僕のヒーローアカデミア 徹子の部屋(※違います) 作:まだら模様
攻略ノートの「轟焦凍」のページには、たった一行しか書いていない。
「エンデヴァーの話は、絶対にするな」
その一行の下に、今日は少し付け加えた。
「あと——蕎麦の話をすれば五分は稼げる(情報源:原作知識)」
それだけだ。
轟焦凍は、ある意味で一番「普通の高校生」に近いゲストだと思っていた。
爆豪みたいに爆発しない。死柄木みたいに崩壊しない。AFOみたいに全部見通してこない。お茶子みたいに浮かない。
ただ——家庭が、地雷原だ。
エンデヴァー。轟冷。兄弟たち。
踏まないように。絶対に踏まないように。
(できる。これはできる案件だ)
眠りに落ちた瞬間——鳴った。
♪ ルールル ルルル ルールル ルルル ルールールールー ルールルー
ルールル ルルル ルールル ルルル ルールールールー ルルッルー
ラーララ ラララ ラーララ ラララ ラーラー ラーラーラー
ラララ ラーラーラーラー ラララー ラーラーラーラー ♪
スタジオに引き込まれた瞬間——
寒かった。
左側が。
右側は——温かかった。
徹郎は舞台袖から、ゆっくりとスタジオを確認した。
ソファに座っているのは、白と赤の髪を持つ少年だった。
静かに座っている。腕を組んでいる。正面を見ている。
左目の周囲に、火傷の跡。
「……ここは、夢か」
低く、静かな声だった。
「そうです。夢です」
「……そうか」
それだけ言って、轟はまた正面を向いた。
「えー……皆様、こんばんは。本日もご覧いただきありがとうございます」
「ああ」
「本日のゲストをご紹介します。雄英高校ヒーロー科一年、轟焦凍さんです」
「……俺が、ゲスト」
「はい」
「……で、お前が司会」
「そうです」
「……この番組の名前は」
「徹子の部屋、です」
轟が、わずかに目を細めた。
「……蕎麦屋ではないのか」
「違います」
「……見た目がそれっぽかった」
どこが、とは聞かなかった。スタジオのどのあたりが蕎麦屋に見えたのか、全く見当がつかなかったが、きっと轟の中では何かが蕎麦屋に見えたのだろう。
「……座っていいか」
「もうソファに座ってますよ」
「……そうだな」
轟が、少し視線を落とした。
「……この夢は、どういう仕組みだ」
「私の個性で作られた夢の空間です。ゲストと三十分間、トーク番組をします」
「……三十分」
「はい」
「……短くはできないか」
「できません」
轟が、小さく息を吐いた。不満とも、諦めとも取れる息だった。
「……わかった。やる」
最初の十分は——寒かった。
会話が続くかどうかという意味で。
轟の受け答えは短い。最低限の言葉しか使わない。「ああ」「そうか」「なるほど」。徹郎が話題を出しても、轟は三言以内で完結させる。
(これは、別の意味でキツい)
(死柄木とAFOは怖かった。爆豪は忙しかった。お茶子は楽しかった。轟は——静かすぎる)
「……轟さん、好きな食べ物とかは」
「蕎麦」
「冷たいのと温かいの、どちらが」
「冷たいやつ」
「こだわりはありますか」
轟が、わずかに止まった。
「……こだわり」
「蕎麦のこだわりです。コシとか、出汁とか」
「……ある」
「教えてもらえますか」
轟が、少し徹郎を見た。
「……本当に聞くか」
「はい。時間が三十分あるので」
「……わかった」
そして——轟が喋り始めた。
蕎麦の話は、轟を変えた。
口数が増えた、というより、言葉の密度が変わった。
普段の三言が、五言になり、七言になり、いつの間にか段落になっていた。
「……コシは産地で全然違う。同じ蕎麦粉でも挽き方で変わる。出汁は返しの配合が肝で、甘めの返しは冷たい蕎麦に合うが、温かいのには少し辛口が——」
「すごい詳しいですね」
「……好きだから」
「どこで覚えたんですか」
「……子供の頃、近所に蕎麦屋があった。そこの親父が色々教えてくれた」
「良い思い出ですね」
「……まあ」
短い返答だったが、少しだけ声のトーンが柔らかかった。
そのとき——スタジオの気温が、わずかに上がった。
右側が、ほんのりと温かくなっていた。
(蕎麦の話をしているとき、轟の右側の温度が上がる)
(……これは良い兆候だ)
「じゃあ、今日のために蕎麦を用意しました」
「……は」
徹郎はスタッフテーブルから、ざるそばの器を二つ持ってきた。
轟が、目を丸くした。
「……用意していたのか」
「はい」
「……なぜ」
「あなたが好きだと知っていたので」
轟がしばらく器を見ていた。
