レックスがグランバニアへ帰還してから、しばらく経ったある日のこと。
その日、グランバニアでは大きな式典が催されていた。
グランバニアとラインハットの修好を祝した記念式典――今では、年に一度の恒例行事となった式典である。
式にはラインハット王デールをはじめ、その兄であり、グランバニア王リュカと親交の深いヘンリーも列席している。
そして当然のように、ヘンリーの息子であるコリンズ王子もまた、グランバニアへ足を運んでいたのだ。
「おいレックス!
まだみつからないのかよ!
そろそろ、親父たちが怪しみはじめる頃だぜ!?」
「そう急かさないでよ……!」
そのコリンズがレックスと、式典をそっちのけにして、宝物庫でなにやら騒いでいる。
それを耳にとがめ、タバサは憮然とした面持ちで二人に声をかけた。
「……こんなところで、なにをやっているの?」
「あ、タバサ……」
「うわっ!
ほら、お前がもたもたしてるから、タバサに見つかっちゃったじゃないか!」
「仕方ないでしょ!
『魔法のじゅうたん』なんて、僕だってずいぶん前に使ったきりなんだから……」
「……魔法のじゅうたん?」
その言葉を聞いて、タバサの胸に悪い予感が広がっていく。
もともと無茶なところがあるレックスだが、そこに悪友のコリンズが加わると、いよいよ行動が無茶苦茶な方向へと転がっていってしまうのだ。
「……魔法のじゅうたんなんて探して、どうするつもりなの?」
訝し気に問いかけたタバサへ、レックスは興奮を抑えきれない様子で両腕をわたわたと動かしながら答える。
「いや、それがさ!
凄いんだよ!?
穴がどーんで、大地がぱかーんなんだよ!」
「???」
「ちょっと待て、レックス。
オレが説明する」
意味不明なことを喚き始めたレックスに代わって、コリンズが口を開く。
「ほら、この間。
世界中で大きな地震があっただろ?」
つい先日、世界各地で発生した大規模な地震。
その影響か、ルラフェンの西にある地盤が大きく沈み、巨大な陥没孔が口を開いたのだという。
しかも奇妙なことに、そこからは大地がぽっかりとのぞいているらしい。
まるで、もうひとつ別の世界が存在するかのように、大穴の底に広大な大地が広がっているというのだ。
「ルラフェンの連中は、それを『幻の大地』って呼んでるらしいぜ。
それで、さっそくオレとレックスで調べに行こうと思ってさ。
魔法のじゅうたんを探してるってワケよ」
「ねぇ『幻の大地』だってさ!
すごくない!?
その話を聞いてから僕、もう居ても立ってもいられなくなっちゃって!」
偉そうにふんぞり返るコリンズと、今にも飛び出していきそうな勢いで騒ぎ続けるレックス。
そんなふたりを前に、タバサは呆れ果てた様子で腰に手を当てた。
「呆れた! お兄ちゃん。
この前の旅で、冒険はもう終わりにするって話だったじゃない!」
――冒険を許されるのは17歳まで。
それ以降はグランバニアの王子として、自覚を持つこと。
その約束があったからこそ、この間の冒険が『最後の旅路』だったはずだ。
それに、レックスもタバサも晴れて17歳となっている。
グランバニアの王族の一員として、正式に『大人』と認められる年齢へ達したのだ。
それなのに、舌の根も乾かぬうちから、新たな冒険へ旅立とうとはなにごとか。
「ついこの間、『今まで心配かけてごめん』ってみんなに謝ったばかりなのに!
信じられない!」
「そ、それはそうなんだけど……」
タバサの叱責に、レックスはしどろもどろになりながら、なにやら言い訳しはじめる。
「だ、だって……!
あの時はまだ『幻の大地』なんて見つかってなかったし……」
「関係ないでしょ! お兄ちゃんの嘘つき!」
「うう……コリンズ君たすけてぇ……!」
「まったく、しょうがねぇなあ」
完全に言い負かされ、レックスはすがるような視線をコリンズに向ける。
するとコリンズが、ちっちと小癪に指を振りながら、いかにも
「いいか、タバサ。
なにもオレたちは、遊びに行くわけじゃないんだぜ?
未知の大地が突然この世界に姿を現したんだ。
こんなの、民は不安で仕方ないだろう?
そこで、俺たちが率先して調査に向かおうってんだよ。
ラインハットとグランバニア、両国の王子として当然の責務ってやつさ。
いやあ我ながら、よくできた王子だと思わないか?」
「そう! そうなんだよタバサ!
僕はグランバニアの王子として、仕方なく――!」
「屁理屈ばっかり!」
こんなしょうもない詭弁に乗るなんて、我が兄ながら情けない。
いよいよタバサは顔を真っ赤に染め、本気で怒り始めていた。
「お兄ちゃん、いいかげんに――!」
「――とっ。
あった! あったよコリンズ君!
『魔法のじゅうたん』見つけたよ!」
「おお! よくぞでかした!
