(完結)屑王太子殿下の優雅なる廃嫡   作:埴輪庭

5 / 5
バルドスという国

 ◆

 

 バルドス王国の将軍ラインハルト・フォン・グラオは、王都の執務室で届いたばかりの密書を見つめていた。

 

 震える手。

 

 血の気が引いていく顔。

 

『東部戦線は既に敵の手に落ちた。至急援軍を』

 

 三日前に送ったはずの援軍三千は、どこへ消えた? 

 

 いや、知っている。

 

 偽の命令書に従い、全く関係のない西の荒野へ向かったのだ。

 

 誰が偽造した? 

 

 分からない。

 

 信頼していた副官か、あるいは──

 

「閣下! 大変です!」

 

 部下が血相を変えて飛び込んできた。

 

「財務大臣が、国庫の金を持ち逃げしたとの報せが!」

 

 またか。

 

 この一ヶ月で、これで何人目だ? 

 

 ◆

 

 王都の市場。

 

 商人のヨハンは、空っぽの棚を呆然と見つめていた。

 

 小麦粉、一袋もない。

 

 塩も、砂糖も、香辛料も。

 

 すべての交易路が、なぜか同時に機能不全を起こしている。

 

「旦那、いつになったら品物が入るんだ?」

 

 痩せこけた女が問いかける。

 

 彼女の腕の中の赤子は、もう三日も泣いていない。

 

 泣く力さえ失ったのだ。

 

「分からない……分からないんだ」

 

 ヨハンは頭を抱えた。

 

 隣国アストレアとの国境は封鎖され、海路は何故か海賊が跋扈し、山道は山賊に占拠されている。

 

 まるで、見えない手が王国の首を絞めているかのようだ。

 

 路地裏では、飢えた者たちが残飯を巡って争っている。

 

 つい一ヶ月前まで、バルドスは豊かな国だったはずなのに。

 

 ◆

 

 宰相ディートリヒは、玉座の間で国王に報告していた。

 

「陛下、また将軍が一人、暗殺されました」

 

 老いた国王の顔が、さらに青ざめる。

 

「誰だ? 今度は誰なのだ?」

 

「北部方面軍のシュタイン将軍です。毒殺の模様」

 

 これで七人目。

 

 主戦派の要人が、次々と不審な死を遂げている。

 

 犯人は分からない。

 

 いや、分かっているのかもしれない。

 

 疑心暗鬼が宮廷を支配し、昨日の味方が今日の敵となる。

 

「陛下、このままでは──」

 

「分かっている! だが、どうしろというのだ!」

 

 国王の怒鳴り声が響く。

 

 その声には、恐怖が滲んでいた。

 

 次は自分かもしれない。

 

 その恐怖が、判断を誤らせる。

 

「アストレアとの和平を──」

 

「馬鹿な! 向こうが応じるはずがない!」

 

 実際、アストレアからの返答はいつも同じだった。

 

『バルドス王国の内政には干渉しない』

 

 ただそれだけ。

 

 援助もしない。

 

 攻撃もしない。

 

 ただ、じっと見ている。

 

 獲物が弱り切るのを待つ、冷酷な捕食者のように。

 

 ◆

 

 スラム街の片隅。

 

 かつて王国軍の誇り高き騎士だったアルベルトは、泥水をすすっていた。

 

 部隊は解散し、給料は支払われず、家族は飢えで全滅した。

 

「くそっ……くそっ……」

 

 涙も枯れた。

 

 怒りさえ、もう湧いてこない。

 

 ただ、なぜこうなったのか分からない。

 

 戦争が始まったはずだった。

 

 アストレアの辺境を攻めるはずだった。

 

 それがいつの間にか、内輪揉めが始まり、物資が途絶え、指揮系統が崩壊し──

 

 気がつけば、国そのものが死にかけている。

 

 隣では、元商家の娘が春を売っている。

 

 その向こうでは、貴族の子供が残飯を漁っている。

 

 階級も、誇りも、すべてが無意味になった。

 

 ただ生きるため。

 

 それだけのために、人間が獣に堕ちていく。

 

 ◆

 

 国境の監視塔。

 

 哨兵のクラウスは、双眼鏡でアストレア側を観察していた。

 

 向こうは平和そのものだ。

 

 農民が畑を耕し、商人が行き交い、子供たちが笑っている。

 

 まるで、こちらの地獄など存在しないかのように。

 

「なあ、クラウス」

 

 同僚が話しかけてきた。

 

「もう、逃げないか?」

 

「どこへ?」

 

「どこでもいい。ここよりマシならな」

 

 クラウスは答えなかった。

 

 逃げた者の末路を知っているから。

 

 国境警備隊に捕まれば処刑。

 

 運よく逃げ延びても、行く当てはない。

 

 そして何より──

 

