七囚人『災厄の狐』(成り代わり転生者)   作:百合って良いよねって思う

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手放さないよ、親友だから。


夢を守りたかった星、星を手放さなかった狐

「ワカモちゃん……なん、で…………?」

 

 ホシノが囚われていた実験室。ホシノはもう会えないだろうと思っていた親友を目の前に、呆然としていた。

 

「親友を助けに。ただ、それだけの話です」

 

 こちらに手を伸ばすワカモの姿を、ホシノは夢なのではないかと疑った。だって、都合が良すぎるではないか。ワカモが自分を『親友』だと言ってくれて、助けに来たと言ってくれて。

 

 でも、目の前の光景はどう見ても現実としか考えられなくて。ホシノの思考はごちゃ混ぜになる。

 

「…………な、んで……お別れ、したはず、なのに」

 

 だからつい、本音が漏れてしまった。

 

 目の前の親友に、別れを告げたはずだ。なのに今、ホシノの前にいる。自分を『親友』とまで言ってくれた。それは、ホシノにとっては未知の経験だ。

 

「……そうやって、自分を犠牲にして。後輩達の居場所を守って、消える。それで、満足ですか?」

「どういう、こと……?」

「ホシノさんを犠牲にして成り立ったアビドスで、貴女の後輩が……何よりユメさんが、幸せになれると、本気で思っているのですか……?」

 

 ワカモの声は震えていた。その声には必死に冷静さを保とうとして、しかし抑えきれず漏れだした怒りが籠っているのがわかる。彼女は怒っていた。身勝手で、手紙で勝手に別れを告げてきた親友に。

 

「…………だって」

 

 俯きながらも、ホシノは言葉を発する。その声もまた、震えていた。しかしそれはワカモのものと異なって怒りではなく、ただ弱々しさを感じさせるだけだ。

 

「弱い私には……これくらいしか、できないから」

 

 また大人に騙された。それでも、自分の犠牲でアビドスの皆の居場所が守られるなら、ホシノは何度でも自分を犠牲にする。それが自分にできる精一杯だと、ホシノは思っていた。

 

「『これくらいしか、できない』?……巫山戯るのも、大概にしてください。そんなもの、ただの自己満足「ワカモちゃんに、私の気持ちなんてわかんないよっ!!!」…………っ!?」

 

 ワカモの怒りを隠そうともしない声に被せるように、ホシノが叫ぶ。突然の大声にワカモは咄嗟に押し黙り、ホシノの声が暗い部屋に反響して、嫌な響きを耳に残していた。

 

「私は!ユメ先輩を守れなかった!!私なんかと違って、何も失ったものがないくせに、好き勝手なこと言わないでよ!!!」

 

 彼女の口から出たのは、後悔と羨望だった。後輩の前では決して見せることのなかった、彼女の弱音。

 ユメをホシノは守れなかった。守ったのは、目の前にいるワカモだ。ホシノは後悔を募らせながら、今の今まで生きてきた。

 そんな彼女から見て、ワカモは何もかもを拾い上げる、物語のヒーローのように思えたのだ。初めて会った時も、手を差し出してきている今も。ずっとずっと、ホシノにとってワカモは救世主のように見えていた。

 

「ずっとずっと、後悔してた!ユメ先輩に酷いことを言ったのも!私のせいで、先輩はあの日からずっと寝たきりのまま!私が、先輩を傷付けた!!」

 

 俯き目尻に涙を浮かべながらも、ホシノは叫ぶ。

 病室でユメの見舞いをする度に、ホシノはずっと考えていた。「この人を守ったのは、私ではない」と。それはどうしようもなく真実であり、ワカモに対して感謝と共に羨望を募らせるようになった。

 同時に……ユメに対する、途方もない罪悪感も。「この人がこんな状態になったのは、私のせいだ」と。きっと、ワカモもユメもそれを否定するだろう。あれはどうしようもない事故であり、決してホシノのせいではないと。しかし、それをホシノは認められない。あの日、自分は確かにユメに酷い言葉をかけたのだから。

