コンキリエ枢機卿の優雅な生活   作:琥珀堂

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1の続きー。


アーハンブラ断章(フラグメンツ)/ジョゼフはみんなにひどいことしたよね(´・ω・`):その2

 

 イザベラの立ち去ったあとのオーバル・オフィスにて。

 ひとりきりになったジョゼフは、難しい顔をして、座っている椅子をぎし、ぎしと揺すっていた。

「……ふん。俺の娘だというのに、なんとわかりやすいやつだ。いや、俺の娘だから、わかりやすいということか?

 どちらにせよ、これで、種はまかれた……俺の思い通りなら、あれは必ず芽を出す……他の種と同じように」

 ジョゼフの呟いた独り言は、誰にも聞かれることなく、無意味に虚空へ消えていく。やがて、彼の言葉を聞いてくれる忠実なパートナーが入室してくるまで、彼は黙り込んで、目を閉じていた。

「失礼します、ジョゼフ様。ただいま戻りました」

「おお、その声は我がミューズだな! 入るがいい、お前の方の成果を聞かせてもらおう」

 ジョゼフは露天のキャンディー・バーを買った少年のような笑顔を浮かべて、ミス・シェフィールドの入室を歓迎した。椅子を勢いよく蹴って立ち上がり、執務机を回り込んで、自分の方から彼女に歩み寄る。

 ミス・シェフィールドの方も、甘いお菓子を口に入れているかのように、うっとりした笑みをジョゼフに向け、優雅に一礼した――つい先ほどまで、シザーリア・パッケリに対して、悲壮感たっぷりに主の非道を訴えていた彼女と同一人物であるのかどうか、疑わしいほどの変わりようである。

「マザー・コンキリエのメイドは、無事にヴェルサルテイル宮殿を脱出しましたわ。ジョゼフ様の仰った通りの情報を、しっかりと吹き込んでおきましたから、まず間違いなく、我々の計画通りに行動してくれるでしょう。

 彼女がロマリア大使館に駆け込めば、十中八九、かの国は我が国に対して警告を発するでしょう。教皇の名で遺憾の意を表明するかもしれません。

 こちらがそれを退けて、マザーの処刑を強行すると発表すれば……そこで引き下がっては、ロマリア連合皇国も、ブリミル教会も、面目を大いに損なうことになりますから、実力行使に出ざるを得なくなりますわね。具体的には、マザー救出のために、兵隊を派遣してくることになるはず……」

「そう、そう。ガリアに正面切って戦争を仕掛けねばならない羽目に陥るわけだ。マザーはそれだけの地位にあるお方だものな!

 我が国の軍隊は強いが、ロマリアの兵もなめてかかれる相手ではない。きっと恐ろしい戦いになるぞ! 何千人も、何万人も死ぬかもしれん。俺がマザー・コンキリエを逮捕したばっかりに、そんな大戦争が始まろうとしているのだ! ああ、まったく、なんと罪深いことだろうな!?」

 言葉とは裏腹に、ジョゼフは浮かれきった表情でミス・シェフィールドの手を取り、その体を引き寄せた。

「ロマリアはそれでよし。して、トリステインの方はどうなったかな? シャルロットが失敗したあと、向こうの反応はどんなものだった?」

「そちらも抜かりはありません。ミス・ヴァリエールと、その使い魔の少年は、もともとミス・シャルロットと面識がありました。ミス・シャルロットが、ふたりを拘束しようとして戦闘を仕掛け、敗北したことはすでに報告いたしましたが、負けた彼女を回収する際に、その襲撃がガリア王に命令されてのことだった、と匂わせる言葉を、私の口から、さりげなくミス・ヴァリエールたちに聞かせておきましたわ。

 ガリアからの留学生による、トリステイン有力貴族誘拐未遂事件。その背後にはガリア王がいる。さて、この先はどうなるのでしょう、ジョゼフ様?」

「おお、おお、なんということだ。そんな情報が、たとえばアンリエッタ姫の耳にでも入ったら、大変なことになってしまうぞ!

 ミス・ヴァリエールは王女と親しいと聞くし、このような重大な国際問題に関しては、まず間違いなく上に報告して判断を請うだろう。そして、アンリエッタ姫はガリアの犯罪行為を、強く非難するだろう……ガリアとトリステインの関係が、俺の命令のせいで一気に悪化してしまう! もしかしたら、アンリエッタ姫と婚約している、アルブレヒト三世のゲルマニアも、敵に回ってしまうかもしれん!

 だが、俺は謝罪などしないぞ! ロマリアにするように、非難を突っぱね、逆に挑発し、トリステインの面目をこれでもかというほどに潰してやるのだ! 武力制裁で相手を屈服させるしか、溜飲を下げる方法がなくなるくらいに、な!

 向こうがそこまで思いきれないなら、いっそ、こちらから宣戦を布告してやってもいいな! ロマリアだけでなく、トリステイン=ゲルマニア連合ともやりあうとなると、これはちょっとした世界大戦になるぞ……俺の傀儡の統治下にあるアルビオンは、包囲戦術で無力化されつつあるし、ガリア一国による、文字通りの世界との戦いになる!

 なんという不利だ! なんという無謀だ! まるでクイーン一騎のみで挑むチェスのようだ……そんなことが起きるように策謀を巡らすなど、俺はまったく、国のことを何も考えていない、どうしようもない無能王だな! お前もそう思うだろう、我がミューズよ? ハッ、ハッ、ハハハハハッ!」

 ミス・シェフィールドの腰を抱いて、ジョゼフは楽しげにステップを踏み始めた。シェフィールドも遠慮なく彼に身を寄せて、リズムを合わせる。厳かなるオーバル・オフィスの中にありながら、礼儀のいらない場末の酒場かどこかでするように、無邪気に軽やかに、ふたりはくるくると舞い踊っていた。

「イザベラにも充分な挑発を加えた! あの『ミス・リーゼロッテ』と仲良しな『アラベラ』にもな! 変装して頻繁に会っているお友達が処刑されるとなれば、唯一の心の拠り所が奪われるとなれば、あの不肖の娘も、大胆な行動を取ってくれるだろう!

 兵隊を集めて、クーデターでも起こしてくれれば上出来だな! 少数精鋭で、俺を暗殺しに来てくれてもいい!

 外も中も敵だらけだな! こんなにも追い詰められて、俺はいったいどうすればいいんだ?」

「ええ、本当に絶望的……。あなた様の願いをなんでも叶えてあげたいと望んでいる私でも、危機感で薄ら寒くなるほどですわ。

 ジョゼフ様、実際どうしてこのような、危険な状況をお作りになったのですか? 戦争ゲームがしたいのでしたら、アルビオンでやったように、誰かを操ってことを起こさせればよろしかったでしょうに。ご自身をエサにするような真似をしなくても……」

「いや、それではいかんのだ。そんな、安全なところから見下ろすようなやり方ではな。

 俺は気付いてしまったのだ。ゲームを盤外から楽しんでいる人間は、結局リアルに触れることはできないのだと……我がミューズよ、お前も聞いていただろう? あのシザーリオとかいう男の話を? 奴にこの俺の暗殺を命じた、セバスティアン・コンキリエという男のことを」

「はい。でも、今でもやはり、あれの言葉を本当とは受け取れませんわ。ハルケギニアの全人類を絶滅させて、新たな国を作ろうとしているだなんて……風石メジャーの黒幕ともいえる大実業家が、人類文明の中で地位を築いている人が、それを崩壊させるような荒唐無稽な企みを抱いているなんて、馬鹿げているとしか言いようがありませんもの」

「うむ。まあ、そう思うのが普通だろう。だが、俺は知っている。セバスティアンが、そういう馬鹿げた夢物語を、実際にやろうとする大馬鹿者だということをな。

 あの男と交流があったのは、算術を教えてもらっていた数年間だけの間だったが……それでも、日常的に会話をしていれば、その人間の本質ははっきりわかってくるものだ……セバスティアンは、その地位と知性に似合わない、子供じみた性格の持ち主だった。

 王宮で授業をすると半日も妻に会えない、と、俺の前でぶつぶつ愚痴を言っていたし、花壇からバラを勝手に摘んで帰って、庭師に怒られたりしていた。ブロッコリーが苦手らしくてな、俺とシャルルに、あの小型の森を料理に使わないよう、シェフを脅してくれ、などと頼んできたこともあったし、しかもそれを断られると、その日のディナーで、こっそりより分けたブロッコリーをポケットに隠して捨てようと企み、給仕長に見破られたりしていた。まったく、当時の俺にとってさえ、とても年上には思えなかったよ」

「では、そんな人であるのならば、なおさら大それたことは……」

「いや、それは違う。奴の成功は、そういう幼稚な性格ゆえでもあるのだ。従来の政治家、起業家のように、テンプレート的な仕事をしない。自分が一番やりやすそうだと考えたやり方で、まったく新しいシステムを作り、運用する。例の、セブン・シスターズの経営形態がそうだ。コンキリエ家はもともと巨大な風石鉱脈を所有していたが、セバスティアンがあの多国籍企業を作らなければ、おそらく数万分の一の財産しか手にできていなかっただろうな。

 無論、新しい方法で既存の市場に食い込んでいくということは、従来のやり方で利益を出していた者たちの反発を招く。どれだけ大きな元手があって、どれだけ効率のいい儲け方を発明しても、周りから総スカンされてはとてもやっていけない。経済的にも政治的にも、かなりの圧力がかかったはずだ……だが、この問題も、セバスティアンはその子供っぽさで乗り越えた」

「と、仰いますと……?」

「具体的に、それを実行したという証拠はないがな。まあ、他者への配慮など何もない、自分さえよければそれでいい、という人間特有の発想だよ……邪魔になる人間を、徹底的に排除(エリミネイト)していったのだ。

