「何度も……同じようにうまくいくと思うなよッ!」
ローダンは力任せに、二本の手槍をセリーヌへ向けて立て続けに投げつけた。
一本目はあっさりと避けられる。だが、本命は二本目だ。最初の槍へ反応したセリーヌの足運びから、身を
「あ……っ!」
完全に、ローダンの読み通りだった。一本目を避けたセリーヌの身体が、続けて放たれた槍の軌道上へ、自ら飛び込む形となった。
彼女の細腕では、強烈な投擲を物理的に受け止める術はない。魔道で叩き落とそうにも、彼女は詠唱を済ませていないのだ。
勝負は、あっさりとついた。そのはずだった。
「させませんっ!」
だが、必殺となるはずだった槍は、突如として割り込んできた長い青髪の女紋章士に、見事に弾き落とされてしまった。
おかしい。その紋章士はセリーヌの傍にはいなかったはずだ。離れた場所から、空間を跳躍したとでも言うのか。
「ありがとう、ルキナ! 大丈夫!?」
「私は平気です! 共に運命を変えましょう、セリーヌ!」
紋章士ルキナは力強くそう応え、槍を弾いた勢いのまま、ローダンへ向かって突っ込んでくる。
彼女が手にしている得物は、豪華な装飾こそ施されているものの、間違いなく細身のレイピアだった。
それは、鎧の隙間を的確に縫い、敵へ致命傷を与える代物。特に重装兵にとっては、装甲を砕くハンマーに並ぶほどの天敵であり、まともに食らうわけにはいかない。
「く……!」
その刺突を避けるべく後方へ飛び退こうと、紋章士ルキナの切っ先だけに意識を集中させたのがいけなかった。ローダンの死角から一本の鋭い矢が飛来していることに、直前まで気づかなかったのだ。
一直線に走った銀の閃光は、ローダンの左腕、その鎧の隙間へ正確に突き刺さった。
「ぐがっ……!?」
異形兵となった身体は、通常の痛みも暑さも寒さも感じない。しかし、肉体の損壊が再び訪れる『死』へ直結する場合に限っては、危険を告げるかのように、焼けつくほどの激痛が走るのだ。
左腕から力が抜け、その機能を大きく削がれた。
それでも、動かせないわけではない。致命傷にも至っていなかった。
「なかなかしぶといね! せっかくルキナが作ってくれたチャンスなのに」
ローダンの死角を突いて矢を放ったのは、ソルム第一王子フォガートだった。馬を巧みに操りながらのアクロバティックな射撃。狙いは必殺だったが、急所を捉え切れず、敵の生存を許してしまった。
そのまま馬を駆って次の攻撃をかけようとしたが、彼の目前に数騎の伯爵兵が壁を作るように立ち塞がった。これを放置したまま、後方のローダンへ矢を放つことはできない。
「おっと……ここは剣の方がいいかな。ルキナ! 戻ってきて!」
フォガートは腰に提げていた剣へと素早く持ち替え、自身の指輪の相棒へ援護を要請した。
すると、それまでセリーヌのカバーに入っていた紋章士ルキナは、瞬時にフォガートの背後へと転移し、レイピアを構えて応戦の態勢をとる。
「フォガート、背後からも来ています!」
「うわ! 俺、愛されすぎじゃない!?」
余裕を装って軽口を叩くも、完全に挟撃された状況に、フォガートは冷や汗をかく。
ルキナは強力な紋章士ではあるが、単独で致命的な一撃を加えること以上に、仲間との緻密な連携や防御を得意としている。味方から孤立し、前後を挟まれた今の状況は、極めて危険だった。
だが、泣き言は言っていられない。
フォガートはルキナと連携し、この苦境を強行突破すると決めた。紋章士の力を己へ宿し、圧倒的な力を得る『エンゲージ』で道を切り拓こうと、指輪へ祈りを込める。
そのときだ。
「僕たちが背後を討ちます! どうか、前をッ!」
黒馬に
神竜の守り人である、クランだ。年若さを感じさせぬ苛烈な剣技と魔法の連携で、フォガートの背後を狙っていた敵騎兵を次々と圧倒していく。
