僕のヒーローアカデミア 徹子の部屋(※違います) 作:まだら模様
死ぬかと思った。
いや、正確には「死ぬかと思った」では少し語弊がある。
正しくは——「目が覚めなくなるかと思った」だ。
黒柳徹郎、高校二年生。
個性:徹子の部屋(明晰夢)。
毎晩強制発動、コントロール不可。
成功条件:三十分間のトーク番組を「成立」させて終えること。
失敗条件:ゲストに殺されるか、番組が破綻するか。
失敗した場合の代償。
——意識、永久幽閉。現実の肉体は昏睡状態のまま、永遠に。
これを最初に理解したとき、徹郎は布団の中で十分ほど固まった。
個性の説明書でも来ないかなと思ったが、当然そんなものは届かなかった。
ちなみに、この個性には由来がある。
黒柳家に代々伝わる、ちょっとした自慢話だ。
徹郎の遠い先祖に——黒柳徹子という人物がいた。
昭和から続いた長寿トーク番組「徹子の部屋」の司会者である。
ヒーロー社会が本格化する以前の時代、テレビの前に日本中の人間が釘付けになっていたあの番組。
ゲストを一人招いて、三十分間、ただ話す。それだけの番組が、何十年も愛された。
その血族に生まれた徹郎の個性が、よりにもよって「徹子の部屋(白昼夢)」。
お父さんは「ご先祖様の番組にちなんだ素敵な個性だね!」と目を輝かせた。
徹郎は愛想笑いを返した。
「素敵」の部分については、著しく認識の齟齬があると思った。
ご先祖様の番組では、司会者は死にませんでした。
黒柳徹子は一度も意識を永久幽閉されませんでした。
それがどれほど偉大な功績か、身に染みて理解しています。
個性が発現したのは、中学二年の春だった。
最初の夜。
見知らぬスタジオセットの中で、見知らぬ男——後で調べたら近所のサラリーマンだった——を相手に三十分間トークをさせられた徹郎は、無事に「ルールル♪」のエンディングを聞いて目を覚ました後、布団の中で小一時間泣いた。
それから約一年半。
ゲストは毎晩変わった。近所のおじさんのこともあれば、学校の先生のこともある。芸能人のこともあったし、どこかの会社の社長のこともあった。
ヴィランが来たこともある。そのときは本当に死ぬかと思った。死ぬというか、目が覚めなくなるかと思った。攻略ノートの一ページ目には今でも震える字で「死柄木弔:最初の五分が命綱、ゲームの話だけしろ、指五本は絶対に触らせるな」と書いてある。
で、今日。
眠りに落ちた瞬間——鳴った。
♪ ルールル ルルル ルールル ルルル ルールールールー ルールルー
ルールル ルルル ルールル ルルル ルールールールー ルルッルー
ラーララ ラララ ラーララ ラララ ラーラー ラーラーラー
ラララ ラーラーラーラー ラララー ラーラーラーラー ♪
聞き慣れた、呪いのような開幕曲。
この旋律が聞こえた瞬間、徹郎の意識はスタジオへと強制的に引き込まれた。
おやすみなさい、現実。いってきます、命がけのトーク番組。
舞台袖の暗がりで、徹郎は深呼吸をする。
これは毎晩やるルーティンだ。
本番前の三秒間。今夜のゲストを確認して、心の準備をする。
スタジオは毎回同じ造りだ。アンティーク調のソファが二脚、向かい合って置かれている。観葉植物、間接照明、小さなガラステーブルの上に二つのグラス。壁には「徹子の部屋」のロゴが古めかしいフォントで飾られていて——徹郎はこれを見るたびに「すみませんご先祖様、かなり不本意な形で番組名を継承しています」と心の中で謝る。
カメラは三台。観客席は空だ。
そしてソファの向こうに、今夜のゲストが座っている。
徹郎は目を凝らした。
見た。
もう一度、よく見た。
「…………」
全身が固まった。
身長、二百二十センチ超。
筋肉の鎧のような体躯。
前髪を二本、角のように立てた金髪。
破顔一笑とはまさにこのことと言わんばかりの、眩しすぎる笑顔。
——オールマイトが、ソファに座って待っていた。
攻略ノートのページが、猛烈な勢いで脳内をめくれていく。
「オールマイト」のページ。
存在するはずだった。
徹郎は確かに書いた覚えがある。
しかし今この瞬間、脳が完全に機能停止していて、一文字も思い出せない。
(落ち着け。落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け)
(こっちはもう何十回もこなしてるプロだぞ。ヴィランだって生き延びてきた。オールマイトくらい余裕じゃないか)
(余裕じゃないか余裕じゃないか余裕じゃないか)
「あっ」
思わず声が出た。
オールマイトと目が合った。
