窓の外では、日が落ち始めていた。
夕焼けが教室を赤く染め、机や椅子の影を長く伸ばしている。
その中で、赤司征十郎と龍園翔は向かい合っていた。
整った姿勢と穏やかな笑みを崩さない赤司に対し、龍園は威圧するように鋭い眼光を飛ばす。互いに、相手が容易に扱える人間ではないと理解していた。
「――石崎。椅子を出してやれ」
「……は、はいっ!」
龍園の指示を受け、取り巻きの一人である石崎が慌てて動いた。赤司の背後に椅子を置く。
赤司はそこに腰を下ろし、足を組む。正面に座る龍園は机の上に足を置き、ふんぞり返る。
「それで、わざわざ人を呼びつけておいて、いったい何のようだ」
龍園は口の端をわずかに吊り上げた。何も知らないふりをして、赤司の出方を窺っている。
「ふっ、そう警戒するな。こちらからお前に何かするつもりはない」
赤司は穏やかな笑みを浮かべたまま、懐から端末を取り出した。それを龍園から画面が見えるように机へ置く。
「ここでの会話を録音することもない。無意味な探り合いは不要だ」
龍園は端末を一瞥すると、顎を動かした。
「アルベルト。確認しろ」
「Yes,sir」
壁際に控えていた大柄な黒人の生徒が、赤司の身体を調べ始めた。胸元や袖口、腰回りを確認し、録音機器などがないことを確かめる。
やがてアルベルトが頷くと、龍園は机に足を上げた。その顔には、獰猛な笑みが浮かんでいた。
「ククク……赤司、テメェを舐めてるつもりなんざ無かったが、これを送られてきた時はさすがに肝が冷えたぞ。いったい何処から読み切ってやがった?」
龍園は端末を持ち上げた。
表示されていたのは、一枚の写真。南雲雅と龍園翔が、空き教室へ入っていく姿だった。
撮影されたのは七月一日の夕方。バスケ部に対する計画が想定と異なる方向へ進んでいることを知った二人が、急遽会合を持った時のものだ。
「いや、お前と南雲が関わっていることは可能性として考えていたが……その写真は俺が撮ったものでも、指示して撮らせたものでもない。この写真は俺の思惑を越えてきた一手だよ」
「なに?」
「お前も分かって聞いているのだろう? Cクラスの生徒に俺や俺の周りの人間の行動を監視させていたのだから」
喫煙疑惑事件が公表されて以降、龍園は配下の生徒に赤司とその周辺を監視させていた。対象はAクラスの生徒だけでなく、男子バスケ部の人間にも及んでいた。
赤司はその動きを警戒し、捜査の中心にはAクラスの生徒をあまり関わらせなかった。
葛城に喫煙所の撮影を頼んだものの、それは事件の根幹を明らかにする証拠ではない。一方、部室の検証や犯人の動線の確認は、Dクラスの生徒に任せていた。龍園の監視が及んでいないと考えたためだ。
そして、赤司の知らないところで、南雲と龍園の密会を撮影した者がいた。
「……Dクラスの不良品共の中にテメェの想定を越え、俺を出し抜いたやつがいたってことか」
龍園は目を細めた。
赤司の指示を受けた人間なのか。それとも、独自に動いていた人間なのか。いずれにせよ、自分の監視を潜り抜け、決定的な場面を押さえた者がいる。
「さあ? 俺はDクラスとは言ってないが」
「ぬかせ。今回の件でDクラスが動いていたこともテメェに協力してた連中がいたことも分かってんだよ」
須藤健のためにDクラスの生徒が聞き込み調査をしていたことは、学年内でも知られていた。短期間で成果を上げられなかったとはいえ、彼らが事件に関わっていたのは確かだ。
何より、審議の場には堀北鈴音も同席していた。赤司とDクラスの間に協力関係があると考えるには十分だった。
「クク……ゴミと侮っていたが、案外そうでも無いようだな」
龍園は笑みを深めた。自分を出し抜いた人間を見つけ出そうと、Dクラスへ関心を向けたのだろう。
「それで? 聞いてやるよ、何が望みだ」
画像の映る端末を揺らし、龍園は本題を促した。
客観的に見れば、弱みを握られているのは龍園の方だった。南雲との密会を示す写真は、二人の関係を疑わせるだけの価値がある。
「お前に要求することは特に無い」
「……なんだと」
龍園の表情に困惑が浮かんだ。
「バスケ部は大会に参加でき、今回の捜査で使用したポイントも返還されることが決まった。これ以上の要求は無い。審議の場でもそう述べたはずだが」
「なら、テメェはなぜ、この画像を俺に送った? 今、俺や南雲とコトを構える気がねぇなら、コイツは温存しておくべきだ」
