FEエンゲージ イルシオンの希望   作:あじさいファン

73 / 90
第10章-10:絶望、そして・その10

「全軍! 攻撃を中止せよッ! ライラ先輩たちも、どうか手を止めてくれ!」

 薄青髪の従騎士が放った切実な号令に、血みどろの乱戦を繰り広げていた両軍の動きが、一瞬だけ止まった。

 

 互いに武器を構えたまま、眼前の敵への警戒は解かない。それでも、伯爵家の令嬢が自ら戦闘の中止を命じた事実は、兵士たちの刃を鈍らせるには十分だった。その場にいる者たちの視線が、声を張り上げた彼女へ一斉に集まる。

 

 名指しされた子爵令嬢もまた、槍を構えたまま、その顔を訝(いぶか)しげに見つめた。

 

「……貴女、どこかで……」

「先輩が私の顔を覚えていなくても無理はない。先輩からすれば、私は『ブルガリズ子爵令嬢応援隊』の末端構成員でしかなかったからな」

 

 この凄惨な戦場には、およそ似つかわしくない一団の名称だった。伯爵軍の精鋭たちも、殿を務める砦の仲間たちも、揃って目を丸くする。

 

 対する子爵令嬢の顔は、一瞬で耳まで真っ赤に茹で上がった。後輩たちから慕われていたこと自体は、決して悪い気はしない。だが、自分非公認の妙な一団が勝手に結成され、あまつさえ学園の正式なサークルとして幅を利かせていた。当時、身悶えするほど恥ずかしかった記憶が、最悪の形で蘇ったのだ。

 

「あの……そ、そう、貴女、私の後輩なのね。確かに……そういう髪色の子が居た記憶があるわ。あれが貴女だったのね。それはいいんだけど、恥ずかしいから、もうその名前を大声で出さないでちょうだい。わかった?」

「? 何故だ。私はあの学園での活動を、心から誉れに思っているのだぞ。『ブルガリズ子爵令嬢応援隊』で先輩の背中を追い続けた日々こそが、今の私を培った力そのもの! 否定しないで欲しい! 『ブルガリズ子爵令嬢応援隊』はイルシオン、いや、エレオス一(いち)なのだ!」

「わ、わかった、わかったから……!」

 

 大真面目な顔で狂信的な台詞を並べ立てる後輩と、恥ずかしさのあまり、今すぐ雪の中へ蹲(うずくま)りそうになっている同僚。その姿を目の当たりにした少年は、これほどの極限状況にありながら、僅かに可笑(おか)しさを覚えてしまった。

 

 少年は今、安全な砦の奥を離れ、最前線に近いこの場所まで足を運んでいる。自らの策で仲間たちを同胞殺しの地獄へ突き落とした以上、自分だけが安全圏で結果を待つことなどできなかった。自分が下した決断の結果を、目を逸らさず、胸へ刻みつけるために出てきたのだ。

 

 だが、いつも凛として己を崩さない彼女が、まさか敵将の一人から、ここまで見事に調子を狂わされるとは思わなかった。

 

 血臭の漂う雪原へ、不釣り合いな緩みが生まれていた。しかし、それが長く続くはずもない。

 

「そんな愛すべき先輩が……我が兵を手にかけているという事実は、非常に悲しい。もはや相対せねばならぬというわけだ。私と共に応援隊の活動へ励んだ同級生たちも、心から嘆くことだろう」

「まさか、ジェラニウムの言っていた『ダンデライ伯の娘』というのは貴女? なら、話を聞いてちょうだい。私たちはただ、ここから逃げたいだけ──」

 

 感傷を帯びた従騎士の言葉が、かえって伯爵軍の兵たちへ、戦いの現実を思い出させた。

 

 目の前の逃亡者たちによって、同僚や肉親を殺されたばかりなのだ。緩みかけた空気を引き裂くように、血走った目を剥いた一人の剣兵が、馬を飛び降りた。そのまま、子爵令嬢へ猛然と襲いかかる。

 