見つかったなら長居は無用だぜ!
騒ぎになる前に、さっさとトンズラこいちまおう!」
「うん!」
しかし、そんなタバサの怒りなどどこ吹く風と、レックスは『魔法のじゅうたん』を見つけだすや、コリンズと二人で担ぎあげ、ばたばたと宝物庫から飛び出していく。
「こらっ! ちょっと待ってよ!」
タバサは仕方なく、そんなふたりの後を追いかけていったのだった。
宝物庫を飛び出したレックスたちは、目を丸くする臣民たちにも構わず、そのまま城の外へ駆け抜けていった。
そして、城門前に出ると、さっそく『魔法のじゅうたん』を広げ、その上に飛び乗る。
「…………」
その背を黙って見つめるタバサへ、レックスは振り返ると、当たり前のように手を差し伸べた。
「ほら、タバサも早く!」
「え……?」
思いがけない言葉に、タバサは思わず声をうわずらせてしまう。
どうやらこの兄は、最初から当然のように、自分も一緒に来るものと思っていたらしい。
「い、行くわけないでしょ!?
私はお兄ちゃんたちと違って、いい子なんだから!」
「ええ!?
だって『幻の大地』だよ!?
タバサはわくわくしないの!?」
「そ、それは……っ」
ぷいと顔をそむけ、タバサは頬を赤く染める。
今度の紅潮は、怒りから来るものではなかった。
『幻の大地』への冒険。
それを聞いて、胸が躍らないと言えば嘘になる。
未知への好奇と渇望は、グランバニア王家の
王女であるタバサもまた、その例外ではない。
お目付役だ何だと言いながら、タバサがこれまでずっとレックスの旅に付き合っていたのは……結局のところ、彼女自身もまた冒険に心を惹かれていたからに過ぎなかった。
顔をそむけたまま、タバサは少しだけ気恥ずかしそうに呟く。
「興味が無い……わけでは、ないけれど……」
「だったら!」
宙に浮かび始めた絨毯の上から、レックスは身を乗り出して、さらに手を伸ばす。
その手を見つめながら、タバサの心はなお逡巡に揺れていた。
本当に自分も旅に出てしまっていいのだろうか。
せめて自分だけでもこの城で、兄の帰りを待つべきではないのだろうか。
「コラッ! コリンズ!!
てめぇなにしてやがる!!」
「レックス、いったい何をするつもりなんだ!?」
そんな彼らのもとへ、ガヤガヤと大声が飛んでくる。
民たちの騒ぎを聞きつけ、ヘンリーとリュカが大慌てで駆けつけてきたのだ。
「やべぇぞ、レックス!
親父たちにバレちまった! さっさと行くぞ!!」
「タバサ……!」
レックスは腕を伸ばしたまま、タバサへ向かって叫ぶ。
「僕は旅が好きだ!
でも、タバサと一緒に行く旅は、もっと好きなんだ!!
もっと色んなところへ、二人で一緒に行って、沢山のものを見てみたい!!」
「……っ!」
その言葉に、タバサは思わず息を呑む。
そんな彼女へ、心の奥底から、誰かがそっと語りかけてくた。
――一緒に行かないの?
「…………」
胸の内でふいに湧き上がったその声に、タバサは頭の冠へ手を触れる。
精霊のかんむり。
奈落の底で出会った怪物が、唯一遺した素朴な
あの日からタバサを、それを片時も離さず、いつも身につけていた。
これをかぶっていると、遥か昔の誰かの想いが、心へ沁み込んでくるような気がしたのだ。
誰かは、語り続ける。
――私は、あの村でずっと『おにいちゃん』を待っていた。
それが私の果たすべきことだと思っていたから。
自分が、彼の帰ってくる場所でなければいけないって、そう思っていたから……。
そこまで語って、その声音にふと悪戯っぽい色が差す。
――でもね。
私、本当は……おにいちゃんと旅をしてみたかったのかもしれない。
ふたりで、広い世界を見たかったのかもしれない。
待っている私じゃなくて、一緒にいる私で在りたかったのかもしれない。
そう。
今の、あなたみたいに――。
「そうだね……」
心の中の誰かに向かって、タバサは頷く。
そして今度は、はっきりとした自分自身の意志で、兄に向かって手を伸ばしていた。
「お兄ちゃんたちだけじゃ心配だから……。
私もついていってあげる!」
「うん!!」
伸ばされた手を、レックスは力強く握り返す。
そして、そのままぐっと引き寄せるように、妹の身体を絨毯の上へ引き上げた。
「よし、コリンズ君!
もう、飛んじゃって大丈夫だよ!」
「おう! 最初から全開で飛ばすぜ!!
振り落とされんなよ!?」
「わ、私……高いところ苦手だから、ちゃんと手を握っててね!?」
そんな喧噪の余韻を響かせながら、魔法のじゅうたんは飛翔していく。
コリンズの宣言どおり、それは一気に高度をあげて、あっという間に大空の彼方へ飛び去っていったのだった。
「……行っちゃったね」
「あの悪ガキども!