龍園の疑問はもっともだった。
南雲との協力関係を示す写真は、今後の交渉で使える切り札になる。南雲と対立する赤司にとっても、その価値は高いはずだ。
それを、見返りも求めず龍園へ渡した。その意図が読めなかった。
「単純な話だよ。俺の懐で温めておくよりも、お前に渡すほうが価値があると判断したまでだ。お前こそその画像の利用価値には気がついているのだろう?」
「…………。」
龍園は答えず、赤司を睨んだ。
「俺の推測だが、今回の一件を持ちかけたお前は南雲に一杯食わされたと見ているが……どうやら、その様子だと正解のようだね」
南雲の他者を利用する性質と、勝利のために手段を選ばない龍園の性格。今回の計画を踏まえれば、二人の間で何が起きたのかは想像できた。
「……チッ。どこまで読めてんだ、テメェは。俺は南雲にお前らを嵌める計画を売りつけた。そこまでは良かったが、アイツは俺との会話を録音してやがった」
龍園は不快感を隠さずに認めた。
今回の一件、計画を立案したのは龍園。人員を手配したのは南雲で、実行犯は諸岡だった。
南雲は複数の人間を間に挟んで自身の関与を隠し、審議の場では立会人を申し出て公正な立場を装った。
それだけでなく、龍園との会話を録音し、協力者である彼をも利用しようとしていた。
「――だがその画像があれば、南雲が持つ録音は価値を失う。仮に南雲がお前を密告した場合、刺し違える程度には持ち込むことはできるだろう」
南雲が録音を一方的に持っていれば、音声を加工して龍園の関与だけを残すこともできる。
しかし、龍園の手元には二人が空き教室へ入る写真がある。さらに、今回の計画では多額のポイントが動いていた。時期を考えれば、一年生が手にするには不自然な金額だ。
写真とポイントの流れを示せば、龍園が密告されたとしても南雲を巻き込める。赤司が写真を渡したことは、龍園を南雲の首輪から解放することに等しかった。
それを理解しているからこそ、龍園は赤司の意図を測りかねていた。
「もし理由が欲しいと言うなら、10月の会長選に向けて恩を売ろうとしている、と思ってくれて構わない。お前も知っているんだろう? 俺が会長選で南雲と戦うと。そもそもこの情報を持っていなければ、今回の件でお前が南雲と協力を結ぶことすらできなかったはずだ」
赤司の言葉を受け、龍園は不敵な笑みを取り戻す。
今回の計画には南雲の協力が必要だった。その交渉材料となったのが、赤司と堀北学の間に密約があるという情報だ。
「……ふん、まあな。テメェの仲良しなクラスメイトが教えてくれからな」
「橋本 正義。彼とお前が四月の段階から協定を結んでいたことは知っている」
赤司が橋本と龍園の関係を疑ったのは、五月初頭にクラスポイントが発表された時だった。
生徒会に所属する赤司は、クラスポイントの推移をある程度予測できる情報を持っていた。だからこそ、Cクラスのポイントが予想よりわずかに多く残っていたことに違和感を覚えた。
四月半ば辺りから、龍園に近しい一部の生徒は派手な行動を控えていた。赤司はその変化に気づいていた。
当時、クラスポイントの仕組みを知っていたAクラスの生徒は限られている。その情報が龍園に伝わっていたのなら、Aクラスの内部事情を知る橋本が関わっている可能性は高かった。
橋本は坂柳有栖から、赤司と堀北学の関係についても情報を得られる立場にある。龍園へ情報を流すことも可能だった。
「なるほどな。橋本はテメェのスパイだったってことか」
「いや、残念ながら違う。橋本には自由に立ち回れとは言ったが、俺には情報は流していないよ。そもそも彼は坂柳の持ち物だ」
赤司は迷いなく否定した。
「はっ、どうだかな」
「まあ、橋本としては俺の下に収まりたいところだろうが。生憎、ただの側付きは必要としていない」
赤司は笑みを浮かべて立ち上がった。自分の後ろをついてくるだけの人間を集めても意味はない。
「とにかく。要件は以上だ、時間をとらせてしまったね」
端末を回収し、赤司は出口へ向かった。
だが、龍園はその背中を睨みつけていた。
自分から仕掛けた計画は失敗し、赤司はバスケ部の活動再開まで勝ち取った。さらに今、自分は相手から一方的に利益を与えられている。
そんな屈辱を、龍園が黙って受け入れられるはずもなかった。
「アルベルト」
呼びかけに応じ、アルベルトが赤司の前へ回り込む。
「Hey」
赤司は足を止め、体格差のある相手を見上げた。
