猛然と襲い来る残像潮に、“夜”の隷属たちのような既視感を覚えた追跡者を、どう咎めるべきか。
少なくとも今回は、多勢に無勢ではない。武装した多数の兵士たちが残像の群れを受け止め、討ち取り、押し返す中、漂泊者と追跡者は縦横無尽に戦場を駆け回った。後顧の憂いが断たれた戦場は、全身に躊躇なく力を漲らせることが可能だ。目の前の敵を斬り伏せ、迫りくる攻撃を回避し、即座に斬り返して打倒する。終わりの見えない連戦に、必要以上に力んでは、途中で疲弊してしまう。二人とそれをサポートする
だが――
ひゅるりと風が泣くような旋律とともに、漂泊者を囲うような雷電がぱりばりと生じた。三角模様を描くそれに気付き、咄嗟に身を捻りその場を飛びのくと、一瞬遅れて強い電撃が墜落した。寸でのところで致命傷を回避した彼女は、しかし続いて足元が闇色に汚れたのを見、さらなる回避を強要された。
ゆらりと浮かび上がった闇の塊に、追跡者が横から割り込み、その大剣によって叩き潰した。ごろごろと転がるように回避し、すぐさま起き上がった漂泊者の視線の先には、長い帯を模した体毛を揺らめかせる、楽手のような残像たち――“宣諭の楽手”と“金鈴の楽手”が浮かんでいた。これまでの戦士たちや狩人たちのような水風級より一段上、“巨浪級”の強敵だ。捉えどころのない回避能力、脆弱そうな体格に見合わない耐久性、そして音階とともに襲い掛かる強烈な遠隔攻撃は、北落野原の激戦区でも脅威度が一際高い。
ワイヤークローを飛ばし、いち早く突撃した追跡者の目の前で、宣諭の楽手が笛を鳴らし、その周囲に三つの電導弾を生じさせた。反射的に身を捩らせた追跡者の目の前で、ぐるぐると渦巻くように旋回する三つの電導弾が、宣諭の楽手を守り突撃を阻む。さらに宣諭の楽手が念を込めるように周波数エナジーを収束させると、さらに生じた電導弾、合計四つが一斉に射出された。弾速は――さして速くない。輝石の流星程度がせいぜいだろう。出現、加速、射出の瞬間まできっちり捉えていた追跡者にしてみれば、避けるのは実に容易く――
(――しまった!)
身を捻った追跡者の視界の隅に、負傷し蹲る兵士の影が見えた。今まさに回避した追跡者の向こう、四つの電導弾の射線上にいる。脚をやられたようで、満足に動けない状態だ。辛うじて構えられた小銃では、電導弾を一つ相殺できるかどうかといったところだろう。庇うべきか、いや己の装備では防御に不安が――
「私が守る!」
そこに、桃色の影が割り込んだ。
「あ、ありがとうございます!」
「気にしないで。今、衛生兵を呼ぶからね」
這いずりながら礼を述べる兵士に対し、
「――
その瞬間、漂泊者が叫んだ。今まさに、彼女と相対していたはずの金鈴の楽手が姿を晦ませ、
「引っかかった?」
しかし、
すいと身を屈め、長刃に身を隠すような独特の構え。金鈴の楽手による闇色の波動がそれに触れた瞬間、ごぉんと重厚な壁に衝突したかのような音が響いた。金鈴の楽手のエナジーと
「やあっ!」
押し返したその勢いに乗せて、
そして当然、それを見逃す理由はない。
「――ちょっとだけだぞ?」
ふわぁ~、と大あくびをした
「潰れろ」
ガァン! という轟音とともに、左腕の弩状の機構が爆熱を解き放ち、残像たちに叩きつけられた。横からの斬撃と上からの爆撃に挟まれた残像たちは、その強烈な暴力に蹂躙され、次々に音核を砕かれて消滅していった。炸裂の反動を利用して空中で受け身を取り、だんと着地する追跡者の気迫に、周囲の残像たちが恐れをなしたか、どうか。少なくともその寸隙は、戦争において決定的な仇となった。
「響け!」
「風よ起これ!」
「火力全開っ!」
漂泊者の光気が、
衝突の均衡が崩れた。がらがらと雄叫びを上げる獅子の咆哮とともに、兵士たちが速やかに突撃し、銃弾を浴びせながらぐいぐいと戦線を押し上げていく。もとより本能のままに戦うだけの残像たちと、個の貧弱な力を組織行動で補う人間の兵士たち――気勢を制してしまえば、その結末まで決したようなものだ。
◇ ◇ ◇
かくして、残像潮の次なる一波を堰き止めることに成功した夜帰軍。
「相変わらずやるなー! これならどんだけ敵が来ても余裕だね!」
「まだだ。破壊された建材を積み上げて、障害物を作るぞ」
ふーと息を吐く
「バリケードってこと?」
「『ばりけーど』? それでいい。奴らが歩いてやってくるのなら、それで堰き止めろ」
「工兵中隊、構築急いで。装甲中隊は部隊再編し、第三防衛ラインを設置して」
『はっ!』
二人のやり取りを聞いていた
せわしなく兵士たちが往来する最中、
「漂泊者さん……あれ……」
「――ここからということだな」
「湾刀の戦いの時の月とほぼ同じ……あまり時間は残されていないようね」
とそこで、
『戦況報告を』
「はい。バリアの修復、市民の城内への避難共に完了しました。負傷者の数は最小限に抑えています」
『うむ。よくやった』
今度は広域放送ではない。見知った顔の登場に、漂泊者が手を振った。
「久しぶり、
『お久しぶりです。漂泊者、追跡者。
ええ、おおむね順調ですよ。先に対策は打ってありますから』
