僕のヒーローアカデミア 徹子の部屋(※違います)   作:まだら模様

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※ちなみにどの時系列のキャラが来るかは不明で、同一人物でも別の時間軸やこの本編の時期や季節、年月が違う人がこの空間に誘われてきます。
例 本編2024年の場合 25年の年前の姿、26年の姿、10年前、5年前、全盛期、老衰期などいろんなバリエーションがあります。
一度来た人でも何度でも来る可能性があります。
やったね徹郎!たくさんの人とお話しできるよ!(白目)



第16回:壊理(巻き戻しの恐怖)

 

 

 荼毘が帰った後のスタジオに、まだ焦げた匂いが残っていた。

 

 床のタイルに刻まれた足跡。肘掛けの焦げ。スタジオの隅に漂う青い炎の残滓。

 

 徹郎は水を一杯飲んだ。特別なことをしたつもりはなかった。ただ——「救われなかった絶望」というものの重さが、今夜どれほどのものか、少しだけわかった気がした。

 

 あの声が、まだ耳にある。

 

 「まだ見てるぞ」

 

 次のゲストの呼び鈴が鳴った。

 

 

 

 眠りに落ちた——いや、まだ夢の中にいた。

 

 徹郎は気づいた。今夜は、続いている。

 

 同じ夢の中で、次のゲストが来る——そういう夜が、たまにある。

 

 ♪ ルールル ルルル ルールル ルルル ルールールールー ルールルー

  ルールル ルルル ルールル ルルル ルールールールー ルルッルー

  ラーララ ラララ ラーララ ラララ ラーラー ラーラーラー

  ラララ ラーラーラーラー ラララー ラーラーラーラー ♪

 

 テーマ曲が、また鳴った。

 

 今夜二回目のテーマ曲は——さっきより、柔らかかった。

 

 気のせいかもしれない。でも確かにそう聞こえた。

 

 そして——扉が、開いた。

 

 小さかった。

 

 本当に、圧倒的に、小さかった。

 

 

 

 銀色の髪。包帯の巻かれた両手。

 ソファの方に向かって歩いてくる小さな足が、荼毘の残した焦げた床の跡を、踏んだ。

 

 その瞬間——

 

 音もなく、焦げが消えた。

 

 タイルの黒ずみが、少しずつ元に戻っていく。木目が戻る。焦げた痕が、静かに溶けていった。

 

 右の額に、小さな角。その角の先端が、ほんのかすかに白く光っていた。

 

 少女は、きょろきょろとスタジオを見回した。

 

 そしてソファの前で立ち止まって——

 

 「……あの。ここは、どこ、ですか……?」

 

 徹郎の思考が、一拍遅れて追いついた。

 

 (……天使だ)

 

 (荼毘の後にこれは、情緒が完全に追いつかない)

 

 (あと——個性で床が治った。床が。荼毘が焼いたタイルが。今夜の俺の清掃費が浮いた)

 

 (いや、今それを気にするのは人として終わっている)

 

 

 

 「ここはテレビ局のスタジオだよ」

 

 徹郎は、精一杯の柔らかい声で言った。

 

 「……テレビ……?」

 

 「うん。トーク番組を撮影する場所。今日は来てくれてありがとう。……壊理ちゃん、だよね」

 

 少女——壊理が、きょろきょろとスタジオを見回した。

 

 徹郎は急かさなかった。

 

 (この子は、急かされることに慣れすぎている。だから、待つ)

 

 照明機材を見て、目を細める。壁に貼られたボードを追う。

 そして徹郎の顔を見て——少し迷ってから——小さく頷いた。

 

 「……壊理、です」

 

 「うん。来てくれてありがとう、壊理ちゃん」

 

 

 

 「えー……皆様、こんばんは。本日もご覧いただきありがとうございます」

 

 「……こんばんは」

 

 壊理が、真面目な顔でお辞儀をした。

 

 律義なお辞儀だった。誰かに教わったお辞儀だった。

 

 「本日のゲストをご紹介します。壊理ちゃんです」

 

 「……壊理、です」

 

 「さっきも言ってくれたね」

 

 「……二回、言った方がいいかと、思って」

 

 (ちゃんと考えて言ってる……! この子、真面目だ)

 

 「どうぞ、座って」

 

