機動戦士ガンダム 逆シャア前夜の子供食堂 ――キッカの家―― 〜宇宙世紀0092-0093、サイド1・ロンデニオン外縁区〜 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
奪還作戦の前夜、キッチンには珍しく甘い匂いが満ちていた。
「なんで今チョコなんですの」
ステファニーが、腕を組んで苛立たしげに言う。
「明日、失敗するかもしれないから」とキッカは平然と答えた。「だからこそ今、成功した後の味を作っとくの」
リィナがカカオを刻みながら溜め息をつく。
「理屈になってないようで、ちょっとだけ分かるのが悔しいわね」
フォンダンショコラ。
贅沢品だが、ステファニーが持ち込んだカカオと少量の砂糖、卵、小麦で作れる。甘すぎず、少しだけ苦い。子供向けではなく、大人になる前の自分たちのための味だった。
生地を混ぜながら、ステファニーがぽつりと言う。
「わたくし、父に呼び戻されるかもしれませんの」
誰も手を止めない。
「今さら?」
エルの率直さに、彼女は眉をつり上げる。
「今さらだからですわ。ネオ・ジオンが本格的に動けば、ルオ商会も地球圏の物流を再編します。わたくしは……その部品のひとつ」
ミリーは焼き型に生地を流しながら聞いていた。
高価な服を着た令嬢にも、食卓のない孤独はあるのだと知ってしまったから。
「嫌なんですか」
ミリーが問う。
ステファニーは少し黙って、答えた。
「嫌、というより……怖いですの。数字と命を切り分けて考えられる人間になってしまいそうで」
焼き上がったチョコケーキを割ると、中から柔らかい生地がとろりと溢れた。苦味の後に甘さが来る。そんな味だった。
一口食べて、リィナが笑う。
「大人の味ね」
「苦いですわ」とステファニー。
「苦いのに、嫌じゃない」
キッカが皿を置いた。
「それでいいんだよ。戦争の前って、だいたいみんな『嫌なものは嫌』って言えなくなるから。せめてここでは、味くらい正直に感じよう」
その言葉が妙に胸に刺さった。
明日の作戦は、子供たちをコンテナから逃がし、旧実習棟へ匿う。ルオ商会の偽装伝票、リィナの経路計算、エルの足、キッカの度胸、ミリーの現場勘。全部を使う。それでも危険だ。
食後、ミリーはひとりで後片付けをしていた。
そこへキッカが来て、流し台にもたれかかる。
「怖い?」
「……はい」
「うん。私も」
「でも行きます」
「うん」
しばらく沈黙が続いた後、キッカが低く言った。
「もし明日、何かあったら。ミリーだけでも走って」
「嫌です」
「即答だね」
「キッカさんも、リィナさんも、エルさんも、ステファニーさんも置いていきません」
キッカは笑った。
その笑顔は、いつもの太陽みたいなものよりずっと弱く、だからこそ本物だった。
「そっか。……じゃあ、全員で戻ろう」
翌未明。
北区のコンテナ置き場に、輸送車が入った。
彼女たちの戦いが始まる。