鋼の錬金術師遺伝〜若き憤怒の肖像、星堕ちる夢〜 作:だいたい大丈夫
そして、彼が初めて「人間」という存在に触れた記録である。
【アメストリス中央司令部・大総統執務室】
リザ・ホークアイは、彼の語りの続きを待ちながら、背筋を正して座っている。
紅茶の香りはまだ残っている。だが、それが部屋の空気を和らげるにはまるで足りない。香りと緊張は別の生き物だ。後者の方が圧倒的に図太く、肌を粟立たせる。
「アメストリス。ここは軍の統治する軍事国家だ。……国家が『破壊の火』を得たらどうなるか、わかるかね? 中尉」
窓からの光を背に受けたまま、彼が問う。
「……他国を、焼き尽くすまで燃え広がる、でしょうか」
膝の上で組んだ手に僅かに力を込め、ホークアイは静かに紡ぐ。
「左様」
穏やかな声色が、かえって内容の冷酷さを際立たせ、鼓膜を打つ。
「これは我が父に扇動された結果だけではない。君たち人間の本質だろう。持っていないのなら奪え。強いのなら勝て。極めて単純な生存競争だ」
窓ガラスに映る彼の口元に、ごく薄い笑みが浮かぶ。
自嘲か、達観か、あるいはもっと単純に、そういう生き物どもを見慣れた者の冷笑か。ホークアイには判別しきれない。ただ一つ言えるのは、その笑みが人を安心させる種類のものではないということだけだ。
今の問いは意見を求める形をしているが、実際には確認だ。目の前の男は、自分の中ですでに答えを持っている。異論がほしいのではなく、相手がどこまで同じ地点に立てるかを見ているに過ぎない。
「当然、周りの国はアメストリスを危険な軍事帝国と見る。ならばよし。アメストリスは建国以降、数百年飽きもせずに『力』という理念により続いてきた国だ。中央だけだったささやかな領土を、鉄と火薬で押し広げた。故に争い、そして勝ち、領土は増える」
祖国への誇りとも、侵略への恥ともつかない。ただ帳簿の増減を読むような調子が、執務室に響く。土地が増えた。人が死んだ。国が前に出た。そういう項目が、彼の中では同じ列に並んでいるのかもしれない。
「順風満帆だったらしいが……」
その末尾だけが、僅かにひっかかりを帯びる。
彼はようやく窓辺から身を離し、執務机の前ではなく、先ほどと同じ応接の椅子に腰を下ろした。権力者の位置に戻るというより、語り手の位置に戻る気配だ。
「しかし、順調だったその風向きも、侵攻速度に伴って次第に鈍化していくことになる。理由はいくつかあるだろう。地理的な距離。国内秩序の形成。市民が『平和という幻想』を好み始めたこと。周辺国家間の関係が複雑化したこともある」
「……はい」
相槌を打っただけのつもりだったが、彼はその一言を許可と受け取ったのか、そのまま言葉を重ねていく。
「だが、もっとも大きかったのはやはり資源の問題だ」
「資源……ですか」
「そうだ。君も知っているだろう。アメストリスの錬金術は、他国のそれより軍事転用に秀でている」
それは事実だ。国家錬金術師という制度そのものが、その思想の表れでもある。
錬金術師は研究者であると同時に兵器であり、知は国家に奉仕する火器へと整理される。マスタングがその最たるものだ。ホークアイにとって、それはあまり気楽に頷ける話でもない。
ブラッドレイはそんな彼女の胸中を知ってか知らずか、平然と続ける。
「だが、他国に切り札がないのかと問われれば違う。ドラクマ、アエルゴ、クレタ……対抗札を持たぬ国は、とっくに地図から消えている。平和な国というものは案外しぶといが、無力な国は驚くほど短命だ」
「…………」
「つまり、当時はまだ『国家錬金術師制度』がなかったのだ。軍事には莫大な糧食と資源が必要になる。内陸国である我々は、致命的に資源が足りなかった。武力を背景とした圧力外交が容易でなくなった瞬間を境にして、アメストリスは長い停滞期に入る」
「それでも、軍事国家であり続けた」
「そうだ。人間は厄介でな。腹が減っても、見栄までは捨てん」
国家の歴史を語っているのに、耳に届く言葉だけが妙に俗っぽい。たぶん、わざとだ。その方が本質が見えると知っているのだろう。
