僕のヒーローアカデミア 徹子の部屋(※違います) 作:まだら模様
例 本編2024年の場合 25年の年前の姿、26年の姿、10年前、5年前、全盛期、老衰期などいろんなバリエーションがあります。
一度来た人でも何度でも来る可能性があります。
やったね徹郎!たくさんの人とお話しできるよ!(白目)
荼毘が帰った後のスタジオに、まだ焦げた匂いが残っていた。
床のタイルに刻まれた足跡。肘掛けの焦げ。スタジオの隅に漂う青い炎の残滓。
徹郎は水を一杯飲んだ。特別なことをしたつもりはなかった。ただ——「救われなかった絶望」というものの重さが、今夜どれほどのものか、少しだけわかった気がした。
あの声が、まだ耳にある。
「まだ見てるぞ」
次のゲストの呼び鈴が鳴った。
眠りに落ちた——いや、まだ夢の中にいた。
徹郎は気づいた。今夜は、続いている。
同じ夢の中で、次のゲストが来る——そういう夜が、たまにある。
♪ ルールル ルルル ルールル ルルル ルールールールー ルールルー
ルールル ルルル ルールル ルルル ルールールールー ルルッルー
ラーララ ラララ ラーララ ラララ ラーラー ラーラーラー
ラララ ラーラーラーラー ラララー ラーラーラーラー ♪
テーマ曲が、また鳴った。
今夜二回目のテーマ曲は——さっきより、柔らかかった。
気のせいかもしれない。でも確かにそう聞こえた。
そして——扉が、開いた。
小さかった。
本当に、圧倒的に、小さかった。
銀色の髪。包帯の巻かれた両手。
ソファの方に向かって歩いてくる小さな足が、荼毘の残した焦げた床の跡を、踏んだ。
その瞬間——
音もなく、焦げが消えた。
タイルの黒ずみが、少しずつ元に戻っていく。木目が戻る。焦げた痕が、静かに溶けていった。
右の額に、小さな角。その角の先端が、ほんのかすかに白く光っていた。
少女は、きょろきょろとスタジオを見回した。
そしてソファの前で立ち止まって——
「……あの。ここは、どこ、ですか……?」
徹郎の思考が、一拍遅れて追いついた。
(……天使だ)
(荼毘の後にこれは、情緒が完全に追いつかない)
(あと——個性で床が治った。床が。荼毘が焼いたタイルが。今夜の俺の清掃費が浮いた)
(いや、今それを気にするのは人として終わっている)
「ここはテレビ局のスタジオだよ」
徹郎は、精一杯の柔らかい声で言った。
「……テレビ……?」
「うん。トーク番組を撮影する場所。今日は来てくれてありがとう。……壊理ちゃん、だよね」
少女——壊理が、きょろきょろとスタジオを見回した。
徹郎は急かさなかった。
(この子は、急かされることに慣れすぎている。だから、待つ)
照明機材を見て、目を細める。壁に貼られたボードを追う。
そして徹郎の顔を見て——少し迷ってから——小さく頷いた。
「……壊理、です」
「うん。来てくれてありがとう、壊理ちゃん」
「えー……皆様、こんばんは。本日もご覧いただきありがとうございます」
「……こんばんは」
壊理が、真面目な顔でお辞儀をした。
律義なお辞儀だった。誰かに教わったお辞儀だった。
「本日のゲストをご紹介します。壊理ちゃんです」
「……壊理、です」
「さっきも言ってくれたね」
「……二回、言った方がいいかと、思って」
(ちゃんと考えて言ってる……! この子、真面目だ)
「どうぞ、座って」
壊理がソファを見た。大きなソファだった。壊理の体の二倍はある。
おそるおそる、ソファに腰掛けた。
足が、床につかなかった。
ぶらぶら、と宙に浮いた。
(かわいい……! いや、番組に集中しろ俺)
「今夜、壊理ちゃんに来てもらったのはね——」
「……この番組は、どういう番組ですか」
壊理が、真剣な顔で聞いた。
「ゲストとお話をする番組だよ。三十分間」
「……三十分、お話をする」
「そう」
「……それだけ、ですか」
「それだけ」
壊理が、少し考えた。
「……怖いことは、ありませんか」
徹郎は、少し止まった。
(聞くか、この子は……)
「怖いことはないよ。ここは安全な場所だから」
「……本当に?」
「本当に」
「……ほんとうに、ほんとう?」
(「本当に」を二回確認してくる……!)
