日が傾き始めたウルの町の外壁の上。うみの口からぽつりと漏れたその静かな呟きで、先ほどまでの空気は一変した。
ティオの爆弾発言によって生じていた誤解と喧騒が霧散し、水を打ったような静寂が降りる。
愛子、生徒たち、護衛騎士たち――その場にいた全員の視線が、防衛の要として立つ少年へと一斉に集中した。
張り詰めた空気の中、誰もが彼が次に紡ぐ言葉を固唾を呑んで待っている。
だが、そんな彼らの緊張など全く意に介していない様子で、うみは軽く肩をすくめてみせた。
「予定よりだいぶ早いご到着。向こうは俺たちに会いたくて会いたくて仕方なかったみたいだね」
その緊迫感の欠片もない軽い口調に、護衛騎士の隊長であるデビッドがたまらず吠えた。
「そんなことはどうでもいい! 状況はどうなっている! 敵の数は!?」
血相を変えて詰め寄ってくるデビッドに対し、うみはさすがに不謹慎だったかと素直に引き下がった。
響蝠がもたらす情報を整理し、極めて端的に告げる。
「だいたい五万強ってところかな。種類はバラバラ。飛んでるやつもいるね」
「ご、ごまん………………っ」
『五万』という、一地方都市の防衛戦としてはあまりにも常軌を逸した数字の重みに、愛子の顔からスッと血の気が引いた。
その後ろで控えていた園部や玉井たち生徒も、恐怖と絶望に顔を引き攣らせ、デビッドら護衛騎士たちも一様に沈痛な面持ちで押し黙る。
数万の魔物。
それが意味するのは、町一つが容易く蹂躙される……いや、王都でさえ多大なダメージを受けるほどの圧倒的な物理的暴力の波だ。
しかし、絶望の淵に沈みかける彼らをよそに、当のうみは全く気負いのない、いつもの調子で言葉を繋いだ。
「そんな顔しないでよ。ドラゴンみたいな規格外はいないし、雑魚が群れてるだけだから問題ない。
むしろ、あの程度の駒で俺たちと戦争しなきゃいけない相手さんが可哀そうなくらいだ」
その言葉の受け取り方は、聞く者によって全く異なっていた。
事情を知らない騎士や町民たちは、五万の魔物の大軍を前に「雑魚」と切り捨て、「相手が可哀そう」とまで平然と言い放つこの少年の、圧倒的な自信に戦慄する。
だが同時に、その揺るぎなさが彼らの恐怖を薄れさせていた。
一方、昨日に北の山脈で『黒竜(ティオ)』という本物の絶望を目の当たりにしていた愛子や生徒たちは、(あのレベルはいないのか……!)と、分かりやすい最悪が不在であることに心底安堵していた。
同時に、そんな規格外の竜を基準にして、五万の軍勢を「問題ない」と言い切るうみの異常性に、改めて背筋を震わせる。
いずれにせよ、彼のその言葉は、絶望しかけていた彼らの心を確かに繋ぎ止めた。
「戦えない人は、壁の後ろ……町の中に下がってて。邪魔になるから」
うみの冷徹ともとれる、しかし戦場においてはこれ以上なく正しい指示。
その圧倒的な自信と、冷たさの裏にある彼なりの配慮を感じ取った愛子は、ハッと我に返り、教師としての責任感を取り戻した。
「……分かりました。私が言うことではないかもしれませんが……どうか、無事で……」
愛子は祈るようにそう告げると、護衛騎士たちと共に、生徒たちを連れて町の中への退避を開始した。
生徒たちも、複雑な視線をうみに向けながらそれに付き従っていく。
去っていく愛子たちを見送りつつ、うみは思考を戦闘モードへと切り替え始めていた。
だが、そんな彼の背中へ、不意に声がかけられた。
「月影くん!」
生徒たちの列から声が上がり、うみは『?』と首を傾げて振り返る。
その視線は既にお仕事モードに入りかけており、普段の彼からは想像もつかないほど、温度の低いものだった。
その冷ややかな眼差しの先で一人足を止めていたのは、園部優花だった。
彼女はビクッと肩を震わせ、呼んだはいいものの何を言えばいいか分からず、まごまごと口をパクパクさせている。
そんな彼女の様子を見て、うみはスッと纏っていた空気を緩めた。
他者からの好意には致命的なまでにポンコツなうみだが、彼女が純粋な『心配』から足を止めてくれたことくらいは、手に取るように分かったからだ。
「園部さん」
うみの静かな呼びかけに、園部がハッとして彼と視線を合わせる。
自分をしっかりと見つめ返した瞳を確認し、うみはふわりと、年相応の柔らかな微笑みを向けた。
