機動戦士ガンダム 美味しんぼ ロンド・ベルの究極、ネオ・ジオンの至高 逆襲のシャア前夜、ロンド・ベル寄港中の補給食堂 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
「──ったく、だからこの高密度の書類手続きってやつは、胸くそ悪くなるんだよ……!」
3月を迎える直前のことだ。
あたしたちが溜まり場にしている旧実習棟の名前が、あろうことか『ラー・カイラム』の補給交渉における「補助リスト」なんていう、文字通り何の冗談か分からないような書類の隅っこに混ざり込んでいた。
もちろん、記載ミスとかそういうんじゃない。
『間違いみたいな顔をした正規手続き』という、一番たちの悪いやつだ。
軍需余剰。
民間端数。
大学試料。
避難者支援物資。
この4つの複雑な流通ラインがたったひとつの倉庫でごちゃごちゃに絡まり合って、税務署の調査官だって投げ出すレベルの誰も解けない知恵の輪になっていた。
リィナ・アーシタはその補助リストを画面に表示させると、いかにも胃が痛そうに綺麗な眉間へシワを寄せる。
「……旧実習棟、調理施設ではなく『仕分け保管場所』として登録されています」
エル・ビアンノが、あたしの机の端っこに腰掛けながら身を乗り出した。
「ハァ? つまりどういうことよそれ?」
「食材を置くことは可能です。……ですが、それを人に食べさせるとなると、全く別の申請書類が必要になります」
「ねえ、その書類を作った奴ってさ、わざと性格悪く作ってんじゃないの!?」
「……たぶん、性格ではなく責任の所在の問題だと思います」
「それを世間では『性格が悪い』って言うの!」
リィナは何か言い返そうとしたけれど、小さく溜め息をついて黙り込んだ。微妙に納得しちゃってる顔なのが可笑しい。
あたしは手帳を開いて、そのやり取りをペンでなぞった。
『書類の性格が悪い』──フフ、なかなかセンスのある表現じゃない。だけど、エルの言葉をそのまま手帳にメモすると、後でアイツが「でしょー!?」なんて調子に乗るのが目に見えている。それはちょっと悔しいから、書くのはやめておいた。
そこへ、端末を手にしたチェーン・アギさんが歩いてくる。
「今日の補給確認は、港湾の中立業者の窓口で行うわ。旧実習棟に運び込まれた食材も、そのまま確認対象に入ってるから」
あたしが尋ねる。
「……なんであたしたちまで付き合わされなきゃいけないんですか?」
チェーンさんは冷ややかな、けれどどこか楽しむような視線を向けた。
「あなたたちが、食材の『出所記録』を律儀に申請書へ添付したからよ」
彼女はパタンと端末を閉じる。
「文字にして提出したものは、巡り巡って自分の元へ戻ってくるのよ」
……なんだか、背筋がゾクッとするような言い方だった。
あたしの手帳も同じだ。書いた言葉は、いつか自分に返ってくるのかもしれない。
港湾エリアにある中立業者の窓口は、拍子抜けするほど地味な場所だった。
年季の入った古くさい木製デスク。色の違う書類の山。そして、重厚な鍵がかけられた香辛料の木箱。
デスクの向こうには民間業者が2人と、連邦側の書類係が1人。
──そして、ネオ・ジオン側の随員として、あのナナイ・ミゲルが佇んでいた。
「市場で偶然会っちゃった」なんていうラノベみたいな甘い展開じゃない。和平交渉に伴う、殺伐とした補給確認の現場だ。中立業者が扱うその香辛料箱には、連邦とネオ・ジオン、双方の確認印が必要不可欠となっていた。
けれど、中身は全く同じ箱だというのに、書類上の名称がまるで違っている。
連邦側の伝票では『嗜好品』。
ネオ・ジオン側では『士気維持物資』。
中立業者の控えでは『香辛料詰め合わせ(低重量高単価品)』。
リィナは3枚の紙を見比べる。
「……同じものなのに、名前が3つもあります」
エルが箱の隙間から中を覗き込んだ。
「当の本人(スパイス)的には『香辛料でいいじゃん』って思ってそうだけどねー」
