2026年、夏の朝。
赤城山の山頂近く、展望台のベンチ。
中嶋剣は白バイを停め、ヘルメットを外しながら大きく息を吐いた。
「おおっ、登ってみれば良い景色だな。バイクで来て正解だったぜ」
風が爽やかに吹き抜け、遠くまで見渡せる山々の稜線が朝陽に輝いている。
中嶋は満足げに周囲を見回した——そして、ふと視線を止めた。
ベンチの端に、一人だけ座っている緑色の長い髪の女性。
「(あれは、ハリエットか? 一人だけか)」
ハリエットは膝の上に手を置き、遠い山並みをぼんやりと見つめていた。
いつもの生意気で毒舌な表情とは違い、どこか重い溜息が漏れている。
中嶋は少し迷ったが、声を掛けてみた。
「よう、ハリエット。何か悩み事か?」
ハリエットはピクリとも反応せず、視線を動かさない。
中嶋は少し声を大きくした。
「無視するな!」
ハリエットはようやく顔を上げ、黄金色の瞳で中嶋を冷たく見つめた。
「……うるさいですね。何ですか、悪人。相変わらず酷い悪人顔ですね」
中嶋は目を丸くした。
「え、俺、悪人顔に見えるのか?」
ハリエットは淡々と答えた。
「はい、とても見えます。死神博士に見えると言っても過言ではないです」
中嶋は苦笑いを浮かべた。
「そこまで酷くねえよ! と言うか、人の顔見るなり『悪人』とはなんて言い草だ」
ハリエットは三つ編みを指でくるくると巻きながら、平然と言った。
「今思いつきで呼んでみたのですが、すごいしっくり来ましたので、今後もそう呼ばせて貰います」
中嶋は少し声を荒げた。
「俺、一応警察官だぞ。これでも『墨東の白き鷹』と呼ばれた白バイ警官だからな!」
ハリエットは即座に切り返した。
「真に白バイ警官なら、自分で白バイ警官だと自己申告しません。ルビに『アクニン』と振っているようなものです」
中嶋は頭を掻きながらため息をついた。
「無理あり過ぎるだろ……そっちこそ相変わらず毒舌だな」
ハリエットは腕を組み、冷たい視線を向けた。
「気高きドロテア様に無節操に近づく輩には、適切な対応かと……それで、何の用ですか?悪人」
中嶋は少し真剣な顔になり、ベンチの端に腰を下ろした。
「いやあ、何か悩んでる様子だったから、よければ相談に乗ろうかなと」
ハリエットは一瞬、瞳を揺らしたが、すぐに冷たく言い返した。
「……あ、今『悪人』で返答しましたね。自覚アリ、と。やっぱり悪人です。異常者、不審者、犯罪者」
中嶋は肩を落とした。
「お前な……」
ハリエットは視線を山並みに戻し、淡々と言った。
「因みに悩み事はありませんので、お構いなく。あったところで話す気なんてありませんが」
中嶋は内心で(俺と小早川に辻本、頼子らはピクシス・マスールの仲間達と交流は積極的だ。が此奴だけは俺に対しすごく警戒されている。これだと拉致が明かない。仕方ない。切り札を使うか)と思い、切り札を切った。
「実はドロテアから相談を受けているんだ。お前が何かに悩んでる様子だったから、声を掛けてあげてほしいって」
ハリエットは一瞬、黄金色の瞳を大きく見開いた。
「ドロテア様が……!? わ、私なんかを心配して……?」
中嶋は頷いた。
「そうだ」
ハリエットは少し声を低くして聞いた。
「……で、結果……何で悪人を頼ったんですか?」
中嶋は肩をすくめた。
「お前が何も話さないからじゃないか? 悩んでいる様子だったけど頑なに話そうとしないって言ってたぞ」
ハリエットは唇を軽く噛み、視線を逸らした。
「う……それは……」
中嶋は優しく続けた。
「とりあえず俺は偶然赤城山に来て偶然お前を見かけたから声を掛けた。心配かけさせるわけにはいかないだろ」
ハリエットは黙り込んだ。中嶋はさらに言葉を重ねた。
「俺はバイク派だし、警官でもある。話しにくい事のぶつけ先にしてくれていい。勿論誰にも漏らさないさ。ドロテアに誓ってな」