 

 友情はあった。ホシノは確かにワカモを『親友』だと思っていたが、同時に羨ましいとも考えていたのだ。自分とワカモを比べ、圧倒的に自分は劣るということを、自覚していたから。

 

「なのに、私はのうのうと日常を過ごしてる!だから、私はアビドスを守らなきゃいけないの!ユメ先輩が帰ってくるまで、私が犠牲になってでも!!ワカモちゃんと違って弱い私には、それくらいしかできないの!!!」

 

 ホシノにとってこの行為は、贖罪でもあり、罪悪感からの逃避でもある。自らを犠牲にしてでも、後輩達の未来を守りたい。そうすることで、間接的にでもユメへと贖いたいのだ。それを、ユメが望んでいるはずもないと、頭の片隅では理解していても。

 

「…………ぁ」

 

 久方ぶりに大声を出したホシノは、肩で息をしながら、咄嗟に出た先程の台詞に後悔した。しまった、そう思っても口に出した言葉を、取り消すことはできない。

 

「"(わたし)"が……何もかも救えていると……本気で、思っているのですか……?」

「…………え?」

 

 そんな矢先、ワカモから返ってきたのは、ホシノにとっては予想外の台詞だった。

 

「…………確かに、(わたし)が守れたもの、救えたものはありました。でも、それ以上に……沢山、失いました。見捨てたものだってあります。知っていて、見て見ぬふりをしました」

 

 ワカモは、百花繚乱の後輩の心を救った。それは彼女が自覚している『救えたもの』の一つでもある。

 ユメのことを、守ることができた。偶然で、未だに何故助けられたのかはわからない。それでも、確かに『守れたもの』の一つである。

 

 でも同時にワカモは、アリウスの生徒達を見捨てた。その気になれば、カタコンベを見つけ、アリウスを支配する大人を打倒し、救うことだってできたかもしれない。それだけの力と能力が、ワカモにはある。

 しかし、彼女はその選択を取らなかった。仕方のない結果だとしても、ワカモはそれを間違いなく『罪』として認識している。

 

 ワカモにとって『知っている』ということは、選択に関係なく責任を負うということ。どれだけ客観的に見て関係なかろうとも、知っているということはそういうことなのだ。

 

(わたし)のせいで、いなくなった人もいます」

 

 ワカモが今ここにいるのは、本来の『狐坂ワカモ』という一人の生徒の犠牲があったからだ。直接的な原因ではないとしても……ワカモは確かに、『狐坂ワカモ』の屍の上で生きている。

 

 ホシノは、何も言えない。狐面で表情は見えなくとも、その声色でそれが真実だとわかってしまったから。

 

「救いたい人でした。彼女のためなら、きっと(わたし)は何だってできた……でも、もう会えません」

 

 前世で必ず任務へ連れて行った、三人の内の一人。それが狐坂ワカモだった。思い入れは他の生徒よりも遥かに大きく、それ故に罪悪感も人一倍感じている。そういう所が、ホシノとワカモはそっくりだった。

 

「……それなら…………なんで……っ!なんで、ワカモちゃんは乗り越えられたのさ!!私には、できっこない!!毎日が苦しいの!必死に目を逸らして、見ないようにしても!辛くて、苦しくて……!」

 

 そんな彼女が……失って尚前を向くワカモが、ホシノには理解できなかった。

 

 夢を見る。毎日毎日……後悔の記憶ばかりが蘇り、悪夢を見せてくる。

 

 大切な先輩が死ぬ夢を見た。

 

 大切な後輩の亡骸を前に蹲る夢を見た。

 

 大切な親友を……殺す夢を見た。

 

 ――夜に眠るのが、怖くなった。それがただの夢で、決して訪れることのない話だったとしても、怖かったのだ。

 

「…………乗り越えてなど、いませんよ」

 

 ポツリとした、小さな呟きだった。それは静かなこの部屋に響き、微かな残響を残して消えていく。

 