「食材に意志を持ち込まないでください」
「じゃあ、スパイスさん」
「余計に悪化してます!」
そのとき、ナナイがすっとこちらへ視線を向けた。
冷たいというより、ミリ単位の狂いもなく整えられた氷の造形物のような視線。一切の乱れがないその佇まいが、あたしには少し怖かった。
「……ロンド・ベル側の補給確認に、大学の『食文化研究部』が同席するとは思いませんでしたわ」
けれど、ファ・ユイリィは怯むことなく、香辛料箱から目を離さなかった。
「こちらも、ネオ・ジオン側がたかが香辛料にここまで執着しているとは思いませんでした」
ナナイは即座に言い返した。その声には一切の迷いがない。
「──香辛料は、単なる嗜好品ではありません」
「補給線が長く引き伸ばされた部隊ほど、食事はどこまでも単調になります。毎日毎食、同じ乾燥食、同じ缶詰、同じ塩分……! この『香り』こそが、兵士たちに繰り返される反復の苦痛を忘れさせ、明日への活力……すなわち士気をもたらすのです! これを理解せずして何が補給ですか!」
一瞬で空気が跳ね上がった。まるで究極と至高の料理対決が始まったかのような重厚な熱量。ファはほんの少しだけ眉を動かす。
「……兵士を戦場へ駆り立てるための『香り』、ですか」
「そうです。動かなければ、兵は死ぬのですから」
ナナイが眉をひそめる。
「ですが、それが子供たち相手となると……効きすぎて毒になることがあります」
「効きすぎる……?」
「強い香りは猛烈に食欲を刺激します。ですが、胃が弱って満足に食べられない子にそんな強い香りを嗅がせたら、ただただ激しい空腹感という苦痛だけを強くしてしまう……! ほんものの料理とは、食べる人間の状態を徹底的に観察し、その心と体に寄り添うものでなければならないはずです!」
ナナイは、くっと唇の端を上げた。嘲笑というより、洗練された冷徹な笑み。
「……軍という巨大な組織では、そこまで一個人の事情に合わせる余裕はありません」
「ですが、あたしたちの厨房では合わせます!」
「ふん、愚かな……実に贅沢な話ですね」
「贅沢で結構です! だからこそ、あたしたちはこの場所を守りたいんです!」
あたしはパイプ椅子の上で、ぎゅっと足の指に力を込めた。
これはただの口喧嘩なんかじゃない。もっと根深い、理念と理念の激突だ。
一方は、100人の兵士を動かすために「香り」という牙を使う。
もう一方は、たった1人の子供が2口目を飲み込めるように「香り」を優しく抑える。
どちらも、人間を生かすための「食事」だ。どちらも圧倒的な理が通っていて、誰も間違っていない。……だからこそ、恐ろしい。
ナナイは木箱の中から、ガラスの小瓶をひとつ取り出した。
粉末ではなく、乾燥した葉と種子が絶妙な配合で混ざり合っている。蓋が開けられた瞬間、凛とした鮮烈な香りが部屋いっぱいに広がった。
エルが思わず鼻をひくつかせる。
「うわっ……すごい、めちゃくちゃ良い匂い……!」
ナナイは誇り高く胸を張った。
「その反応こそが正解です」
「本当に疲弊しきった人間は、味覚よりも先に『香り』によって顔を上げるのです。味などというものは、その後の話に過ぎません!」
しかし、ファはその小瓶を受け取ろうとはしなかった。
「……顔を上げた後、その料理を食べられなかったらどうするんですか?」
ナナイの瞳が、一瞬で鋭く光る。
「その時は、次の食事で再び立たせるまでのこと!」
「厨房では、そのたった1回の失敗で、二度と食事を受け付けなくなってしまう子がいるんです!」
「だから『贅沢だ』と言ったのです!」
ナナイの声は決して張り上げられてはいない。けれど、部屋全体の空気を圧迫するような圧倒的な存在感があった。自分の構築した完璧な論理に、みっともない隙など一切見せない美しさ。
