■
砂漠と月は、とても絵になる組み合わせだ。
そこに美しい女性が加われば、さらに良い。
真夜中のアーハンブラ城。紫色の月光に照らされる砂漠を臨む、情緒豊かなこの城に、突然の訪問客があった。
その客は――彼女は、正門を堂々と訪ねてきた。もちろんそこにはかがり火が焚かれ、門番がおり、巡回の警備兵が集まる詰所もあった。城壁は高く、門もゴーレムを使って開け閉めするタイプの、厚く巨大なものだ。外敵にとっては、忍び込むには賑やか過ぎるし、力ずくで攻め込むには堅牢過ぎる、厄介な場所である。
しかしそれでも、その敵はあえて、真正面から押し通ることを選んだ。
最初にその人物を発見したのは、門番に立っていた若い兵士だった。いや、発見した、という表現は正しくない。向こうから彼に話しかけてきたのだから、むしろ接触、というべきだろう。
綺麗な女性だった。年の頃は二十代半ばぐらい。栗色の長い髪を、頭の右側でサイド・ポニーテールにしている。丸顔で、目もくりくりとしていて、やや幼く見える。
身につけているのは、空軍の軍服を思わせるセーラージャケットとロングスカートだ。上下ともに白で統一していて、しみひとつない。手には、ルビーらしき赤い宝石のついた、いかにも高価そうな杖を携えている――そして肩には、おそらく使い魔だろう、猫のような、いたちのような、白い毛皮と赤い目を持つ小動物を乗せていた。
そのきちんとした装いと、余裕のある態度は立派なもので、とても邪悪な企みを持つ人物には見えなかった――少なくとも門番の青年は、彼女を名のある貴族であろうと思い込んだ。
女性は門番の前まで悠然と歩み寄ってくると、にっこりと魅力的な笑顔を浮かべて、こう言った。
「お勤めご苦労様。ちょっと中に用事があるから、入らせてもらうね」
門番は少し戸惑ったが、失礼のないように敬礼をして、決められた手順に従って、その来客に応対した。
「はっ。入城をご希望ですね?
現在、当城は厳戒態勢にあります。入城可能かどうか、責任者のミスコール男爵に連絡して確かめますので、まずはお名前とご用件をお聞かせ願えますか?」
「名前? ハイタウン。グレイプ・ハイタウンだよ。
用事はね……ふふふ、『悪いこと』しに来たんだ。だから、取り次ぎなんか要らないよ。私はただ、通るだけ」
穏やかに言いながら、彼女は――ハイタウンは杖を掲げ、その先端を門番の顔に、真っ正面から向けてきた。
一瞬で、彼の全身が粟立つ。女の行為、それは魔法攻撃の前兆に他ならない。反射的に後ろに飛び退き、彼自身も杖を抜きながら、喉が割れんばかりの大声で叫ぶ。
「敵襲、敵襲ーッ! 総員、迎撃態勢を取れーッ!」
その声を受けて、十人の警備兵が門の前に駆け寄ってくる。空からは、翼を備えたガーゴイルも舞い降りてきた。よく訓練された、迅速な対応である。ハイタウンは、宣戦布告から五秒も経たないうちに、三百六十度を敵に囲まれてしまった。
しかし、彼女の表情に怯えや動揺はない。それどころか、笑みをさらに深めている――まるで、獲物が増えたことを喜ぶ肉食獣のようなー――獰猛な笑い。
「魔法、撃てえィッ!」
取り囲まれてもなお、杖を下ろそうとしない女賊に、警備兵たちは容赦なく攻撃を開始した。スクウェア級のファイヤー・ボールが、トライアングルによるウィンディ・アイシクルが、銃弾のような石の槍が、ガーゴイルたちの鋭い爪が、たったひとりの曲者を押し潰すべく殺到する。
圧倒的な破壊――半秒で、華奢な女性程度なら挽き肉に変えてしまえるであろう暴力の集合体――それを回避する動きすら見せず、彼女は悠然と立っている。
そして、たった一言だけを口にした。すでに唱え終えていた魔法を発動させるための、短いキーワードだけを。
「《快楽原則(ディバイン・バスター)》」
まばゆい桜色の光が、爆発した。
それは炎よりも、氷の矢よりも、石の槍よりも、傀儡の手足よりも速かった。光線はすべてを飲み込む――魔法はことごとくかき消され、ガーゴイルはひしゃげて、空中で粉々になる。警備兵たちは、全身にエア・ハンマーの直撃を食らったかのような衝撃を受けてなぎ倒され、地面に倒れる瞬間すら自覚せず、意識を失った。
ハイタウンの放った桜色の光線は、そのまま城門に突き刺さった。分厚く、重く、硬く、魔法による防御すら万全の大城門が、びりびりと震えながらへこみ、削れ、えぐれ、吹き飛ぶ。やがて光が収まった時には、まるでナイフでくり抜いたかのような、直径五メイルほどの大穴が開けられていた。
「……ん、よし。今日も私は絶好調だね。にゃは」
倒れ伏した警備兵たちになど目もくれず、ハイタウンは悠々と、城門の穴を潜って、城の中に足を踏み入れた。
歩きながら、左手をポケットの中へ入れ、クリスタル・タブレットを取り出す。普段は、通話以外の目的でこの道具を使うことはないが、今回の任務にあたって、ハイタウンはリョウコから、位置検索アプリケーションの使い方を教わっていた。
この機能は、他の端末の現在位置を探す時に使用される。ジョゼフの洗脳により、裏切ってしまったシザーリオ。彼もタブレットを持っているので、そのありかをこのソフトで調べれば、同時にシザーリオの位置も特定できる。
ハイタウンがセバスティアン・コンキリエから与えられた一番の任務は、ヴァイオラの抹殺である。だが当然、シザーリオのことも放ってはおけない。この哀れな捕虜の処分も、彼女は請け負っていた。
ぴぴるぴぴるぴぃと呼び出し音を鳴らしながら、位置検索ソフトが作動する。数秒後、求めたシザーリオの位置が、画面上に表示された。
「見つけた。北西方向、距離二百十五メイル、か。オーケイ」
ハイタウンはその方角へ顔を向ける。彼女の目に映るのは、幾何学模様で装飾されたアーハンブラ城の壁面だ。
シザーリオのいる『ルイ・カペー』は、建物ひとつを挟んだ向こう側に停泊している。そこにたどり着くには、城内を大きく回り込んで行かなければならない。
だが、『悪魔』の二つ名を持つスクウェア・メイジ、グレイプ・ハイタウンには、そんな面倒は必要ない。
杖を北西へ向けて構える。そして、魔法のスペルを一言。
「《快楽原則(ディバイン・バスター)》」
またしても、大砲のように撃ち出される、桜色のビーム束。
それは立ちふさがる壁をやすやすと吹き飛ばし、その向こうにある部屋も廊下も、何枚もの壁も何本もの柱も、まるで存在しないかのように貫通し、二百十五メイル先にあった『ルイ・カペー』の艦橋を直撃、崩壊させた。
土手っ腹に大穴を開けられ、自重を支えきれず、メキメキと音を立てながら、真っぷたつに折れていく駆逐艦。軍用船としては、あまりにあっけなく、脆い最期だ。
実際のところ、ここまで大きな被害は、艦載長距離大砲の一撃でも受けなければ起き得ない。火のスクウェアメイジが放つファイヤー・ボールでも困難だろう――土のスクウェアメイジが作る巨大ゴーレムによる、全力のパンチなら、何とかいけるかも知れない。駆逐艦というのは、その程度の防御力は持っているものだし、『ルイ・カペー』は王の使う艦だけあって、普通の駆逐艦よりさらに硬いはずであった。
しかし、それをまるでワイングラスか何かのように、気軽に破壊してしまえるからこそ、グレイプ・ハイタウンはセバスティアン・コンキリエに選ばれたのだ。
「今ので、シザーリオくんはやっつけたかな。……うん、彼のタブレットの位置表示が消えてるね。これでまずひとつ、任務達成、と。
あとはヴァイオラちゃんの始末だけど、あの子はタブレット持ってないからなぁ……でも、このお城の中にいるのは間違いないんだし……根気よく探していけば、いつか見つかるよね。うん」
独り呟きながら、彼女は歩みを進める。
その進撃を遮るものは何もないし、あったとしても、『悪魔』の破壊力の前ではおそらく無力だ。
■
ハイタウンの攻撃によって、瓦礫の山となった『ルイ・カペー』の下から、かろうじて這い出してきた人影があった。
「くっ……い、いったい、何が……?