 壊理がソファを見た。大きなソファだった。壊理の体の二倍はある。

 

 おそるおそる、ソファに腰掛けた。

 

 足が、床につかなかった。

 

 ぶらぶら、と宙に浮いた。

 

 (かわいい……! いや、番組に集中しろ俺)

 

 

 

 「今夜、壊理ちゃんに来てもらったのはね——」

 

 「……この番組は、どういう番組ですか」

 

 壊理が、真剣な顔で聞いた。

 

 「ゲストとお話をする番組だよ。三十分間」

 

 「……三十分、お話をする」

 

 「そう」

 

 「……それだけ、ですか」

 

 「それだけ」

 

 壊理が、少し考えた。

 

 「……怖いことは、ありませんか」

 

 徹郎は、少し止まった。

 

 (聞くか、この子は……)

 

 「怖いことはないよ。ここは安全な場所だから」

 

 「……本当に?」

 

 「本当に」

 

 「……ほんとうに、ほんとう?」

 

 (「本当に」を二回確認してくる……!)

 

 (この子は、「いいよ」と言われてから「やっぱりだめだ」と取り上げられることを、知っているんだ)

 

 「本当に、本当だよ。壊理ちゃんが安全でいられる場所にするから」

 

 壊理が、少しだけ肩の力を抜いた。

 

 「……わかりました」

 

 

 

 「最初に——一つだけ確認してもいいかな」

 

 「……はい」

 

 「壊理ちゃんは今、何歳ですか」

 

 「……六さい、です」

 

 (六歳。救出されてから雄英に来た後の壊理ちゃんだ。笑顔を取り戻している時期——)

 

 (荼毘が来た夜の絶望と、今夜の希望。この番組のランダムが、こういう順番で引き当てることがある)

 

 (……それが何を意味するのか、俺にはわからない。でも——なんとなく、ありがとう、と思った)

 

 「そっか、六歳か。今日は来てくれてよかったよ」

 

 「……ミリオさんが、テレビのお仕事があるから行ってみなさいって、言ってた」

 

 「ミリオさんが」

 

 「……デクさんも。楽しそうだよって」

 

 (あの二人が薦めてくれた……!)

 

 (ミリオさん、デクくん、あなたたちのおかげで今夜この子がここに来てくれた)

 

 「それはよかった。じゃあ——今日は楽しんでいこう」

 

 壊理が、少しだけ、頷いた。

 

 

 

 「壊理ちゃん、ちょっと待っててね」

 

 徹郎は、テーブルの小道具入れから一つのものを取り出した。

 

 透明なビニール袋の中に入った、小さな飴。

 

 赤い色だった。

 

 「これ、林檎味の飴なんだけど——食べてみる?」

 

 壊理が、飴を見た。

 

 見た。

 

 見続けた。

 

 「……食べても、いいですか」

 

 「もちろんだよ」

 

 少し、間があった。

 

 「……ほんとうに、いいですか」

 

 (また確認してくれた)

 

 (この子は——一度「いい」と言われても、信じきれない。だから確認する。それが、この子が生きてきた場所の話だ)

 

 「本当に、いいよ」

 

 「……ほんとうに、ほんとうに?」

 

 「ほんとうに、ほんとうに、いいよ」

 

 壊理が、少しずつ、手を伸ばした。

 

 小さな手で飴を受け取って、袋を開けて——口に含んだ。

 

 しばらく、沈黙があった。

 

 「……あまい」

 

 たった三文字だった。

 

 でも——その声には、驚きと、安堵と、何かもっと複雑なものが混ざっていた。

 

 「甘いものを初めて食べた」という顔ではなかった。

 

 「甘いものを、怖くなく食べられた」という顔だった。

 

 (林檎が好きなんだよな、この子は)

 

 (好きなものを、ただ好きなだけ食べられる場所に、ちゃんと来られたんだな)

 

 

 

 「壊理ちゃん、今日はコーナーを一緒にやりたいんだ」

 

 「……こーなー」

 

 「うん。世の中にある楽しいものを、壊理ちゃんに知ってもらう時間」

 

 「……たのしいもの」

 

 「そう」

 

 壊理が、少し考えた。

 

 「……壊理は、たのしいもの、あんまり知らないかも」

 

 「じゃあ一緒に見ていこう」

 

 「……うん」

 

 