あたしは今すぐ手帳を開きたかった。けれど、いまナナイの言葉を書き留めたら、彼女の冷徹な美学をただ格好良く肯定してしまう気がした。……それは、すごく危険なことに思えた。
ナナイはその小瓶を、業者の伝票の上にカトンと置いた。
「これは施しでも寄付でもありません。誤配分の『修正』です」
エルが隣で小声で囁く。
「『素直にくれる』って言えば可愛げもあるのにねー」
もちろん、ナナイの耳に届かないはずもない。
「……敵に余計な借りを作る趣味はありませんので」
エルはニッと意地悪く笑った。
「敵のくせに、こっちの好みをよく分かってんじゃん」
リィナが焦ってエルの袖を引っ張る。
「ちょっとエルさん、挑発しないでください!」
エルが返す。
「えー? 3割くらいしかしてないよ?」
「7割はしてます!」
「厳しいなぁ、もう」
チェーンさんはそのやり取りを軽く流しながら、ポンと伝票に確認印を押した。
「旧実習棟への移動は、ロンド・ベル補給の副線ではなく『大学試料の再配分』として処理するわ」
リィナがすぐに身を乗り出す。
「それって……軍用物資ではなくなる、ということですか?」
「書類上はね」
「現物は?」
チェーンさんは一瞬だけナナイに目線をやり、淡々と言った。
「現物は同じよ」
ナナイは何も言わなかった。その沈黙が、なんだか無性に可笑しかった。
たったひとつの香辛料が、紙の上の名前を変えるだけで別の存在になる。
軍用。
民生。
嗜好品。
士気維持物資。
試料。
食材。
名前がすり替わるたびに、責任の所在もうやむやにスライドしていく。
あたしはここで、ようやく手帳にペンを走らせた。
『同じ香り。違う皿。』
その夜。旧実習棟の厨房で、ファはその香辛料を使わなかった。
エルは露骨に不満そうな顔をして、鍋の横に立っている。
「えーっ、使わないの!? 今日の絶対的なキーアイテムっぽかったじゃん!」
「いま使ったら、今日のあたしたちは『負け』になるのよ」
「どういう意味よそれ?」
ファは小瓶をかざし、電球の光に透かしてみせた。小さな葉と種が、薄明かりの中で揺れている。
「今の薄い麦粥にこんな上等なスパイスを入れたらね、香りだけで『食べた気』になっちゃうの。食欲をそそられても、実際の胃袋はちっとも満たされない」
「でもさー、食欲をそそる『きっかけ』にはなるでしょ?」
「ええ、なるわ。……だからこそ危険なの」
ファはカチリと音を立てて蓋を閉めた。
「香りという『最高の調味料』で人を惹きつけるなら、惹きつけた後にどんな至高の料理を出すかまで完璧に決めてからじゃなきゃダメ。今のあたしたちには、まだそれだけの準備がないわ」
リィナは手元の食材管理表を凝視していた。
麦。
水。
塩。
乾燥野菜──なし。
油──なし。
卵──なし。
香辛料──1瓶。
リィナはその最後の欄で鉛筆を止め、頭を抱えた。
「……目の前にあるのに『使わない』食材なんて、管理表にはどう記載すればいいんですか?」
ファが答える。
「『使わない理由』をそのまま書けばいいのよ」
「『香りが勝ちすぎるため』……ですか?」
「ええ」
リィナは少し考え込んだ後、真面目な顔でカツカツと書き込んだ。
『香辛料:本日使用せず。』
『理由:香りが先に勝ってしまうため。』
エルが横から覗き込む。
「なにそれー! リィナの書く表って、たまに無駄にポエティックになるよね!」
「ただの記録表です!」
「出た! 詩人気取りの管理表!」
「破きますよ!?」
「ごめんなさい!!」
あたしは思わずくすっと笑ってしまった。
ナナイの持ち込んだ香辛料は、棚の一番上の段に置かれた。白い清潔な布で大切に包まれて。
目には見えないけれど、確かにそこにある。使われていないのに、部屋全体の空気を静かに支配しているような圧倒的な存在感。
ファは静かに麦粥の鍋を洗いはじめた。
「……本来、香辛料というのは素材の持つ脂(あぶら)の状態が良くない時に真価を発揮するものなのよ」
あたしが聞く。
「それって、臭み消しってことですか?」