シザーリオ、シザーリオ……大丈夫? 返事をなさい!」
崩れ落ちた天井板の下から上半身だけを出して、仲間の名前を呼ぶその人物は、ジョゼフの使い魔ミョズニトニルンこと、ミス・シェフィールドだった。
謎の桜色の光が、自分とシザーリオを飲み込んだところまでは、彼女も認識している。しかし、その直後のことは――数秒間ほどのことだろうが――即座に気を失ってしまい、まったく定かでない。
あの光が、彼女らの乗っていた高級駆逐艦を破壊したことは間違いないだろう。完全に轟沈した、無惨な『ルイ・カペー』。船をここまで傷つける攻撃のただ中にあって、シェフィールドは特に怪我をしている様子もない自分の身の幸運に感謝した。両手両足すべて動くし、痛みもない。瓦礫に押し潰されそうになっただけで、かすり傷ひとつ負わずに済んだのだ。
――しかし、それは本当に、彼女個人にのみ加護のあった幸運に過ぎなかったらしい。周りの様子を、シザーリオの姿を探しながら見回していたシェフィールドは――床板だったと思しき瓦礫の上にちょこなんと乗った、男物の靴を履いた血まみれの足首を発見して、全身の血が凍りつくかのような戦慄を味わった。
その靴に、シェフィールドは見覚えがあった。ついさっきまで、同じ部屋にいた人物が履いていたものだ。ああ、可哀想なシザーリオは、あの攻撃によって、『ルイ・カペー』よりもひどい姿になってしまったようだ。
(『アンドバリの指輪』で蘇った死体は、ちょっとやそっとの怪我なら、簡単に治してしまう不死身の兵士になる――それなのに、あんな状態になって、ピクリともしないということは――シザーリオの、あそこにある部分以外の肉体は、修復も不可能なほど粉々になってしまった、ということ、よね……)
ほんの少しでも、立っている位置が違っていたら、自分もあのようになっていたかも知れない。そう思うと、恐ろし過ぎて震えが止まらない。まるで吹雪の中に取り残された人のように、彼女は自分の手で、自分の肩を抱いた。
と、そこで、違和感に気付いた。震えているのは、恐怖のせいもあるが、実際、ちょっと、寒い。何だか妙に、身体中がスースーする。
「……って、ちょっ!? え、えっ!? な、何これっ!」
瓦礫から完全に這い出して、自分の体を見下ろして、シェフィールドはその違和感の正体を知った。
服がない。
お気に入りの、ダークカラーのタイトなロングドレスが、布の一片も残らず、どこかへ消えていた。下着もない。豊かな乳房も、平らなお腹も、丸みのあるお尻も、生まれたままの姿で、月明かりの下にさらされている。
「う、うそうそうそぉっ!? やだ、な、何か着るものっ! こんな格好、誰かに見られたら……!」
十四、五の思春期の少女のように、顔を真っ赤にして動揺する神の頭脳。伝説の使い魔といえど、人並みの羞恥心はある。
特に彼女が恐れ、警戒したのが、今の姿を主であるジョゼフに見られることだった。
冷酷なジョゼフの手となり足となり、ハルケギニアに戦争をばらまく手伝いをしてきた彼女だが、その精神はわりと平均的で普通な、女性らしい女性のものだったりする。
自分に自信があり、能力のない者は見下し、人の不幸を見て楽しむ趣味があり――そして、恋すると一途だ。
シェフィールドはジョゼフを好いている。いざとなれば、自分を犠牲にして愛する男を救うぐらいのことはするだろう。その感情は狂信に近い愛情であり、相手の力になりたい、頼られたい、と心から思っている。それゆえに、ジョゼフには弱い姿は見せたくない。
ばっちりキメたカッコいい自分、という化粧を剥がされた、ぷるぷる震える情けない子ウサギのような、今の自分を見られるのは――プライドが許さないのだ。
運良くというべきか、すぐそばに船室のカーテンらしき薄布が、くしゃくしゃになって落ちているのを、シェフィールドは見つけた。とりあえずそれを、マントのように体に巻いて、素肌を隠す。
(これでひと心地ついた――あとは城内で、ちゃんとした服に着替えれば、また安心してジョゼフ様にお会いできる……)
そう考えながら、ようやくシェフィールドは、思考の優先順位がおかしいことに気付いた。
(ち、違う! バカか私! 服なんかより、ジョゼフ様と合流しなければ!
あんな派手な攻撃をしてきた曲者……シザーリオの反応からして、おそらくセバスティアン・コンキリエが差し向けてきた刺客のはず。
だとすると、その目的はマザー・コンキリエの奪還……あるいは、ジョゼフ様の暗殺のはず。ううん、ただマザーを取り戻すだけなら、もっと静かにこっそりやるでしょうから、後者である可能性が高いわ!
私は、敵が攻めてくるのは、早くても明日だと思っていたから、油断して先制攻撃を受けてしまった……ジョゼフ様も、きっと今はあまり警戒しておられないはず……独りで、城内を散歩なさるぐらいですもの、非常に無防備だわ。
刺客が、そんなジョゼフ様を見つけ出したら……ああ、いけない! 赤子のようにひねられてしまう! いくら虚無の魔法に目覚められたとはいえ、油断しているところを襲われたら……!)
シェフィールドの視線は、半ば無意識に、ちぎれ飛んだシザーリオの足首に向けられた。もし、もたもたしているうちに、ジョゼフがこのような姿になってしまったら――。
(じ、ジョゼフ様! 今すぐシェフィールドが参ります! どうかご無事でいて下さい!)
忠実な使い魔であり、恋する乙女でもある彼女は走り出す。ジョゼフのいる城の中へ。
――だが、彼女は知らない。
頭の中に思い浮かべた最悪の想像より、さらにずっと絶望的な状況で、愛する人と再会することになろうとは。
■
アーハンブラ城を襲った侵入者は、その古錆びた城から、静けさを奪い取った。
城門を叩き壊し、壁を撃ち抜き、停泊中のフネを沈めるという傍若無人。それに伴う轟音は、城中に響き渡っていたといって差し支えない。
城内の静かで清潔な一室で、毒薬の調合に勤しんでいたビダーシャルの長い耳にも、その音は届いていた。
彼は薬種をすり潰す手を止めて、立ち上がった。侵入者があった場合、それを退治することも、ジョゼフから与えられた仕事のひとつだったからだ。
耳をすませる――轟音は続いている――強力な攻撃魔法が、二発以上放たれている――今また、再び轟音。城の警備兵は、明らかにこの侵入者に対応しきれていない。
(出番、か)
ため息をついて、彼は部屋を出る。それは面倒ごとを嘆くようでもあり、安堵でもありそうな、複雑なニュアンスを持ったため息だった。
(蛮人たちの争いに足を突っ込むのは、あまり気分のよいものではない……だが、子供を殺すための毒を作る仕事よりは、まだましか)
ビダーシャルは争いを好まない。そして、自分の実力――この場合は、彼を守る精霊の加護――に自信を持っている。敵がどれだけの強者でも、野蛮な系統魔法の使い手である以上は、彼に傷ひとつ負わせることはできない――そう思っている。
(もし、望めるならば、この侵入者がイーヴァルディの勇者のごとく、諦めることを知らない者であって欲しいものだ。
必ず我が勝つとしても――戦いが長引けば長引くほど、我はより不愉快な仕事に戻るのを遅らせることができるのだから、な)
階段を降り、騒ぎのあった城門の方へ、足を向ける。派手な襲撃を仕掛けてきている、悪竜のような敵と対決するために。
ただ、彼は結局、騒ぎを引き起こした張本人であるグレイプ・ハイタウンに出会うことはなかった。
その時点で、すでにハイタウンは城の中にまで進んでおり、城門に向かった彼とは、ちょうど行き違いになってしまったのだ。
さらにもうひとつ、偶然が重なった。
城門付近には、まだ何もしていない別口の侵入者がおり――ビダーシャルは、それを騒ぎの元凶だと思い込んでしまったのだ。
「……侵入者諸君。お前たちをここから先に進ませるわけにはいかない。速やかに引き返すがいい」
「そうはいかねぇ! 俺たちがここから帰るのは、タバサを無事に取り返してからだ!」
大きな剣を背負った黒髪の少年が、強い決意を秘めた目でビダーシャルと向かい合う。
他にも、怯えた表情をした金髪の少年がおり、ピンク色の髪を持つ小柄な少女がおり、赤い髪と褐色の肌を持つ女性がいた。
つまるところ、トリステイン魔法学院の皆さんである。
■
――本来ならサイトたちは、もっと違ったやり方でこの城に入り込むはずであった。
服を着替え、旅芸人のふりをして、城門を見張る警備兵たちに歌や躍りを見せて油断させ、睡眠薬入りの酒を飲ませる。そうして障害を片付けて、静かに侵入を試みるはずだったのだが――。
下見のつもりで城の前まで来てみると、城門はなぜか破壊され、警備兵たちは全員気を失って倒れ伏している。
「さ、サイト、い、いったいこれは何が起きたんだ?
