コンキリエ枢機卿の優雅な生活   作:琥珀堂

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その3の続きー。
今回はこれでひと区切りじゃ!


アーハンブラ断章(フラグメンツ)/ジョゼフはみんなにひどいことしたよね(´・ω・`):その4

 

 ハイタウンの放つ《快楽原則(ディバイン・バスター)》の光線が、広大なアーハンブラ城を串のように刺し貫いて、反対側の夜空へ抜けていく。

 彼女のこの華々しいオリジナル・スペルを見て、火系統のものだと勘違いする人は少なくない。だが、よく観察しさえすれば、この砲撃が熱を一切伴っておらず、ただただ物体を削り抜いていくだけのもので、火魔法の性質とは異なるということに気付くだろう。

 では、何の系統なのだろう? 嵐のような衝撃波が生じるから、風系統ではないかと想像する人もあろう。しかし、これも違う。もちろん、水系統には、似かよった部分は少しもない。

 グレイプ・ハイタウンは、実のところ、土のスクウェア・メイジなのだ。

 ゆえに、《快楽原則(ディバイン・バスター)》も、土系統のスペルである。土と破壊光線――これまた系統とまったくちぐはぐなように思われるが、この魔法の本質は、桜色の美しい光ではなく、物体を削り抜いて、貫通するという効果にこそある。

 具体的に何をして、その効果を生んでいるのかというと。ハイタウンは、強力な《錬金》の魔法を『線』として放出し、杖の向いた先にあるものをすべて、空気へと錬金しているのだ。

 石も鉄も木材も、すべて空気に変えられ、削られる――というよりは分解されて、霧散してしまう。撃たれた壁は貫かれているのではない、変質し、くり抜かれているのだ。あの派手で、いかにもエネルギーの奔流のような桜色の光線は、効果範囲を認識しやすくするためだけのものでしかない。

 もちろん、狙った先にあるものをすべて錬金するなどということが、楽なことでないことは当たり前だ。材質によって、錬金しやすさの度合いには違いがあるし、固定化という魔法によって、錬金による変化を受け付けないようにしてある物体も存在する。宝物庫だとか、城壁などは大抵、土メイジの固定化によって頑丈に防御されている。アーハンブラ城も、その例に漏れない。

 だが、それを破るからこそ、ハイタウンは『スイス・ガード』なのだ。

 圧倒的な精神力を魔法に込めて、完全な力技で、あらゆる防御を撃ち抜いてしまう。スクウェアが十人がかりで重ねがけした固定化に守られた壁でも、ハイタウンならものの十秒で穴を空けてしまうだろう。これは修行の結果とか、努力の賜物とかではなく、生まれつきの才能によるものだ。並のスクウェアメイジを遥かに越える、バカみたいな量の精神力を彼女は保持しており、艦載大砲以上のむちゃくちゃな攻撃を平気でできるからこそ、彼女はセバスティアンに認められたのだ。

 さて、そんなみもふたもない仕組みによってはたらく魔法、《快楽原則(ディバイン・バスター)》。その効果はあくまで『物体』に対してだけで、『生き物』には作用しないように設定してある。ゆえに、生きた人間がこれを食らうと、城門を守っていた門番たちや、『ルイ・カペー』で直撃を受けたミス・シェフィールドのように、着ているものだけが吹き飛ばされることになり、あわれ素っ裸になってしまう。

 生き物ではないものは、食らえば消し飛ぶ。ガーゴイルだとか、生ける屍――もう死んでいるのに、魔法の力で動かされている死体なども、分解されて大気に還ることになる。あのシザーリオのように。

 また、固体が空気に変わると、なぜか瞬間的に体積が何倍に膨れ上がるらしく、気圧が変化し、周辺に爆発を思わせる衝撃波を生み出す。衣服や鎧を消し飛ばされ、無防備になった人間が、この衝撃波を浴びてしまうと、それこそ全身を鞭で打たれるのと同じ結果になる。よくても立ち上がれないほどの激痛に見舞われ、普通なら失神、悪くすれば骨折ぐらいは負ってしまうだろう。

 つまり、《快楽原則(ディバイン・バスター)》の正体とは――広範囲にいる複数の敵の武器と防具を破壊した上で、気絶させて無力化することを目的とした、ある意味でこの上なく平和的な、非殺傷設定の暴徒鎮圧魔法なのだ。

 だが、そんな魔法しか使えないのでは、無慈悲なセバスティアン・コンキリエが、ハイタウンを暗殺のために使うはずがない。

 もちろんハイタウンは、殺傷能力に優れた、より強力な切り札の魔法も持っている。にもかかわらず、ここまでの戦闘で《快楽原則(ディバイン・バスター)》しか使っていないのは、標的があくまでシザーリオとヴァイオラのふたりだけだったからだ。城の警備兵など、無関係な人間を殺戮して回るような低俗な趣味は、ハイタウンにはなかった。

 すでに死体となっているシザーリオは、《快楽原則(ディバイン・バスター)》でも充分始末できる。ならば殺傷設定の魔法は、ヴァイオラを見つけた時に、たった一発放つだけでいいという話だ。当たり前だが、殺傷設定の強力な魔法と非殺傷設定の弱い魔法、ポンポン連射するなら、後者の方が疲れずに済む。つまりハイタウンは、下手に消耗しないよう、体力を温存して、ジョギング気分で適度に城攻めをしていたわけだ。

 だが、ここで誤算が生じた。予想していなかった敵戦力、シザーリア・パッケリが、ハイタウンの前に立ちふさがったのだ。

 あらぬ誤解(ではないかも知れないが)を受けたハイタウンは、シザーリアを抹殺しなくてはならなくなった。しかし、それでもまだ本気を出しはしなかった。シザーリアの使う火炎弾連射魔法はなるほど強かったが、レイジングハートによる回避運動と、ユーノの《プロテクション》を攻略できるほどではなかった。安全は充分に確保されていたので、ハイタウンは今まで通りの《快楽原則(ディバイン・バスター)》でシザーリアを気絶させ、動けなくなった彼女に殺傷設定の魔法を使い殺害するという、なるべくエネルギー消費を抑えられる戦術でのぞむことにしたのだ。

 ただひとつ、ハイタウンにとって予想外だったのは、シザーリアがひらひらのメイド服といういでたちでありながら、異様に機敏だったということだ。直径五メイルもの極太光線束を、飛んだり跳ねたり転がったりして、避ける避ける。しかも隙を見つけでは、《螺旋(ストックレーフリーズ)》の弾丸を正確に撃ち込んでくるのだ。

 繰り返すが、その攻撃ではハイタウンの防御を破ることはできない。ただ、火炎弾が《プロテクション》に弾かれる時の炸裂光は、ハイタウンにとって鬱陶しい目くらましになっていた。そのせいで、逃げるシザーリアを完璧に捕捉することができないのだ。

 もう十発以上の《快楽原則(ディバイン・バスター)》を撃ちまくっているが、いまだに直撃させることができない。またしても、ハイタウンの目の前で、黄色い蜂が精霊の壁に阻まれて弾け飛んだ。もし《プロテクション》がなかったら、眉間を撃ち抜かれていただろう。向こうの精密な射撃は見事のひと言だ。

「くっ、ちょこまかとーっ!」

 負けじとハイタウンも、シザーリアの真横に回り込みながら、桜色の光線を発射する。素早い敵に攻撃を当てるには、ハイタウン自身も常に高速移動し続けて、相手の死角を狙うしかない。

 そのため、ありとあらゆる方向に魔法が撃ち込まれることになり――しかもシザーリアがあっちこっちに移動してそれを避けるため、可哀想なアーハンブラ城は、内側から外側に向かって、何度も何度もいろんな角度で刺し貫かれることになった。

 ある時は西の空に向けて。ある時は東の空に向かって。またある時は北の地面に食い込むように。さらにその次は真南方向に水平に、桜色の太い杭が飛び出していく。

 流れ弾でどんどんどんどん削られていくアーハンブラ城。今や、この城の壁や床、天井や柱といった構造物の、実に十パーセント近くが、蒸発し、消滅しつつあった。

 しかもその無益な破壊の連続は、終わりを見せる気配が微塵もないのだ。

 ハイタウンともシザーリアとも関係のない場所が、彼女らにまったく気にされないうちに吹き飛んでいく――色々な場所が。

 

 

 ジョゼフは、城の中の緊迫した空気を味わいながら、それでもいささかも慌てることなく、ゆったりとした足取りで、ヴァイオラたちを閉じ込めた牢の前までやって来た。

 重そうな鉄の扉の前には、見張りの兵士がひとり立っている。彼は王が近付いてきたのに気付くと、背筋を伸ばして敬礼をした。

 ジョゼフは礼儀をわきまえた見張り番に「ご苦労」と短く労いの言葉をかけると、扉を開けて、中の囚人と面会させるように命じた。

「はっ、かしこまりました、陛下。……中に入られるのでしたら、ご一緒しましょうか?」

「いや、それには及ばん。余だけを入れてくれれば、それでいい。武器はちゃんと携帯しているから、心配は無用だ」

 ジョゼフが魔法を使えないということは、周知の事実だ(本当は違うが)。それゆえ、囚人に手向かいされた場合にジョゼフが怪我をしないで済むよう、見張り番は気を使って提案したのだが、ジョゼフはそれを理解した上で辞退した。ヴァイオラもシャルロットも杖を取り上げられているはずなので、今はただの小柄で非力な少女に過ぎない。ふたりがかりでこられても押さえ込む自信はあるし、いざという時には《加速(アクセル)》の魔法もある。危険は一切、ない。

「囚人たちの様子はどうだ? 泣き叫んだり、暴れたりしている様子は?」

「ありません。静かなものです……おそらく、ぐっすり寝ているのでしょう。

 もっとも、この牢は扉も壁も厚いので、よほど大騒ぎしないことには、中の声なんて聞こえてきませんがね」

 言いながら、見張り番は腰にぶら下げた鍵を使って、扉の錠を外した。

「よし、扉を開けよ……そして、余が中に入ったら、また扉を閉めるのだ」

「は? その、あまり居心地のいい場所ではありませんが、よろしいのですか?」

「構わぬ。囚人と少し内密な話がしたい。鍵をかける必要はないが、扉は開いていてもらっては困るのだ。出る時には、中からまた呼び掛ける」

「……かしこまりました」

 もしかしたら、その内密な話は長引くかも知れないな、と、ジョゼフは内心で呟いた。もし、ロマリアなりセバスティアンなりの手の者が、ヴァイオラを取り戻しに忍んでくるなら、牢の中でそれを待ち受けていたかった。ひと晩程度なら寝ずに待つことは簡単だ。睡眠時間を削るくらいのことで、謎の刺客と対決するエンターテイメントが得られるなら、安いものではないか。

 ごりごりと音を立てて扉が開かれ、ジョゼフは薄暗い室内に足を踏み入れる。とたんに伝わってくる、焦りの気配。それが何か確かめる前に、背後で扉が閉められた。

「えっ、なんの音……って、げっ!?