その背中へ、龍園が声を飛ばす。
「おいおい、勘違いしてんじゃねぇぞ、赤司。俺は別にテメェを潰すことを諦めたわけじゃねぇ」
龍園は机の上で足を組み替えた。
「テメェもバスケ部も潰す手は幾らでもある。なんなら今、テメェの足でもへし折って、選手生命をぶっ壊してやってもいいんだぜ?」
赤司の足が止まった。
龍園は脅しだけで終わる男ではない。勝つために必要だと判断すれば、手段を選ばず実行するだろう。相手の弱点を突き、最も失いたくないものを狙う。それが龍園のやり方だった。
「――――。」
短い沈黙。
赤司の雰囲気が変わった。表情も声も大きく変化していない。それでも、龍園は目の前の少年から発せられる圧が強まったように感じた。
「龍園 翔。これでもお前のことは評価しているつもりだ。だが――」
赤司はアルベルトの肩に手を置き、そのまま押し込んだ。
「What……!?」
アルベルトの巨体が傾き、次の瞬間には床へ尻餅をついていた。赤司の動きに無駄はなく、相手の重心を崩して一瞬で体勢を奪っていた。
赤司は振り返り、龍園を鋭く見据えた。
「あまり
冷たい声でそう告げると、赤司はそのまま空き教室を去っていった。
残された龍園は、獰猛な笑みを浮かべて扉を見つめていた。
♢
廊下へ出た赤司は、数歩進んだところで足を止め、壁に寄りかかった。
呼吸は荒く、額には汗が滲んでいる。
「……数秒、意識を失っていた。アレは――」
幼い頃から、赤司は自分の中にもう一人の自分がいるような違和感を抱いていた。しかし、それが表面に現れることはほとんどなかった。
それなのに、先ほどは一瞬、意識が途切れた。
アルベルトを押し倒したのは自分なのか。それとも、自分の中にいる
だが――。
実力至上主義の学校での生活。父との約定。Aクラスをまとめる役割。バスケ部のキャプテンとしての責任。生徒会役員としての職務。
周囲から見れば、赤司はすべてを問題なくこなしていた。だが、先を読み、最善手を選び、期待に応え続けることが、精神に負荷を与えていなかったわけではない。
そして今回の事件。迅速に動いたからこそ、バスケ部は大会への出場権を取り戻せた。だが、一つでも判断を誤っていれば、失っていた可能性もある。
赤司は自嘲するように笑った。
「我がことながら驚いたな……まさか、バスケを失うことをこれ程までに恐れているとはね」
バスケットボールは、とうに特別なものではなくなったと思っていた。
幼い頃、母が与えてくれた自由。そして、母との時間を繋ぎ止める思い出。
帝光中学では勝利が当然となり、競技としての熱は次第に失われていった。全中三連覇、無敗の実績、高校年代の日本代表への飛び級。結果を積み重ねる一方で、情熱は色褪せたように思っていた。
先ほどの反応は、自分が思っていた以上に、バスケットボールが大切なものであることを示していた。
「…………。」
一度引き金が引かれた以上、いずれ表面化するのは時間の問題だろう。
自分の内側に潜んでいた、もう一人の自分。
それが姿を現した以上、以前と同じ状態を保つことは難しいのかもしれない。
――いずれ、自分は。
そこまで考え、赤司は壁から身体を離した。
乱れた制服を整え、額の汗を拭う。そして一つ息を吐き、いつもと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべ直し、再び歩き出した。
♢
その後、男子バスケ部は無事に決勝リーグへ進出し、圧倒的な成績でインターハイへの出場を決めた。
七月半ばの期末テストでも、Aクラスは赤司が用意した模擬テストの効果もあり、学年でも高い平均点を残した。
七月末のインターハイでは、高度育成高等学校の男子バスケ部が決勝へ進出。高校タイトルを総なめにしてきた洛山高校を激闘の末、勝利し初優勝を果たした。
赤司自身も大会最優秀選手に選ばれ、称賛にいつも通りの笑みで応えた。
だが、胸の内に生じた違和感が消えることはなかった。
そして八月。赤司は、特別試験の舞台となる豪華客船へ乗り込んでいた。
以前の赤司と龍園が手を組む展開に納得がいかなかったので改稿しました。
近々、無人島編を投稿して行きたいと思います。
またインターハイ決勝の高育VS洛山も後ほど幕間にて書きたいと思ってます(バスケ描写はカロリーが高いので、本編の夏休みが終わった辺りだと思います)。
不定期で更新していくつもりです。よろしくお願いします。