「……食べていいか」
「どうぞ。食べながら話しましょう」
「……」
轟が、箸を取った。
一口。
「……」
二口。
「……出汁が甘い」
「蕎麦屋さんに頼んで作ってもらいました」
「……どこの」
「この夢の空間内の架空の蕎麦屋です」
「……そうか」
三口。
「……まあ、悪くない」
それが轟の最大の賛辞だと、徹郎には何となくわかった。
蕎麦を食べながら、十五分が過ぎた。
最初の静寂が嘘のように、轟は喋っていた。
蕎麦の話から始まり、訓練の話になり、クラスメイトの話になった。
「……緑谷は、変わった奴だ」
「どんなふうに」
「……諦めない。普通の奴は、あそこまで追い詰められたら一度止まる。でもあいつは止まらない。怖くないのかと思う」
「怖いんじゃないですか。でも止まれない」
「……そうかもしれない」
「あなたも、似たところがありませんか」
轟が、少しだけ徹郎を見た。
「……俺は、止まったことがある」
「今は?」
「……今は、動いている」
それだけだった。でも、それだけで十分だった。
「……何で動いているんですか」
「……なりたい自分になるために」
静かな声だった。
「誰かの道具でなく。誰かの否定でもなく。ただ——俺が、なりたい姿に、なるために」
スタジオの気温が、また少し上がった。今度は右側だけでなく、少し全体が。
残り八分。
徹郎の頭の中で、攻略ノートの一行が点滅していた。
「エンデヴァーの話は、絶対にするな」
(しない。絶対にしない)
「——轟さん、最後に一つだけ」
「ああ」
「お母さんへのプレゼントを考えたことはありますか」
轟が、少し止まった。
箸を置いた。
「……母さんに」
「はい。もし何か贈るとしたら、何を選びますか」
しばらくの沈黙。
スタジオの左側が、少しだけ冷えた。右側が、少し温まった。
「……難しいな」
「難しい?」
「……母さんは、今、会えない状況で」
「そうですか」
「……ずっと、俺のせいだと思っていた。違うと、今はわかっているが——それでも、何を贈っていいか、わからない」
「謝りたいですか」
「……謝った。もう、謝った」
「じゃあ——ただ、会いたいですか」
轟が、正面を向いたまま、少しだけ息を吐いた。
「……ああ」
一言だった。
でも、一言の重さがあった。
「……そのうち、会える気がしますよ」
徹郎は、転生者知識から確信を持って言った。
「……お前がそう言うなら、そうかもしれない」
轟が、わずかに口の端を動かした。
笑ったわけではない。でも、笑みに近い何かだった。
そのとき。
「——ところで」
轟が、静かに言った。
「お前、さっきから気になっていることがある」
徹郎の背中に、冷たいものが走った。
「な、なんでしょう」
「……俺が言っていないはずのことを、知っているような聞き方をする」
(来た)
「……そんなことは」
「母さんが『今、会えない状況』だと、俺は言ったか?」
「……言いましたよ、さっき」
「その前に、お前は『会えない』という前提で質問してきた」
徹郎が、言葉を失った。
「俺の話を聞いて引き出したのか、それとも——最初から知っていたのか」
スタジオの温度が、ゆっくりと下がり始めた。
左側から。
「……夢の番組なので、ゲストの情報が何となく伝わることが——」
「お前、嘘が下手だ」
轟が、静かに言った。
怒鳴らない。冷やさない。ただ、見ていた。
「……一つだけ聞く」
「はい」
「お前が知っている俺の情報は——俺の家族のことも含めて、全部か」
(全部じゃない。でも、かなり多い)
「……言えない部分もあります」
「どこまで知っている」
「……かなり、知っています」
「兄弟のことも?」
徹郎の、心臓が止まった。
(轟には兄弟が四人いる——燈矢、冬美、夏雄、そして)
(今の轟は、まだ知らない。荼毘の正体を)
(ここで何を言っても、何を言わなくても——)
「……兄弟のことは」
徹郎は、一秒考えた。
「……長く話せることではないです。あなたが、自分で知っていく話だと思っています」
轟が、じっと徹郎を見た。
「……それは、どういう意味だ」
「未来の話は、番組ではできません。ただ——」
「ただ」
「……あなたの家族の話は、今夜が終わっても、続いていきます。それは確かです」
轟が、長い間黙っていた。
スタジオの温度が、じわじわと変化していた。左側が冷え、右側が熱を持ち始めた。感情の渦が、気温に滲み出ていた。
「……お前、何者だ」
静かな声だった。
怒りではない。でも、真剣な問いだった。