「ありがとう。でも、大丈夫だよ。だって俺は――最強だから」
「あっ………………」
その一言と、夕日に照らされた見目麗しい笑顔の破壊力は、純情な女子高生を撃ち抜くにはあまりにも過剰だった。
園部は限界を突破して顔を真っ赤に染め上げると、全身をカチコチに硬直させる。
そして、次の瞬間には「ふ、ふぁいっ!?」と謎の奇声を発し、頭から煙を噴き出しそうな勢いで、愛子たちの後を追って猛烈なダッシュで駆け去っていった。
その見事な走りっぷりを見送りながら、うみは「元気だねぇ」と呑気に肩をすくめる。
「……何?」
ふと、背後から突き刺さる、心当たりなき非難の視線に気づき、うみが振り返る。
そこには、ジトッとした氷点下の眼差しを向けるユエと、ユエの隣で同じく呆れたように首を振るミレディがいた。
「……ああいうの、良くないと思う」
『ほんと勘弁してよー』
ユエの冷やかな呟きと、ミレディの嫉妬が混じった呆れ返った念話が、うみを真っ向から非難する。
当然、本気で身に覚えのないうみは「なんで?」と本気で首を傾げるしかない。
そんな彼らを横目に、ティオが興味深そうに顎に手を当てた。
「ふむ……確か、ああいったのは『罪深い』というんじゃったか?」
「ええ、そうですとも。うみくんはとっても罪深いんです」
ティオの問いかけに、シアが激しく同意しながらウサミミをパタパタと揺らす。
「聞いた話だと、うみくんの故郷では一夫多妻じゃないらしいですけど、この調子だと……。
うみくんは将来どうするんでしょうねぇ……。お姉ちゃん、とっても心配ですぅ」
本気で頭を抱えてうみの将来を憂うシア。
だが、当のうみは女性陣の嫉妬と呆れの空気を華麗にスルーし、地平線の彼方――もうもうと巻き上がり始めた魔物の大群の土煙を遠目に視認していた。
(さて、今後のために、打てる布石は打っておかないとね)
いずれ確実に敵対することになる教会を見据え、最も効果的な盤面を整える。
うみは防衛戦の幕開けを飾る舞台装置を仕込むべく、隣の吸血姫へと声をかけた。
「ねえ、ユエ」
「……ん?」
まだ少し不満げなユエが小首を傾げる。
「この位置から、飛んでるやつらを撃ち抜ける?」
「……できる」
うみの意図を察し、ユエは即答した。彼女の魔法技術があれば、数キロ先の飛行目標の狙撃など造作もない。
その頼もしい返答を聞き、うみは悪戯を企む子どものようにニヤリと口角を上げた。
「じゃあ、俺が合図出したら全部撃ち落としてくれる? 使う魔法は『雷龍』をアレンジして、属性と見た目は――」
うみはユエの耳元に顔を寄せ、これから始まる「祭り上げ」の演出に向けた、密かな指示を囁き始めた。
***
うみとユエの密かな打ち合わせが終わる頃。
地平線の彼方から迫る魔物の大軍が、ついに一般の町民や護衛騎士たちの肉眼でもはっきりと視認できる距離にまで到達していた。
うみたちにはとうに視認できていたものだが、一般人には豆粒や土煙だったものが、ここへ来て明確な「脅威の形」として迫ってきたのだ。
大地が地響きを伝え、魔物の咆哮が風に乗って届き始める。
壁際に集まっていた、弓や魔法陣を携えた町民や騎士たちの中に、恐怖が伝染していく。
神に祈りを捧げる者や、死を覚悟して生唾を飲み込む者が増え始めていた。
(さて、一芝居と行きますか。現役タレントモデルの実力をとくと見よ)
うみはパニックを防ぎ、今後の盤面を操作するための演技を開始する。
全員の注目を集めるため、うみは外壁の町側ギリギリへと歩みを進めた。
移動しながら、喉元に魔力を巡らせて魔法を起動する。
「――小さき波紋よ、大いなるうねりとなりて響け――〝
喉を通る音波、すなわち「声」を増幅・拡散させることで、巨大な拡声器のような効果を自身に付与した。
突然、壁の外側に無防備に姿を現した色素の薄い見慣れぬ少年に、恐怖に震えていた民衆たちから困惑した視線が一斉に集まる。
自分に視線が集中したことを確認したうみは、増幅された絶対的な響きを持つ声で、たった一言だけ告げた。
「傾聴せよ」
うみは声を張り上げることはしない。
『共振』の魔法により、彼が静かに語りかけるだけで、その声は数万の地響きを制圧し、ウルの民全員の鼓膜と心臓へ直接染み渡るように響いた。
神秘的な蒼い瞳、色素の薄い美貌が、言葉に異様な説得力とカリスマ性を持たせている。