「えぇ、乗り越えてなど、いません。きっと(わたし)は明日も明後日も、これからも……ふとした瞬間に、罪の意識が積み重なるのでしょう。例え、どれだけ時間が経とうとも」

 

 ワカモが、大切な生徒の死を乗り越えることができる時は、きっと一生ないだろう。これからも、どうしようもない後悔と無力感に襲われる。

 

「ですが……それがどれだけ辛く苦しいものだとしても、(わたし)達は、前を向かなければならないのです」

 

 それでも、ワカモは前を向き続ける。この世界にはまだ、救いたいものがあるから。

 

「……そんなの、できるわけ」

「前を見なければ……大切な人が差し伸べてくれた手を、握り返すこともできません」

「…………っ!!」

 

 ホシノは咄嗟に、顔を上げる。

 

 そこには先ほどと何も変わりなく、こちらに手を差し伸べるワカモがいた。彼女はずっと、ホシノへ向かって手を伸ばしていたのだ。

 

「苦しみを、後悔を、想い出を……忘れろとは言いません。それも全て、貴女の人生の大切なものです。それでも、前に進まなくてはならないのです。そうしなければ、伸ばしてくれる手に気付くこともできない。それを教えてくれたのは……貴女です、()()()。貴女にだって、まだ手を伸ばしてくれる大切な人達がいるはずです」

 

 ワカモは決してホシノへ近づこうとはしない。ホシノ自らが前に進んで、彼女の手を取ることを、ワカモが望んでいるからだ。

 

「乗り越えられなくとも、前を向いて進んでいくしかないのです……大切な人は、(わたし)達の幸せを望んでいるはずですから」

 

 この世界のワカモが、どう思ったのかはわからない。自分に何を言うのか、知る術はもうない。

 

 それでも、信じるしかないのだ。大切な生徒(狐坂ワカモ)は、きっと自分の幸せを望んでくれているのだと。だから、幸せにならなければならない。それが、死者へと報いる唯一の方法なのだ。

 

「信じられないのなら、ユメさんが起きた時にでも聞けばいいのです。貴女はまだ、間に合うのだから。謝罪も、後悔も、思慕も恋慕も、全部全部……直接伝えるべきです」

「………………っ」

 

 だから、ワカモはホシノへ手を伸ばす。ホシノはまだ、取り戻せるから。直接伝えられるから。

 

「だから……帰りましょう、ホシノ。貴女を大切に思っている人達が、待っています。もちろん、(わたし)も」

「…………私、なんかが、君の手を取っても……いいの……?」

 

 ホシノは、恐る恐るといった風に、ワカモへ問う。未だに、ホシノは彼女へと手を伸ばせない。

 

「何も返せてない……さっきも、君を傷付けた。沢山、迷惑をかけてる……そんな、私が……」

 

 自分には、資格があるのだろうか。彼女の手を掴む、その資格が。そう思って止まないからだ。

 

 

 

 

 

「貴女が自分を許せないと言うのなら、(わたし)が貴女の全てを許します」

 

 

 

 

 優しい声だった。するりと、何の抵抗もなくホシノの耳に入ってくるほど、優しい声。

 

「だって、(わたし)達は親友ですから」

 

 その言葉を聞いて自然と、ホシノの手がワカモへ伸びる。ただ伸ばしただけでは、ワカモの手には届かない。

 

「……私は……君の善意を、利用したんだよ……?まるで、悪い大人みたいに」

「許します。その程度で崩れるほど、(わたし)から貴女への想いは脆くありません」

 

 一歩、足が進む。先ほどよりも距離が縮まるが、それでもその手はまだ遠い。

 

「さっきだって……君に酷いこと、言ったんだよ……?」

「許します。それに(わたし)だって、貴女に勝手なことを言いました。お互い様ですよ」

 

 更に、一歩。ここまで来ればその手は目の前にあり、勇気さえ出せれば、掴めそうな距離だ。

 