ハリエットは少し間を置いてから、渋々といった様子で口を開いた。
「そこでドロテア様の名前を出すのは狡いです……流石、悪人……まあ、ドロテア様にこれ以上ご心配をおかけするわけにはいかないのは同意です。不本意ですが!!」
中嶋は苦笑いを浮かべた。
「不本意かよ……」
ハリエットは小さく息を吐き、ようやく本題に入った。
「まぁ、今抱えている問題の解決に、仕方ないので、お前も協力させてあげなくもないです。悪人」
中嶋は内心で(その呼び方、続きそうだな……頼子がこの場にいたら笑ってるだろうな…)と思いながら、静かに耳を傾けた。
ハリエットは少し声を低くして話し始めた。
「……数日前のことです。偶然、軽井沢プリンスホテルに宿泊した際、お手洗いの…その、個室にいたとき、外から会話が聞こえていたんです」
中嶋は真剣な顔になった。
「会話……?」
ハリエットは目を伏せ、続けた。
「ピクシス・マスールを解散どころか壊滅に追い込む策がある……そう言った話でした」中嶋は眉を寄せた。
「相手は同じ走り屋か?」
ハリエットは小さく頷いた。
「恐らくは……大井埠頭で公道レースしていたマークⅡのドライバーかと」
中嶋はすぐに思い出した。
「大井埠頭……あの時の」
ハリエットは静かに説明を続けた。
「はい、自分達のクルマに細工をして態と敗北し、私達に『ピクシス・マスールは他の走り屋チームのクルマに細工した』——そう言い張ることで、陥れようとしているようでした。私達の強さは不正による『嘘』であり、本当は弱いのだと」
中嶋は顔をしかめた。
「其奴ら、そこまでやろうとしていたのか? 完全に冤罪だな…」
ハリエットはさらに声を低くした。
「しかも今回だけじゃなく、今までの私達の戦績も事前工作によるズルであるという方向に持って行きたいみたいです」
中嶋は唸った。
「……酷い話だな…しかしそんなに上手くいくのか? 証拠がないなら、ただの負け犬の遠吠えしか見えないぞ」
ハリエットは少し声を震わせた。
「事前に、私達からパーツを盗んでおき、『細工された車内で発見した』そうやって証拠を捏造するつもりだと話していました。また、そのチームのリーダーはメディアにコネがあるみたいで、私達を『炎上』させることで、社会的に追い詰める想定もあるそうです」中嶋は深刻な顔になった。
「……随分悪質というか、ホンモノの悪人だな」
ハリエットは目を伏せ、弱々しく言った。
「本当は私があの場で出て行って、追及すべきでした」
中嶋は優しく聞いた。
「出て行かなかったのか?」
ハリエットは唇を噛み、声が震えた。
「……が……なかった……んです……」
中嶋は驚いた。
「え?」
ハリエットは突然声を上げ、目に涙を浮かべた。
「勇気が、出なかったんです……!!」
中嶋は静かに聞いた。
「勇気…?」
ハリエットは声を詰まらせながら叫んだ。
「悪いですか!?」
中嶋は慌てて手を振った。
「あ、いや、別に悪いとまでは言ってないが…」
ハリエットは涙を拭いながら、苦しそうに続けた。
「いえ、悪いんです…悪いんですよ! わかってるんです……!あの話が本当なら、ドロテア様やみんなにとって大ピンチなのに……!私は、あの場に出て行けなかった……相手チームのリーダーは、とても高圧的で傲慢、気に食わない相手にはすぐ攻撃的になる……似ていたんです……かつて私達を無視し、嘲笑っていた女どもに……」
中嶋は静かにハリエットの肩に手を置いた。
「ハリエット……」
ハリエットは慌てて顔を背け、声を震わせた。
「あ…ちょっと予定外のことまで、話しすぎました。今のは忘れて下さい」
中嶋は優しく言った。
「ああ…しかし小早川達に相談できなかったのはどうしてだ?」
ハリエットは目を伏せ、弱々しく答えた。
「……ここまで言ってなんですが、彼女達の話がまだただの冗談である可能性も残っています。第二回おつまーる走直前の忙しいタイミングで、確定していない話を持って行って変に混乱させたくありません」
