『ドラゴンを食べる』
ドラゴンを食べてしまった。
「そんなことをしてもいいのか」
と言われそうだが、食べてしまったものはいまさらどうにもならない。
これまで、ドラゴンを食べてみようと思ったことは一度もなかった。
食べて良いものだと思ったことも一度もなかった。
ドラゴンは人間が食べるものではなく、ドラゴンのほうが人間を食べるものだと思っていた。
英雄の活劇などでは、英雄以外の人間が、よくドラゴンに食べられていた。
もともとドラゴンは、いろんなものを食べるが、人間を食べるのが一番よく似合うような気がする。
あの大口に、人間がよく似合う。
モブ役の騎士が、ドラゴンにくわえられて、手足をバタバタさせながら空へ持っていかれるのを見ると、なんて頼もしい奴だと思ったものだった。
そのドラゴンを食べてしまったのである。
しかも、唐揚げで食べてしまったのである。
魔物の世界では、ドラゴンはマンティコアやケルベロスなどと共に"強者"の部類に属している。
古代魔法文明にもドラゴンになりたい王様や魔法使いなどがたくさんいたくらいで、ドラゴンは一種尊敬とあこがれの念をもって迎えられていたのである。
現代にも、そのたぐいの人はけっこういる。
ドラゴン皮の鎧にドラゴン鱗の盾、ドラゴン角の兜にドラゴン爪の篭手、武器はと見ればドラゴン牙の剣という、オールドラゴン物で身をかため、
「ワシ、ドラゴンになりたいんだザウルス」
と言わんばかりの人をときどきみかける。
その尊敬とあこがれのドラゴンを食べてしまったのである。
しかも唐揚げで食べてしまったのである。
同じ食べるにしても、強者は強者なりの遇し方、食べ方があると思う。
ドラゴンの姿造り、ドラゴンのブツ切りミスリル串バーベキュー、ドラゴン鍋、ドラゴン煮込み、ドラゴン汁など、それらしい料理法があるはずなのだ。
唐揚げなどというふさわしくない食べ方をしてしまって、本当に申しわけないことをしたと思う。
ドラゴンばかりではない。
実をいうと、グリフォンも食べてしまったのである。
グリフォンというのはオーストラリアあたりの大平原を、飛びはねつつ走りまわっているものであって、まあ、あれはあれで大変な生き方を選んでしまったものだなあ、という思いはあっても、あれが食べ物などと思ったことは一度もない。
そのグリちゃんを食べてしまったのだ。
しかもグリちゃんの場合は、あろうことか刺し身にして、お醤油をつけて食べてしまったのである。
もう一つ白状すると、スライムも食べてしまったのである。
スライムにはかねがね同情を禁じえなかった。
小さなコアを中心に、大きくてぶよぶよした胴体で包み、立っているだけで不安定なのに動きまわらなくてはならない。
魔物なのに走れないからヌルヌルと走りまわらなければならない。
不運、という言葉がスライムにはよく似合う。
そのスライムを食べてしまったのである。
"たたき"にしてゴマ醤油だれにつけて食べてしまったのである。
どうしてそんなことになったか。
東の都、シヴの谷(といっても新宿駅南口すぐ近く)にあるダンジョン料理店Rで、そういうことになってしまったのである。
とっても辛いダンジョン料理というものがあると聞いて、
「そういうもんでも食ってみっぺか」
と、何故か東北部エルフ方言的思考になって出かけていったのである。
そしたら、ドラゴンとグリフォンとスライムがあるという。
「じゃあ、そういうもんでも食ってみっぺか」
と、またしても東北部エルフ方言的太平楽思考になって、それらを注文したというわけなのだ。
ドラゴンは、唐揚げとステーキがあるというのでその両方を注文した。
そもドラゴンの肉とはいかなる味か。
最初に唐揚げがきた(銀貨12枚)。
これはまさに鶏の唐揚げであった。
肉に醤油っぽい味を含ませてあって、肉質も鶏そのものである。
これだったら、なにもドラゴン御大にお出ましを願わなくても、配下の鶏で十分料理が務まるようだ。
