【五行を統べる半妖は】冷徹に異能学園の頂点を目指す――ⅩⅢ 現代群像戦線 作:神野あさぎ
頭上に張り巡らされた無数の風鈴が、風を捉えるたびに涼やかな音色を空間に響かせる。
沿道に立ち並ぶ屋台の群れ。夕闇が落ちるにつれ、提灯の明かりが順に灯されていく。
大気には、焦げた醤油と綿飴の過剰な甘さが入り混じった匂いが滞留していた。
この喧騒の中に、
「辛、浴衣着て行かないのか?」
出発前。六大路家の玄関にて、父である
「動きづらい」
辛は振り返ることなく、短い事実だけを返す。
「あーそう……あ、現金少し持って行きな。屋台によってはスマホで決済できないところもあるからな」
北王の合理的な助言を受け、辛は無言で身支度を完了させ、自宅を後にした。
玄と合流を果たし、二人は人の流れに乗って祭りの中心へと歩みを進める。
「いや~また爪戯君に断られちゃったよ~」
玄が歩きながら手元の端末を眺め、軽い調子でこぼした。
液晶画面には、
『辛のプライベートの時間を奪う訳には!!』
『え~気にしないで良くない的な~?』
『いやいやいや、オレのような下民には!』
『何故そんなに卑屈に~?』
『ってか、予定ある!』
「爪戯君、プライベートになると辛君と会うの避けるんだよね~……なんでかな?」
玄は端末の画面を落とし、ポケットへ滑り込ませた。
辛は一切の表情を動かさず、隣を歩く玄の横顔を静かに視認する。
頭上で風鈴が一斉に揺れ、心地よい気流が二人の間を通り抜けた。
「あ、六大路と黒川じゃん」
背後から鼓膜を叩く声。
振り返ると、そこには
志紀の身体は、祭りの定石通りに浴衣で包まれている。
「わ~蘇芳君と紅桔梗君じゃん。ってか浴衣だね」
玄がいつもの緩慢な笑みを浮かべて応じる。
「お前ら! 気合い入れて行けよ! 祭りには浴衣だろ!」
志紀が両腕を広げ、自身の装いを力説する。
しかし、残る三人の間に同調の波は生まれなかった。
「男の浴衣姿見てもなあ~?」
レイヴンが呆れたように首を横へ振る。
「それは……オレだって女子の浴衣姿観たいさ! そして仲良くなりたい!」
志紀が右拳を強く握り込み、顔の前で小刻みに震わせる。
「そんなに女子と仲良くなりたいなら積極的に行きなよ。ナンパくらいしたら?」
さらに背後。人混みを割って現れた
四人の視線が、一斉に新たな介入者へと向く。
「お、大空……」
「いつも教室で、女子女子言ってるくせに行動しないんだから……そんなんだから何も発展も進展もしないんだよ」
志紀の反応を遮り、蒼が気怠げに事実を突きつける。
彼の顎が規則的に動き、赤い飴の欠片が咀嚼されていく。
「ナンパする勇気なんて……」
志紀の肩が目に見えて落ちる。
「じゃあ諦めな」
蒼が容赦なく切り捨てた。志紀の頭がさらに深く垂れる。
「大空君も来たんだねー」
玄が空気の修復を試み、蒼へ話題を振る。
「まあ、夏休みの課題も終わったし。暇だったから」
蒼は残りの飴を口に放り込みながら、淡々と答えた。
「「課題…………」」
レイヴンと志紀の喉から、絶望を孕んだ声が完璧に重なって漏れる。
二人の顔から急速に血の気が引いていく。
「まさか、まだ終わってないの? 流石三馬鹿」
蒼の冷ややかな一瞥が、レイヴンと志紀を射抜く。
追い詰められた二人の視線が、救いを求めるように辛と玄へと向けられた。
「終わったよ?」
玄が微塵も悪びれずに微笑み、辛もまた無言のまま短く顎を引いた。
レイヴンと志紀の瞳から、完全に光が消失した。
「いやいや、こっちは補習尽くしで……」
「そうだそうだ!」
二人が必死に自己弁護の言葉を構築する。
「言い訳とか良いから」
蒼の最後の一撃が、二人の反論を根元から粉砕した。
レイヴンと志紀は完全にうなだれ、その場に崩れ落ちそうになる。
目的を達したのか、蒼はあっさりと踵を返した。
「大空、どこ行くんだよ?」
離脱しようとする背中へ、レイヴンが声をかける。
「ボクはもう帰るんだよ。目についたから一応声をかけたけど……それじゃあーね」
蒼は片手を軽く振り、群衆の波間へと沈むように姿を消していった。
「大空君も一緒に遊んでいけば良いのに」