「恐れることはありません。私たちの勝利は、既に約束されています」
戸惑う民衆に、静かに説く。
「なぜなら、この地には『女神』が降臨している。……皆さんもよくご存知のはずです。豊穣の女神、愛子様が」
その名を聞き、民衆が「愛子様?」とざわつき始める。
後方で避難誘導を手伝っていた愛子が、ギョッとしてうみを見た。
(なるほど、こういうことか……)
うみの後ろでその堂々たる演説を聞きながら、ミレディは内心で呟いた。
かつて神に反逆した彼女にとって、民衆に狂信を植え付けるこのやり方は、本来なら嫌悪感を抱く類のものだ。
だからこそ、うみは事前に「面白くないことをする」と謝ってくれたのだと合点が行く。
(ほんと、ひどいことするなぁ……。でも、私のことはちゃんと考えてくれたんだもんね……ずるいなぁ)
彼女の信条を踏みにじるような手段であっても、あらかじめ配慮を見せてくれたうみへの愛おしさと、その強かな盤面操作能力にミレディは呆れ交じりの感心を寄せていた。
「愛子様がこの地に在る限り、敗北という幻想は訪れない。彼女こそが、天が遣わした真なる現人神。
そして私は――女神の『皆を救いたい』という祈りに応え、召喚された彼女の剣にして盾」
うみは空へ向けて静かに手を差し伸べ、響き渡る声で告げる。
「しかとその眼に焼きつけよ。これが、慈悲深き女神がもたらす『奇跡』の一端です」
うみのセリフの直後、彼の手が向く先の上空に、巨大な『紅き鳥』が顕現した。
それはユエが『雷龍』の構造をベースに、属性を「炎」へ、形を「鳳凰」へと高度にリアレンジした魔法である。
夜闇に近づく空を神々しく照らし出す圧倒的な美しさと威容に、町民も騎士たちも完全に心を奪われた。
直後、鳳凰が天に向かってクワッと嘴を開き、嘶く。
魔法の構造体が鳴くわけはないが、うみが『共振』等の技術を用いて「神々しい嘶き」の音響効果を後付けで響き渡らせたのだ。
嘶きと同時、鳳凰の身体から無数の『炎弾』が放たれ、上空を先行していたプテラノドンモドキの群れを一瞬にして業火で包み込み、一掃した。
その神々しい殲滅の最中、比較的巨大な魔物――黒ローブが乗っている個体に対しては、わざと直撃を避けさせている。
炎弾の直撃ではなく、周囲の爆発の『余波』のみを精密にぶつけることで魔物の翼だけを粉砕し、黒ローブを空から撃ち落としたのだ。
逃げ足を奪い、かつ生け捕りにするための、ユエの恐るべき魔法コントロールの技量だった。
鳳凰の炎によって空の魔物が一掃された直後、周囲に一瞬の静寂が落ちる。
その静寂を縫うように、うみが増幅された声で最後の決定的な言葉を放った。
「さあ、崇めよ。讃えよ。我らの明日は愛子様とともにある」
その言葉を起爆剤として、圧倒的な奇跡を目の当たりにした民衆から「愛子様、万歳!」「女神様、万歳!」という熱狂的な大合唱が沸き起こる。
恐怖は完全に払拭され、彼らの目には狂信に近い希望の光が宿っていた。
遠く後方で、愛子が顔を真っ赤にしてぷるぷると震えている。
その瞳は真っ直ぐにうみに向けられており、口の動きから「ど・う・い・う・こ・と・で・す・か!」と訴えているのが分かった。
(さて、これで盤面は整った)
うみがここまで愛子を祭り上げたのには理由がある。
第一に、いずれ教会や国と対立した際の布石。今後うみの活躍により教会や国が動いたとき、
彼等がうみに害をなそうとすれば、愛子は確実に彼等とぶつかるだろう。
その時、『豊穣の女神』の発言権は強い方がいいというもの。
第二に、今から自身たちが見せる強大な力の行使。
それが「女神の加護」であれば、民衆の恐怖や敵意が好意へと変換され、今後の活動の隠れ蓑になるかもしれない。
そして第三に――第一の理由の延長として、愛子の発言力と影響力が高まれば、結果として王都にいる他のクラスメイト……特に最前線で戦わされているハジメや恵里たちの安全と待遇が格段に向上するはずだからだ。
あの二人の実力なら気休め程度かもしれないが、ないよりはマシ。という想いゆえ。
うみは、背後から響く魔物の咆哮にも負けない愛子コールと、愛子自身の突き刺さるような視線。
そして「何だよ、あいつ結構分かっているじゃないか」と勝手に好意的に解釈して笑みを浮かべている護衛騎士たちの視線をヒシヒシと感じる。
