ロマリア連合皇国。
始祖ブリミルの弟子フォルサテによって興されたこの国は、ブリミル教の総本山であり、王ではなく教皇によって代々治められてきた。
ブリミル教が圧倒的な支持を得ているハルケギニアにおいて、この国は人々の精神的な中枢としての役割を担っており、その威光は他の国々に比べ、一段上を行っていると言って差し支えない。
敬意を込めて『光の国』とも呼ばれるロマリアは、まさに神の恩寵と神聖な魂に守られた、ハルケギニア一清らかな土地なのである――。
……と、言いたいところなのだが。
残念ながら上記の内容は、宣伝的な意味合いしか持たない、適当なレトリックに過ぎない。
実際のロマリアは、わりと澱んだ国である。
確かに街や建物は美しい。ハルケギニア中から集まって来る寄付金で整備された街並みは、伝統を重んじつつもつねに新しく、輝いている。
金や大理石を用いた豪華な装飾をした家も珍しくなく、水路も街道も芸術的な計算によって設計されていて、見る者たちに、「美しい」と感じさせてくれる造りになっている。
そして、そんな街の中を颯爽と歩いていくのは、きらびやかな衣装を身にまとった神官たちだ。
職人によって仕立てられた高級な絹の法衣にはしみひとつなく、縫い込まれた金糸や銀糸が日の光をあびて煌めいている。手に持つ法具も美術品そこのけの凝ったもので、無数の宝石によって豪華に飾り立てられていた。
弟子たちを引き連れ、ゆっくりと聖堂への道を歩む彼らの姿は、なるほど確かに厳かに見える。
以上が、この国の「光」だ。
では、今度は光から目を逸らして、国の隅っこの方に目を移してみよう。
美しい街の、美しい建物の軒の下に、見を寄せ合うようにして座り込んでいる、汚い身なりの人々がいる。
女性も、子供も、老人もいる。座ることもできずに地面に寝たまま、苦しそうにしている病人もいる。
彼らは、一言で言うと物乞いだ。職も、家も、明日への希望もない人々。
他の国で仕事を失ったり、健康を害して周りの人達から見捨てられたり、幼いうちに親に死なれたりして、幸せに生きていくのが困難になった、最低層の平民たち。
そんな彼らは、最後に残ったブリミルへの信仰のみを頼りに、この国にやってきた。始祖に祈り、救われる日を夢見て、教会からの炊き出しだけを胃に入れて、ただ生きている。
そんな生きているだけの人達が、このロマリアには無数におり――先の神官たちは、彼ら惨めな人々の横を、表情ひとつ変えずに、しゃなりしゃなりと歩いていくのだ。
神官たちは、物乞いたちを見ていちいち哀れんだりしない。
ものを恵んだりもしない。物乞いたちの数が多すぎて、いちいち助けていたらキリがないからだ。
けっこう酷いことを言っているようだが、物乞いの数が多すぎるから助けられない、というのは、ロマリアではむしろ良心的な神官の思想である。
良心的でない神官は――「金がもったいないから」助けない。
彼らは、自分が綺麗な法衣を着るために。豪華な杖を持つために。広い家に住み、美味しいものを食べ、楽に生きるために、少しでも多くのお金を持っていたい。ゆえに、貧乏人に施しをしない。
完全な捨て金にしかならない出費など、何の意味もない。
だから、神官たちは物乞いたちの前を通り過ぎる。
持つ者と持たざる者。輝ける者と、くたくたに擦り切れた者。
二者の凄まじい温度差が、あちらこちらに遍在している。それが、このいびつな国――ロマリアなのだ。
■
今また、美しい衣装を着た神官が、道を歩いてきた。
まだ若い、女神官のようだ。顔立ちはまだ幼さを残しており、眉にかかる程度で切り揃えられたアメジスト色の前髪にも、若者特有のツヤがある。
その顔を見ただけなら、神に仕え始めたばかりの新米シスター……という印象を受けるが、しかしその服や持ち物は、先ほど通り過ぎた神官より、さらに豪華で……お金がかかっているようだった。
レースを編んだ白いヴェールを頭に被り、灰色の帽子をその上に載せている。