 じ、じじじジョゼフ王!? ど、どしてこんなタイミングで、ここに入ってくるんじゃ!?」

 動揺しまくりの悲鳴をあげたのは、ソファに腰掛けてくつろいでいた様子のヴァイオラ・マリア・コンキリエ枢機卿だった。

 その姿を見たジョゼフは、心の中に疑問符を浮かべる。確かヴァイオラは、ここに連れてこられた時には、パーティー用の上等なドレスを着ていたはずだ。それなのに、今目の前にいる彼女は、薄いシュミーズにショーツだけという、あられもない姿になっている。いったい何が起きたのか?

 暑くて脱いだ、という可能性もないではないが、まだそんな寝苦しい季節ではない。それに、そんなのはしつけの行き届いた貴族の子女がするには、あまりにもだらしないふるまいだ。あり得ない。

「マザー? いったい、その格好は……」

 そう尋ねようとした時、背後から急激に殺気が迫ってきた。ジョゼフが反射的に振り向くと、細い紐を手に襲いかかってくるシャルロットと目が合った。その紐は彼女の右手と左手の間に、六十サントほどの長さで張りつめていて、ジョゼフの反応が一瞬遅ければ、それは彼の首に巻きつけられ、喉に深く食い込んでいただろう。

 だが、その奇襲は失敗した。ジョゼフは逆にシャルロットの手首をつかみ、背負い投げの要領で床に叩きつけた。

「ぐっ!」

「ずいぶんな歓迎だな、我が姪よ。貴様もすっかり、北花壇騎士としての生き方に馴染んだと見える」

 背中を打ちつけて悶絶するシャルロットを、ジョゼフは冷たく見下ろす。そして、彼女もまた、裸に近い格好であることに気付いた――薄い肌着と下着だけ。

 目のやり場に困る姿の少女がふたり。これは何かある。陰謀の存在を嗅ぎつけたジョゼフは、鋭く室内を見回した――そして、色々と注目に値するものを発見する。

 まずは、床にとぐろを巻いている、不格好な布の塊。それは複数の布をつなぎ合わせ、編み込んだ長いロープだ。どうやら、ヴァイオラの着ていたドレスや、シャルロットの着ていた魔法学院の制服を材料にしているらしい。

 そして窓。鉄格子がはまっているはずなのに、そのうち一本が切断され、不自然に大きな隙間が空いている。他の格子には異常は見られないが、無事な一本に何か、キラキラした粉のまぶされた紐が引っかけてあり、それがジョゼフの興味を引く。

 明晰なガリア王の頭脳は、ここまでの手がかりで、囚人たちが何をしようとしていたのかを理解した。

「ふ、ふははははは! なんと、ずいぶん面白いことを考えているではないか!?

 杖さえ奪えば何もできないだろう、などと思って油断していた。余もいつの間にやら、貴族的な考え方に染まり過ぎていたようだ。このような……まるで平民のような工夫で、脱獄を試みられるとはな! 紐やすりで鉄格子を切って、衣服で作ったロープをつたって逃げようとするとは……まったく、感心したぞ!

 我が姪よ、お前の発案か? それとも、平民にお優しいことで知られるマザーの思いつきかな? どちらにせよなかなかのアイデアだ。こうして見つかりさえしなければ、案外成功していたかも知れんな」

 王の青い目で睨みつけられたヴァイオラは、顔を青ざめさせて、助けを求めるようにシャルロットにすがりつく。頼ろうとしている相手は、背中を強打したせいで息をするのも苦しそうだが、そんなことにも気付いていないのか、青い髪の頭を抱きしめて、「はよ、はよう起きろお姉ちゃん」と、震える声で呟いていた。

 ヴァイオラは頭が良く、計算高い人間だ。自分に自信を持っており、やることなすことうまくいくに違いないと思い込んでいるところがある。

 だからこそ、取り組んでいる仕事が思いがけぬ偶然で破綻したりすると、無能な人間や自信に欠ける人間が失敗した場合より、遥かに大きなショックを受けるし、立ち直るのにも時間がかかる。動揺をあらわにし、怯えるばかりの今の彼女は、もはや無力な子ウサギ以外のなにものでもなかった。

 囚人のそんな無様な姿を、嗜虐的な笑みを浮かべて見下ろしながら、ジョゼフは言う。

「ふと思いついてここに来てよかった。さすがは死を目前にした者たちだ……人間、追い詰められると意外な行動力を発揮するのだな。いや、本当に素晴らしい見世物だ。余は、こういう知恵を凝らした仕事というのが大好きなのだ。

 できれば、お前たちの企みを最後まで見物していたいところだが……立場上、そうできないのが残念でならんよ」

 ジョゼフは屈み込むと、床に置いてあった布製のロープを掴み上げた。そして、固く結んである布と布とのつなぎ目を、ひとつひとつほどき始める。

 ゆっくり、丁寧に、ヴァイオラたちに見せつけるように。

 やがて、それなりに出来上がっていたロープは、バラバラの洋服の破片へと戻されてしまった。ジョゼフは、それをバッ、と床にぶちまけ、腹を抱えてげらげらと笑い始めた。

「これでよし! 見ろ、なかなか壮観だぞ! 脱出のための道具が、生き延びるための希望が、細かいゴミに成り果ててしまったさまというのは!

 もちろん、この服はズタズタになってはいるが、お前たちのものだ。あえて奪おうとは言うまい……やりたければ、この布を拾い集めて、またロープのようにつなぎ合わせても構わん。だが、そこの窓の下には、これから二十四時間、ずっと見張りを置くことにしよう。

 何をしようと、お前たちの死の運命は変わらないのだ。余が変えさせぬ。心の底を絶望の色で染めながら、最期の瞬間を迎えるがいいわ! はは、ははは、はーっはははははははは――ッ!」

 仁王立ちで哄笑するジョゼフは、まさに悪竜に相応しかった。邪悪であり、強大であり、立ち向かう者が尻込みするような威厳をそなえていた。

 彼の存在は、囚人たちに絶望を与えた――もともとちょろいメンタルしか持ち合わせていないヴァイオラはもちろんだが、一度折れかけて立ち直った、以前よりもさらに「生きたい」という気持ちを強めているシャルロットですらも、この怪物を乗り越えられるのか、と、戦慄したほどだ。

 ――その時だった。

 怯える少女ふたりの、目の前で。

 右側の壁をドカーンとぶち抜いてきた桜色の光線が、左側の壁に突き刺さりながら、その中間にいたジョゼフの全身を飲み込んでいった。

 

 

「頭をぶつけないように気をつけな。ここからさらに天井が低くなるから。

 でも、もう少し進めば、アーハンブラ城の中の隠し扉に出られるはずだよ……あんたたち、覚悟はできてるだろうね?」

 あたしは――イザベラは、狭く暗い石造りの地下通路を慎重に進みながら、後ろの連中に声をかけた。

「大丈夫ですよ、姫殿下。ボクらは一度請け負った仕事はちゃんと、最後まで責任を持ってやるんです。今までずっとそうだったし、もちろん今回だってそうします。雇い主として、そこは信じてくれないと」

 おどけた調子で返事をしたのは、目がくりくりのガキにしか見えない、ちびっこい男――ダミアン。

 その後ろからついてくる、むすっとした坊主頭の大男――ジャックも、無言のまま頷いている。さらにその後ろ、チャラい羽根飾りのついた帽子をかぶった優男のドゥードゥーは、その容姿に相応しく、キザったらしいウインクとともに、ダミアンの言葉を補足した。

「ダミアン兄さんの言う通りですよ。俺たちは裏家業の人間だが、だからこそ契約ってのは蔑ろにできません。

 それに、今回は報酬がデカいときてる……途中でビビって降りたんじゃ、一生後悔するでしょうね。なぁジャネット」

「そうね、兄さん。たぶん一生に一度の大仕事だわ。

 成功したら私、ニースに別荘でも買おうかしら。デ・ロアズで、ダイヤモンドたっぷりのネックレスをオーダーするのもいいかも。

 どちらにせよ、モチベーションは最高ですわ、イザベラ様。お金のこともそうですけど、もともと私たちは、ジョゼフ陛下よりも、あなた様に仕えているという気持ちで、北花壇騎士団に籍を置いていたのです。そのあなたがことを起こそうというのなら、どこまでもついていきますわ」

 ドゥードゥーと並んで歩いている、フリルだらけのお人形さんみたいな服を着た少女――ジャネットもそう言う。

 あたしは彼ら四人のまっすぐな眼差しを受け止めて、「バカな質問をしちまったみたいだね」とだけ呟くと、再び進行方向に視線を戻した。

 ――ガリア北花壇騎士団の誇る、最強クラスのエージェント、『元素の兄弟』。

 あたしが彼らを呼び出し、今回の仕事を依頼したのは、もう四、五時間は前のことになるだろうか。

『いいかい、よく聞きな。今回の仕事は、カテゴリーセブン(緊急最優先・最高難度・最高機密)に属するものだ。あんたたちの実力をもってしても、命の危険は今までの任務より遥かに高いと心得てもらおう。

 トップ・シークレットだから、命令の内容を聞いたあとでは引き返せない。その条件では受けられない、という奴は、今すぐ退室してくれて結構だ。五秒以内にどうするか決めな』

 集まった四人に対して、あたしはいきなりそんなことを言ったのだ。まったく、今思うと、あたしの焦りっぷりは滑稽そのものだった。それだけ急いでたのも確かだけど、あんな言い方をされたのに、こいつらもよく引き受けてくれたものだと思う。

