空の彼方へ吹き飛んでいったハウリア族の面々が、何食わぬ顔で(とはいえ少しフラフラしながら)合流を果たした後。
虎の亜人・ギルの先導のもと、一行は濃霧の立ち込めるハルツィナ樹海をさらに奥へと進んでいた。
うみとユエ、そして無駄にタフなハウリア族を中心に、アルフレリックら亜人たちがぐるりと取り囲むようにして歩く。
監視と護衛を兼ねた陣形だろう。
深い霧の中を一時間ほど進むと、突突如として視界が開けた。
開けたといっても、周囲の霧が全て消え去ったわけではない。
鬱蒼とした樹林の中に、まるでそこだけ切り取られたかのように、一本の真っ直ぐな『霧のトンネル』が出来上がっていたのだ。
うみは足元へ視線を向ける。
道の両脇には、誘導灯のように青い光を放つ拳大の結晶が等間隔で地面に半分埋められており、そこを境界線として霧の侵入を完璧に防いでいるのが視える。
「へぇ……面白い石だね。これ」
「おや、気付かれたか」
うみが青い結晶を観察しているのに気付き、アルフレリックが柔和な笑みを浮かべて解説を買って出た。
「あれは『フェアドレン水晶』というものだ。あれの周囲には、何故かこの樹海の霧や魔物が寄り付かないのだよ。
我が国フェアベルゲンも近辺の集落も、この水晶で囲んで安全を保っている。
まぁ、魔物避けの方はあくまで〝比較的〟という程度だがね」
「なるほど。まあ、四六時中視界不良じゃ気も滅入るだろうし当然か」
うみの隣を歩いていたユエも、鬱陶しい霧が晴れて視界が良くなったことが嬉しいのか、無表情ながらもどこか心地よさそうに目を細めている。
しかし、うみの着眼点は少し違った。
「ねえ、長老さん。これ、どこで採れるの? 結構ポンポン採れるものだったりする?」
うみは歩きながら、さも世間話でもするようにアルフレリックに尋ねた。
「ふむ。この樹海の中で時折見つかるものでな。
そこまで特別珍しい希少な鉱石というわけでもないが……集落を囲むにはそれなりの数が必要になる。
何故そんなことを聞くのかね?」
アルフレリックが少し不思議そうに問い返すと、うみは少し楽しげに微笑んだ。
「いや、ちょっと拝借していこうかなと思ってね」
「拝借、とは?」
「これ、この効力を保ったまま装飾品とかに加工したら、行商人や旅してる冒険者なんかにそこそこ売れそうじゃない?」
うみは『六眼』でフェアドレン水晶から放たれる微弱な魔力の波長を解析しながら、思いついたアイデアを口にする。
「効果が絶対じゃないってところが逆にいいんだよね。絶対に魔物を寄せ付けないなんて代物なら目を付けれそうだけど、
〝比較的〟程度の効果なら、一般の人でも手を伸ばしやすい。拾ってちょっと加工するだけでいい商売になりそうだなーって」
「なるほど……そういう発想になるとは。やはり人間の考えることは面白いな」
アルフレリックは少し呆れたように苦笑しながらも、その柔軟な発想に感心したように顎を撫でた。
「……うみ、ちゃっかりしてる」
隣のユエからジト目が向けられるが、うみは「賢いと言ってよ」と全く意に介さなかった。
そうこうしている内に、前方に巨大な建造物が見えてきた。
太い樹と樹が複雑に絡み合って作られた巨大なアーチ。
そこに、高さ十メートルはあろうかという木製の両開きの扉が鎮座していた。
天然の樹木をそのまま防壁として利用したその壁は、優に三十メートル以上の高さを誇り、亜人の『国』と呼ぶに相応しい威容を放っている。
ギルが門番と思しき亜人に合図を送ると、ゴゴゴ……と重々しい音を立てて門がゆっくりと開いた。
その瞬間、門の奥や周囲の樹上から、無数の視線が一斉にうみたちに突き刺さるのが分かった。
人間が、しかも大手を振ってフェアベルゲンに招き入れられているという事実に、亜人たちが激しく動揺し、警戒しているのだ。
アルフレリックという長老の同行がなければ、ギルがいたとしても一悶着では済まなかっただろう。
門をくぐった先は、まさに別世界だった。
直径数十メートルにも及ぶ規格外の巨樹が乱立し、その幹のあちこちにくり抜かれたような窓があり、ランプの温かい明かりが漏れている。
数十人が並んで歩けそうな極太の枝が空中で絡み合い、見事な空中回廊を形成していた。
滑車を利用した木製のエレベーターや、樹と樹を縫うように設置された空中水路まである。
