【五行を統べる半妖は】冷徹に異能学園の頂点を目指す――ⅩⅢ 現代群像戦線 作:神野あさぎ
暦は皐月。休日のこと。
一年A組の面々が街へ繰り出し親交を深めているその裏で、
名目はあくまで定期検査。しかし、その実態は限りなく人体実験に近い。
壁も天井も、視界に入るすべてが白で統一された無機質な空間。
その中央で、辛の身体は空中に固定されていた。
衣服の着用は一切許可されていない。両手首には冷たい金属の枷が嵌められ、そこから伸びるワイヤーが天井の装置へと接続されている。
足先がわずかに床から浮く、意図的に関節へ負荷をかける悪辣な態勢だった。
「……っ」
無防備な肉体を晒す羞恥と、肩回りの筋肉を軋ませる鈍い苦痛。
辛は顔を伏せ、ただ静かに耐えることしかできない。
一枚の分厚い強化ガラスを隔てた向こう側は観測室になっている。
白衣を纏った研究員や監査員たちが計器類と向き合い、その端には治療待機要員として召集された父・
「辛っ……」
ガラス越しに息子の惨状を見つめる北王の口から、微かな声が漏れる。
これから行われるであろう過酷な行程を予測し、その表情は険しく硬直していた。
観測室のモニター群には、辛の心拍数、脳波、そして体内の異能波長を示すグラフが絶え間なく更新されている。
「全てにおいて安定。次」
主任らしき研究員の無機質な声が響く。
その指示を合図に、防護服を着た数名の職員が実験室へ入室した。
彼らは一切の感情を交えることなく、空中に吊るされた辛の肉体へ無数の電極パッドを貼り付けていく。
外部から電流を流し込み、異能と肉体がどう反応するかを観測する強制負荷実験。
宙吊りという身体的ストレスに、高圧電流による神経系への直接的なダメージが加わる。
それは検査というヴェールを被っただけの、純然たる拷問だった。
「これも目立った変化は無し。安定か」
数値の推移を確認した研究員が淡々と記録をとる。
見守る北王の額に、じわりと冷や汗が滲んだ。
辛の頬にも一筋の汗が伝い落ちる。
肉体を焼くような痛覚を冷徹な思考で押さえ込み、意識のレベルを正常に保つ。
だが、ⅩⅢの暗部が用意した本番はここからだった。
「っ!」
電極が手際よく回収されると同時、職員たちが細長い特殊な針を取り出した。
その先端の銀色の輝きを視界に収めた瞬間、辛の瞳孔がわずかに収縮する。
外見は医療用の極細針だ。刺突そのものによる物理的な痛みはほぼ無いに等しい。
だが、それはⅩⅢの技術によって特殊な加工が施された代物だった。
職員の手によって、辛の経穴を正確に狙うように針が打ち込まれていく。
「っ!! ……はあっ」
直後、全身の神経を刃で削り取られるような鋭い激痛が走った。
針そのものに、神経を過敏にさせる異能の波長が定着させられている。
辛は乱れる呼吸を必死に統制しようと試み、拘束された両手の拳を限界まで握りしめた。
「……安定。次」
研究員の短いコールが落ちる。
打ち込まれた針の末端に、細いケーブルが次々と接続されていった。
そこから流し込まれるのは物理的な電流ではない。抽出された異能の因子コードだ。
他者の異能因子を直接体内に流し込まれれば、自身の保有する異能と激しい反発を起こし、深刻な拒絶反応を引き起こす。
異能は使用者の生命力や神経網と密接に結びついており、その衝突がもたらす破壊的な激痛は、人間の許容量を容易く凌駕する。
「痛っ……くっ……ぁっ」
辛の口から、抑えきれない苦悶の呻きが漏れ出た。
内臓を直接握り潰されるような強烈な痛覚が、脳髄を容赦なく揺さぶる。
北王はガラス越しにその惨状を見守ることしかできず、白衣のポケットの中で両手を固く握りしめた。
「半妖による身体の変化はあるか」
「異常は見当たりませんね」
「次のコードを」
ガラスの向こうでは、研究員たちが被検体の苦痛を一顧だにせず、モニターの数値を冷徹に記録し続けている。
異能因子コードの注入と、波長が落ち着くまでの数分間のインターバル。そして再び別のコードを注入する。
その反復は、辛の精神を確実に削り取っていく。
何度目かの波長注入が終わり、ようやくすべての数値が基準値内に収まったと判断が下される。
ワイヤーのロックが解除され、辛の肉体が床へと崩れ落ちた。手首の枷は嵌められたままだ。
「はぁ……はぁ……」
冷たい床に横たわった辛は、全身から大量の汗を流し、激しく肩を上下させていた。
その瞬間、待機を命じられていた北王が足早に実験室へと入室する。
倒れ伏す息子の背中に手を回し、上体を起こして容体を素早く確認した。
「辛っ! しっかり……」
「……ぁ」
北王の切迫した呼びかけに対し、辛の喉からは掠れた音しか出ない。自我を保つための防衛本能として、意識のレベルが極端に低下していた。
「こんなことをして……何がっ」
「半妖と人間との違いの確認。そして今回『魔』で暴走した生徒と接触した。暴走の危険がないか確かめるのは当然のことでは?」
