【五行を統べる半妖は】冷徹に異能学園の頂点を目指す――ⅩⅢ 現代群像戦線 作:神野あさぎ
風鈴祭の喧騒が夜気へ溶けてから数日が経過した。
依然として高い気温が滞留する夜の帳の中、
「はー……」
深く、重い溜息が口からこぼれ落ちる。
彼は意図的に、
しかし、辛という存在への圧倒的な羨望と、それに相反する自己評価の低さが、彼に接触を拒絶させていた。
それが表向きの理由。
だが、その裏側にはもう一つ、決定的な要因が存在している。
端末の液晶に表示された、暗号化された任務指示。
「まあ、これが
爪戯は発光する画面を無感情に直視し、乾いた声で呟いた。
紺野家。情報屋としての表の顔とは別に、彼の一族には暗部が存在する。
秘密裏に送信されてくるこの指示こそが、彼を縛るもう一つの理だった。
「はあ、はあ、はあ」
暗い路地の奥から、切羽詰まった足音と荒い呼気が接近してくる。
爪戯は視線を上げ、音の発生源を正確に捕捉しながら歩みを進める。
「くそっ……なんで、俺がっ」
逃走する男の口から、絶望を帯びた声が漏れた。
次の瞬間、男の足がアスファルトに転がっていた鉄パイプを弾き、バランスが致命的に崩れる。
「っ!」
男の短い悲鳴。
直後、男の頭上に形成された無数の氷の杭が、重力に従って一斉に降り注いだ。
肉を穿つ鈍い音。
男の身体は無残に地面へ縫い付けられ、大量の鮮血がコンクリートを黒く染め上げていく。
「ま、こんなもんでしょ」
事切れた男の姿を冷徹な視線で確認し、爪戯は感情の起伏を一切見せずに呟いた。
氷の刃に貫かれた凄惨な光景を前にしても、彼の心拍数が変動することはない。
「ああ、任務完了した。処理班をお願い」
端末の回線を繋ぎ、業務連絡として現場の隠蔽処理を要請する。
通信を終えると、爪戯は倒れた男を一瞥することなく踵を返した。
彼が去った数分後。指示を受けた処理班が音もなく到着し、遺体の回収と路地の修復を速やかに遂行していった。
日常の裏側。都市の死角では、このような事象が絶えず処理されている。
路地裏での処理が完了した翌朝。
六大路家のリビング。辛は左手で額を押さえ、脳髄を微かに揺らすような不快感と眩暈に耐えていた。
「『期間』が来たか……まあ、この時期だもんな。夏休みなのが幸い、か」
北王は状況を冷静に分析し、水と共に錠剤を辛へと差し出す。
辛は無言で頷き、薬品を受け取って喉へ流し込んだ。
その様子を観察しながら、北王の脳内で最適解の演算が行われる。
「辛は、行きたくないだろうが……一度ⅩⅢへ顔を出そう」
北王から提示された予想外の提案。
辛の瞳孔が僅かに収縮し、全身の筋肉が反射的に硬直した。
脳裏にフラッシュバックするのは、ⅩⅢの実験棟で行われていた人体実験に等しい拷問の記憶。
今、あの施設へ足を踏み入れれば、再び何をされるか分からないという生存本能が警鐘を鳴らす。
「藤原さんと
北王が論理的に説得を試みる。
半妖という特異な構造を持つ辛の肉体。その調整と安定化を図るためには、ⅩⅢに配備された最新の医療設備が不可欠だった。
辛の理性も、その事実を正確に理解している。
「大丈夫だ。お前の調整については、ⅩⅢの研究員には関わらせない。オレだけで行う」
北王が辛の瞳を真っ直ぐに見据え、確固たる担保を提示した。
父の言葉。辛は数秒の演算の後、その条件を飲み込み、小さく顎を引いた。
北王の出勤に同行する形で、辛は自宅を後にする。
目的地は、ⅩⅢの監察医療棟。
辛の肉体に周期的に訪れる特殊な『期間』。その影響による生体機能の乱れを、投薬と専用の機材を用いて抑制していく。
治療室の一室を借り切り、北王の単独操作による精密な調整が開始された。
「痛くないか?」
機材の数値を監視しながら、北王が短く問う。
「無い。本当に夏休みで良かった……」
辛の口から、微かな安堵が漏れた。
数時間後。全ての工程が完了し、辛は機材から解放された。
肉体を蝕んでいた不快感は完全に消失し、細胞の末端まで平時の出力が戻っている。
北王はⅩⅢの治療班としての通常業務があるため、この施設に残留することとなった。
辛は一人で監察医療棟の休憩スペースへ向かい、自販機で購入したボトルを手に一息ついていた。
体力の回復を待ってから帰還する。そう予定を構築していた時。
視界の端から、一人の少女が接近してくるのを感知した。
肩口で切り揃えられた黒髪が、歩調に合わせて微かに揺れている。
「あの、もしかして六大路辛君……?」
少女の問いかけに、辛はゆっくりと視線を向けた。
「あ、私
ツバメと名乗った少女は、丁寧な所作で頭を下げた。
辛の表情は凍りついたように動かないが、その内面では瞬時に警戒のレベルが引き上げられた。
切ノ札学園の生徒が、なぜこの監察医療棟に存在するのか。そして何より、なぜ自身を特定できたのか。
複数の疑問が並列で処理されていく。
ツバメは辛の放つ冷ややかな空気を察知し、先回りするように口を開いた。
「私ⅩⅢに出入りしていたので、噂は聞いていたんです。同じ年で強い能力使いがいると──……そんな人が目の前に居たのでつい……」
ツバメは視線を泳がせ、衝動的な行動であったことを弁明する。
「……お前は何故、ⅩⅢに出入りを?」
辛は手にしたボトルの表面を強く握り込み、低いトーンで核心を突いた。
「あーなんか、私の特殊な体質を少々調べたいみたいでして……それで監察医療棟や実験棟を訪れていました」
ツバメは柔和な笑みを崩さず、流暢に答える。
「六大路君も強いのならⅩⅢの検査とか、されてる感じですか?」
好奇心を含んだ純粋な問い。
辛は無言でボトルの中身を喉へ流し込み、微かに息を吐き出した。
「産まれが特殊だからな。それでよく検査されている」
辛は僅かに顔を背け、事実だけを切り取って提示する。
脳裏にこびりついた、狂気めいた検査の記憶。状況が改善された現在であっても、刻み込まれたデータが消去されることはない。
「そうだったんですね……ちょっと面倒ですよね検査」
ツバメが同情を示すように苦笑を浮かべる。
辛は視線を伏せ、その後、何もない空間へと焦点を外した。
「あっ、そろそろ行かないと……それでは。また今度ゆっくりお話ししましょうね」
ツバメが時間を気に留める素振りを見せ、踵を返す。
数歩進んだところで振り返り、小さく手を振ってから再び歩き出した。
遠ざかる彼女の背中を視界に収めながら、辛の思考はある一点の符号に到達した。
「藤原……」
少女の苗字が、唇からこぼれる。
それは、先日辛と対峙したⅩⅢの幹部、十三傑の一人と同じ姓。
単なる偶然の合致か。それとも。
辛はそれ以上の推測を打ち切り、空になったボトルを正確にゴミ箱へ投棄すると、静かに休憩スペースを後にした。