 

 最初のアイテムは、カラフルな筒状の紙包みだった。

 

 「これはね、お祝いの時に使うもので——」

 

 パンッ。

 

 壊理の肩が、反射的に跳ねた。

 

 小さく、びくっと。瞬間、体が固まった。

 

 徹郎は動かなかった。何も言わなかった。

 

 待った。

 

 二秒か、三秒か。

 

 壊理の目が——落ちてくるキラキラのテープを、追った。

 

 金色と銀色の細いテープが、スタジオの照明を受けてゆっくりと舞い落ちてくる。

 

 「……きれい」

 

 壊理が呟いた。

 

 「これ……お祝いの、まほう……?」

 

 徹郎は、声が出なかった。

 

 一秒。

 

 二秒。

 

 (そうだよ、壊理ちゃん)

 

 (お祝いの魔法だよ)

 

 (君が生まれてきたことを、ただそれだけを、お祝いするための魔法だよ)

 

 (君の誕生日は十二月二十一日で、この世界は長い間君を呪ったけれど——本当は君が生まれた日をお祝いすべきだったんだ)

 

 「そう。お祝いの魔法。大事な人の誕生日とか、何か嬉しいことがあった日に、これで祝うんだ」

 

 「……大事な人の、たんじょうび」

 

 壊理は、テープを一本、そっと指でつまんだ。

 

 まじまじと眺めて、次にまた確認するように徹郎を見た。

 

 「……持って帰っても、いいですか」

 

 「いいよ」

 

 「……ほんとうに」

 

 「ほんとうに」

 

 壊理は、テープを両手で大事そうに包んだ。

 

 

 

 次のアイテムは、色鉛筆だった。

 

 二十四色入りの缶。蓋を開けると——

 

 壊理の目が、大きくなった。

 

 整然と並んだ色の列。緑、黄色、青、紫、オレンジ——そして。

 

 赤。

 

 壊理の手が、一瞬だけ止まった。

 

 赤の色鉛筆の前で。

 

 「……」

 

 徹郎は何も言わなかった。

 

 (焦るな。この子が、自分で決める)

 

 数秒の沈黙の後——

 

 壊理は赤の色鉛筆に、手を伸ばした。

 

 そっと、缶から引き抜いた。

 

 指の腹で、先端をなぞった。

 

 「……これで、絵を描いてもいいの」

 

 「描いていいよ」

 

 「……赤い色は」

 

 壊理は、色鉛筆を見ながら言った。

 

 独り言のような、でも確かに徹郎に向けた言葉。

 

 「……もう、怖くないから」

 

 スタジオが、静かになった。

 

 「……赤い林檎の絵を、描きたいな」

 

 徹郎は声が出なかった。

 

 一秒。

 

 二秒。

 

 (赤が、血の色じゃなくなった)

 

 (林檎の色になった)

 

 (ただそれだけのことが——なぜこんなに、胸の奥に刺さるんだ)

 

 「……うん。描こう」

 

 徹郎は静かに言った。

 

 「世界で一番赤い林檎を、描こう」

 

 壊理は少し考えてから——小さく、笑った。

 

 

 

 「壊理ちゃん、聞いていいかな」

 

 十五分が過ぎた頃、徹郎が言った。

 

 「……はい」

 

 「最近、誰と一緒にいる時が一番楽しい?」

 

 壊理は、即答しなかった。

 

 答えることが怖いのではなく——ちゃんと考えているのだとわかった。それだけで、徹郎は少し嬉しかった。

 

 「……ミリオさん」

 

 ゆっくりと、言葉を選ぶように。

 

 「デクさん。……みんな」

 

 「みんな、か」

 

 「……手が、あったかかったから」

 

 「手が」

 

 「……うん」

 

 壊理が、両手を膝の上で少し見た。

 

 「……前は、誰かに触られるのが、怖かった。手は怖いものだって、思ってた」

 

 徹郎は静かに聞いていた。

 

 「でも——ミリオさんが、服の上から、包んでくれた時。デクさんが、走りながら、離さないって……その手が、あったかくて。怖くなかった」

 

 「……そっか」

 

 「……今はもう、一人じゃないって、思えるの」

 

 スタジオが、静かだった。

 

 「先生も」

 

 壊理が、続けた。

 

