天は自ら助くる者を助く 作:ああああ
赤毛の男が立っている。端正な容貌に聖人のような微笑みをたたえているが、この男が徹頭徹尾悪意に満ちた人間であることを既に知っていた。
『さて……』
俺が入室するなり目にしたものを前に硬直しても特に反応せず、彼は白々しく告げる。
『君は聖戦に参加するために必要な儀式を行わずに来た。神の戦士となる資格を持たないわけだが、私は仲間に迎え入れるべきだと判断した。他でもない君の弟が連れて来た人間なのだから。もちろん我々に一人でも多く同志が必要というのもある』
男の名はアリー・アル・サーシェス。ゲリラ兵を率いるリーダー格の人物であり、少年兵たちの憧憬を一心に浴びる存在であり、実態は己の欲の赴くままに行動する戦争屋だということを俺は正確に認識している。もしも第三者による知識を得られず、他の子供のように誘拐先で洗脳を受ける立場にあったならばサーシェスを信頼したかもしれないが、そんなの
『しかし残念なことに、君を戦士に相応しくないと考える者は少なからずいる。そこで機会を用意したんだ。訓練の内容は覚えているかな?』
理解した気になっただけだった。
サーシェスの足元には太い縄で固く縛られた人間が倒れ伏している。麻袋を被せられており顔は見えない。かろうじて呻き声をあげてはいるが、性別の判断すらつかなかった。優しい口調とは裏腹に、サーシェスは身元不明の人物を蹴って転がした。
『我々は戦士だ。神の土地を荒らす不信仰者どもに鉄槌を下さなければならない、なればこそ信仰を証明するのだ。その引き金を引くことで、晴れて神の戦士として皆に認められるようになる』
手の震えが止まらない。
『手が震えているな、力を無理に込めないように。腕もまっすぐ伸ばすんだ……そうだ、上出来だ。だが駄目だ、もう少し近くに寄りなさい』
こちらの動揺を見抜いているだろうにサーシェスは一切言及することなく、俺の手の甲を包み込むように覆った。トリガーに指をかけさせる。
終わりは一瞬だった。
「────」
引き金を引く瞬間。
咄嗟に浮かんだのは哀れな被害者に対する同情でも罪悪感でもなく、弟の無垢な瞳だった。
大抵の人間は「生まれ変わったら何になりたい?」と家族や友人同士で会話した経験が一度はあるんじゃないだろうか。少なくとも俺は来世について真剣に考えていたことがある。小学校で一時期流行ったからな。そこでは鳥や犬猫などの動物になりたいクラスメイトが多数派だったが、俺は来世も来来世も人間のままがいいと考えるタイプだった。金持ちや美形に生まれ変わりたいってわけでもなく、強いて言えば日本人として生きたいよなあ、と思う程度。
なので高校を卒業した直後に交通事故であっさり死に、人間として生まれ変わったのを自覚した時は驚いたし、出生国が明らかに日本じゃなくてガッカリもした。とはいえ住めば都とはよく言ったもので、今はクルジス共和国での暮らしに満足している。
そんな俺は高熱で寝込んでいた。
転生の影響か生まれつき脳内掲示板にアクセスできるため、寝たきりでも特に退屈しない。
原理が謎に包まれている掲示板は常に他の転生者が立てたスレッドで賑わっている。どうも漫画やアニメの世界に転生する人間が多いらしく、ただ数百年後の未来に生まれ変わっただけの俺は肩身が狭い。面白そうなスレに目を通すのも悪くないが、それよりも掲示板に付属する機能*1を気に入っていた。最近はもっぱら弟のソランの成長記録と化している。
俺の風邪を移さないためなのかソランや父さんとは顔を合わせず、食事を持ってくる母さんとだけ会話する日々。転生者の集う掲示板があっても寂しさを完全に紛らわせることは出来なかったというのに、ようやく復活した俺に待っていたのは弟が行方不明になったという厳しい現実だった。さらに、近所の子供たちも数日前から何人か姿を消したらしい。
「あなたが気にすることはないのよ」
母さんはそう言うけれど声に覇気はなく、目の下にクマができている。俺が寝ているあいだ父さんは毎日ソランを探して歩き回ったそうだ。俺一人だけ何も知らずに食っちゃ寝してソランたちの捜索を任せきりで過ごして、気にするに決まっている。
病み上がりの体で捜索隊に参加させることはできないと父さんに止められたため、俺は母さんと一緒に弟の帰りを家で待つことになった。
夢を見ている。
そう直感的に理解したのは、家族全員で囲んでいる食卓にクルジスで目にする機会などあり得ないメニューがズラリと並んでいたからだった。