 基本は暗殺だな。セブン・シスターズ設立と前後して、当時の風石産業界の要人が、少なくとも三十人、謎の死を遂げている。その中には伯爵や侯爵もいたし、枢機卿の地位にいる聖職者もいた。

 村や街単位で、排除が行われたこともあるようだ。風石輸送のための港を開く必要が生じて、セバスティアンはそれに適した土地をみつけねばならなかった。ちょうどいい土地があったはあったが、そこの住人は自分の住み処に愛着を持っていて、出ていきたがらない。すると、その土地で急に疫病が発生し、ほんの数日の間に住人が全滅する事態が起きたりする。トロヤとかボンペイ、ダングルテールといった場所が、奴に目をつけられた不幸な廃村の代表だと言われているが、まあこれも証拠はない……」

「……………………」

「世間一般では天才経済学者のように言われているが、結局のところセバスティアンの思考は、『1たす1は2』のように単純なものだ。気に入ったものは大事に使うし、気に入らないものは速やかに処分する。

 問題は、その思考をすべて実現するだけの力を、奴が持っているという点だ。平民は、貴族が気に入らなくても、排除はしない。そんなことができる力を持っていないからだ。今のガリアには、俺という王を嫌っている貴族は少なくないだろうが、そいつらは俺を排除することはせず、ただ頭を下げる。王がいなくなった場合の、社会的影響を考慮するからだ。

 普通の人間は、自分の立場、常識的な予測、メリット、デメリット、様々な物事を考え合わせて、自分の欲望を適切に抑える。それができるのが、大人というものだ。

 セバスティアンは、そんなことをいちいち考えるほど思慮深くない。かといって、雑な行動をするわけでもない。風石マネーという強大なパワーと、商人として超一流の計算能力、優秀な部下たちを的確に操って、自分のわがままを遠慮なく通す。

 世界が欲しいと思ったなら、あの男なら手に入れようとするだろう。人類を滅ぼしたいと思ったなら、それが実現可能になる方法を、大真面目に考えることだろう。

 そんな奴だと、知っているからこそ……俺はあの、シザーリオの言葉を、そのまま信じる気になったのだよ」

 ジョゼフは、ミス・シェフィールドを抱いていた腕をするりとほどくと、ひとりで窓際に立った。外には静かな夜闇があり、ふたつの月は、すでにかなり高い。赤と青の混ざった紫色の月光を浴びて、彼は自嘲するように呟いた。

「我がミューズよ。セバスティアンの企みを聞いた時、俺がどんな気分になったか、想像できるかね。

 酷く……そう、これほど酷く虚しい気持ちになったのは、ずいぶんと久しぶりのことだ。それこそ、シャルルを毒矢で射った時に匹敵するかも知れん。

 世界人類の絶滅だぞ? それも、ハルケギニアだけではない、東方に住まう数億人さえ巻き込んだ大殺戮! それを、十人にも満たない少数の仲間だけしか連れずに、やってのけようというのだ!

 それに対して、俺の演出したアルビオン戦争はどうだ!? 確かに王家をひとつ滅ぼした、何千人もの死者を出し、トリステインやゲルマニアにも混乱をもたらした! だが、その程度だ! 人類絶滅の大計画と比べて、なんと矮小なことか!

 俺は、自分の器の小ささを思い知らされたのだ。どんなひどいことをしても、心が震えなくて虚しい? 当然だ! やっていることが、全然大したことなかったのだからな! しかも、その小さなお遊びですら、直接関わらず、安全な外から、他人の手を介してでないとやれないという臆病っぷりだ! これでは、真の感動など得られるはずもない!

 だから俺は! 今までにない臨場感を求めることにしたのだ! 騒動の最前面に『俺』自身を押し出し、『敵と戦うリアルな感覚』を味わう! 敵はなるべく多く! ロマリア、トリステイン、ゲルマニア! さらに、我が娘すら反乱するように誘導する! これで、『圧倒的な力に襲われる恐怖』と、『困難に立ち向かう勇気』を獲得するのだ!

 セバスティアンが東方でぐずぐずしている間に、俺が先に世界を敵に回す……この戦いに勝てれば、俺は今度こそ、達成感で心を震わせることができるだろう……負けたなら負けたで構わない。自分の命を奪われるという、一生に一度しか体験できない恐怖によって、一瞬でも心を震わせられれば、もとは取れるというものだ。

 まあどちらにせよ、これから起きるのは大戦争だ。ハルケギニアは荒廃し、貴族社会自体が存続できなくなる可能性もあろう……。セバスティアンが戻ってきて、いざ人類に滅びを、と頑張り始めたとして……その頃には、人類はすでにボロボロになっていました、なんてことになっていたら。あいつは喜ぶかな? それとも出鼻をくじかれたような気になるかな? ふふ、それを想像するだけでも、そこそこ愉快な気持ちになれるものだな。はっはっは、は、ははははは!」

 破滅的なジョゼフの計画。それと同じくらい壊れた調子の、彼の笑い。

 それを聞きながら、ミス・シェフィールドは、全身の皮膚にゾクゾクと震えが走るのを感じていた――彼女の主は今、かつてないほどのやりがいを持って、自分と世界の破滅を演出している。

 そんな彼は彼女にとって、素晴らしく魅力的だった。ジョゼフの発散する雄としての活力が、シェフィールドの雌の本能を、激しく刺激する。

 この男のためなら死んでも構わない。本気でそう思える相手に仕えられる幸福を、彼女は噛みしめていた。

「――ジョゼフ様。そろそろ、アーハンブラ城行きの船の準備ができた頃です。お早めに船内の寝室に入って、明日からの大仕事のために英気を養われてはいかがですか?」

「おお、そうか、もうそんな時間か。確かに寝不足では、せっかくの楽しみを味わい尽くせないだろうからな。よし、行くことにしよう。

 シャルロットとマザー・コンキリエも、いい部屋で寝かせてやるのだぞ。彼女らはこの計画になくてはならないエサだからな。大切にせねばならん。

 そうそう、あのシザーリオと、ビダーシャル卿にも乗船するよう伝えるのだ。奴らも、俺の陣営を守るための立派な戦力だからな」

「ご安心を、ジョゼフ様。すべて、あなた様のお気に召すように……」

「うむ。……おっといかん、忘れるところだった! シザーリオに、もしセバスティアンと連絡が取れるなら、マザー拘束の情報を知らせるように言っておけ。ことによると、世界を滅ぼそうという最悪の勢力までもが、俺を狙ってきてくれるかもしれんから、な!」

 けたたましく笑い続けながら、ジョゼフは部屋を出ていく。

 ミス・シェフィールドもそれに続く――扉が閉められ――静寂と月光だけが、そこに残された。

 

 

 ジョゼフによって誘導された様々な思惑が、ガリアの東へ――アーハンブラ城へと集結する。

 ただし、そのほとんどは、ジョゼフの予想とは違った形で動き始めていた。

 まずはシザーリア・パッケリ。彼女は自分ひとりで主の奪還と、ガリア王暗殺未遂事件の証拠隠滅を行うことを決意していた。

 リュティスの風竜便発着所で、一台の竜籠を雇った彼女が、アーハンブラへ向けて飛び立ったのは夜半過ぎのことだ。ロマリアの軍隊など、その周りには一兵たりともいはしない。もちろん、ジョゼフがいくら待とうと、教皇からの抗議なども来たりはしない。

 

 

 次にトリステインとゲルマニア。ヴァリエール家令嬢誘拐未遂事件によって、ガリアから挑発されるはずだったこの二国だが、こちらもロマリア同様、そもそもそんな事件のあったことを、王家の者たちが知らされることはなかった。

「ほ、ほんとに僕らだけで行くのかい、サイト? 正直、無謀過ぎるんじゃないかと思うんだが」

「何言ってんだよギーシュ。トリステインとガリアが戦になったらまずいから、身内だけで解決すべきだって言ったのはお前だろ?」

 夜闇を切って空を駆けるシルフィード。その背中には四人の男女が乗っており、そのうちふたりの少年が言い合いをしていた。片方は金髪で、もう片方は黒髪だ。

 ギーシュと呼ばれた金髪の少年は、これからしようとしていることにためらいがあるらしく、言葉が少し震えている。

「い、いや、確かにそうは言ったよ。ガリア王主導のトリステイン人誘拐未遂事件なんて大事件を、抗議もせずに放置したりなんかしたら、トリステイン王室の威信は地に落ちる。だけど、今のトリステインは、アルビオンに対する包囲戦術でいっぱいいっぱいだから、この上ガリアと敵対するようになったら、軍備も財政も破綻してしまう。ゲルマニアの支援があっても、大国ガリア相手じゃちょっと苦しいだろう。

 だから、王室に知らせたりして、話を大きくすることはせず、他の解決策を探すべきだと言ったのは認める……でも、僕たち四人だけでガリアに潜入して、厳重に監禁されているであろうミス・タバサを救出しよう、っていうのも極端じゃないかな!?」

 その叫びに応えたのは、サイトと呼ばれた黒髪の少年ではなく、燃えるような赤毛と褐色の肌が美しい、大人びた少女だった。

「あら、なら他に、いい方法があるのなら教えてくれないかしら。

 タバサを連れていったあの黒い服の女は、近いうちにタバサを処刑する、みたいなことを言っていたわ。その『近いうち』は、一週間後かも知れないし三日後かも知れない、もしかしたら明日なのかも知れない。手遅れにならないようにするには、とにかく早く行動しないといけないの……違う、ギーシュ?」

 赤毛の彼女の言葉に、最後のひとり、ストロベリーブロンドの小柄な少女も賛意を示した。

「キュルケの言う通りよ。そもそも、大人たちに頼れない以上、私たちだけで行動を起こさなくちゃいけないっていうのは確定だわ。

 今回の件がおおやけになったら、ガリア王はもちろんだけど、実行犯のタバサだって、立場が悪くなっちゃう。タバサを奪還してどこかに隠して、最初から最後まで、『何もなかった』ってことにしちゃわないと……。