「…………これからも……迷惑、かけるかもしれない」

 

 勇気が出ない。その手を握ろうとしても、情けなく震えるばかりで、前に出すことができなかった。

 

 

 

「今更ですよ。どれだけ苦労してここまで来たと思ってるんですか」

 

「帰りますよ、ホシノ。貴女の後輩も、先生も……ユメさんもきっと、待ってます」

 

「手紙だけでお別れなんて、寂しいじゃないですか。そんなバッドエンドなんて、誰も望んでません」

 

「帰って、今日のことを怒られて、「ごめん」って謝って、そうやってまた……奇跡みたいな日常に、戻っていくんです」

 

「日常に戻って……いつかユメさんが起きたら、一緒にお祝いをしましょう。とびっきり、盛大なものを。貴女が、もう自分を責めなくてもいいように」

 

 ――ホシノちゃんありがと~!いつかお礼に水族館連れて行ってあげるからね!

 

 

 

 その言葉が、声色が、優しさが、約束が。ホシノにどれだけの勇気を与えているのか、ワカモはきっと知らないのだろう。

 

 未練がある。まだ伝えてないことも、伝えたいことも、やり残したことも、沢山。罪悪感と後悔が記憶の底へと封じ込めた約束が、思い出される。

 

「…………良いの?私なんかが、親友で」

「ホシノだからですよ……(わたし)、親友なんて初めてできたんです。嬉しかったのです……貴女に、『親友』だと言って貰えて」

 

 ホシノの手が、ワカモのそれを掴もうと伸びていく。先ほどまでの震えは嘘のように消え去り、ただ真っ直ぐに。

 

「掴んだらもう、手放せないよ?私、重い女だから」

「知ってますよ。それに(わたし)も、手放すつもりはありません」

 

 手を握る。ワカモからも握り返されれば、自然と二人の顔に笑みが浮かんだ。

 

「帰ろうか、ワカモちゃん」

「えぇ、もちろんです……帰ったら、貴女には皆さんからのお説教が待っていると思いますが」

「うへ~、それはちょっと勘弁だな~。どうにかしてよ、ワカモちゃん」

「お断りします。(わたくし)だって怒っていますから」

 

 二人は手を繋いだまま、帰り道へと並んで歩み始めた。

 

 今日この日、この時を以って……二人は改めて『親友』になった。

 

 きっと、二人の関係が特別なにか変わることはないだろう。

 

 それでも、夢を守れなかった星はちょっとだけ……自分を許せるようになるはずだ。

 

「……?(わたくし)の顔に何か付いてますか?」

「いんや?でも、初めて呼び捨てにされたなーって」

「嫌でしたか?」

「まさか。嬉しかったよ」

 

 ユメが目を覚ますまで、ホシノはきっと自分を責め続ける。

 

 それでも、彼女はもう今回のように自分を犠牲にするようなことはしないだろう。

 

「そう言えば、『私が教えた』って言ってたあれ、いつのこと?おじさん全然覚えてないんだけど……」

「前世のことです。貴女が覚えていないのも、仕方のないでしょう」

「……………………」

「……なんですか、その顔」

「いや……ワカモちゃんも、そういう冗談言うんだなって」

 

 大好きな先輩との約束を、思い出してしまったから。大切な親友と、約束をしてしまったから。それまで、生きなければならない。

 

「……ア…ネちゃん!?ど……てここ……」

「シャー……してもらった……で!ホシノ先輩は!?」

 

 しばらく穏やかな雑談を繰り広げながら歩いていけば、遠くから聞き慣れた声が聞こえてくる。

 

「ワカ……輩のお陰……いてる!みん……く!!」

 

 罪悪感からか、皆に会うのが一瞬怖くなり、ホシノの足は自然と止まってしまった。

 

「……大丈夫ですよ」

「…………うん、わかってる」

 

 手を握るワカモの一声で、ホシノは覚悟を決める。先ほどよりも少し強く、ぎゅっと握った手から、勇気を貰えたような気がして……一拍を置いてから、再び足を踏み出した。

 