「よくも俺の兄貴をォォォッ!!」

「きゃ──」

 

 同胞を失った者の、悲痛な叫び。完全に虚を突かれた子爵令嬢は、反応が僅かに遅れた。咄嗟に槍の柄を掲げる。しかし、怒りのまま振り下ろされる凶刃を防ぎきれる体勢ではない。

 

 だが、その剣が子爵令嬢の頭を叩き割ることはなかった。鼓膜を劈(つんざ)く甲高い金属音。二人の間へ割って入った巨大な鋼の盾が、剣撃を完璧に弾き飛ばした。手首を強かに打たれた剣兵は得物を取り落とし、体勢を崩して雪原へ尻もちをつく。

 

「カラバッシュさん!」

 

 無骨な重騎士による、歴戦の戦士ならではの神速の援護。その動きからは、分厚い鎧と巨大な盾の重量など微塵も感じられない。

 

 重騎士は、そのまま尻もちをついた兵士の首元へ、冷たい戦斧の刃を突きつけた。見下ろされた兵士は青ざめ、死を覚悟したように息を呑む。

 

「待てッ! わかった、話を聞いてやる!」

 薄青髪の従騎士が、悲痛なまでの全力で吼えた。

 

 重騎士は、その声に応じて斧を止めた。ただし、いつでも首を刎(は)ねられる位置から、刃を退けようとはしない。

 

「お前達もだ! 怒りを捨てろ! この戦いに意義を感じている者ばかりなのか!? ならば、まずはこのサフィニアが相手になる! それが嫌なら、今は私の命に従い、一旦止まれッ!」

 彼女は本気だった。

 

 ここで伯爵の娘へ刃を向ければ、たとえ逃亡者を討ち取ったとしても、後に伯爵からどれほど苛烈な処罰を受けるか分からない。その事実へ冷水を浴びせられ、再び臨戦態勢へ移ろうとしていた兵たちも、渋々と武器を下ろした。

 

「サフィニア……そう、思い出したわ。どうすれば強くなるか、なんて、私にしきりに聞いていた。……貴女、ダンデライ伯の娘だったのね」

「あのときは、必要以上に他人へ家名まで名乗らなかったからな。あの父と同類視されたくなかったのだ」

 

 薄青髪の従騎士は、深く、重々しい溜息をついた。僅かな言動からも、父である伯爵の所業へ強い嫌悪を抱いていることは明らかだった。

 

 その様子を見つめながら、少年は静かに確信する。

 

──真実を伝え、誤解さえ解くことができれば、彼女は必ずこちらの力になってくれる。

 

「それで、何故こうなっている。邪竜様の意志に背(そむ)き、逃亡したと聞いているが?」

「背(そむ)くに決まっているでしょう。捕まって殺されて、化け物にされようとしているのよ、こっちは」

 

 子爵令嬢は、王城で起きた惨劇と、邪竜ソンブルや四狗(しく)が人間の死体を異形兵へ変えているという真実を、可能な限り簡潔に伝えた。

 

 王都もジーヴル港も、すでに異形兵で溢れ返っていること。クレマチス辺境伯自身も、明確な意志を保った異形兵へ変貌させられていること。その領内では、罪なき民が邪竜への供物として捧げられていること。

 そして吟遊詩人の言によれば、民を誘拐し、供物として差し出している実行犯こそ、薄青髪の従騎士の父である伯爵なのだと。

 

「有り得ない! デタラメだ!」

 

 先ほど子爵令嬢へ襲いかかった剣兵が、全力で首を振り、その言葉を否定した。だが、薄青髪の従騎士には、先輩の話を一笑に付すことができなかった。

 

 辺境伯領の東に位置する自領でも、愛すべき民が次々と、不自然な形で姿を消している。もし、それらすべてが、父によって邪竜への供物として売り渡された結果であるならば、これまで抱いてきた数々の疑念が、最悪の形で繋がってしまう。

 

「だが、意志を持つ異形兵、というのは……」

「ローダンがそうです」

 従騎士の疑問へ答えるため、後方にいた少年が歩み出た。

 