 秘密のうちに、かつ大急ぎで、っていうのが、今回のミッションの大前提なのよ。それを満たすには、どうしても私たちだけでことに当たるしかないわ」

「あら、珍しく意見が合うじゃない、ルイズ」

「今回だけ、よ! タバサを助けるって目的が、偶然重なってるだけ! あんたに同調したくてしてるわけじゃないんだからね!」

 フシャー、と、怒れるにゃんこのように威嚇のポーズをとるルイズを、キュルケは余裕の表情であしらう。国境を挟んで長年敵対し続けているトリステインのヴァリエール家と、ゲルマニアのツェルプストー家の末裔であるこのふたりは、以前から本能的な対立状態にあったが、命がけの冒険を何度か共にした結果、その関係は罪のないじゃれあい的なものにまで落ち着いていた。

 その様子を見ていたサイトとギーシュは、やれやれ、と苦笑して、肩をすくめた。このふたりも、最初は貴族の横暴が気に食わない勇敢な少年と、平民の無礼が気に食わない誇り高き貴族として、最悪な出会いを果たした。しかし、命がけの喧嘩をきっかけに、互いを認め合い、今では親友と言っていい間柄となっている。

 そして――ここにいないタバサという少女――ガリア王によって囚われの身となっている彼女もまた、この四人と、日常と冒険を共にし、固い絆で結ばれている仲間なのだ。

 虚無の主従であるルイズとサイトが、ガリア王の命令を受けたタバサを撃退した時。偶然にもキュルケとギーシュがその場を通りかかった。

 シェフィールドがルイズたちに、任務に失敗したタバサをアーハンブラ城にて処刑する、と話したところも、一緒に聞いてしまった。

 もちろん四人は、タバサを救出することで意見を一致させた。主を囚われた使い魔、風韻竜のシルフィードに道案内を頼み、国の手も大人たちの手も借りず、自分たちの腕っぷしだけを頼りに、暗闇の空を東へ、東へ。

「なあシルフィード。ご主人様のいる場所までは、あとどれくらいかかるんだ?」

「きゅいきゅい! まだかなり遠いの。でもお姉様との絆のラインははっきり感じてるから、一直線かつ全速力でかっ飛ばすのね」

 サイトが竜に尋ねると、子供っぽい声が即座に応える。

 タバサを慕うこのシルフィードも、サイトたち四人の同志には間違いない。ただし彼女は竜種ではあるが、その本領はあくまで生物界屈指の高速飛行能力であり、アーハンブラ城での戦闘要員としてはあまり期待できない。

 彼女の存在は、タバサを救出してからの逃走時に必須のものだ。逆に言えば、その時まで傷つくことは許されない。だからやはり、城塞に侵入し、虜囚を取り戻すのは、サイト、ルイズ、キュルケ、ギーシュの四人でなくてはならないのだ。

 それは確かに無謀な計画であるかも知れない。しかし彼らは、仲間を見捨てることはできないという、人としての勇気を備えていた。

 その勇気が――国の軍隊を使わず、四人だけで死地に向かったことが――ジョゼフの企みを打倒する一因になるとは、この時は誰も想像していなかった。

 

 

 そして。ジョゼフに世界大戦を決意させた人物――東方のセバスティアン・コンキリエも、これまたジョゼフの予想とは違った動きをした。

 シルフィードがガリアの領空にたどり着いた頃、この大実業家であり大陰謀家でもある人物は、大中国とハルケギニアを隔てる、広大な砂漠の真ん中にいた。

 いや、正確には、砂漠の中を西へ向けて移動する乗り物の中にいた――摩擦の小さい細かい砂の上を軽やかに滑る、五十メイル×八十メイルの面積を持つ巨大なソリ。その上に建設された、豪奢な二階建ての屋敷の中に。

 故郷への旅路を快適に過ごすためだけに、セバスティアンはこの移動邸宅を作らせた。屋敷を乗せたソリは、五頭の巨大な竜によって、馬車のように引かれて動いている。その竜は大中国にのみ生息する土竜の一種で、俗にマメンチサウルスと呼ばれているものだ。恐ろしく長い首と、鯨のように大きな体、そして巨木の幹を思わせる四本の太い脚で、しっかりと砂を踏みしめ、西方ハルケギニアへ向けて歩き続ける――屋敷付きのソリなど、彼らにとっては重石のうちにも入らない。

 この時、むしろ苦しみあえいでいたのは、土竜などではなく、屋敷の中にいる人間だった。セバスティアン・コンキリエは、金のかかったインテリアに彩られた、居心地のいいはずの居間の中で、毛足の長いじゅうたんの上をごろんごろん転がりながら、頭を抱えていた。紫色の巻き毛はくしゃくしゃになり、かけていた眼鏡はとっくに顔から落ちて、部屋の隅っこに放ったらかされている。

「あああ、どうしようどうしよう。困ったぞ本気で困ったぞ、いったいどうすればいいんだろう。

 もう一度確認させてくれ、リョウコ君。死なせたはずのシザーリオ君が生き返って、ジョゼフ王に寝返っちゃったんだね?」

 その問いかけに、そばにいた彼の秘書、リョウコはうなずいた。彼女はセバスティアンほど動揺をあらわにするタイプではないらしく、普通に立っているが、表情はかなり渋い。

「ああ、その通りだ。さっき、クリスタル・タブレットを介して連絡があった。

 間違いなくシザーリオ君の声だったし、彼の体内チップも、彼の生命反応の再生を知らせてきている。まあ、正確には死人を生き返らせているのではなく、水の流れを操って、生きているようなふるまいをさせているだけみたいなんだが……それでもさすがに意外だったよ。まさかハルケギニア人の魔法技術が、そのレベルまで進んでいようとは……」

「いや、問題はそこじゃないよ。シザーリオ君が生き返ったことじゃなく、寝返っちゃったことがまずいの。刺客である彼が向こうについちゃって、知ってること全部話したせいで、あの優秀極まる生徒だったジョゼフに、僕が彼の命を狙ったってことがばれちゃったんだよね?」

「うん、ばれちゃったねぇ」

「しかもそのネタバレの瞬間に、僕の可愛い妖精であるヴァイオラがジョゼフのそばにいて、連帯責任だーってばかりに捕まえて投獄しちゃったんだよね?」

「うん、投獄しちゃったねぇ。しかも、処刑するとか言ってるらしいね」

「これって大ピンチじゃないかね、リョウコ君?」

「うん、かなり大ピンチだよ、セバス」

 秘書とのやり取りで、あらためて現状を確認したセバスティアンは、再び唸りながら床を転がり始めた。

「ああ、まったく、どうしてこんなことになっちゃったんだ。僕の可愛い可愛いヴァイオラ。なあリョウコ君、僕の親としてのひいき目を抜いても、客観的にあの子は可愛いよな?  あんなか弱い野菊のような娘が、牢屋に押し込められて処刑されるのを待つだなんて、こんな悲劇は他にあるまい? 何とかしないといけないよ」

「うん、そうだねえ。あの子はとっても可愛いね。さすがはキミとオリヴィアの子だよ。

 早く助け出してあげないと駄目だよね。しかし、ヴァイオラちゃんを人質に取られているとなると、あまり派手なことはできないな。彼女を安全に救出するとなると、隠密性の高いスペルを使えるシザーリオ君が適任なんだが、彼は寝返っちゃったし、どうするか……」

「あ、いやいや、違うんだよリョウコ君。僕は別に、あの子の身の安全を心配してるんじゃないんだ」

「ん? どういうことかね、セバス?」

「だってほら、たとえヴァイオラが八つ裂きにされて殺されようと、リョウコ君、君の能力があれば簡単に生き返らせることができるじゃないか。

 僕が心配しているのはね、ヴァイオラが処刑されたあとのことなんだ。シザーリオ君の例を見る限り、ジョゼフもこちらと同じく、死人を生き返らせる能力を持っている。完璧な復活ではないようだが、少なくとも死者に、生前と全く見分けのつかない行動をとらせるぐらいのことはできているわけだ。

 しかも、シザーリオ君が簡単に寝返っていることから見ても……ジョゼフの蘇生能力は、復活と洗脳が、セットになっているものらしい……処刑されたヴァイオラが、ジョゼフによって生き返らされて、彼の味方になって僕に敵対してきたら……そんな悪夢的な状況に出会ったら、いくらなんでも耐えられない……」

「……………………」

「ああ、想像するだけで苦しいよ。あの天使のようなヴァイオラが、僕に向かって『父様なんか大嫌い! あっちいっちゃえー』とか言ってきたら……冗談抜きで心臓が止まるね。それが洗脳された結果の、意に反する言葉だったとしても、僕のひ弱な心にはナイフのように突き刺さるだろう。そんな事態が起きることだけは、なんとしても避けたい!」

「……いや、セバス……キミね、もうちょっとさ、ジョゼフ王が洗脳したヴァイオラちゃんを使って、ロマリアに働きかけて、私たちに軍隊をけしかけてくるとか、そういった心配の方をだね……まあ、キミが危機感を持ってくれるなら、どっちだってかまやしないけど。

 つまり、ヴァイオラちゃんが処刑されて、ジョゼフ王の手下として復活する前に、救出したいということだろう?」

「いや、だから、それじゃ充分じゃないんだよ。人を殺して復活させて洗脳できる、なんて力を持った奴が、果たしてただ単純に洗脳するだけのことができないのか……って疑問があるんだよ。

 シザーリオ君は、君によって殺されたから、ジョゼフは生き返らせないと洗脳できなかった。死人を動かすために、ジョゼフは強力なエネルギーを注ぎ込まなくちゃいけなくて……そんな大がかりな作業をしたから、我々はシザーリオ君の体内チップを通じて、ジョゼフの死者蘇生の魔法に水の力が関わっていることに気付けた。