自然と高度な建築技術が見事に調和した、幻想的で美しい樹上都市。
「……綺麗」
ユエが珍しく感嘆の声を漏らし、うみもまた、その景色に素直に感心していた。
「ふふ、どうやら我らの故郷、フェアベルゲンを気に入ってくれたようだな」
アルフレリックが、自慢の故郷を褒められた父親のように嬉しげに表情を緩める。
周囲を固めていた警備隊の亜人たちや、ハウリア族の面々も、どこか得意げにケモミミや尻尾を揺らしていた。
「うん、凄くいい所だね。空気も澄んでるし、静かだし。……こういう所で骨を埋めるのも、悪くないかもね」
うみの口からポロリとこぼれた、年齢にそぐわない達観した言葉。
その率直な称賛に、周囲の亜人たちは「人間族に褒められた」という複雑な感情を抱きつつも、
やはり嬉しいのか、そっぽを向きながらも尻尾の動きを隠しきれていなかった。
もっとも、好奇と忌避、困惑と憎悪。様々な感情の入り混じった視線が四方八方からうみたちに突き刺さっているのは事実である。
だが、うみはそんな視線など、微風程度にしか感じていなかった。
(まあ、見られること自体には慣れてるしね。それにしても、随分と熱烈な歓迎だけど)
表の世界では現役のモデル『Luna』として視線を浴び、裏の世界では一級呪術師として死線と殺意を潜り抜けてきたうみにとって、
彼らの向ける敵意や警戒心など、全く意に介するほどのものではなかったのである。
一行は、周囲の視線の中、アルフレリックが用意したという最上階の会談場所へと向かった。
***
案内された部屋で、うみとユエはアルフレリックと向かい合って座っていた。
話題に上ったのは、オルクス大迷宮の最深部でオスカー・オルクスの記録映像から聞かされた『神の真実』、そして神代魔法について。
さらに、自身が異世界の人間であり、七大迷宮を攻略すれば故郷へ帰るための神代魔法が手に入るかもしれないことなどだ。
「……って感じなんだけど。思ったよりあっさりしてるね」
一通り話し終えたうみは、目の前で静かにお茶を啜っているアルフレリックの様子に、少しだけ肩をすくめた。
「一神教のこの世界では、信仰の対象が人々を弄ぶ駄神だったなんて、それこそ天地がひっくり返るくらい重大な事実だと思うんだけど」
「ふむ。確かに人間族や魔人族からすれば、自らの根幹を揺るがす事実だろうな」
アルフレリックは湯呑みを静かに置き、達観したような穏やかな眼差しでうみを見返した。
「だが、この世界は元々、我ら亜人には優しくないのだ。
神が狂っていようがいまいが、我々の受ける迫害という現状は何も変わらん。今更だよ」
信仰心などとうの昔に擦り切れている。
あるとすれば自然への感謝の念だけだという彼の言葉に、うみは「なるほどね」と納得したように頷いた。
(どうしようもない状況をただ受け入れて生きてきた人の顔だ。気の毒ではあるけど、話が早くて助かる)
その後、話題はうみたちがこのフェアベルゲンに招き入れられた理由へと移った。
ハルツィナ樹海に伝わる『口伝』。
それは、七大迷宮を示す紋章を持つ者が現れたら、それがどのような者であれ敵対しないこと、という長老のみに伝えられる掟だった。
うみが持っていたオルクスの指輪の紋章が、まさにその資格の証明だったのだ。
しかし、話が核心に触れようとしたその時。
ドタンッ! ガシャンッ! と、階下の部屋――ハウリア族を待機させていた場所から、何かが激しくぶつかり合うような騒々しい音が響き渡った。
「……なんか揉めてるみたいだけど」
「どうやら、血気盛んな若者たちのようだ。我慢できなかったらしいな」
アルフレリックの言葉に、二人は顔を見合わせ、すぐさま席を立って階段を降りた。
階下の部屋では、剣呑な空気が渦巻いていた。
熊、虎、狐、有翼、そしてドワーフのような亜人たち――フェアベルゲンの当代の長老衆が、殺意を剥き出しにしてハウリア族を睨みつけている。
部屋の隅では、カムが必死にシアを庇うようにして縮こまっていた。
二人の頬は赤く腫れ上がっており、すでに暴力を振るわれた後であることが一目でわかった。
うみたちが階段から降りてくると、彼等は一斉に鋭い視線を送った。
「アルフレリック……貴様、どういうつもりだ。なぜ人間を招き入れた?