玄が微かな溜息と共に呟く。
その隣で、辛は購入した綿飴を静かに口へ運んでいた。
「あー課題なんて知らん! それより女子! オレは諦めたくない!」
沈黙を破り、志紀が唐突に右拳を天へ突き上げた。
脳内で蒼の挑発を反芻し、無理やりに自己のベクトルを上書きしたらしい。
すれ違う通行人たちが、奇異の視線を向けて通り過ぎていく。
「ナンパすんの? どうやって?」
レイヴンが純粋な疑問をぶつける。
志紀の身体が再び硬直した。
「こ、こういうのは黒川の出番じゃね? 黒川ってなんか軽いし、入学当初の近づきがたい六大路に声かけてたし?」
志紀の視線が、すがるように玄を捉える。
「え~。ん~まあ、オレは軽いけどさ……」
玄は後頭部を掻きながら、曖昧に言葉を濁す。
「認めんのかよ」
レイヴンの呆れたような呟きが落ちる。
辛は周囲の喧騒から切り離されたように、一定のペースで綿飴の消費を続けていた。
「紅桔梗君が望んでることなんだから、自分の力でなんとかしないといけないんじゃない?」
玄が志紀の肩に両手を置き、その瞳を真っ直ぐに見据える。
志紀の顔に、迷いの色が浮かぶ。
「そ、そうだよな……オレが自分で……」
志紀が再び拳を握り込む。
玄は静かに頷きながら、その執念が学業にも向けられることを内心で期待していた。
「あのっ……」
決意を固めた志紀が、前方を歩く浴衣姿の少女の背中へ声を放つ。
呼ばれた少女が、ゆっくりと振り返った。
そこにいたのは、一年B組の
「あ゛!? 花緑青!?」
志紀の喉から空気が漏れるような音が鳴る。
小春の目も限界まで見開かれている。
「なんで……」
極度の気まずさに包まれながら、志紀が言葉を絞り出す。
「お祭りに来てはいけませんか?」
小春の身体が僅かに後傾し、明確な拒絶の距離を取る。
彼女の視線が志紀を滑り、その背後に立つ辛を捉えた。
小春の顔にも気まずさが広がり、深く重い溜息が吐き出される。
「いえ……来て良いと思います」
志紀は完全に俯き、視線を足元へ固定した。
小春はもう一度溜息をつくと、無言のまま踵を返し、人混みの中へと遠ざかっていった。
「あーーーーーっ! オレの青春はない!!」
志紀が膝から崩れ落ち、アスファルトに両手をついて絶叫する。
周囲の視線が、先程よりもさらに鋭く突き刺さる。
レイヴン、玄、辛の三人は、無言のまま志紀から数歩の距離を取り、完全に無関係な通行人として振る舞った。
「うん、行こうか!」
レイヴンが玄と辛の背中を押し、強制的に歩みを進めさせる。
志紀は地面にうずくまったまま、その場に取り残された。
屋台の明かりが夜を焦がす。
辛は新しく購入したりんご飴を片手に、射的の屋台でスコアを競い合うレイヴンと玄の背中を静かに見つめていた。
誕生した瞬間から、彼の世界は
友と呼称できる存在を持たず、祭りの喧騒を誰かと共有するという事象は、彼のデータベースには存在しない。
そこでの出会いが、彼に未知の経験値を蓄積させ続けている。
この無防備な時間こそが、致命的なまでに欠落していた何かを埋めているのだと、辛は冷静な思考の底で理解していた。
「
辛の唇から、微かな音声が漏れる。
ⅩⅢの施設の奥深くに幽閉されている弟。彼にも、この景色を見せてやりたかった。
しかし、その思考は喉の奥で物理的に遮断される。
不意に。
大気の流れが反転した。
頭上に飾られた無数の風鈴が、本来とは逆の軌道で不協和音を奏でる。
逆鳴り。
辛の皮膚が、明確な異常事象の気配を感知した。
思考を挟むことなく、辛の足が音の発生源へと向かって地を蹴る。
「辛君?」
視界の端で異常に気付いた玄が、静止の声を投げる。
しかし辛の歩みは止まらない。
玄とレイヴンが射的の銃を置き、慌てて辛の後を追う。
風鈴が密集する区画。
提灯の赤い光と濃い影の境界線に、一つの人影が立っていた。
肩口で切り揃えられた純白の髪が、不自然な気流の中で揺れている。少女のシルエット。
辛がその距離を詰めようとした瞬間。
突風が下から上へと巻き上がり、すべての風鈴が鼓膜を刺すような音を立てて鳴り響いた。
風が止む。
同時に、白い髪の少女の姿は、空間から完全に消滅していた。