 「相澤先生の手は、冷たいけど——でも、ちゃんと頭を撫でてくれる。それも、好き」

 

 (相澤先生……! それ聞いたら絶対に顔をそむけるな。でも本当によかった。あの人の手が——この子にとって安全なものになったんだ)

 

 

 

 「壊理ちゃん、個性のコントロールを練習してるって聞いたよ」

 

 「……うん」

 

 「どう?」

 

 壊理が、少し考えた。

 

 「……最初は、怖かった。自分の個性が——誰かを消してしまうかもしれないから」

 

 「でも?」

 

 「……デクさんが、言ってくれた」

 

 「何て?」

 

 壊理が、少しだけ目を細めた。

 

 「……『君の力だ』って。呪いじゃなくて、壊理の力だって」

 

 「……それを聞いて、どうしたの」

 

 「……信じようって、思った。まだ、うまくできないけど」

 

 「でも、やってみようって」

 

 「うん」

 

 壊理が、顔を上げた。

 

 「……誰かを助けたいから」

 

 (誰かを、助けたい)

 

 (この子がそれを言える日が来たのか)

 

 (「救からなくてはいけない」という義務感じゃなく——「助けたい」という意志として)

 

 「……壊理ちゃん」

 

 「はい」

 

 「それって、すごいことだよ」

 

 「……すごい?」

 

 「誰かを助けたいって思える人が——一番強いヒーローになれると思う」

 

 壊理が、少しだけ考えた。

 

 「……ヒーロー」

 

 「うん」

 

 「……壊理も、なれるかな」

 

 「なれると思う」

 

 「……ほんとうに?」

 

 「ほんとうに」

 

 「……ほんとうに、ほんとうに?」

 

 (また三段階確認……! でもこの子が「ほんとうに、ほんとうに?」と聞けるようになったことが、もうそれだけでとんでもないことなんだ)

 

 「ほんとうに、ほんとうに、なれると思う」

 

 壊理が、また——笑った。

 

 

 

 「……徹郎さん」

 

 壊理が、急に名前を呼んだ。

 

 「なんで知ってるの、俺の名前」

 

 「……ミリオさんが言ってた。黒柳さんって言ってたから」

 

 「そっか」

 

 「……あの。変なこと聞いてもいいですか」

 

 「なんでも聞いて」

 

 壊理が、じっと徹郎を見た。

 

 「……泣いてる、の?」

 

 徹郎は慌てて目元を押さえた。

 

 「泣いてない。目にゴミが入っただけ」

 

 壊理はじっと徹郎を見た。

 

 「……ウソ、だと思う」

 

 「バレたか」

 

 「……なんで、泣くの」

 

 徹郎は少し考えてから——正直に言った。

 

 「壊理ちゃんが笑うたびに——壊理ちゃんのために頑張った人たちが、報われる気がするから」

 

 壊理が、黙って聞いていた。

 

 「ミリオさんとか、デクくんとか。みんな、全力で——壊理ちゃんのために頑張ってくれた。その答えが、壊理ちゃんの笑顔なんだと思う」

 

 「……そうなの」

 

 「そう思う」

 

 壊理が、少し俯いた。

 

 それから、また顔を上げた。

 

 今日一番の笑顔だった。はにかむような、ほんの少し照れたような。

 

 でも確かに——そこにある笑顔だった。

 

 

 

 そのとき。

 

 ♪ ルールル ルルル ルールル ルルル ルールールールー ルールルー ♪

 

 エンディングのテーマが、流れ始めた。

 

 壊理が、きょとんとした。

 

 「……何の音?」

 

 「番組の終わりの曲だよ。お時間になりました」

 

 「……もうおしまい?」

 

 「うん。今日は来てくれてありがとう、壊理ちゃん」

 

 「……ありがとう、ございました」

 

 またきちんとお辞儀をした。

 

 「最後に——一言、もらえますか」

 

 壊理が、少し考えた。

 

 それから——色鉛筆の缶を、胸に抱えた。

 

 「……これ、持って帰っていいですか」

 

 「いいよ」

 

 「……ほんとうに」

 

 「ほんとうに」

 

 壊理が、缶をぎゅっと抱いた。

 

 「……あのね、徹郎さん」

 

 「うん」

 

 「壊理ね——もっと練習して、みんなに美味しい林檎を剥いてあげたいの」

 