こいつら兎人族もだ。忌み子にこの地を踏ませるなど……返答によっては、長老会議にて貴様に処分を下すことになるぞ」
うみの姿を認めるなり、身長二メートル半はあろうかという巨体の熊の亜人――ジンが、怒りに震える声で吠えた。
必死に激情を抑えているのだろう。拳を握りわなわなと震えている。やはり、亜人族にとって人間族は不倶戴天の敵なのだ。
しかも、忌み子と彼女を匿った罪があるハウリア族まで招き入れた。
熊の亜人だけでなく他の亜人達もアルフレリックを睨んでいる。
しかし、アルフレリックはどこ吹く風といった様子だ。
「なに、口伝に従ったまでだ。お前達も各種族の長老の座にあるのだ。事情は理解できるはずだが?」
「何が口伝だ! そんなもの眉唾物ではないか! フェアベルゲン建国以来一度も実行されたことなどないではないか!」
「だから、今回が最初になるのだろう。それだけのことだ。お前達も長老なら口伝には従え。
それが掟だ。我ら長老の座にあるものが掟を軽視してどうする」
「なら、こんな人間族の小僧が資格者だとでも言うのか! 敵対してはならない強者だと!」
「そうだ」
あくまで淡々と返すアルフレリック。ジンは信じられないという表情でアルフレリックを、そしてうみを睨んだ。
問答無用で暴力を振るい、己の凝り固まった常識と排他主義だけで物事を判断する彼らの姿。
その様子にうみは内心で冷ややかな視線を向けた。
(……どこの世界にもいるんだね。こういう、自分の狭い価値観だけでしか動けない連中は)
「……ならば、今、この場で試してやろう!」
いきり立ったジンが、突如としてうみへと向けて突進を開始した。
あまりに突然のことで周囲は反応できていない。
アルフレリックも、まさかいきなり襲いかかるとは思っていなかったのか、驚愕に目を見開いている。
一瞬で間合いを詰め、巨体の熊人族の豪腕が、無防備なうみの頭上へと振り下ろされた。
他の長老衆は、細身の人間族の少年が肉塊となるのを幻視した。
しかし、次の瞬間には、有り得ない光景に凍りついた。
うみは一歩も動くことなく、ジンの豪腕はうみの顔の数センチ手前で、見えない壁に阻まれたようにピタリと静止していたのだ。
「……え?」
ジンが間の抜けた声を漏らす。
うみはポケットに両手を突っ込んだまま、呆れたようにジンを見上げた。
「何度やってもいいけど、俺には一生届かないよ」
「なっ……チィッ……!」
己の渾身の一撃が全く届かないという理解不能な現実に戦慄しつつも、ジンは本能で悟った。
目の前の人間には絶対に勝てないと。
だが、振り上げた拳と怒りの矛先を収めることができない彼は、八つ当たり的に標的を変えた。
「ならば、この忌み子共から先に潰してくれるわ!!」
ジンは踵を返し、部屋の隅で震えるシアたちハウリア族へと向けて突進を開始した。
「ひぃっ!?」
シアが悲鳴を上げ、カムが目をギュッと瞑る。ジンがその丸太のような腕を振り下ろした。
――ズドンッ!!
鈍い、しかし確かな衝突音が部屋に響いた。
だが、シアたちが押し潰されることはなかった。
ジンの巨大な拳は、いつの間にか彼らの前に割り込んだうみの片手によって、万力のようにガッチリと受け止められていたのだ。
「……勝手なことされちゃ困るな」
「なっ……!?」
うみは、ジンの拳を片手で軽々と握り潰さんばかりの力でホールドしたまま、氷点下のような冷たい声で言い放った。
「俺は、ハウリア族と身の安全を保障する『契約』をしてる。
すなわち、ハウリアへの敵対は俺への敵対とみなす。……覚悟はできた?」
ジンは驚愕に目を見開き、必死に腕を引き抜こうともがく。
しかし、呪力によって肉体を強化したうみは、ビクともしない。
(本気でやったらバラバラ。手加減……手加減……)
うみは内心で慎重に力加減を調整しつつ、ジンの拳を掴んだまま、空いている方の右手をごく自然にジンの分厚い腹部へと添えた。
打撃のモーションすら必要ない。
空間を二次元の面として捉える術式――『天衣無縫』の起動。
相手を空間ごと割り砕く防御無視の一撃。
「――『宇守羅彈』」
パキキキィィィンッ!!
