鋼の錬金術師遺伝〜若き憤怒の肖像、星堕ちる夢〜 作:だいたい大丈夫
そして、後の大総統夫人と出会った日の記録である。
【アメストリス中央司令部 大総統執務室】
「奥様とは……その、初対面から、その調子だったのですか」
「うむ。あの女は、今でこそ人当たりのよい淑女の皮を被っておるが、若い頃はだいぶ剥き身だった」
「……だいぶ、というのは」
「抜刀寸前くらいだ」
伏せられたホークアイの視線の先で、微かな戸惑いが揺れる。
彼女が抱く大総統夫人への穏和なイメージと、今の表現とがあまりにもかけ離れていた。
「君は妻を『優しい方』として見ているだろうがな。あれは芯が強い。いや、強いという表現では足りん。あの頃はまだ若く、遠慮も今ほど覚えておらんかった。実にいい性格をしていた」
「それは……褒めておられるのでしょうか」
「無論だ。私は人の美点として、度胸と図太さを高く評価する」
「後者は少々、評価軸として不穏ですが」
「大総統の妻には必要だろう?」
肯定するべきか、否定するべきか。
思考の迷路に入り込みそうになり、彼女の返答が僅かに遅れた。
「ともかく、最初はこうだ。君が思っているような、花と日差しの穏当な出会いではない」
◇
【ガンスミス『フリード』工房】
「貴様がキング・ブラッドレイか?」
声のした方へ視線を向ける。
そこに、マリア・フリードが立っていた。
彼女の眼差しには、一切の躊躇がない。
鋼材の質を見極めるような、鋭く真っ直ぐな視線。
「マリア・フリードだ。……戦傷でもないのに目をなくしているのか?随分と軟弱だな」
胸の内で、妙な感心が湧き上がる。
「手厳しい物言いですね。キング・ブラッドレイです。よろしく」
「ふん。貴様などによろしくされる義理はない」
「そうしたいなら、言葉ではなくその気概を見せるんだな」
思考が数秒ほど停止する。
こちらの階級や実績など知る由もないはずだ。だというのに、まるで積年の恨みがある相手と対峙しているかのような剣幕だった。
「…………」
「おい、掃除は終わったか、盆暗が。終わったのなら作業に戻れ。マリア相手に発情している暇があれば手を動かせ」
「しておりません」
「じゃあ口を閉じて働け」
「理不尽だな」
「工房は常に店主が正しい」
「暴論だ」
「嫌なら帰れ」
この祖父と孫の辞書に、相手への遠慮という概念は存在しないらしい。
「師匠!!終わったよ!」
作業台の奥から、油に塗れたサイファーの声が響く。
普段は目に映るすべての娯楽に飛びつく男だが、こと作業に関してだけは、別人のような集中力を見せる。
ジングは受け取った部品を一瞥した。
「ふん、まだまだ甘い。次だ」
「はい!ありがとうございます!」
なぜあれほどの罵倒を受けて、あそこまで嬉々とした表情ができるのか。理解の範疇を超えている。
「……随分と厳しいですね」
「抜かせ。技術のないガンスミスなど価値のない塵屑だ。そこらの木っ端と同列に見ているなら、そもそも敷居を跨がせとらんわ」
あの老人が、あの男の腕を認めている。
「看板を出したからといって大成した気になる凡愚が多すぎる。削れぬ、磨けぬ、見抜けぬ、くせに職人面だけは一人前だ。それに比べれば、あれは多少は見どころがあると正当に評価しておるとも。儂には劣るがな」
老人の声が、ふと凪いだ。
「……マリアの婿にはちょうど良かろう」
「お祖父様。あのような低俗な猿を我が婿にするつもりは毛頭ありません」
マリアの言葉が、容赦なく空間を切り裂く。
「マリアよ。お前も士官学校に行くと言うのなら、ブラッドレイの小僧のことも言えぬではないか」
その言葉で、彼女の士官学校入りが既定路線なのだと知る。
「この凡俗は、凡庸にも片目を失った凡愚です」
ホムンクルスである私を、凡庸と切り捨てた人間は彼女が初めてだった。
「言っておくが、目は失っておりません」
「そうか。では隠しているだけか」
「隠しているとも言える」
「余計に感じが悪いな」
雑に扱われているはずなのに、不快感はない。