大砲でも撃ち込まれたんだろうか? まるで戦場みたいな光景じゃないか!?」
「お、俺にわかるわけないだろ、ギーシュ。
でも、これはもしかしたら、またとないチャンスかも知れないぞ……門はある意味開いてるし、警備の人たちは全員ぶっ倒れてるし……」
サイトの呟きに、キュルケが眉をピクリと動かして反応した。
「今のうちに中に入るってこと? 大丈夫かしら。罠……とは言わないけれど、このありさまを見る限り、ものすごく危険なことが中で起きてるような気がするわ」
「あんたにしては臆病な意見ね、キュルケ? 私は入った方がいいと思うわ。
これはガリア側にとっても、不測の事故、って感じだもの。今、この瞬間、この場所だけが無防備になってるんだわ。
今を逃すと……きっと明日の朝には、警備は前よりずっと強固に固め直されるはず。そうなったら、私たちがやろうとしてたような、付け焼き刃の詐術じゃ突破できないかも知れないわよ」
強い調子で、ルイズは即時突入を支持した。顔には出さないが、実のところわりと必死だった――なぜって、もしここで突入しないという選択肢を選んだなら、旅芸人のふりをする最初の作戦を実行しなくてはならなくなり――ルイズは躍り子役として、露出の多いエッチな衣装を着て舞い踊り歌わなくてはならないのだ。それも大勢が見ている前で!
それだけはなんとしても避けたい。誇り高く恥ずかしいことが大嫌いなルイズには、ゴー・アヘッドしか選択肢はないのだ。
ルイズの話を聞いて、なるほどと思ったのか、キュルケも今すぐ突入することに納得してくれた。ギーシュも頷き、意思の統一を果たした四人は、早速壊れた城門を潜り抜け始めた。
「……しかし、本当に……ここでいったい、何が起こったんだろうね……」
門の穴に体を入れながら、ギーシュはちらりと、倒れた警備兵たちに視線を走らせる。
「だから、わかんないって。なんかすごい魔法を食らったんじゃないか? 火属性のめちゃくちゃ威力高いやつ」
サイトも同じく、警備兵たちを複雑な表情で見てから、門を潜る。
「私の知る限り、火にこんな効果のある魔法はないわよ。彼らみんな、火傷もしてないし。……まあ確かに、火のように大胆なことになってるみたいだけど、ねぇ」
キュルケはそんなことを言いながら、ニヤニヤと面白がるような笑みを浮かべる。対して、ルイズは汚いものでも見るような冷たい目で、倒れている人たちを一瞥して、なかなか進もうとしないキュルケの背中を押し、一刻も早く門の向こうへ行こうとする。
「何が起きたんだろうと、知ったことじゃないわ。全員、気絶してるだけじゃない。こ、こここ、こんな破廉恥な……こんないやらしいことになってる人たちには関わりたくないし、興味もないから、さっさと先に行きましょ!」
そんな言葉を残して、四人は去った。
あとには、気絶した警備兵たちが、ごろごろと残るのみ。
ルイズの言う通り、彼らは気絶しているだけで、誰ひとりとして怪我をしていない。もちろん死者も出ていない。
そして、これもルイズの言ったことは、他の部分も間違っていない。警備兵たちは、破廉恥で、いやらしいとはた目には見える姿になってしまっていた。
城門前に、累々と転がる、肌色の肉体。
彼らは全員――鎧も、兜も、マントも杖も、シャツもズボンも身に付けていない――全裸で、ぶっ倒れていた。
強烈過ぎて謎過ぎるその光景は、城内に入ってからもサイトたちの頭の中に「?」をばらまき続けたが、ビダーシャルという強敵の出現が、気持ちを切り替えさせた。
ミス・ハイタウンの破壊行為は、あえて言うならば祭りの始まりを知らせる打ち上げ花火であった。
この夜の本番――アーハンブラ城におけるひとつめの死闘が、ここに幕を開ける。
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静かで薄暗いアーハンブラ城の廊下を、ジョゼフは歩く。
ヴェルサルテイル宮殿の華やかさとは逆に、この城は質素で、陰気で、空虚だった。その空っぽな感覚は、彼にとって妙に落ち着くものに思えた。
(親近感でも覚えている、ということなのだろうか、な? 虚ろで彩りを失った俺の心と、この城の在り方は似ている……だが、明日にはそうでなくなるだろう。俺は争いの中で、本当の心の震えを取り戻す。戦火の、流血の、殺戮の真紅が、灰色の世界を一面に塗り潰す。
楽しみだ――この、先の予定を期待する感覚――今までになく、鮮明に感じられる――ふふ、もう感情の一端を掴みかけているのか? まだ始まってもいないのに――これで明日の本番を迎えたら、俺はどうなってしまうんだ?)
悪魔にでも内緒話をしているかのように、ジョゼフは独りほくそ笑む。
しかし、彼の待っていたものは、翌朝まで彼を待たせなかった。爆発のような轟音。床を揺らす重い振動。そして遠くから微かに響いてくる、人の騒ぎ声。
「む? 何の騒ぎだ? まさかもう誰かが襲撃を……いや、さすがに早過ぎる」
音のした方を振り向き、耳をすます。騒ぎは続いているようだ。
もし、本格的な攻撃であれば、使い魔であるシェフィールドと合流して、迎撃の指揮を執らなくてはならない。しかし、諜報を目的としたネズミが忍び込んできて、警備兵がそれを見つけて追いかけている、という程度の騒ぎであるのなら、そこまで身構えるのも馬鹿らしい。
ジョゼフは思案する――さて、どうするか。
(それなりに酔いもさめた。騒ぎがどれくらいのものかはわからんが、我がミューズの顔を見に帰ってやってもいいだろう。大したことがなければ、そのまま寝床に入ればいい。
いや、待てよ。騒ぎの原因が何であれ、その目的は俺か、監禁してあるマザー・コンキリエか、あるいは可能性は低いが、我が姪のシャルロットのいずれかであろう。
俺が目的である場合は、普通に反撃すればいい。だが、人質の救出が目的であった場合……たとえばロマリアかセバスティアンが、こっそりとマザーだけを脱出させるべく、少数精鋭を送り込んできたとしたら……これは面白くない展開だ。マザーを取り返されたら、ロマリアは無理してガリアに攻撃する必要がなくなる。俺は大きな戦争を望んでいるのに、敵対勢力の一角が抜けてしまっては興ざめだ。
そう考えると、少しマザーの様子が気になってくるな。分厚い壁と扉、鉄格子付きの窓に囲まれた、内部からは脱出不可能な牢獄に監禁してはいるが、外から手引きする者がいるとしたら話は別だ。トライアングル以上のメイジがいれば、力技でも破牢はできるだろう。
ふむ……ならば……そうだな、本当にまずい状況ならば、すぐにミューズの方から知らせをよこしてくるだろうし、慌てて帰ることもあるまい。
ここはひとつ、牢屋にいるマザーとシャルロットの様子を見に行ってみよう。何もなければ、死を間近に控えた者たちのしょげかえった様子を見物すればいいし、もし彼女らを脱出させようとする賊と出くわすようなことがあれば……大戦の前の前菜として、軽く遊んでやるとしよう!)