(この子は、「いいよ」と言われてから「やっぱりだめだ」と取り上げられることを、知っているんだ)
「本当に、本当だよ。壊理ちゃんが安全でいられる場所にするから」
壊理が、少しだけ肩の力を抜いた。
「……わかりました」
「最初に——一つだけ確認してもいいかな」
「……はい」
「壊理ちゃんは今、何歳ですか」
「……六さい、です」
(六歳。救出されてから雄英に来た後の壊理ちゃんだ。笑顔を取り戻している時期——)
(荼毘が来た夜の絶望と、今夜の希望。この番組のランダムが、こういう順番で引き当てることがある)
(……それが何を意味するのか、俺にはわからない。でも——なんとなく、ありがとう、と思った)
「そっか、六歳か。今日は来てくれてよかったよ」
「……ミリオさんが、テレビのお仕事があるから行ってみなさいって、言ってた」
「ミリオさんが」
「……デクさんも。楽しそうだよって」
(あの二人が薦めてくれた……!)
(ミリオさん、デクくん、あなたたちのおかげで今夜この子がここに来てくれた)
「それはよかった。じゃあ——今日は楽しんでいこう」
壊理が、少しだけ、頷いた。
「壊理ちゃん、ちょっと待っててね」
徹郎は、テーブルの小道具入れから一つのものを取り出した。
透明なビニール袋の中に入った、小さな飴。
赤い色だった。
「これ、林檎味の飴なんだけど——食べてみる?」
壊理が、飴を見た。
見た。
見続けた。
「……食べても、いいですか」
「もちろんだよ」
少し、間があった。
「……ほんとうに、いいですか」
(また確認してくれた)
(この子は——一度「いい」と言われても、信じきれない。だから確認する。それが、この子が生きてきた場所の話だ)
「本当に、いいよ」
「……ほんとうに、ほんとうに?」
「ほんとうに、ほんとうに、いいよ」
壊理が、少しずつ、手を伸ばした。
小さな手で飴を受け取って、袋を開けて——口に含んだ。
しばらく、沈黙があった。
「……あまい」
たった三文字だった。
でも——その声には、驚きと、安堵と、何かもっと複雑なものが混ざっていた。
「甘いものを初めて食べた」という顔ではなかった。
「甘いものを、怖くなく食べられた」という顔だった。
(林檎が好きなんだよな、この子は)
(好きなものを、ただ好きなだけ食べられる場所に、ちゃんと来られたんだな)
「壊理ちゃん、今日はコーナーを一緒にやりたいんだ」
「……こーなー」
「うん。世の中にある楽しいものを、壊理ちゃんに知ってもらう時間」
「……たのしいもの」
「そう」
壊理が、少し考えた。
「……壊理は、たのしいもの、あんまり知らないかも」
「じゃあ一緒に見ていこう」
「……うん」
最初のアイテムは、カラフルな筒状の紙包みだった。
「これはね、お祝いの時に使うもので——」
パンッ。
壊理の肩が、反射的に跳ねた。
小さく、びくっと。瞬間、体が固まった。
徹郎は動かなかった。何も言わなかった。
待った。
二秒か、三秒か。
壊理の目が——落ちてくるキラキラのテープを、追った。
金色と銀色の細いテープが、スタジオの照明を受けてゆっくりと舞い落ちてくる。
「……きれい」
壊理が呟いた。
「これ……お祝いの、まほう……?」
徹郎は、声が出なかった。
一秒。
二秒。
(そうだよ、壊理ちゃん)
(お祝いの魔法だよ)
(君が生まれてきたことを、ただそれだけを、お祝いするための魔法だよ)
(君の誕生日は十二月二十一日で、この世界は長い間君を呪ったけれど——本当は君が生まれた日をお祝いすべきだったんだ)
「そう。お祝いの魔法。大事な人の誕生日とか、何か嬉しいことがあった日に、これで祝うんだ」
「……大事な人の、たんじょうび」
壊理は、テープを一本、そっと指でつまんだ。
まじまじと眺めて、次にまた確認するように徹郎を見た。
「……持って帰っても、いいですか」
「いいよ」
「……ほんとうに」
「ほんとうに」
壊理は、テープを両手で大事そうに包んだ。
次のアイテムは、色鉛筆だった。
二十四色入りの缶。蓋を開けると——
壊理の目が、大きくなった。
整然と並んだ色の列。緑、黄色、青、紫、オレンジ——そして。
赤。
壊理の手が、一瞬だけ止まった。
赤の色鉛筆の前で。
「……」
徹郎は何も言わなかった。
(焦るな。この子が、自分で決める)
数秒の沈黙の後——
壊理は赤の色鉛筆に、手を伸ばした。
そっと、缶から引き抜いた。
