、もはや時間の問題だろう。

 

 俺とツンデレ隣人の親密な関係が、見事に一人の美少女の心を乱し、焦らせたのだ。

 真実など関係ない。チャラ男の放つ言葉の魔法(バイブス)が、この学園の人間関係を俺の掌の上で確実にコントロールし始めている。

 確かな手応えを感じながら、逃げ去った櫛田の背中を見送り、再び学食へと向かう気怠い歩みを再開した。

 

 










まだアニメでいうところの第1話のBパートってマジ?
前話の夢オチ話いる?
アンケはそろそろ500の投票数となりますので、その辺りで切ろうと思います。かなりデッドヒートしており動揺を隠せない作者でした。
(仮に投票結果通りにしたらヒロインとして登場していきなりエピソードになるのか?)

ーーーー
ps.アンケは終了しました。⋯⋯ご投票ありがとうございました。


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