 やはり、もともと肝の据わってる奴らだったってことだろう。それから、アーハンブラ城に潜入してシャルロットを救い出し、父王ジョゼフを暗殺するという作戦内容を伝えても、誰ひとり驚いた顔をしなかった。ただ淡々と、作戦内容を確認して、報酬の交渉をした。事務的なことを全部まとめ終えて、いざ向かわんアーハンブラ城と立ち上がったのは、奴らを集合させてからわずか二十分後のことだった。

 あまり巨大な戦力を揃えて、派手に動くことはできない――少数精鋭で、素早く、目的だけを達成することができるエージェント。その条件において、元素の兄弟を凌ぐ者をあたしは知らない。

 ただ、能力があっても、従ってくれないのでは話にならない。命令をしたあとで、いくらなんでも王には逆らえないと言われてしまっては、その時点であたしは破滅だ。あの命令の瞬間は、人生最大の賭けだったと言ってもいい――そのベッティングにおいて、あたしは最高の選択をした。

 こいつらなら、たとえ自分が死の淵に立とうとも、あたしを裏切りはしないだろう。誇り高き暗殺者、完全無欠の裏世界の存在。その決断に迷いはなく、引き返すという無様も見せない。それがプロフェッショナルというものだ。

 ――だから。あとは、あたしが覚悟を決めるだけだ。

 シャルロットは必ず救い出す。それは絶対。その上で、のちの憂いを絶つために、父ジョゼフを始末する。

 この、父を殺すというのが、最大のヤマだ。父親を、血のつながった家族を殺す。決断するには、あまりにも重い行為。

 ビダーシャルは言っていた。あたしは、父を殺せる人間ではないと。激情に任せてそれをしても、必ず後悔することになると。

 何となくだが、あいつの言ったことは、間違っていない気がする。

 あたしは殺しのプロフェッショナルじゃない。どちらかというと小心者だ。弱いものいじめはできても、強い者に立ち向かう勇気はない。血を見るのは気持ち悪いし、誰かの死の責任を、心の重石にするのもまっぴらだ。

 あのバカ親父のことは大嫌いだが――それでも、血のつながりは、自分と近しいものであるという感覚は、常に覚えている。

 父を目の前にした時、「あれを殺せ」と、部下たちに命じられるか。

 何度自問しても、はっきりした答えは出せない。

 やがて道は、水平から徐々に上っていく階段になり始める。この地下通路は、何代か前の城主がこしらえた緊急用の脱出口だ。アーハンブラ城の中心から、数リーグ離れた場所にある城外の枯れ井戸までをつないでいる。戦争が起きて、落城が避けられない場合には、ここを通れば安全な場所まで落ち延びることができるわけだ。

 あたしは以前、北花壇騎士団長としての仕事の中で、国中の城の構造や弱点を調べなければならなかったことがあるのだが、その時にこの通路の存在を知った。城の中から外まで直通ということは、逆に進むなら、外から城内の重要なポイントまで一気に攻め込める、理想的な進軍ルートだ。今回の作戦では、なるべく城の警備兵と派手な争いをしたくなかったので、地上からのアタックは避け、ここを使うことにした。

 暗く静かな地下という世界は、五感を研ぎ澄ませる。それは即ち、精神の活発化にもつながる――あたしは歩きながら、常に悩み続けていた。本当にあたしのしようとしていることは正しいのか。シャルロットを取り返すだけで済ませるわけにはいかないのか。他に選択肢はないのか。どうしてもこの道を進まねばならないのなら、どうすれば覚悟を決められるのか――。

 しかし結局、その自問に答えは出ず、ついにあたしたちは地下通路の終点、場内に通じる扉にまで到達してしまった。

 こうなりゃもう、ぶっつけ本番でことにあたるしかない。あたしはため息をついて、吐いた息を大きく吸い込み、元素の兄弟たちに呼び掛ける。

「……よし。この扉を開けたら、全速力でいくよ。救出対象のいる牢獄までは、走れば一分もかからないはずだ。

 いつ敵と遭遇してもいいように、魔法の詠唱は済ませておきな。……もういいかい? じゃあ……ゴー、だッ!」

 扉を体当たりするように激しく開け放ち、あたしたち五人は砂臭い城内に突撃する。

 運のいいことに、巡回中の警備兵には出くわさなかった。疾風のように廊下を駆け抜け、牢獄へとたどり着く。ここも、見張りの兵はたったのひとりしかいなかった。その見張りも、接近するあたしたちに気付いて、杖を構えようとした瞬間に、素早いドゥードゥーによって首筋に手刀を叩き込まれ、あっけなく崩れ落ちた。

「オーケイ! これでもう邪魔は入らないね!

 ジャック、扉を開けて! ジャネットは、シャルロットが怪我している場合に備えて、回復魔法の準備を!

 ダミアンとドゥードゥーは周囲を警戒! あと少しだ、油断しちゃいけないよ!」

 あたしの命令を受けて、ジャックが重い扉を開け放つ。彼は鍵ごと破壊するつもりだったようだが、もともと施錠されていなかったようで、少し拍子抜けしたような表情を浮かべていた。

 まあそれはいい、シャルロットとの再会だ。あの子の無事な姿を、早く確かめなくては。

 扉を潜り、牢の中に入る。そこであたしは――。

 悪夢に、遭遇した。

 

 

「ぬ、ぬうううううううううっ!?」

 桜色のまばゆい光と、全身を打ち据えるような激しい衝撃を浴びながら、しかしジョゼフは耐えきった。

 彼の強靭な精神と肉体は、気絶することも、片膝をつくことも拒否し、ただただ全身の筋肉を固くして、嵐の過ぎ去るのを待った。

 それは、グレイプ・ハイタウンの《快楽原則(ディバイン・バスター)》の流れ弾が、偶然にも彼のいる場所を通過したものであるが、数枚の壁を撃ち抜いて、ある程度パワーダウンしていたとはいえ、この凶悪な砲撃魔法の直撃を受けて、なお立ち続けているあたり、ジョゼフという男の強さを垣間見ることができる。

 もちろん、耐えたとはいえ、それによってもたらされた激痛は、彼を大いに消耗させた。はあはあと呼吸を荒くし、ヴァイオラたちを睨みつける。

「な、なんだ、今の光は? お前たちのしわざ、か?

 いや、その目は違うようだな……この城に忍び込んだ、賊のしたことか? どちらにせよ、一撃で俺を殺せなかったということは、大した使い手でもないようだが」

 ヴァイオラもシャルロットも、驚きに満ちた目で彼を見ていた。とても、予想していた展開に出会った人間の表情ではない。攻撃の方向も、彼女らとは無関係な真横からだった。

「あの叩きつけるような衝撃、エア・ハンマーか? ふっ、痛くはあったが、ちょっと強めの涼み風に過ぎんな。むしろ浴びて、爽やかな気持ちになれたくらいだ……これからの時期、冷房として使うなら、あれくらいでいいかも知れん、な、ふ、ふふふ」

 強がりを言うジョゼフ。しかし、実のところ半分は本気の感想だ。今の一撃は、痛くはあったが、確かにどこか爽やかなところがあった。風で全身を洗われたような――肉体にこびりついた邪魔なものを、ひとつ残らず取り除いてもらったような、そんな不思議な気持ちのよさが――。

 彼が、その謎のリフレッシュ感に首を傾げた時だった。背後で扉の開く音がして、誰かが騒々しく飛び込んできた。

「シャルロット! 無事かい!?」

 振り向くと、それはジョゼフの娘、イザベラだった。彼女は入ってくると同時に、救うべき者の名を大声で呼んだが、部屋の中にジョゼフもいることに気付くと、ギクッと表情を強張らせて立ち尽くした。

「ほほう? お前が一番最初に、ここにたどり着くとはな。少々意外だったぞ、イザベラ。

 後ろにいるのは――元素の兄弟か。なるほどなるほど、少数精鋭で、素早くカタをつけようというのだな。合理的で悪くない選択だ、我が娘よ」

 あごひげを撫でながら、余裕たっぷりにジョゼフは言い放つ。イザベラのあとから部屋に入ってきた元素の兄弟たちも、王の堂々たる立ち姿を見て、ある者は目を見開き、ある者は眉根にシワを寄せ、ある者は目をぱちくりさせた。全員、動揺していることは共通している。

「な、何を……何をやってるんだい、あんた」

 震える声で、イザベラが尋ねた。何をわかりきったことを、と思いながらも、ジョゼフは笑みを浮かべ、答えてやる。

「見ればわかるだろう。余の思いついた最高の遊戯を楽しもうとしているのだ。

 余はこれまで、どのようなことをしても、心からの満足を得ることができなかった。少々の刺激では、とても満足のできない体なのだ。そこで、今回は今までにない、非人道的で背徳的な遊びに手を伸ばしてみようと思ってな……」

 世界大戦。自分の国をも戦禍に巻き込む、恐ろしき企み。

 その展望を、イザベラのような矮小な人間は、愉快には思えないのだろう。信じられないような目で父親を見つめ、それから視線を、シャルロットとヴァイオラに移した。その視線に、言い知れぬ優越感を覚えながら、ジョゼフは続ける。

「シャルロットも、マザー・コンキリエも、その楽しみのためにこうして拘束しているのだ。

 お前は彼女らを助け出しに来たのだろう、イザベラ? 彼女らが悲惨な目に遭うのを見たくないのだろう? それでとうとう、部下たちをたきつけて、余に反旗を翻したというのだろう?

 お前ごときがそのような決断をしてみせたこと、大いに評価するが、だからといって、余を邪魔するというのなら容赦は……」

 さらに続けようとした、ジョゼフの言葉が突然止まる。驚愕に固まっているイザベラの様子が、少しおかしいことに気がついたのだ。

「ふ、ふふふ、ふぅーん……は、背徳的な遊び、ねぇ?