「おらァッ! 余所見してんじゃねえぞ、伯爵に
「グラディオ、
赤髪と緑髪、二名のイルシオン兵もクランの突破に続き、彼が討ち漏らした敵兵を容赦なく
赤髪は見るからに荒々しく、緑髪は分別ある表情を崩さない。しかし、どちらの振るう刃にも、一切の容赦はなかった。
「クランもイルシオンの兵たちもありがと! 大好き!!」
仲間への好意の言葉を叫びながら、フォガートはルキナと共に前進。背後を突かれて慌てふためく伯爵兵たちの隙を突き、怒涛の連携攻撃を仕掛けて敵陣を切り裂いていった。
……フォガートたちが活路を拓く攻防の最中にも、ローダンとセリーヌの死闘は続いていた。
ローダンは分厚い長槍を振り回し、時には牽制の手槍を投げて、セリーヌをじわじわと雪原の端へ追いつめていく。その動きは、重装兵とは思えないほど俊敏で隙がなかった。
対するセリーヌは魔道書を手に、炎の魔法で応戦する。多少の火傷は負わせているものの、そのほとんどを巧みな槍捌きで
「セリーヌ王女が押されています! 僕が……守らないと!」
味方の後方から射撃で彼女を援護しようとしているのは、スタルークだった。
何度も正確な矢を放っているが、残存する伯爵軍の騎兵たちが執拗に盾となり、射線を塞いでしまっている。
「今、生き延びている連中は相当な手練れだな。我々の攻撃がなかなか通らん」
「どうしましょう、このままだと、あの女の子が……!」
男装の麗人と薄緑髪の弓使いも、矢継ぎ早に牽制の射撃を続けている。だが、その弾幕は、敵の強固な馬鎧や、騎兵が巧みに操る小盾にことごとく阻まれていた。
「来るよスタルーク! エンゲージした方がいいかもしれない!」
スタルークの背後で彼を守護する、茶髪で重厚な鎧を着込んでマントを
彼の警告通り、目障りな弓兵部隊を殲滅せんと、数騎の伯爵兵が殺意を剥き出しにして突撃してくる。
スタルークはリーフに促され、指輪へ祈りを込めて紋章士の力を振るおうとする。
しかし、彼が動くより先に戦況が変わった。
「ああ、もう! どうしてダンデライのトコの兵は、そんなに死にたがりばっかりなのかしら!」
オルテンシアが少年の両脇から手を伸ばし、巨大な魔力を練り上げる。
突進してくる騎兵たちへ狙いを定め、極大の風魔法を解き放った。真っ直ぐに走った強烈な風の刃は、物理的な鎧や盾で受け止められる次元のものではない。
まともに食らった軍馬が悲鳴を上げてその場へ
「……オルテンシア様」
「ごめんね、彼氏くん。あたしの手ね、もう取り返しがつかないくらい汚れちゃってるのよ」
その声は、誰の耳にもわかるほど震えていた。自国の兵を自らの魔法で薙ぎ払った、王女としてあまりに重い罪悪感が、その一言に滲んでいた。
少年はペガサスの鞍の前側へ同乗しているため、振り返って彼女を抱きしめることは叶わない。だが、背中越しに伝わる彼女の微かな震えに、今すぐにでもその小さな身体を強く抱きしめてやりたくなった。
「それでも、僕はオルテンシア様を愛しています。これからも、ずっと」
「えへへ……あたしもよ」
少年の迷いのない肯定に、二人はほんの少しだけ涙を流した。
しかし、今は愛の余韻に浸っている暇はない。血みどろの戦いはまだ続いているのだから。
「セリーヌ王女……でしたよね。助けましょう。そのためには」
「あいつらを全部、ぶっ飛ばさないといけないわよね。ベレト、力を貸して」
少年の言葉にオルテンシアが力強く頷くと、
オルテンシアは少年を
……一方、ローダンの執拗な猛撃に押され、セリーヌは出の早い小規模な魔法を放つだけで精いっぱいだった。何度か直撃させても、ローダンは倒れない。怨念だけを支えに、泥臭く距離を詰めてくる。
やはり大魔法を直撃させなければならない。だが、相手は決して詠唱の隙を与えてはくれない。周囲の敵への対処に追われる仲間たちへ、救援を頼むわけにもいかない。