自分の考えが気に入ったと見えて、ジョゼフは大きく頷いた。
曲者を自分ひとりで撃退するというのは、誰でも一度は心の中に思い描く、憧れのシチュエーションである。特に年頃の少年少女なら、自分の通う魔法学院が突然テロ組織に占拠されて、教師も生徒もみんな人質として拘束されたりしないかなぁと、授業中にぼんやり考えるものだ。そして、その中で自分だけが軍人顔負けの機転と行動力を発揮し、テロリストたちをやっつけ、一躍英雄になる――というところまでが、一般的なパターンである。
ある意味、子供のような性格の持ち主であるジョゼフは、そんな無邪気な空想遊戯を、頭の中で繰り広げることが少なくない。ただし、巷の子供たちと彼の違うところは、その愚にもつかない空想が現実になる時が来たとしても、ちゃんと空想通り活躍できるだけの実力を持っている、という点だ。
ジョゼフは、魔法が使えないため、無力であると思われている。
ほんの少し前まではそうだった。体を鍛えているし、格闘や剣術の心得もあるが、いざメイジと戦うとなると、圧倒的に分が悪い、はずだった。
だが、彼は王家に代々伝わる秘宝、始祖の香炉と土のルビーに触れ、始祖の系統である虚無魔法に目覚めてしまった。この系統の魔法は、他の四系統に比べて、段違いに強力だ。
(俺の虚無――《加速(アクセル)》は、超高速での行動が可能になるスペルだ――火であろうと風であろうと、土であろうと水であろうと、この魔法の前ではのろまなカタツムリに成り下がる。あらゆる攻撃を避けられるし、相手が防御や回避を試みる前に攻撃できる。
どのような刺客が現れようと、返り討ちにしてくれるわ)
マントの下に提げた杖を頼もしげに撫でながら、ジョゼフは足を、ヴァイオラたちのいる牢屋の方へ向けた。
どこかでまた、破壊を思わせる轟音が鳴り響いた――敵の攻撃は、継続中。やはり、目標である何かを探しているようだ。
(この侵入者が、マザー・コンキリエというルーを救いに来たイーヴァルディの勇者であるなら、俺はさしずめ邪悪な竜といったところだな。
俺が敵を待ち構えるのは、王らしく玉座の間であるべきかと思っていたが――うむ、可憐な少女の囚われた牢屋の前に立ち塞がる、悪役らしい悪役という役どころも悪くない。むしろその方が、しっくり来る可能性もある、な……!)
自分を取り巻くあらゆる状況を、演劇か何かのように楽しみながら。ジョゼフは、戦場となったアーハンブラ城の中を、弾むような足取りで進んでいく。
■
グレイプ・ハイタウンは、強い女性である。
迷いのない足取りで、アーハンブラ城の薄暗い廊下を、奥へ、奥へ進んでいく。警備のガーゴイルが、この異物を排除すべく大挙して押し寄せても、破壊力に秀でた閃光魔法の一撃で撃破していく。
彼女の放つ桜色のビーム束は、一撃ごとにその延長線上にある、あらゆる物体を消し飛ばした。壁や天井は、何枚あろうと、どれだけ分厚かろうと、まるで型抜きされるクッキー生地のように、きれいな大穴を穿たれてしまう。
十発も二十発も、内部から砲撃され続けているうちに、アーハンブラ城はいつしか、山羊の乳で作るチーズのように、穴だらけのすかすかな建物に変わってしまっていた。
「警備がどんどん厳重になってる。やっぱりこっちに重要なものが隠されてるんだね。ふふ、私って昔っから運はいいんだ。
あ、また階段。ここは降りた方がいいのかな、それとも上るべきかな……どうしよっかなぁ」
城の中でも、おそらく中心に近い場所であろう、高い天井に、ちょっとした広場ほどの面積をそなえた、だだっ広いホール。その右奥と左奥に、それぞれ上っていく階段と、降りていく階段がある。
ハイタウンは、両者を見比べながら考える。ヴァイオラが地下牢みたいな場所に閉じ込められていると考えるなら下だ。しかし、虜囚ではあってもそれなりの待遇を受けていると考えるなら、高いところに監禁場所がある可能性もある。
決めかねていると、突然胸ポケットにしまっていたタブレットが、軽快な着信音を鳴らし始めた。ハイタウンはさっとそれを取り出し、通話状態にしたそれを耳元に近付ける。
「グラジーム、グラジーム。こちらハイタウン。
……あ、リョウコさん。どうかした?」
『いや、順調にいっているか、状況を確認しようと思ってね』
女性としては低めの、落ち着いた声。連絡してきたのは、セバスティアンの秘書、ミス・リョウコだった。
『シザーリオくんは、無事に始末したようだね? さっき、彼の体内チップの反応の消滅を確認したよ。その調子で、ヴァイオラお嬢様の方も頼む。
もっともお嬢様は、タブレットをお持ちでないから、探し出すのに骨が折れるかも知れないが……体内チップの位置検索機能は精度が低くて、五百メイル×五百メイル単位での大雑把な位置しか表示できないからなぁ……まあキミなら、しらみ潰しにやったのでも、結果は出せるだろう。頑張ってくれたまえ』
「ん、わかってるよ。その代わり、帰ったらちゃんとご褒美くれるように、セバスティアン様に念を押しといてね。
私、今年こそはぜーったい、ステキな王子様と巡り会いたいんだから!」
『……あ、ああ……わかってる。セバスもちゃんと考えてくれるよ……うん……ちゃんと』
思いっきり力のこもったハイタウンの要求に、リョウコはばつが悪そうに言い淀む。信頼できる実力を持ったこの『悪魔』の望む報酬は、世界屈指の大富豪であるセバスティアン・コンキリエにとっても、手に余るものだったからだ。
リョウコとハイタウンは、ほとんど同時に、今回の仕事を依頼し、受けた時のことを思い出していた。
――『ミス・ハイタウン。今回の仕事を成功させてくれたら、僕は報酬として、君に国をひとつ与えたいと考えている』
砂漠を移動するそり屋敷の中、豪奢な調度に囲まれた居室において、セバスティアンは高級ブランデーで満たされたグラスを手のひらの中で暖めながら、余裕たっぷりに話を切り出した。
『ガグの王国と名付けるつもりでいる、非常に広大な国だ。莫大な資源と収穫、それに伴う金と権力が君のものに――』
『いらない。そんなのより、カッコいい男の人紹介して欲しいな』
雇い主の提案を一刀のもとに切り捨て、ハイタウンは自分の本当に望むものを要求していた。
『前から言ってるよね、セバスティアン様。私はね、あなたにお金や権力なんかじゃなく、人脈を期待してついてきたんだよ。
ステキなお婿さん見つけて、ささやかだけど幸せな家庭を築くのが私の夢なの。国なんて、それに比べればその辺の砂粒程度の価値しかないよ。だから……ね? わかるよね? 優秀な経営者なら、私を働かせる上で、何を支払うべきか?』
アルビオンの縁よりも底の知れない、真っ暗な必死さで塗り潰された目で迫られて、さすがのセバスティアン・コンキリエも余裕を失う。
『あ、ああ、君がそちらの方がいいと言うなら、お見合いをセッティングしてあげてもいいよ。