それらの視線を背に受け流しながら、うみは『カゴ』から巨大な何かを取り出しながら、自然体でスッと外壁の縁、防衛の最前線へと進み出た。
「はい、シア。これ使って」
「うみくん、なんですかこれ?」
うみから手渡された、自身の身長ほどもある巨大で武骨なバズーカ型の筒を受け取り、シアは不思議そうに首を傾げた。
「この前見せた『魔法の液体』、覚えてる? あれの研究を進めて、最近ようやく形になったんだ」
「あっ、あの、瓶に入った……!」
うみの言葉にピンときたシアが目を輝かせる。
かつてうみがシアに使わせた魔道具――液体に魔法事象そのものを封じ込めた瓶は、空気中の魔力に反応して炸裂する仕組みであり、魔法適性を持たぬ者でも上級魔法すらも行使可能だった。
だが、あれは『使い捨て』であり、暴発する危険性も孕んでいた。
対して今回うみが作成した『
回路に直接魔力を流し込まない限り起動しないため安全性は高いが、魔法を恒久的に成立させるための回路が複雑かつ膨大になりすぎるという技術的課題があった。
そのため、現状のうみの練度では、バズーカのような巨大な表面積に回路をびっしりと刻み込んでも、中級魔法を一つを組み込むのが限界だったのだ。
加えて、反動を相殺する回路まで書き込む余裕がなかったため、結果として規格外のフィジカルを持つシアかうみにしか扱えない武装となっている。
うみからの手短な詳細説明を受け、シアはウサミミをピンと立てて大喜びで魔筒を構えた。
「これで私も、好きな時に魔法が撃てるんですね!」
「まあ、現状だと一種類しか使えないんだけどね……」
錬金術師としての己の技術不足を自嘲気味にこぼすうみだったが、シアはウサミミをパタパタと揺らしながら満面の笑みを浮かべた。
「それでもです! 魔法適性のない私が自分の魔力で魔法を使えるなんて、すっごく嬉しいですよ!」
「そ。なら良かった。……頼りにしてるよ、お姉ちゃん」
「はいっ! 任せてください!」
魔法が使えないという彼女の密かなコンプレックスを埋めてくれたうみの気遣いに、シアは嬉しそうに胸を張る。
うみの足元に降り立ったミレディは、『導きの感応釧』を通じて、自身の背後に『重星の断刃』と『迅雷の刺杭』をフワフワと浮遊させ、初陣となる専用武装の挙動を確かめていた。
「どう、使用感は?」
『んー、バッチリ! 私の手足みたいにスイスイ動くよー!』
「そ。じゃあ、そこで援護よろしく」
『おっけーい!』
元気な声で応えるミレディに一つ頷き、うみは背後に立つティオへと振り返る。
「ティオさんはこれ」
「む? うみ殿、これはなんじゃ?」
うみが放り投げた小ぶりなアクセサリーをキャッチし、ティオが小首を傾げる。
「魔晶石のピアス。簡単に性能だけ言うと、離れた場所でも会話できる機能が付いた魔力タンクってところかな。存分に魔法を振るってよ」
「ふむ……おおっ、なんという莫大な魔力備蓄量じゃ! うむ、承った。誇り高き竜として、この役目、見事に果たしてみせようぞ」
うみの意図を理解したティオは、その性能に感嘆しながらピアスを耳に身につけた。
そしてうみの右隣には、最強の魔法の担い手であるユエが静かに佇んでいる。
地平線から一心不乱に突っ込んでくる数万の魔物の群れ。
圧倒的な絶望の波を前にして、うみは全く気負いのない、どこか楽しげな笑みを浮かべて呟いた。
「まあ、サクッと終わらせようか」
***
(何だよ、これは……何なんだよ、これは!!)
ウルの町を襲う数万規模の魔物の大群の遥か後方で、即席の塹壕を堀り、出来る限りの結界を張って必死に身を縮めている少年、清水幸利は、目の前の惨状に体を震わせながら言葉を失った様に口をパクパクさせていた。
ありえない光景、信じたくない現実に、内心で言葉にもなっていない悪態を繰り返す。
そう、魔物の大群をけし掛けたのは紛れもなく、行方不明になっていた愛子の生徒、清水幸利だった。
とある男との偶然の末に交わした契約により、ウルの町を愛子たちごと壊滅させようと企んだのだ。
しかし、容易に捻り潰せると思っていた町や人は、全く予想しなかった凄絶な迎撃により未だ無傷であり、それどころか現在進行形で、清水にとっての地獄絵図が生み出されていた。
ズガガガガガァンッ!!
