【五行を統べる半妖は】冷徹に異能学園の頂点を目指す――ⅩⅢ 現代群像戦線   作:神野あさぎ

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case.62「日常の裏」

 風鈴祭の喧騒が夜気へ溶けてから数日が経過した。

 依然として高い気温が滞留する夜の帳の中、紺野爪戯(こんの・つまぎ)は自身の端末を握りしめ、街の裏側に走る路地を歩いていた。

 

「はー……」

 

 深く、重い溜息が口からこぼれ落ちる。

 

 彼は意図的に、六大路辛(ろくおおじ・かのと)とプライベートの時間を共有することを避けている。

 黒川玄(くろかわ・くろ)の誘いに応じ、彼らと共に過ごしたいという欲求が内面に存在することは事実だ。

 

 しかし、辛という存在への圧倒的な羨望と、それに相反する自己評価の低さが、彼に接触を拒絶させていた。

 それが表向きの理由。

 だが、その裏側にはもう一つ、決定的な要因が存在している。

 

 端末の液晶に表示された、暗号化された任務指示。

 

「まあ、これが(うち)の方針だもんな……」

 

 爪戯は発光する画面を無感情に直視し、乾いた声で呟いた。

 

 紺野家。情報屋としての表の顔とは別に、彼の一族には暗部が存在する。

 秘密裏に送信されてくるこの指示こそが、彼を縛るもう一つの理だった。

 

「はあ、はあ、はあ」

 

 暗い路地の奥から、切羽詰まった足音と荒い呼気が接近してくる。

 

 爪戯は視線を上げ、音の発生源を正確に捕捉しながら歩みを進める。

 

「くそっ……なんで、俺がっ」

 

 逃走する男の口から、絶望を帯びた声が漏れた。

 次の瞬間、男の足がアスファルトに転がっていた鉄パイプを弾き、バランスが致命的に崩れる。

 

「っ!」

 

 男の短い悲鳴。

 直後、男の頭上に形成された無数の氷の杭が、重力に従って一斉に降り注いだ。

 

 肉を穿つ鈍い音。

 男の身体は無残に地面へ縫い付けられ、大量の鮮血がコンクリートを黒く染め上げていく。

 

「ま、こんなもんでしょ」

 

 事切れた男の姿を冷徹な視線で確認し、爪戯は感情の起伏を一切見せずに呟いた。

 氷の刃に貫かれた凄惨な光景を前にしても、彼の心拍数が変動することはない。

 

「ああ、任務完了した。処理班をお願い」

 

 端末の回線を繋ぎ、業務連絡として現場の隠蔽処理を要請する。

 

 通信を終えると、爪戯は倒れた男を一瞥することなく踵を返した。

 彼が去った数分後。指示を受けた処理班が音もなく到着し、遺体の回収と路地の修復を速やかに遂行していった。

 

 日常の裏側。都市の死角では、このような事象が絶えず処理されている。

 

 路地裏での処理が完了した翌朝。

 

 六大路家のリビング。辛は左手で額を押さえ、脳髄を微かに揺らすような不快感と眩暈に耐えていた。

 ⅩⅢ(サーティーン)への出勤準備を進めていた父・北王(ほくおう)は、息子の異常を瞬時に察知し、壁面のキャビネットから特定の薬品を取り出した。

 

「『期間』が来たか……まあ、この時期だもんな。夏休みなのが幸い、か」

 

 北王は状況を冷静に分析し、水と共に錠剤を辛へと差し出す。

 

 辛は無言で頷き、薬品を受け取って喉へ流し込んだ。

 その様子を観察しながら、北王の脳内で最適解の演算が行われる。

 

「辛は、行きたくないだろうが……一度ⅩⅢへ顔を出そう」

 

 北王から提示された予想外の提案。

 辛の瞳孔が僅かに収縮し、全身の筋肉が反射的に硬直した。

 

 脳裏にフラッシュバックするのは、ⅩⅢの実験棟で行われていた人体実験に等しい拷問の記憶。

 今、あの施設へ足を踏み入れれば、再び何をされるか分からないという生存本能が警鐘を鳴らす。

 

「藤原さんと四月(しづき)さんのおかげで待遇は悪くはなくなった。とは言え、信用できないのも分かる……ただ今のお前の身体のメンテナンスをするには、ⅩⅢの設備が必要だ」

 