で、でもだね、この前も二、三人紹介してあげたはずじゃないか? ほら、大中国技術開発アカデミーのジェイル・スカリエッティ博士なんか、君にお似合いじゃないかな。この千年で最高の天才と言われる研究者で、彼の発明品の数々は、数千万エキューにも達する経済効果を……』
『でもあの人、私と一対一で戦って、十秒もたなかったよ? もう少し実戦慣れしてないと、話が合わないかなー』
『じ、じゃあ、あの人はどうだったかね? 大中国陸軍のレジアス・ゲイツ中将は。軍内改革に積極的な野心家で、エネルギッシュな好漢だ。新兵器の導入など、難しい課題を成功させて評価を高めており、将来は軍部を掌握するであろう武人……』
『うん、なかなかファイトのありそうな人だよね。でも、男の人には苛烈さよりも、包容力を期待したいんだ』
『な、ならば、ギル・グレアム提督がピッタリだよ。海軍の英雄で、その懐の広さから、部下からの信頼も厚い。私生活では孤児院に多額の寄付をするなど、慈善事業に積極的なことから、民衆からの評判も上々……』
『グレアム提督って七十歳越えてるよね? さすがにその縁談本気で勧められたら、私ちょっと困っちゃうな』
このやり取りをそばで見ていたリョウコは、「セバスティアンも充分困っているよ」と言いたくて言いたくて仕方なかったが、持ち前の奥ゆかしさから出すぎた真似はしなかった。面倒ごとの飛び火を回避した、ともいう。
『まあとにかく、ヴァイオラお嬢様を苦しめずに殺してくれば、ちゃんとした王子様を紹介してくれるんだよね? 期待してるからねセバスティアン様。私もそろそろあとがないし、あなたに頼るしか、出会いなんてないんだから』
そう言い切り、ハイタウンは交渉を完結させた。他の報酬など、彼女にとっては論外で、歩み寄る余地などないのだった。彼女が立ち去ったあと、セバスティアンが頭を抱えたのは言うまでもない。
――グレイプ・ハイタウンは、アルビオンの有力な伯爵家の出である。次女だったので家を継ぐことはなかったが、容姿が優れていたので、そのまま普通に成長していれば、嫁に欲しいという家はそれこそ選り取りみどりだっただろう。
ところが、残念なことに――貴族としては誇らしいことだが――彼女は、魔法の才能にすさまじく恵まれていた。十歳の時点で、すでにスクウェアに到達。魔法学院在学中には、もと軍人という経歴を持つ教員を、一対一の模擬戦で撃破するほどの戦闘センスも示し、「この子は軍人となって、国を守るために生まれてきたのだ」と、父親に言わしめた。
魔法学院を卒業すると、アルビオン空軍国境管理局に所属。空賊や、他国から侵入してくるスパイを相手に死闘を繰り広げ、特に一対多の戦況において優れた働きを見せた。『エース・オブ・エース』、『管理局の白い悪魔』などという二つ名で呼ばれ、尊敬と畏怖の眼差しをその背中に集めた。
そう。彼女は強過ぎて、カッコ良過ぎて、そして「すごい人」になり過ぎてしまった。
対等に付き合ってくれる男友達などいない。「あのハイタウンさんとタメ口で話すなんて恐れ多い!」という空気が、職場全体に醸造された。
それでも、尊敬されているのだからけっして悪いことではない。あくまで問題は、仕事仲間に馴れ馴れしくしてもらえない、というだけなのだから、ハイタウン自身もさほど気にはしていなかったが、その空気が生み出した毒は、長期的にじわじわ効いてきた。
ハイタウンがその毒の存在に気付いたのは、親しい人たちの結婚式でのことだった。
兄や姉の結婚式。カッコいい花婿さん、きれいな花嫁さん。すごく憧れるなぁ、と思いながら、心からハイタウンは祝福した。
魔法学院時代からの親友だったミス・テスタロッサの結婚式。白いドレスに包まれた親友の姿を、幸せになってね、と思いながら、少し寂しい気持ちで見ていた。
年下のいとこであるシュテルちゃんの結婚式。先を越されちゃった、私もそろそろいい人に出会いたいなぁ、と思いながら、危機感を覚え始めた。
職場の部下で、教え子でもあるミス・ランスターの結婚式。ハイタウン家の養子で、十歳年下の妹であるヴィヴィオの結婚式。ハイタウンのひたいに、脂汗がだらだらと流れ始める。
ヤバい。もしかしなくても私、すごいヤバい。
自分が行き遅れつつあると自覚したハイタウンの追い詰められっぷりは、たとえて言うなら、アルビオンの縁の断崖絶壁に立ち、背後からはサー・コナン・ドイルが脚本を書いた演劇に出てくる名探偵が迫ってきている、というほどのものだった。崖の上にいる時に、この名探偵という職業の人間に接近されると、なぜか罪を告白しながら投身自殺しなければならなくなるのだ。
でも、まだいける。大丈夫。ハイタウンは自分に言い聞かせた。仕事に生きる女性だっていっぱいいる。結婚してなくても、そういう人たちは世間から尊敬されるもん。こういうのも立派な生き方だもん。
ちょうど彼女は、そんな立派な生き方をしている女性を知っていた。トリステインの国立魔法アカデミーに勤めている、ミス・エレオノールという人だ。一流の研究者であり、トリステインでも屈指の大貴族であるヴァリエール家の令嬢でもある彼女と、アルビオン空軍の軍人であるハイタウンは、ラグドリアン湖畔で催された園遊会で知り合った。職務で男顔負けの活躍を見せているハイタウンと、アカデミーという男社会で成果を出しているエレオノールは、少し言葉を交わしただけで、互いに深い敬意を覚えた。
ハイタウンがアルビオンに帰ってからも、ふたりはペンフレンドとして、月に一度ほど手紙のやり取りをしていた。前に来た手紙では、相変わらずアカデミーで、仕事一直線に頑張っているようだった。
私も彼女みたいに、自分の生き方を貫こう。結婚しなきゃマズいなんて、下らない強迫観念に悩まされてちゃダメだよね――そんな風に決意も新たにしたその時だった。トリステインのミス・エレオノールから、ハイタウンに新しい手紙が届いたのは。
ハイタウンは、エレオノールのことを考えていた時に、彼女からの手紙が届くなんて、これが似た者同士のシンパシーかな、などと苦笑しながら、その手紙を開いて、読んだ――。
【グレイプへ。
昨日、お父様の紹介で、バーガンティ伯爵様という殿方と知り合いました。ヒャッホオオオオォォォ!!!ヽ(゜∀゜)ノ
すごくカッコ良くて、レディの扱いも心得てらっしゃる素敵な人です。今回は顔合わせを兼ねたお食事と、軽いお話だけだったけど、たぶん、いえ、間違いなく! お付き合いすることになると思うわ!♪ヽ(´▽`)/イエーイ
しばらくしたら婚約を知らせる手紙を書くことになっちゃうかも! その次は結婚式の招待状で、その次は跡継ぎ誕生のお知らせかしら? キャーキャーッ(///ω///)♪
私、とっても幸せになれそう。この気持ちをグレイプにも分けてあげたいぐらい。あなたも早くいい人見つけなさいよ、こうなってみてわかったけど、独りはすっごい寂しいわ!