「家族が、人質に取られている」

 

 同僚は黙り込んだ。

 

 皆、同じだ。

 

 逃げたくても逃げられない。

 

 戦いたくても敵が見えない。

 

 ただ、見えない何かに締め上げられ、ゆっくりと窒息していく。

 

 ◆

 

 王宮の秘密会議室。

 

 生き残った重臣たちが、最後の相談をしていた。

 

「もはや、国家として機能していない」

 

「民は飢え、軍は崩壊し、経済は死んだ」

 

「このままでは、本当に滅びる」

 

 誰もが分かっていた。

 

 これは計画的な破壊だと。

 

 アストレアの新しい辺境公爵。

 

 ユージン・フォン・アストレア。

 

 彼が就任してから、すべてが狂い始めた。

 

「奴は悪魔だ」

 

 誰かが呟いた。

 

「一度も剣を交えることなく、我が国を滅ぼそうとしている」

 

 沈黙が落ちる。

 

 そして──誰かが言った。

 

「降伏しよう」

 

 と。

 

 ◆

 

 三日後。

 

 バルドス王国は正式に降伏を申し出た。

 

 条件は過酷だった。

 

 領土の三分の一を割譲。

 

 賠償金は国庫の十年分。

 

 軍備の完全放棄。

 

 だが、それでも受け入れるしかなかった。

 

 これ以上続ければ、国民全員が餓死する。

 

 降伏文書に署名する国王の手は老人のように震えていた。

 

「これで……終わりか」

 

 窓の外では、飢えた民衆が王宮を取り囲んでいる。

 

 パンを求める声。

 

 正義を求める声。

 

 だが、もう何も与えるものはない。

 

 国庫は空。

 

 軍は壊滅。

 

 希望は潰えた。

 

 ただ一つ確かなことは──

 

 バルドス王国は、ユージン・フォン・アストレアという一人の男に、完膚なきまでに破壊されたということだった。

 

 剣を交えることすらなく。

 

 ただ見えない糸で操られ、内側から腐り落ちていった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

転生闇落ちガチ勢トレーナー(害悪厨)が心を折るまでの話。(作者:地霊殿の壁)(原作:ポケットモンスター)

無敵のチャンピオン・ダンデ相手に四度目の敗北の味をキメるまでの話でもある。▼一旦は一話で完結の予定。▼反響が良ければ続くかもしれない。▼26/7/4/07:00 総合日間3位.


総合評価:6383/評価:8.15/連載:3話/更新日時:2026年06月29日(月) 18:01 小説情報

ヒカ碁の世界で緒方精次となったからには、打倒saiを掲げたい。(作者:くま子)(原作:ヒカルの碁)

週刊碁で、桑原本因坊と塔矢九段の総譜を見つけた時、ようやく理解した。▼ここが『ヒカルの碁』の世界なのだと。▼なるほど。同姓同名とばかり思っていたが、この幼い身体は、緒方精次その人らしい。▼神は囲碁に没頭できる第二の人生を与えてくれただけでなく、佐為と──本因坊秀策と打てる機会すら、用意してくれているようだ。▼ならば、目指すしかないな。▼ネット最強の棋士、sa…


総合評価:20209/評価:8.98/完結:14話/更新日時:2026年06月17日(水) 21:00 小説情報

普通に人体錬成しちゃった錬金術師(作者:ヤキブタアゴニスト)(原作:鋼の錬金術師)

母を蘇らせようとして、身体を失ったエドワードとアルフォンス。▼そんな二人の前に現れたのは、平然と人体錬成を成功させる国家錬金術師だった。▼「いいかい。真理だなんだがなくても、医学の知識がしっかりあれば人体くらい錬成できるんだよ」▼これは、賢者の石にも禁忌にも大してこだわらず、エルリック兄弟が人体錬成を勉強して家族を取り戻すまでの物語。▼数年前に途中まで書いて…


総合評価:21264/評価:8.7/完結:9話/更新日時:2026年08月28日(金) 16:56 小説情報

オンテギ・ウルト(作者:ヤン・デ・レェ)(原作:もののけ姫)

エボシ御前を買って嫁にする倭寇の頭目にチート転生したっぽい件。


総合評価:16903/評価:8.64/完結:37話/更新日時:2026年06月26日(金) 00:00 小説情報

転生したらTSして悪魔になったので、ロールプレイします(作者:メスシリンダーガキ)(オリジナルファンタジー/コメディ)

俺は平凡なサラリーマン、ある日なんか異世界に転生して、なぜか女悪魔になってしまっていた。▼だから、せっかくなのでロールプレイを楽しみます。▼なんか天秤の悪魔って呼ばれるようになりました。


総合評価:18529/評価:8.68/短編:35話/更新日時:2026年08月29日(土) 17:53 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>