 北王が論理的に説得を試みる。

 半妖という特異な構造を持つ辛の肉体。その調整と安定化を図るためには、ⅩⅢに配備された最新の医療設備が不可欠だった。

 

 辛の理性も、その事実を正確に理解している。

 

「大丈夫だ。お前の調整については、ⅩⅢの研究員には関わらせない。オレだけで行う」

 

 北王が辛の瞳を真っ直ぐに見据え、確固たる担保を提示した。

 父の言葉。辛は数秒の演算の後、その条件を飲み込み、小さく顎を引いた。

 

 北王の出勤に同行する形で、辛は自宅を後にする。

 目的地は、ⅩⅢの監察医療棟。

 

 辛の肉体に周期的に訪れる特殊な『期間』。その影響による生体機能の乱れを、投薬と専用の機材を用いて抑制していく。

 治療室の一室を借り切り、北王の単独操作による精密な調整が開始された。

 

「痛くないか?」

 

 機材の数値を監視しながら、北王が短く問う。

 

「無い。本当に夏休みで良かった……」

 

 辛の口から、微かな安堵が漏れた。

 

 数時間後。全ての工程が完了し、辛は機材から解放された。

 肉体を蝕んでいた不快感は完全に消失し、細胞の末端まで平時の出力が戻っている。

 

 北王はⅩⅢの治療班としての通常業務があるため、この施設に残留することとなった。

 辛は一人で監察医療棟の休憩スペースへ向かい、自販機で購入したボトルを手に一息ついていた。

 

 体力の回復を待ってから帰還する。そう予定を構築していた時。

 視界の端から、一人の少女が接近してくるのを感知した。

 肩口で切り揃えられた黒髪が、歩調に合わせて微かに揺れている。

 

「あの、もしかして六大路辛君……?」

 

 少女の問いかけに、辛はゆっくりと視線を向けた。

 

「あ、私切ノ札(きりのふだ)学園の一年B組の藤原ツバメと申します」

 

 ツバメと名乗った少女は、丁寧な所作で頭を下げた。

 辛の表情は凍りついたように動かないが、その内面では瞬時に警戒のレベルが引き上げられた。

 

 切ノ札学園の生徒が、なぜこの監察医療棟に存在するのか。そして何より、なぜ自身を特定できたのか。

 複数の疑問が並列で処理されていく。

 

 ツバメは辛の放つ冷ややかな空気を察知し、先回りするように口を開いた。

 

「私ⅩⅢに出入りしていたので、噂は聞いていたんです。同じ年で強い能力使いがいると──……そんな人が目の前に居たのでつい……」

 

 ツバメは視線を泳がせ、衝動的な行動であったことを弁明する。

 

「……お前は何故、ⅩⅢに出入りを?」

 

 辛は手にしたボトルの表面を強く握り込み、低いトーンで核心を突いた。

 

「あーなんか、私の特殊な体質を少々調べたいみたいでして……それで監察医療棟や実験棟を訪れていました」

 

 ツバメは柔和な笑みを崩さず、流暢に答える。

 

「六大路君も強いのならⅩⅢの検査とか、されてる感じですか?」

 

 好奇心を含んだ純粋な問い。

 辛は無言でボトルの中身を喉へ流し込み、微かに息を吐き出した。

 

「産まれが特殊だからな。それでよく検査されている」

 

 辛は僅かに顔を背け、事実だけを切り取って提示する。

 脳裏にこびりついた、狂気めいた検査の記憶。状況が改善された現在であっても、刻み込まれたデータが消去されることはない。

 

「そうだったんですね……ちょっと面倒ですよね検査」

 

 ツバメが同情を示すように苦笑を浮かべる。

 辛は視線を伏せ、その後、何もない空間へと焦点を外した。

 

「あっ、そろそろ行かないと……それでは。また今度ゆっくりお話ししましょうね」

 

 ツバメが時間を気に留める素振りを見せ、踵を返す。

 数歩進んだところで振り返り、小さく手を振ってから再び歩き出した。

 

 遠ざかる彼女の背中を視界に収めながら、辛の思考はある一点の符号に到達した。

 

「藤原……」

 

 少女の苗字が、唇からこぼれる。

 それは、先日辛と対峙したⅩⅢの幹部、十三傑の一人と同じ姓。

 

 単なる偶然の合致か。それとも。

 

 辛はそれ以上の推測を打ち切り、空になったボトルを正確にゴミ箱へ投棄すると、静かに休憩スペースを後にした。

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