「いきますよー! 私の超絶魔法!」
ウルの防衛線、左翼に陣取るシアが『爆裂の魔筒』を抱え、可愛らしい歓声を上げながら引き金を引きまくっていた。
放たれた中級の爆炎魔法は、火花の尾を引いて大群のど真ん中に突き刺さり、大爆発を引き起こして周囲数十メートルの魔物たちをまとめて吹き飛ばす。
魔法を恒久的に成立させるための複雑な回路が詰め込まれた大砲は、反動を相殺する機構がないため、発射のたびに凄まじい物理的リコイルが撃ち手を襲う。
並の人間なら腕が吹き飛ぶ衝撃だが、シアは身体強化を施した強靭な足腰でそれを微動だにせず受け止め、次々と爆炎の華を咲かせていく。
魔法適性のない亜人が、魔法を連射して戦場を更地にしていく異様な光景だった。
一方、防衛線の最後尾に陣取るティオは、突き出した両手の先から周囲の空気すら焦がす黒い極光を放っていた。
竜化状態のブレスを人間形態で放つ絶技。殲滅の黒き炎は、射線上の一切を刹那の間に消滅させ、大群の後方にまで貫通していく。
腕を水平に薙ぎ払うのに合わせて横へスライドする黒い砲撃は、触れる魔物を等しく灰塵へと変えた。
「ふぅ……」
ブレスによる強烈な一撃を放ち終え、ティオは肩で息をしながら体をフラつかせる。
しかし、彼女はすぐさま耳元に光る『魔晶石のピアス』に触れた。うみから受け取った魔力タンクから、莫大な魔力を引き出す。
ブレスによって先陣があらかた消滅し、多少の余裕ができたティオは、今度はより広域を制圧しつつ魔力消費を抑える魔法の行使に移る。
「吹き荒べ頂きの風 燃え盛れ紅蓮の奔流――〝嵐焔風塵〟」
敢えて詠唱して集中力を高めながら魔法を解き放つ。生み出されたのは火炎の竜巻だ。
その規模は、直径数十メートルの渦巻く炎。それは魔物が最も密集している地帯へと爆進していく。
宙へと放り出され足掻くすべを持たない魔物たちは、そのまま火炎に自ら飛び込むように巻き込まれ、
紅蓮の竜巻から放り出された時にはただの灰燼に変わり果て、灰色の雪のように舞い散った。
さらに、防衛線の中央では、ミレディが『導きの感応釧』を通じて専用武装の初陣を飾っていた。
空を舞う『重星の断刃』は、重力魔法で極限まで質量を増大させたまま、巨大なミキサーのように群れを削り取る。
同時に展開された『迅雷の刺杭』は、魔物たちの頭上に雷撃のパルス網を張り巡らせ、その行動を麻痺させ、情報の伝達を強制的に阻害していく。
ティオの黒炎と紅蓮、シアの爆炎、そしてミレディの重力と雷撃。
前衛の三人が生み出す圧倒的な蹂躙劇。
だが、その光景すらも霞むほどの『異常な殲滅力』が猛威を振るっていた。
無詠唱、ノータイム。
ユエの手から放たれる大威力の魔法は、もはや嵐のようだった。
右翼の攻撃が薄いと悟った魔物たちが、破壊の嵐から逃れるように密集して右から攻め込もうと流れ出す。
彼我の距離が五百メートルを切ったその瞬間、ユエはスッと右手を掲げ、世界へ宣言するように力強く魔法名を唱えた。
「〝壊劫〟」
それは神代魔法を発動させるトリガー。
ユエの詠唱と同時に迫る魔物の頭上に、渦巻く闇色の球体が出現する。
薄く引き伸ばされた球体は、魔物たちの頭上で四方五百メートルの正四角形を形作り、太陽の光を遮る闇色の天井となって、眼下の魔物たち目掛けて一気に落下した。
起こったことを端的に説明するなら、「大地ごと魔物が消滅した」というものになる。
密集して突進していた数千の魔物たちは、体の全てを均等に押し潰され、深さ十メートルの巨大なクレーターの底で、一瞬にして大地のシミとなった。
一方。ユエの手数の異常性に対し、うみは『純粋な火力の異常性』を見せつけていた。
うみは『無詠唱』という技能を持ちながら、『生涯、魔法には必ず詠唱を付与する』という縛りを自身に課している。
それは、魔法の発動速度という利点を完全に捨てる代わりに、術式の出力を数倍に引き上げるという強烈な代償行為。
「――灼熱の息吹よ、灰燼に帰す業火となりて」
うみが紡ぐのは、上級の火属性魔法。
だが、縛りによってブーストされたその一撃は、もはや最上級にすら匹敵する威容を誇っていた。
うみの指先から放たれた極小の火球が、魔物の群れの中心に着弾した瞬間。
戦術核が落ちたかのような目も眩む閃光と爆発が弾け飛び、数千の魔物を巨大なクレーターごと一瞬で消し去った。
圧倒的な蹂躙劇。
大地に吹く風が魔物の血の匂いを町へと運ぶ中、後ろの壁からそれを唖然として見ていたウルの人々は、現実とは思えないその力に完全に呑み込まれていた。
やがて、彼らの恐怖は完全に払拭され、狂信に近い歓喜の声が上がり始める。
その圧倒的な光景を前に、愛子は凄惨すぎる戦場と自分の責任の重さに顔を歪め、ただひたすらに彼らの無事を祈るしかなかった。
(さて、だいぶ減ってきたね)
魔物の数が一万を割り込んだ頃。うみは『六眼』と『響蝠』の情報から、魔物の動きの違和感を完全に看破していた。