 そのためにシャルロットや、ちびっこのマザーを、ねぇ? ほ、本気で言ってんのかいクソ親父……し、シャルロットは、あんたの血のつながった姪なのに……それをわかってて? は、ははは、こりゃまたずいぶん、笑えないねぇ……えぇ?」

 口の端とまぶたが、ぴくぴくと痙攣している。目はすわり、広いひたいには青すじが浮いていた。熱を含んだ木炭のように――静かな怒りが、彼女の中で圧力を増しつつある。

「そ、それで、こんな辺境の城に来たんだ? 誰にも見られない場所で、ゆっくりお楽しみするために? ああ、そうだよねぇ……ヴェルサルテイル宮殿じゃ、いくら人目を憚っても、噂が立っちゃうかも知れないからねぇ……その点ここなら、見張り番にさえよく言い含めておけば、何やらかしても、そんないやらしい格好ではしゃぎまくっても、人に知られる心配はないってわけだ。は、はは、は、考えたね、ホンット見事な計画だよ、この人でなし」

「……? どうしたイザベラ、何を言っている? 確かにここはヴェルサルテイル宮殿よりは、秘密を守りやすいが……いやらしい格好とは何のことだ?」

 異様な娘の態度に、ジョゼフは少し不安になる。相手が何を言っているのか、いまいちぴんと来ない。歯車が噛み合っていない気がする。

 いやらしい格好――どうやら自分の外見に、何か問題があるらしいと、彼は思いついた。そういえばさっきから、何だか妙に全身がスースーしている。とても爽やかな乾いた風が、体中の皮膚を優しく撫でているような――。

 ふと自分の体を見下ろして、ジョゼフはその爽快感の正体を知った。

 服がない。

 上着もシャツもズボンも、マントも靴も靴下もない。もちろん一番最後の砦であるパンツもない。完全完璧なすっぽんぽんである。王様の王子様が、王女様の目の前で、ぶらんと重そうに垂れ下がっている。

 そりゃ涼しくて爽やかなわけである。数時間このままなら、風邪を引きかねない爽やかさではあるが。

 さて、見るべきものを見て、気付くべきことに気付いたジョゼフは、自分のありさまに驚く前に、その明晰な頭脳をフル回転させて、今の状況を客観的に分析し始めた。

 

 1、全裸のおっさんが、荒い息で仁王立ち。

 2、すぐそばには、怯える半裸の幼女がふたり。

 3、床には、彼女らの服だったものが、ビリビリに引き裂かれて散らばっている。

 

(あ、これはいかん)

 今の自分がイザベラたちにどう見えているか、ジョゼフは極めて正確に把握した。そのことが相手にどれほどの心理的影響を与えるかも理解した。彼はイザベラがどんな風に考え、自分にどんな言葉を投げつけてくるかも想像がついたし、実際、相手のアクションは、だいたいその予想と変わらなかった。

「あ、あんたがそこまで、道を踏み外してただなんて。昔から非常識な人だとは思ってたけど、それでも最低限の良識はきっとあるはず、って思ってたのに。

 ち、血のつながりとか、後悔とか関係あるもんか。こ、こ、これは見逃しておけないよ、この変態、変態、ド変態!」

 プッツン切れた怒声が、誤解された王様に容赦なく浴びせかけられる。

 王女様は激しい怒りに頭を熱せられて、怒鳴る以外に具体的に何かしてくるわけではなかったが、その後ろの元素の兄弟はもっと冷静で、遥かに過激だった。

 まず、紅一点のジャネットが、日傘のような杖を構えた。その先端から、細長い水の筋が噴き出し、蛇のように杖の周りに巻き付いて、ぎゅるぎゅると螺旋状に回転し始める。それはいわば、エア・ニードルの水魔法版であり、突き刺されれば肉がえぐれ、ぐちゃぐちゃに挽き潰されるという、残虐無比な性質を持っていた。

 もちろん、それを発動させたジャネット自身も、冷酷そのものだ。自分の国の王であるジョゼフに対し、薄汚いゴミを見るような目を向けている。

 続いてジャックが、ゴーレム錬成の魔法を唱える。拳の部分にトゲトゲのついた、凶悪なフォルムの鋼鉄ゴーレムが、ずもももももと床から現れる。ドゥードゥーも負けてはいない。室内でありながら、三メイル級のブレイドを発現させ、大上段に構えた。ダミアンも、「無理。これは無理。さすがに無理」と呟きながら、杖を一直線にジョゼフに向ける。

 数々の汚れ仕事をこなしてきた、彼らのような闇の人間にも、許しがたい邪悪というのはあるのだ。

 グツグツと煮えたぎるような殺意の矛先を向けられたジョゼフは、一歩後ずさる。本当にまずい。

 いや、誤解されたことはさほど重要な問題ではない。どうせ彼らとは敵対する運命だったのだ。攻撃の意思を示されることは、もともと覚悟の上だった。

 だが、素っ裸になって、なにも身に付けていないということが――即ち、杖もなくしてしまったということが、非常にまずい。

 伝説の虚無のメイジであっても、杖がなければ魔法を使えないという点は、普通のメイジと同じである。ジョゼフは無敵の虚無魔法、《加速(アクセル)》の使い手であるが、それも杖なしでは発動できない。

 今の彼は、徒手空拳しか頼るもののない、平民同然の存在だ。一応、格闘術も人並み以上には修めているが、それで百戦錬磨の元素の兄弟に太刀打ちできるか、というと、答えはノーだ。

(な、何かないか……この状況を打開できる「力」は!?)

 ジョゼフがそれを求める気持ちが、天に通じたのか、運命は彼のもとに、彼をけっして裏切らないもうひとつの力を導き、到着させた。

「ジョゼフ様ッ、ご無事ですか!? お助けに参りました!」

 またしても扉が開き、誰かが部屋に飛び込んできた。

 カーテンの布をマントのように羽織った、黒髪の美女。ジョゼフの使い魔でありパートナーでもある、ミス・シェフィールドである。

「おおっ! 我がミューズよ、よく来てくれた!」

 ジョゼフの心に希望がともる。ミス・シェフィールドは、神の頭脳ミョズニトニルン。ありとあらゆるマジックアイテムを使いこなす能力を持った、伝説の使い魔だ。

 彼女が手足のように扱うマジックアイテムの中には、もちろん絶大な戦闘能力を持つものもある。数千のガーゴイルを同時に操って、一軍隊を圧倒することもできる。また、『アンドバリの指輪』という、おぞましき水魔法兵器も彼女は所持していたはずだ――あれを使えば、元素の兄弟たちを一瞬で、ジョゼフの味方につけることも不可能ではない。

「ミューズよ、ここにいる者たちは皆、余の敵だ! お前の力を使って、速やかに殲滅を――」

 と、命じようとしたジョゼフの目の前で。

 シェフィールドもまた、目を見開いて、さあっと顔を青ざめさせた。全裸のジョゼフと、半裸のヴァイオラたちを交互に見比べ、酸欠の魚のように口をぱくぱくさせる。

 それは、部屋に入ってきた瞬間のイザベラたちと同じ反応で、しかもそれより劇的に、悲痛の色の濃い表情だった。

「じょ、ジョゼフ様……そ、そそそそのお姿、は……?

 ま、まさか、そういうご趣味、なのですか? ち、小さい子の方がお好みなのですか?

 だから、だから私が、何度も遠回しに夜のお誘いをしても、受け入れて下さらなかったのですか? あなた様のお気に召す私になりたかった、のに……よ、幼女は……はうっ」

 哀れな使い魔は、どしゃあとその場に崩れ落ちた。非情過ぎる現実に絶望し、意識を手放すことを選択したのだ。

 シェフィールドは十人中十人が魅力的だと言うであろう、色気に溢れた大人の女性である。だが、すでにしっかり成長してしまっている。なにものも彼女を、ひくい・かるい・ぺったんこ・ほそい・うすいの時代に逆戻りさせることはできないのだ。

「み、ミュウゥウウウゥゥ――――ズッ!?」

 そして、シェフィールドという最後の砦が崩壊した事実も、同じく覆しようがない。ジョゼフは叫んだが、夢の世界に旅立った使い魔は、ピクリとも反応しなかった。

 その代わりに、じりじりと迫ってくる、四人の北花壇騎士たち。彼らの目にちらりと、同情の色が浮かんだが、それは恋に破れたミス・シェフィールドに対してのものだった。むしろ今のやり取りを聞いたせいで、彼らのジョゼフへの殺意はさらに固められたと言えよう。

「えーと、ジョゼフ様。見苦しい態度はもうよしましょう、ね? 大人なんだからけじめはつけないと。大丈夫、かなり痛くしますけど、そこの女の子たちが感じた恐怖よりは、全然ましだと思いますから」

 苦笑いで、しかし顔に暗い影を落として近付いてくるダミアン。

「……………………」

 無言で、岩のような肩をいからせて、威圧感満載で近付いてくるジャック。

「女の子を悲しませんのは感心しねえ……ああ、全然感心しねえなぁ。しかもその理由が遊びってことになると……余計に、なあ?」

 普段のおちゃらけた表情を引き締め、どすのきいた声で呟きながら近付いてくるドゥードゥー。

「潰して、ちぎる。潰して、ちぎる。潰して、ちぎる。潰して、ちぎる。潰して、ちぎる。潰して、ちぎる。潰して、ちぎる。潰して、ちぎる」

 瞳の中に、地獄のような深い闇を渦巻かせて、ゆらりゆらりと近付いてくるジャネット。

 ジョゼフは息を飲み、さらに一歩、二歩と後ずさる。肌をぴりびりと刺すような殺意のまなざしを浴び、これから行われる残酷な仕打ちを予感し、ごくりと喉を鳴らす――恥も体裁も捨てて泣き叫びたくなるような、そんな心の圧迫感、恐怖に打ち震える。

(震え……? 震えているのか。この俺が?

 力を失い、味方もなくし、敗北を避けられない状況に追い込まれて、とうとう俺は、心の震えを取り戻したのか?

 そうだ、この感覚だ。シャルルよ、あの懐かしい絶望が、今、俺の頭の中に戻ってきた! いくら頑張ってもお前に勝てなかった、あの頃の絶望感が! ゲームではけっして得られなかった、生きているという実感が! 本物の命の危険を前にして、ついに!

 俺は、俺は今――この世に生きている自分を、鮮明に感じている!)

 この最悪の状況において、ついに長年の悲願であった、人間らしい感動を取り戻したジョゼフ。胸の空虚さが満たされ、見えている世界に彩りが戻ってくる。たとえ恐怖であったとしても、彼にとってそれを得られたことは、この上ない幸せだった。

 そして、かつての感動を回復した今――生きている実感を取り戻した今――彼は、初めて人生に、生きがいを見い出していた。まだ生きていたい、この世にある感動を、もっともっと味わいたい。そう思えるようになっていた。

 ならば当然、こんなところで終わるわけにはいかない。いくら不利な状況といえど、諦めるわけにはいかない。

 心の震えは、困難に立ち向かう気力を、ガッツを生む。ジョゼフは己を叱咤激励した。これは試練だ。乗り越え、成長につなげるべき試練だ。武器がこの体ひとつしかなくても、周りに敵しかいなくても、知恵と工夫で切り抜けるのだ。それでこそ、人間には未来が開ける!