もう少し厳密にいうと、鶏よりもほんの少し硬い感じで、しかし地鶏の硬さとはちがうモチッとしたような硬さ。
ステーキになると(銀貨30枚)、不思議に味は一変する。
クレリックが持つ聖書ぐらいの大きさの肉片が三枚、きれいにカットされて皿の上に並べられている。
(これが元ドラゴンか)
というような変わり果てた姿である。
元ドラゴンではなく、今もドラゴンなのだが、どう見てもドラゴンの面影がない。
ドラゴンを焼いた肉汁にバターとポーションを加えてどうにかした、というようなソースがかけてある。
色は豚のもも肉風で、ところどころに脂肪の層が走っている。
ナイフで切るときは硬いが、噛みしめてみると意外に柔らかい。
何に似ているのかといえば、豚のもも肉に一番近い。
ドラゴンというと、パサついた感じの大味を予想するが、なかなかどうして味の濃いおいしい肉である。
(ドラゴンもなかなかやるじゃないの)
と思う。
マナポーションっぽい紫のソースなのに、噛みしめているとカツオ出汁のような東方風の味がしてくる。
グリフォンの刺し身は、ルイペ風で出てきた。
味は馬肉のルイペである。
ライオンの赤身にも近いし、両方をかけあわせたような味でもあるし、要するにあまり肉の味がしないのだ。
これをワサビ醤油で食べる。
グリフォンは硬くておいしくない、とよくいわれるが、こういう食べ方しかないのかもしれない。
スライムのたたきは焼肉のたれ風のものにつけて食べる。
表面を湯びきしたのち、硬貨ほどの大きさに小さく切ってある。
くらげかキノコに似ていて、それよりも硬い。
世の中にはこういう肉もある、といったところだろうか。
※『ワニの丸かじり』に掲載『ワニを食べる』より
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『人攫いのゴブリン退治』
誰にでも"青春の思い出の冒険"があると思う。
「魔法学校の帰りにいつも倒しにいった薬草園のスライム」が青春の思い出の冒険の人もいれば、「採取依頼の帰りにいつもついでに倒していた青毛皮の狼」の人もいるだろう。
「ダンジョンの終わりにいつも挑んだミスリルゴーレム」という人もいるにちがいない。
青春と冒険は切っても切れない関係にある。
その関係が思い出をつくる。
ぼくの場合は、「鉱山跡のゴブリン退治」が青春の思い出の冒険なのである。
30年ほど前(古いなァ)、ぼくはオークボーン宿場町のそばに下宿していて、いつも宿場近くの冒険者ギルドで仕事をとっていた。
ぼくの仕事は、そのギルドの最下層ランク「下水道掃除」だった。
下水道掃除というのは、下水道に潜って大鼠やヘドロスライムを退治するだけのものであった。
これに浄化水と洗剤と解毒薬2つがついて報酬は銅貨45枚だった。
スライム退治が銅貨35枚から40枚だったから、物価はいまの十分の一ということになる。下水道掃除は今でいうと銅貨450枚というわけだ。
気力体力に余裕があるときだけ、「鉱山跡のゴブリン退治」を受けた。
これは、いまの値段で銅貨600枚だった。
「鉱山跡」はオークボーン宿場から数kmのところにあった。(いまでもあるが名前は違っている)
普段、修行とか経験値稼ぎとかを一切無視した、廉価第一主義の依頼だったから 腕前の上達に対する不安が常にあった。
ゴブリン退治は、おいしいばかりでなく、そういった不安を一挙に一層してくれたのである。
「鉱山跡」のゴブリンは穴に大量であった。ゴブリンいっぱいであった。獣臭もうもうであった。
この獣臭もうもうが嬉しかった。
下水道掃除は獣臭があがらなかった。
「鉱山跡」でゴブリンを退治した帰り道は、いつも「これで当分もつ」と、満ち足りた気持ちになった。
そういうわけで、いまでもゴブリン退治に対する思い入れは強い。
ゴブリン退治は不思議な仕事で、実にあやういところに位置している。
たとえばこれを、いかにも駆け出し冒険者らしい若者が受けていたとする。すると、「うん、この青年は大丈夫だ」という気持ちになる。