「それも“角”の指示か」
『今州が危険に晒されている今、いつまでも“角”に頼っているわけにはいきません。これは余の決断であり余の責任なのです。
以前瑝都へ行った時、今州への実質的な支援を約束してもらいました。すでに天工と研究員の方で準備が行われているはずです』
追跡者の確認に、
――漂泊者と追跡者は、一瞬だけ視線を交わした。
おそらく
とはいえ、何も藪をつついて蛇を出すことはない。思考を切り替えた漂泊者を、
『――漂泊者。“角”のメッセージを覚えていますか?』
追跡者が
『逆流する雨の帳は大地を覆う。そして夜帰の将軍は、いま北落野原の前線で、戦争の鳴式“
――“角”の言う
符号は揃った。機は熟した。ならば、そこから導き出されるのは――鳴式との決戦。
緊張に言葉を失う漂泊者へ、
『……心中をお察しします。漂泊者。余にも、突如として現れた理不尽に向き合わなければならない時がありました。
この戦いが終われば、あなたは今州を救った英雄として後世に語り継がれることとなるでしょう。あなたが長き夜を越え、無事の帰還を果たすよう願っています』
なすべき者が、なすべき時に、なすべきことをなせ――そんな叱咤激励は心の底にしまったまま、
機は熟した。役者は揃った。舞台は整った。――だが戦えるかどうかは、まったくの別問題だ。決戦の刻に至るまでの、全ての献身と期待を背負って立つのは、立ち続けるのは、刃を握って戦うのは、勝利を奪い取るのは――そのいずれも、並大抵の重責ではない。恐怖と緊張の重圧を耐え抜き、立ち向かい、そして勝ち取る。その歩みこそが『勇気』と呼ばれるものであり、今の漂泊者に求められているものだ。
そして、追跡者にできることはない。憤怒、憎悪、悔恨、贖罪――その正体が何物であろうと、『自分自身を衝き動かすもの』がなくてはならない。彼はそうだった。全てを奪った“夜”への復讐、災厄を終わらせる不変の渇望。それこそが彼を衝き動かし、四肢に力を与え、滅びても滅びても滅びても滅びても滅びても滅びても滅びても滅びても滅びても滅びても滅びても滅びても滅びても諦めることなく、その執念を燃やし続け、戦い抜いてきた。
同じ決意と覚悟を漂泊者に強制するか、はたまた別のモノを植え付けるか……いずれにせよ、『彼女自身の戦う理由』は、それを宿らせることができるのは、他ならぬ彼女自身であり、追跡者が肩代わりすることはできない。
すべてを擲ってでも――彼女がそう思うことができなければ、物語はそれでおしまい。
所詮、この世は修羅の巷。
胡蝶の羽搏きとともに消える一夜の夢。
雷光よりもなお儚い、瞬きの間にすべてを懸ける意味など、
自分自身が見つけられないのなら、そこでおしまい――
その様子をずっと見守っていた
「はあ、長雨ね……嫌になっちゃう」
天へと昇る
「各地の関所に、あなたたちのことは伝えておいたよ。今後は今州のどこでも自由に通行できるわ。
――漂泊者のことは任せたよ、
そして
緊張に呑まれた漂泊者を間近で見、しかし何もできなかった
それを理解した二人の顔からは、緊張も不安もなくなっていた。
「――はいっ!」
「背中は任せたよ、
――彼は戦士だ。君主でも、将帥でも、英雄でもない。“夜”を屠るためだけに戦ってきた復讐者だ。他人を鼓舞し、陶酔させ、修羅道へと駆り立てることはできない。彼にできるのは、敵を追い、剣を振り下ろし、叩き潰すことだけ。
だがそこに、価値を見出す者がいる。朋輩を守り支えんと、彼の隣に並び立ち、ともに戦うべく奮い立つ者がいる。
迷いなく歩き出す追跡者に並んだ漂泊者と
あそこにも、守るべき人はいる。見知った友が、世話になった恩人が、未来を担う幼子がいる。
――一瞬だけ戻ってきた不安をかき消すように、
「安心して! 今州城は、あたしたちが絶対守るから!」
「俺もいる」
「わ……私も……!」
「瑞獅団のみんなも!」
そして、それだけには終わらなかった。
「――俺たちも!!」
城門から、城壁から、街道脇から、無数の声が木霊した。見れば多数の兵士たちが武器掲揚し、三人を送り出すように見守っている。この今州城に、残像一匹とて通しはしない――そんな気迫に満ち満ちた兵士たちの様相に、
「ふふ……ここには頼もしい仲間がたくさんいるもの」
「漂泊者も追跡者も、
次なる残像潮まで長くはない。しかし、諦観には程遠い勇士たちの言葉に、漂泊者と
後顧の憂いはない。頼もしい仲間たちが、帰るべき場所を守っていてくれる――ならば目指すは一点、鳴式の打倒。
「
――それは、瑝瓏にずっと伝わる祈りの言葉。どれだけ暗い夜を彷徨おうと、必ず帰ってくることができますように。
「長き夜を越え、無事の帰還を果たす!」
無数の声援を背に、追跡者と漂泊者と
所詮、この世は修羅の巷。
胡蝶の羽搏きとともに消える一夜の夢。
雷光よりもなお儚い、瞬きの間にすべてを懸ける意味など、
――隣のあなたを護りたい。ただそれだけで、済む話。
「って誰だ――!?」
「俺は淵武。拳法道場の師範を務めている。この戦が終わったら、ぜひ遊びに来てくれ」
「あ、どうもご丁寧に……」