オムライス、エビフライ、ナポリタンスパゲッティ、カツカレーにフライドポテト。なんとも懐かしいラインナップだ。中央にホールケーキまで置いてある。一体どんな状況だというのか。
周囲に視線を走らせると壁はカラフルなバルーンで飾り付けられており、その余白を切り文字*2のステッカーが埋めている。ケーキ型のバースデーハットを被り、本日の主役をアピールするタスキを身につけられた弟の姿に笑いが込み上げてきそうになった。どうやらソランの誕生日パーティらしい。
夢の中の俺はクラッカーを持ち、糸を引っ張るタイミングを今か今かと待ち構えている。
それは正面に座る父さんも同じらしく、不意に視線が合ったかと思えば口パクで「まだだぞ」とクラッカーを後ろ手に隠しながら伝えてくる。明らかに隠せていなかったが、幸い
「ソラン、誕生日おめでとう!」
意識が浮上する。
いつのまにか寝ていたようだ。
思い出せない夢の内容に思いを馳せていると、不思議と今にも弟が帰ってくるんじゃないかという気持ちになって、俺は自然と起き上がっていた。
腕を伸ばして軽く深呼吸。
窓からは淡い光が差し込んでおり、既に明け方に近い時間帯であることが窺える。普段は俺より先に母さんが起き出して朝食を作ってくれているのだが、物音は一切せず、屋内は静まり返っていた。
毎晩遅くまで起きて帰りを待っているから、二人ともまだ眠っているのかもしれない。今日からは朝食の準備を代わるべきだろうか。普段より少し豪華な食卓にして、好物を並べればソランも慌てて戻って来るんじゃないか? 帰宅した弟はきっと自分だけ仲間外れは嫌だと頬を膨らませるに違いない。
実は好奇心でなんとなく家出してみたくなって行動したら誘拐の可能性を疑われて捜索されはじめて家に帰りづらくなっちゃいました、なんて妄想は有り得ないとしても、帰ってくる可能性はゼロじゃないんだ。念のため玄関の外を確認しておこう。
壁を挟んだ寝室で眠っている両親を起こさないように忍び足で部屋を出て、廊下を歩き、廊下と玄関を仕切る長い暖簾を片手で押しのけて。
俺は立ち止まった。
出入り口に立ち尽くす少年は見慣れた顔だが、その人物が弟のソランだと理解するのに数瞬を要した。床に折り重なるようにして両親が倒れていたからだ。惨状に釘付けになっているあいだも血溜まりは容赦なく広がっていく。鮮血が衣服を凄まじい勢いで染める光景に頭がどうにかなりそうだった。
両親は死んでいる。
今は弟だ。
ソランの無事を喜ばなければ。何があったか訊ねるのはソランを抱きしめた後でも遅くないだろう。そう考えて踏み出した途端、乾いた音が響く。
音の発生源を探ろうとして、そこでようやく弟の手に何かが握られていることに気がついた。
黒く、無機質で、中心部からは小さな煙が立ちのぼっている。その正体に辿り着く前に違和感がして頬に手を添えれば、指先に液体が付着した。
赤く濡れている。
「?」
なんで血が出るんだ?
そんなことが起こるわけない。両親を殺した犯人も凶器も一目瞭然であるわけがない。弟が危害を加えるなんてあり得ない。ましてや家族に。思考放棄しようとして、しかし視線は理性に反して動く。
ソランは銃口を向けていた。
「俺を撃つか?」
「……」
「別に死ぬのが嫌なわけじゃないが……せめて、理由を言ってほしいんだ。お前がこうしようと思ったのはどうしてなんだ? 教えてくれないか」
死んでも生まれ変わるんだし。
そう確信しているので今この瞬間に弟に撃たれようが構わないのだが、今世の両親の命が絶たれてしまったことだけは納得できそうになかった。二人とも非の打ち所がない善人だったのだ。俺たち兄弟を平等に愛してくれていた両親を殺す動機がない。
別人のように黙り込むソランからは、俺が期待した「両親を殺すように脅迫されて従うしかなかった」みたいな答えすら返ってこなかった。
「なあ──」
再び鼓膜を震わせる銃声。
弟はもう引き金から指を離していたので、別の人間が銃を使ったことになる。少しの間をおいて二、三発と続き、次第に何も聞こえなくなった。
家の外からだ。……
気づけば俺は服の袖を掴まれ、行き先を知らぬまま弟に歩かされている状態だった。
「みんな戦士になるんだ」
ソランが唐突に呟く。
「ここにはもう戻らないから、兄さんも一緒に行かなきゃ。みんなで神のために戦うんだ」
振り返ってこちらを見上げる純粋な眼差しは以前と何も変わらない。返答が思い浮かばず、袖を掴む指にそっと触れてから無言で手を繋いだ。
███・イブラヒム
オリ主。原作知識なし転生者。ガンダムは「主人公のアムロとライバルのシャアが人型ロボットに乗って宇宙で戦うアニメ」としか知らない。