僕のヒーローアカデミア 徹子の部屋(※違います) 作:まだら模様
攻略ノートに「オール・フォー・ワン」のページは、ない。
名前すら書いていない。
理由はひとつだ。
「この人が来たら、攻略ノートはたぶん意味をなさない」という確信が、前夜予告を見た瞬間から徹郎の中にあったからだ。
攻略ノートは、相手を理解するために書く。
でもこの人は——こちらが何かを理解する前に、全部わかった上でここに来る。
(来ないでくれ)
(頼むから来ないでくれ)
(死柄木より怖い。爆豪より怖い。オールマイトの百倍は怖い)
神様は今回も聞いてくれなかった。
眠りに落ちた瞬間——鳴った。
♪ ルールル ルルル ルールル ルルル ルールールールー ルールルー
ルールル ルルル ルールル ルルル ルールールールー ルルッルー
ラーララ ラララ ラーララ ラララ ラーラー ラーラーラー
ラララ ラーラーラーラー ラララー ラーラーラーラー ♪
今夜のテーマ曲は——いつもより、重かった。
気のせいかもしれない。でも徹郎には確かにそう聞こえた。旋律は同じだ。でも空気の密度が違う。スタジオに引き込まれた瞬間、肺が少し圧迫される感覚があった。
舞台袖から、ゆっくりとソファを確認した。
座っていた。
顔の大半が瘢痕に覆われ、口元だけが露出している。生命維持のチューブが首と顔に繋がれている。全身が、静かな重力を帯びている。
でも——微笑んでいた。
口元だけで。穏やかに。まるで旧知の友人を迎えるように。
「やあ」
低い、柔らかい声だった。
「待っていたよ、司会者くん」
徹郎の足が、動かなかった。
三秒。
五秒。
七秒。
(動け。動かないと番組が始まらない。番組が始まらないと三十分が経過しない。三十分が経過しないと「ルールル」が鳴らない。「ルールル」が鳴らないと——)
震える足を、無理やり前に出した。
「え、えー……皆様、こんばんは。本日もご覧いただきありがとうございます」
「ふふ」
笑い声がした。小さく、穏やかな笑い声だった。なぜかそれが、爆豪の怒鳴り声より怖かった。
「本日のゲストをご紹介——」
「いいよ、そういう前置きは」
声が、静かに割り込んだ。
「君と僕の間で、今更そういう体裁は要らないだろう? ねえ、黒柳徹郎くん」
名前を、呼ばれた。
「……どうして私の名前を」
「この番組に来たのは今夜が初めてだけど、君のことはずっと前から知っていたよ」
徹郎の背筋を、冷たいものが走った。
「夢の空間に定期的に個性を持つ少年が召喚してくる——そういう噂は、それなりに広い範囲に届くものだぜ」
「……」
「座りなよ。立ったままじゃ疲れるだろう」
オール・フォー・ワンが、対面のソファを示した。
まるでここが彼の部屋であるかのように、自然な仕草で。
(司会は、私だ)
(この番組の主導権は、私にある)
(……そう思いたいが)
徹郎はソファに、腰を下ろした。
「改めて——本日はご来場、ありがとうございます」
「どういたしまして」
「この番組のルールを——」
「知っているよ。三十分間のトーク番組を成立させれば君は目が覚める。失敗すれば意識がここに永久幽閉される。そうだろう?」
「…………はい」
「心配しなくていい。僕はここを壊すつもりはないよ」
オール・フォー・ワンが、ゆったりと足を組んだ。
「ただし」
「ただし?」
「条件がある」
「……どんな」
「今夜は、君が僕に話を聞かせてくれ」
徹郎が固まった。
「私が——あなたに?」
「そうだ。普段は君がゲストに話を聞く番組なんだろう? でも今夜は逆にしよう。僕が聞く。君が答える。それで番組を三十分間持たせてくれ」
「……それは番組のルール上——」
「ルール?」
口元が、わずかに動いた。
「誰がそのルールを決めたんだい。君の個性が自動的に作る空間なんだろう? ならルールも融通が利くはずだ。……それとも本当に、三十分間を誰かに喋り続けてもらわないと成立しない仕組みなのかな?」
(試されている)
徹郎は一瞬で判断した。
嘘をついてはいけない。この人は全部見通す。
「……番組が『成立』するかどうかは、私にもはっきりわかりません。ただ——主導権がゲスト側に移ると、うまく機能しない可能性が」
「なるほど。じゃあ取引しよう」
「取引」
「半分半分だ。前半の十五分は僕が聞く。後半の十五分は君が聞く。どちらかが機能しなかったら——まあ、そのときはそのときだ」
「……」
「嫌なら断っていいよ。ただその場合、僕はここで黙って座っている。三十分間、一言も喋らずに。それで番組が成立するかどうか、試してみるのも面白いかもしれない」
(詰んでいる)
(どちらを選んでも詰んでいる)
(なら、少しでもマシな詰み方を選べ)
「……わかりました。前半は、あなたが聞いてください」
「ありがとう」
穏やかな声だった。微塵も感謝していない声だった。
「では、最初の質問だ」