打開策を探しながら防戦に回っていたのがいけなかったのか。あるいは、不慣れなイルシオンの雪道に足を取られたのが原因だったのか。
「あ、足が……!」
セリーヌはついに足が大きくもつれ、致命的な隙を晒してしまった。
歴戦のローダンが、それを見逃すはずがなかった。
「死ね! フィレネの姫!!」
歪んだ復讐の笑みを浮かべ、必殺の長槍をセリーヌの心臓へ向け、真っ直ぐに突き出す。
セリーヌは咄嗟に魔道障壁を展開し、その鋭い切っ先を急所から僅かに逸らすことには成功した。
しかし。
「ああ……っ!」
それでも、殺意の乗った強烈な一撃は、セリーヌの柔らかな脇腹を無残に掠めていった。
あまりの激痛に反撃の魔力を練る暇はなく、セリーヌはその場に力なくへたり込んでしまった。
「ずいぶんもったが、もう終わりだなあ? フィレネの姫。今度は私が……なんだって?」
勝ち誇った笑みを浮かべ、長槍の矛先をセリーヌへと向けるローダン。
絶体絶命の窮地。しかし、セリーヌは死の淵にあってなお、毅然と笑い返していた。
「もう勝ったつもりでいるの? 楽観視にも程があるわ」
「そうだな、一思いにこのまま貫いて終わりとしよう」
ローダンは長槍を握る両手へ、ぐっと力を込めた。だが、セリーヌはなおも目を閉じない。
自分がここで死ぬとは微塵も想定していないかのような、その澄ました表情が何よりも腹立たしい。何度も何度も刺し貫き、彼女の提唱する平和とやらを滅茶苦茶にしてやろうと決意した。
……しかし、その凶行が叶うことはなかった。
「──むッ!」
突如、上空から一振りの斧が猛烈な回転を伴って飛来した。
あまりにも的確な投擲。気づくのが一瞬でも遅れていれば、頭部を完全に叩き割られていただろう。
ローダンは咄嗟に槍の柄でその一撃を受け止める。甲高い金属音を鳴らし、勢いを失った斧が雪原へと落下した。
見上げれば、飛竜に
「悪運強いねー! さっさとやられちゃいなよー!」
その人物──ロサードは、愛らしい顔に露骨な敵意を浮かべながら、飛竜と共に急降下してくる。
ローダンは一瞬、判断が遅れてしまった。
彼の目的は、己の命を賭してでもセリーヌへの復讐を果たすことだったはずだ。しかし異形兵としての本能なのか、頭上から迫る攻撃を防がねばならないという反応が、復讐心に勝ってしまったのだ。
その僅かな隙に、セリーヌの身体が淡い緑色の光に包まれた。先程、槍に抉られたばかりの脇腹の傷が、みるみるうちに塞がっていく。
ギリッ、と奥歯を噛み締め、ローダンは視線を横へと向ける。
やはりと言うべきか。そこには杖を高々と掲げる、見知った忌々しい救護班の老人がいた。
ローダンとの間に展開していた精鋭の騎馬兵たちは、オルテンシア、吟遊詩人、リンデンの放った魔法の集中砲火によって、既に全滅させられていた。
残る僅かな兵も今、スタルークを始めとする弓兵たちの矢と、紋章士リーフが振るう『ひかりの剣』から放たれた光に呑まれていた。
「リフレクサァ! またしても貴様は──ッ!」
しかし、その怒号は最後まで発せられなかった。ローダンの顔面を目掛け、一本の長槍が一直線に飛んできたのである。
「うわッ……!」
弾き落とす時間はない。
ローダンは、身体を強引に逸らして回避を試みる。槍は顔すれすれを猛烈な勢いで通り抜け、直撃こそしなかったものの、
「惜しかったですね……槍投げのモーションがいちいち可愛くてすみません……」
そう自賛したのは、抜群のプロポーションを持つ女性戦士、ゴルドマリーだった。彼女はすぐさま次の槍を投げるべく、背中に括りつけていた予備の槍を手に取った。
上空からの飛竜と、地上からの戦士による完璧な挟撃。これに対応していては、目の前のセリーヌを殺している余裕はない。
一旦距離を置き、再び攻撃の機会を窺おうと……。