この青年は正しい方向に向かっている。
正しく冒険をしようとしているし、正しく腕前をあげようとしている。
奇襲にも十分注意を払った探索を行っているし、正しい道を歩いている。
青春、ひたむき、努力、健康、夢、希望、そういったものがゴブリン退治をしている青年から感じられる。
では、おじさんだったらどうだろうか。
おじさんがギルドでゴブリン退治を、血まみれで報告していたとしたら周りの人の目にどう映るだろうか。
とたんにその周囲は、暗く重苦しい空気に包まれるに違いない。
孤独、パーティー不和、つらい過去、窓際、一時しのぎの復讐、そういったものを、周囲の人は感じてしまうに違いない。
女性冒険者だったらどうか。
見目麗しい女騎士がギルドでゴブリン退治を一人で受けていたらどうだろうか。
ふしだら、じだらく、傲慢、やぶれかぶれ、どれ一つとしていい感想は生まれてこない。
ゴブリン退治は青年が受けてこそ"正しい冒険"になるのだ。
そういうわけでおじさんのぼくは、ゴブリン退治はコソコソ受けなければならない。
それでもときどき、ゴブリンを退治したい。
よく考えてみると、ゴブリン退治は、安い魔物討伐、攫われた被害者の救出ともに嫌われる条件の巨頭である。
巨頭が二つ、ともに主役を張っているところがすごい。
間にはさまれた冒険者が、よく我慢していると思う。
嫌われる条件を二つもかかえていながら、ギルドの依頼には根強く、しぶとく生き延びているところにゴブリン退治の実力をつくづく感じる。
ゴブリン退治は、基本的にはゴブリンとホブゴブリンとゴブリンシャーマンをいためつけてついでに救出するものである。
この三者のとりあわせがいいのかもしれない。
ゴブリンの虚弱さをホブゴブリンが補い、そこへシャーマンのネットリとした魔法がとりなし、被害者の悲鳴が全体を治める。
単純にして陰湿。残虐にして悪辣。
罠や武器のバリエーションに富み、苛立ちをうながし、流血を強いられる。
ゴブリンは魔物の廉価王であり、討伐の値段も安い。
ゴブリン退治は嫌なことずくめだ。
ゴブリンはまさしく実戦の経験値である。
倒すそばから、すぐさま実力となり自分の腕前が上達するような気がする。本能的にそういうことを感じる敵である。
ゴブリン退治は倒し始めはそうでもないが、中盤あたりから急に厄介になる。敵が襲撃を察知して、迎撃と罠を仕掛けるからだろうか。
そこを見計らったように油瓶を放り投げ、巣の中にたまった油に火をかける。
ここに一握り分の毒薬をよく混ぜて、油にしたたらせながら火で燃やし、自分は防毒対策をしておく。
こうすると、武器だけで倒すよりずっと簡単だ。
熱い炎と毒煙でゴブリンと犠牲者が、巣の中で阿鼻叫喚となったとき、しばらく恍惚となる。
ゴブリンの倒し方は簡単である。三、四軒ほどのギルドを回って、その秘伝を盗んできた。
(一人パーティ用)
①巣の前で火をかけ、煙が充満するまで熱する。
②油を巣に流し込んで十秒ほど燃やしてから巣に入る。
③ゴブリンの肝臓(レバー)に短剣を刺しこんで二十秒間いためつける。
④ゴブリンと犠牲者をいっぺんに魔法で射つ。休みなくマジックアローで射っては縫い止め、衝撃波をとばしながら一分四十秒。この間に油、毒薬を撒いて火魔法を全開で発動。
レバーを刺してから全部で二分、というのが各ギルドのゴブリン退治で一番早い仕上げ時間でした。
※『ワニの丸かじり』に掲載『一皿のレバニラ炒め』より
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『ダンジョンKKもリストラ』
ダンジョン株式会社にも不況の波は押し寄せている。
人員削減、リストラ、これが目下の大命題だ。
誰を切って誰を残すか。
上層部は連日会議に明け暮れている。
役員A「魔物一人一人のこれまでの実績、ダンジョンへの貢献度、勤務実態などを厳しく見直していきたい」
