【五行を統べる半妖は】冷徹に異能学園の頂点を目指す――ⅩⅢ 現代群像戦線 作:神野あさぎ
夜の帳が下りた
無機質な白で統一された廊下に、硬質な靴音が規則的に反響する。
彼女の足取りは淀みなく、その攻撃は極めて正確だった。
貴重な研究資料や精密な実験器具の並ぶ軌道を完全に避け、白衣を纏った研究員たちの肉体のみを的確に蹴り飛ばしていく。
特異な構造を持つ辛の身体。もし彼が未知の病に侵された時、これらの研究データが命綱になる。
その計算が、レンの怒りに満ちた一撃に冷徹な制御をかけていた。
放たれた蹴りには高圧の電流が纏わされている。
肉体を打つ物理的な衝撃と同時に、神経を直接焼くような痛覚が研究員たちを襲った。
「かっ……四月! 何を!!」
床に這いつくばった研究員が、蹴り上げられた腹部を押さえながら呻く。
「反乱か!?」
「乱心したか」
「貴様っ!」
周囲から次々と非難の声が上がる。
「
レンの唇からこぼれたのは、絶対零度の怒りを孕んだ宣告だった。
「何を」
「半妖は我わらの管轄、貴様の出る幕では……!」
反論を試みる声が、再び上がる。
それが、レンの逆鱗に触れた。
踏み込みと同時に、主任研究員の腹部へレンの右足が深く食い込む。
「かっ!」
空気が肺から搾り出される音が響く。
レンは足を振り抜かず、そのままの姿勢で床に沈んだ主任を見下ろした。
「あまりオレ、いや……私を怒らせるなよ。お前らが六大路辛へしてきた仕打ちの数々……それが彼への負担になっていた」
靴底で肉体を踏みにじりながら、低い声で告げる。
「次にまた、彼が倒れることがあったら……私は容赦はしない」
凍てつくような殺気が空間を満たす。
その場にいた研究員たちの呼吸が止まり、誰一人として言葉を発することができなくなった。
「言っておくが、私は本気だからな」
眼下の男から視線を外さず、レンは静かに言い放つ。
「四月レン、そのくらいで……」
静寂を破ったのは、落ち着き払った声だった。
通路の奥から姿を見せたのは藤原。かつて
研究員が襲撃されているとの報告を受け、即座に現場へ駆けつけていた。
「彼らの研究が、六大路辛の病気を治療するのに必要という点は無視できない。貴方もそれを分かっているから資料などには手をつけなかった、違うか?」
藤原は中指で眼鏡のブリッジを押し上げ、状況を俯瞰する。
床に伏した研究員たちの視線が一斉に彼へと向かった。
「だったら何をしても良いというのか?」
レンは藤原に一瞥もくれず、踏みつけた主任の首筋を睨み据える。
「勿論、六大路辛は将来我々の戦力になる。あまり過剰なことは辞めさせる」
藤原は、足元で痛みに耐える研究員たちを見下ろし、冷淡に告げた。
その言葉に含まれた暗黙の圧力に、白衣の男たちが僅かに肩を震わせる。
「健康維持の為の定期検査にしろと言っておいたのに……特に今回のはやりすぎだったな」
再び眼鏡の位置を直し、藤原は短く息を吐いた。
レンは主任の腹部から足を離し、一つ深い呼気を漏らす。
「次はない。主任は変えろ」
短い要求を空間に置き去りにし、レンは踵を返して実験棟を後にした。
◇
翌日。
辛の体温は少し下がっていたが、肉体の底に澱む疲労感は拭い切れておらず、彼は欠席していた。
そしてもう一つ、空席があった。
「期末の実技は良い。しかし筆記の方、紅桔梗・
教壇に立つ担任から、無慈悲な結果が突きつけられる。
「ぬおおおおおおおん」
「マジか、夏休み終わった……」
蘇芳レイヴンが天を仰ぎ、力なく呟く。
対照的に、
張り詰めた空気が緩み、教室に小さな笑い声が広がる。
「プールとか遊びに行きたかったあ」
志紀が机に額を擦り付けながら恨み言を漏らす。
「にしてもまた辛君一位か~」
成績表を確認した
後ろの席の
◇
それから数日後の昼休み。
辛は疲労から回復し、出席を果たしたが、雫の机は依然として空のままだった。