北王の糾弾を、研究員は至極当然の理を説くように切り捨てた。
「だが、安心しろ。次は痛みではない。快楽だ」
「何?」
続く言葉の異様さに、北王が鋭く反応する。
辛の意識は深い疲労の底へと沈んでいた。
「半妖の身であるそいつには人間と違い『時期』が決まっている。ではその『時期』以外でもし刺激が加わればどうなる? それを前々から確かめてみたいと話題になってな。大分成長したことだし良いだろう」
研究員の口元が、知的好奇心を満たそうとする醜悪な弧を描く。
周囲に控える他の職員たちも、口々に同調し不気味な笑みを浮かべた。
「ま、待て! こいつはまだ高校一年生だぞ」
北王は倫理観と年齢を盾に抗議の声を上げる。
医師として、そして親として、これ以上の異常な干渉を許容するわけにはいかなかった。
「北王医師、治療が終わったら離れて貰えないかな? 貴様の息子二人の命は我々ⅩⅢが握っているのを忘れるな」
「くっ……」
絶対的な権力構造を突きつけられ、北王の顔が苦渋に歪む。
反逆は、息子たちの死に直結する。突きつけられた理不尽に耐えながら、北王は自身の治癒の異能を展開した。
淡い光が辛の肉体を包み込み、焼け焦げた神経や損なわれた組織を修復していく。体表に残った極細の針を慎重に抜き取り、せめて物理的な痛みだけは完全に取り除いた。
「五分休憩の後、次のフェーズへ移行する」
研究員の通達により、短いインターバルが設けられた。
手枷を嵌められたままの辛は、部屋の中央に用意された寝台へと移動させられる。両腕を頭上へ引き伸ばされた状態で強固に固定され、完全に自由を奪われた。
「……はぁ」
治癒によって呼吸が安定し、神経の痛みが引いたことで、辛の意識がゆっくりと浮上する。
次はどのような負荷がかけられるのか。肉体的な破壊か、精神への干渉か。
天井を見つめながら、辛は冷たく稼働し始めた脳で予測を立てる。
規定の時間が過ぎ、北王が退出させられた直後、数名の研究員が新たな機材を持ち込んで入室してきた。
彼らの手には、先ほどと同じ極細の針が握られている。
その無機質な先端を視界に捉え、辛の全身の筋肉が反射的に硬直した。
無防備な肉体の数カ所に、次々と針が打ち込まれる。
だが、予想していた破壊的な痛覚は襲ってこなかった。
代わりに、知覚神経の根元を撫でられるような、言語化し難い感覚が広がっていく。
なんだ? 痛くないどころか……なんだか……。
不快感でも激痛でもない。自己の制御を離れた奇妙な反応に、辛の思考にわずかなノイズが混じる。
その正体を論理的に解析しようとした矢先、一人の研究員が辛の首筋に注射器の針を押し当てた。
冷たい液体が血流に乗って体内へと送り込まれる。
直後、辛の深部体温が異常な速度で上昇を始めた。
「はぁ……はぁ……ぁっ……」
自律神経の制御が効かず、呼吸のペースが強制的に乱されていく。
ガラスの向こうでは、予期した反応を得た研究員たちが満足げな表情を浮かべていた。
「精神に振れが生じていますが、想定内」
「一発で薬を引き当てたか」
「これはもっと実験のしがいがありますね」
被検体を単なるモルモットとしか見ていない無遠慮な言葉が交わされる。
観測室の隅で、北王は己の無力さを呪うように、手のひらに爪が食い込むほど拳を握りしめていた。
実験室では、辛の身体に刺さった針へ再びケーブルが接続されていく。
流し込まれるのは、脳内の報酬系や特定の神経伝達物質を強制的に分泌させる特殊な波長。
半妖の持つ本能的な機能を、薬物と異能の二つのアプローチで強引に引きずり出すためのトリガーだった。
「はぁ……っ!? 何っ……なんだ……これ……あっぁっ! やめっ」
急激にせり上がる異常な熱量と、脳を侵食する強制的な快楽信号。
辛の白い肌が朱に染まり、抑えきれない呼気が漏れる。
己の意思とは無関係に反応する肉体に恐怖を覚え、両足の筋肉を弾かせながら頭上の拘束を振り解こうと足掻いた。だが、頑強な手枷は微動だにせず、手首に擦過傷を作るだけだった。
異能による反発も、拘束具の機能によって完全に封じ込められている。
「半妖と言っても本能を刺激すれば……ふむ」
「痛みよりこちらの方が仕置としては効果的かもしれませんね」
「次の波長も試してみよう」
スピーカー越しに届く研究員たちの観察結果と、自身の制御を失った生々しい息遣いだけが、白い部屋に虚しく反響する。
「ぁっ……っ……」
論理による思考の構築が、本能的な信号によって強制的にシャットダウンされていく。
未知の生理現象がもたらす快楽の波。そして、己の理性と尊厳が薬物と異能によって強制的に書き換えられていくことへの絶対的な恐怖。
辛の頬を、熱を持った汗が伝い落ちる。
抵抗する術を奪われたまま、辛の意識は抗えない波の底へとゆっくりと沈んでいった。