「軽々しく領土を奪えなくなったために、輸入業の必要性が高まる。必然として、周辺国への紳士的な対応が求められ、他国への依存と需要はかさを増す。……ならば繰り返されるのは、国境間での小競り合いだ。名ばかりの軍事衝突と、緩やかな疲弊の時代さ」
「……今と、同じですね」
ブラッドレイは、その返答を面白がるように目を細める。
「ふふ……まあ、そう見えるかもしれん」
その笑みが次の瞬間、すっと消える。
「……だが、アメストリスの広さは『ここまで』で良いのだ」
目の前の男が差し出しているのは秘密というより、もはや告白に近い。聞いた者を安全圏に置かない種類の。
「……すまない、少し話が逸れたな。で、そのような停滞と疲弊の時代であるからこそ、私のような存在が『作られた』のだろう。強力な軍事独裁によって国をまとめ上げ、誰よりも強く、民を導く指導者が。……そして」
今ここにいる大総統ではなく、その役に押し込まれる前の青年へと、記憶の糸をたどっていく。
◇◇
【アメストリス士官学校・講義棟】
私が士官学校で学ぶのは、剣術や射撃や戦術だけではない。
国家の腹の空かせ方も学ぶ。
教壇に立つ教官は、黒板に大きな地図を描いている。アメストリスと周辺諸国の国境線。輸送路。鉱山。穀倉地帯。港湾。内陸国である我が国にとって、欲しいものがだいたい外にあるという、あまり愉快でない事実がそこに並ぶ。チョークの硬い音が室内に響く。
「諸君。我が国の問題は何だ」
いくつかの手が上がる。軍規、士気、国境防衛、人口構成。どれも間違いではない。だが教官は少しずつ首を振る。
「根だ。もっと根を見ろ」
私は静かに手を挙げる。
「はい、ブラッドレイ」
「資源不足です」
「よろしい」
教官は頷き、地図上の一点を指す。
「軍が強くとも、鉄が足りぬ。石炭が足りぬ。塩が足りぬ。油が足りぬ。兵が勇敢でも、空腹では進めん。弾がなければ愛国心で敵は死なん。ではどうする」
「輸入を確保し、必要なら圧力を用い、必要なら奪うべきです」
教官も満足そうに頷く。教室内にも、さすが優等生、という空気が流れる。私はその空気を特に好まないが、害もないので放置する。
問題は、その直後に後方窓際から聞こえる声である。
「それ、家計簿が真っ赤になった家のお父さんが、隣の家の物置を燃やす理屈とほとんど同じなんですよねえ」
私は目を閉じたくなる。
教官の声に、明らかな苛立ちが混じる。
「グランツ」
「はい」
「寝ていないのか」
「今日は起きています」
「そこを褒めてほしい顔をするな」
背後から気配を探る限り、サイファー・グランツは机に頬杖をつきながら、半目のまま笑っている。
起きているだけで感心される人間は、通常それまでの実績に重大な問題がある。彼は見事にそれを満たしていた。
「では貴様の見解を聞こう」
「はいはい。簡単です。国が欲しいものを外に頼るなら、交易を太らせるか、奪う力を育てるか、その両方です。でも交易は相手の機嫌次第で止まるし、奪うのはコストが高い。だから皆、小競り合いと取引を行ったり来たりする。すごく大人っぽく聞こえますが、実態は『君のパン一つくれ』『嫌だ』『じゃあ殴る』の巨大版です」
「ならば、我が国はどうあるべきだ」
「優秀な商人を育てるか、優秀な戦争屋を育てるかです」
「身も蓋もないな」
「蓋をしたところで鍋の中身は変わりません」
「貴様は、そういうところだぞ」
「よく言われます」
よく言われているなら、少しは矯正されろと思う。
「ただし一番厄介なのは、国が『平和を維持したい』と『強国でいたい』を同時に欲しがる時です。どっちも欲しい。両方欲しい。できれば安く。できれば誰も死なずに。できれば自分たちだけ得をしたい。人間、欲張りですからね」
教官が黙る。
教室も黙る。
誰もが、その言葉の下品さのくせにやけに図星であることに気づいてしまったからだ。
こういう男なのだ。真面目に板書している者の横で居眠りをしているくせに、起きたと思えば講義の骨を一番雑な手つきで抜いていく。礼儀も情緒もない。だが妙に外していない。
「……グランツ。貴様、発言内容だけ抜き出せば優秀なのだがな」
「光栄です」
「褒めていない」
「承知しております」
そこだけは理解が早い。
講義のあと、私は昼食を取る。