「雫……」
葵の唇から、不安に満ちた呟きがこぼれる。
「青藤さん……」
その様子を見かねて、玄が声をかけた。
「……連絡もないの。既読にもならないし」
葵が手元のスマートフォンを握りしめ、ここ数日の状況を明かす。
メッセージアプリの画面には、返信のない緑色の吹き出しが並んでいた。
「家は?」
爪戯が解決策を探るように問う。
葵は力なく首を左右に振った。
「まだ行ったことなくて、場所……知らない」
俯く葵の視線の先で、辛も静かに雫の空席を見つめている。
「ただの体調不良では?」
大空蒼が大きな欠伸を噛み殺しながら口を挟む。
「そう……なのかな……」
葵の表情は晴れない。直感的な胸のざわつきが、彼女の表情を暗くさせていた。
「そのうち来るでしょ」
「どう思う?」
玄が辛へ意見を求めるが、辛は無言のまま短く首を横に振った。
「先生に家聞いても教えるわけないか~う~ん」
玄が腕を組み、天井を仰いで思考を巡らせる。
「あ。一つ方法ある」
不意に、爪戯が人差し指を立てた。
周囲の視線が、一斉に彼へと集まる。
「B組の
爪戯が提示した解決策。
宿泊研修においてA組の動向を正確に把握し、中間テストでも特異な能力を見せた情報屋。
葵、爪戯、玄、そして辛の四人は、連れ立って一年B組の教室へと向かった。
「ボクの異能? 良いですよ」
訪ねてきた四人に対し、紺野るかは柔和な笑みを浮かべてあっさりと了承した。
「意外、何か見返りを求められるかと思ったけど……」
葵が思わず本音をこぼす。
「まあ、出来ることなら天竜君を呼び戻す……その手伝いになるようなことを、お願いしたいんですけどね」
るかは伏し目がちに言い、右手の人差し指を自身の頬に当てた。
「天竜君を? 恐怖で支配されてたんじゃ? そんな人を呼び戻したいの?」
玄が純粋な疑問をぶつける。
B組を恐怖で統治していた
彼は期末の実技試験で辛に敗北し、暴走の末に蒼の異能によって鎮圧された。
現在はⅩⅢによって身柄を拘束されている。
「ボクは一人も欠けずに卒業して、ⅩⅢに入りたいんです」
るかは屈託のない笑顔で答えた。
しかし、その目の奥には計算高い光が潜んでいる。
「でも方法が思いつかないので良いです。錆御納戸雫さんのことを知りたいんですよね、今見ますね」
るかが異能を発動させる。
空間が僅かに歪み、何もない空中に一枚の水鏡が形成された。
波紋が広がり、やがて映像が像を結ぶ。
そこに映し出されたのは、白いシーツに包まれたベッドで眠る雫の姿だった。
「雫!?」
葵が弾かれたように身を乗り出し、名を叫ぶ。
「入院してる?」
爪戯も予想外の光景に目を丸くした。
「多分、ⅩⅢの監察医療棟かと」
るかが映像の背景から情報を抽出し、補足する。
「放課後行ってみるか」
辛が静かに決断を下し、三人がそれに頷いた。
教室の入り口付近。
そのやり取りを、
彼女の視線は辛の姿に固定されており、その横顔には微かな熱が帯びている。
四人がるかに礼を言い、教室へと戻っていく。
その後ろ姿を見送るアカハの胸の奥に、黒い靄のような不快感が膨らんでいく。
アカハはゆっくりと歩み寄り、るかの前に立った。
「A組はなんて?」
無関心を装いながらも、四人の動向を探る言葉が口を突いて出る。
「なんか一人、休みが続いているらしくて……」
るかは水鏡を消し、いつも通りの微笑みを浮かべて答えた。
「ふーん……ちなみに誰? そしてさっきの女子は誰?」
アカハの唇には笑みが張り付いている。
しかし、その瞳には一切の温度がなかった。
るかは、アカハが抱く辛への執着を正確に把握している。
「女子だよ。休んでいたのは錆御納戸雫、さっきのはその友だちの青藤葵」
るかは淡々と名前を告げた後、一歩距離を詰め、アカハの肩に軽く手を置いた。
「六大路君、心配してたね」
意図的に毒を含ませた囁きが、アカハの耳元へ落とされた。