気を使わず、探りも入れず、ただ真っ直ぐにぶつかってくる。
「サイファーも、芽があるのは認めましょう。しかし、物事への執着が足りん。つまらん男だ」
「銃に惚れ、酒場の噂に飛びつき、菓子に目を輝かせ、綺麗な女を見れば詩人ごっこを始める。全部中途半端だ。芯がない」
私も内心で同意した。
確かにあの男は、何にでも熱を上げるが、生涯を懸けるような重みのある執着とは無縁だった。
「でだ……貴様、いつまでここにいる。疾くと去ね」
「なぜ私だけ追い出される」
「凡俗が増えると工房の気圧が下がる」
「ずいぶんな理論だな」
「わかりやすく言うと邪魔だ」
◇
「おお!マリアじゃないか!」
その時、ようやくサイファーが顔を上げた。
「ああ……しとどに濡れる可憐な一輪の薔薇!」
「それはまさに貴女のこと……!瑞々しい果実よ……その極限の美で、今日も私を狂わせるのか……!」
空間の音が消えた。
機械の駆動音すら凍りついたような静寂。
「その魔性の艶の前に、この身はもはや、愛の奴隷!!」
サイファーが、マリアの足元へと恭しく膝を折る。
「故にどうか、その美しきおみ足で、哀れな奴隷に甘美な罰をお与えください……!!」
本能が、後退を選択していた。
ホムンクルスに友人は不要だ。人間関係というものを、一から見直さなければならない。
「うわぁぁ……」
声帯が勝手に震え、言葉が漏れた。
サイファーが、真剣な面持ちでこちらへ振り返る。
「チェンジで!!済まない親友、僕は君の愛には応えられないんだ!!」
「なんで私のほうを向いて言うか!!この馬鹿が!!!」
思考を飛び越え、感情が爆発した。
士官学校に入って以来、いや、生を受けてから初めての衝動だったかもしれない。
直後、マリアの踵が、微塵の躊躇もなくサイファーの背中へと沈み込んだ。
「貴様…………。命がいらないらしいな……。ふん!!!!」
「ぁあ!ああっ!!!もっと!!!!」
「この変態が!!!これか!?こんなものがいいのか!!!」
「良いです!!良いです!!最高です!!!!」
「最高と言うな!!!」
「最高です!!!!」
靴底が肉を押し潰す鈍い音が響く。
眼の前で繰り広げられる、常軌を逸した光景。
踏まれて歓喜する男。踏みながら憤怒する女。我関せずと部品を磨く老人。
荒い呼気が床の埃を舞い上げている。
制裁が終わり、サイファーが唐突に真面目な声を出した。
「で、マリアも士官学校に入るのかい?物好きだねえ。この時世に軍人になりたいだなんて」
「ふん。なりたい、なりたくないなどという低俗な問題ではない。この国の現状を正しく認識しているのであれば、当然の答えだ」
「……と、いうと?」
「国防なり侵略でもよい。それらを司る軍部が統治するのが我が国だ」
「……しかもなんだ、今の体たらくは。小競り合いに弱腰外交に、銃殺物の無様だろう。貴様らも士官学校にいるなら、軍の何たるかを叩き込まれたはずだ。同胞の不始末は?」
「……連帯責任??」
「で、あるなら、貴様らも同胞を見過ごしている凡愚ということになる」
「ならば、私が入って中から叩き直してやるしかあるまいよ。国民の末席に名を連ねる者として、対岸の火事にはできんだろう。我々が至らぬから、資源が枯渇したという見方もできる」
ただの野心ではない。
国家という巨大な機構を、自らの手で掌握しようとする明確な意志。
「でもさ、資源そのものは有限だし、生産活動についてまさか国民を奴隷のように働かせるわけにも……」
「誰も奴隷にしろとは言っていない。だが、現状を『仕方ない』で片付ける無能が一番嫌いだ。限界があるならその中で最適を探る。最適が足りぬなら体制を変える。国が軍で回っているなら、軍を回せる人間が上へ行けばよい」
「ずいぶん単純に言うな」
「単純でなければ動かん。複雑な理屈で言い訳するのは凡愚の習いだ」
「また凡愚か」
「よく似合うからな」
「初対面の人間に対する評価が一貫して低いな」
「上げる理由があるなら考える」
働くか、担うか、逃げるか。
彼女の眼は、人間の本質だけを剥き出しにして見定めていた。