今日の献立は黒パン、豆のスープ、薄い肉、煮た野菜。士官学校の食事としては平均的だ。平均的というのは、要するに舌への喜びが少ないということでもある。
向かいの席に、当然のようにサイファーが座る。
「やあ、資源不足の申し子」
「誰のことだ」
「君のことだよ。今日も模範解答が美しかった」
「貴様の褒め方は全体的に気に入らん」
「そんな。君の長所を長所として認識しているのに」
「認識の仕方に品がない」
サイファーは温いスープをすすりながら言う。
「君はさ、国家の都合を人間より先に置けるだろ」
「軍人なら当然だ」
「当然かなあ」
「当然だ」
「僕はね、どうもそこが変なんだよ」
乾いた音を立ててパンがちぎられる。
「国は巨大な器だろ。人を守るための。でも、人を雑に扱う器が、人に守られる資格あるのかって時々思う」
「それを士官学校の食堂で言うのは、だいぶ命知らずだな」
「大丈夫。今のは小声だから、せいぜい不良思想家どまりだ」
「十分危険だ」
「君の中ではそうだろうね」
「君、面白いんだもん。規律の塊みたいな顔してるのに、時々そこに人間の困惑が混じる。見ていて飽きない」
「人を見世物にするな」
「友達の特権だ」
またその単語だ。
私は最近、その単語を聞くたびに即座に拒絶するのが少し面倒になっていることに気づいていた。認める気はまだない。だが、毎回同じ否定を繰り返すのも芸がない気がしてきている。
この変化自体が気に入らない。
◇◇
【セントラルシティ 目抜き通り】
休日のセントラルは、見事なものだ。
大通りには客が流れ、荷馬車が石畳を削り、金が巡っていく。ショーウィンドウには舶来の菓子、上等な靴、仕立ての良い服、装飾品、家具、小型機械、雑貨が並んでいる。
その光景を見ていると、この国が資源不足に喘ぎ、周辺諸国との関係に神経を尖らせ、国内の停滞と緩慢な疲弊を抱えている軍事国家だという事実が、だいぶ薄く見えてくる。
「まあ……景気のいいこって」
「景気が良いのは結構なことではないのか。国家として消費が順調に流れるのは、血脈が滞りなく巡ることに等しい。為政者の手腕が問われる部分だ」
隣を歩くサイファーは、あからさまに顔をしかめた。
「ばーか。君、教科書を読みすぎだ」
「何だその言い草は」
「これが自然なことかい?資源不足に外部不安、本来なら国内に動揺が広がっても不思議じゃない状況だよ。それなのに中央はこんなにのんきに物が溢れてる。どこから富が湧いて出てるのやら」
奴の視線が店先の菓子から輸入布の山へ移り、銀器の並ぶ窓へと滑っていく。
「庶民までそれなりに買ってる顔をしてる。上だけが贅沢してるなら、まだわかる。だが、これは街全体が『まあ大丈夫でしょう』で回ってる顔だ。怪しいねえ」
「怪しいと言われてもな」
「うん。まあ、僕には関係ないか」
今思えば、この時点でアメストリスの暗部――ホムンクルス達の裏からの操作と、歪な富の流れについて、ある程度察していたのかもしれん。
だとしたら恐ろしい男だが、当時の私は、ただの不真面目な同室者がまた斜に構えたことを言っている、としか思っていなかった。
「そうだな。毎度毎度、お前の分のレポートやら課題やらをやらされる私の身にもなってみろ。街の富の出所より、そちらの方がよほど切実だ」
「だが、できたあとで僕が添削してさらに高得点にしてやってるじゃないか。感謝してほしいね」
「そのせいで教官に一発で見抜かれただろうが」
「いやあ、あれは失敗だった」
失敗だった、ではない。
あの件は少々、いや、かなり腹立たしかった。
数日前のことだ。
私は例によって、奴の白紙のレポート用紙を見てしまった。見てしまった以上、放置するのが不愉快になり、結局書いてしまった。実に非合理だが、その時点で私はもう少し毒されていたのだろう。
私は完璧に仕上げた。戦術的視点、兵站の整理、現実的な運用、反証への備え、文章の整合性。どこに出しても恥ずかしくない、いや、むしろ模範解答として配布できる程度には整えてやった。
提出後、教官はサイファーのレポートを一読し、即座に机へ叩き戻した。
「グランツ」
「はい」
「これは貴様が書いたものではないな」
教室が静まり返る。