指の腹で、先端をなぞった。
「……これで、絵を描いてもいいの」
「描いていいよ」
「……赤い色は」
壊理は、色鉛筆を見ながら言った。
独り言のような、でも確かに徹郎に向けた言葉。
「……もう、怖くないから」
スタジオが、静かになった。
「……赤い林檎の絵を、描きたいな」
徹郎は声が出なかった。
一秒。
二秒。
(赤が、血の色じゃなくなった)
(林檎の色になった)
(ただそれだけのことが——なぜこんなに、胸の奥に刺さるんだ)
「……うん。描こう」
徹郎は静かに言った。
「世界で一番赤い林檎を、描こう」
壊理は少し考えてから——小さく、笑った。
「壊理ちゃん、聞いていいかな」
十五分が過ぎた頃、徹郎が言った。
「……はい」
「最近、誰と一緒にいる時が一番楽しい?」
壊理は、即答しなかった。
答えることが怖いのではなく——ちゃんと考えているのだとわかった。それだけで、徹郎は少し嬉しかった。
「……ミリオさん」
ゆっくりと、言葉を選ぶように。
「デクさん。……みんな」
「みんな、か」
「……手が、あったかかったから」
「手が」
「……うん」
壊理が、両手を膝の上で少し見た。
「……前は、誰かに触られるのが、怖かった。手は怖いものだって、思ってた」
徹郎は静かに聞いていた。
「でも——ミリオさんが、服の上から、包んでくれた時。デクさんが、走りながら、離さないって……その手が、あったかくて。怖くなかった」
「……そっか」
「……今はもう、一人じゃないって、思えるの」
スタジオが、静かだった。
「先生も」
壊理が、続けた。
「相澤先生の手は、冷たいけど——でも、ちゃんと頭を撫でてくれる。それも、好き」
(相澤先生……! それ聞いたら絶対に顔をそむけるな。でも本当によかった。あの人の手が——この子にとって安全なものになったんだ)
「壊理ちゃん、個性のコントロールを練習してるって聞いたよ」
「……うん」
「どう?」
壊理が、少し考えた。
「……最初は、怖かった。自分の個性が——誰かを消してしまうかもしれないから」
「でも?」
「……デクさんが、言ってくれた」
「何て?」
壊理が、少しだけ目を細めた。
「……『君の力だ』って。呪いじゃなくて、壊理の力だって」
「……それを聞いて、どうしたの」
「……信じようって、思った。まだ、うまくできないけど」
「でも、やってみようって」
「うん」
壊理が、顔を上げた。
「……誰かを助けたいから」
(誰かを、助けたい)
(この子がそれを言える日が来たのか)
(「救からなくてはいけない」という義務感じゃなく——「助けたい」という意志として)
「……壊理ちゃん」
「はい」
「それって、すごいことだよ」
「……すごい?」
「誰かを助けたいって思える人が——一番強いヒーローになれると思う」
壊理が、少しだけ考えた。
「……ヒーロー」
「うん」
「……壊理も、なれるかな」
「なれると思う」
「……ほんとうに?」
「ほんとうに」
「……ほんとうに、ほんとうに?」
(また三段階確認……! でもこの子が「ほんとうに、ほんとうに?」と聞けるようになったことが、もうそれだけでとんでもないことなんだ)
「ほんとうに、ほんとうに、なれると思う」
壊理が、また——笑った。
「……徹郎さん」
壊理が、急に名前を呼んだ。
「なんで知ってるの、俺の名前」
「……ミリオさんが言ってた。黒柳さんって言ってたから」
「そっか」
「……あの。変なこと聞いてもいいですか」
「なんでも聞いて」
壊理が、じっと徹郎を見た。
「……泣いてる、の?」
徹郎は慌てて目元を押さえた。
「泣いてない。目にゴミが入っただけ」
壊理はじっと徹郎を見た。
「……ウソ、だと思う」
「バレたか」
「……なんで、泣くの」
徹郎は少し考えてから——正直に言った。
「壊理ちゃんが笑うたびに——壊理ちゃんのために頑張った人たちが、報われる気がするから」
壊理が、黙って聞いていた。
「ミリオさんとか、デクくんとか。みんな、全力で——壊理ちゃんのために頑張ってくれた。その答えが、壊理ちゃんの笑顔なんだと思う」
「……そうなの」
「そう思う」
壊理が、少し俯いた。
それから、また顔を上げた。
今日一番の笑顔だった。はにかむような、ほんの少し照れたような。
でも確かに——そこにある笑顔だった。
そのとき。
♪ ルールル ルルル ルールル ルルル ルールールールー ルールルー ♪