 ローダンは先のフィレネ遠征で、すでに命を落としている。それにもかかわらず、つい今日の深夜まで、己の身体を削りながら異形兵を瘴気とともに呼び寄せる『叫び』を使い、少年たちを追い詰めていた。

 

 この説明もまた、薄青髪の従騎士にとって、絶望的なまでに合点のいくものだった。

 

 素性の知れない重装兵が、なぜ容易(たやす)く父の懐へ入り込めたのか。ローダンが邪竜の尖兵である、角を持つ銀髪の女──セピアの手下だったからだ。

 

 そして父は、その銀髪の女へ、民の死体を異形兵の素体として差し出していた。

 

 信じたくはない。それでも、否定するための材料が、何一つとして見つからなかった。

 

「よーうやく真実を受け入れてくれたかい! キミは全然話を聞いてくれなかったからねえ!」

「……ジェラニウム」

 

 その時、吟遊詩人が風魔法を操り、上空からゆっくりと前線へ降り立った。

 

 彼の身体には、砦の屋上でともに矢を放っていた薄緑髪の弓使いと、男装の麗人がしがみついている。少し離れた低空では、青髪の天馬兵が愛馬へ跨がり、周囲へ鋭い視線を配っていた。

 

「ゼラ殿! 屋上の防衛は……」

「捨てたよ。裏口から砦の中へお客さんが入ってきたのを、上空のバニラちゃんが見つけたからねえ」

 

 驚く救護班の老人へ、吟遊詩人は端的に状況を告げた。

 天馬兵から報(しら)せを受けるや、敵の弓と魔法が届きにくい死角へ身を投じ、即座に屋上を放棄して離脱したのだという。

 

 もぬけの殻となった砦の中で、逃亡者を血祭りに上げようと息巻いていた父が怒り狂っている。そんな姿を想像し、薄青髪の従騎士は、正直なところ、いい気味だと思ってしまった。

 

「話を聞かれなかったのは、貴様がいちいち女に求婚するからではないか?」

 男装の麗人が、心底呆れたように吐き捨てる。

 

 その通りだと、薄青髪の従騎士も深く頷いた。この男はあまりに冗談ばかり口にするため、何が本当で、何が嘘なのか、まるで判別がつかないのだ。

 

 

 その時だった。

 

 

 背後の砦から、強烈な爆発音が轟いた。

 屋上の一部が吹き飛び、激しい炎が噴き上がる。その場にいた全員が目を見開き、一斉に砦を振り返った。

 

「おー、踏んだか、魔法罠。相当な威力にしておいたからねえ、痛いじゃすまないだろうね」

 吟遊詩人が、まるで他人事のように言った。

 

 爆発で生じた破片の一部が、離れた前線にまで降り注いでいる。直撃を受けた屋上では、死傷者が出ているに違いない。

 

 父があれで死んでくれれば、領民は救われ、自分も楽になれる。そんな暗い願いが、一瞬だけ薄青髪の従騎士の胸を過ぎった。

 だが、用心深く悪辣な父が、安全を確かめる前に屋上へ上がるはずもない。犠牲となったのは、先行を命じられた名もなき兵たちだろう。

 

 薄青髪の従騎士は、炎上する砦を見上げ、胸の内で深く悲しんだ。

 

「事情はわかった……しかし」

 従騎士は馬から下り、背へ括りつけた重厚な斧を抜いた。その刃先を、子爵令嬢へまっすぐ向ける。

「貴様らが、我が兵を殺したことには変わりない。このまま貴様らの言葉を鵜呑みにし、無条件で寝返るような真似は、伯爵家の軍として筋が通らぬ」

 

 続けて、険しい目つきで提案する。

 

「ダンデライ伯爵家の流儀に則(のっと)り、ライラ先輩に決闘を申し込む」

 

 話し合いで決着しない争いを、武力によって裁く。それが彼女の血族に伝わる習わしであるらしい。

 