オール・フォー・ワンが、ゆったりと言った。
「君の出身は?」
「……普通の市街地です。雄英の学区外の、ごく普通の住宅地」
「ご両親は?」
「……共働きです。父が会社員で、母がパート」
「個性はいつ発現した?」
「中学二年の春です」
「発現してから今まで、誰かにこの個性のことを話したことはあるかい」
徹郎は、一瞬迷った。
「……家族には、話しています」
「友人には?」
「……話していません」
「なぜ」
「信じてもらえないと思って」
「それだけかい?」
「……あとは」
徹郎は少し考えた。
「知られたくない、という気持ちもあります。この個性のことを知られると、心配されるか、利用されるか、どちらかだと思っているので」
オール・フォー・ワンが、ゆっくりと頷いた。
「賢い子だ」
「……」
「利用される、という発想が自然に出てくる。それは——君がこの個性の危険性を正確に理解しているということだよ」
「危険性というのは」
「君の意識は毎晩ここに来る。誰が来るかわからない。失敗すれば戻れない。——それだけじゃなく」
口元が、また動いた。
「この空間を知っている人間が、それを意図的に利用しようとしたら、君はどう防ぐ?」
「……防げません」
「そうだろう。ゲストを選べない以上、呼ばれたくない相手が来ても拒否できない。つまりこの個性は——使う側ではなく、使われる側の可能性が常にある」
静寂。
「今夜の僕みたいにね」
徹郎は、返す言葉がなかった。
(わかってる。わかってた。でもこうして言葉にされると——)
「怖い顔をしなくていい」とオール・フォー・ワンが言った。「今夜は壊さないと言っただろう。約束は守るよ。僕は嘘をつくが、約束は別だ」
「……嘘とお約束の違いは何ですか」
「嘘は戦略だ。約束は契約だ。戦略は状況によって変わるが、契約には対価がある。今夜君が僕の質問に正直に答えることが、対価だ」
「……なるほど」
「続けよう」
「好きなヒーローはいるかい」
「……あなたに言うのは少し怖いですが」
「正直に言いなよ。今夜は対価として正直に答えると約束したじゃないか」
徹郎は少し間を置いた。
「オールマイトです」
「ふふ」
「笑いましたね」
「笑ったよ。そうか、オールマイトか。先週ここに来ていたのかい?」
「……来ました」
「どんな話をした?」
「笑顔の話を、しました。笑顔が武器であり、重荷でもある、という話」
「そうか」
少しだけ、声のトーンが変わった気がした。
「あいつも——そういうことを語る年齢になったんだね」
「……あいつ、と呼ぶんですね」
「長い付き合いだからね」
「対立してきた相手を『長い付き合い』と表現するのは——独特だと思います」
「ライバルとは、そういうものだよ」
オール・フォー・ワンが、ガラステーブルの上のグラスをゆったりと手に取った。
「弟も、そうだったから」
その言葉が、静かに落ちた。
「弟さんの話を、聞いてもいいですか」
徹郎が言った。
これは前半だ。まだオール・フォー・ワンが聞く番のはずだ。でも——この隙を逃したくなかった。
「……僕が聞く番なんだがね」
「わかっています。でも今だけ」
オール・フォー・ワンが、少しだけ黙った。
「いいだろう。特別に」
「与一さんのことは——今も、考えますか」
長い沈黙だった。
スタジオの空気が、ゆっくりと変わった。威圧から、何か別のものへ。
「考えるよ」
静かな声だった。
「毎日、とは言わないが——時々。あいつが読んでいた漫画の話題を見かけたとき。あいつが好きそうな季節になったとき」
「与一さんは、何が好きでしたか」
「漫画が好きだったね。ヒーローの話が好きで、よく読んでいた。僕は当時——そういう話が嫌いだったが、あいつのために少しだけ読んだこともある」
「どうでしたか」
「……悪くなかった」
口元が、少しだけ動いた。笑みとも、苦みとも取れる表情だった。
「正義が勝つ話は、嫌いだが——あいつが笑いながら読んでいるのを見るのは、嫌いじゃなかった」
「……」
「それを言えるのは、夢の中だからだよ」
静かに言った。
「現実では絶対に言わない。言う必要がない」
「この番組が——そういう場所になれているなら、よかったです」
「君は毎回そう言うのかい」
「……前の三人にも、言いました」
「ふふ。律儀な子だ」
穏やかな声だった。先ほどとは少し違う、わずかに温度のある声だった。
「後半は僕が聞いていいね?」
「……はい。お願いします」
「では」
オール・フォー・ワンが、ゆっくりと徹郎の方へ身を傾けた。
「君は——この世界の未来を、どのくらい知っている?」
徹郎の、心臓が止まった。
「……え」
「とぼけなくていい。先ほどから気になっていたよ。君の反応が、一般の高校生にしては少し——知りすぎている」
「……それは、ニュースや雑誌で——」
