【五行を統べる半妖は】冷徹に異能学園の頂点を目指す――ⅩⅢ 現代群像戦線 作:神野あさぎ
屋台から漏れる熱を帯びた光が、夜の闇を底から焦がしている。
風鈴祭。
浴衣姿の
「はあ……まさかA組と会うなんて……」
小春の唇から、重い息がこぼれ落ちる。
単独で祭りを訪れている姿を視認されたことへの不快感。加えて、中間テストにおいて陥れようと画策した対象である
その時、周囲のノイズを切り裂くように、風鈴の音が単発で響いた。
小春の視線が、音の発生源へと吸い寄せられる。
群衆の切れ間。
そこに、一つの屋台が孤立して存在していた。
周囲の人波はその一角だけを避けるように流れ、不自然な空白が生まれている。
「願い札……?」
小春は足を引きずられるように歩みを止め、屋台の屋号を読み上げた。
色褪せた赤い垂れ幕に、墨で記された三文字。
陳列棚に並ぶのは、白い短冊、細工の施された鈴、鏡、櫛、紙刀。
一見すれば子供向けの玩具に過ぎない。しかし、提灯の明かりに照らされたそれらの影は、光源の位置とは決定的に矛盾する方向へと伸びていた。
その空間だけが、明確に異なる法則で運用されている。
小春の喉が上下した。
売り子は若い女の輪郭を持っていた。
だが、その顔貌を認識しようと焦点を合わせても、網膜はただノイズを捉えるだけだった。
女は左手で客に品を渡し、右手で短冊に朱印を押下する。
そして、品を引き渡す直前。硬質な音を立てて、台を三度叩いた。
「お疲れね。これ、鏡。寝る前に覗いて『自分の目』を三度合わせて。願いは、声に出さずに――心の中で唱えるの」
手鏡を受け取った女性客の身体から、強張りが抜け落ちる。
内側から光が漏れ出したような錯覚。
その直後、鏡の表面の奥で、白い糸状の影が蠢いた。
隣の客は、買い求めた紙刀の表面を指先でなぞっている。
「切らないで、撫でて。いらないものを削げるから」
紙の刃が空気を撫でた瞬間、客の背後にへばりついていた薄膜のような影が剥離し、刀の根元へと吸い込まれていった。
「何……?」
小春は瞬きすら忘れ、その異常な光景に縛り付けられる。
売り子へと視線を戻すと、その顔の定まらない唇が微かに動くのが見えた。
脳髄に直接響くような、囁き。
――「もっと、見て」
無数の風鈴が、突如として一斉に鳴り響く。
大気中に滞留していた群集熱の係数が跳ね上がった。
空気が粘度を帯びた熱を持ち、陳列された短冊の文字が青白く発光を始める。
小春の心の隙間を埋めるように、異常な音と熱が流れ込む。
彼女の瞳孔から光が失われ、その両足が操り人形のように前へと踏み出した。
願い札の屋台へと、吸い寄せられるように歩幅を重ねていく。
二歩、三歩。
四歩目を踏み出そうとした瞬間。
彼女の右腕が、強い万力のような力で引き留められた。
「花緑青!」
鼓膜を打つ、聞き覚えのある鋭い声。
その衝撃が、小春の脳内を覆っていた靄を瞬時に吹き飛ばした。
瞳に焦点が戻り、自身の腕を拘束する人物を見据える。
そこに立っていたのは、六大路辛だった。
「あれ……六大路君?」
小春が目を瞬かせ、状況の不一致に呟く。
視界の端から異常な屋台は跡形もなく消え去り、色彩とノイズに溢れた元のお祭りの風景が広がっていた。
「えっ願い札は?」
小春は周囲へ視線を巡らせる。
ありふれた屋台の列と、行き交う人々。
先程まで眼前に存在していたはずの空間は、完全な虚無へと回帰していた。
「辛く~ん!」
背後から、
「六大路、いきなり走り出すから……なんかあった?」
玄に続き、
辛は彼らと共に行動していたが、異常な気配を感知した直後、一切の予備動作なくこの場へ向かって疾走していた。
「さっき異様な気配を感じた。丁度この辺りだ……そしたら虚ろな花緑青が居て」
辛は周囲の空間を冷徹な視線で走査しながら、状況の断片を提示する。
小春の背筋に冷たい汗が伝う。
「特に変わりようは、ないと思うけど?」
レイヴンが眉をひそめ、辛と同じように周囲を観察する。
しかし、彼の網膜が捉えるのは平凡な祭りの光景だけだった。
「いえ……なんでもないです」
小春は視線を足元へ落とし、それ以上の言及を避けた。
事態が収束したと判断し、辛が小春の腕から静かに手を離そうとした、その時。
「あーーーーーーーー!」
彼の視線の先には、辛が小春の右手を握っているという構図。
「おまえっ……そういう関係だった……?」
志紀の脳内で情報が極端に処理され、誤った結論が口を突いて出る。
辛は無表情のまま、小春の腕から完全に手を離した。