大半の魔物は完全に及び腰になっているが、依然として猪突猛進を繰り返している。
ただの暴走ではない。少数の『洗脳されたリーダー格』が後ろから命令を出し、他の魔物を無理やり動かしているのだ。
「むぅ、妾はここまでのようじゃ……すまぬ」
その時、最後尾のティオがピアスの魔力を使い切り、限界を迎えて座り込んだ。
誇り高き竜として死力を尽くした彼女は、青白い顔で肩で息をしている。
うみは振り返り、優しく微笑みかけた。
「お疲れ、ティオさん。見事な活躍だったよ。あとは俺たちに任せて休んでて」
「うむ……承った」
うみの労いに、ティオは静かに頷き、その場に崩れ落ちるように目を閉じた。
続いて、うみは隣の吸血姫へと視線を向ける。
「ユエ、魔力残量は?」
「……ん、残り魔晶石二個分くらい。重力魔法の消費が予想以上。要練習」
「いやいや、十分すぎるでしょ。一人でどれだけ持ってったか分かってる?」
ユエの返答に苦笑しつつ、うみは足元のミレディにも意識を向ける。
「ミリィは?」
『魔石飾の供給は問題ないんだけど……ちょっと複数操作と重力魔法の併用で、ゴーレムの制御系が悲鳴上げてるかも』
「そ。じゃあ少し休んで、余剰分が溜まったらまた援護お願い」
そして、うみは遠くで息を弾ませているシアにも念話を繋ぐ。
彼女の『魔筒』の魔力タンクが一つ空になっているのを、六眼で確認済みだった。
身体強化用の魔力を残している状態であることを確認し、うみはこれからの戦術を共有する。
「ここからはやり方を変えるよ。少数の『洗脳されたリーダー格』が後ろから命令を出してる。
そいつらを中心に叩く。そうすれば残りは勝手に逃げるはずだから」
『了解です!』
シアの元気な返答を聞き、うみは一つ息を吐く。
戦術は切り替える。だが、その前に――。
「もう少しだけ減らしておこうか」
うみは誰にともなくそう呟くと、制服の上着の懐――正確には、上着が作る影の中へスッと右手を差し込んだ。
ゆらりと影が揺れ、うみの手が何かを引き抜く。
懐から現れたのは、宗教的な意匠を纏った短剣だった。
その刀身には、どこか神聖さと禍々しさが同居しており、一目見ただけでそれが尋常な代物ではないことが分かる。
「うみ、それは……?」
隣に立つユエが、その短剣から発せられる異様な気配に目を細めた。
シアやミレディも、不思議そうにそちらへ視線を向ける。
「呪具だよ。ただ……俺が持ってる他の武器や道具とは――」
うみの手にあるそれは、特級呪具『神武解』。
二年前の新宿決戦において、呪いの王・両面宿儺が所持していた雷霆の武具である。
激戦の最中、宿儺が手放したことで瓦礫の底へと沈み、決戦後に戦場跡から回収されたそれを、うみが預かり受ける形になっていた代物だ。
その呪具の真価を、うみ自身もまだ完全には把握していない。
だが、呪いの王が振るった力の一端を、今ここで解放する。
「――格が違う」
うみの宣告と同時。呪力を流し込まれた『神武解』が、空間が悲鳴を上げるほどの白光を伴って横薙ぎに一閃された。
ドゴォオオオオオオオンッ!!!
世界が白く染まった。 一閃された『神武解』から放たれた雷撃が、扇状に広がりながら戦場全体を覆い尽くしたのだ。
鼓膜を破るほどの轟音と、大地を焦がす熱量。
残っていた烏合の衆の魔物たちは、逃げる暇すら与えられず、半数以上が一網打尽に雷の奔流へと飲み込まれた。
光が収まった後、眼前に広がっていたのは、ガラス化し、黒く焦げ付いた完全な更地だった。
「……やっば。こりゃ、宿儺も使うわけだ」
自身が放った一撃の理不尽なまでの破壊力に、うみ自身も内心で戦慄する。
そして同時に、冷や汗を流した。
(こんなの振り回してたら、奥にいるローブの男まで一緒に消し飛んじゃう……)
生け捕りにする予定の黒幕まで消し炭にしては元も子もない。
うみは苦笑しながら、「お役御免」とばかりに『神武解』を再び影の中へと収納した。
圧倒的な一撃を皮切りに、うみは前衛へ向け、戦術移行の合図を出す。
「じゃあ、リーダー格を直接叩こう。シア、行くよ」
「はいっ!」
うみの指示を受け、シアは『爆裂の魔筒』を傍らに置き、背中に背負っていた愛用の戦槌――『千鈞』へと手をかけた。
うみ自身も、遠距離の砲撃から、前線への突撃態勢へと移行する。
魔物たちが息を吹き返したように突進を再開しようとした、その時。二人の突撃を完璧に援護するため、ユエが魔法を発動した。
「〝雷龍〟」
即座に立ち込めた暗雲から激しくスパークする巨大な雷の龍が落雷の咆哮を上げながら出現し、前線を右から左へと凄まじい勢いで蹂躙していく。
大口を開けた黄金の龍に消し飛ばされていく同胞の姿を見て、後続の魔物たちが再び二の足を踏んだ。
その絶対的な隙を突き、うみとシアが一気に群れへと飛び込んだ。
「りゃぁああああ!!」
可愛らしい雄叫びと共に、シアが魔物の密集地帯へと飛び込み、戦槌『千鈞』を横凪ぎに一閃する。
ドゴォオオオオオオンッ!!