「「「「ホシノ先輩!!!!」」」」

 

 進んだ先には、笑顔の後輩達の姿。

 

"ホシノ"

 

 そして……信じていなかった、大人の姿があった。

 

「…………ああ」

 

 シロコ達は制服や顔など至る所に汚れが目立ち、激しい戦闘を先ほどまでしていたであろうことが簡単にわかる。

 

「そっか、私…………」

「……お、おかえりっ!先輩!」

「ああっ、セリカちゃんに先を越されてしまいました!恥ずかしいから言わないって言ってたのにズルいです!」

「う、うるさいうるさいっ!順番なんてどうでも良いでしょ!?」

 

 それでも、彼女達の様子はまるでいつも通りだった。セリカがいじられて、いつものように面白いくらい反応して。ノノミだって、相変わらず微笑んでいる。

 

「……無事で良かった」

 

 シロコが、安心したように笑っていて。その後ろには、アヤネの姿もあった。

 

「ホシノ先輩、おかえりなさい!!」

「おかえりなさい、です!!」

「おかえり、ホシノ先輩」

 

 おかえりと、みんなに言われた。それだけ言われれば、どんなに鈍感でも気が付く。『あの台詞』を、みんなが求めているということに。

 

「……何だかみんな、期待に満ちた表情だけど……求められているのは、あの台詞?」

 

 確認するようにみんなへと問いかければ、肯定するかのように更に期待をこめた表情をし始めた。

 

「うへ~……」

 

 どうやら墓穴を掘ったらしいなと、くだらない後悔をする。

 

「ほら、可愛い後輩達のお願いですよ」

 

 隣の親友も、それを面白そうに眺めていて、何だか気に喰わない。

 

「それを言うなら、ワカモちゃんから貰ってないからな~」

 

 だから少しの悪戯心を込めてそう言うと、ワカモは一歩前へと進み、ホシノの方を向いた。手を繋いでいるからあまり離れられていないが、それでも後輩と共に全員がホシノの視界に入っている。

 

「……おかえりなさい、ホシノ!」

 

 狐面で見えないが、その顔はきっと笑顔に満ちているのだろう。そこまでされてしまったら、流石に自分も言わないわけにはいかない。

 

「………………ただいま、みんな」

 

 元アビドス生徒会副会長――現アビドス廃校対策委員会所属、小鳥遊ホシノ。

 

 彼女の顔にもまた、みんなと同じような、でも少し照れくさそうにしている笑顔が満ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここからは、余談である。エピローグ、とも言える。

 

「……ユメ先輩」

 

 ホシノは、対策委員会のみんなから説教をされた。それはもう、盛大に。ワカモは当然庇ってくれるようなことはなく、むしろその光景を見て面白そうにクスクスと笑っているだけだった。しかしそんな出来事ですら、終わってしまえば今のホシノにとって、良い思い出になっている。

 

 彼女は現在、梔子ユメの見舞いに来ていた。もう来ることはできないと思っていた、彼女の見舞い。ユメはいつも通り穏やかに目を閉じ、眠っていた。上下する胸が、彼女がまだ生きているということを伝えてくれる。

 

「おや……ホシノ、来ていたのですか」

 

 そんな静かなユメの病室に、一人の来客がやって来た。世間の噂とはまるで異なる穏やかな印象の美貌を惜しげもなく晒け出し、いつもとは少し違った意匠の紺色の和服を身にまとったワカモだ。彼女は差し入れのクチナシの花を花瓶へと生けると、ホシノの隣へと腰掛ける。

 

 アビドスでの一件以来、彼女はホシノのことを呼び捨てで呼ぶようになった。それ自体に、特に深い理由はない。ただ初めて呼び捨てにしたのを何となく続けているだけなのだが、ワカモがホシノを特別扱いしているというのは事実と言えるだろう。その気付きにくい特別扱いがなんだかむず痒くて、ホシノは未だに彼女から呼び捨てされることに慣れていない。

