同居人+1   作:CBR

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13話 ヴィスヴィオ火山のような恋をしよう

 夜の海は静けさに包まれ、頭上には天高く月が昇る。

 村は暗闇に染まり、明かりがあるとすれば月明かりか、もしくは街灯の光くらいだった。

 

 そんな静寂の中でサイドチェストに置かれた蝋燭の火が揺れる。風の出所はすぐ横のベッドであり、紙がめくれるたびにそのささやかな振動が蝋燭に伝わっていた。

 壁に浮かび上がったシルエットは巨大でいて、少し歪な楕円。

 村人がすっかり寝静まった時分が『彼』の領分だった。

 夢の住人であるのは彼の同居人たちとて例外ではない。むしろ()()()()()()()()()()()、彼がこうして読書に興じることはできない。

 

「愛は『たまたま落ちるものではなく、習得すべき技術である』…か」

 

 彼が目を通していたのはエーリッヒ・フロムの著書『愛するということ』である。

 これは同居人の一人が選んだものだ。先日義父の告白を受け、ネモ・テルツォなりに母親の愛を咀嚼しようとした結果の選定である。

 

「フンッ…親の愛などと、馬鹿馬鹿しい」

 

 彼が母親の愛にまったく心が動かされなかったわけではない。しかし真っ当に子を育てられなかった時点であの女に親の資格はない。血の繋がりがあるだけの、自分とは無関係の人間である。

 

「………」

 

 一方で、彼が選んだのはルイジ・ピランデッロ著の『一人、誰もいない、十万人』というイタリア文学の金字塔と呼ばれる本だった。

 私はUno(ひとり)であったはずが、他人から見れば私はCentomila(十万人)もの違う人間に見えている。人間の自我は一つではないという、ピランデッロの思想が深く掘り下げられた一冊だ。

 

 

『オレ』という存在はいったい何なんだ(Who am I)?」

 

 

 彼が自己を認識した時、目に入ったのは白い空間だった。何もわからぬまま一歩踏み出そうとすれば、己の足がガラスで血まみれになる。理不尽この上ない。

 大海に一人放り込まれたような漠然とした不安の中、彼が見つけたのは白いシーツである。

 それに包まると足の痛みが少し和らぎ、心臓の音が落ちついた。

 

 何もわからなかった。分からなかったが、彼の『役割』は決まっていた。

 小僧の方はいざという時の行動力に目を見張るものはあるが、赤い旗しか見えない闘牛のごとき単純さを持つ。

 一方でネモ・テルツォは理知的で状況判断能力に長けているが、こちらは逆に行動力に乏しい(例外あり)。おまけに彼らの中で一番善人寄りの人格だ。

 

 彼らが危機に瀕したことで、これまで眠っていた『彼』の意識が表出した。

 二人の足りない部分を彼が補っている。自らの命が脅かされた時、どこまでも攻撃的に──しかし冷静に、一切の躊躇なく人の命を奪う。

 

 すべては小僧の人格を守るためであり、ネモ・テルツォが『死』なないためであり、そして彼自身が三人の中で誰よりも臆病だったからだ。

 

「オレもまた病人から生まれた人格の一つに過ぎないのか? それとも……」

 

 悪魔が人間を孕ませて生まれた子どもだとでもいうのか?

 あの神父の内容がすべて本当だったなら、この過程を経て生まれた赤子は間違いなく、普通ではない。

 ()()()()()だ。人間のガワをしているが、人間とは一線を画す。

 それはすなわち『選ばれた者』ということではなかろうか? 一つの肉体に三つの精神がある構図も、神の三位一体のようである。

 

「神か? ……いや、違うな」

 

 彼が首を振った拍子に室内の明かりが大きく揺れる。

 神の生まれ変わりという響きはいいが、自分には合わない。これはちょうどいい機会だった。自分自身に名を与える。現状「慎重居士」とかいう不名誉なあだ名を付けられたままでいるのも癪であったし。

 天井を見つめながら彼は少し考え、ポツリと呟く。

 

 

「diavolo……」

 

 

 神の子よりは、悪魔(こちら)の方がよほどしっくりときた。

 