ようやく少しは落ち着くかと思ったら、すぐこれだ!
まったく、誰に似たんだか……!」
グランバニアの城門前で、あとに残されたリュカは傍らのヘンリーへ苦笑を浮かべる。
「まあ、あの子たちはまだ若い。
もう少しくらい、世界を見て回ってもいいんじゃないかな?」
「そうは言うけどさぁ……。
デールがいるオレはともかく、お前はどうすんだよ?
レックス君に国事を伝えていくんじゃなかったのか?」
ため息混じりにぼやくヘンリーへ、リュカはいつもの澄んだ瞳で、ふっと笑って見せた。
「不幸中の幸いというか……。
僕はしばらく石像になっていたおかげで、肉体的にはまだ若いからね。
まだ、子どもたちに自由な時間を与えることもできるさ」
「不幸中の幸いって……。
お前のその、妙なふてぶてしさはなんなんだよ?」
「ははっ」
軽やかに笑いながら、リュカは先ほど旅立っていたレックスの顔を思い浮かべていた。
その背には、勇者としての使命とは別に、なにか途方もない責務を背負わされているように思えてならなかったのだ。
そんな彼のことを、リュカはずっと心配していた。
自分がそばについているのなら、まだいい。
だけど、ひとりで旅をさせるには、あまりにも危うすぎる。
あの頃のレックスからは、旅の果てに自分の命が尽きることすら意に介さぬような、どこか破滅めいた気配が漂っていたのである。
タバサが側についていなければ、いつ命を落としていてもおかしくなかったとさえ、リュカは思っていた。
それを案じたがゆえの、『17歳』という期限だったのであるが――。
「……もう、心配しなくてもよさそうだね」
あの『最後の旅路』を終えてから、レックスはまるで憑き物が落ちたように、晴れやかさを取り戻していた。
それに、先ほど見せていた、あの光りかがやくような眼差し。
あの瞳をリュカはよく知っていた。
「……冒険癖は
あれは、そう。
かつて
未知を夢見る、旅人の煌めき。
まるで、夢の旅人のような――。
「いいよ……行ってきなさい。
レックス、タバサ」
リュカはそっと、空を見上げる。
若者たちはすでに小さな点となり、自分の知らない世界へ向かって、新たな旅の軌跡を描き始めているようだ。
「そして、その先に何があったのか。
どんな人々と出会ったのか。
その旅路にはどんな冒険が待ち構えていたのか。
帰ってきたら、お父さんたちに話しておくれ……」
そう呟いて、リュカは大空の彼方へ視線を送る。
その眼差しにはほんの少しだけ――羨ましそうな色が滲んでいたのだった。
「いやぁ、快調、快調!
見ろよ、この晴れ渡った大空を!
まるでオレたちの旅立ちを、世界が祝福しているようじゃないか!!」
「コリンズはいっつも都合がいいんだから……」
『魔法のじゅうたん』の上でご機嫌にふんぞり返るコリンズを、タバサは呆れた目で見つめる。
「それで……これからどうするの?
このままルラフェンまで行くつもり?」
「いや、その前にオラクルベリーか、サラボナへ寄ろうと思っているんだよね」
その問いに、レックスとコリンズが楽しげな顔で答える。
「まずは大きな街に寄って、旅の資金を作ろうって決めてたんだ」
「旅でもなんでも、先立つものは金だからな!
『幻の大地』なんて1日や2日で回りきれるとは思えないし、ある程度まとまった路銀が必要になるだろ?」
「路銀って……。
私たち、着の身着のままで出てきたんだから、お金になりそうな物なんて持ってないわよ?」
「その点は任せとけ!」
タバサの言葉へ、コリンズは待っていたと言わんばかりに、自分の身なりを示してみせる。
式典に列席するためか、彼は見るからに仕立てのいい、華やかな衣装を身につけていた。
「こうなることを見越して、高く売れそうな服を着てきたからな!
『ラインハットの王子として、恥じない格好をさせてください』って、親父に頼み込んでさ。
とりあえず、どこかデカい街でこれを売っ払らって、当座の路銀にしようってワケだ!」
「さすがコリンズ君……抜け目がないね!」
「小賢しい……」
「だろ!?」
それぞれが思い思いの言葉を口にしながら、レックスはタバサへ明るく声をかける。
「タバサ、楽しみだね!」
「うん……」
「『幻の大地』には何があるんだろう?
どんなことが待っているんだろう?
そう考えるだけで、胸がわくわくしてこない!?」
「うん……!」
レックスはもう一度タバサへ微笑むと、その眼差しを空の彼方へ向けた。
その心はもう、まだ見ぬ『幻の大地』へと馳せている。
未知を求める渇望――瑞々しい冒険心を携えた若き勇者は。
果てなき夢と、これから始まる新たな旅路に胸を躍らせて。
まるで煌めく太陽のように、瞳をまばゆく輝かせていた。