「控えい!」

 ジョゼフは胸を張ると、自分に迫る敵たちを真正面から睨み据え、城中を揺るがさんばかりの大声で大喝した。

 その威厳ある様子に、元素の兄弟たちはぴた、と動きを止める。彼らには、卑劣な悪漢だったはずの男が、急に高貴なオーラを放ち始めたという、なんとも不思議な風景が見えていた。一瞬前とはあまりにも違い過ぎる、その印象。何が起きたのかわからないが、そのギャップが、彼らの足を止めさせた。

「北花壇騎士も落ちたものよ! 目の前の光景を、正しく判断することもできないとは!

 誤解を招くような有り様であることは、余も認めないではない。だが! 始祖に連なる血筋を誇る余が! 神聖なるガリアの国王である余が! 婦女子を弄んで己を慰めるような、卑小な男だと思うのか!? 貴様ら、その杖を自らの胸に向け、不明を恥じるがいい!」

「い、言いわけは見苦しいぜ、王様よぉ! この状況! 他にどんな解釈ができるっていうんだ!?」

 威厳を叩きつけてくるようなジョゼフの叱責に、かろうじて反論を返したのはドゥードゥーだ。

 若きこの暗殺者の言葉を、ジョゼフは理解できる、とばかりに頷いて受け止め、今度は逆に包み込むような優しい声色で、敵意をなだめにかかる。

「ちゃんとした理由、お前たちの考えとはまったく違う解釈があるのだ。お前たちが杖を下ろすなら、それを説明して聞かせよう。

 余の声が聞こえる耳がついてさえいれば、余に杖を向けたことが間違いだったとわかるだろう。余は、お前たちの過ちを責めるつもりはない。ただ単に、同じガリア人同士で争いたくないという気持ちで、言葉での解決をはかっているというだけのことだ。

 どうする? このまま余の言葉を無視して、愚かな逆賊となるか? それとも、余の話を聞いてから、何が正しいかをあらためて判断するか?」

 しん、と、部屋の中が静まり返る。ジョゼフはもはや、この場の空気の流れを完全に掴んでいた。彼の生まれ持ったカリスマ性と、明敏な頭脳の働きがうまく組み合わさって、素晴らしい説得力が生まれていたのだ。

「……いいだろ。聞いてやるよ、親父。説明ってのをしてみな」

 やがてジョゼフの提案を受け入れたのは、彼の娘であるイザベラだった。

「イザベラ様、よろしいのですか? もしも時間稼ぎだったなら……」

「だとしても、この人には何もできないさ。見ての通り武器も何も持ってないんだからね。

 それに、あたしはこの状況の、他の解釈ってのを聞きたい。どうせ倒す相手だとしても……見栄を張る機会ぐらいは、設けてやんないとね」

 慎重なジャネットの忠告に、イザベラはそう言葉を返した。

 イザベラとしては、これはすがりつける最後の蜘蛛の糸だった。さっきは頭に血が上って、見たままの状況をそのまま受け止めてしまったが、ジョゼフの言う通り、他の解釈があるのなら?

 ここに来ても彼女は、ジョゼフのことを信じたかったのだ。当たり前のことだが、自分の父親を情けない鬼畜だと思いたい娘など、いるわけがない。偏屈で残酷ではあっても、威厳ある王であって欲しかった。

 そしてできれば、敵対せずに済ませたかった――父を倒す、という選択肢を選びたくなかった。

 こうして父親と、正面から向かい合えるなら、腹を割って話し合えるなら、シャルロットのことでも、お互いに歩み寄ることができるのではないか? 父を傷つけず、シャルロットも害させず、ぬるま湯のように安定した平穏な関係を、あらためて築いていけるのではないか?

 最大の決断を下しかねていたイザベラは、父の言葉と態度に、最後の望みを賭けたのだ。

「ふっ……感謝するぞ、イザベラよ」

 不敵に笑い、一歩前に出るジョゼフ。彼にとっても、この機会は最後の希望だった。娘と元素の兄弟を説得できるか否かで、これからの人生が決まる。生き延びたいと心から望む以上、絶対に失敗できない仕事だ。

(ふふふ、かつて、ここまで真剣にスピーチにのぞんだことなど、あっただろうかな? 体の芯が、じわりと熱くなってくるようだ……これが、やる気というものか。

 この気持ちを生涯忘れまい。この気持ちの高ぶりがあれば、心の震えがあれば、俺はなんでもできるし、いつだって満たされた気分でいられるのだ)

「さて……」

 オホン、と咳払いをして、ジョゼフはその場に居並ぶ全員の顔を見渡す。そしてついに、運命を左右する言葉を口にした――。

「まず、弁明を始める前に、ここまでたどり着いたお前たちに敬意を評して、これだけは言っておこう。

 余は今、お前たちの無遠慮な視線に晒されて、これまでにない興奮を覚えている――」

「ぶち殺せ(´・ω・`)」

 イザベラは何のためらいもなく、最終的な命令を下した。

 命じられた部下たちも、それに従うことに、少しのためらいも覚えることはなかった。

 

 

 かくしてひとつの悪が滅び、アーハンブラ城に夜明けが近付く。

 この騒がしい夜の中で繰り広げられているふたつの死闘も、そろそろ決着に向かおうとしていた――両者はお互いのことを知らないうちに連動しながら、お互いの戦いの幕を引く紐を手に握っていた。

 まず、城門に近い場所で繰り広げられていた、勇敢な少年少女たちと、エルフとの戦い――。

「わ、わわわ、やっぱり全然通用しないよ! ぼ、僕のワルキューレが、あいつに近付こうとするだけで回れ右してしまう! 攻めようがないっ!」

「私の炎も通らないわ! くっ、あのエルフの防御、本当に無敵だっていうの!?」

 ギーシュとキュルケが、少なからぬ焦りを含んだ言葉を吐き捨てる。

 彼らの目の前に立ちふさがるエルフ、ビダーシャルの表情は涼しい。むしろ、退屈しているように見えるほどだ。

 実際、彼は何もしておらず、する必要がなかったのだから、その様子も仕方がない。彼の操る精霊魔法《反射(カウンター)》は、ありとあらゆる攻撃を逆進させ、跳ね返す性質を持っている。ドットレベルの青銅ゴーレムの攻撃程度はもちろんのこと、トライアングルのファイヤー・ボールも楽にさばくことができたし、剣士による物理的な攻撃も、当たり前にはじき続けていた。

「無駄だ、蛮人の子供たちよ。諦めて引き返せ。

 我も、だらだらとお前たちの相手ばかりをしているわけにはいかないのだ。今ならば、黙って見送ってやってもいい。だが、これ以上続けるというのなら、多少の怪我は覚悟してもらうぞ」

 忠告しながら、ビダーシャルはちらりと背後に視線を走らせる。

 遠くから聞こえてくる、複数の爆発音。その方向に、彼が今相手をしている子供たちより、ずっと過激な侵入者がいることは間違いなかった。仕事の優先順位的には、そちらにまず急行すべきなのだが、こちらの子供たちも、強くないわりには諦めが悪い。まるでイーヴァルディの勇者のように。

 大抵の敵は、《反射(カウンター)》を常時発動しているだけで、あまり時間もかからずに撃退することができていた。エルフと見れば、メイジはとにかく全力全開の魔法で勝負に出てくるので、跳ね返った自分の攻撃を受けて一発で撃沈してしまうからだ。

 サイトたちの場合は、一発一発の攻撃があまり強力でない。また、跳ね返しても直接的に害を及ぼす攻撃が少なかった(剣による斬りかかりとか、ゴーレムの突撃とかが多い)こともあり、早々に《反射(カウンター)》の性質を見抜かれてしまい、警戒されてしまったことも、長期戦化を助けていた。

 もちろん、攻めあぐねているのはサイトたちとて同じである。どんな攻撃も通じないのだから。

「くそっ、こうしてる間にも、タバサがどんな目に遭わされてるか……デルフ、何かないか? こういう状況をぶち破れる、すごい作戦とか!?」

『おう、あるぜ相棒!』

 サイトの構える剣のつばがカチカチと鳴り、男の声を吐き出す。伝説の使い魔ガンダールヴの相棒、意思を持つ魔剣、インテリジェンス・ソードのデルフリンガーがしゃべったのだ。

『エルフの《反射(カウンター)》には、虚無魔法の《ディスペル・マジック》が有効なはずだ! あれなら精霊の影響を打ち消せる!