「なぜそう思われるので?」
「完璧すぎる」
「それはひどい偏見では」
「貴様の普段の答案は、もっとこう……途中までは筋がいいのに最後で急に性格が悪くなる」
私は思わず視線を落としそうになった。教官の分析はだいたい合っている。
「努力した可能性は?」
「ない」
「即答ですね」
「しかも文章に無駄がなく、腹の立つ注釈もない。貴様の文体ではない。ブラッドレイ」
「……はい」
「貴様もこちらへ来い」
私は前に出る。
教官は二枚の答案を並べた。
私のものは整然としている。サイファー名義のものも整然としている。整いすぎていた。つまり、整然さが告発になってしまったのだ。
「貴様だな」
「…………」
「否定は」
「いたしません」
「なぜだ」
「白紙を放置するのが不愉快だったので」
教室のあちこちで笑い声が弾ける。私は笑いどころがわからん。
サイファーは横で「わかる」と頷いていた。わかるな。
教官は額を押さえたあと、静かに言った。
「貴様ら、放課後に残れ」
結果として、私は代筆を咎められ、サイファーは怠慢を咎められ、二人揃って補習と説教を食らった。
しかもそれで終わらない。
◇◇
補習後、私は奴を裏へ連れ出した。
別に陰湿な意味ではない。廊下でやると目立つからだ。人目につかぬ場所で、この害虫に軍人として最低限の線引きを教える必要があると判断したのである。
「お前は一度、痛い目を見た方がいい」
サイファーの足が反射的に後退する。
「待て待て待て。君の『痛い目』は一般人にとって致命傷寄りだ」
「知ったことか」
「いや、知ってほしい」
「私が完璧に仕上げたものが『完璧すぎるからお前ではない』で見抜かれるとはどういうことだ」
「そこが問題なんだよ」
「何だと」
「君は完璧すぎる。僕は不真面目すぎる。だからそのままだと不完全だ」
「つまり」
「わかった。ストップ。今後は方式を変えよう」
奴は両手を上げ、命乞いと交渉を同時に始めた。
「君が基礎を組み立て、僕が毒を仕上げに盛る。それで行こう」
「毒」
「そう。妙な言い回し、余計な飛躍、少しだけ腹の立つ注釈、教官が『こいつだな』と思う癖。全部僕が入れる」
「胸を張って言うことか」
「むしろ職人芸だ」
「職人を侮辱するな」
「じゃあ芸術」
「なお悪い」
だが、私はその場で殴り飛ばさなかった。
なぜかと聞かれると困る。困るが、正直に言えば、その案は理にかなっていた。私が骨組みを作り、奴が本人らしさを塗る。極めて不本意だが、答案としての精度と本人性が両立する。
「……一度だけだ」
「やった」
「次に失敗したら本当に殴る」
「わかった。では以後、共同制作で行こう。二人でひとつの答案、友情の合作だ」
「その言い方はやめろ」
実際、その方式は腹立たしいほど上手くはまった。
私が構造を整え、奴が嫌味と現場感覚を混ぜる。すると教官たちは「生意気だが鋭い」「腹が立つが視点は面白い」という顔になる。答案としては高得点。部隊演習でも同様。私が組み、奴が捻る。結果だけ見ると優秀なコンビだ。
士官学校内で私たちが完全にセット扱いされるようになったのは、その頃からである。
私は今でも、その認定はだいぶ不本意だ。
◇◇
「それで今では士官学校内で完全にコンビ扱いだ。実に迷惑な話だ」
そう言うと、サイファーが面白がるように口角を上げた。
「だが成績は上がってる。部隊運用も答案も。友情と効率は両立するんだよ」
「友情を便利な潤滑油扱いするな」
「便利だろ?」
「否定はせん」
「ほら」
「認めてもいない」
「君は最近、そのへんの抵抗がだいぶ雑になってきたな」
この男に細かな反論を返していると、会話がどこまでも伸びる。きりがない。そして休日にきりのない会話ほど疲れるものもない。
サイファーは急に歩調を速めた。
「さて、堅苦しい軍事論はこれくらいにして……行くぞ?」
「またか」
「まあそう言うなよ。休日に銃砲店巡りなんて、十分に軍人としての枠の中に収まる健全な趣味だろう?」
「健全、か……」
「何だその顔は。君も銃は嫌いじゃないだろ」
「嫌いではない。だが、お前のそれは少し方向が危ない」
「愛が深いと言ってくれ」
「言わん」