ガラスが砕け散るような、空間そのものが弾ける甲高い異音が炸裂する。
防御力という概念を一切無視して内部へと直接伝播した衝撃は、巨体の熊人族を一瞬で吹き飛ばした。
「ガァァァァッ!?」
悲鳴を上げる間もなく、ジンは背後の分厚い木の壁をド派手にぶち抜き、そのまま建物の外へと一直線に吹き飛んでいった。
しばらくして、ドスンという落下音と呻き声が微かに聞こえてくる。
静寂。
何が起きたのか全く理解できず、アルフレリックとハウリア族を除く他の長老衆は、完全に魂が抜けたように硬直していた。
その沈黙の中、うみは服の埃を軽く払うと、壁にぽっかりと開いた大穴から視線を戻し、呆然と立ち尽くす長老たちに問いかける。
「今言った通りなんだけど……君らは敵?」
その酷薄な響きにハッとした長老衆は、完全に魂を抜かれたような状態から一転、首が千切れんばかりの勢いで横に振った。
戦闘力では一、二を争う手練れであったジンが、文字通り手も足も出ずに瞬殺されたのだ。恐怖で顔を引き攣らせる彼らの中に、敵対の意思など微塵も残っていなかった。
「……ふぅ。どうやら、これで落ち着いて話ができそうだな」
アルフレリックが深い深い溜息を吐きながら何とか場を執り成し、改めて会談の席が設けられた。
先程までの剣呑な空気はすっかり鳴りを潜め、長老衆は一様に緊張で身を強張らせている。
彼らはうみを『口伝の資格者』として渋々認め、フェアベルゲンとして敵対はしないこと、末端の者にも手を出さないように伝えることを約束した。
しかし、アルフレリックは深刻そうな顔で言葉を継ぐ。
「……だが、知っての通り亜人は人間を憎んでいる。血気盛んな者達の暴走を完全に制御できる保証はない。
特に、先程のジンの同胞である熊人族は、怒りを抑えきれずに復讐に動く可能性が高い」
「だろうね。それで?」
「もしお前さんを襲う者が出ても、殺さないで欲しい。お前さんの実力なら手加減も可能だろう?」
その頼みに対し、うみは即答した。
「いや、無理」
「なっ……」
「確かにさっきは加減したよ。でも、それは『次はない』っていう警告だったからね」
「ジンをあそこまで痛めつけておいて、あれが手加減だったと言うのか……ッ」
「手加減してなかったら今頃バラバラだよ」
グゼの恨み言を冷たく一蹴し、うみは面倒くさそうに言葉を続ける。
「それに、生かしておいたらずっとちょっかいかけてくるでしょ? それは流石に面倒くさいから却下。
同胞を死なせたくないなら、そっちでどうにかしてよ」
長老衆が悔しげに歯噛みする中、虎人族の長老ゼルがテーブルを叩いて身を乗り出した。
「……ならば、我々はハルツィナ大樹への案内を拒否させてもらう。
口伝にも、気に入らない相手を案内する必要はないとあるからな」
「別にいいよ。元々ハウリア族に案内してもらうつもりだったし」
「ハウリア族に案内してもらえるとは思わないことだ」
「?」
「そいつらは、忌み子を匿い国を危険に晒した大罪人だ。既に長老会議で処刑が決定している」
ゼルの冷酷な宣告に、シアがヒュッと息を呑んだ。
カムをはじめとするハウリア族の面々も、一様に諦めたような絶望の表情を浮かべる。
長老会議の決定は、亜人にとって絶対なのだ。
シアは床に泣き崩れ、必死に土下座をして一族の命乞いを始めた。だが、ゼルの態度は頑なだった。
「決定は覆らん。これが嫌なら、貴様は我々の要求を飲み、案内を諦めるんだな」
ゼルが強気な態度で迫る。他の長老たちも同調するようにうみを見つめた。
しかし、当のうみは特に焦る様子もなく、むしろ深い溜息を吐いて呆れたようにゼルを見た。
「バカなの? それはそっちの事情じゃん。俺には微塵も関係ないんだけど」
「な、なんだと! 貴様、この期に及んでまだ我らを愚弄する――」
声を荒げたゼルを、うみの氷点下の声が遮った。
「言葉には気を付けた方がいい」
ゼルをはじめ、他の長老たちも「どういう意味だ?」と怪訝な表情を浮かべる。
「……今際の際だよ?」
直後。
うみが抑え込んでいた『呪力』が解放された。
「――っ!?」
「……ァ……!?」
それは殺気のような生易しいものではない。どす黒く、粘り気のある、純粋な負のエネルギーの奔流。
呪力という概念が存在しないこの世界の住人、ましてや呪力への耐性が全くない者が、高密度のそれを直接浴びればどうなるか。
ゼルの全身から一瞬にして滝のような冷や汗が噴き出し、呼吸の仕方を忘れたかのように喉がヒューヒューと鳴る。
強烈な吐き気と本能的な恐怖で、指先一つ動かすことすらできなくなり、彼らの顔色は悪魔に魅入られたように土気色に染まっていった。
(……?)