 しかし、もしジョゼフが、生きた人間に洗脳を施したなら? 死者蘇生なんかより、よっぽど使用する力の量は少ないだろう。体内チップは精密な素晴らしい機械だが、万能でもない……なあリョウコ君、ヴァイオラが生きたまま洗脳されたとしたら、その魔法の痕跡を、チップのスキャン能力で読み取ることはできると思うかい?」

「ふーむ……」

 リョウコはしばらくの間、まぶたを閉じて考えたが、やがて両手を小さく顔の前で振って答えた。

「残念ながら、間違いなくできる、とは言いがたいね。そもそもあの装置は、擦り傷とか、あまり大きくない怪我は無視するようにできてるんだ。日常でできるような傷が、あっという間に消えてなくなるようじゃ、あまりに不自然だから。

 ただの洗脳となると、怪我もしないわけだし……脳神経に障害を及ぼすほどの大量の水エネルギーが加えられれば、話は別だが……」

「つまり、ヴァイオラを救出できても、洗脳されているかどうかは判定しにくいわけだ。それはよく考えなくても恐ろしいことじゃないかな、リョウコ君。

 手元に帰ってきた可愛い娘が、いつ裏切るとも知れないのでは、僕らは安心して計画を進行できない。この問題は、真っ先に解決しなければ……虚無の使い手たちを抹殺するより、優先して考える必要があるよ」

「ふむ……で、セバス? その問題を、キミはどう解決すればいいと思うんだ?」

「ヴァイオラを殺す」

 一秒も躊躇することなく、セバスティアンは結論を言った。

「あの可愛い子猫ちゃんを一度殺して、ジョゼフの影響を完全にリセットしてから生き返らせる。これは君の死者蘇生能力を当てにしなければ選べない選択肢だ。できるね、リョウコ君?」

「うん、充分可能だ。ガリア訪問より前のヴァイオラちゃんの記録を元に再生すれば、洗脳されていない彼女を間違いなく作り上げられる。

 しかし、ヴァイオラちゃんをただ殺しても、ジョゼフがその死体を復活させてしまったら、ややこしいことにならないか?」

「それも考えてある。ジョゼフに、ヴァイオラの死体を再利用されないように……僕は、ミス・ハイタウンを、アーハンブラ城に差し向けるつもりでいる……」

 寝転がったまま、その名前を口にしたセバスティアンは、ヴァイオラが捕まったことを聞かされた時に匹敵する、憂鬱げな表情を浮かべた。

 聞かされたリョウコも、頭痛でもしたかのように眉間にしわを刻み、額を手のひらで押さえた。そして大きなため息をつく。

「ミス・ハイタウンを? あの『悪魔』の二つ名を持つ彼女に任せると言うの? まあ彼女は強いけど……高い報酬を要求されるんじゃないかね?」

「それでも仕方がない。『スイス・ガード』の中でも最強の破壊力を誇る彼女なら、ヴァイオラを苦痛なく殺し、なおかつ、その死体を髪の毛一本残さず、この世から消滅させてくれるだろう。

 ジョゼフは、水の力で死体を動かしているわけだから……死体さえなければ、ヴァイオラを復活させることはできなくなる……そうだろう?」

 セバスティアンの確認に、リョウコは肯定の返事の代わりに肩をすくめてみせた。

「ともかく、ハイタウンを速やかに動かさなければ。ことは一分一秒を争うからね。リョウコ君、彼女に連絡を……もちろん、ミスタ・フォン・ルーデルにもだ。今夜中にハイタウンをアーハンブラ城に放り込んで、明日の日の出を迎える前にすべてを片付けるように、と命令しなさい。大急ぎで、だよ」

 そう言い終えると、セバスティアンはようやく立ち上がって、大きなあくびをした。命令という仕事を済ませたので、もはや緊張感を維持する必要はないというわけだ。

 リョウコはそんな主に、「はいはい」と気楽に相づちを打って、その場を立ち去った。彼女にとっても、方針が決定した以上は、この問題はすでにひと事であり、気合いを入れるべきは命令を遂行するミス・ハイタウンだという考えだった。

 そして彼らは、『悪魔』と呼ばれる彼女が、完璧に仕事をしてくれるはずだと信頼していた。

 虚無の使い手であるジョゼフ王はもちろん、ガリアという王国自体、ミス・ハイタウンの敵ではない――そのような認識をされている戦力が、西へ西へ、砂漠の果てのアーハンブラ城へ。

 人質の救出ではなく、抹殺という、冷酷なジョゼフでさえ想像もしない任務を携えて――襲い来る。

 まるで、避けようのない砂嵐のように。

 

 

 月明かりで紫色に染まった砂漠を背景に、わびしげに佇む石造りの城塞。

 ガリア最東端の建造物、アーハンブラ城。

 千年もの長きに渡って、人間たちと、砂漠に住むエルフとの戦いを見守ってきた、歴史ある城である。

 今でこそ、固定化の魔法でも維持が困難なほどに古錆びて、戦争の拠点としての機能はほとんど失われてしまったが、それでもエルフに対する人間の抵抗の証として、この場所を慕うハルケギニア人は多い。

 アーハンブラ城。

 それが、年老いた誇り高き城の名前であり、ジョゼフがタバサやヴァイオラを人質として監禁した城の名前であり――今夜限りで、この世から消滅することになる城の名前である。

 

 

 ぱっちりと目を開ける。

 まぶたをしぱしぱ瞬かせて、ゆっくりぐるりを見渡すと、なんか見覚えのない埃っぽい部屋におることがわかった。我の体は革張りのソファに横たえられておって、腹の上にはタオルケットがかけられておる。それはええんじゃが、服がパジャマじゃのうて夜会用のドレスじゃから、あちこちシワになってしもとるのがちょいと頂けぬな。

 あー、どこじゃここ。頭がぼんやりして、色々と明瞭でない。とりあえずひとつずつ確認しよう。我はなしてこんなところで、こんな格好で寝ておる?

 ――あ。そうじゃ。お、思い出した。

 我、あのアホたれジョゼフに、晩餐の席で取っ捕まってしもたんじゃ。

 うちのバカ親父が、ジョゼフを暗殺しようとか企みよって、その仕事を任された間抜けのシザーリオが余計なことペラペラくっちゃべりよったせいで、何も悪くない我が巻き添えで逮捕されてもうたんじゃ!

 で、ロマリアに連絡させろー、とか、弁護士を呼べー、とか騒ぎまくっておったら、メイジの衛兵にスリープ・クラウドかけられて――気がついたらここにおった。

 なんたる非人道的扱い! 我のような高貴な人間を強制的に眠らせ、すやすやしとる間に監禁するとは!

 しかも、置いとく環境もよろしくない。なにこの砂の臭いの濃い廃墟っぽい部屋。照明は壁にかけられたランプだけなんで、薄暗いし陰気じゃ。サヴォイとかリッツのスイートルームとは言わんが、それなりに掃除されて装飾された清潔かつ金のかかった部屋でなければ、我を閉じ込めるにしてもふさわしくなかろう! 寝具もこんな堅いソファじゃなく、天蓋付きのベッドにふかふか羽毛ぶとんを要求するぞ!

 これは次にジョゼフに会ったら、ガツンと文句を言ってやらねばならんな。テーブルマナーでちったぁ感心してやったのに、がっかりさせおって。やっぱあれは無能王じゃ。聖なるヴァイオラ・コンキリエ枢機卿を何じゃと思っとるんじゃ、まったくまったく!

 ――などとひとりで不満をこねくり回しておったら、ランプの明かりの届かない闇の中から、がちゃりと重い音が聞こえた。

 目を凝らしてみると、その音のした場所には扉があり、ドアノブがきりきりと回っているのが見えた。誰かがこの部屋に入ってこようとしておるのじゃ。

 おーしこれはさっそくチャンスじゃ。入ってくるのがジョゼフのタコ野郎か、それともたたの下っぱ衛兵かはわからんが、居丈高にわめき散らして、待遇改善を要求するとともにストレス解消に利用してやる。ハルケギニアには、高位聖職者ほど強く偉いもんはないと、はっきり教え込んでくれるぞ、ゴラーッ!

「起きたか娘。我が名はビダーシャル」

「ごめんなさい文句とか何もありませんので殺すなください」

 耳長アアァァ――いッ! 説明不要ッ!

 その姿を目にした瞬間、我は深くこうべを垂れて、敵対する意思のないことをこれでもかってほどアピールした。

 砂漠に住む亜人、エルフは人間が最も恐れる生き物じゃ。外見的には、ヒトとの違いは耳の長いことぐらいじゃが、何百年もの年月を生き、強力な先住魔法を操り、やたら深い知識や技術を扱う、無駄にハイスペックな連中で、人間がケンカをふっかけるなら、五百倍ぐらいの戦力を用意せんと対等になれんらしい。

 そんな化け物の機嫌を損ねようもんなら、我は一秒で挽き肉じゃ! 教会の威光も、このクソ異教徒どもには通じぬし、命を惜しむなら、ここはへりくだるしかない!

「顔を上げろ、蛮人の娘。我は積極的にお前たちに危害を加えようという気はない」

「へへーっ」

 言われた通り顔を上げる。砂色の長い髪と、彫りの深いなかなかのイケメン顔を持ったこのエルフは、我を優越感も哀れみも敵意もない、完璧な無表情で見下ろしておった。

「ジョゼフから聞いてはいるだろうが、お前はお前の父親の罪によって、しばらくここに監禁される。期間はおそらく、三日ほどになるだろう。その間、なるべく大人しくしているように……今回は、それを言いに来た」

 へ? 三日?

「み、三日で、我は放免して頂けるのですかや?」

「すまない、表現を誤ったようだ。今から約三日で、お前を処刑するための毒薬が完成する。それまで無駄な抵抗をせず、残された時間を覚悟するために使え……そう言いたかったのだ」

 のぎゃ――――――――ッ!?

