【五行を統べる半妖は】冷徹に異能学園の頂点を目指す――ⅩⅢ 現代群像戦線 作:神野あさぎ
文月の初めの休日。
壁、天井、床。視界を構成するすべての要素が純白で統一された無機質な空間。
その中央に設置された冷たい金属台の上で、辛の肉体は仰向けに固定されていた。
衣服の着用は一切許可されていない。
両手は頭上で強固な枷に繋がれ、両足もまた台の端へ厳重に拘束されていた。
無防備な肉体を冷気に晒されながら、辛はただ視線を虚空へと向ける。
今回はどんな検査になることやら……。いや、人体実験か。
無言のまま天井の照明を見つめる。
一枚の分厚い強化ガラスを隔てた向こう側には観測室が存在する。
白衣を纏った研究員や監査官たちが計器類と向かい合う中、その端には父である
「また、皐月の時みたいに……」
北王の口から、微かな呟きが漏れる。
これから執り行われるであろう過酷なプロセスを予測し、その顔の筋肉が強張っていた。
観測室のモニター群には、辛の心拍数、脳波、そして体内の異能波長を示すグラフが絶え間なく更新されていく。
「前々から話題にあがってね……我々は興味があるんだよ」
主任らしき研究員の抑揚のない声が、北王の耳を打つ。
北王の脳裏に、皐月に行われた定期検査の凄惨な光景が鮮明にフラッシュバックした。
「お前ら、何をする気だ」
北王が研究員たちを鋭く睨みつけ、低い声で問う。
「北王医師、第一子はどうやって産まれた?」
「何?」
研究員の唐突な問いに、北王は思わず声を上げた。
辛がこの世に生を受けた経緯。
特殊な因子から生成された『妖』と呼ばれる存在。ⅩⅢの研究員たちは、それと北王を強制的に交わらせた。
その非道な実験の果てに生み出されたのが、辛という半妖だった。
「お前ら!」
北王の手が伸び、主任研究員の白衣の胸ぐらを強く掴み上げる。
「良いのかな? キミ達の命は……」
「っ!」
研究員の冷え切った言葉に、北王の指から力が抜けた。
どれほどの実力を持っていようとも、巨大な治安維持機構であるⅩⅢというシステムそのものを打倒することは不可能に近い。
幽閉されている次男、
隔離室の中。
数名の研究員が、無言のまま辛の傍らへ歩み寄る。
その手には、不気味な光沢を放つ医療用の長針が握られていた。
対象が視界に入った瞬間、辛の全身の筋肉が反射的に硬直する。
痛みか……それとも……。
額に一筋の冷たい汗が伝う。
彼の中に生じた嫌な予感は、即座に現実のものとなった。
「……っ」
固定された肉体の要所へ、次々と針が打ち込まれていく。
不快感も激痛もない。知覚神経の根元を直接撫でられるような、理性を揺さぶる未知の感覚が神経網を駆け巡る。
「……ん……はぁ……っ」
辛の口から、制御をすり抜けた吐息が漏れる。
体温が不自然に上昇し、皮膚の下で血流が脈打つのがわかった。
「やれ」
観測室からの無機質な指示がスピーカー越しに響く。
研究員の一人が、辛の首筋に注射器の針を静かに押し当てた。
冷たい液体が動脈へと注ぎ込まれ、体内を瞬時に巡っていく。
「……っ!?」
強制的な生理反応。
辛の意思とは完全に切り離されたところで、肉体が熱を帯び、過剰な興奮状態へと強制移行させられる。
観測室のガラス窓に、北王が両手を強く押し当てた。
「辛っ!!」
目の前の惨状を止める術を持たない己への苛立ちが、その叫びとなって観測室に響く。
辛の呼吸が次第に荒く、不規則なリズムを刻み始める。
そこへ重い電子音と共にドアが開き、新たな人影が入室してきた。
仮面で顔を覆われ、意志を奪われたかのように歩行する女性。
その身に衣服は纏われていなかった。
「……はぁ……ぁ?」
辛は乱れる視界の端でその姿を捉え、理解が追いつかずに首を微かに動かす。
女性は研究員に腕を引かれ、辛の傍らへと導かれた。
そして、固定された辛の肉体の上へと、その身を沈める。
「っ!?」
辛の両目が限界まで見開かれる。
「っ! 待っ……やめっ……!」
全身の筋肉を稼働させ、拘束を振り解こうと身を捩る。
だが、冷酷な金属の枷が微塵も緩むことはない。
抵抗の意思とは裏腹に、薬物によって書き換えられた神経系が、強制的に快楽の信号を脳髄へと送り込み始める。
「あっ……や……」
密閉された空間に虚しく響く辛の拒絶の声は、マイクを通して観測室の北王の耳へと届けられていた。