実際、私はこの時点でもまだ認識が甘かった。
私は奴の銃趣味を、少々熱心な兵器嗜好くらいに考えていたのだ。甘い。非常に甘い。あれは「好き」などという穏当な単語で説明してよいものではなかった。
◇◇
店は大通りから少し外れた裏路地にある。
派手な看板もない。古い木の看板に、申し訳程度に「FREED」とあるだけだ。知らない者は通り過ぎる。知っている者だけが足を止める。そういう店だ。
サイファーはショーケースの前で、急に歩みを止めた。
そして固まる。
「お……おおお……!」
「何だ」
「これは……ドラクマ製の型落ち品。ハンドガンとしては小型だが、規格品も使えるようにシリンダーに拡張性を持たせてある……待て、このエッジ処理……この刻印……『ニキッチ・ドグルコニフ』の特別オーダーメイド!?」
奴はガラスに鼻先がつきそうな距離まで顔を寄せる。
新しい玩具を見つけた子供と、獲物を見つけた肉食獣と、研究対象に出会った狂人が、一つの顔に同居している。見ていてだいぶ落ち着かん。
「なるほど!ならこの精度も頷ける。屋内戦を目算にしている。短射程を補うための発想が徹底してるな……アメストリス侵攻時の要人暗殺、あるいは市街戦での奇襲を想定した改造か?いや待て、外装だけで判断するのは早い。内部の遊びがどれだけある?トリガーの圧は?スプリングの癖は?くそっ、バラしたい……!」
ああ、これは重度だ。
奴は珍しい銃を集めて喜ぶような生易しい種類の愛好家ではない。構造、思想、殺意の設計、それらの結合に興奮する、どうしようもない変態だったのだ。
「良いなぁ……これをバラして、クレタ製の防錆技術を掛け合わせて、スプリングのテンションを弄れば……」
「どれどれ……」
私は値札を見る。
「……高いな」
「高い?これでも格安だ!」
「士官候補生の給金で買える額ではないぞ」
「だからこそ買う価値がある!」
「論理が逆だ」
「型落ちとはいえ、研究され尽くした少数生産の傑作だぞ!?だがそんなものがなぜ他国に流れてくる……?秘匿性の高い一品のはず……ダミーか?我々の設計思想を混乱させるための罠か?しかし外から見える範囲に瑕疵は一切ない……ああ、分解したい……!」
奴はそこで、急にこちらを向いた。
極めて嫌な予感がする目だった。
「なあ、ブラッドレイ」
「…………なんだ」
「頼む!金を貸してくれ!」
「断じてならん」
「お願いだ!」
「私財を合わせても足りん」
「じゃあ、あっちに怪しい金貸しがあったから、俺と一緒に連帯保証人に――」
「なるわけがないだろう!」
「君は友達を見捨てるのか!?」
「そんなものを買ったら向こう半年は無給どころか借金取りに追われるぞ!」
「飯は寮で出るからなんとかなる」
「ならん!」
控えめに言ってクズである。
ホムンクルスに連帯保証人を頼むなど、正気の沙汰ではない。いや、この時点で私は自分がホムンクルスだと明かしていないので、単に「真面目な同室者に借金の地獄道連れを迫る最低の馬鹿」である。どのみち救いがない。
「おい……売り物の前で涎を垂らすなよ、小僧」
油と鉄の匂いを纏った老人が、工房の奥から姿を現す。
背はそれほど高くない。だが無駄のない体つきで、眼だけ異様に鋭い。職人の手と、獲物を見定める獣の目を両方持っている男だった。
「おお!師匠!」
「フリードさん、お邪魔しております」
「うるさいわ、片目の小僧。銃の良し悪しも分からぬ誤魔化しの効いたツラしおって」
老人――ジング・フリードはそう言って、次に私を見る。
「……そこのぼんくらもだ」
この爺、初対面から私の左眼の奥の異質さに気づきおったな。勘が鋭い。だが口が悪すぎる。
「サイファー、外で発情してないで早く中へ入れ。士官学校なんぞに入りおって。手が足りんのだからな」
「わかってるよ爺さん!しかし表の銃は……」
「表の銃は逃げん。お前の休みは逃げる。頭の悪い方から捨てるな」
「相変わらず弟子への愛が雑!」
「お前に細やかな愛情など無駄だ」
実に気持ちのいいまでに容赦がない。
◇◇
【ガンスミス『フリード』工房】
工房内は、整然としていた。