 勝者が敗者へ要求を呑ませる、命懸けの一騎打ち。神聖な決闘へ、第三者が手を出すことは許されない。勝敗は、どちらかが敗北を認めるか、命を落とした時に決する。それ以外に、戦い方を縛る取り決めはなかった。

 

「私が敗北したら、私が率いるこの五十騎は全て、貴様らの護衛についてやる。……皆にも異存はないな!? 文句があるなら、今すぐ伯爵家の兵をやめろ」

 

 主(あるじ)である彼女による、拒否を許さぬ確認だった。同胞を殺された怒りに燃える者たちも、今この場で主家を捨てると宣言することまではできず、沈黙するしかなかった。

 

 その様子を見て、赤髪の兵士が、やれやれと肩を竦める。

 

「あんた、本当はこっちの味方になりたいと思ってんだろ。だったら、こんな戦いに意味があんのかよ」

「これが貴族というものなのです、グラディオ殿。自分の意志だけでの我儘は許されない。彼女には、守るべき部下と面子(メンツ)というものがありますから」

 

 老騎士の静かな言葉を受けても、赤髪の兵士は納得できない様子だった。

 

 少年も、正直なところ、彼の困惑に同意していた。王家の侍従として三年以上働いてきたため、貴族の体面が、時として命よりも重く扱われることは理解している。

 

 その一方で、薄青髪の従騎士の真意も見えていた。彼女は、自らが決闘に敗れたという大義名分を作り、部下たちが主君へ背いた責任を、己一人で被ろうとしているのだ。

 

 仲間を守るための、不器用な矜持(きょうじ)。それを気高いと思う反面、その矜持(きょうじ)があるからこそ避けられない悲劇もあるのではないか。少年の胸には、割り切れない思いが残った。

 

「いいわ。相手になってあげる、サフィニア。私が負けたら、どうなるの?」

「……全員、捕虜になってもらう」

 

 皆殺しとは言わない。それが、従騎士の根底へ宿る、誠実な優しさだった。

 

 先ほどまで殺意を向けていた剣兵は、対価として差し出される『彼女の隊』へ含まれていないこともあり、異論を挟みたそうに目を泳がせている。それでも今は、主の娘が示した方針へ従おうとしていた。

 

 少年は、この決闘に大きな意味を見出した。

 薄青髪の従騎士と五十騎が護衛へ回れば、伯爵軍の包囲へ大きな穴が開く。これ以上、三百の軍勢を正面から相手取り、仲間たちへ同胞を殺す痛みを背負わせずとも、北へ脱出できる可能性が生まれるのだ。

 

 軍師として、この提案へ乗らない理由はなかった。

 

「……ライラさん。勝てますか」

 少年が小さく訊ねる。

 

 すると、子爵令嬢は、ふっと微笑んだ。

「大丈夫よ。私の……父から譲り受けた槍は、世界最強だもの」

 

 かつて自ら封印し、愛する親友を討つため、再び握り直した槍。彼女は迷いのない眼差しで、その穂先を薄青髪の従騎士へ向けた。

 

「やりましょう、サフィニア。……決闘よ」

 

 

*****

 

 

 二人の苛烈な激闘を、伯爵軍の一部も、少年の仲間たちも、固唾(かたず)を呑んで見守り続けた。

 

 息をつく暇もない、極限の攻防。薄青髪の従騎士が振るう重厚な斧と、子爵令嬢の鋭い槍が、幾度となく激突する。轟く金属音。鮮烈な火花が散る。

 

 斧と槍の相性において、一般に不利なのは槍である。しかし子爵令嬢は、圧倒的な技量をもって、武器の不利をねじ伏せていた。繰り出される斧を紙一重で捌き、鋭い穂先で、薄青髪の従騎士を逆に追い詰めていく。

 

「く……やはり、強い……!」

 

 王城で侍従として奉公するため、数年間も封印されていたはずの槍術。それは微塵も衰えることなく、今なお健在だった。

 

 彼女の背中へ並ぶため、いつか追いつくために、あえて斧を選んだ。憧れの先輩が槍を握らずにいた年月も、血の滲むような研鑽を重ね続けてきた。

 