完全に沈黙し、息も絶え絶えになっている長老たちを見て、うみはふと傍らに視線を向けた。
そこでは、同席していたシアたちハウリア族が、長老たち以上に呪力の影響を受け、白目を剥いてガタガタと震え上がり、口から泡を吹きそうになっていた。
(やばっ、忘れてた)
うみは内心で冷や汗をかきつつ、スンッ、と一瞬にして呪力を引っ込めた。
途端に部屋を支配していた重圧が消え去り、長老衆は激しく咽せ返りながら床に崩れ落ちた。
ハウリア族もゼァゼァと荒い息を吐きながら胸を押さえている。
圧倒的な力と、生物としての根源的な恐怖を見せつけられた長老衆は、完全に沈黙した。
やがて、アルフレリックがどこか疲労困憊した様子で深い溜息を吐き、口を開いた。
「……ならば、お前さんの奴隷ということにでもしておこう」
「なっ、何を言っているんだアルフレリック!」
息を吹き返したゼルが思わず叫ぶが、アルフレリックは首を振る。
「フェアベルゲンの掟では、樹海の外へ出て帰ってこなかった者、あるいは奴隷として捕まったことが確定した者は『死んだもの』として扱う。……既に死亡と見なした者を処刑はできまい」
「それは完全な屁理屈だ! 確かにこの少年の力は脅威だが、それに屈して忌み子を野放しにしたと噂が広まれば、長老会議の威信は地に落ちるぞ!」
「だが、この少年と事を構えれば、間違いなくフェアベルゲンは滅びるぞ」
「なっ……いくら何でもそれは言い過ぎだろう!」
「分からんのか、ゼル。彼は我々とは『生物としての格』が違うのだ。……長老の一人として、国を滅ぼすような危険は断じて犯せん」
ゼルとアルフレリック、さらに他の長老たちも加わって、場はにわかに紛糾し始める。
長老としてのメンツや悪しき前例の成立も許容しがたい。
だが、アルフレリックの言う通り、先ほどの理不尽な力を見せつけられた後では強硬手段にも出きれない。
そんな彼らの喧々囂々の議論を、うみは空気を読むことなくあっさりと遮った。
「あー、話を切るようで悪いんだけどさ。忌み子云々については、今更だよ?」
「……どういうことだ?」
怪訝な顔で視線を向ける長老たちに、うみは呆れたように肩を竦めた。
「さっき見せた通り、俺もシアと同じで、詠唱も陣もなしでデタラメな力を使える。ついでに言えば、こっちのユエもね。
あんたらの言うところの『化け物』だよ。でも、口伝には『それがどんな者であれ敵対するな』ってあるんでしょ?」
「ッ……」
「掟に従うなら、どっちみち俺を見逃さなきゃいけないんだ。シア一人増えたくらい、今更でしょ」
その言葉に、長老衆はピタリと硬直した。
確かに、ジンを一瞬で吹き飛ばし、先ほど未知の力で自分たちを死の淵まで追い詰めたこの少年こそが、フェアベルゲンにとって最大のイレギュラーであり『化け物』だ。
しばらく顔を見合わせてヒソヒソと話し合っていた長老衆だったが、やがて結論が出たのか、代表してアルフレリックがもう一度深々と溜息を吐いた。
「……はぁ。ハウリア族は、忌み子シア・ハウリアを筆頭に、資格者・月影うみの身内と見なす。
そして、資格者に対しては敵対しないが、フェアベルゲンや周辺の集落への立ち入りを禁ずる。
以降、彼らに手を出した場合は全て自己責任とする……以上だ。何かあるか?」
「いや、別に。大樹に案内してもらえるなら文句はないよ」
「……そうか。ならば、早々に立ち去ってくれるか。ようやく現れた口伝の資格者を歓迎できないのは心苦しいが……」
「気にしないで。そもそも、このウサギ共がもっとしっかりしてれば、こんな面倒な交渉も滞在もなかったわけだし」
うみの呆れを含んだ言葉に、アルフレリックは苦笑した。
他の長老たちからも恨み辛みというより、「頼むから早く帰ってくれ」という空気が漂っている。
うみは立ち上がると、未だに現実感が湧かないのか、呆然として座り込んだままのシアたちハウリア族を見下ろした。
ついさっきまで死を覚悟していたのに、気がつけば屁理屈一つで追放処分で済んでいるという不思議な状況に、
彼らは「えっ、このまま本当に行っちゃっていいの?」と内心動揺しまくっているのだ。
「ほら、さっさと行くよ」
うみの言葉に、ようやく我に返ったシアたちがあたふたと立ち上がり、一行は会談の場を後にした。
***
フェアベルゲンの門を出て、濃霧の立ち込めるハルツィナ樹海を進む一行。
死を覚悟していたところから一転、トントン拍子で命を救われ、追放だけで済んでしまったシアたちは、未だに現実感が湧かないのか、オロオロしながら歩いていた。
「あ、あの、私達……死ななくていいんですよね?」