中嶋は納得したように頷いた。
「おつまーる走? 走り屋YouTuberが主催するイベントか? なるほどな…それで一人でウンウンと悩んでいたのか」
ハリエットは小さく頷いた。
「まあ、そういうことです」
中嶋は静かに微笑んだ。
「よく話してくれたな。ありがとう」
ハリエットは視線を逸らし、照れくさそうに言った。
「ドロテア様が関係していなければ、死んでも悪人なんかには話しませんよ」
中嶋は少し笑って言った。
「でも結果的には話してくれただろ。おかげで協力出来る。言って置くが、小早川やドロテアに頼まれたからだけではないぞ。断ることだって出来たしな。でもそうしなかった。断ったら辻本に『うおおおお』と叫んで俺を持ち上げてるだろうな」
ハリエットは少し頰を赤らめ、毒を吐いた。
「何か、私の弱みでも握る気でいましたか」
中嶋は真剣な顔で答えた。
「困ってる女の子を、男として、警察官として放っておけるわけないだろ。純粋にお前の力になりたいと思っただけだ」
ハリエットは一瞬、言葉を詰まらせ、黄金色の瞳を泳がせた。
「……! い…。」
中嶋は首を傾げた。
「え?」
ハリエットは慌てて顔を背け、声を震わせた。
「お前なんか、嫌いです……そうやって言葉巧みで付け入るなんて、とても卑怯です……や、やっぱり悪人です」
中嶋は苦笑いを浮かべた。
「手厳しいな…」
ハリエットはさらに声を低くして、照れ隠しのように言った。
「う、有象無象の女どもはよく悪い男を好むとかいいますが、私はそんな軽い女どもとは違うので悪人なんかに落ちませんよ。そ、それに…お前は美幸さんがいるじゃないですか!」
中嶋は慌てて手を振った。
「え!!? ちょ、ちょっと待ってくれよ! 小早川とはまだ……というか別に落とす気はないからな!」
ハリエットは少し頰を赤らめ、そっぽを向いた。
「ま、まあ、いいです。この際、使えるモノは使うべきでしょう。たとえ悪人であろうと」
中嶋は軽く笑いながら言った。
「とにかく事の真偽を確かめるしかないな」
ハリエットは小さく頷いた。
「そうですね……」
中嶋は優しく聞いた。
「……やっぱり、勇気出ないか? 小早川に連絡しておこうか」
ハリエットは慌てて首を振った。
「そんなわけ……!!」
中嶋は静かに言った。
「俺を『使う』のだろ? 頼りにして構わないんだぞ」
ハリエットは少し間を置いてから、渋々頷いた。
「いいでしょう。扱き使ってあげます。まずは相手チームのメンバーを捜しましょう」
中嶋はスマホを取り出しながら言った。
「わかった。小早川達に一応連絡して構わないか?」
ハリエットは小さく頷いた。
「お好きにどうぞ」
それから中嶋は美幸と夏実、頼子、葵の協力で相手チーム——『銀河走行会』のメンバーを捜して、虱潰しに情報を集めると……意外にもあっさり見つかった。頼子から無線が入った。
《墨東署より墨東4号。『銀河レディース走行会』らしきアジトが見つけたよ。『銀河レディース走行会』は銀河走行会の傘下チームだよ。今、位置情報を送るよ》
夏実が即座に応答した。
「墨東4号了解。美幸」
美幸は静かに、しかし力強く言った。
「ええ、少しお灸を添えてやらないとね」
数時間後。ハリエットはアジトの外から中を覗き込み、小声で報告した。
「いました、チームのリーダーです。寝ていますね」
夏実は周囲を警戒しながら聞いた。
「見たところ、アジトには彼女一人だけね…どうするの?」
美幸は静かに観察し、言った。
「様子見ね…いや、起きてきたわ」
夏実は身を低くした。
「え?」
美幸は冷静に言った。
「こっちに向かってくる」
アジトの入り口に現れたのは、茶髪のロングヘアーで緑色の瞳を持つ女性だった。