 それでもなお、埋めようのない差がある。残酷なまでの才能と技量の隔たりに、薄青髪の従騎士は、泣きたくなるほどの口惜しさを覚えた。

 同時に、かつて憧れた気高き先輩が、今も少しも変わらぬ『最強』であり続けていることを、胸が熱くなるほど誇らしく思った。

 

「応援隊の皆も、今の先輩の強さを見れば、誇らしく思うだろう……なッ!」

 吼えながら、力任せに斧を薙ぎ払う。

 

 生じた強烈な風圧が雪を巻き上げ、子爵令嬢の視界と動きを、一瞬だけ奪った。従騎士は前傾姿勢で踏み込み、斧を下段から勢いよくかち上げる。

 

 必殺の一撃。反撃は叶わないはずだった。だが、子爵令嬢は瞬時に槍の柄を斜めへ構え、その強撃を受け止めてみせた。

 

「貴女も……十分に、強いわ! 斧の武術大会とかに、参加しなかったの、かしら!」

 

 槍を弾かれた勢いへ逆らわず、身体を回す。その反動を乗せた鋭い刺突が、従騎士へ襲いかかった。

 

 しかし、その穂先も紙一重で躱(かわ)される。

 

「在学中から、従騎士の職務が忙しくてな! だが、私ごときでは、イルシオンの豪傑たちに斧で勝てるとも思えんが!」

 

 槍が空を切り、子爵令嬢の身体が僅かに伸びきった。その隙を逃さず、従騎士は再び斧を大上段へ振り上げる。

 

 しかし、刃が届くことはなかった。

 

「うわ……!?」

 顔面を目がけ、突如として白い塊が飛来した。

 

 子爵令嬢が左手で掴み、至近距離から投げつけた雪塊である。避ける暇もなく顔面へ直撃し、視界を奪われた従騎士は、均衡を崩して仰向けに転倒した。

 

 直後、彼女の顔の真横へ、鋭い槍の穂先が深々と突き刺さる。

 

 激闘の決着は、呆気ないほど一瞬だった。

 

「ラ……ライラ先輩! 卑怯だぞ! こんな、雪による目潰しなど……!」

「これは名誉を競う武術大会ではないのよ。ルール無用の殺し合い……そうではないのかしら?」

 

 冷徹に言い放つ子爵令嬢の瞳には、学園の先輩としての甘さなど、微塵も浮かんでいなかった。

 

 命を懸けた戦いでなお、騎士道という綺麗な体面へ縋ってしまう。それこそが貴女の『弱さ』なのだと、その穂先が突きつけている。

 

 自分よりも彼女の方が、本物の戦争という地獄を、遥かに深く知っている。

 己の未熟さと甘さを思い知らされ、薄青髪の従騎士は、ふっと自嘲の笑みをこぼすしかなかった。

 

「……さすがはライラ先輩。すごいな、本当に……」

 差し伸べられた手を取り、従騎士は身体を起こした。衣服についた雪を払いながら、ゆっくりと立ち上がる。

 

 完膚なきまでの敗北だった。武の差も、戦場に臨む覚悟の差も、否応なく思い知らされた。

 

 こうなれば、もはや彼女と争う理由はない。薄青髪の従騎士は、一騎打ちを見守っていた己の部下たちへ向き直った。

 

「この通り、私の負けだ! それに、父の凶行に何の大義もないことは、とうに明白! これより我々は、彼らの守護につく! 構わないな!」

 

 部下の多くも、この大義なき同胞殺しに、意味など見出していなかった。

 

 伯爵が領民を邪竜への生贄にしているという真実を知った以上、その命令へ従い続けることこそ、イルシオンに対する背信である。そう理解し、誰もが従騎士の決断を受け入れるはずだった。

 

 だが、その決断へ、明確な殺意をもって異を唱える者がいた。

 

