【五行を統べる半妖は】冷徹に異能学園の頂点を目指す――ⅩⅢ 現代群像戦線 作:神野あさぎ
夏休みの熱気が外を支配する中、
白いシーツに身を沈める
「いつもごめんね~?」
雫が眉尻を下げて口を開く。
葵は口角を上げ、静かに首を横に振った。
「そうだ、前に六大路君が倒れたことあったでしょ? あの前日のことなんだけど……」
雫のトーンが一段下がる。
過剰な負荷を強いられた定期検査により、
葵の記憶にも、その異常な事態は鮮明に刻まれている。
「……記憶がないの」
雫の唇から、かすれた声がこぼれ落ちた。
「え?」
葵の喉から、短い音が漏れる。
「なんで、それを今……」
葵の表情から笑みが消える。
重大な欠落を、なぜ今まで秘匿していたのか。その疑問が口をついて出た。
「六大路君倒れてそれどころじゃなかったし……その後すぐ私は此処に入れられたから、言う暇なかったって言うか」
雫は視線を落とし、シーツの端を握りしめる。
葵は右手を顎に添え、その言葉の整合性を確認する。
「ねえ……本当に大丈夫?」
葵の背筋に冷たいものが走る。
辛の昏倒と、雫の記憶の欠落。二つの異常事象の間に、未知の因果関係が存在するのではないか。
ただの偶然として処理するには、タイミングが符合しすぎている。
窓の外では蝉の羽音が鳴り響き、雲一つない青空が広がっていた。
市街地から離れた小さな墓地。
無数に立ち並ぶ石柱の間を、一つの影が縫うように進む。
影は特定の墓前で歩みを止め、身を屈めて供物を置いた。
細い煙が立ち上る中、静かに両手が合わせられる。
「……」
祈りを終え、顔を上げたのは
屈んだ姿勢のまま、表面に刻まれた名前をじっと見つめている。
「貴方は……色波君と……」
こころの唇から微かな独白が漏れる。
その背後、敷地の入り口から
「灰塚?」
想定外の人物を視界に捉え、樹の口から確認の声が飛ぶ。
こころの肩が大きく跳ね、弾かれたように振り返った。
「色波……君……」
こころの瞳が揺れ、その声は微かに震えを帯びていた。
彼女は慌てて立ち上がると、言葉を交わすことなく地を蹴る。
樹の脇をすり抜け、逃避するようにその場から走り去っていった。
「……?」
遠ざかる背中が視界から消滅するまで、樹はその場に留まっていた。
やがて歩みを再開し、こころが膝を突いていた墓前へと到達する。
「これ……」
樹の視線が足元に落ちる。
真新しい供物と、まだ燃え尽きていない線香の煙。
ここは、樹自身が目的地として定めていた場所だった。
かつて殺害された、彼の幼馴染が眠る墓。
そして、その幼馴染と完全に一致する容姿を持つ灰塚こころが、なぜかこの場所を訪れ、祈りを捧げていた。
「似ているだけじゃなく……これは偶然か……?」
樹の脳内で、急速な情報処理が開始される。
外見的特徴の合致と、この墓への接触。点と点を結ぶベクトルの構築を試みるが、現状のデータでは最適解が導き出せない。
「灰塚に直接聞くか……しかし……」
樹は右手を口元へ当て、選択肢を天秤にかける。
先ほどの逃避行動から推測するに、正面からの尋問で有意な情報が引き出せるとは思えない。
別のアプローチから外堀を埋めるべきか。次の一手を演算し始めたその時。
「まじで熱いんですけどお……」
背後から、高い少女の声が空気を震わせた。
ハンカチで額を拭う少女と、それに付き従うもう一人の少女。
その日常的なノイズによって、樹の思考プロセスが強制的に中断される。
「……来るの、一年ぶりか」
雑談を交わしながら、二人の少女が別の区画へと歩き去っていく。
樹は短く息を吐き出し、停止していた思考を切り替える。
まずは、自身の本来の目的を果たすために静かに手を合わせた。
夜。厚い雨雲が空を黒く塗り潰していた。
雷鳴はなく、ただ単調な雨音だけが空間を満たしている。
山の外れ。
古い訓練場跡地に整然と並ぶ、無数の墓標。
その数、四百九十九。
雨水を吸った制服が、彼女の身体に重く張り付いている。