「でもさあ、君みたいなのが軍に入ると、上の連中が可哀想じゃないか?」
「可哀想?」
「うん。君、絶対に遠慮なく喧嘩売るだろ」
「売る必要があるなら売る」
「ほら」
「君のその『ほら』は話の整理に一切役立っておらんぞ」
私は問いを投げた。
「で、士官学校には入って、最終的にどうする?」
「決まっている。大総統だ」
「……本気か」
「冗談でそんなことを言うほど暇ではない」
「大総統、だぞ」
「聞こえなかったか?耳も悪いのか、片目」
「言い方に品を持て」
「持ってどうする」
「少しは話しやすくなる」
「貴様と話しやすくなる必要がどこにある」
圧倒的なまでに不遜。
大総統の椅子は、最初から私のものであると運命づけられている。盤面は完成しているのだ。
それなのに。
「面白いな」
無意識のうちに、言葉がこぼれていた。
「何がだ」
「いや。本気でそれを狙っているのなら、大したものだと思ってな」
「貴様に評価される筋合いはない」
「そう言うと思った」
「だが」
彼女の瞳が、私を貫く。
「貴様も、今の軍が気に食わんから士官学校にいるのだろう?」
「……どうかな」
「違うなら、ただの優等生ごっこだ。つまらん男だな」
図星ではない。だが、彼女の言葉は私の内側のひどく脆い部分に触れていた。
「いやあ、しかし大総統志望の美人とは豪気だ。どうだいマリア。将来その玉座の横に、愛と銃器知識で君を支える名参謀を――」
「要らん」
「即答!」
「しかも貴様は参謀というより騒音だ」
「ひどい!」
◇
「……奥様、昔から相当お強いのですね」
「うむ」
「想像以上でした」
「それはそうだろう」
「君が知っている妻は、だいぶ丸くなったあとの姿だ。若い頃はあれだ。大総統になると平然と言う」
「まさに女傑…かと。」
「そうだな。私も当時は少し処理に困った」
「大総統閣下でも、ですか」
「むしろ若い頃の私だからこそだ。あの時点の私は、自分が王になる前提で盤面を見ていた。面白くないはずがない」
「敵意ではなく、興味が先に立ったのですか」
「敵意も多少はあった。だが、それよりも興味の方が強かったな。無論、当時はまだ『妻になる』などとはこれっぽっちも思っておらん」
「……でしょうね」
「何だその間は」
「いえ。そこまで苛烈な初対面から結婚へ至るのは、さすがに少々、想像に時間がかかりましたので」
ブラッドレイの口元が、微かに弧を描く。
「安心しろ。私も多少はかかった」
「多少、で済むのですね」
青春。
大総統という響きにはひどく不釣り合いなその言葉が、なぜか不思議な重みを持っていた。
「君は今、『ホムンクルスにも青春があるのか』という顔をしているな」
「……否定はいたしません」
「結構。私も当時は似たようなことを考えていた。人間の真似事として始まった役割の中で、なぜこうも余計なものが増えていくのかとな」
「余計なもの、ですか」
「友。妻。そういうものだ」
だが、その温度の低さが、かえって深い余韻を残す。
「それでも、奥様の『大総統になる』という言葉は、閣下にとって特別だった」
「特別だったな」
「不可能だと知っていたのに」
「知っていた」
「マリアは、できるかどうかではなく、やるべきかどうかで進路を決めていた。国が気に食わん。なら中へ入って変える。頂点が必要ならそこを取る。理屈としては実に乱暴だ。だが筋は通っていた」
「君もようやく、妻の本質を理解し始めたようだ」
「閣下がここまで丁寧に語られれば、さすがに」
「丁寧、か。私はだいぶ端折っているつもりなのだが」
これ以上の追及は危険だと、ホークアイは口を閉ざす。
空のカップを見下ろす大総統の横顔に、かすかな陰影が落ちていた。
「それもまた……馴れ初めというのかもしれんな」
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
マリア、ブラッドレイ、サイファーのやり取りで印象に残った場面があれば、ぜひ感想で教えていただけると嬉しいです。