「……ただの高校生です」
「嘘だ」
「……嘘じゃないです。ただ、少し——色々知りすぎています。その理由は、今は言えません」
「いつか言えるか」
徹郎は少し考えた。
「……また来てくれれば、少しずつ話せるかもしれません」
「また来る」
「ランダムなので、来るかどうかは——」
「来る」
轟が、断言した。
「……来る。お前に、聞きたいことができた」
(やばい。轟くんが真剣モードに入った)
(天然だと思っていたのに、一番核心に近いところを掴んでいる)
(真面目な奴の追求が、一番逃げ場がない——)
そのとき。
♪ ルールル ルルル ルールル ルルル ルールールールー ルールルー ♪
エンディングのテーマが、流れ始めた。
魔の三十秒。
今夜の轟は——このタイミングで質問を続けてきそうだった。
「——では、お時間となりました」
「待て」
「お時間です」
「一つだけ」
「轟さん——」
「お前に、質問がある。一つだけ」
徹郎は、一瞬迷った。
(答えられる質問なら、答える。答えられなければ——)
「……どうぞ」
轟が、まっすぐ徹郎を見た。
「お前は——この番組が怖くないか」
「……え」
「毎晩、誰が来るかわからない。失敗したら目が覚めない。それを、怖くないか」
徹郎は、少し間を置いた。
「……怖いです。毎晩、怖いです」
「なのに続けている」
「……続けるしか、ないので」
轟が、少し目を細めた。
「……俺と、似てるな」
「……そうですか」
「やめたくてもやめられない。逃げたくても逃げられない。でも——続けることで、何かが変わっていく。そういう話だろ」
「……そうかもしれません」
轟が、静かに立ち上がった。
「最後に一言、いただけますか」
「……そばの出汁、もう少し辛めにしろ」
「…………それだけですか」
「……あと」
少し間があった。
「続けていれば——何かが変わる。俺はそれを、最近学んだ。お前も、たぶんそうだ」
テーマ曲が、最後の段階へ移った。
♪ ラーララ ラララ ラーララ ラララ ラーラー ラーラーラー
ラララ ラーラーラーラー ラララー ラーラーラーラー ♪
旋律が最後の一音まで鳴り切るとき——轟の姿が、薄い霧の中に溶けていった。
左から冷気が。右から熱が。
それが交じり合いながら、消えた。
スタジオの温度が、ゆっくりと元に戻った。
目が覚めた。
朝の五時。
布団の中で、徹郎はしばらく天井を見ていた。
喉が、少しガラガラだった。
(……やはり温度差は体に来る)
体を起こして、攻略ノートを開いた。
「轟焦凍」のページの一行目の下に、書き足した。
「今夜来た。蕎麦の話は有効——かなり喋る。出汁は辛口の方が好きらしい(次回に備えること)。感情が温度に出るので、スタジオの体感で心理状態がわかる。天然に見えるが、核心を掴む洞察力がある。転生者知識に気づいた——次回は確実に追及される。エンデヴァーの話は今夜も回避できた。母さんの話は有効——大切に使うこと。危険度:中(ただし核心を掴まれると高)」
最後の一行を書いた。
「※喉がガラガラ。次回は防寒具と冷却シートを用意すること。あと蕎麦の出汁を辛口に変える。……轟くんは癒やし枠だと思っていたが、別の意味で死ねる可能性があることが判明した。内緒」
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その日の学校の帰り道。
スーパーの前を通った。
なんとなく足が止まった。
蕎麦のコーナーに、乾麺が並んでいた。
出汁の素が、隣に置いてあった。
徹郎は少し考えて——蕎麦と、辛口の出汁の素を、カゴに入れた。
レジに向かいながら、ふと思った。
これは何のための買い物だろう。
夢の中に現実の食材は持ち込めない。当然だ。
でも——「出汁を辛口にする」と決めた。
それはただ、次に轟が来たときのための準備だ。
(そういうことだ。それだけだ)
夜になれば、また鳴る。
♪ ルールル ルルル ルールル ルルル……♪
明日のゲストは誰だろう。
また轟だったら——辛口の出汁と、彼の「聞きたいことができた」という言葉の答えを、考えておかなければならない。
(どう答える。転生者のことを、どこまで言える)
(言えない。でも、嘘もつけない)
(どうする)
答えは、まだ出ていない。
それだけが、今の黒柳徹郎の宿題だ。
今回の轟回、自分でもかなり熱を入れて書きました。もし少しでも心に刺さったら、評価や感想で応援いただけると、徹郎の生存率(と執筆モチベーション)が上がります!