古い。だが汚くはない。作業台、鑢、ノコ、ネジ、バネ、油差し、研磨布、工具箱、型紙、分解途中の銃、完成品の部品。すべてが規格ごと、用途ごと、手順ごとに整理され、乱雑とは対極の秩序で並んでいる。
物の置き方、刃の向き、油の量、削り屑の処理。どれも「だいたい」で済ませた形跡がない。気難しいというより、精度以外を信用していないのだろう。
「バカ弟子が。突っ立ったまま無駄な時間を過ごすな。休みの日は有限だ。早くしろ」
サイファーは「はいはい」と言いながら、慣れた手つきでエプロンを付ける。外でのだらしなさが嘘のようだ。目つきまで少し変わる。こいつ、ここでは本当に弟子なのだなと私は思う。
「ぼんくら。お前もいるなら働け」
「私もですか」
「客として椅子を温める気なら帰れ。こいつを連れてくるなら、少しは使えるところを見せろ」
「随分な歓迎だな」
「帰り道なら親切に教えてやるぞ」
本当に口が悪い。
だが私は、なぜか不快ではなかった。あの爺の毒舌には、相手を萎縮させて悦に入る湿気がない。ただ雑に斬る。そして仕事が早い。だから妙に後腐れがないのだ。
「そのピンを番手順に並べろ。混ぜたら指を折る」
「物騒だな」
「折られるような仕事をする方が悪い」
私の視力と手の精度なら、むしろ楽な部類だ。問題は、その「楽さ」を出しすぎぬことにある。普通の士官候補生に見える程度に抑えつつ、無能にも見えぬ速度で進める。案外、そういう調整の方が手間だ。
隣ではサイファーがシリンダーの研磨をしている。
数分後、奴は仕上げた部品をジングへ差し出した。
「はい、終わりましたよ。このシリンダーの研磨、どうですか?」
ジングは受け取り、光に透かし、指先で撫で、鼻で鳴らす。
「……甘い。重心が右に〇・三ミリずれている。まともなのはシリンダーの入り口の面取りくらいか」
「うっ」
「……まあ、及第点はくれてやる。次へ取り掛かれ、愚図が」
「よし!」
「それが褒め言葉なのか」
「最高レベルだぞ」
「基準がわからん」
「普段は『捨てろ』とか『薪にもならん』だからな」
「弟子への評価としてどうなんだ」
「愛だよ愛」
「便利な言葉だな」
ジングは私の方へ来る。
私は並べ終えたピンを差し出した。
老人は一つひとつ見て、低く唸る。
「速いな」
「そうか」
「だが速いだけだ。置き方が気に入らん」
「番手順だが」
「私の手順ではない」
「知らん」
「今知れ」
実に理不尽である。
「仕事ってのは、できるかどうかじゃない。次の手がどこに落ちるかまで含めて仕事だ。整理整頓は頭の中身の順番だ。頭が散らかってる奴は手も散らかる」
「じゃあ僕は頭の中が花火大会ですね」
「お前は祭りのあとだ。ゴミだけ残ってる」
「ひどい」
「事実だ」
私は少しだけ可笑しくなる。
その感覚自体、当時の私にはまだ珍しい。
「坊主。銃は好きか」
私のことだろう。
「嫌いではない」
「面白くない答えだな」
「好きだと言えば喜ぶのか」
「別に」
「ではこれで十分だろう」
作業の合間、ジングは私に掃除まで命じた。
「その削り屑を分けろ。鉄と真鍮を混ぜるな」
「弟子でもないのだが」
「いるなら働け」
「便利な理屈だな」
「店主の特権だ」
「似合うじゃないか、ブラッドレイ君。休日の店員」
「貴様のせいだ」
「でも君、案外手際がいいな」
「散らかった場所にいると不愉快だからな」
「わかる。いや、僕はあんまりわからないけど、君がそういう生き物だってことはわかる」
その時、店の奥の扉が開く音がした。
「遅い」
返ってきたのは、若い女の声だった。
「理不尽ね、おじいちゃん。お使いの量を考えてから文句を言って」
私はその声の方を見る。
そこに立っていたのが、マリア・フリードだった。
「フリード……。まさか、その方は……」
ホークアイの問いに、ブラッドレイは静かに頷く。
「うむ。そうだ。我が妻、マリアの祖父だ。私が彼女と出会ったのも、この硝煙と油の匂いが染み付いた、薄暗い工房でのことだった」
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
ブラッドレイとサイファー、そしてフリードの関係について、どの部分が印象に残ったか、ぜひ教えていただけると嬉しいです。