「死柄木のことをあれほど詳細に把握している一般市民はいない。爆豪勝己の装備の欠陥を正確に指摘できる高校生もいない。オールマイトの内面をあそこまで引き出せる司会者も、普通は育たない」
一つ一つが、刃のように刺さってきた。
「……」
「君は何かを、知っている。この世界の——先のことを」
「……知りません」
「嘘だよ」
穏やかに、しかし確信を持って言われた。
「今夜の約束は、正直に答えることだったはずだ」
徹郎は、奥歯を噛んだ。
(言えない。言ったら終わる。転生者だと知られたら——この人は、その情報をどう使うかわからない)
「……答えられません」
「答えられない、か」
「はい。ここは——答えられない、です」
しばらく沈黙が続いた。
「わかった」
オール・フォー・ワンが、静かに言った。
「無理には聞かない。その代わり——」
身体が、わずかにこちらへ傾いた。
「次に会ったとき、教えてくれ」
「……次に会う、とは限りません。ランダムなので」
「会うよ」
確信に満ちた声だった。
「君のことが、少し気に入ったから。気に入った子のところには、また来たくなる。それが僕の悪い癖だぜ」
(それが一番怖い発言だ、今夜の中で)
そのとき。
♪ ルールル ルルル ルールル ルルル ルールールールー ルールルー ♪
エンディングのテーマが、流れ始めた。
魔の三十秒。
今夜は——この三十秒が、一番危ない。徹郎には確信があった。
「——では、お時間となりました」
「早いね」
「オール・フォー・ワンさん、本日は来ていただいて——」
「最後に一言、だろう?」
「……はい」
オール・フォー・ワンが、立ち上がった。
その存在感が、スタジオに満ちた。オールマイトとは種類の違う圧力だった。
「司会者くん」
「はい」
「君は——よくやっているよ」
徹郎が、意表を突かれた。
「毎晩、誰が来るかもわからない状況で、この仕事を続けている。ヴィランが来ても、壊れない。それは——才能だよ」
「……」
「その才能を、無駄にしないでくれ」
穏やかな声だった。
そこに何の悪意も感じなかった。それが——最も恐ろしかった。
「次に会うときを、楽しみにしているよ」
テーマ曲が、最後の段階へ移った。
♪ ラーララ ラララ ラーララ ラララ ラーラー ラーラーラー
ラララ ラーラーラーラー ラララー ラーラーラーラー ♪
旋律が最後の一音まで鳴り切るとき——
その瞬間。
オール・フォー・ワンの指が、テーブルを越えて、徹郎の額のすぐそばに——
触れなかった。
一センチ手前で、止まった。
「——次回も、楽しみにしているよ」
それだけ言って。
彼の姿が、溶けるように消えた。
目が覚めた。
朝の——何時かもわからなかった。
布団の中で、徹郎はしばらく動けなかった。全身が汗で濡れていた。手が震えていた。足も震えていた。
(生きた)
(生きた生きた生きた——)
ゆっくりと、手を顔に当てた。
額のあたりを、そっと触れた。
何もない。何も変わっていない。ただの皮膚だ。
でも。
「……」
何かが——残っている気がした。
感触、ではない。もっと別の何か。「見られた」という感覚。「記録された」という感覚。
徹郎は布団の中で、膝を抱えた。
しばらく、そのままでいた。
攻略ノートを開いたのは、三十分後だった。
今まで空白だったページに、震える手で書いた。
「オール・フォー・ワン:全部わかった上で来る。攻略しようとするな——される前提で動け。嘘は見抜かれる。正直に答えるか、答えないかの二択しかない。弟(与一)の話は有効——ただし、そちらに誘導してくる可能性がある。転生者知識には絶対に気づいている。次回以降、必ず『未来の話』を聞いてくる。答えを用意しておくこと——ただし、どう答えても危険。危険度:最高。でも、壊さない。たぶん。おそらく。祈る」
ペンを止めて、しばらく考えて、最後の一行を書いた。
「※『才能を無駄にするな』と言われた。褒め言葉として受け取るべきかどうか、全くわからない。とにかく——次が来る前に、何か対策を考える。何かを。何かを絶対に」
その日、徹郎は学校に行けなかった。
体調不良、と親に言った。嘘ではなかった。
布団の中で天井を見ながら、今夜のことを整理しようとした。
整理できなかった。
わかったことは一つだけだ。
オール・フォー・ワンは、また来る。
「次を楽しみにしている」は脅しではない。本当にそう思っている。そういう人間だ。
そして彼は、徹郎の転生者知識に気づいている。次回は必ず、それを聞いてくる。
どう答えるか。
何を話して、何を隠すか。
話すことで何が変わるか。
隠すことで何を守れるか。
(わからない)
(全部わからない)
布団の中で、徹郎は目を閉じた。
夜になれば、また鳴る。
♪ ルールル ルルル ルールル ルルル……♪
明日のゲストは——誰でもいい。
オール・フォー・ワン以外なら、誰でも。
(爆豪でもいい。死柄木でもいい。頼む)
それだけが、今の黒柳徹郎の正直な気持ちだった。