「我も、お前のような幼い者に、残酷な毒薬を飲ませるのは心苦しい。だが、ジョゼフとの契約を破るわけにはいかない。四の四を揃えさせないために、彼の協力は必要不可欠なのだ。どうか許してほしい」

 許してほしいじゃないわこの耳長ァ!

 チクショウ、なんちゅうこっちゃ、状況は思っとったより千倍悪い。ジョゼフがエルフと協力関係にあったっつーこともヤバいし、我が処刑されることが決定事項になっとるっつーのも激マズい!

 我は、我が捕まったのは、あくまで親父の罪行を謝罪させるための人質として、じゃと思うとった。我を盾にねちねち文句をつけて、バカ親父にごめんなさいさせたら、普通に解放されるもんじゃと思うとったゆえ、ピンチと言うても、悪い評判が立つとか賠償金請求されるとか、そんなレベルの心配をしておったのじゃ。

 ジョゼフの野郎、まさかここまで回りが見えておらんアホ助じゃとは! 我を処刑なんぞしたらどうなるか、ロマリアのブリミル教会を中心とした宗教社会が、あとセブン・シスターズを始めとした世界の資本主義陣営が、ガリアにどういう報復をするか、想像もできんと言うのか!

 それともまさか、それ全部承知だと言うたりはせんじゃろな。世界の大部分を敵に回して、しかも勝てる気でおるなら、こりゃ無能というより完全に狂うておる。

「み、ミスタ・ビダーシャル! どうかジョゼフ陛下にお取り次ぎを! このようなことはガリアのためになりませぬ! 説得の機会を我にお与え下され!」

「お前の気持ちはわかる。その訴えも正当であろう。だが、無駄なことだ。ジョゼフは己の満足にしか興味がない。説得されて考えを翻すようなら、我もそれほど苦労はしていまい」

「……その通り、サイコロはすでに振られたのです。

 誰も後戻りはできません。あとは流れに身をおまかせになるべきですわ、マザー・コンキリエ……ミスタ・ビダーシャル」

 我の声でもビダーシャルの声でもない、第三者の声が、扉の方から響いてきた。

 目を向けると、黒く艶やかな妖女――かつて、我を病室に見舞いに来た、あのおっぱいでかいミス・シェフィールドが、部屋に入ってくるところじゃった。

「ジョゼフ様もすでに退路は絶っておられます。あとは満足を得られるか、滅び去るか。もはや、始祖に仕えるお方のありがたいお言葉も、民の言葉も、金銭的な損得も、あの方を止めることはできません。ええ、絶対にできませんとも」

 暗い笑みで、独り言のように呟きながら、ミス・シェフィールドは我の前まで歩み寄ってきた。よく見ると、その背中には小柄な影がおぶさっておる。彼女は我の座っておるソファの、空いているスペースに、その人影をそっと横たえた。

 すうすうと寝息を立てる、細っこいお人形さんのような青髪の少女。我もよく見知っておる、それはタバサこと、ミス・シャルロットであった。

「マザー。このミス・シャルロットと、あなたはこれから相部屋です。処刑までの間、話し相手として、お互いの気持ちを慰められるとよいでしょう。

 ミスタ・ビダーシャル。手はず通り、ふたり分の毒薬の調合をよろしくお願いしますわ。この可憐なお二方の無惨な死にざまを見ることを、ジョゼフ様はとても楽しみにしておられます」

「……わかっている。わかっているが、やはりエレガントな趣味ではないな」

 シェフィールドの言葉に、渋面を作るビダーシャル。笑顔で我とタバ公の殺害をほのめかすシェフィールドより、化け物なエルフの方がまだしも親近感を覚えるっちゅーのもどうなんじゃろ。

 だが、こいつらどっちも、我らを助ける気がないっちゅーのは変わらんようじゃ。何も頼れん。望めることは何もない。

「……ミス・シェフィールド。我とタバサの命を見逃す気は、欠片もないんじゃな?」

「ええ、マザー。大変申し訳ありませんが、陛下のご意向ですので」

「さよけ。……ならばせめて、我が残りの時間を快適に過ごせるように配慮せい」

「可能なことでありますならば。家具や寝具を提供して欲しい、というようなお望みは聞けませんが、腕のよいシェフを連れてきましたので、お食事はせいぜいよいものを出させて頂きますわ」

 ちっ、ベッドとおふとん駄目か。ならば――。

「ではそうじゃな、まず、話し合いをさせる気がないなら、無駄なおしゃべりなど聞かせんでゆっくり寝させろ。我はまだ寝たりぬ……普段はしっかり八時間睡眠を心がけておるでな。ときに、今は何時じゃ」

「ちょうど、夜中の二時を回ったところですわ」

「ならば、明日の朝十時過ぎまでは起こすでない。朝食は要らぬが、昼は卵とミルクたっぷりのフレンチトーストを用意するよう、シェフに伝えい。

 パンの厚さは四サント以上、ハチミツとホイップクリームを添えること。トマトとバジルを使ったサラダも欲しい。あと、ドリンクはクックベリーかオレンジのフレッシュジュースにするんじゃ」

「かしこまりました。必ず伝えましょう。他にご要望は?」

「我の従者が、シザーリアがどうしておるか知りたい。奴に塁は及んでおるまいな?」

「ご安心を。ジョゼフ様のご関心は、あなた様にのみございます。あのメイドさんは、ロマリアにお帰り願いましたわ」

「さよけ。……安心した。我から望むことはもう特にない」

「では、マザー・コンキリエ……どうぞよき眠りをお楽しみ下さいませ」

 そう言って皮肉げにお辞儀をすると、ミス・シェフィールドはきびすを返し、部屋を出ていった。

 エルフのビダーシャルは、シェフィールドの後ろ姿を忌々しげに見送っていたが、こちらも「さらばだ」といって立ち去りかけた。が、途中で何を思ったか、我の前まで戻ってきて、懐から古びた一冊の本を出し、差し出してきよった。

「これを渡しておく。我が蛮人の文化の中で、とりわけ興味深いと思えたもの、物語と呼ばれるものだ。

 死に直面した者が、恐怖に押し潰されないためには、勇気が必要だとそれには書いてあった……非常に含蓄のある内容だ。

 お前と、そちらで眠っているミス・シャルロットには、きっとそういった、励まされる言葉が必要だろう。心細くなったなら、読むといい」

「……礼は言わぬぞ。だが、ご厚意は受け取っておく」

 我がその本を手に取ると、ビダーシャルは小さく頷いて、今度こそ部屋を出ていった。

 重く堅いであろう扉は閉ざされ、がじゃん、と、外から錠のかけられる音が聞こえた――我は完全に閉じ込められ、すぴょすぴょ眠るお気楽極楽タバサさんとふたりきりになってしもた。

 ビダーシャルから受け取った本を、なんとなしに見てみる。タイトルは『イーヴァルディの勇者』。なんじゃ、めっちゃ子供向けの絵本でないか。エルフっちゅーのはこんなガキ臭いもんが好きなんか?

 まあ確かに、勇気づけられるタイプの物語ではあるが。じゃが我に、こんなもんは要らんのじゃよ、アホエルフよ。

 その本をタバサの腹の上にぽーいと放り出して、我は立ち上がる。勇気なんぞ、最初っからたっぷり持っておるわ。天下のコンキリエ枢機卿様をナメるなよ。

 一応、あのシェフィールドから、明日の朝十時までの時間は引き出した。それまではたぶん、奴らは我を放っておいてくれる。

 じゃから、その間に考えるのじゃ、我よ――この場所から、うまいこと逃げ出す方法を。

 

 

 砂の臭いがする薄暗がりの中で、私は目を覚ました。

 ぼんやりした眠気を振り払うように頭を軽く振って、身を起こす。体の下には、弾力のあるすべすべとした感触。どうやら、革張りのソファに寝かされているらしい。

 起きた拍子に、何かかがばさりと床に落ちる音がした。軽く平べったいものが、お腹の上に乗せられていたらしい。

 どうやら、薄い冊子のようだ。拾い上げてみると、それは懐かしき『イーヴァルディの勇者』の絵本だった。ハルケギニアの子供たちに広く親しまれている、冒険物語――何でこんなものが?

 かさかさとしたその表紙を、指の腹で撫でて、私はため息をついた。このお話、母様にも寝物語に読んでもらったこともある、大好きな物語――勇敢な主人公イーヴァルディのあり方に憧れを抱き、彼のように不屈の精神を持って、強大な敵に立ち向かおうと、今日まで頑張ってきた私だけれど――現実は物語とは違う。私は敵を倒せず、もうすぐ朽ち果てる運命にある。

 ジョゼフから直々に下された命令。ミス・ヴァリエールと、その使い魔サイトを拉致するという任務を、果たすことができなかった。

 戦闘には自信があった。ミス・ヴァリエールは戦いに向いていないし、サイトは強いけれど、心に甘いところがある。実力行使になったなら、間違いなく勝てると思っていた。

 しかし、実際には違った。甘さから実力を発揮できなかったのは私の方で、向こうは――特にサイトは――ミス・ヴァリエールを守ろうという強い意思で力を増し、私を圧倒した。

 敗北した私は、ミス・シェフィールドに回収され、ジョゼフの前に引き出された。

 ジョゼフはこの失敗を理由に、死刑を宣告してきた。諦めきれない私は、せめて一矢を報いようと、彼に挑みかかったが、ジョゼフのそばにいたエルフの先住魔法によって、赤子の手をひねるように撃退された。

 どれほど強力な魔法でも、そのままの威力で反射してしまうなんて。あんな恐るべき使い手に守られているジョゼフを、いったいどうやれば倒せるというのか。

 倒れ臥した私に、ジョゼフはアーハンブラ城で服毒してもらうと言った。エルフが毒を作るまで、砂漠の城の牢獄に監禁し、世にも寂しい場所で最期を迎えさせてやる――のだ、そうだ。毒を飲む瞬間まで立ち会って、苦しみながら死に至るのを見物する、とも言っていた。やはりあの男は悪趣味。