顔立ちは美人と言っても過言ではないが、どこか高圧的で傲慢な雰囲気を漂わせている。彼女こそが『銀河レディース走行会』のリーダー、群司マレーネだった。
マレーネは眠そうに目をこすりながら、不機嫌そうに言った。
「何? 折角気持ちよく寝てるのに……あんた、ピクシス・マスールの…」
ハリエットは勇気を振り絞り、声を震わせながら言った。
「は、話が…あります……! 私達ピクシス・マスールを陥れようと、悪辣なことを企んでいるでしょう……!」
マレーネは怪訝な顔をした。
「はぁ?」
ハリエットは目を伏せながら続けた。
「この耳で聞いたんです。お前が、お手洗いで話していたのを」
マレーネは一瞬目を細め、すぐに肩をすくめて笑った。
「お手洗い?……ああ、なんだアレ聞いてたんだ。あんなの冗談よ。本当にやるわけないじゃん」
ハリエットは声を震わせた。
「冗談……」
夏実は我慢できずに割り込んだ。
「アンタね! 冗談言っていいことと悪い事があるのよ!」
マレーネは鼻で笑い、軽く手を振った。
「ぷっ…あはは、本気にしちゃったんだ。マジで受けるんだけど、心配させてごめんねー?」
夏実は声を荒げた。
「何よその態度はー!」
美幸は夏実を制し、冷静に言った。
「夏実、挑発に乗らないで」
マレーネは肩をすくめ、面倒くさそうに続けた。
「てかそもそもメディアにコネとかないし、やりたくても出来ないって——まあ、あんたらが大っ嫌いなのは事実だけどさ。大井埠頭での一斉取り締まりの一件のせいで、こっちは割を食ってるの。どれだけ頑張っても『あの人ほどじゃないね』って言われて、努力しても報われないんだし、愚痴くらい言わせてほしいわ」
ハリエットは声を詰まらせた。
「そ、それは…………」
マレーネはさらに言葉を続けた。
「つかさ、あんなのマジで受け取るとか、バッカじゃないの? そんなんだから、イジめられるんでしょ?」
ハリエットは体を震わせ、言葉を失った。
「……!」
マレーネは冷たく笑った。
「警察まで引き連れちゃってさ、何? 『私には頼りになる警察官がいま~す』ってマウント取りたいの? ウ~ッザ!!」
ハリエットは目に涙を浮かべ、声を詰まらせた。
「…っ。う、あ……」
マレーネはさらに追い打ちをかけた。
「あーあ、ほんと、そういうとこが気に食わないんだよ。難癖付けてないで、さっさと帰りな! この陰キャが!」
ハリエットは体を震わせ、声を詰まらせた。
「…っ! ひゅっ…は、ぁ……っく……!」
美幸は静かに、しかし強い声で割り込んだ。
「(相手に呑まれてるみたい…)ずっと黙って聞いていたけど、冗談だとしても限度ってモノがあるわ。窃盗に脅迫、危険運転…あと公務執行妨害ね」
マレーネは肩をすくめた。
「何よ! 冗談くらい誰でも言うじゃない!」
美幸は静かに、しかし力強く言い返した。
「問題は時間と場所よ。誰かが聞いていそうな場所で、他人を酷く不安させるようなことを言って良いとは思わないわ」
マレーネは少し苛立った様子で言い返した。
「不安にさせるって…勝手に勘違いしたの、そっちじゃん!」
美幸はハリエットを守るように立ち、はっきりと言った。
「ハリエットちゃんはチームを大切に思うからこそ、あなたの言葉を深刻に受け止めたのよ。非難されるいわれなんてないわ!」
マレーネは一瞬言葉に詰まった。
「…!」
美幸はさらに言葉を続けようとしたが、ハリエットが美幸の制服の袖をぐいっと引っ張った。
ハリエットは涙を浮かべながらも、勇気を振り絞って言った。
「…その先はっ……自分の口で、言います……私はたとえ冗談でも、裏でコソコソ言うのは嫌いです。気に食わないなら、面と向かってちゃんと言って下さい!」
そう言いながらハリエットはiPhone17を取り出そうとしたその時——――突然、派手なマントを翻したストライク男が登場した。
ストライク男は大げさに笑いながら叫んだ。