「さっきの話聞いてなかったの?」
「い、いえ、聞いてはいましたけど……。
その、何だかトントン拍子で窮地を脱してしまったので実感が湧かないといいますか……信じられない状況といいますか……」
周りのハウリア族も同様なのか困惑した表情だ。どう処理していいか分からず戸惑うシアに、ユエがぽつりと呟く。
「……素直に喜べばいい。うみに救われた。それが事実。受け入れて喜べばいい」
「……」
ユエの言葉に、シアはそっと隣を歩くうみを見つめた。
うみは前を向いたまま、肩を竦める。
「まあ、契約だからね」
その言葉に、シアは肩を震わせた。
樹海の案内と引き換えに、シアと家族の命を守る。
必死に取り付けた約束を、うみは面倒くさそうにしながらも、一歩も引かずに守り通してくれた。
例えそれがうみ自身のためであったとしても、シアと大切な家族は確かに守られたのだ。
(ああ、私……本当に助かったんだ)
胸の奥がじんわりと熱くなり、居ても立ってもいられないほどの深い感謝と安堵が込み上げてくる。
理不尽な世界から自分と家族を力強く引っ張り上げてくれた、絶対的な庇護者に対する全幅の信頼が。
シアはユエの言う通り、素直に喜ぶことにした。今の気持ちを、衝動に任せて全力で表してみることにした。
「うみくぅぅん! ありがどうございまずぅぅぅー!!」
「わっ! いきなり何!?」
シアが泣きべそを掻きながら、全力でうみに抱きついた。
「絶対に離しません!」とばかりにヒシッとしがみつき、顔をグリグリとうみの肩に押し付ける。
喜びを爆発させるシアの姿に、ハウリア族の面々もようやく命拾いしたことを実感したのか、隣同士で喜びを分かち合っている。
「ちょっと、離れて。歩きにくい」
「嫌ですぅ! 一生の恩人ですぅー!」
うみが引き剥がそうとするものの、無駄に高い身体能力を持つ兎人族のハグはなかなか強固だった。
それを見たユエが不機嫌そうに唸るものの、何か思うところがあるのか、うみの空いている方の手をギュッと握るだけで、特に何もしなかった。
遠巻きにこちらを監視している長老衆や亜人たちからの、不快感や憎悪の入り混じった複雑な視線を背に受けながら、(まだ面倒事はありそうだな)とうみは小さく息を吐く。
――フェアベルゲンを離れ、鬱蒼としたハルツィナ樹海をしばらく進んだ先にて。
「さて、それじゃあ君らにはこれから戦闘訓練を受けてもらうから」
一先ず大樹への道中に拠点を作って一息ついた時の、うみの第一声がこれだった。
拠点といっても、うみがフェアベルゲンからちゃっかりと『拝借』してきたフェアドレン水晶を周囲に等間隔で配置し、魔物避けと霧払いの結界を張っただけの簡素なものだ。
その中で切り株に腰掛けながら発せられた唐突な宣言に、シアたちハウリア族は一様にポカンとした表情を浮かべた。
「え、えっと……うみくん。戦闘訓練というのは……?」
困惑する一族を代表して、シアがおずおずと尋ねる。
「そのままの意味だよ。ここから大樹の入り口にたどり着くまでに、大体十日間くらいかかるんでしょ?
なら、その間の時間を有効活用して、逃げることしかできない君らに戦い方を教えようと思って」
「な、なぜ、そのようなことを……?」
シアが当然の疑問を口にする。うみは少し呆れたようにため息をつき、言葉を続けた。
「いい? 俺が君らと交わした約束は『大樹への案内が終わるまで身の安全を保障する』ってものだよね。
じゃあ、案内が終わって俺らが立ち去った後はどうするの? 君ら、何か考えてる?」
「あっ……」
ハウリア族たちが互いに顔を見合わせる。カムもハッとしたように難しい表情を浮かべた。
激動に次ぐ激動で頭の隅に追いやられていたのだろうが、冷静に考えれば彼らの未来は文字通り真っ暗だった。
「フェアベルゲンっていう唯一の隠れ家すら失って、この樹海に放り出されたんだ。
俺の庇護がなくなれば、どうせすぐ魔物か他の亜人に狩られて全滅する。
……それでいいの? 弱いから仕方ないって、自分たちの全滅を受け入れる?」
「「「「「「……」」」」」」
全くその通りなだけに、ハウリア族たちは皆一様に暗い表情で俯いた。
温厚で平和的、争いが何よりも苦手な兎人族。
自分たちは弱いから戦うことなんてできない、という種族としての常識と諦観が彼らを縛っているのだ。
だが、うみはそんな彼らの弱音をあっさりと切り捨てるように、冷たく、そして至極真っ当な事実を突きつけた。
「力がなければ、奪われて死ぬ。どこの世界でもそれは同じでしょ」
「ッ……」