放たれた一撃は、その見た目の華奢さからは想像もつかない冗談のような物理的暴力を生み出した。
限界まで引き上げられた超重量と、強靭な足腰が生み出す遠心力。迫り来る肉の壁は、文字通りピンポン玉のように放射状に軽々と吹き飛ばされていく。
宙を舞う無数の魔物の隙間から、シアは的確に目標のリーダー格を見定め、クレーターを作り出すほどの跳躍と落下攻撃ですり潰していく。
一方、シアと二手に分かれたうみの動きは、群れの中にあって異質の一言に尽きた。
ブゥンッ――という独特の起動音と共に、うみの右手に握られた筒状の魔道具から、蒼い光の刃が伸びる。
錬金術で作成した魔道具、『ライトセーバー』だ。
現在の彼は複雑な術式を一切起動せず、純粋な呪力強化によって極限まで身体能力を引き上げているだけである。
だが、その身体能力の強化は、かえってどんな大魔術よりも理不尽な光景だった。
タンッ、と。うみが魔物の頭や肩を、まるで舗装されたアスリートのトラックであるかのように軽快に蹴り飛ぶ。
三次元を縦横無尽に跳ね回るその神速の軌道は、魔物たちに迎撃はおろか、視認することすら許さない。
圧倒的な速度のままリーダー格の頭上へと落下し、すれ違いざまに蒼い光刃を一閃する。
抵抗など一切なく、的確に急所を両断されたリーダー格が、うみが通り過ぎた数秒後に遅れて崩れ落ちていく。
そんなうみの鮮やかな殲滅劇から少し離れた場所で、シアもまた順調にリーダー格を処理し続けていた。
吹き飛ばした魔物の隙間から、新たな目標のリーダー格を見据え、踏み込みの体勢に入る。
と、その瞬間。
右後方より、新手が高速で接近してくる音をウサミミが捉えた。
シアは慌てず、千鈞を最適のタイミングで体ごと回転させ、迎撃しようとした。
だが、その新手――黒い体毛に四つの紅玉のような眼を持った狼型の魔物は、それを予期していたかのように寸前で急激に減速すると、見事にシアの一撃を躱してみせた。
(躱された!?)
驚くシアの予想をさらに裏切り、黒い四目狼はシアの体ではなく、振り抜かれた千鈞の柄へと飛びかかり、その強靭な顎と全体重で地に押し付けるようにして武器を封じた。
膂力で負けることはない。だが、完全に意表を突かれ、一瞬とはいえ動きを封じられたのは事実。
そして、その「一瞬」こそが、連携を組んでいた四目狼たちの狙いだった。
完璧なタイミングで、シアの背後からもう一体の四目狼が、鋭い牙の並ぶ顎門を開いて首筋へと迫る。
シアが回避を諦め、防御のために全身の強化に魔力を回そうと歯を食いしばった、あわやという瞬間。
――シアの視界を、「一面の黒」が猛スピードで流れていった。
直後、自らを押さえ込んでいた重圧がフッと消え、体が自由になる。
何事かとシアが視界を振ると、そこには、無数の「真っ黒な金属片」に全身を覆い尽くされ、地に伏して無様に足掻いている二体の四目狼の姿があった。
さらに、その四目狼たちの頭上に密集して浮かんでいた黒い金属片の塊が、一つの巨大な刃へと変形し、ギロチンのように落下する。
一切の慈悲なく、二体の奈落級の魔物は両断され、圧殺された。
呆然とするシアの耳元の念話石に、聞き慣れた声が響く。
『油断しちゃダメだよ。どうにもちょっと強めのが混ざってるみたい。ミリィが回復したみたいだから、そっちに付ける。右は任せるよ』
その声と同時に、シアの周囲にフワフワと『重星の断刃』と『迅雷の刺杭』が展開される。
うみの完璧すぎるカバーとミレディの復帰に、シアはパァッと表情を明るくした。
「了解です! お姉ちゃん、頑張っちゃいますよー!」
気合を入れ直したシアは、再びリーダー格の殲滅へと駆け出していった。
***
(そういえば、シアにとってこういう混戦はまだ二回目だったか……まあ、なかなか経験できるものでもないしなぁ)
遠くで気合を入れ直したシアの様子に一定の理解を示しつつ、うみは猛烈な勢いで魔物を駆逐していた。
その最中、戦場全体を俯瞰していた『六眼』が、ある明確な異物を捉えた。
魔物の大群の遥か後方。
地面から頭だけを出した即席の塹壕の中で、黒いローブを着た何者かが、ヒステリックに喚きながら杖を掲げていたのだ。
手にしたアーティファクトの杖に魔力が集束し、何らかの詠唱を始めているのが視認できる。