 その宣告の直後に気絶したので、あれから何が起きたのかはわからないが、あの話の流れと、この場所の砂の香り――私は意識のない間に、アーハンブラ城へ移送されたのだろう。

 手元に杖はない。身に付けているのは、トリステイン魔法学院の制服とマントだけ。そしておそらくここは、脱出困難な牢獄のはず。

 攻撃のための武器も、行動の自由も奪われた今、ジョゼフを倒せる可能性も完璧に失われた。

 あとに待つのは、逃れられない死、だ。最後に未来を奪われて、それでジ・エンド。

 勇者には、誰でもがなれるわけじゃない。そんなことはわかってる。でも、私はなれると信じていた。

 力も勇気もあるつもりだ。イーヴァルディは、悪い竜にさらわれたルーを助けたい、という思いの力を持っていたけれど、私の、父の仇を討ちたい、病んだ母を助けたい、という気持ちだって、それに負けていなかったはずだ。

 でも私は、ジョゼフに勝てなかった。

 返り討ちに遭い、あっさり死んでいく――ことになった。

 しょせん私には、勇者の役どころなど向いていなかった、ということだろう。

 すべては終わった。憎しみも執着も誓いも、楽しかった思い出も、これまでの苦労も、私のすべては踏みつけられ、無意味の烙印を押された。あとにはもはや、むなしさが残るのみだ。

 どうしようもないと悟ると、かえって清々しいような、重荷を下ろしたような気分になるから不思議だ。私は案外、諦めがいいのだろうか?

 ――ただ、私の死んだあとのことは、少しだけ気になる。

 母様はどうなるだろう。ペルスランは? 私に対しての人質として生かされているであろうあの人たちは、私が死んでも生きていることを許されるだろうか?

 友達は――キュルケは、私がいなくなったことを悲しむだろうか? ミス・ヴァリエールやサイトは? あのふたりには迷惑をかけたから、悲しんで欲しいなどと図々しいことは言えない。

 イザベラはどうだろう。昔と違い、今は彼女と通じあっている、という実感がある。もしジョゼフが、イザベラを処刑すると私に言ったなら、私はきっと死に物狂いでこれを阻止しようとするだろう。イザベラの場合は? 悲しんで欲しくはないし、不用意な行動をとってもらいたいとも思わない。でも、彼女はカッとしやすい性格だから――どうだろう――。

 それと、そうだ。あの小さなヴァイオラは?

 ロマリアから来た、可愛い枢機卿。私が気安く頭を撫でることのできる、妹のような彼女。イザベラと私の、落ちた吊り橋を直してくれた、奇跡を起こすあの少女は?

 いや、彼女はきっと、私の死など知らされることはないだろう。普通にロマリアに帰って、それっきり――。

「……うーむ、やっぱ扉は頑丈そうじゃな。鍵穴もありゃせんし、こっちからの脱出は考えん方がええようじゃ」

 ――なぜか薄暗がりの中から、そのヴァイオラがよちよちと現れた。

 紫色の髪を結い上げて、ダイヤモンドらしき宝石のついた髪飾りでとめている。着ているのはひらひらとした大人っぽいパーティードレスで、子供が無理して背伸びしてる感があって、なんとも愛らしい。

「窓は……大きさは悪くないが、鉄格子が嵌まっとるのう……あ、でも、表面にうっすらとさびが浮いとるから、固定化の魔法はかかってないか、年月が経ち過ぎてほとんど解けかけておるようじゃな。だとしたらいけるか……?

 窓の外は……うーん、地面までけっこう高さがあるのう。十メイルぐらいあるか? 鉄格子を破れても、そのまま飛び降りたら死ぬな……」

 ぶつぶつ呟きながら、壁沿いに回り込むように、部屋の中を歩いている。あっちを見たりこっちを覗き込んだり、何かを調べているようだ。

「ランプは……おっと、ありがたい、この臭いは獣脂じゃな。傾けた時の流れ方がゆっくりじゃから、粘性もそこそこあるようじゃ。あとは適当なヒモがあれば……」

「ヴァイオラ」

 私が声をかけると、彼女は「のぎゃあ」と叫んで飛び上がった。

「な、ななななんじゃ、今の生命力の欠片もない陰気かつ情けない感じの声は――……って、タバサ、お前か。目を覚ましたんか……いきなり名を呼ばれたから、てっきり牢獄に潜む、出会ったら死ぬ系の幽霊かと思うたぞ」

「さりげなくひどい言い方をしちゃだめ。お姉ちゃん傷つく」

 ヴァイオラはおそるおそるこちらを振り向いて、手に持ったランプを、互いを照らすように持ち上げた。その表情は、安堵しているようにも、固く引きつっているようにも見える。

 安堵の様子は、声をかけた私が幽霊でないとわかったからだろうが、緊張の様子は――彼女も、何らかの危機感を覚えている?

「そもそもなぜ、ヴァイオラが私と同じ部屋に? ここは牢屋ではないの? 外国からの賓客を、鉄格子つきの部屋に閉じ込めるなど、普通に国際問題のはず」

「そ、それじゃよタバサ! あの王様は何なんじゃ、ちいとも話が通じんぞ!

 いや、原因はまあわからんでもないんじゃ。ジョゼフ陛下と、我の親父の間に、トラブルがあったみたいでの。親父が陛下にちょっかい出したんで、その意趣返しに我を拘束して、親父に謝罪を要求する……っつー筋書きじゃったようなんじゃが、さっき話聞いたら、いつの間にか、我は処刑されることになっておった」

「っ……!?」

「何がどうしてそうなるのか、理屈の過程がわからん。しかも、処刑用の毒を作るために、エルフなんぞとつるんでおった。ふたり分の毒を、これから三日で作るとか……あ、そうじゃった、お前を連れてきたミス・シェフィールドとかいうおっぱい、あいつの口ぶりからすると、お前もまた処刑対象のようじゃぞ! 何せ毒はふたり分なんじゃからな、ふたり分!」

「……………………」

「早いこと逃げ出さんと、我らまとめて殺されてしまう。なぁタバサよ、力を貸せ。ふたりでここを逃げ出すんじゃ。破牢して、ジョゼフの手の届かんところへ身を隠すんじゃ!」

「……駄目。そんなことは不可能」

 私は体から力を抜いて、ソファに身を沈めた。

 ヴァイオラの死にたくないという気持ちはよくわかるけれど、現実を見れば破牢なんか不可能だってわかる。硬い石壁。厚く重い扉。鉄格子の嵌まった高い窓。そして私たちはどちらも非力。

「魔法を操るために必要な杖も奪われている。この状況では、ふたりでどれだけ力を合わせても、脱出なんかできない」

「……魔法がなければ、無理じゃと言うか」

「無理。やってみないとわからない、という問題ですらない。

 魔法が使えれば、石壁を破壊できるかもしれない。扉も鉄格子も、エア・ハンマーやエア・カッターで楽に破れる。窓の外が十メイルの高さでも、フライで飛んで逃げられる。

 でも、魔法がないと、どれもこれも突破不可能。今の私たちは、本当に子供並みの能力しか持ってない。鉄格子を曲げようとして、手の皮を擦りむくのが関の山。

 まだしも、外からの助けを待つ方が希望がある。ジョゼフが、あなたのお父様に抗議をしているというなら、その方面から救助の手があっても不思議ではない。

 もうひとつ、あなたのメイドの……ミス・シザーリア? 彼女が捕まっていないなら、ロマリアに救援要請をしてくれているかもしれない。うまく訴えが届いて、教皇聖下がジョゼフに働きかけてくれれば……あなたはたぶん、助かる」

 そう。ヴァイオラはいろんな人と関わりがあり、必要とされている枢機卿。助けてくれるイーヴァルディは、きっと、いっぱいいる。

 私は――どうだろう。私がルーだとして、助けに来てくれるイーヴァルディはいるだろうか?

 一瞬、サイトとキュルケ、そしてイザベラの顔が脳裏をよぎった。

 無理がある。サイトはミス・ヴァリエールにとってのイーヴァルディだ。助けに来てくれるはずがない。キュルケは、今回のことを知らないだろうし、イザベラはイザベラで、王女としての立場がある。彼女がもし動くなら、今までの自分を捨てるくらいの、すさまじい覚悟を必要とするだろう。

 あのおしゃべりなシルフィードは? 私がいなくなって混乱しているだろうか? 使い魔の絆で、彼女とは見ているものを共有したり、心で会話をしたりすることができるが、そのためのラインはあえて切ってある。死の瞬間を、あの純粋な心を持った幼い竜には見せたくないのだ。だいたいの位置ぐらいは把握しているだろうが、単純なあの子に、私を救いに来られるとは思えない。

 やはり私はここで朽ちる。助けが来るとすれば――それはきっと、本当に物語のような、あり得ない奇跡が起きた時、だけ。

 うつむく私。静かな諦感は、絶望をわずかではあるが和らげてくれる。

 根拠のない絶望は、それが破れた時、より大きな絶望を生むものだ。それよりは、この目の前の薄暗がりのような、柔らかい諦めの中に身を浸して、穏やかに最後の瞬間を迎えたい。

「はぁー……おい、タバサ、このちびっこのタバサや」

 そんな私の隣に、ヴァイオラが座る。彼女の方が断然ちびっこのはずなので、今すぐにでも訂正を要求したいが、さすがにそんな空気ではない。

「お前は頭のいい奴だと思っておったのじゃがな。我の見る目って、案外ハエの目玉以下じゃったか?