 「林檎を?」

 

 「……うん。ちゃんと丸く、剥けるように」

 

 テーマ曲が、最後の段階へ移った。

 

 ♪ ラーララ ラララ ラーララ ラララ ラーラー ラーラーラー

  ラララ ラーラーラーラー ラララー ラーラーラーラー ♪

 

 徹郎は、声を出したら何かが崩れそうだったから——ただ、頷いた。

 

 (……林檎を、みんなに剥いてあげたい)

 

 (それでいい)

 

 (それだけでいい)

 

 (ヒーローたちが血を流して戦った意味は——この子の「みんなに林檎を剥いてあげたい」という言葉の中に、全部入っている)

 

 旋律が最後の一音まで鳴り切るとき——

 

 壊理の姿が、柔らかい光の中に、ゆっくりと溶けていった。

 

 テープが一本——床にふわりと落ちた。

 

 角から漏れた光が、最後にスタジオをやさしく照らして、消えた。

 

 

 

 目が覚めた。

 

 朝の——七時。

 

 布団の中で、徹郎はしばらく動かなかった。

 

 顔が濡れていた。

 

 (……また泣いた)

 

 でも今夜は——荼毘の夜とは種類が違う泣き方だった。

 

 荼毘の夜は、重くて、暗くて、どこにも逃げ場がなかった。

 

 今夜は——軽くはなかった。でも、温かかった。

 

 (今夜は、二人来た)

 

 「救われなかった過去」を持ってきた人と、「救われた後の現在」を生きている子が、同じ夜に来た。

 

 この番組のランダムが、そういう順番で引き当てた。

 

 意図はないはずだ。でも——

 

 (ヒーローが血を流して戦う意味が、何なのか)

 

 (あの小さな背中が、今夜全部教えてくれた気がした)

 

 攻略ノートを開いた。

 

 「壊理(6歳):今夜のゲスト。荼毘の後に来た。個性の余波で床の焦げが治った——荼毘の足跡が、消えた。林檎飴を食べた。パーティークラッカーの音に少し体が固まったが、すぐにテープを見て『きれい』と言った。赤い色鉛筆に一瞬止まったが、自分で手を伸ばした。『もう怖くないから』と言っていた。相澤先生の頭撫でを好きと言っていた(相澤先生に伝えたい。でも方法がない)。危険度:ゼロ。心への影響度:最高」

 

 ペンを止めた。

 

 最後の一行を書いた。

 

「※『みんなに林檎を剥いてあげたい』と言って消えた。……デクくん、ミリオさん、相澤先生。あなたたちが頑張った答えが、あの笑顔でした。覚えているのは俺だけで、伝える方法はないけれど——覚えている。それだけは、確かです。内緒」

 

 

 

 その日の学校帰り、スーパーに寄った。

 

 林檎が、特売されていた。

 

 手を伸ばして——買った。

 

 袋の中で揺れる林檎を見ながら、徹郎は歩いた。

 

 昨夜の荼毘の声が、また頭に来た。

 

 「まだ見てるぞ」

 

 その次に——壊理の声が来た。

 

 「もう、怖くないから」

 

 (救われなかった人がいた。救われた人がいた。どちらも、同じ夜に来た)

 

 (その二つを、覚えているのは俺だけだ)

 

 (それでも——覚えている。両方を、覚えている。それだけが、俺にできることだ)

 

 夜になれば、また鳴る。

 

 ♪ ルールル ルルル ルールル ルルル……♪

 

 明日のゲストは誰だろう。

 

 でも今夜は——林檎をちゃんと丸く剥いてみようと思った。

 

 練習のために。

 

 いつかあの子が「上手く剥けた」と言う日のために——俺は、今夜ちゃんと剥いてみる。

 

 それだけが、黒柳徹郎の仕事だ。

 

 




 第16話、壊理ちゃん回でした。「ほんとうに、ほんとうに?」という確認を、何度も書きました。許可を信じきれない子が、それでも手を伸ばす。その一歩一歩が、今夜の全てでした。
 「もう、赤くても怖くない」——それが言えるようになるまで、どれだけの時間がかかったか。でもその言葉を、この子は今夜言えた。
 荼毘の「まだ見てるぞ」と、壊理の「もう怖くないから」。どちらも忘れない。

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