 

 

 

 

 ●

 

 

『おい…おい起きろ。授業中だぞ!』

 

「うーん…」

 

 ネモは船を漕ぐ『彼』の耳元で大声で叫んだ。

 授業が終わると午前の休憩時間に入る。イタリアは日曜を除く朝の8時から昼の13時ごろまで授業があり、それが終わると生徒は帰宅し家族と昼食を取る。日本とは違い給食のシステムがないのが一般的だった。

 もちろん、当然育ち盛りの子どもは腹が減る。そのため午前の休み時間に間食を取る。

 彼は家から持参したサンドイッチを取り出し、かじりながらまた寝出した。

 

『器用なやつだな……』

 

 

 

 小さな村に中学校はなく、村の子どもたちはバスか自転車に乗って通学する。

 進級してもクラス替えがないため、友人ができないとそのままぼっちが続く。まさに彼がその代表だった。

(ちなみに席だけは最後尾の窓際という主人公席である)

 

 勉強も運動も平均かあるいはその下で、人気者になる要素はない。容姿はまあ悪くない自覚はあったが、鈍臭い部分がそれを帳消しにしていた。

 

『なあ……悲しくはないのか? せっかくの青春をそんなボケッと過ごして…』

 

「もぐ…君はいいよね。この間後輩の女の子に告白されてて」

 

『彼女が困っていた時にちょっと助けただけだよ』

 

「信じられないよ。あんな可愛い女の子を振るなんてさッ」

 

『仕方ないだろ。私たちの状態が複雑なんだ』

 

 年頃の男子なのだから、異性に惚れたり惚れられる場面が出てくる。

 しかし彼らの肉体は一つしかない。その状態で女子と付き合うなら彼かネモが譲る必要が出てくるし、相手自体彼らの状態を受け入れた上で付き合う必要がある。

 

「……僕、女の子と付き合うことできるのかな?」

 

『そうだなぁ…お前は鈍臭いし、「ちょっと相手をいじめたい」タイプの女の子ならウケがいいんじゃないか?』

 

「えぇー…?」

 

 サンドイッチをもそもそ食べながら、彼は胡乱な目でネモを見る。

 

『いいか? これはちょいと前に読んだ本の受け売りだが、人は「愛される努力」より、「愛する努力」をするべきなんだ』

 

「う? うん…」

 

『お前が好きになった女の子がいたとして、「僕を好きになってくれるように」と努力して待つより、「僕は君を愛している!」って花束を渡す方が情熱的だし、女性(レディ)はビビッとくるんだよ』

 

「おお…!!」

 

 確かに、と彼は頷く。自分が誰かを好きになった時も積極的にアプローチするのが吉だと思った。しかしすぐにドジって女の子から呆れられる未来が見え、ガックリと肩を落とす。

 

『そういえば、君はどんなレディがタイプなんだ?』

 

『ディアボロと呼べ…!!』

 

「もしかして慎重居士さんと話してるの?」

 

『ああ。ふーん……何だ、つまらない回答だな』

 

 慎重居士は恋愛にまったく興味がないようで、ネモは肩をすくめる。

 

「ネモの好きなタイプはどんな人なの?」

 

『私か? 私は求めてくれるならどんな女性でもウェルカムだよ』

 

「その回答こそつまらなくない?」

 

『ハハハ………お前の好きなタイプは肩や腹が出てる少し年上のレディだったな」

 

「…………テメェ、オレのベッドの下を見やがったなァ──ッ!!」

 

 彼が椅子をひっくり返す勢いで立ち上がった瞬間、教室にいた生徒の視線が一身に注いだ。彼は顔を真っ赤にすると、座り直してネモを睨めつける。

 

 ネモは何とも爽やかな笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 ●

 

 

 昼間に襲う眠気もあり危うく留年しそうになりつつ、『彼』も中学3年。13歳になった。

 年頃らしく恋することもあったが、虚しくも実らずに終わった。

 彼が心を惹かれるのは色が暗めの長髪の少女ばかりだった。

 

『………』

 