 娘っ子、俺っちにディスペルをかけるんだ! 魔法をまとった俺っちで相棒が斬りかかれば、あの防御も貫けるに違いねえ!』

「わかったわ、デルフ!」

 虚無のメイジ、ルイズ・フランソワーズが、すぐさま詠唱を始める。エルフという種族として、聞き逃せない言葉を聞いたビダーシャルは、表情を変えて、そのストロベリーブロンドの少女を睨みつけた。

「虚無……まさか、ジョゼフ以外の悪魔(シャイターン)……!? くっ、やらせぬぞ!」

 精霊に命じて、床や壁から石の手を出現させ、ルイズを襲わせるビダーシャル。しかし、魔法詠唱中の無防備な虚無を守るために存在しているガンダールヴが、そんな攻撃を許すはずがない。華麗な剣さばきで、石の手を打ち砕き、主人にけっして寄せつけない。

「ちょっと! 私たちのことも忘れてもらっちゃ困るわね!」

「ぼ、僕だって、やられっぱなしじゃないぞ!」

 キュルケの火球や、ギーシュのゴーレムも、ビダーシャルの攻勢を阻む。美しい声で呪文を読み上げるルイズを中心に、停滞していた状況は目まぐるしく動き始めた。

 やがて、ルイズの魔法が完成した。あとは始動キーを口にして、デルフリンガーにディスペルを付与すれば、この強大な壁であるエルフを打ち払うことができる。

 彼女はサイトの手に握られた魔剣に杖を向け、最後の呪文を唱えようとした。その時――。

 ずがーん、と、ビダーシャルの背後の壁が吹き飛び、桜色の光が――ハイタウンの放った《快楽原則(ディバイン・バスター)》の流れ弾が――入り乱れて戦う少年少女たちの間を縫って、キュルケに直撃した。

「きゃあああぁぁぁっ!?」

「きゅ、キュルケ!?」

 服を分解、消失させながら吹っ飛ぶキュルケ。チョコレート色のなめらかな肌があらわになり、豊かなふたつの乳房が、立体的にたゆゆんと揺れた。

「おおっ! こ、これは! シースルー・ナイス!」

 好奇心旺盛な年頃の青少年、ギーシュは、戦いの場であるということも忘れ、両の目をこれでもかと見開き、女性の裸体という芸術を脳裏に焼きつけていく。

「なんというボリューム! これが情熱の国ゲルマニアの、パワーの源かッ!? モンモランシーや、ミス・ヴァリエールの平坦な胸にはない、生命力の輝きを感じるッ!」

「お、おいギーシュ! 何言ってるんだよお前!」

 ギーシュの盛り上がりっぷりを見たサイトは、友人の無遠慮な発言を鋭く戒める。

「ルイズをさりげなくバカにするんじゃねぇ! そりゃ確かにあいつの胸は平坦だ! まな板だよ! でもなぁ、形はものすごく綺麗なんだぜ!? 毎日着替えの手伝いをしてたから、俺は知ってる!」

「何だってサイト!? 君って奴はッ……そこんとこ詳しく!」

 言い争いなのか仲良しの情報交換なのか、よくわからない言葉の浴びせ合いを始める少年ふたり。

 戦士たちの注意が変な方向にいったことを、ビダーシャルは呆れた目で見ていたが、その話し合いがなかなか終わらないらしいと悟ると、ゴホンと大きめの咳払いをして、彼らの興味を自分に引き寄せた。

「仲のよろしいのは結構だが、少し落ち着きたまえ。そんな言い争いをしている場合か?

 何が起きたのかはよくわからないが、我々の戦いはまだ終わっていないのだぞ」

「何を言っているんだね、君は! おっぱいの大きさは蔑ろにできない問題だろう!?」

 ギーシュは、ビダーシャルの注意をひと言で切って捨てた。先程までエルフをさんざん怖がっていたのに、この態度。おっぱいは男を強くするらしい。

「そうだそうだ! エルフのおっさん、あんただって、人と大して変わらない見た目なんだからわかるはずだろ!?

 女の子の胸について、何の意見もないとは言わせねえ! あんたは形を重視するタイプか? それとも大きさにこだわりがあるタイプか? 聞かせてもらおうじゃないか!」

 サイトもギーシュに同調して、ビダーシャルに詰め寄る。その目はイーヴァルディの勇者そのものだ。誰になんと言われようと、どんな危険が目の前に迫ろうと、己を貫き通す、誇り高き男の目をしている。

 こんな奴らにすごまれて――ビダーシャルは、どうすればいいのか本気でわからなくなった。

「お前たちが何を言っているのか、我には理解できぬ。女性の胸がどうだというのだ。

 そこの赤毛の女のように、発育のいい大きな乳房だろうと……そっちのピンク色の髪の少女のように、発育不良で、子供以下の哀れな胸であろうと……己の好いた女のものこそ、自分の好みだと言うべきではないか? 大きい胸だから、形のよい胸だから好きという論法は、順序を誤っている」

「お、おお……」

「な、なるほど……」

 理路整然としたビダーシャルの言葉に、サイトとギーシュは強い感銘を受けていた。

「さすがは長い年月を生きるエルフだ、言うことが深い。僕は目から鱗が落ちた思いだよ」

「ああ、俺たちの完敗だぜ。エルフのおっさん、ビダーシャルっていったか? 見事な主張だったよ。敵として出会ったのでなければ、俺たち友達になれていたかも知れない」

「……お前たちの言うことは本当にわからぬ。今ので納得してくれたのか?

 ならばさっそくだが、攻撃を再開してもいいだろうか。さっきも言ったが、我はあまりのんびりしていられないのだ」

「あ、わりぃ。じゃあさっさと続きやろうぜ!

 もうそろそろルイズが呪文唱え終わってると思うし……ルイズー?」

 のんきにサイトが呼びかけた先で――ルイズ・フランソワーズは、うつむいて立ち尽くしていた。

「……平坦……まな板……子供以下の哀れな胸、ね……? へえ……そう……」

 低い呟きとともに、顔を上げる。死仮面のように表情のない、ゾッとするような無表情が、男三人に向けられた。

「ねえ、そこの犬」

 ルイズは杖の先で、ぴっ、とサイトを指し示す。

「そこの派手シャツ」

 フリル付きのおしゃれなシャツを着たギーシュにも、同じく杖を向ける。

「あと、そこの長耳」

 最後に、ビダーシャルにも杖を向けて。

 何かを暗示するように、にっこり、と――花の咲くような、愛らしい笑みを浮かべた。

「る、ルイズ?」

「ど、どうしたのかねミス・ヴァリエール?」

 サイトとギーシュは、本能的に危険を感じて後ずさる。そして、虚無のメイジの魔法の力を感じ取ったデルフリンガーは、慌ててルイズに声をかけた。

『お、おい嬢ちゃん! その心の震えはなんだ!? お、落ち着け! 精神力を注ぎ込み過ぎ――』

 彼の忠告は間に合わなかった。ルイズは杖を持っていない左手を握り込んで、その親指だけをグッと立て――。

 最後にそれを、ぐりんと下に向けた。

「まとめて、くたばれ」

 ――ディスペル――。

 真昼の太陽もかくやと思われるほどの閃光が、アーハンブラ城全体を一瞬で包み込んだ。

 

 

 こちらは、アーハンブラ城の中心付近。グレイプ・ハイタウン対シザーリア・パッケリの戦場だ。

 ハイタウンの攻撃が、徐々にシザーリアを追い詰めていく。しかし、相変わらず決定的な一撃だけはもらわないよう、うまくシザーリアが逃げるため、ハイタウンの方も苛立ちが積もっていた。

「もう、こんなに当たらないなんて! お空の軍艦とかなら、いつも一発で勝負がつくのに!」

〈あの子は頭がいいよ、グレイプ。君の攻撃のクセを、二、三発撃たせて見抜いてしまったようだ。ギリギリまで引きつけて、そこからかわしている。軍艦や軍勢にはできない動きだ〉

「そんなことわかってるよ、ユーノ君。ああもう、私ってつくづく一対多向けなんだなぁ……それとも彼女の才能がすごいのか……」

〈どちらにせよ、時間は押してるよ。見て、彼女、後ろをチラチラと気にし始めた。逃げるつもりでいるんだと思うよ。

 こちらの視界から姿を消しておいて、油断した頃に暗殺を仕掛けてくるつもりだ。もともと彼女は、そういう戦い方に向いた能力と精神性の持ち主だ。

 僕らとて、二十四時間気を張っているというわけにはいかないし、逃がしたら厄介なことになるよ〉

「わかってる、わかってるよ。となると……」

 ハイタウンは、すぐさま決断する。消耗は大きいが、ここは必殺技を使ってでも、シザーリアを潰してしまわなければ。

 レイジングハートのフライで、高い位置に陣取り、スペルを唱え始める。《快楽原則(ディバイン・バスター)》より複雑で、長い詠唱。

 それは、《快楽原則(ディバイン・バスター)》の非殺傷設定を解除した、一撃必殺の魔法。無生物だけでなく、人体すら錬金してしまえるように調整した、まさに究極の殺戮消失魔法。

 名付けて《光の帝国(スターライト・ブレイカー)》。

 放たれる光線束の直径は、約二十五メイル。有効射程は千五百メイル強。放たれれば、おそらくアーハンブラ城の全体積の、十分の一ほどは消し飛ぶことになる。

 周りへの被害も大きいが、だからこそ、シザーリアにもけっして避けきることはできない。

 連続的な砲撃を止め、ハイタウンが何か非常に長いスペルを唱え始めたことに気付いたシザーリアは、牽制のために連続して火炎弾を撃ち出した。しかしそれはやはり、ユーノの《プロテクション》に阻まれ、ハイタウンの詠唱を邪魔することにもならない。

 全力で逃げようか、ともシザーリアは考えたが、それは難しい。じわじわとそちらに向かってはいたが、まだ出口までは多少の距離がある。走り始めた瞬間に、背中を撃たれる危険が大き過ぎる。

 だが今さら、相手の魔法を止める方法もない。

「――できた」

 長い詠唱が終わる。ハイタウンが振り上げた杖、レイジングハートの宝石部分に、桜色の光が集まり始め、それが凝縮して刺すようなショッキング・ピンクに変わっていく。

 あとは始動キーを口にして、発射するだけ。長い戦いも、これで終わる。

「いくよ、シザーリアちゃん! これが私の全力全開!

 スターライト・ブレイ――……」

 ハイタウンが、一撃を撃ち放とうとした、その瞬間だった。

 目も眩むような真っ白い光が、ハイタウンもシザーリアも飲み込み、その目を眩ませた。

 ――同時刻。少し離れた場所で、ルイズ・フランソワーズが虚無魔法《ディスペル・マジック》を放っていた。

 これは、系統魔法、精霊魔法の区別なく、あらゆる魔法の効果をかき消すという性質を持つスペルであるが、その射程は術者の周囲だけでしかなく、普通ならばある程度距離の離れた、ハイタウンたちのところまで届いたりはしない。

 だが、魔法を放った時、ルイズの心は震えていた。

 魔法というものは、たとえ同じスペルでも、術者のメンタリティによって、大きく威力が変わってくる。

 コンプレックスに思っている胸のことをさんざんに言われ、ルイズの心は、かつてのタルブ上空戦の時に匹敵するほど(怒りと殺意と羞恥心で)高ぶっていた。

 その結果、放たれたディスペルは、アーハンブラ城全体を覆うほど巨大で、強力なものとなったのだ。

 ディスペルの光は、ハイタウンが撃ちまくった《快楽原則(ディバイン・バスター)》によって破壊され、穴だらけになったアーハンブラ城の内部に、まるでスポンジに染み込む水のように、あっという間に行き渡った。

 その一部が、ハイタウンたちのところにも届いた――あらゆる魔法を打ち消す光が――。

 白い一瞬の輝きに飲まれて、発射直前だった《光の帝国(スターライト・ブレイカー)》のショッキング・ピンクが、水をかけられた火種のように、じゅっと消え去る。

「えっ? あ、あれ? ええっ!?」

 自分の組み上げた魔法の構造が、一瞬で失われたことに、ハイタウンは驚き、声を上げる。

 しかし、彼女を襲った不調は、それだけではない。

[Error! error!]