 よう聞け間抜け。我はお前に知恵を貸せとは言うとらん。力を貸せ、っちゅーたんじゃ……我がこの牢屋を破る、言うたら、それはもうやることが決まっとるんじゃ。諦めるのは勝手じゃが、お前の都合で我の行動を邪魔することは許さん」

「……でも、無理なことをやるのは、労力を消費するだけ」

「何が無理じゃ。話を聞け……この程度のボロボロ牢なら、魔法なんかナシでもやっつけられるわい」

 その言葉に、私は顔を上げる。驚きの気持ちからではなく、疑いと――あるいは、興味から。

「不可能。さっき言った」

「できる。タバサ、頭を使え。あの能無しの間抜けのジョゼフ王のことを考えろ。

 あいつは人間的にクソじゃが、ひとつだけ評価できるところがある。魔法がちーとも使えんくせに、知恵と工夫で国をそこそこにまとめとるっちゅー点じゃ。魔法ナシでも、困難には立ち向かえることは、奴が証明しておる……お前、あいつのできることができんで、悔しくないんか」

「……それとこれとは、話が違……」

「違わん。お前は現実を見る目を持っとるな、タバサ? じゃがそれだけでは、頭のいい奴とは言えんのじゃ。駄目なところ見つけるくらい、七つのガキんちょでもできるわ。

 本当に頭のいい奴っつーのはな、現実を見て、まともにやったら突破できない問題点を見つけ出すことができて……それに対する解決策を考え出すことができて……最後に、その解決策を実際に実行して、ブレイクスルーを実現させられる奴のことを言うんじゃよ。

 最初のふたつまでは、わりと難しくない。最後のひとつができるかどうかが、凡人と天才の間を区切る深い溝じゃ。

 我を凡人で終わらせるっつーなら、そこでぼんやりしておれ。我はひとりでも、自分ができる子じゃと証明してみせるぞ。助けがあった方が、それが楽というだけのことじゃしな……」

 ぎしり、と、ソファのスプリングが鳴る。ヴァイオラが挑むように、私の顔を覗き込んでくる。挑むように。

 その容姿は愛らしい子供そのもの。でも、その瞳の奥に潜んでいるのは、虎や竜を思わせる、意思のエネルギー。

 彼女が世間ですごいと言われているのは、きっとこれがあるからなのだ。ただ頭がよくて、慈愛に満ちているから、だけじゃないのだ。

 やる時はやる子だから。

 あの『孤独』の暗殺者との戦闘の時に、彼女の心の強さは、理解したつもりだったけど――。

 私という頼りないお姉ちゃんは、妹の強さに降参するしかなかった。手の中の絵本に視線を投げて、ぽつりと呟く。

「……私は、イーヴァルディにも、ルーにもなれない」

「ん? なんじゃって?」

「何でもない。私もあがく、と決めただけ。

 ヴァイオラ、あなたはここから出るための、具体的な計画を持っているの?」

「持っとる。うまくいくかは始祖の思し召し次第じゃが、やらんと死ぬ」

「なら、やる。私は何をすればいい? 指示が欲しい」

 私の世界は、『イーヴァルディの勇者』の冊子の中じゃない。絵本をソファの肘掛けに、立て掛けるように置いて――私はそれを、手放した。

 ヴァイオラは私の言葉に、満足そうに頷き、聖職者が信徒に祝福を与える時にするように、指先でそっと頬に触れてきた。

「よっしゃ、これでお前と我は運命共同体じゃ。ちと綱渡りじみたことをするが、途中でビビってやっぱやめました、とかは言うでないぞ。

 破牢のためにやらにゃならんことはたくさんあるが、手際よくやれば、夜明けまでにはなんとかできるじゃろ。

 おっと、こうくっちゃべっとる時間も惜しいんじゃった、いかんいかん。……お前への指示じゃったな、まずは、そう……」

 まずは?

「服を脱げ」

 えっ。

 

 

 薄暗いランプの明かりの中で、我とタバサはこっそりと脱獄を開始した。

 まずはふたりとも、服を脱いで裸になる。裸っつーても、さすがにシュミーズとショーツだけは残しておくがな。女同士ではあるが、風呂場でもないのに完全なすっぽんぽんで顔付き合わすっつーのは、その、気恥ずかしいもんがある。

 で、脱いだ服を細く裂いて、編み込んだり結び合わせたりして、長いロープを作る。

 この部屋ってば広いくせに調度に乏しく、ロープに加工できそうなのが、我の体にかけられておったタオルケットと、我々の衣服ぐらいしかなかった。せめてカーテンとか、布張りの椅子とかあれば、寒い思いはせずに済んだのじゃが、無い物ねだりをしても仕方がない(革張りのソファを裂いてロープにできんかと考えもしたが、硬過ぎてちと無理じゃった)。

 タオルケットと、タバサのマントが特に良い材料になってくれた。でもやはり長さが足りぬ。我のひらひらワンピースドレスも、タバサのミニスカートやブラウスも犠牲にして、やっと長さ十メイル程度のロープができあがった。

 ふっふっふ、これを使えば、窓の外の高さなど恐るるに足らん。ロープをつたって下まで降りれば、城の外までは駆け足でなんとかなろう。

 ん? 高さを克服しても、窓には鉄格子が嵌まっているから、結局そこから出ることはできないだろう、じゃと?

 案ずるでない、そこもちゃんと考えておる。

 鉄格子破りには、このダイヤモンドの髪飾りを使う。千エキューもする、大粒で高品質のダイヤがついた、すごい上等な品じゃぞ。

 こいつを、ちともったいないが――タバサや、ちとこのソファを持ち上げるのを手伝うてくれ――そうそう、そしてソファの脚の下にじゃな、ダイヤの髪飾りを置いて――どーん!

 あわれ、重いソファの下敷きになって、ダイヤモンドは砕け散り、キラキラした細かい破片になり果てた。

 次は、タバサ、お前の制服の紐ネクタイあったじゃろ? あれをよこせ。

 あえてロープに組み込まず残しておいた、この適度に長くて細っこい紐を、ランプの油に浸して、と。

 ねっとりした獣脂をたっぷりまとった紐に、さっき作ったダイヤの粉末をまぶせば――てーってれってれー、紐やすりの完成じゃー!

 こいつを鉄格子にひっかけて、前後に滑らせるようにこすりつけると――ほれほれ耳をすまして聞け、ごーりごーりごーりごーりという、鉄格子の削れる気持ちのいい音がしてくるじゃろう?

 こうして根気よく削り続けていけば、所詮は錆の浮くような軟弱な鉄格子じゃ、そう遠くないうちにスパッと切り落とせてしまうであろうぞ。

 ごーりごーりごーりごーり、ごーりごーりごーりごーり。

 ――疲れた。タバサ、残りはお前に任せるぞー。

「わかった。貸して」

 紐やすりをタバサに渡し、我は疲労を回復すべくベッドに横になる。

「たぶん格子を二本も切れば、我らが外に出るための隙間はできるじゃろ。まだ夜明けまでには数時間はあろうが、速やかに、最低限の本数を切り落とすのじゃよー?」

「了解。……このやすり、とてもよく切れる。もう三分の一ぐらい切れ込みが入った。

 こんな道具の作り方、どこで学んだの? 魔法学院や、宗教庁で教えてもらえることとは、思えない」

「ちょっと前に、大手宝飾工房の視察に行った時にな、職人が教えてくれたんじゃ。

 宝石ってのは、金属より硬いもんがザラらしくての。宝石としては使えんクズダイヤで作ったカッターだとか、それみたいなダイヤの粉末で研磨して、お店に並んどるようなキラキラした宝石らしい宝石に加工するんだそうじゃ。

 宝石も切れるやすりなら、もちろん鉄だってざっくりイケるに決まっとる。覚えておいてよかったわい、まさか、こんなところで役に立つとは、思いもせなんだがな」

 平民は嫌いじゃが、ああいう仕事に誇りを持っておる職人どもは、一目置くに値する。カネになるし、こうしてたまには命の危機を助ける役に立ってくれたりするからの。

「あ、そうじゃ、鉄格子削りながら、窓の外もよく見といてくれ。城じゃから、巡回の衛兵がおるはずじゃ。

 その窓の下を衛兵が通る間隔が知りたい。何分おきに一回とか、ある程度の規則性があるはずじゃ。せっかく窓から脱出しても、衛兵にすぐ出くわしましたじゃ話にならん」

「ん」

 真面目で返事も短い。あー、このタバサお姉ちゃんはコキ使いやすい、ひっじょーにいい部下じゃー。

 シザーリアもその種類の、すごいありがたい部下ではあるが、あいつはけっこう余計なことするからのぅ。我がサボったりミスったりしたら、お尻ペンペンとかしてくるし。完全無欠に甘やかされたい我としては、タバサの無機質な感じはすごいやりやすい。

 こいつが手の疲れも気にせず頑張ってくれれば、夜明けまでには間違いなくこの部屋を脱出できるはずじゃ。城から出て、街に潜り込めたら、ブリミル教会に身を潜める。そこからロマリアに連絡を取って、ジョゼフ王の横暴をチクる――いやいや、それだと親父のことも明るみに出て、我の立場が悪くなるな。カネで雇える暗殺者を何人か雇って、ピンポイントであのアホ王を暗殺せしめて、最初から何もなかったことにする、っつーのが最良じゃろか?

 まあええ、ゆっくり考えるのは、ここを出てからにしよう。

 鉄格子が切れたら、ロープをつたって壁面を降りたり、街に駆け込んだりと忙しい。今のうちにゆっくり休んで、体力を温存しとこう、そうしよう。

 

 ――ズ、ズン――。

 

 ん?