 

「……お花、ありがとうね」

「お構いなく。好きでやってることですから」

「それでもお礼は大切だからさ〜。言葉にするって、簡単そうに聞こえて、難しいから」

「……では、そのお礼は素直に受け取っておきます」

 

 あれ以降も、特別変わったことはない。ワカモがアビドスに来る頻度は少しだけ上がったものの、相変わらず忙しそうにしているし、借金だってなくなったわけでもない。しかし、その変わらない日常が今のホシノにとっては何よりも眩しいものだった。

 

「……そういえばさ、あの時は聞きそびれちゃったんだけど」

 

 不意に、思い出したことをホシノは話題に挙げる。

 

「ワカモちゃんの大切な人って……どんな人だったの?」

 

 ただ単純に、気になった。隣に座る親友の『大切な人』が。聞いたことのない話だったから。

 

「……話しにくいんだったら、別に良いんだけど」

「いえ、大丈夫です……どんな人だったか、ですか」

 

 そう言って、ワカモは静かに語り始めた。

 

「他人を信用しようとしない娘でしたね。事あるごとに暴れては、周りの人達を困らせて……でも、(わたし)からすれば、悪い娘ではありませんでした」

 

 『狐坂ワカモ』は正しく問題児であった。それは否定できない事実だ。好きになった理由は何であったか……確か最初は、そこまで気になる生徒ではなかったと思う。それでも、いつの間にか好きになっていた。絆ランクも課金までして最大まで上げたし、固有武器の素材も装備の素材も、神名文字も優先して彼女に使用した。

 

「……何故かあの娘は、(わたし)を信じてくれたのです。理由は、今でもわかりません。どうして他人を信用できなくなったのかも」

 

 『狐坂ワカモ』が『先生』に一目惚れしたというのは、おそらく真実なのだろう。しかし、ワカモは『狐坂ワカモ』について、何も知らない。どうして七囚人になったのか、何か過去にあったのか……何もかも。

 

「大好きだったんです……あの娘には、幸せになって欲しかった」

 

 それでも、何も知らなくても……この気持ちだけは、本物だったのだ。

 

「……本当に、大切だったんだね」

「はい……あの娘のためなら、この身の全てを捧げられる程には」

「…………ごめんなさい」

 

 消え入るような声で、ホシノは謝罪の言葉を口にした。

 

「それは、何に対する謝罪ですか?」

「……何も失ったことがないとか……勝手なことを、言ったこと」

 

 ホシノもまた、ワカモのことを何も知らなかった。ホシノからすれば彼女は全てを救いあげるヒーローで、自分とは何もかも違うと思っていた。

 

 でも、その認識は誤りだった。ワカモもまた、ホシノと同じように大切なものを失った、残された側の人間なのだ。いや、むしろホシノよりも酷いだろう。ユメと違って、ワカモの大切な人はもう……いないのだから。

 

「……あの娘は、(わたし)のことが大好きでした。だからきっと……あの娘のせいで(わたし)が幸せになれていないと思われたら、傷付けてしまうと思うのです」

 

 ワカモは、そう考えている。この世界のワカモが、自分の生徒であるワカモだとは限らない。でも、時折思ってしまうのだ。もしそうだとしたら、幸せになることが、彼女に報いる一番の方法なのだろうと。そして彼女のことを忘れないことが、きっと大事なのだ。……かと言って、他の女にうつつを抜かしたら、暴れ出してしまいそうだが。

 

「だから、前を向いて進んで行くのです。失ったものばかり数えても、あの娘は還ってきませんから」

「……やっぱり凄いね、ワカモちゃんは」

「ホシノはまだ間に合いますよ……手紙の中身は、直接伝えてあげてください」

「うん…………うん?」

 

 しんみりとした空気の中――訂正しよう。つい先程までしんみりとしていた空気はどこかへ消え、ホシノの顔が固まる。

 