――仕事に夢中なあなたを心から心配する親友、エレオノールより】
読み終えたハイタウンの目は光を失い、心はどす黒く濁ってしまっていた。
その夜、彼女は家出した――管理局の戦艦を二十隻ほど、八つ当たりで叩き壊して。
それから、泣きべそをかきながら逃げ続け、気がつくとセバスティアン・コンキリエに拾われていた。『スイス・ガード』として東方への遠征についていったのも、これまでの人間関係と無縁な遠い場所に行きたかったからだった。
でも、俗世を離れて、余計なものから目をそらしても。ことあるごとに、寂しい気持ちが心の中に巣を作る。
――やっぱり私も、結婚したいよぉ。
デートしたい、チューしたい、イチャイチャしたい。よりによって雇い主のコンキリエ夫妻が、ハイタウンが今まで見た中でも一番のおしどり夫婦だったので、そのラブラブ具合を始終間近で見せつけられることになり、羨ましさと妬ましさと危機感と人恋しさが加速度的に募る募る。
ついに決断して、セバスティアンにお見合いの世話をお願いしたのは、どれくらい前のことだっただろうか。顔の広い実業家である彼は、たくさんの魅力的な男性をハイタウンに紹介してくれたが、なかなかこれは、という人がいない。世の中はまだ彼女に厳しく、彼女の王子様はいまだに、この広大な世界のどこかに埋もれている。
「何で微妙な人しか見つからないのかなぁ。リョウコさんはどう思う? 私、そんなに高望みなんかしてないと思うんだけど。
お金持ちでなくていいし、よっぽどの不細工でなければ、顔にもあまりこだわりはないよ? 強いていうなら、年齢が近くて、優しくて、趣味が合って……あと、私より高火力で、高機動で、高耐久であって欲しいってぐらいなのに」
『イージス艦でもキツくないかね、その条件』
「? 何、イージス艦って?」
『私の故郷の戦艦だよ。金属製で、すごい武器がいっぱいついてて、間違いなくロイヤル・ソヴリンより強い』
「へええ! 見てみたいなぁ、それ。アルビオン人として、ロイヤル・ソヴリン級以上の戦艦があるとか言われたら、ちょっと黙ってられないもん。
あ、もちろん、そのイージス艦並みの男の人との出会いはもっと求めてるからね? 忘れてもらったら困るよ?」
『前者は諦めなさい、このハルケギニアにはたぶんないから。後者は……まあ、善処するが……ちゃんと任務を片付けてくれないとおあずけだからね? わかってるだろう?』
「うんうん、ちゃんとわかってるって。ヴァイオラ・マリア・コンキリエは、この私が必ず殺すよ。
だからね――」
そこで唐突に言葉を切って、ハイタウンは強く地面を蹴った。
バネのように横に跳ねて、床を転がる――すると、ついさっきまでいた場所に、バシバシと何かが突き刺さり、石のタイルに穴を空けた。もしハイタウンが移動せずにぼーっと立っていたなら、穴が空いていたのは、床ではなく彼女の腹部だっただろう。
二回転、五メイルほどを移動して、ハイタウンは立ち上がる。同時に杖を構え、攻撃の飛んできた方向に突きつけた。
彼女の視線は、襲撃者と思われる人影をとらえた。向こうも杖を構え、油断なくハイタウンの様子をうかがっている。
警備兵でもガーゴイルでもない。エプロン・ドレスを着ている――女性、それもメイドだ。きっちり結い上げた金髪、意思の強そうな灰色の目。歳は――まだ二十歳にもなっていないだろう。
(このお城に勤めてるメイドさんかな。若いのに殺気がすごいや……とっても素敵。でも、ただのメイドさんが、自分で杖持って侵入者を迎撃しようとしたりするかな?
というかこの子の顔、どこかで見たような……どこだっけ、セバスティアン様関連で会ったことがあるような……ううん、違う、ヴァイオラお嬢様の関係だ。えっと、誰だっけ……あ)
記憶の底から、そのメイドの名前を引っ張り出し、ハイタウンは目を丸くする。
「シザーリアちゃん! シザーリア・パッケリちゃんだよね。撃たないでね、私だよ、覚えてない? グレイプ・ハイタウン。セバスティアン様のボディーガードの」
「ええ、覚えております、ミス・ハイタウン。
我が兄のシザーリオも含め、あなた方『スイス・ガード』のお顔を忘れたりする私ではございません」
メイド――シザーリアは、ハイタウンの呼び掛けに頷いた。
ハイタウンはホッとして、杖を下ろしかける。おそらくシザーリアは、主であるヴァイオラを救うためにこの城に侵入したのだろう、と気付いたからだ。ならば、セバスティアンの部下であるハイタウンとは、争う必要がないはず。
「ああ、よかった。じゃあ今の攻撃は間違いなんだね。警備兵か何かと間違えたのかな?
でも、もう安心していいよ。私はあなたを攻撃しないし、この辺の敵はあらかた片付けたから――」
「ミス・ハイタウン。私はあなた様を見間違えたりなどいたしません。お顔もお名前も鮮明に覚えておりますし、あなたがハルケギニアにもまれな、戦闘のスペシャリストである、ということも、ちゃんと記憶にございます」
ハイタウンの言葉を遮り、シザーリアは続ける。杖を下ろしもせず、殺気もそのままで。
「だからこそ、出来れば今の一撃で片付いて頂きたかったものです。見事な回避でした。さすがは『スイス・ガード』ですね。敵に回すと厄介なことこの上ない。
とても残念ですよ、ミス・ハイタウン。あなたを倒さなければならないだなんて。でも、仕方がありません。ヴァイオラ様に仇なすものは、それが誰であろうと、死あるのみ、です」
「へ? えっ……あっ」
シザーリアが何を言っているのか把握できずに、戸惑ったハイタウンだったが――すぐに、その意味するところに思い至った。
このメイドは聞いてしまったのだ。先ほどハイタウンが、タブレットに向かって「ヴァイオラ・マリア・コンキリエは、この私が必ず殺すよ」と言ったのを。
「どのような事情かはお聞きしません。言いわけも無用です。私はヴァイオラ様を守る。そのためにはあの方の害になるものは、残らず排除する必要があるのです……ご理解下さいませ」
「ちょ、ちょっと待ってシザーリアちゃん! それ誤解だよ! 私は別にヴァイオラお嬢様を殺したいわけじゃなくてね、」
言いかけて、ハイタウンは困る。シザーリアは明らかに勘違いしているが、ハイタウンがヴァイオラを殺そうとしている、という一点は間違ってないのだ。
充分な理由があるとはいえ、それを更なる誤解を招かずに説明するのは難しい。一度殺して、また生き返らせるつもりだなどと言っても、信じてもらえるかどうか怪しいし、信じてもらえたとしても、そのやり方に嫌悪感を抱かせないで済むかどうか。
どうしよう、何て言って切り抜けよう――そんなことを考えているうちに、さらに状況は悪化する。
『ハイタウン? どうしたね、急に話をやめて? 何か問題でも起きたのか?』
タブレットから、リョウコの声が流れ出る。ハイタウンは、まだ通話を切っていなかった――シザーリアもハイタウンも無言の、静かな夜の城の中で、その声はひときわ大きく響いた。
『とにかく、なるべく早く仕事を終えて帰ってきておくれよ。セバスティアンも、ヴァイオラお嬢様の死の知らせを、手ぐすね引いて待っているんだから』
その致命的な言葉を聞いたシザーリアの眉間に、深くしわが刻まれる。
「……今のは、ミス・リョウコの声ですね。何てこと、セバスティアン様までもが、一枚噛んでおられるとは……ヴァイオラ様に、何とお話しすればいいのでしょうか」
あちゃー、と天を仰ぐハイタウン。ここまでこじれると、もう彼女ではどうにもできない。というか、考えるのがめんどくさい。
「……えーと、リョウコさん。仮に今、シザーリアちゃんが死んだとして、あとで生き返らせることってできる?」
『ん、なんだって、ハイタウン? シザーリアって、ヴァイオラお嬢様のお付きのメイドの、あの子かい? まあ、そりゃ簡単だが。体内チップを入れてある人のデータは、常に記録し続けているから』
「そう、了解。じゃあ、あとで少し面倒かけるけど、ゴメンね」
ハイタウンはそう告げて、ため息とともに通話を切る。そして今度は、ため息と同じくらい切ない諦めの眼差しを、シザーリアに向けた。
「……言いわけは聞かないんだよね、シザーリアちゃん?