「ふはははははははは」
夏実は驚いて目を丸くした。
「この声は…!?」
ストライク男はマントを広げ、堂々と宣言した。
「裏でコソコソして他人の車のパーツを盗み、気に食わないからという理由で彼女を陥れようとした罪はこの『正義』に誓って俺が悪を鉄槌する!」
マレーネは目を丸くした。
「な、な何よ! アンタは!」
ストライク男はボールを高く掲げ、叫んだ。
「食らえ! 俺の正義の魂を込めたボールを!」
ストライク男はマレーネの顔面に目掛けてボールを投げた。
マレーネは顔を押さえながら叫んだ。
「ぶごぅっ!」ストライク男は堂々と胸を張った。
「か弱きメイドよ。ここから先は俺が説明してやる! 聞け! 貴様の悪行はこの音声データに入っている! 言い逃れは出来ぬぞ!」
マレーネは頭を押さえながら、面倒くさそうに手を振った。
「ああもうっ、めんどくさいな…わかったわよ! 私の負け! つまらない冗談なんて言わない! それで充分でしょ!」
ストライク男はさらにボールを構えた。
「逃がさん! 必殺! 『2026年バージョン・ストライク・メテオ』だ!」
マレーネは再び顔を押さえ、悲鳴を上げた。
「ぐは!」
ストライク男は勝利のポーズを取り、叫んだ。
「正義は勝つ!」
ハリエットは呆然と立ち尽くし、涙を拭いながら小さく言った。
「……」
ストライク男はハリエットに向かって優しく言った。
「か弱きメイドよ…よく頑張った!」
ハリエットは少し照れくさそうに、しかし素直に頭を下げた。
「え? あー…一人じゃなかったから、何とかなりました。ありがとうございます」
ストライク男は自分のサインボールをハリエットに差し出した。
「これは記念ボールだ。受け取るがいい」
ハリエットは少し戸惑いながらも、ボールを受け取った。
「あ、ありがとう…」
ストライク男はマントを翻し、大げさに笑いながら去っていった。
「では、さらばだ! ふははははははは!」
夏実はストライク男の後ろ姿に向かって叫んだ。
「コラァ! あたし達の出番を奪うんじゃないわよー!」
ストライク男は遠くから叫び返した。
「ホームラン女、いつかお前と決着付けるぞ! ふはははははは」
マレーネは頭を押さえながら、面倒くさそうに立ち上がり、ため息をついた。
「……ったく、面倒くさい連中ばっかり」
ハリエットはまだ少し震えながらも、勇気を振り絞ってマレーネに向き直った。
「…私は、たとえ冗談でも、裏でコソコソ言うのは嫌いです。気に食わないなら、面と向かってちゃんと言って下さい!」
マレーネは少し驚いた顔をしたが、すぐに肩をすくめた。
「はぁ……わかったわよ。あんたらが大っ嫌いなのは本当だけど……大井埠頭での一斉取り締まりで、こっちはかなり割を食ってるの。努力しても『あの人ほどじゃないね』って言われて、報われないんだし、愚痴くらい言わせてほしいわ」
ハリエットは少し声を震わせながらも、しっかりと言った。
「それでも……私達の努力を、陰で貶めるようなことはやめてください。私たちは、真剣に走っているんです」
マレーネは少し黙り込み、ため息をついた。
「……わかった。もうそんなこと言わない。それでいいでしょ?」
ハリエットは小さく頷いた。
「……はい」
美幸は静かに微笑み、夏実は満足げに頷いた。
中嶋は少し離れたところで、ホッとした表情で呟いた。
「……よかったな、ハリエット」
ハリエットはまだ少し震えながらも、黄金色の瞳にわずかな光を取り戻した。
赤城山の朝の風が、ハリエットの緑色の長い髪を優しく揺らした。
今日の出来事は、
ピクシス・マスールの絆を、もう少しだけ強くしたのかもしれない。
ハリエットは小さく、しかし確かに呟いた。
「……ありがとう、悪人」
中嶋は苦笑いを浮かべながら、遠くの山並みを見つめた。
2026年の夏の朝、赤城山の頂上は少しだけ温かい空気に包まれていた。