「単に臭みを覆い隠すためだけなら、最初から使わない方がマシよ」
「じゃあ……?」
「足りない脂の旨味を立たせて、料理として極限まで昇華させるため。……『隠す』ことと『立たせる』ことは、似ているようで全く違うの」
エルが首をかしげた。
「ねえ……それ、なんかもの凄く『山岡さん』っぽくない!?」
ファが怪解そうにエルを見る。
「……さっきから言ってるその『山岡さん』って、一体誰なのよ?」
「あたしもよく知らない! けど、絶対そういうドヤ顔で語るタイプだって!」
「知らないなら適当なこと言わないで!」
「だって雰囲気がそっくりなんだもん!」
リィナがボソッと呟いた。
「……エルさんの脳内にだけ生息する謎の料理評論家ですね」
「うわ、なにそれちょっと怖いんだけど……」
あたしは手帳を開いた。
『香辛料は、勝つために使うのではない。使うなら、食材の退路(にげば)を作るために。』
──書いてから、すぐに違和感を覚えて線を引いた。
これじゃダメだ。キレイ事にまとめすぎている。ファの切実な言葉を、あたしが勝手にドラマチックに補正しちゃってる。
あたしはその行を消して、下にありのままを書き直した。
『香辛料は、今日は使わなかった。』
『理由、香りが先に勝ってしまうから。』
うん。こっちの方が、ずっとあたしたらしい。
夜が深まると、遠くの港湾放送からアナウンスが響いてきた。
和平交渉団の移動スケジュール。
ロンド・ベル補給便の優先係留。
ネオ・ジオン側窓口の変更。
世界を動かすような、大層で巨大な言葉ばかりだ。
そしてその巨大な言葉の重みが、棚の上に置かれた小さな小瓶を、ほんの少しだけ重くさせている気がした。
エルが椅子の背もたれに大きく体重を預ける。
「ねえ、キッカ」
「なに?」
「……ナナイさんって、やっぱり怖かった?」
あたしは少し考えてから、答えた。
「……うん、怖かった」
「えー? 全然怒ってなかったじゃん」
「……怒ってなかったから、余計に怖かったんだと思う」
エルは分かったような、分からないような顔で天井を見上げる。
「……ファとナナイさん、料理人としてはどっちが上なのかな?」
「料理で?」
「うん」
あたしは棚の上の、白い布に包まれた小瓶を見つめた。
使われなかった香辛料。
まだ誰も答えを出せていない、未完成の食材。
「……分からないよ」
「そこは『ファの勝ち!』って言ってあげなよー」
「そんなテキトーなこと言ったら、あとで後悔するでしょ」
あたしが言うと、リィナが昼間と同じような呆れ顔をした。
エルは「げっ」という顔をする。
「キッカまでリィナみたいな言い方しないでよー!」
厨房では、ファが黙々と鍋を磨いていた。
その背中は、勝負に勝った者の背中ではなかった。けれど、負けて打ちひしがれている者の背中にも見えなかった。
ただ明日もここで誰かに温かいご飯を出すために、次に使う鍋を丁寧に洗っている……どこにでもある、けれど愛おしい料理人の背中だった。
あたしは手帳の最後に、今日の小さな物語のタイトルを書き添えた。
『ロンド・ベルの究極。ネオ・ジオンの至高。』
……書いてから、一瞬手が止まる。
大きすぎる。こんな場違いな言葉、あたしたちのちっぽけな旧実習棟にはあまりにも重すぎる。
けれど──今日あたしたちが目撃したものは、間違いなくそれだったのだと思う。
たった1人の子供に、もう一口を食べさせるための食。
100人の兵士を、次の戦場へ歩ませるための食。
どちらも「食べさせること」を通して、人の命を動かそうとしている。
どちらが本当の正解なのかなんて、あたしにはまだ分からない。
分からないまま、あたしはあの小瓶が眠る棚を見上げた。
使われなかった香りが、そこにある。
使わなかったはずなのに、あの香りは間違いなく、今夜のあたしたちの食堂を完璧に支配していた。
その圧倒的な事実を、あたしはまだ、上手く言葉にできずにいる。