わかったよ、じゃ、手っ取り早く力比べといこうね――それが一番、話が早いもん」
戦う意思を明確にして、杖を構え直す。
ハイタウンの宣戦布告に対し、シザーリアは頷いた。お互いの意見が一致したところで――同時に紡がれ始める、攻撃魔法のスペル。
この夜のアーハンブラ城における、ふたつめの死闘が、こうして幕を開けた。
■
まったく、どうしてこうも問題だらけなのでしょう。
私――シザーリア・パッケリは、やるせない気持ちとともに、そんな一言を心の中で吐き捨てました。
レンタルした風竜で、アーハンブラ城にたどり着いたまでは順調でした。しかし、この辺境の城は、想像以上に厳しい警備体制を敷いていたのです。
見た目も音も派手な竜で直接降下したのでは、あっという間に発見されて、魔法攻撃の的になっていたでしょうし、私ひとりで、フライの魔法を使って城壁を乗り越えようとしても、その壁一枚を隔てた場所に、警備兵がいれば結果は同じ。
そこで私は、まず風竜をアーハンブラ城の上空に、昇れるだけの高さまで昇らせました。上からは、城内はかがり火を焚いているのでよく見えますが、地上からは上空の竜など、豆粒のようにしか見えないでしょう。充分な距離を取って、城壁の内側を観察し、人影のない場所を探しました。
そして、ちょうどよい場所が見つかると、思いきって竜から飛び降り、そこへ向かって自由落下。竜より人の方が小さいので、よほど運が悪くない限りは見つかりますまい。竜と違って羽ばたきもしないので、移動していても静かなものです。そして、地面に激突する直前に、唱えておいたフライの魔法を発動させて、柔らかく着地。かくして、私は警戒厳重なアーハンブラ城に、誰にも気付かれず忍び込むことに成功したのです。
でも、そこからも大変でした。城内には警備兵だけでなく、自律性を持ったガーゴイルまで徘徊していたのですから。
これらの目を盗みながら探索を行い、見つかった場合には、相手が声を上げる前に、静かに魔法の一撃を食らわせて沈黙させる。
警備兵を七人、ガーゴイルを十体以上、あと何かよくわからない罠の類いを数え切れないほど始末して、かなり奥の方まで足を運んで来たのですが――。
ここでまさか、あの『スイス・ガード』と遭遇することになろうとは。
しかも、敵として向き合わなければならなくなるとは、思いもしませんでした。
私も最初は、彼女を――ミス・グレイプ・ハイタウンを、味方だと思いました。何しろ『スイス・ガード』は、ヴァイオラ様のお父上であるセバスティアン様の護衛集団なのですから。私と同じく、ヴァイオラ様の救出を目的として、この城にやって来たに違いない、と考えたのは、当たり前のことのはずです。
それなのに、私は聞いてしまいました――ミス・ハイタウンが、タブレットと呼ばれる携帯通信アイテムに向かって、ヴァイオラ様を殺すと宣言したのを。
絶対に聞き間違いではありませんでした。そしてこの瞬間、私にとって彼女は、頼りがいのある仲間ではなく、ジョゼフ王にも並ぶ、見逃せない抹殺対象に変わったのです。
そのあとのやり取りで、彼女の許しがたい企みの裏には、セバスティアン様の影があることまで知れました。父親が実の娘の死を、今か今かと待っている。このようなおぞましいことが、他にありましょうか?
闇から闇へ、葬らなくてはなりません。
ミス・ハイタウンも、セバスティアン様も、その間に立っているらしき秘書のミス・リョウコも。ヴァイオラ様が、この人たちに命を狙われたということを知ることもないように、速やかに始末する。
敬愛するヴァイオラ様を守るためでもありますし、人道的にも放っておくことはできません。すべてを上手く処理できれば――そう、セバスティアン様一行は、東方から戻ってくる途中で事故に遭い、亡くなられたとでも、ヴァイオラ様にはお知らせすることになりましょう。あの無邪気なお方は悲しまれるでしょうが、本当のことを知るよりは傷つかずに済むはずです。
さて、そういう筋書きを現実にするために、まずは当面の問題を解決しなくては――。
杖を構えたミス・ハイタウンは、バック・ステップで、私から距離を取り始めました。間合いを調節しながらも、その唇は忙しなく動いており、スペルを唱えていることは疑いようがありません。
しかし、距離が欲しかったのは私も同じ。そして、こちらはすでに、スペルを唱え終わっております。早撃ち勝負は、私の勝ちです。
「《螺旋(ストックレーフリーズ)》」
始動キーを唱えると、私の周りに何百もの、黄色く輝く炎の球が浮かび上がりました。
ひとつひとつの大きさは、せいぜいが一サントほど。ドットメイジの唱えるファイヤー・ボールより、見た目はずっと頼りないものです。しかし、この魔法の本領は、大きさでも派手さでもありません。
杖をまっすぐに、ミス・ハイタウンの心臓に向けて。私は心の中で「発射」と叫びました。すると、黄色い炎弾は次々と、弓から放たれた矢よりも速いスピードで空間を駆け抜け、黄蜂の群れのようにターゲットを襲います。
これが私のオリジナル・スペル、《螺旋(ストックレーフリーズ)》。速度と威力、そして連射性に特化した、炎の小矢(フレシェット)です。
火を三つに、土をひとつ重ねたスクウェアスペル。高温高圧の炎の中心に、重い金属の芯を入れて放つこの魔法は、一発一発が小さく速いため、回避や撃墜が困難。さらに焼けた金属の芯のおかげで、貫通力に優れており、生半可な盾や鎧であれば、軽々と貫いてしまいます。
有効射程は約八百メイル。五百メイルの距離でも、厚さ九十サントのホワイト・パイソン(白マツ材)を撃ち抜き、三百メイルまで近付けば、硬い鱗に覆われた火竜の皮膚にも有効です。
私とミス・ハイタウンの距離は、離れつつあると言っても、せいぜいが二十メイル程度。相手までの到達時間は、一秒にも満たないものです。一発でも直撃すれば、それだけで戦闘不能。連続して食らえば手足が吹き飛び、頭は潰れ、内蔵は散らばり、挽き肉同然の状態になってしまうでしょう――そんな弾を、私は一度の詠唱で、秒間二発、三分間連続で放ち続けることができるのです。
ぱ、ぱ、ぱ、ぱ、ぱ、と、床の石畳に無数の穴を穿ちながら、射線はミス・ハイタウンのいるポイントと重なりました。しかし、彼女はその一瞬前に、宙に飛んで黄蜂の群れを回避しました――そしてそのまま上昇――床から五メイルほどの高さを維持したまま、大きな円を描いて、私の背後に回り込もうとしてきます。
「この状況で、フライとは! しかし、逃がしません!」
飛ぶミス・ハイタウンに照準を合わせ、弾をばらまき、撃墜しようと試みます。しかし、敵のフライは鳥のような速さでした。彼女の去った空間を、少し遅れて私の弾丸がむなしく通り過ぎていきます。上下左右、前後も絡めた立体的な機動を行う標的は狙いにくく、私は手数で勝っているにも関わらず、さんざんに翻弄されておりました。
やはり恐るべき精鋭『スイス・ガード』。一筋縄ではいきません。
ただ、回避が上手だからといって、それか私の撃破につながるか、というと、答えは否で。フライの魔法を使って飛行し続けているミス・ハイタウンは、他の魔法を使えません。逃げるだけで、反撃ができないのです。
相手からの攻撃がないのなら、私は落ち着いてゆっくり、狙いを定める仕事に集中することができるわけで、いつかは当然、黄蜂の一匹が、ミス・ハイタウンを撃ち抜き、地に落とすことになるでしょう。
こちらに断然有利で、向こうにとってはジリ貧の状況――だと考えていた私でしたが――飛び回るミス・ハイタウンの唇が、いまだに動いているのを、ちらりと目にしてしまい――頭から氷水を浴びせられたような、ゾッとする予感を覚えました。
そして、その予感は的中したのです。ミス・ハイタウンは飛びながら、速度を一切落とさずに、それでも正確に私の方に杖を向け――「《快楽原則(ディバイン・バスター)》」と口にしました。
瞬間、桜色の巨大な光線束が、私のすぐ横を駆け抜けていったのです。悪い予感に反応した肉体が、勝手に横に飛んでくれたのが、私自身の命を拾いました――光線の通過したところにあった壁に穴が空き、床がバターのように削れていくのを見る限り、エプロン・ドレスの裾の一部を削られただけで済んだのは、本当に幸運だったと言えるでしょう。
「あれ、今の避けちゃうんだ。完璧なタイミングだと思ったんだけどな」
砲撃の姿勢のまま、緩やかに宙を漂うミス・ハイタウンは、意外そうに呟きました。
「今のは、いったい……ミス・ハイタウン、何をしたのです?