「……ふざけるな。私は、たった今そこで、兄をそいつらに殺されたばかりなのだぞ!! サフィニア様の身勝手な寝返りになど、絶対についていけませんッ!」

 先ほど子爵令嬢へ襲いかかった剣兵だった。

 

 血走った目で吼える彼へ呼応し、「そうだ!」「俺の弟も殺されたんだ!」と、憎悪の声を上げる者が次々に現れた。

 決闘の取り決めに含まれていない者たちを中心として、従騎士の決断を拒む声が噴き出したのだ。

 

 この場にいる伯爵軍の、およそ半数。決闘によって五十騎の護衛を得ても、この場に残るすべての敵まで従わせることはできなかった。

 

「馬鹿な! 領民を生贄に捧げているのだぞ! それでも悪逆な父に従うというのか、貴様らは!」

「そうだッ! 目を覚ませ! 俺たちの身内だって姿を消した! 国を売り、民を供物にするような外道に従うことこそ、イルシオンへの裏切りだろうが!」

 

 従騎士の背後から、彼女へ従うことを選んだ兵が、悲痛な声を上げた。

 

 しかし、その正論は、血に飢えた反発派の感情を逆撫でするだけだった。

 

「黙れッ! 姿を消しただけの領民より、今ここで流された俺の兄の血の方が重い! 貴様らは、ついさっきまで隣で盾を並べて戦って死んだ仲間を、踏みにじるというのか!」

「俺たちをこんな無意味な死地へ追いやったのは伯爵だ! 復讐する相手を間違えるな!」

「今、俺の目の前で兄の首を刎(は)ねたのは、間違いなく、そこにいる逃亡者どもだ! 高尚な理屈など知るか!」

 

 薄青髪の従騎士と、それに従う兵たちが必死に訴えても、もはや声は届かない。

 

 国を憂(うれ)う大義など、どうでもいい。今しがた家族や友を目の前で殺された悲しみに比べれば、伯爵の暴虐など、自分から遠く離れた場所の些事(さじ)にすぎない。

 

 そう言わんばかりの憎悪が、彼らの目には燃え盛っていた。少年の仲間たちの胸へ、重い後悔が押し寄せる。

 

 誰も殺さず、奇襲もせず、初めから言葉で説得していれば、彼らとも分かり合えたのだろうか。

 

 だが、それは叶わぬ仮定だった。奇襲で前線を突破しなければ、伯爵の娘と向き合い、真実を伝える機会すら作れなかった。あのまま包囲されていれば、第二陣を追う騎兵も止められず、やがて砦の中と外から押し潰されていた。

 

 選べる道など、初めからほとんど残されていなかったのだ。

 

「仕方ないわね。サフィニア、覚悟は出来てる?」

「……同胞を殺してでも、先輩たちを守れというのか」

 

 身を引き裂かれるような、苦渋の問い。それでも、薄青髪の従騎士の瞳に、もはや迷いはなかった。

 

 斧を握り直し、つい先ほどまで己の部下だった者たちを、まっすぐに睨み据える。

 

 復讐心のまま悪逆な父へ従う者を止めなければ、今度は逃亡者たちが殺される。領内で、さらに多くの民が供物として差し出される。どれほど辛くとも、刃を振るわなければならない。

 

「裏切り者が……! 彼らの甘言に惑わされているだけだと、何故思い至ることが出来ないのです!」

 剣兵が激昂し、殺意とともに吼えた。

 

 もはや、言葉は不要。血で血を洗う殺し合いは避けられない。少年の仲間たちも、寝返った薄青髪の従騎士とその兵たちも、一斉に武器を構えた。

 

 一触即発。

 

 極限の緊張が場を支配した……その時。

 

 

「……美少年が、消えた!!」

 

 

 吟遊詩人が、突如として悲鳴を上げた。

 仲間たちはハッと息を呑み、それまで背後で戦局を見守っていたはずの少年の姿を探す。

 

 だが。

 つい先ほどまで、確かにそこへ立っていたはずの彼が。

 

 忽然(こつぜん)と、音も気配もなく、雪原から掻き消えていたのだ。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。