整列する墓標の前を歩き、刻まれた名前の輪郭を、彼女はゆっくりと指先でなぞっていく。
「……私は、まだ生きてる」
静かな独白。
雨音に掻き消されるほどの、微かな声だった。
風は凪ぎ、冷たい雨だけが彼女の体温を奪い続ける。
やがて、その指先が一番中央に位置する墓石で止まる。
風化により、名がほとんど削り取られた石。
「みんなの願い、私がすべて背負うから……」
言葉が落ちた直後、雨脚が一段と強さを増した。
大粒の雫が容赦なく肌を打ち据え、髪から滴り落ちる。
彼女はゆっくりと天を仰ぐ。
星一つない暗黒の空。
しかし、水滴に濡れたその双眸の奥には、確固たる意志の熱が宿っていた。
「この命、賭けるなら――仲間のために、だ。死にゆくなら、戦場で」
低い宣告は、雨音のノイズに溶けて消える。
だが、その決意は確かに冷たい石の列へと浸透していった。
地下に眠る四百九十九の亡骸。
国から選別され、過酷な訓練の果てに淘汰された子どもたち。
彼らが夢見た英雄という幻想を、ただ一人残されたレンが背負い続けている。
彼女は一歩後退し、無数の墓標へ向けて深く頭を下げた。
暗闇の中、彼女は微動だにせずそこに立ち尽くす。
光もなく、言葉もない。
ただ、唯一の生存者である彼女の呼吸だけが、静かに夜気を震わせていた。
駐車場。
待機していた黒いセダンのドアに手をかけたレンの背後から、不規則な足音が近づいてくる。
透明なビニール傘を閉じた状態で肩に担ぐようにして、
「ずぶ濡れじゃん、風邪ひきますよ」
朱殷の口調は、場違いなほど軽薄だった。
レンは濡れた前髪の隙間から、一切の温度を持たない視線で朱殷を射抜く。
「何の用だ」
短く、用件だけを要求する。
「いや~雑談をしに来たんですよ。
朱殷は両手を軽く広げ、大袈裟に肩をすくめてみせる。
彼もまた、天竜と同じくⅩⅢの手駒として
「それについて、ⅩⅢが誇る十三傑の意見を聞きたくてですね」
朱殷が右手の人差し指を立て、空中で円を描く。
レンは静かに呼気を吐き出した。
「ほとんどの者が、所詮この程度としか思ってないぞ」
レンは僅かに視線を落とし、冷淡に事実を告げる。
「誰も期待はしていなかった。最初から天竜が退場するのは既定路線。少し早かったことには驚いていた者もいたが、悪い意味でだな」
腕を組み、組織の上層部の見解を代弁する。
「ふーん……ま、そんなところですよね」
朱殷の表情から芝居がかった色が抜け、退屈そうな顔が覗く。
彼の事前の予測と寸分違わない返答だった。
「ただ、私個人としては……」
レンが言葉を繋ぐ。朱殷の視線が、僅かに鋭さを増して彼女の顔を捉えた。
「相変わらずクソだなこの組織としか思わん」
レンは忌々しげに吐き捨てた。
自身が席を置く絶対的な治安維持機関。その実態に対する明確な嫌悪の表明。
「それ言っちゃって良いんですか~? 仮にも自分の居る組織を……」
朱殷の口元に、嘲るような笑みが浮かぶ。
「別にそんなこと、周知の事実だしな」
レンの態度に揺らぎはない。
彼女の組織に対する反抗的なスタンスは、すでに上層部の間でも共有されている事実だった。
「……あんたは──……」
朱殷は、レンがなぜそこまで嫌悪する組織に留まり続けるのかを問いただそうとし、途中で言葉を飲み込んだ。
彼の視線が、レンの背後に広がる暗闇――無数の墓標が沈む方向へと向けられ、その理由を推測して自己完結する。
「それより、お前は自分の心配でもするんだな」
レンはセダンのドアを引き開け、後部座席へと身を沈める。
「は?」
突然の矛先の変化に、朱殷の眉間へ皺が寄る。
「お前では六大路辛どころか──……いや、良い。後は自分で経験すれば良い」
レンは一方的に会話を打ち切り、ドアを閉ざす。
エンジンが駆動し、黒いセダンが朱殷の前を通り過ぎて闇の中へ消えていった。
取り残された朱殷は、雨の止んだ駐車場で沈黙し、投げつけられた言葉の意図を脳内で反芻する。
「オレが……? いや、ないない」
数秒後。彼は肩をすくめ、その警告を一笑に付して首を横に振った。