役員B「とりあえず社内の現況を報告しておきますと、スライム、ドラゴン、オーク、ウィルオーウィスプ、それからミミック、こういったところが創業時からの古参魔物でありまして、途中入社がゴブリン、それからヘッドハンティングによって入社したのがヴァンパイア、魔界本社からの出向がサキュバス、派遣で来ているのが鎌蟹、パートとしてワカメ、こういったところですね」
役員C「じゃあ、まず古参のスライム、これをどうするか」
役員D「なんかこう、地味だよねえ、風采も上がらないし」
役員B「わたしは彼は絶対に外せないと思います。ダンジョンの清掃には欠かせないし。彼がいたからこそダンジョンを立ち上げることができたわけですし」
役員E「代わるものがいないわけですよ。触手、ダメ、ゴーレム、ダメ、ゾンビ、ダメ」
役員B「地味だけど人柄もいいよ。もっちりしてプニプニしている」
役員A「なにしろ立ち上げに携わった創業者の一人だからリストラってわけにはいかんだろね」
役員B「定年後もダンジョンの役員として残ってもらう」
役員E「退職金もかなり払わないと」
役員A「金貨16億枚は出せないよ」
役員B「オークはどうかね」
役員D「結局オークとゴブリンとどちらを残すかという問題になりますね。二人共いい仕事はしてるんだけど同じような内容ですからね。同じ竿役だし」
役員C「オーク君も昔は強敵で評価も高くて羽振りもよかったけど、いまじゃ冒険者の噛ませの代表だからなあ」
役員B「ゴブリンのほうが、いまはベテラン冒険者の評価高いからねえ」
役員E「オーク君も辛いところだろうなあ」
役員A「で、結局どうする」
役員C「ワークシェアというのはどうでしょ。仕事の内容も似ているわけですから」
役員E「ワークシェア、いいね。月給も大幅に下げて」
役員A「次、ドラゴン」
役員B「勤務態度はどうなの」
役員C「一番奥に住んでるからあんまり働いてないらしいです。だけど、ホラ、格がね、ドラゴンがいると目立つ」
役員E「スライムの粘着、オークの物理、ウィルオーウィスプの魔法、そこにドラゴンの炎。これでダンジョン全体が調和して収まるわけだ」
役員C「あんまり働きはないが、いわゆる看板の魔物としては有効であると」
役員D「最近はアークデーモンなんかも雇うっていうからね。ボス系魔物とか言って」
役員A「残す、と。なかなか切れないねえ。ヴァンパイア、どうだろ」
役員B「要らないね」
役員D「浮遊してるんだよね。狭いダンジョンだっていうのに」
役員C「態度もでかいんだよね、貴族ぶって」
役員B「切りましょう」
役員A「いやにすんなり決まったね」
役員C「バブルのころ採ったんでしょ。ヘッドハンティングとか言って。なーにがヘッドハンティングだ」
役員B「燃費、悪いよね。やたらと生き血を欲しがるんだよね、口に」
役員D「ウチのダンジョンに彼だけ合ってないね」
役員E「月給ばーっか高くて」
役員A「ずいぶん評判悪かったんだねえ。エート、次はサキュバス」
役員B「出向って言ってるけど天下りだろ。魔界本社からの」
役員C「威張ってんだよなー。メスガキ風に」
役員A「かわいいけどね」
役員D「そういう問題じゃないでしょう」
役員E「エロ系という意味では、他にオークとゴブリンもいることだし」
役員A「幼くてツインテール系の髪型がとてもよく似合うんだよね」
役員D「そういう問題じゃないでしょう。月給もずいぶん取ってるんですよ。パパ活とか言って」
役員A「どうしても切る?」
役員B「切りましょう。次、ウィルオーウィスプ」
役員D「これはね、切れません。ダンジョン暗いですからね」
役員C「月給やすいしね。切っても経費削減になりません。代わりに明かり用意しないといけないし」
役員A「さっきのメスガキ君ね、嘱託として残すというのはどうかね」
役員B「またサキュバスですか。ダメです」
役員A「……じゃあ、次はミミック」
役員C「あのォ、この中で、ダンジョンを宝箱抜きで潜ってもいい、という人いたら手を挙げてください」