 手の中のレイジングハートが、けたたましい警告音を鳴らして、宝石を点滅させた。

 その直後、がくっと体勢を崩し、落下するハイタウンの体。レイジングハートが制御する、フライの魔法が打ち消され、飛行していられなくなったのだ。

 さらに、肩にしがみついたユーノも、珍しく動揺した様子で、ハイタウンの耳元に囁いてくる。

〈あれ、お、おかしいぞ。グレイプ、大変だ。この辺り一帯の精霊が、全部まるごとどこかに吹っ飛んでいっちゃった。これじゃ精霊魔法が……《プロテクション》が維持できない〉

「え、ちょ、ええええっ!? な、何それー!?」

 白い影が、『悪魔』が、『エース・オブ・エース』が、ゆっくりと落ちていく。

 対して、最初から地を這っていたシザーリアにとっては、謎の光――ディスペル・マジックは、天からの素晴らしき追い風となった。

《螺旋(ストックレーフリーズ)》の火炎弾も、虚無の光に飲まれて消え去ったが、彼女の受けた被害は、それだけだった。体勢を崩すことがなかったので、すぐさま新しく魔法を唱え直す余裕があった。

 早撃ちでは、シザーリアの射撃魔法の方が一歩上だ。ハイタウンが床に墜落するより早く、新たな《螺旋(ストックレーフリーズ)》を発動させ、弾丸を補充する――そして、そのありったけを、いまだに体勢を整えることができていないハイタウンめがけて、撃ち込んだ!

〈あっ、なんかヤバい……あばばばばばばっ〉

「ゆ、ユーノ君ッ! ……ぐっ!」

 数十発の弾丸が、韻獣のユーノにぶち当たり、その体を蜂の巣にする。

 ハイタウンも被弾は免れなかった。左腕と腹部、そして胸の真ん中を、鋭く撃ち抜かれる。

 白い装束を血で染めて、石の床へと叩きつけられる彼女。だが、死んではいない――しっかり受け身を取ったのを、シザーリアの目は確かめていた。

 口から血を吐きながらも立ち上がり、杖を構えるハイタウン。その目は怒りと苦痛にぎらついて、シザーリアを睨んでいる。まだ戦意を捨てていない――恐るべきプロの執念に、シザーリアは背すじが凍りつくような思いだった。

「し、シザー……リア……ッ!」

「……………………」

 シザーリアも、火炎弾の発射準備を整えて、ハイタウンと向かい合う。すでに勝負はついている。だが、ここで油断したら殺される。それがミス・ハイタウンという相手だ。

 両者ともに一歩も引かない。最後の一撃を交差させる、そのタイミングをはかっていた――と、その時。

『ストップだ、ハイタウン! 急いでその場を離脱したまえ!』

 ハイタウンの服の、胸ポケットの中で、勝手に通話状態になったクリスタル・タブレットが、早口でしゃべり始めた。

 ミス・リョウコの声だ――普段になく慌てているのが、朦朧としているハイタウンにもわかった。

『何が起きた!? キミ、死にかけているぞ!

 体内チップが、キミの健康状態についてのレポートを送ってきてくれている! 左腕の動脈が破れた上、小腸が穴だらけだ! 心臓も傷ついている!

 何よりまずいのは、心臓を傷つけた何かによって、体内チップの肉体修復機能が破壊されてしまったという点だ! それさえ無事なら、今すぐにでもその怪我を治してやれるんだが、不可能になってしまった!

 今、ルーデルをアーハンブラ城の上空に向かわせている! 彼と合流して、連れて帰ってもらうんだ。キミにそこで死んでもらいたくはない!』

「……ダメ、だよ、リョウコさん。私の任務は、まだ終わってないもの。邪魔、しないで」

 かすれた声で、かたくなな返事をするハイタウン。だが、リョウコも譲ろうとはしない。

『任務は取り消しだ。話してる時間も惜しいということがわからないのか!?

 体内チップの計算によると、キミはあと二分十五秒で意識不明になり、三分三十秒で絶命する! それで任務を達成できると思うのか!?』

「二分? にゃはは、それだけあれば、シザーリアちゃんぐらいは殺せるよ。どうせ死んでも、あとで生き返らせてもらえるんだから……せめて、道連れに、させてよ」

『違う、違う、そういう問題じゃない! キミに、そのアーハンブラ城で死なれるのが困るんだ!

 もしキミの死体が、ジョゼフ王の手に渡ったら! キミがシザーリオ君みたいに、ジョゼフの傀儡にされてしまったら! 私もセバスティアンも困るんだ! 敵対するには、キミは厄介過ぎるからね!

 いいか、これは命令で強制だ! 今すぐ、城を飛び出して、ルーデルと合流して、彼の見てる前で死になさい!』

「うー……で、でもぉ……」

 この期に及んでまだ決めかねているハイタウンに、とうとうリョウコはキレた。

『ああもう! あんまりダダこねてると、新しい男の子紹介しないよ!?』

「今すぐ帰りまぁす!」

 とってもいい返事をして、ハイタウンは踵を返した。何事にも優先順位というものがあり、ハイタウンにとってお見合いは任務より上だったのだ。

 幸い、レイジングハートはディスペルによる不調から、すでに立ち直っていた。インテリジェンス・スタッフのフライによって、彼女は再び浮き上がり、天井に空いた穴から外を目指す。

 もちろん、シザーリア・パッケリを警戒することも忘れない。ふたりは睨み合ったまま、ハイタウンがどんどん距離をあけていく。

「シザーリアちゃん。次は油断しないからね」

 最後にそう言い捨てて――ハイタウンは、さっと城の外に飛び出していった。

 それを、無言で見送るシザーリア。数分間は、ハイタウンの出ていった場所を見つめていた。しかし、どうやら戻ってくることはないらしいと納得すると、大きく息を吐いて、その場にへなへなと座り込んだ。

「……次は、ですって? もう二度とごめんですよ、ミス・ハイタウン」

 猛攻から逃げに逃げまくった彼女は、すっかり疲れきっていた。

 仏頂面を維持してはいるが、完全に限界、グロッキー寸前だったのだ。しかも、何かよくわからない偶然の作用がなくては、ハイタウンに勝てなかった、ということも理解している。

(まったく、恐ろしい相手でした。あれが『スイス・ガード』……。

 シザーリオやミス・ハイタウンの他にも、二、三人いるはず。そして――それを束ねているのが、ヴァイオラ様を殺そうとした、ミスタ・セバスティアン……)

 勝てるのだろうか、と、シザーリアは自問する。愛する主人、ヴァイオラを守りきれるのか、と。

 難しい、という、現実的な答えが、彼女の頭の中に浮かぶ。

 でも、やらなくてはならない。勝たなくてはならない。

 シザーリア・パッケリは、そのために存在しているのだから。

 数十秒ほど休んで、彼女は再び立ち上がり、アーハンブラ城の廊下をさらに奥へと進んでいく。

 主を助け出して、誉めてもらってから、またゆっくり休めばいい。

 戦いは――終わった。

 

 

 気がついたら、アーハンブラ城に朝が来とった。

 結局、ことは何がなんだかわからんうちに、それなりに悪くない感じで収束してくれた。いや、説明しようにも、我にはほんとーに何がなんだかわからんのじゃ。だから、ここから先は、我の見たまま、聞いたままだけしか言うことができぬ。知らんことは話しようがないので、仕方がない。

 まず、アホのジョゼフは、なぜかいきなり全裸になったあげく、なぜかいきなり突入してきたイザベラ姫とその部下に、フルボッコにされた。

 見てて可哀想になるくらいのタコ殴りじゃった。終わった頃には、それなりにダンディなイケメンじゃったあのツラが、パンのカンパーニュみたいにまんまるに腫れ上がっとったし。

 しまいには、恨み骨髄のはずのタバサが、「い、イザベラ、もうそれくらいで」と、不安げな表情で止めに入っとった。おそらく、復讐したい憎しみというのにも、限界というものがあるのじゃろう。ここまでやっつけたらスカッと気分が晴れて、それでもう許してやれる――というポイントを遥かに越えて、ジョゼフは痛めつけられた。そのせいで憎しみと真逆の、憐れみの気持ちがタバサの中に芽生え、かばうという行為をさせたわけじゃ。

 そのため、最終的にジョゼフは死なずに済んだ。ボコボコのまま厳重に縛り上げられ、あとの処分はイザベラに任されることになった。

 イザベラといえば、あんにゃろう、自分の親父を倒したら、一気に甘ったれになりおった。

 ジョゼフを蹴ったり殴ったり、フルボッコに積極的に参加しておったデコ姫じゃが、タバサが止めに入ると、これを思いっきり抱きしめて、「つらい思いさせてごめんな、これからはもうこんな目には絶対に遭わせない、あたしがずっと守ってやる」とかなんとか、泣きながらほざいておった。

 これには統一性のかけらもないイザベラの部下どもも苦笑い。でも止めない。空気の読める連中じゃ。ただ、フリフリの服を着た女が、「私もだっこー」とか言ってふたりの包容に混ざろうとしたので、坊主頭の大男に羽交い締めにされておった。あれはなんか怖い。

 んで、しばらくしたら、今度はまったく見たこともないガキどもが、タバサの名を呼びながら飛び込んできよった。

 すわジョゼフの部下か、と身構えたが、聞いてみるとこいつら、タバサのトリステインでの同級生たちらしく、友達の危機を知って助けに来たらしい。

 ヤバい、なんじゃその若さゆえの無鉄砲さ。そして実際、我らが閉じ込められてる牢屋までたどり着くってどうなん?