 おそらく彼も無意識なのだろう。母親の面影を持つ女子を好きになることが多い。

 小学5年で会ったのを最後にあのレディが姿を見せることはなくなった。

 ネモはすでに折り合いをつけたが、今だに彼はあの日──夕陽に包まれた母の姿を探している。

 むしろ大人に近づいていくにつれ、その感情はさらに膨れ上がっていくようだった。

 

(愛情を知ってしまったからこそ、余計にか…)

 

 彼は義父やネモを通し、父性の愛を知っていた。しかし母親と出会うまで、母性の愛を知らなかった。

 昔は遠目に母に握られた子どもの姿を見つめるばかりで。

 いざ知ると、その愛は麻薬だった。

 

(私や神父が埋めてはやれないし、あの男は論外だ。まったく表に出て来んし)

 

 ネモにできるとすれば、うまい具合に彼の母性を埋めてくれる少女とくっ付けるようアドバイスしてやることくらいだ。

 しかしそれが中々、うまくいかない。

 

 

『いつまでもマンモーニではいられないんだぜ?』

 

 

 14歳になるこの年は、将来に合わせて進学先を選ぶ岐路だ。

 サルディニアの蒼い空を眺めたネモは深いため息をついた。

 

 

 

 

 

 ●

 

 

 観光客で賑わうイタリアの都市部は、夜になると昼間とはまた違ったエネルギーを発する。

 友人や家族と食事を楽しむ者もいれば、広場(ピアッツァ)でベンチに座り熱く抱擁するカップルもいる。

 そして深夜を過ぎるとナイトクラブやバーが盛り上がりを見せ始める。

 

 その余熱を宿した客が帰宅し、従業員たちも帰路につく。

 夜でも大通りから一本道を外れさえしなければ、危険な目に遭うことは少ない。

 夜風に混じって聞こえる鼻歌は、響くヒールの音が合いの手代わりになる。

 酒で火照った体には気持ちのいい風だった。

 

 自宅に帰った女は鍵を開け、家の中に入った。女性一人が住むにしては広い間取りである。

 明かりをつけた彼女はハイヒールを脱ぎながらソファーへと視線を向けた。

 

「暗闇で頭なんか抱えて、どうしちゃったの?」

 

 テーブルにバッグが投げ出され、ソファーが軋む。女の隣に座る男は下半身にタオルを巻いただけの状態で、その体にはタトゥーが刻まれていた。

 

「ねぇ…」

 

 女は甘えた声で男の腕に自身の腕を絡める。

 

「前に……「君と人生を共に過ごしたい」って言ってくれたでしょ? 私、あなたとならヴィスヴィオ火山*1より激しくて、情熱的な恋ができると思うわ」

 

「………」

 

「…ねえ、本当にどうしたの?」

 

 男は虚ろな目を向ける。

 

「もしかして、またギャンブルで負けたの?」

 

「……ああ」

 

 震えるその背中を女は優しくさする。すると男は彼女の手を握り、大きな体をすり寄せた。成人の男が見せる子どものようなギャップに女は小さく微笑む。まるでその姿が小動物のようで、可愛らしいひと、と内心で呟いた。

 

「大損…しちゃってさ」

 

「結婚するなら、そのだらしないところを直さなくちゃあダメよ?」

 

「………なあ、ハニー」

 

「なあに?」

 

「俺を…助けてくれないか?」

 

「あなたの為なら何だってしてあげるわ、ダーリン」

 

「ほっ、本当か?」

 

「ええ、本当よ」

 

「あ………ありがとうッ!!」

 

 熱い抱擁が女を包み込む。空っぽの彼女の中に、二人が抱き合うことで生まれた熱が注ぎ込まれる。満たされる。

 体から蒸気が出るんじゃないかってほど、この男へ抱く愛情を自覚する。

 そうすると、彼女はこの腐った世の中で生きていることを実感できるのだ。

 

 

「ハニー、俺さ…。

 

 ────組織の上納金に、手を出しちまったんだ」

 

 

 彼女の恋はいつだって、高層ビルの間を命綱なしで渡るようなスリリングに満ちている。

*1
西暦79年の噴火でポンペイを火砕流で埋没させた火山。

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