「わ、ワカモちゃん?もしかして……ユメ先輩への手紙、読んだ……?」

「……えぇ。随分とお熱い愛の告白が書いてありましたわね?まさか(わたくし)が読んで、その甘酸っぱさから胃もたれするとは思いませんでしたが。手紙の内容は、直接伝えられた方が彼女も喜ぶと思いま「わーわー!!ちょっと、何勝手に読んでるのさ!!!」

 

 ここが病室であることも忘れ、顔を耳まで真っ赤にしたホシノは大声で叫ぶ。そんな彼女を前に、ワカモはニヤニヤと楽しそうに笑いながら、懐から件の手紙を取り出した。

 

「うふふ、まさか本当にそんな内容を書いてあるとは。カマはかけてみるものですね」

「…………へ?」

 

 取り出されたのは、()()()()()()()()()手紙。ホシノの筆跡で「ユメ先輩へ」と書かれており、それがホシノが書いたものであることは明白だった。

 

「………………ま、まさか」

(わたくし)がユメさんへの手紙を勝手に読むわけがないでしょう」

「ワカモちゃん、騙したね!?」

「何を仰っているのですか。ホシノが自滅しただけでしょう」

 

 騙されたというホシノの叫びに、白々しく惚けるワカモ。やり口が完全に汚い大人のそれなのだが、ホシノを弄るためならワカモは方法を厭わない。流石狐、狡い哺乳類と言ったところである。

 

「か、返して!!今すぐ燃やすから!!!」

「お断りします。直接伝えた方が良いとはいえ、これはユメさんへ渡されるべきもの。本当ならこれも病室に置いていくつもりでしたが……」

「置いていってよ!」

「そしたら貴女、燃やすでしょう?これはユメさんが起きるまで預かっておきます」

 

 まるでお年玉を回収する母親のような台詞を放つワカモに、ホシノは手紙を奪取せんと飛びかかった。しかし体術までもが一流のワカモに有効打にはならず、上手く受け流されて地面に抑えられてしまう。そのまま手紙を懐へと戻したワカモは、病室の扉へと向かった。

 

「……では、(わたくし)はこれから予定がありますので」

 

 そう捨て台詞の残して、ワカモは病室を後にする。

 

「〜〜〜〜っ!逃げるな!!まだ話は終わってないよー!!!」

 

 相変わらず顔を真っ赤にしているホシノは、その背中を追って走っていった。病室には一人、眠っているユメが残される。その傍では、生けられたクチナシの花が、心地よい香りを運びながら静かに揺れていた。

 

 この後、騒ぎすぎたホシノとワカモが看護師に怒られたのは、言うまでもないだろう。結局手紙も燃やすことができず、ホシノにとっては散々な出来事だった。しかしそんな出来事であったとしても……ホシノは、確かにこの瞬間を幸せに思っている。

 

「……うへ〜、締まらないね〜」

 

 そう呟きながら、彼女は帰路へと着く。後輩の待つ、大好きな先輩が繋いでくれた、大切な学校へ。明日からもまた、奇跡のような日常が続いていくのだろう。ホシノはそう信じて疑わず、いつか来る『約束の日』を夢見て、笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………………来たよ、ワカモ」

 

 とある自治区の郊外にひっそりと存在する、小さな丘。その丘にそびえ立つ桜の木を訪れ、小さくそう呟く少女がいた。

 

「アビドスでの一件が、一先ず終わったよ。誰も、欠けることなく」

 

 桜の木の根元には墓標のようなものがあり、いくつか少女の買ってきた花束が供えられている。

 

「次は、ミレニアムに行くんだ。アリスとケイに、ようやく会える」

 

 少女は狐の面と銃を墓標へ置き、手を合わせ黙祷を捧げながら、その墓標へと語りかけていた。

 

「……ふふっ、貴女達はお互いをどう思っていたんだろうね」

 

 墓標のある丘には緩やかな風が吹き、少女の綺麗な黒髪を揺らしている。彼女の表情は、後悔を浮かべているような、困った微笑みを浮かべていた。

 