「なあタバサ、今どっかで、変な音がせんかったか」

「……した。大砲みたいな音。

 でも、近くじゃない。この城の敷地内だとしても、全然別の翼だと思う」

「さよけ。風メイジのお前が言うなら、間違いはあるまい」

 おおかた、新米の砲兵が大砲の整備をミスりでもしたんじゃろ。

 近くで起きた事故ならば、我らの企みがバレやせんかとひやひやせねばなるまいが、遠くならば完全に対岸の火事じゃ。捨て置こう。

「我は少し寝るでな。鉄格子が切れたら起こしておくれ」

「わかった。お姉ちゃん、頑張るから」

 あーはいはい頑張ってくれ。今回のピンチを無事に切り抜けたら、ご褒美に妹ぶりっこして甘えまくってやってもいいぞ。

 ふあ、ねむ。

 すぴー。

 

 

 ヴァイオラたちが脱獄をはかり始めた頃、アーハンブラ城の中庭に停泊した、一隻の立派な船――祝福級駆逐艦『ルイ・カペー』の艦橋において、三人の男女が密かな話し合いの場を設けていた。

 その三人とは、即ち、ガリア王ジョゼフと、その使い魔であり忠臣でもあるシェフィールド、そして、彼らによって新しい生命を与えられたもと『スイス・ガード』、シザーリオ・パッケリである。ジョゼフは、機嫌良さそうにワインの満ちたグラスを傾け、シェフィールドはクリスタルのデカンタを手に、主のグラスに酌をしている。シザーリオは好物のリンゴを与えられ、壁際に立ったまま、瑞々しいそれにかぶりついていた。

「明日には世界が目まぐるしく動き始めるな、我がミューズよ。こうして酒をのんびり楽しめるのも、今夜限りかも知れん。ボルドーの五百年もの、伝説級の赤ワインは、こういう時のために取っておいたのだ。ミューズ、シザーリオ、お前らも少し味見をするがいい」

「はい、ご相伴にあずからせて頂きます。シザーリオ、あなたもいらっしゃいな」

「あー、申し訳ねえっす。オイラ、酒飲めねえんすよ。このリンゴで充分ですんで、おふたりとも遠慮なく干しちゃって下さいな」

「なんだ、つまらん奴だな。まあ無理強いはせんよ……ところでシザーリオ。ミスタ・セバスティアンに、俺の言葉はちゃんと伝えてくれただろうな?」

「ええ、ここに着く前、船が空飛んでる間にね。

 このクリスタル・タブレットなら、何千リーグも離れてる東方にだって、まるで目の前にいるみたいに話しかけられるんでさ」

 胸ポケットから、手のひらサイズのクリスタル板を取り出すシザーリオ。そのちっぽけな宝石を、ジョゼフもシェフィールドも、興味深げに見つめた。

「うむ、それならいい。……しかし、その道具はいったい何なのだろうな。俺も、遠方の相手と会話できる人形のマジック・アイテムを持っているが、それはあくまでふたつでひとつだ。お互いの人形同士でしか、声のやり取りはできない。

 しかしそのタブレットは、三つも四つも端末があり、相手を選択して通話ができ、さらには音声や風景の記録、文字の送受信など、いくつもの作業をこなせるマルチ・ツールであるという。

 俺は珍しいものが好きだ。世界中の珍品や珍芸を見る機会は多くあったし、エルフを通じて異文化の産物を集めたりもしている。しかし、このような複雑で高機能な道具は、見たことがない」

「その道具の来歴も気にはなりますが、ジョゼフ様。私はあれが、マジック・アイテムではない、というところに、興味を覚えますわ。

 もしマジック・アイテムの一種であれば、ミョズニトニルンである私が触った瞬間に、その全貌が理解できたはずですのに……機構を動かすために、内部に風石や土石を仕込んでいることは、触ってみてわかりましたが、それ以外はどういう仕組みになっているのか、少しもわかりません。精密道具の極致と言われる、トゥールビヨン式ぜんまい時計を遥かにしのぐ、緻密な構造が詰まっているのです。

 東方の技術なのでしょうか? どのような天才職人が、どれほどの時間と労力をかけて、あれを組み立てたのでしょうか? セバスティアン氏は、あんな貴重品を、どこで手に入れたのでしょう……」

「んー、オイラはちょっと知りませんね。今まで考えたこともなかったっす。

 ミス・リョウコが――セバスティアン様の秘書さんですが――俺にくれて、使い方を教えてくれたんすよ。なくしたら新しいのあげるから、すぐに報告しなさいとか言ってたから、そんなお高いもんとは思ってなかったんすけどねえ」

 シザーリオのそんな言葉に、シェフィールドはあきれたように肩をすくめた。彼の持つタブレットは、最高水準の知能と技術と投資の賜物であることは確実なのだ。簡単に取り替えのきくようなものであるはずがない。

 そう思ったのはジョゼフも同じのようで、下唇をつき出して、しばし無言で思索にふけった。

「……もし、セバスティアンと生きて再会することがあったら、ぜひ尋ねてみたい問題だな。俺と奴、両方が生き残る可能性など、ほとんどゼロに近いものだろうが」

「そんなことは仰らないで下さいませ、ジョゼフ様! このシェフィールド、命に代えても、あなた様をお守りいたします!」

「うむ、頼りにしている。

 だが、お前の他にも、我々のための戦力はあるはずだ。そうだろう?」

「もちろんです。このシザーリオや、今は城内で毒薬の製造に集中しているビダーシャル卿も、いざ敵が攻めてくれば、即座に迎撃にあたってくれる約束になっていますわ。

 サン・マロン港からは両用艦隊(バイラテラル・フロッテ)九十隻が向かっております。その中には、かのレキシントン号に搭載されたのと同じ、私の監修した長距離砲を積んだ特殊艦も五隻あります。

 城内には、オーク鬼に匹敵する戦闘能力を持つ強襲型ガーゴイルが二百八十体。マジック・アイテム・センサーを採用したトラップが八百八十五ヵ所。さらに、もともとこの城に詰めていたミスコール男爵の警護兵団を加えれば……この城を攻め落とせる軍隊など、このハルケギニアのどこにも存在しません!」

「見事だ。良きパートナーを持って、俺は幸せだぞ。

 これで、ロマリアやトリステインを挑発するのに、何の憂いもなくなったというわけだ。

 明日、それぞれの国から抗議の使者がやって来るだろう……それに会うのが、今から楽しみだ。ふっふっふ」

 アルコールでやや潤んできた目を、しぱしぱと瞬かせながら、ジョゼフは笑った。

「……ふう、少し飲み過ぎたかも知れんな。少しばかり、城の中を散歩してくるとしよう」

「ではジョゼフ様、私もお供を――」

「いや、酔い醒ましは独りの方がいい。我がミューズよ、お前は先に休んでいるがいい」

 立ち上がり、軽く背伸びをして、ジョゼフは艦橋を出ていった。

 王の姿が見えなくなると、シェフィールドとシザーリオのふたりは、しばらく所在なさげに艦橋に留まっていたが、やがてリンゴを食べ終えたシザーリオが、あくびをしてこう言った。

「王様、結構酔ってたっすねえ。ちゃんと部屋まで帰れるんすかね?

 姐さんのトラップに引っ掛かってオダブツとか、間抜けなことにならなきゃいいですけど」

「バカな心配はしなくていいわよ。私の作った装置に抜かりはないわ……私やジョゼフ様、ガーゴイル、城の衛兵みたいな、特定の対象には反応しないように設定してあるから。かかるのはあくまで、外部からの敵だけ」

「ああ、なら大丈夫っすね。それとエルフさんと、両用艦隊でしたっけ。それだけありゃ、さすがにセバスティアン様も攻めあぐねると思いますよ」

「フフ、当然よ。ガリアの軍事力に、虚無の使い魔、そしてエルフという、この世の力の代名詞が集まって、このアーハンブラ城を守護するのだから。

 どの国の軍が最初に、ここに攻め込んでくるにせよ、そいつらは驚きに目を見開くことでしょうね。明日の朝は見ものよ、シザーリオ。あと三時間もすれば、両用艦隊の大群が到着して、この城の上空を埋め尽くすことになる。それこそ、タルブ上空戦を越える密度の空戦力を前に、果たして敵は戦意を維持できるのかしら……」

「え、あの、ちょ、待って下さいよ、姐さん」

 シザーリオは突然顔を青ざめさせて、シェフィールドの言葉を遮った。

「あの、確認したいんすけど……両用艦隊、まだ到着して、ないんすか?

 それ、こちら側の主力っすよね? それの到着が、あと三時間……?」

「ええ、それがどうかしたの? サン・マロンからここまでは遠いし、連絡と編制にも時間はかかるでしょうから、妥当な時間のはずよ」

「じ、じゃあ、その前に敵が攻めてきたら、かなり低い戦力で対応しなくちゃならないわけで?」

「まあ、数万規模の軍隊相手にはキツいかも知れないけどね。でも、そんなことはあり得ないでしょう。ロマリアにせよトリステインにせよ、どんなに早くても侵攻が始まるとしたら、明日の夕方か深夜以降のはずだし」

「いえ、そっちはいいんすよ。問題はセバスティアン様の方で。オイラ、もうあの人に、連絡しちまったんすよ? そんでもう二時間ぐらいは経ってる……東方から刺客が送り込まれてくるとしたら、もうそろそろ来てもおかしくないくらいで……」

「はあ? 何言ってるの。東方からここまで、何千リーグ離れてると思ってるのよ。

 あなたのもと雇い主の勢力なんて、来るとしても一番最後になるはず……」

 ――ぴぴるぴぴるぴぃ、ぴぴるぴぴるぴぃ。

 突如として、シザーリオの手の中で鳴り出す、奇怪な音楽。

 シザーリオは、それがクリスタル・タブレットの着信音だと気付いた。反射的に画面を確かめると――やはりそこには、『着信』の表示が、大きく浮かび上がっている。

 しかし、彼は首を傾げた。それだけなら普通に、通話が求められているということを意味するのだが、画面にはさらに、『位置情報送信中』という文字も並んでいたのだ。これはシザーリオも見たことのないものだった。

 十秒ほど、彼は通話要求を受けずに、じっとタブレットを見つめていたが、やがて画面が勝手に『通話中』に切り替わり、若い女の声が、そこからこぼれ出した。

 

『見つけた』

 

 ――その直後。駆逐艦『ルイ・カペー』の艦橋を、激しい爆発が襲った――。




そして3へ続く。

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