「おお! 来たね、司会の君! HA HA HA!」
笑い声が、スタジオを揺らした。物理的に揺れた気がした。気のせいかもしれない。気のせいであってほしい。
徹郎は「番組成立」のために、震える足でステージに踏み出した。
「えー……皆様、こんばんは。本日もご覧いただきありがとうございます」
本番前にスタッフが告げる開始の合図とともに、徹郎は自分の台詞を言う。
毎晩やっているから、体が勝手に動く。頭が空白のままでも口だけは動く。それが怖いような、ありがたいような。
「本日のゲストをご紹介します。……No.1ヒーロー、平和の象徴——オールマイトさんです」
HA HA HA!と再び笑い声。大きすぎて頭が揺れる感じがする。
「よろしく頼むよ、司会の少年!」
「は、はい。よろしくお願いします」
向かいのソファに腰を下ろしながら、徹郎は脳をフル回転させていた。
(整理しろ整理しろ整理しろ)
(オールマイトはどんな人間だ。明るい。豪快。「HA HA HA」で大体のことを乗り切る。笑顔が武器。でもその裏に——内心では色々と抱えている)
(私は隠し事は多いが嘘はつかん、って本人が言ってる。つまり、聞いたら答えてくれる。でも踏み込みすぎると……)
「どうした、少年? そんなに緊張しているのかね?」
「い、いえ。そんなことは……」
「HA HA HA! 嘘をつかなくていい! 緊張するのは当然だ。私でも、初めての場所では多少はね」
そう言いながら、オールマイトはグラスの水をひと口飲んだ。
その仕草があまりにも自然で——「英雄も水を飲む」という当たり前のことが、なぜか今夜は猛烈に沁みて——徹郎は危うく感極まるところだった。
(ダメだダメだ。仕事しろ。これは仕事だ。命がけの仕事だ)
「……では、改めて。本日はよく来てくださいました」
「ああ! 招待状をもらったからね。『夢の中に来てください』とは、なかなか珍しい招待状だったが」
「それは……その、まあ、個性の特性で」
「個性? 君の個性がこの夢を作っているのかね」
「そういうことになります、はい」
オールマイトが興味深そうに眉を持ち上げた。
「面白い個性だ。夢の中でトーク番組を開く……それが個性とは、世の中にはまだまだ見ぬ個性があるものだね。ところで少年、この番組の名前は?」
「徹子の部屋、です」
一瞬の沈黙。
「……徹子の部屋」
「はい」
「黒柳徹子の、あの番組かね」
「えっ、ご存知なんですか」
「知っているとも! 私が子供の頃はまだ放映していたよ。母がよく観ていてね。懐かしい」
思いがけない接点に、徹郎は素直に驚いた。
と同時に、そこに食いつける自分がいることに気づく。
(これだ。ここから入れる)
「実は——私の先祖が、黒柳徹子なんです」
今度こそ、オールマイトが「ほう!」と大きく目を見開いた。
そこから先は、比較的スムーズに流れた。
先祖の話。
番組が家族の話題になること。
オールマイトが「それは素晴らしいご先祖をお持ちだ」と破顔すること。
徹郎の中の「進行役モード」が少しずつ起動してきて、冷静さが戻り始めた。
(よし。ペースを掴んできた)
「——ところで、オールマイトさん」
「なんだね?」
「少し踏み込んだことをお聞きしてもいいですか」
「私は隠し事は多いが嘘はつかん。聞いてみたまえ」
本人が言った。原作通りの台詞を、本人が言った。
(ここで泣くな黒柳徹郎、仕事しろ)
「ヒーローとして戦い続ける中で——怖いと思う瞬間は、ありますか」
スタジオが、静かになった。
徹郎は続ける。
「笑顔が武器だと思っています。オールマイトさんが笑顔でいることで、みんなが安心する。でも——あの笑顔を保つことが、怖くなる瞬間はないですか」
オールマイトは、少し間を置いた。
「……鋭い質問をするね、少年」
「すみません、踏み込みすぎましたか」
「いや」
大きな手が、グラスをゆっくりとテーブルに戻す。
「夢の中だからかな。正直に言おう」
オールマイトが語り始めたのは——笑顔のことだった。
人々が自分を見て安心する。その笑顔に、すがる目をする。「オールマイトがいるなら大丈夫だ」と、それだけで立ち直れる人間がいる。
それが誇りだ、と彼は言った。
と同時に——それが重荷でもある、とも言った。
「私が笑顔でなければ、人々が不安になる。私が迷う顔を見せれば、それが広まる。だから常に笑っていなければならない。……それは正しいことだと思っている。でも時々——」
少しだけ、声が落ちた。
「本当のことを話せる場所があればと、思うことはある」
徹郎は、胸を打たれた。
「……この番組が、そういう場所になれているといいんですが」