「『自分たちは弱いから無理だ』なんて言い訳は通用しない。
出来るか出来ないかじゃないんだよ。やらなきゃ死ぬ。ただそれだけのことだよ」
淡々と、しかし容赦のない真理。
その重苦しい沈黙の中、しかし、最初に顔を上げたのはシアだった。
「……やります」
「シア?」
カムが驚いたように娘を見る。シアは決然とした表情で立ち上がり、うみを真っ直ぐに見つめた。
「私に、戦い方を教えてください! もう、弱いままは嫌ですから……ッ!」
一族を窮地に追い込んだのは紛れもなく自分が原因であり、このまま何も出来ずに滅ぶなど絶対に許容できない。
兎人族としての本質に逆らってでも強くなりたいという、不退転の決意がそこにはあった。
そのシアの言葉と強い瞳に感化されるように、カムをはじめとするハウリア族が次々と顔を上げ、立ち上がっていく。
そして、全員が立ち上がったのを確認すると、カムが代表して一歩前へ進み出た。
「うみくん……どうか、我らにご指導をお願いいたします」
言葉は少ないが、そこには襲い来る理不尽と戦う意志が確かに宿っていた。
彼らの覚悟を見たうみは、小さく息を吐いてから静かに告げた。
「わかった。ただ、君らは常人が二、三年かけて身につけるものを、『十日間』でものにしなきゃいけない。
必然的に内容は厳しくなるけど……」
うみの青い瞳が、彼らを射抜くように細められる。
「途中での投げ出しは無し。泣き言も一切受け付けないからね」
その言葉に、ハウリア族は皆、覚悟を宿した表情で力強く頷いた。
***
特訓開始から二日目。
うみはハルツィナ樹海の拠点で、額に手を当てながら深々と溜息を吐いていた。
現在、ハウリア族はそれぞれが武器を手にし、樹海に現れた魔物相手に実戦訓練を行っている。
彼らが手にしているのは、うみがオスカーの隠れ家に滞在していた頃、暇つぶしにタウル鉱石を錬金して作っておいた『苦無』だ。
元々はうみ自身が技能『念動』で操り、オールレンジ攻撃の要にするつもりで大量生産した代物だったが、『群蝶』が完成したことですっかりお役御免となり、宝物庫の肥やしになっていたものだ。
とはいえ奈落産の鉱石製だけあって強度は高く、刃を極薄に錬金しているため切れ味も抜群である。
うみが彼らに教えているのは、兎人族特有の高い索敵能力と隠密能力を最大限に活かした『隠密機動』――要するに、奇襲と暗殺の技術だ。
正面からの殴り合いなど論外。気配を殺して死角から忍び寄り、急所を一撃で穿ってすぐさま離脱する。
圧倒的な身体能力を持つ魔物相手に、脆弱な彼らが生き残るための最も合理的で現実的な生存戦略だった。
魔力を直接操作できるシアに関しては、ユエが専属で魔法の特訓をつけている。
時折、霧の向こうからシアの悲鳴が聞こえてくるので、あちらはあちらで順調に扱かれているようだ。
ハウリア族は、自分たちの争いを好まない性質に逆らいながら、うみに言われた通り真面目に訓練に励んではいる。
血を流し、傷を負いながらも、なんとか魔物を仕留められるようにはなってきた。
――しかし。
「ああ、どうか罪深い私を許してくれぇ……!」
魔物の急所に苦無を突き立てたハウリア族の男が、絶命した魔物の骸に縋り付いて慟哭する。
まるで互いに譲れぬ信念の果て、親友を殺めた男のようだ。
「ごめんなさいっ! ごめんなさいっ! それでも、私はやるしかないのぉっ!」
首を裂いた苦無を両手で握り締め、わなわなと震えるハウリア族の女。
まるで狂愛の果てに愛する人をその手で殺めた女のようだ。
ドゴォッ! と、瀕死の魔物が最後の力で放った体当たりを受け、カムが吹き飛ばされる。
地面を転がったカムは、倒れ伏したまま自嘲気味に呟いた。
「ふっ……これが、刃を向けた私への罰というわけか……当然の結果だな……」
「族長! そんなこと言わないで下さい! 罪深いのは皆一緒です!」
「お、お前達……そうだな。こんな所で立ち止まっている訳にはいかない。
死んでしまった彼らのためにも、この死を乗り越えて私達は進もう!」
「「「「「「族長ぉぉーっ!!」」」」」」
何やら謎の感動的な雰囲気に包まれるカムたちハウリア族。
それを見ていたうみは、キレるというより、ひどい頭痛を堪えるようにこめかみをグリグリと揉み解した。
「……あのさ。相手は魔物だよ? 君らを食い殺そうとしてる完全な捕食者。
こっちがどれだけ情を向けようが、あっちは微塵も気にしない。
君らのことなんてただの『動く肉』としか思ってないのに、いちいち感情移入してどうすんの」
呆れ度百パーセントの冷たいツッコミを入れるが、