一同「……」
役員C「ということです。逆に彼に辞められたら困る」
役員D「彼もそのことを知っていて、ときどき給料の値上げを要求するそうですよ」
役員C「見たとおり生き方は地味だね。表舞台は狙わず、いつも箱の中でじーっとしていて」
役員E「ああいうのが意外に小金貯めて、いい馬車に乗ってたりするんだよね」
役員A「エート、あと、召喚獣とか、野生の住み着いたのとかは?」
役員B「みんな辞めてもらいましょう。退職金上積みで」
※『ホットドッグの丸かじり』に掲載『冷やし中華KKもリストラ』より
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『ポーション屋のムードはなぜ暗い』
飲み物屋の専門店に、魔法のポーション屋と冒険者酒場がある。
酒場のほうは誰でも気軽に出入りできる。傭兵も来るし、クエスト途中の冒険者もくるし、魔法使いも兵士も来る。
店内の雰囲気も明るい。
みんな気楽にエールを飲み、談論風発、遠征仕事の話なんかも出て、お酒をゴクゴク飲んで、明るく店を出て行く。
一方、ポーション屋のほうは、雰囲気が暗い。空気も重くよどんでいる。気楽に出入りできない雰囲気がある。
魔法学校生や魔法使いは来るが、騎士や傭兵はまず来ない。
学生も魔法使いも、どういうわけかはよくわからないが、いかにもモテないタイプが出入りしている。
外から見ると、いつもモテないタイプがカウンターにズラリと並んでいる。
ズラリと並んで、暗く重く、モクモクとポーションを選んでいる。もちろん遠征の話は絶対といっていいほど出てこない。
飲食は明るく楽しく会話を交わしながら、というのが正しいあり方だが、ポーション屋ではこれは違反である。減点1となる。攻撃魔法こそ受けないが、店内の客および店員から呪いを受ける。
ポーションに於いては、元気は禁物である。陽気もいけない。店内の空気になじまない。
意気消沈、これがポーション屋に於ける客の基本姿勢である。これがまた、ポーションにはよく似合う。
意気消沈して、ガックリ肩など落として投げやりに飲むとポーションは効き目がある。
そのほうが格好もいい。
だから注文するときも、「マナポーションッ!」などと元気よく言ってはならない。
力なく、うつむき加減に「マナポ」とつぶやき、小さくため息を吐くのが正しい。
ポーションが目の前に置かれたら、手で瓶を引き寄せてはならない。左の片ひじをテーブルについたまま杖で引き寄せ魔法をかけて、ズルズルと引き寄せるのがポーション屋に於ける正しい瓶の引き寄せ方である。
こうしたほうが、かえって粋に見える。
しかし、いかにもまずそうに飲んではいけない。
これではあまりにミもフタもないし、魔力が足りなくて、まずいものを我慢して飲んでいるように見えてしまう。
かといって、いかにもおいしそうに飲むのも考えものである。
魔力が窮乏していて緊急の補給をしているかのように見えてしまうし、そうなると、その人の魔法の使いすぎが推しはかられてしまう。
淡々、というのがいい。
ひたすら淡々、世間一般的に、ひたたん飲み、と呼ばれている飲み方がポーション飲みの極意である。
姿勢は終始うつむき加減、視線はふせ加減、周りをキョロキョロと見まわしてはならない。
まして、対面している人と視線を合わせるなどは、もってのほかである。
魔力を補給中の魔法使いは、その無力な姿を見られるのを極度に嫌う。
視線を合わせたりすると「見たなー」と魔眼や呪言で攻撃してくる恐れが十分にある。
ぼくなども外で魔力を補給しているとき、目の前の通りを知っている人が通ったりすると、思わずパッと透明化の魔法を掛けたりする。唱え終わったあと、何も透明になることはなかったな、と思い、いややはりあるな、と思ったりする。
そのぐらい、マナポで補給している人の真理は複雑なのである。
そして弱点を晒している。
弱っているからこそ、視線が合ったりすると、呪いを掛けてきたりするのである。