「なっているとも」とオールマイトは言って、また笑った。今度は少しだけ、柔らかい笑い方だった。「夢の中でしか言えないことを言えた気がするよ。不思議なものだね」
「それが、この個性の一番いいところかもしれません」
徹郎は本心からそう言った。
こんな個性、呪いだとずっと思ってきた。毎晩命がけで、覚えているのは自分だけで、誰にも言えなくて。
でも——こうして誰かの「本当のこと」を聞ける場所になれるなら、それはまあ、悪くないのかもしれない。
(……とか考えるな。ヴィランが来たときどうするんだ)
脳内で速攻でツッコんだ。
そうして二十五分が過ぎた頃。
「ところで少年」
オールマイトが、不意に言った。
「この番組——失敗したらどうなるんだね?」
徹郎の背中を、冷たいものが走った。
「え、それは……」
「いや、純粋な疑問だよ。ゲストが暴れたりしたら?」
「……その、番組が成立しなかった場合は……私の意識が、ここに永遠に閉じ込められる……という感じに、なります」
スタジオが静まり返った。
オールマイトが、眉を寄せた。
「…………それは」
「はい」
「毎晩?」
「毎晩です」
「ゲストが誰になるかもわからない状態で?」
「わかりません。完全ランダムです」
「失敗したら意識が永遠に幽閉される可能性があるまま?」
「そうです」
「…………少年」
「はい」
「それは、かなり過酷な個性だね」
「……知ってます」
「ヴィランが来たことはあるかね?」
「あります」
「どうしたんだね」
「……なんとかしました」
しばらく沈黙が続いた後、オールマイトが静かに言った。
「君は、なかなかどうして……立派だよ」
「いや、そんな大したもんじゃないです。毎晩ビビってます」
「ビビりながらでも続けられることを、立派と言うんだ」
徹郎は、返す言葉を失った。
(泣くなよ黒柳徹郎)
(頼むから泣くな)
(仕事しろ)
そのとき。
♪ ルールル ルルル ルールル ルルル ルールールールー ルールルー ♪
エンディングのテーマが、流れ始めた。
徹郎は意識を切り替えた。魔の三十秒。ここで油断したら終わる。
「——では、お時間となりました」
「おお、もう三十分か。早いものだね」
「オールマイトさん、本日は来ていただいて、本当にありがとうございました」
「こちらこそ。楽しい時間だったよ」
「最後に——視聴者の皆さん、そして私に、一言いただけますか」
オールマイトは立ち上がった。
その巨体が、スタジオに満ちた。
そして、あの笑顔で——言った。
「少年。君は毎晩、命がけでこの番組を続けている。誰も知らないところで、誰にも言えないまま。それがどれほど孤独で、どれほど怖いことか」
「……」
「でも——もう大丈夫だ」
徹郎の目が、熱くなった。
「君のような少年がいる限り、この夢は本物だよ。そう思う」
「……HA HA HA!」
その笑い声が、テーマ曲と重なった。
♪ ラーララ ラララ ラーララ ラララ ラーラー ラーラーラー
ラララ ラーラーラーラー ラララー ラーラーラーラー ♪
旋律が最後の一音まで鳴り切ったとき——オールマイトの姿が、霧のように消えていった。
目が覚めたのは、朝の六時だった。
いつも通りの自分の部屋。いつも通りの天井。
徹郎は布団の中で、しばらく天井を見ていた。
(……やった。また生き延びた)
それから、枕元の攻略ノートを開いて、新しいページに書き込む。
「オールマイト:笑顔の話から入ると心を開いてくれる。先祖・黒柳徹子の話題が有効。個性の話をすると心配してくれる(危険度:低)」
ペンを止めて、少し考えてから、一行付け加えた。
「※推しに励まされた。泣きそうになったのは内緒」
その日、街頭のニュースで見たオールマイトは、いつも通りの笑顔だった。
マイクを向けるレポーターに「HA HA HA! 今日も最高だよ!」と答えながら、カメラに向かって手を振っている。
昨夜のことは何も覚えていない。
自分だけが知っている。あの夢の中で、彼が少しだけ柔らかい声で「本当のことを話せる場所があればと思うことはある」と言ったことを。
徹郎はニュースを見ながら、小さく思った。
——まあ、この個性も、悪くはないか。
たまに、ほんのたまにだけど。
(ヴィランが来た翌日はそんなこと絶対思わないけど)
夜になれば、また鳴る。
♪ ルールル ルルル ルールル ルルル……♪
明日のゲストは誰だろう。
また推しだといいな、なんて——贅沢なことは言わない。
ただ、今夜も番組を成立させること。
それだけが、黒柳徹郎の仕事だ。