「落ち着いて。多分そういうのじゃない」
玄が即座に介入し、志紀の両肩をしっかりと掴む。
相手の目を真っ直ぐに見据え、事実の訂正を行った。
志紀は首を傾げ、混乱の渦中から抜け出せずにいる。
「一応報告しとく? よく分かんないけど……」
レイヴンがポケットから端末を取り出し、辛へ判断を仰ぐ。
辛が
風鈴の音が、世界から完全に消失した。
音だけではない。周囲を行き交っていた人々の姿が、空間を切り取られたように蒸発する。
「え……何!?」
志紀が目を限界まで見開き、周囲を旋回するように見渡す。
屋台の売り子すらも消え失せ、残されたのは五人の生徒だけだった。
「人が消えた……?」
レイヴンの口から、現実を疑う声が漏れる。
静寂の底から、澄んだ鈴の音が一度だけ鳴った。
異常なまでに長く、耳の奥にへばりつくような残響。
振り返った先。
そこに、小さな祭壇が構築されていた。
半ば崩れかけた紙灯籠と、雪のように降り積もった無数の短冊。
その中心に、『誰か』が存在している。
白い浴衣を纏い、肩口で髪を切り揃えた少女の姿。
しかしその輪郭は常にブレており、質量を持った人間ではなく、発光体が人の形を模倣しているようだった。
「……願いを叶えましょうね?」
少女の口元が三日月の形に歪む。
「何~!? 幽霊!?」
玄の口調は緩いままだったが、その額には微かな汗が滲んでいた。
「面白い願いの人達」
少女が呟き、極端に細い指先を一本、空中へ滑らせる。
祭壇に積もっていた短冊の束が、重力を無視してふわりと浮遊した。
次の瞬間、無数の短冊が刃のような軌道を描き、五人へ向かって殺到する。
「走れ!!」
辛の短い号令が空間を叩く。
五人は踵を返し、少女が位置する座標の逆方向へと一斉に疾走を開始した。
背後から迫る短冊の群れ。
少女の楽しげな笑い声が、空間の至る所から反響して追いすがってくる。
バランスを崩し転倒しかけた小春の腕を、辛が再び掴み、強引に引き上げる。
「「なにこれええええ!!」」
志紀とレイヴンの絶叫が完全にシンクロし、夜気を切り裂く。
一直線に駆け抜け、屋台の列が途切れる境界線へ到達した。
直後、視界が純白に染まり、物理法則が裏返る。
屋台の明かりも、夜空の暗闇も、すべてが圧倒的な風の奔流に削り取られていく。
――チリン。
鈴の接触音。
風鈴の音が、まるで心臓の拍動のように直接脳髄を打ち据える。
空気が歪み、足元の地盤が液状化したように波打った。
白い少女のシルエットが急激に解像度を下げ、霧の向こう側へと溶けていく。
だが、その声の波長だけは、確かな質量を持って残響した。
――「また、見にきてね」
急速な収縮。
五人の身体は、圧倒的な喧騒と熱気に満ちた元の現実空間へと吐き出された。
レイヴンが膝に両手をついて激しく息を吐き、志紀は完全に腰を抜かしてアスファルトに座り込む。
小春の肩も、酸素を求めて大きく上下していた。
「心霊現象……こっわっ!」
志紀が夜空を見上げ、絞り出すように声を上げる。
突如として現れた五人の乱れた姿を、周囲の通行人たちが怪訝な視線で遠巻きに眺めていた。
辛は小春の腕から静かに手を離し、即座に自身の端末を起動する。
事象のデータを言語化しようとしたが、相手はすでに特級過去視を展開し、状況の全容を解析し終えていた。
『それは魔に憧れる狂信者による事象。魔を模倣した人間の悪意だな』
スピーカーモードに設定された端末から、レンの冷徹な声が響き渡る。
辛は表情筋を微塵も動かさずに情報を受信するが、残る四人の顔には明らかな恐怖と疲労が色濃く浮かんでいた。
「魔を模した人間……? なにそれ」
玄が核心を突く単語に反応する。
レイヴンは無言のまま右手を顎に添え、手持ちのデータとの照合を試みていた。
『相手にするな。呑まれるぞ』
レンからの絶対的な忠告。
通話が切断され、端末の画面が暗転する。
未知の脅威との接触による精神的疲労を考慮し、本日はこれ以上の行動を避け、解散とする方針が暗黙の内に決定された。
小春が辛の正面に立ち、深く頭を下げる。
「今日はありがとうございました」
必要最低限の謝意を告げると、彼女は足早にその場を後にした。
志紀が何かを言いたげに辛へ視線を送るが、辛は完全にその視線を黙殺した。
夜が深まり、祭りの喧騒が徐々に温度を下げていく。
遠くで、風鈴が微かな音を奏で続けていた。
人通りの絶えた路地の片隅。
一枚の白い短冊が、物理法則に逆らうように逆さまに揺れている。
――『叶えたい願い、ありますか?』