「他の人にうつつを抜かして、嫉妬したのかな?それとも……案外、(わたし)が絡まなければ仲良くやれていたのかもしれないね」

 

 尤も、それを確かめる術は、今の彼女にはない。どれだけ語りかけたとしても、彼女が答えてくれることはないのだから。

 

「…………お面と銃、借りるね」

 

 律儀に墓標へそう言いながら、置いた狐の面と銃を再び手に取り、立ち上がる。

 

「また遠くないうちに来るよ。それまで……ゆっくりおやすみ」

 

 そう言って、少女はその丘を後にした。後ろ髪を引かれる思いを何とか振り切り、数多ある拠点の一つへ。

 

 小さな丘は今日もひっそりとそこにあり、誰にも気づかれることはない。去っていく彼女の背中を、静かに佇む桜の木だけが、優しく見つめていた。




・成り代わりワカモ
ホシノの親友。
沢山の罪悪感と無力感を感じている。自分がいなければ、『狐坂ワカモ』は死ななかったのではないかと度々思っては、どうしようもない無力感を感じている。
それでも前を向くのは、前世でホシノが教えてくれたことがあるから。
定期的にワカモの墓を訪れては、花束を供えている。贈り物として、彼女は花束を好んでいたから。
実はホシノの恋情に気が付いていなかった。「そういえばユメホシっていうタグがあったな」程度の感覚でおふざけのつもりで言ったら、まさかの大正解で内心驚愕してた人。ホシノには幸せになってほしいと思ってる。

・小鳥遊ホシノ
成り代わりワカモの親友。
沢山の後悔と劣等感を抱えている。成り代わりワカモが最初からアビドスにいたのなら、ユメ先輩はあんな状態にならなかったのではないかと考えては、悪夢を見ていた。
それでも前を向くのは、約束があるから。きっと彼女が自分を犠牲にすることは、もうないだろう。
ユメに恋する少女ではあるが、勇気がないためユメが起きたとしても告白するには相当な時間が必要になると思われる。成り代わりワカモのカマに引っ掛かり墓穴を掘った。

・小鳥遊ホシノの悪夢
独自設定。それはあり得た世界の話かもしれないし、自分を責める気持ちが作り出したただの幻想かもしれない。

・本物ワカモ
故人。
成り代わりワカモが前世で必ず任務へ連れて行った三人の内の一人。三人の中に優劣はないが、色々な要因が重なり最も早く絆ランク100に到達した生徒。
もし彼女が生きていれば、成り代わりワカモが先生だった頃の記憶を持って生まれていただろう。その事実を、成り代わりワカモは何となく察している。

・『守れなかったもの、手放さなかったもの』
この世界線のメインストリーVol.1対策委員会編第2章の章タイトル。
ホシノの過去や梔子ユメの生存が明かされた章でもあり、同時に成り代わりワカモの謎が深まった章でもある。今でも成り代わりワカモが失った『大切な人』については、様々な考察が行われている。一番有力なのは『双子の姉を失った妹であり、姉の真似をしている』という説。百鬼夜行が登場する時に深堀りされるのではと言われている。

・小さな丘
『狐坂ワカモ』の墓が建てられた、桜の木が佇む丘。百鬼夜行の外郭部に位置しているが、何故か成り代わりワカモ以外誰もそこの存在を観測できない。何故観測できないのかは神秘が関係していると思われるが、作者が深い設定を考えていないため明かされるかは不明()




ということで対策委員会編終了しました!!次は時計じかけ……の前に、閑話として何か書くと思います。今の所の案としては、掲示板形式の反応集的なやつか、『アビドススナオオカミ「ん、これより『ワカモ先輩をアビドス生にしよう作戦』の会議を始める!」』というタイトルの話にするか。悩みどころですね。

いつも感想ありがとうございます。本当に執筆の励みになってます。感想見てはニヤニヤする毎日でございます。これからもゆる~く頑張っていきますので、温かい目で見てくださると幸いです。
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