ハウリア族たちは「そうは言っても可哀想で……」「命を奪うことの重みが……」とブツブツ呟いており、どうにもピンときていない様子だ。
(ダメだこの子ら。根が優しすぎる……)
うみが天を仰いで再び深々と溜息を吐いた時。
ライセン大峡谷でうみに助けられ、やたらと懐いているウサミミの少年が、「まあまあ」とうみを宥めるように近づいてきた。
しかし、少年はうみの前まで来る途中で、不自然にピョン、ピョン、と妙なステップを踏んだ。
「……何してんの」
「あ、うん! このお花さんを踏みそうになって……。
よかったぁ、気がつかなかったら潰しちゃうところだったよ。こんなに綺麗なのに、踏んじゃったら可哀想だもんね!」
ニコニコと無邪気に笑う少年。周囲の大人たちも、微笑ましそうに少年を見つめている。
うみの顔から、スッと表情が抜け落ちた。
改めて周囲を観察してみれば、他の大人たちも、生死を分ける戦闘中であるにも関わらず、
妙な歩幅で動いたり、突然飛び退いたりしていた。次手を考えた結果のステップか何かだと見過ごしていたが……。
「……君ら。戦闘中に妙な動きをしてるのは、その『お花さん』やら『虫』を踏まないように避けてるから?」
「ええ、そうですとも。突然虫が出てきた時は焦りますよ。なんとか踏まないように避けますがね」
カムが苦笑混じりに肯定した瞬間。
うみの中で、何かが完全に冷え切った。
「はぁ……。あんまりこういうやり方は、したくなかったんだけどね……」
(戦う以前の問題だ。優しいとかのレベルじゃない。俺とは別の方向性でイカレてる)
生死の境を彷徨うような実戦訓練の中で、花や虫の命に気を遣う。
そんなお花畑な思考回路のまま戦場に立てば、どれだけ技術を教え込もうが遅かれ早かれ必ず死ぬ。
彼らに戦いを教え、生き残らせるには、まずその染み付いた性根から根こそぎへし折らなければならない。
では、どうするか。
(手っ取り早いのは……『恐怖』を押し付けて、余計なことを考える余裕すら奪うことか)
恐怖による支配。圧倒的な力による独裁。
思考を巡らせるうみの脳裏に過るは、『呪いの王』――両面宿儺の姿。
彼らを強制的に戦士へと引き上げるため、うみは、かの『暴君』の振る舞いをトレースすることにした。
うみは無表情のままゆっくりと少年の足元へ歩み寄ると、躊躇いなく、その『お花さん』を無慈悲に踏み潰した。
ご丁寧に、足の裏でグリグリと原型がなくなるまで擦り潰して。
「あ……お、お花さぁーん!?」
悲痛な声を上げる少年。
うみはそれに構うことなく、手頃な切り株へと歩み寄り、どっかりと腰を下ろした。
そして、頬杖をつきながら、ひどく冷たく、傲慢な瞳でハウリアたちを見下ろす。
「――一度は許す。二度はない」
「う、うみくん……? それは、一体どういう……」
いつもと違う、張り詰めたうみの空気に、カムが戸惑ったように声をかける。
うみはカムの言葉には答えず、ただ視線だけをスッと横に向けた。
直後。
ズパンッ!! と、天地を揺るがすような轟音がハルツィナ樹海に響き渡った。
空間そのものを薄く切り裂く、不可視の斬撃。
術式『御廚子』によって放たれたソレは、カムたちの背後にそびえ立つ数十メートル級の巨樹を、いとも容易く袈裟懸けに両断した。
ズズズズズ……ッ! ドスゥゥゥゥンッ!!
斜めに切断された巨樹の上半身がゆっくりと滑り落ち、地響きを立てて倒れ伏す。
巻き上がる土煙と、叩きつけられた圧倒的な暴力の残滓。
あまりにもな光景に、カムたちハウリア族は悲鳴を上げることも忘れ、全員が白目を剥きそうになりながらへたり込んだ。
静まり返る樹海の中、うみは頬杖をついたまま、冷酷な声で告げる。
「次に魔物との戦闘中、花だの虫だのに気を逸らした奴は……こうなると思え」
『呪力』が、うみからゆらりと立ち昇る。
チリチリと肌を焼くような、純粋な死の気配。
先ほどの長老衆との会談の時のように気を失わせるほどの暴力的な重圧ではない。
だが、それは背筋を氷でなぞられるような、冷たく鋭く、彼らの本能を直接削り取るような持続的な恐怖の解放だった。
「俺は優しいからな。最後にもう一度だけ警告してやる」
絶対的な死の象徴が、絶望と恐怖で凍りつく彼らへ向けて、酷薄な笑みと共に宣告を下す。
「――二度はないぞ?」
その言葉を合図に。
「「「「「「ひ、ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」」」」」」
ハウリア族たちは蜘蛛の子を散らすように、それこそ文字通り『死に物狂い』で魔物の群れへと突撃していったのだった。