ポーション屋の店内には、なんといったらいいか、不穏な精霊、といったようなものが漂っている。
男たちの、いわれのない呪い、マナバースト、過剰供給、空中魔法陣、召喚ミスといったものが複雑に入り混じっていて、一触即発の緊迫した空気となっている。
ばくはいつも思うのだけれど、これはどういう理由によるものなのだろう。
客の戦闘力で考えれば、一方の冒険者酒場とそれほど代わりはない。
変わりないのに、冒険者酒場はこうした緊迫した空気は漂っていない。
マナバーストによる吹き荒れる風も、精霊の悲鳴も、そこらを飛び交う呪いもない。
やはり、女にモテない、というところがその大きな要因になっているのだろうか。どうも、そのあたりに原因があるような気がする。
冒険者酒場と比べて、世間的な評価もあまりよくないようだ。
魔法使いが、昼休みにポーション屋の前を通りかかって、中で宮廷魔法長が背中を丸めてマナポを買っていたとする。
宮廷魔法長の威厳は、その時点で確実に十五パーセントほど低下するはずだ。
また、世の冒険者パーティも、
「おたくの魔法使い、このあいだマジックアイテム屋で目利きの交渉しているところを見かけました」
と言われるのと、
「おたくの魔法使い、このあいだ店で淡々とマナポ啜ってましたよ」
と言われるのではどっちが嬉しいか。
だからこそ客は、ポーション屋で意気消沈しているのである。
実力から言って、魔法使いは冒険者パーティの中で一歩も引けをとらないと思う。
マジックユーザーそのものは極めてありがたいものである。
ぼくなども仲間が魔物の群れと戦っているときなど、心底しみじみ頼りになっていると思う。
爆熱で吹き飛ばす火球、適度に広範囲に痺れさせる雷撃、炎と雷のはざまで、独自の戦いを進めているサモンミニオン。三系統相まって揺るぎない安定性をかもしだしている。
冒険者というのは、剣士、盗賊、僧侶、弓使いなどいろいろあるが、広範囲攻撃ができるものは極めて少ない。
盗賊がゴブリンの群れを蹴散らしたというのは聞いたことがないし、弓使いが巨大スライムに勝った例もない。
彼らを攻撃支援できるとなると、これは魔法使いのみである。
つまりマナポは、数多い魔法使いの出番が故に、緊急時の魔力回復手段として選ばれたということになる。
数々の補助アイテムを差し置いて、魔法使い代表として常備品の座を勝ち取ったということもできる。いや既に魔法使いの英雄にとって、魔族、魔族幹部、魔王退治の相棒にまでこぎつけたといってもさしつかえない。
魔法ポーション屋は世界を救うための施設だったのである。
ぼくとしては、世界を救った飲み物屋のドンとしてマナポ屋がその地位もドンドン高まっていくことを希望します。
※『タコの丸かじり』に掲載『牛丼屋のムードはなぜ暗い』より
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『人間は石化する』
今回(皇暦2014年2月)のバジリスク退治でつくづく思ったことがある。
われわれ騎士団は、軍人として敵兵と戦う専門であって石化させてくる魔物というものに関してはまったくの素人である。
まるで石化慣れしていない。
冒険者の人たちは、この点に関してはプロである。毎日毎日、経験を積んでいるし、石化しそうになったときの対応も心得ている。
われわれ騎士団は、手足の一部が石になって初めて、「エート、こうなった場合、とりあえずどうしたらいいいのか」
と、この問題に取り組むことになる。しかも、いきなりである。
まったくの無知のまま、いきなり、大問題が発生するわけで、予備知識もなければ訓練もしたことがない。
今回の巨大バジリスクの城下町襲来でぼくは石化した。
それもかなり大々的に見事に石化して粉々に砕けた。
見事というのは賛辞であるから、こういう失敗に使う言葉ではないのだが、われながら見事だった。