当然、わざわざ詠唱の完了を待ってやる義理などない。
うみは足元に転がっていた手頃な瓦礫を一つ拾い上げると本気の投擲を行った。
ヒュンッ!!という空気を切り裂く音。
身体強化された肉体から放たれたただの石ころは、銃弾すらも凌駕する速度と威力で戦場を一直線に駆け抜け、塹壕で掲げられていた杖を半ばから見事に粉砕した。
「ヒィッ!?」という情けない悲鳴と共に、余波でローブの人物が塹壕の底へともんどり打って倒れ込む。
だが、そのローブの男が直前に何かを発動させていたのか。それとも、単にうみに決定的な隙ができるのを辛抱強く窺っていたのか。
うみが石を投擲した直後、死角に潜んでいた『黒い四目の狼』十二体が、一斉にうみへと襲い掛かってきた。
前後左右、さらには上方から、統率の取れた完璧な波状攻撃。
他の魔物と比べても明らかに格が違う。
それは奈落にて相対した二尾狼にも匹敵するほどのポテンシャルだろうか。
加えて、彼らの動きから見て、『先読み』の類の技能を持っているのだろう。
狼たちは、うみが手に持つライトセーバーの軌道を完全に予測し、自ら死地に飛び込むことなく、的確にうみの死角へと牙を剥こうとしている。
だが。
『先読み』という強力な技能を持ちながら、四目狼たちの攻撃がうみを捉えることは一度たりともなかった。
逆に、うみの攻撃を回避することも一切叶わなかった。
理由は、残酷なまでに単純だ。
予測し、脳から肉体へ信号が伝わり、実際に回避や攻撃の行動に移る。
その魔物たちの行動プロセスよりも、うみの動きの方が、圧倒的に早かったのだ。
読んだ先に、体が追いついていない。
その絶対的なスペック差の前に、十二体の四目狼が為す術はなかった。
うみは欠伸が出るような余裕の足取りで群れの間をすり抜けながら、神速の一閃のもと、十二体の奈落級の魔物を一瞬にして全滅させた。
四目狼を処理したうみは、止まることなく流れるように戦場を駆け、残っていたリーダー格を的確に殲滅していく。
やがてシアとの挟撃により、洗脳の要であったリーダー格は最後の一体を残して完全に全滅した。
その事実を確認したうみは、スゥッと息を吸い込むと、意図的に自らの『呪力』を、四方八方へと爆発的に撒き散らす。
視認できずとも、生物の本能を直接揺さぶる絶対的な恐怖の波動。
統率者を失い、ただでさえ圧倒的な力に及び腰になっていた魔物たちの精神は、その呪力の波を浴びて完全に崩壊した。
戦意を喪失した魔物たちは恐慌状態に陥り、まるで巨大な岩を避ける川の流れのように、うみたちを大きく迂回して一目散に北へと逃走を始めた。
その逃げ惑う魔物たちの波に紛れ、最後の一匹の四目狼に跨って必死に逃亡を図るローブの姿を、うみは逃さず捕捉していた。
うみは再び足元の瓦礫を拾い上げると、正確なコントロールで四目狼の足元へ投げつけた。
石が直撃し、バランスを崩した狼が派手に転倒する。その衝撃で背中から放り出されたローブの男は、強かに体を打ち付けながらもすぐさま起き上がり、ヒステリックに喚きながら今度は自らの足で逃げ始めた。
「ありえないだろ! なんで! なんで俺がこんな目に!!」
そんな見苦しい悪態を吐きながら必死に走る背中へ向け、うみは一息に距離を詰める。
数十メートルの距離など、今の彼にとっては一歩に等しい。
瞬時に背後へ追いついたうみは、容赦なくローブの男の後頭部を冷徹に殴りつけた。
「グペッ!?」
男は顔面から地面にダイブし、シャチホコのような姿勢で数メートルほど地を滑って停止した。
気絶した衝撃で、深く被っていたローブのフードが外れ、砂埃に塗れたその素顔が露わになる。
気を失い、白目を剥いて泡を吹いているその顔をまじまじと見下ろし、うみは静かに呟いた。
「……ほんとに清水くんだった。この子、戻れるのかなぁ」
与えられた『闇魔法』の力に容易く溺れ、強靭な竜の精神すら歪め、
平然と数万の命を屠ろうとする狂気の領域へ完全に足を踏み入れてしまった人間が、
果たして元の場所に戻ってこれるのかという、純粋で冷めた疑問だった。
うみは一つ溜息をつくと、「もしダメだったときは――」と独りごち、気を失った清水の襟首を掴んで、そのままズルズルと町の方へ引きずって戻り始めた。