柔らかそうなゆったりした法衣には、エメラルドやルビーで装飾したボタンが沢山ついており、法衣のすそからのぞく小さな足には、金粉で細緻な絵が描かれた美しい木靴を履いている。
手に持つ杖は、短く細いワンドだが、その素材は銀とプラチナだ。先端には、人の目玉ほどの大きな宝石がついているが、それはなんと曇りひとつない、最高品質のダイヤモンドなのだ。
彼女の身につけているものを、全て売り払ったとしたなら……まず、一万エキューは下るまい。
そして、そんな彼女の後ろに付き従っているのは、五十人近いシスターの列である。
以上のことから推し量れる事柄は、ふたつ。
この豪華な女神官が、ロマリアにおいて、相当に高い地位にいる人物である、ということと……。
彼女が、貧しい者たちに施しをするより、自分のために金を使うことを優先する人物である、ということだ。
彼女の名は、ヴァイオラ・マリア・コンキリエ。
二十六歳の、結婚適齢期を二、三歩ほど踏み越えた、ギリギリ若い女枢機卿である。
(……なんか今、誰かにすっごい不快な評価をされたような気がするのじゃ)
女の勘が知らせたのか、眉根を寄せて渋い顔をするヴァイオラ。
その不快感は根拠のないものだったため、すぐに眉間のしわは消えたが、直後にまた表情を憎々しげに歪めた。
その視線の先にあったのは、ぼろをまとった貧民たちの群れだった。
彼らは皆、髪も肌も汚れ、頬はこけ、目からも生気が失せている。
母親らしい女が、乳房を赤ん坊の口に押し当てているが、痩せすぎて乳が出ないのか、ついに赤ん坊は泣き出してしまった。
あわれを催す光景である。
しかしヴァイオラが心に浮かべたのは、全く違う感想だった。
(きったない奴らじゃのー……まったく、『光の国』の景観が台なしじゃわい)
彼女の頭の中には、貧民たちへの憐憫の情はかけらもない。汚物を見るような嫌悪感しか、そこにはない。
(なーんだってヴィットーリオのクソガキは、この連中をロマリアから追っ払ってしまわんのかのぅ。
ここにいたって救われんっちゅう当たり前のことを理解させにゃならんのに。こいつら馬鹿じゃから、教皇自ら強く言ってやらんと聞きやせんぞ。
それとも、ヴィットーリオが言っても聞かんじゃろか……人に頼らんと生きていけん、能無しどもの群れじゃからのー。
教会の金と台所にたかる、恥知らずな害虫……それが貧民どもじゃ。道理より自分の胃袋を優先してもおかしくはない、がな。
あー、アホのブリミルめ。この国が貴様のお膝元なら、お前ん家に住み着いた害虫ぐらいガーッと駆逐してくれい。全く役に立たん……)
心の中でぶつくさ言いながら、ヴァイオラは足早に貧民たちの前を通り過ぎていく。
彼女は、始祖ブリミルに対する信仰も、世の中のブリミル教信者たちに対する慈愛の気持ちも持ってはいない。
裕福な家に生まれ、何一つ苦労することなく、今まで生きてきた。一番大切なものは「自分」で、他人は自分の幸せのための踏み台だと思っているし、踏み台にも使えない役に立たない人間は、生きる価値がないと本気で思っている。
そんなヴァイオラが神官になったのは、その職業がハルケギニアにおいて、最も強い権力を持っているから、というだけの理由に過ぎない。
血筋のいる王様にはなれないが、教皇にならなれるチャンスがある。そしてロマリア教皇は、その威光において諸王国の国王たちを上回る。
(有力な聖職者どもに賄賂をばらまいて、枢機卿に選ばれるところまではこぎつけた。
今の教皇――ヴィットーリオは我より若い。奴がなれるなら、政治的工作次第で、我が次期教皇に選ばれても不思議はない。
いずれこのロマリアに、ハルケギニアに、このヴァイオラ様が君臨してくれる……この夢、けっして大それたものではあるまいて。ウケケケ)
猛烈な出世欲と権力欲。それがヴァイオラ・コンキリエ枢機卿の本質であり、彼女はそれを満たすだけの財産と才覚に恵まれていた。
これから始まるのは、ヴァイオラが自分の望みを叶えるために奮闘し、邪魔する者たちを無情にも蹴散らしていく……そんな物語である。