フライの魔法を使いながら、別の魔法で攻撃を行うなど、見たことも聞いたこともございません」
怪しみながら問いかけると、彼女は嬉しそうににっこりと笑い、持っている杖をゆっくりと、注目しろとでも言いたげに振ってみせました。
「特別なことをしたわけじゃないよ。私が、人のできないことをした、ということでもないの。
戦いに赴く上で、できる限り自分が有利になれるように、装備とかいろいろ凝ってみた結果だよ。……紹介するね、この子。インテリジェンス・スタッフで、名前はレイジングハートっていうの」
[Nice to meet you.]
突然、杖についた赤い宝石がチカチカと輝いたかと思うと、どこからか抑揚のない、不思議な声が聞こえました。
はじめまして、の挨拶を意味する、アルビオンの古語を話したのは――まさか、ミス・ハイタウンの持っている、あの杖なのでしょうか? だとすると――。
「私の家に代々伝わる、守り神みたいな杖でね。言葉はちょっとかしこまってるけど、とってもいい子なんだよ。
ところで、シザーリアちゃんは、インテリジェンス・アイテムについて、どの程度の知識があるかな。意識を持っていて、言葉を話すだけのちょっとうるさい道具、って認識が、最近は広まっちゃってるけど、それだけじゃないんだよ。全部が全部、ってわけじゃないけど、知性ある道具はね、その子だけが使える、特別な能力を持っていたりすることがあるの。
このレイジングハートは、持ち主にフライの魔法を付与する能力を持ってる。だから私は、この子といさえすれば、空を飛びながら地上の敵を魔法攻撃するなんていう、とっても有利な戦術をとることができる……」
杖の――レイジングハートの先端が、再び私を狙いました。そして、またしても撃ち込まれる、凶悪な光線束。
今度は私が、できる限りの速さで逃げ続けなければならなくなる番でした。ミス・ハイタウンの魔法、《快楽原則(ディバイン・バスター)》というらしい破壊光線は、そうそう連射のできるものではないようですが、一撃一撃の効果範囲が広く、破壊力も尋常ではありません。硬い石壁を貫通する威力となると、私の魔法にも勝るとも劣らず、一撃必殺であるはずです。
数秒ごとにほんの一瞬、夜明けを迎える桜色の太陽。その輝きをかろうじて避けながら、私も負けずに、《螺旋(ストックレーフリーズ)》をミス・ハイタウンに向けて撃ち続けます。
パワーはお互い充分である以上、どちらの射線が先に相手をとらえるか? これはそういう勝負なのです。
――そう思っていた私は、次の瞬間に起こったことに、愕然とせざるを得ませんでした。
がむしゃらに放った弾丸のいくつかが、偶然にもミス・ハイタウンにまっすぐ飛んでいったのです。両者の速度と移動方向を計算しても、絶対に避けようのない激突が起きるはずでした。
しかし――ああ、それなのに。私の炎弾は、ミス・ハイタウンに命中する、その直前に――謎の光の壁に阻まれて、カキン、カキンという乾いた音だけを残して、打ち消されてしまったのです。
「ッ!? 何、が……?」
ミス・ハイタウンの目の前に現れた、オレンジ色に輝く半透明の壁を、私は信じられない気持ちで見つめます。正八角形の薄い色ガラス、といった見た目ですが、本当にそんなものなら、私の炎弾で打ち砕けないはずがありません。
〈どうして人間という生き物は、同族同士で争うのかな。まったくわけがわからないよ〉
またどこかで、聞き覚えのない声がしました。ミス・ハイタウンの方から聞こえたのは確かですが、彼女の声ではありませんし、あのインテリジェンス・スタッフ、レイジングハートの声でもありません。
〈大いなる意思のように、もっと広い視野で物事を見るべきじゃないかな。エントロピー、無秩序度という概念があるが、同じ種類の個体同士が潰し合うような動機が生じるのは、種のエントロピーが増大し過ぎて、自壊し始めているということを――つまり滅亡に向かう段階に到達したということを意味するんだけどね。君たちはその段階に六千年前から足を踏み入れているのに、しぶとく生き残ってなかなか滅びない。いったいどうしてなのかな? 理解に苦しむね〉
続く、何やら哲学的な独白。よく見ると、ミス・ハイタウンの肩の上にいる白い獣が、もぐもぐと口を動かしています。まさか、しゃべっているのは――?
「こら、初対面の人がいる時に、あんまり変な皮肉を言っちゃダメって、前から言ってるでしょ。
……ビックリした? シザーリアちゃん。驚かせる前に、この子のことも紹介しておくべきだったね。
この子は私の使い魔で、韻獣のユーノ君。エルフほどじゃないけど、彼の一族も先住魔法が得意なの。特にこれ、身を守る精霊の壁、《プロテクション》は、艦載大砲の五発や六発程度なら、ヒビも入らないくらい硬いんだよ」
〈先住魔法じゃなくて精霊魔法だよ。正しい言葉を使ってくれないと、僕も君たちメイジのことを、魔法男とか魔法女とか呼ぶよ。
そしてはじめまして、ミス・シザーリア。僕らの一族は、力ある生き物とパートナーシップを結びながら、長い長い年月を生き延びてきた、歴史ある獣だ。
もしこのグレイプより先に、君のような才能ある若者に出会えていたら、「僕と契約してより強いメイジになってよ!」と申し込んでいたところだよ。少しだけ残念だ〉
韻獣――ユーノの赤いくりくりとした目が、その愛らしさとは裏腹に、冷たく私を見ています。
なるほど、底の知れなさそうなこの獣がうまいこと利用するには、ミス・ハイタウンはしっかりし過ぎているというわけですね。まったく、お似合いの主従です。
そして、能力的にも相性は抜群です。高火力だけれど隙のある砲撃魔法に、その隙を補う強力な盾。そこにさらに、機動性を付け加えるインテリジェンス・スタッフ。
コンパクトでありながら、完璧な布陣です。個人でありながら、駆逐艦と同等、あるいはそれ以上のポテンシャルを秘めている――まるで人間戦艦ではありませんか。
「シザーリアちゃん。いずれ生き返ってくることになるあなたのために、先輩がひとつ教えを授けてあげるよ。
敵に挑むのは、自分が相手より攻撃、防御、移動の三点で優れていると思われる時だけにしておくべきなの。そうでないなら、そうなるように工夫を凝らしてから行動しなくちゃ……火力だけに自信を持っているメイジはたくさんいるけど、そういう人はとっても死にやすいんだよ?」
ありがたいお言葉を、こちらに投げ落としてから。ミス・ハイタウンは、激しい空爆を再開しました。
パーフェクトなプロフェッショナルの猛攻に、私は反撃の機会も見い出せず、ただただ逃げ続けるしかなかったのです。
その4に続くわけじゃ。