ガラスに押し当てていた手が固く握り込まれ、拳となる。
北王は下唇を強く噛み締め、かつて自身が受けた凌辱の記憶を目の前の息子の姿に重ねていた。
「元々体液は回収していたんだけどね、体外受精も試してはいたんだが……なかなか上手くいかなくてねぇ」
白衣の研究員が北王の肩に手を置き、悪びれる様子もなく耳元で囁く。
「それで……こんな……」
北王は奥歯が砕けそうなほど噛み合わせ、絞り出すように呟いた。
◇
休日明け。
水無月の
辛の身体には、目に見えない深い疲労が蓄積していた。
休日に行われた検査という名の凌辱。その肉体的、精神的な負荷が、彼の生体機能を静かに、だが確実に削り取っていた。
いつものように、朝のホームルームが始まる直前、辛は教室へと姿を現す。
「辛君おはよ~!」
「辛おはよう!」
自身の席の周辺にいた
「ああ」
辛は視線を前方に固定したまま、短く返した。
表情筋を制御し、普段通りの無機質な立ち振る舞いを維持する。
だが、玄の観察眼はその表面のわずかなノイズを見逃さなかった。
「辛君?」
玄が歩み寄り、顔を覗き込むように声をかける。
辛の口から返答が紡がれることはなかった。
その時、学園の敷地内から空気を切り裂くような悲鳴が上がった。
魔の顕現による異能の暴走。
「特別対策部! 行くか!」
「オレ達も行こう!」
爪戯が声を上げ、玄もそれに続こうと身体の向きを変える。
玄の視線は、まだ辛の姿を捉えていた。
辛もまた、事態に対処すべく立ち上がろうと机に手をつく。
鈍い音が、教室の床に響いた。
玄と爪戯が反射的に音の発生源へと視線を戻す。
辛が膝から崩れ落ち、荒い呼吸を繰り返しながら床に倒れ伏していた。
「六大路君!?」
「辛君!?」
「辛!?」
玄と爪戯が血相を変えて駆け寄り、床に倒れた辛の身体を支え起こす。
辛の皮膚は異常な熱を帯び、苦痛に顔を歪めて息を乱していた。
「どうした!?」
「先生呼んで!!」
平穏だった教室が、一瞬にして喧騒の渦へと飲み込まれた。
学園の医療棟。
清潔な白いシーツの上に寝かされた辛は、未だ高い熱に浮かされていた。
ベッドの傍らには玄と爪戯が立ち尽くしている。
他のクラスメイトは医療活動の妨げにならないよう教室へ戻り、魔の制圧はレイヴンと志紀に一任されていた。
そこへ、白衣姿の北王が慌ただしい足取りで病室へ飛び込んできた。
「あ、辛君のお父さん!」
玄がその姿を認め、声を上げる。
「辛似……」
爪戯が、北王の容姿を見て思わず呟きを漏らした。
「倒れたと聞いてな」
北王は短く応じ、辛の枕元へと歩み寄る。
辛の体質は半妖であり、一般的な医療アプローチが通用しない場合が多い。
「疲れから免疫力が落ちて熱が出たか……」
北王は辛の熱い額に手を当て、症状を分析する。
白衣のポケットから取り出した注射器を用い、辛の体質に合わせた専用の解熱剤を速やかに静脈へと投与した。
「疲れ……特別対策部に、異能実技……そりゃ疲れるよね」
玄が最近の激務を振り返り、納得したように頷く。
「慣れない学園生活もあるだろうけどな……一番はⅩⅢの定期検査が負担になっていた」
北王は眠る辛の顔から視線を外さず、重い事実を口にした。
「ⅩⅢの定期検査?」
爪戯が怪訝な表情で問う。
「ⅩⅢの奴ら、辛に負担のかかることばかり……」
北王の口調に、隠しきれない怒りが混じる。
処置を終え、辛の呼吸のリズムがわずかに安定を取り戻し始めていた。
「負担って……」
玄が喉を鳴らす。
「この前も辛に、あんな……」
北王は両手を固く握りしめ、言葉を詰まらせた。
「ⅩⅢって治安維持機構じゃ? それがなんで……」
爪戯が、社会の秩序の象徴である組織への疑問を口にする。
「辛君言ってた……弟がⅩⅢに幽閉されてて、解放条件にⅩⅢに入れって言われてるって」
玄が、以前辛から聞いた情報を共有した。
「なにそれ」
爪戯の目が驚きに見開かれる。
北王はゆっくりと振り返り、玄と爪戯を真っ直ぐに見据えた。
「丁だけじゃない、辛もオレもⅩⅢの管理下にあるんだ……オレ達は奴らに従うしかない」
北王の瞳には、逃れられない巨大なシステムに対する諦観が淀んでいた。
その重い告白を受け、玄と爪戯は言葉を失い、ただその場に立ち尽くすことしかできなかった。
彼らは今、正義の象徴とされているⅩⅢの、底知れぬ暗闇の淵を覗き込んでいた。