エンディングのテーマが、流れ始めた。
壊理が、きょとんとした。
「……何の音?」
「番組の終わりの曲だよ。お時間になりました」
「……もうおしまい?」
「うん。今日は来てくれてありがとう、壊理ちゃん」
「……ありがとう、ございました」
またきちんとお辞儀をした。
「最後に——一言、もらえますか」
壊理が、少し考えた。
それから——色鉛筆の缶を、胸に抱えた。
「……これ、持って帰っていいですか」
「いいよ」
「……ほんとうに」
「ほんとうに」
壊理が、缶をぎゅっと抱いた。
「……あのね、徹郎さん」
「うん」
「壊理ね——もっと練習して、みんなに美味しい林檎を剥いてあげたいの」
「林檎を?」
「……うん。ちゃんと丸く、剥けるように」
テーマ曲が、最後の段階へ移った。
♪ ラーララ ラララ ラーララ ラララ ラーラー ラーラーラー
ラララ ラーラーラーラー ラララー ラーラーラーラー ♪
徹郎は、声を出したら何かが崩れそうだったから——ただ、頷いた。
(……林檎を、みんなに剥いてあげたい)
(それでいい)
(それだけでいい)
(ヒーローたちが血を流して戦った意味は——この子の「みんなに林檎を剥いてあげたい」という言葉の中に、全部入っている)
旋律が最後の一音まで鳴り切るとき——
壊理の姿が、柔らかい光の中に、ゆっくりと溶けていった。
テープが一本——床にふわりと落ちた。
角から漏れた光が、最後にスタジオをやさしく照らして、消えた。
目が覚めた。
朝の——七時。
布団の中で、徹郎はしばらく動かなかった。
顔が濡れていた。
(……また泣いた)
でも今夜は——荼毘の夜とは種類が違う泣き方だった。
荼毘の夜は、重くて、暗くて、どこにも逃げ場がなかった。
今夜は——軽くはなかった。でも、温かかった。
(今夜は、二人来た)
「救われなかった過去」を持ってきた人と、「救われた後の現在」を生きている子が、同じ夜に来た。
この番組のランダムが、そういう順番で引き当てた。
意図はないはずだ。でも——
(ヒーローが血を流して戦う意味が、何なのか)
(あの小さな背中が、今夜全部教えてくれた気がした)
攻略ノートを開いた。
「壊理(6歳):今夜のゲスト。荼毘の後に来た。個性の余波で床の焦げが治った——荼毘の足跡が、消えた。林檎飴を食べた。パーティークラッカーの音に少し体が固まったが、すぐにテープを見て『きれい』と言った。赤い色鉛筆に一瞬止まったが、自分で手を伸ばした。『もう怖くないから』と言っていた。相澤先生の頭撫でを好きと言っていた(相澤先生に伝えたい。でも方法がない)。危険度:ゼロ。心への影響度:最高」
ペンを止めた。
最後の一行を書いた。
「※『みんなに林檎を剥いてあげたい』と言って消えた。……デクくん、ミリオさん、相澤先生。あなたたちが頑張った答えが、あの笑顔でした。覚えているのは俺だけで、伝える方法はないけれど——覚えている。それだけは、確かです。内緒」
その日の学校帰り、スーパーに寄った。
林檎が、特売されていた。
手を伸ばして——買った。
袋の中で揺れる林檎を見ながら、徹郎は歩いた。
昨夜の荼毘の声が、また頭に来た。
「まだ見てるぞ」
その次に——壊理の声が来た。
「もう、怖くないから」
(救われなかった人がいた。救われた人がいた。どちらも、同じ夜に来た)
(その二つを、覚えているのは俺だけだ)
(それでも——覚えている。両方を、覚えている。それだけが、俺にできることだ)
夜になれば、また鳴る。
♪ ルールル ルルル ルールル ルルル……♪
明日のゲストは誰だろう。
でも今夜は——林檎をちゃんと丸く剥いてみようと思った。
練習のために。
いつかあの子が「上手く剥けた」と言う日のために——俺は、今夜ちゃんと剥いてみる。
それだけが、黒柳徹郎の仕事だ。
第16話、壊理ちゃん回でした。「ほんとうに、ほんとうに?」という確認を、何度も書きました。許可を信じきれない子が、それでも手を伸ばす。その一歩一歩が、今夜の全てでした。
「もう、赤くても怖くない」——それが言えるようになるまで、どれだけの時間がかかったか。でもその言葉を、この子は今夜言えた。
荼毘の「まだ見てるぞ」と、壊理の「もう怖くないから」。どちらも忘れない。
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