足が石化して硬い石畳の上に倒れ込んで、腰から下がバキバキに割れた。
起きあがろうとしてもがき、バランスを失って今度は石化した上半身が石畳に打ち付けられ、砕け散った。
魔物の襲来でパニックの中、取り残された少女を助けに行き、その帰路、いきなり石化の魔眼が来た。
一歩一歩、抱きかかえた少女を落とさぬよう慎重に逃げていたのに右足がいきなり石化した。
体の動かし方によっては、足が砕ける可能性があった。
「これはもしかして転ぶかもしれないな」
と思った。
予想通り、走っている最中に石となった右足は地面に触れると音を立てて壊れていった。
「既に石化が侵食してきているな」
と思った。
石化しないためには(あるいは石になっても解呪されるためには)、ここでどうすればいいのか。
素人の悲しさ、どうすればいいかまったくわからないのである。
他人からみれば、このときのぼくは、石化しかけている人、というより、既に石化して砕け始めている人に見えたはずだ。
このような状態にありながら、
「このまま砕け散ったらみっともないな」
と思った。
石化をしてくる魔物というのは、人間を石にして砕くのを喜ぶ傾向にある。
食べるでも巣に飾るでもなく、人を砕いて楽しんでいる。
それを待っている魔物の前で、期待通りにぼくは転んで砕け散るのである。
「悔しいな」
と思った。
既に石化の最終段階に入っているのに、みっともないな、とか、悔しいな、とか考えるのは、これはやはり心の余裕というようなことなのかな、などと考えつつ、更に砕けていくのであった。
更に砕けて行きつつ、
「このあたりで抱きかかえていた少女は手放した方が良さそうだな」
と思い、放り投げ、
「あの子はちゃんと逃げてくれるだろうか」
とも思った。
なんとかして送り出そうてと咄嗟に思い、手を振って促したのだが、
「しかし、今となっては石化して手も動かないな」
と思った。
そう思った頃には石化が頭にも及び、全身が地面に落ちた。石化し始めてから終わるまで、おそらく一秒と掛かっていないはずだ。
こうして砕け散り終わってみると、石化しそうになってから自分が取った行動、努力はすべて無駄だったことになる。
なんの意味もなかったことになる。
だったら最初に足が石化したときに、素直にそのまま転ばないよう石化していればよかったのではないか。
薄れいく意識のなか、そう思った。同時に、
「人間てたった一秒の間に、ずいぶん色んなことが考えられるのだな」
と思った。
たった一秒の間に、頭の中を走馬灯のように様々な思いが駆け巡ったのだ。
分刻み、いや秒刻み、いやいや、一件につき一秒も掛けていないのだ。
それにしても人はなぜ死にそうになっても誰かを助けようと必死になるのだろうか。
見捨てたっていいじゃないか。
弱い人間だもの。
しかし騎士というのは、言ってみれば一枚の盾である。
その盾の内側で守るのは自分自身ではなく、領民であり、無辜の民なのだ。
盾と鎧には民衆の期待と守るべき義務が載っているのだ。
そのために石化し、砕けて当然なのだ。
それを恥じない人生、そういった人生を送ろうではないか。
そうは言っても、絶対に石化してはならない人間もいることはいる。
騎士団として国の大教会を守護するため閲兵式というのをやらされることがある。
そこの大司教は法術で強力な呪い、石化などを治癒できる数少ない存在だ。
もしそういった方が前線に出て石化の呪いを受けたらどういうことになるか。
「オットット」
などと言いながら、転んで砕けたらどうなるか。
幸い、われわれはそういう立場にないから、もっと気楽に石化しましょう。
何十年か後に、あのとき助けた少女が大司教になり、砕けたぼくの破片を全部集めて石化を解いてくれたので、本稿も何十年ぶりかの番外稿です。
※『メンチカツの丸かじり』に掲載『人間は転ぶ』より
2026年4月5日『あれも食いたいこれも食いたい』や『アサッテ君』の作者である東海林さだお先生がお亡くなりになられました。御冥福をお祈りします