後退を選択したのが、ローダンにとって最大の悪手となった。
「もう終わりよ! 貴方は!!」
セリーヌの背後──ローダンの完全な死角から、雪を蹴立てて子爵令嬢が突撃を仕掛けていた。
低い体勢から、彼女の剛槍がローダンの顔面へ正確に繰り出される。この神速の刺突を、後退し体勢を崩したローダンは
「ぐわあああッ!」
切っ先が左の眼球へ深々と突き刺さり、巨体が大きく後方へ弾き飛ばされる。異形兵の身体から鮮血が噴き出すことはなかったが、貫かれた左目の機能は完全に失われた。
「死ねん……死ねないのだ!」
ローダンはこのとき、はっきりと自覚した。
先程、自らを省みぬセリーヌへの猛撃を敢行できなかったのは、異形兵としての生存本能によるものではないのだと。
自分と苦楽を共にしてきた、たった一人の幼馴染。
「──アビュームのためにも!!」
人間としての情愛と絆が、彼を現世へと繋ぎ止めている。
傷ついた左腕を無理やり動かし、再び長槍を両手で構え直すローダン。片目さえ見えていれば十分と言わんばかりに、残された右の瞳で、再びセリーヌへ狙いを定めた。
セリーヌはすでに立ち上がっているが、まだ反撃の魔力を溜めていない。子爵令嬢も一撃を放った余勢で少し位置を離しており、他の者たちもまだ彼女の絶対の護衛につけてはいない。
狙い撃つなら、今しかなかった。
だが。横合いから真っ直ぐに飛来した強烈な雷魔法が、ローダンの突撃を無慈悲に阻んだ。
「くッ……! 貴様、『
雷を放ち終えたリンデンは、ひどく重々しい表情でこちらを見据えていた。
そこにあるのは、ローダンに対する敵意でも殺意でもない。深い悲哀と、懺悔の色だった。そして、その老人は静かに、それでいて戦場へ響き渡る声で告げた。
「アビュームは……アビュームは! わしが殺した!」
……ローダンは一瞬、自分の耳を疑った。聞き間違いではないのか、と。
だが、リンデンの苦渋に満ちた表情は、それが紛れもない真実であることを克明に告げていた。
「馬鹿な……」
幼馴染の死。城で待っているはずだったアビュームが、リンデンに殺された。その残酷な事実を突きつけられ、ローダンの思考は完全に止まった。
戦意も、アビュームのために生きるという執着も、その一瞬、意識から吹き飛んでしまった。
その致命的な『間』を、見逃されるはずもなかった。
空気を切り裂くように、一条のまばゆい光が一直線に飛来した。
「隙だらけよ!」
放ったのは、神竜軍の女性陣で最年少にして類稀なる魔力の素質を持つ少女、アンナ。
彼女の小柄な背丈ほどもある『光の弓』から射出された純粋な魔力の矢は、呆然と立ち尽くすローダンの左膝の関節を、正確かつ無慈悲に撃ち抜いた。
「が……ッ!」
魔力の直撃によって関節を粉砕されたローダンは、巨体を支えきれずにドスンと雪原へ無様に膝をつく。
「セリーヌ王女! おねがい!」
アンナの呼びかけが戦場に響き渡る。だが、その声が届くよりも早く、セリーヌは既にローダンの懐へ音もなく踏み込んでいた。
その手には魔道書がなく、詠唱を行う気配もなかった。握られていたのは、刀身へ激しい電撃を纏う魔法剣、『いかづちの剣』。
彼女は自身の強大な魔力を直接刃へ乗せ、大きな隙を晒すローダンの腹部目掛けて、一気に突き刺した。
「ぐあ……」
魔力を帯びた雷の刃が、異形兵の身体の奥深くへ侵入し、内部から破壊を撒き散らす。これはもう、紛れもない致命傷だった。
ローダンの全身から力が抜け落ち、握りしめていた長槍が雪原へと虚しく滑り落ちていく。
「許してとは言わないわ。でも、でも……」
──殺さずに済む世界だったのなら、どれほど良かったことか。
そんな切なる、けれど決して叶わぬ願いを胸の奥へ押し殺す。セリーヌは、手にしたその、いかづちの剣へ、引導を渡すための更なる力を込め続けた。