 しかもそいつらの言うには、途中でエルフのビダーシャルに会ったけど、撃退してきたらしい。――おい、おい、たった四人で? あの恐怖の象徴であるエルフを? トリステインってあれか? 死にかけのオンボロ国家の皮をかぶって、その実バケモノレベルのメイジどもを量産しておるのか? そういや、あの烈風カリンもトリステイン人じゃし――少し、かの国への認識を改めた方がいいのかも知れん。

 ピンク髪の、何か得体の知れん迫力のあるチビ娘と、胸のでっかい赤毛褐色肌の女(なぜかこいつはマントで体をすっぽり覆っておった)と、黒髪の地味なボウズと、金髪巻き毛のチャラボウズの四人じゃったが、このうちボウズふたりは、目が悪いのか、ずっと目をぱしぱししておった。「あのディスペルの閃光で、まだ頭が痛い」とか、「強い光で気絶するなんて初めてだ」とか、「起こさずに、あのままエルフと並べて置いてきてもよかったのよ」とか話しておったが、どういうことじゃろ?

 とにかく、連中もイザベラと一緒に、タバサを抱きしめて、無事を喜んでおった。

 まったく果報者じゃよな、タバサは。つらいこともいっぱいあったんじゃろうが、こうして気にかけてくれるバカどもが、周りにいっぱいおるんじゃから。

 やーれやれ、気恥ずかしくて見てられん、と思った我は、気をきかせて部屋の隅っこに行き、大絶賛失神中のミス・シェフィールドの横で、まったりと腰を下ろしておった。

 ジョゼフが倒れ、タバサの味方どもがこんなに集合したからには、もう我の命の危険も過ぎ去ったということじゃろう。我を殺す毒を作る、と言うておったエルフもやられたらしいし、めでたしめでたし、というわけじゃ。

 とりあえずひと安心したので、そのままボーッとしておった。じゃが、ちと肩が寒い。よう考えたら、服をズタズタに裂いたゆえ、我は今すっごい薄着なんじゃった――とりあえず、とっととイザベラたちを急かして、この辛気臭い牢からおさらばすべきじゃろうの。

 しかしあいつら、いつまでも楽しそうに大騒ぎじゃ。黒髪の坊主が、裸に近いタバサの胸をジーっと見たせいで、ピンク髪の娘に関節技をかけられておる。賑やか過ぎて話しかけにくい。寒いが、もうちっと気をきかせ続けてやるべきか?

 そう思っておると――突然、我の肩に、ふわりと暖かいマントがかけられた。

「お迎えに上がりました、ヴァイオラ様」

「……待った。遅いぞ、シザーリア」

 振り向いた先におった、我に忠実なメイドの姿を見た時、思わず泣きそうになったのは、誰にも内緒なのじゃよ。

 

 

 それからはもう、この騒動の後始末しか残っておらん。

 イザベラは、捕まえたジョゼフと、その側近であるミス・シェフィールドを連れて帰ることにした。

 とどめこそ刺さぬが、こうして反乱した以上、何事もなかったかのようにジョゼフを自由にするわけにはいかん。国民には「王は重病で政務が不可能になったため、娘に王位を譲り、引退する」という風に発表して、身柄は転地療養の名目で孤島に送り、軟禁するつもりだという。

 我々が帰るための船は、一隻で充分じゃろうに、その九十倍くらいやってきおった。ガリアの誇る両用艦隊というやつが、アーハンブラ城の上空に続々と集結してきおったのじゃ。

 どうやらそれを呼んだのはジョゼフらしく、奴さん、戦力をアーハンブラ城に集めて、マジで周りの国と戦争おっ始めようとしとったらしい――アホ過ぎる。今回のことがなくても、こんな奴には、信頼する部下に刺されて死ぬぐらいのオチしか待ち受けてなかったじゃろう。ボコボコにされたとはいえ、生きて無難に失脚できたのをイザベラに感謝すべき。あと我にも謝罪しろ。

 ジョゼフに呼ばれてやってきて、着いてみたら王様が半死半生になっとったのを見た時の、両用艦隊隊長クラヴィル提督の驚きようは見ものじゃった。奴は結局、新たな主人であるイザベラに命じられ、そのままサン・マロン港に引き返すことになった。その上、ついでとばかりに、イザベラをリュティスまで運ぶ役目を押しつけられた。完全にただの馬車扱い。哀れ。

 その両用艦隊には、イザベラたちだけでなく、我や、トリステインから来たタバサの友人たちも乗せられた。トリステイン魔法学院の四人は、ぶっちゃけ不法入国じゃったが、タバサのとりなしで無罪放免と相成った。イザベラとしても、従妹の友人たちのことは気になるらしく、船内でもしきりに話しかけておったわ。特に、赤毛のおっぱい――ミス・ツェルプストーとかいうたかな? あれとは馬が合うようじゃ。たぶんどっちも、『かわいいタバサを愛でたい友の会』的なメンタリティなんじゃろうな。あんまお近付きになりたくない。

 そして我々は、ガリアの軍艦に乗ってリュティスへと飛び立った。

 瓦礫まみれの中庭から船が浮かんで、空に向かって徐々に上昇していく。砂漠の要塞、アーハンブラ城。この城に滞在しとる間は、マジで恐ろしいことばかりじゃったが、こうして離れる時が来ると、感慨深いものがある。

 監禁されたことや、エルフと出会ったこと。死を宣告されたことや、真っ裸ジョゼフ集団リンチも、すべて衝撃的じゃったが――最も印象に残っとるのは、やっぱり、うん、あれじゃな。

 船で飛び立った我々の目の前で、アーハンブラ城そのものが、どしゃーんと崩れ落ちたのを見たこと。

 子供の作った砂の城のように、全部が全部ぺっちゃんこにぶっ潰れよった。のちの調査でわかったのは、城全体に無数の穴ぼこが穿たれ、ただでさえ自重を支えきれなくなっていたところに、城を守っていた固定化の魔法が一気に消えるという謎の現象が重なって、短時間での崩壊につながったらしい。

 まあ、古い城じゃし、しょうがないわな。怪我人がひとりも出んで済んだだけ、儲けものと思うべきじゃろ。

 それを最後の騒動として、あとは平和な船旅が続いた。我も服を着て、髪もシザーリアに整えてもらい、すっかり元通りの、美しく高貴で清潔なヴァイオラ・マリア様に戻ることができた。

 余裕ができると、やりたいことも増える。我はクラヴィル提督にねだって、甲板に安楽椅子を用意してもらい、リュティスにつくまでの間、日向ぼっこをしてのんびりくつろぐことにした。

「あ、見つけた。あんた、こんなとこにいたのかい」

 ぎーこぎーこと安楽椅子を漕いで遊んでおると、イザベラ姫が船室から出てきて、声をかけてきよった。

「おや、これは姫殿下。……おっと、もう今は陛下と呼ぶべきですかな」

「その呼び方は、戴冠を済ませるまで取っときな。それよか、あんたを探してたんだ。話がある……今、時間いいかい」

 もちろん我に否やはない。この小娘は、ジョゼフが倒れた今、近いうちにガリア王になることが確定している超絶VIPじゃ。今まで以上に、積極的に仲良くしていかねばならぬ。

 我は、そばに控えておったシザーリアに、イザベラのためにもう一台安楽椅子を用意するよう命じた。

「さて、お話というのは、どのようなことでございますかな」

 陽気の穏やかな甲板で向かい合い、お互いにギコギコと椅子を鳴らしながら、ゆったりと話を始める。

「ん、まあひと言でいうとさ、これからのガリアについてのことさ。あたしは今日。親父から王位を奪い取った。つまり、これから王様にならなきゃいけないわけだ」

 まあ、そりゃそうじゃよね。

「重責なのは間違いないし、不安もいっぱいだ……でも、後悔しちゃいない。親父がずっと王様でいたら、きっとガリアはどこかで、とんでもない過ちを犯してたはずだ。

 あんたを監禁したりしたのも、その前兆というか、破滅の始まりだったんだと思う。親父があんたを捕まえるために、どんな口実をでっち上げたのかは知らないが、ここまで周りの迷惑をかえりみないようになっちゃあ、もういけない。

 あんたには気の毒だったが、今回のことはガリアの膿を抜き取る、いい機会になったと思ってる。親父のしたこと、あたしからも謝っておくよ。怖い思いさせて、すまなかった」

「い、いえいえ、そんなことは仰らんでで下され。結局、何もされないうちに助けてもらえたわけですからな」

 我は心の中で、万歳を叫びつつガッツポーズ。おっしゃああぁぁっ、我の方のクソ親父のアホ王暗殺未遂事件は、これでうやむやになった!

「……で、病んだ親父から国を取り上げて、あたしのものにしたまではいい。これでとにかく、親父の毒はもうガリアを汚さない。

 だけど、だからもう安心ってわけじゃない。あたしが国を傾けちまったら、意味がないんだからね」

「ふむ……仰ることはわかります。ですが、あなた様の他には、相応しい人などおりますまい」

 何しろ、王様の実子じゃし。

「うん。シャルロットとも話し合って、それがいちばんいいって、あの子も言ってくれた。

 ついでに言うと、親父もあたしに、女王になれって言うんだよ。

 今も縛って、船倉に放り込んであるけどさ。王位継承に必要な玉璽のありかを尋問しようとしたら、こっちが聞くまでもなく普通に教えてくれたんだ。

 そして、正式にあたしに王位を譲るって……本当に妙な態度だった。子供みたいに素直というか……自分はもう夢を叶えたから、あとはもうどんな生き方でも構わない、とか言ってさ。強く殴り過ぎたのかな? 憑き物が落ちたみたいな、さっぱりとした表情で、あたしに笑いかけすらするんだよ」

 父親の変化を、気味悪がるイザベラ。でもえーと、言いにくいんじゃけど、あのアホ王は最初からそんな感じじゃったぞ。躁鬱が激しそうというか。孤島で転地療養というのを、名目でなくガチにすべきではなかろーか。

「まあ、親父にもシャルロットにも言われちゃさ、もう気合い入れてやるしかないだろ。あたしは王になる。そして、ガリアをいい国にするよう、精一杯頑張るつもりだ。

 でもさすがに、経験も見識も、あたしには足りない。誰か優れた人材をそばに置いて、不足を補う必要がある」

 ほほー。この不良王女、見た目に反してなかなか謙虚じゃし、考えてもおるのう。

「で、だ。さっき、シャルロットの友達のヴァリエールって娘と話してて思いついたんだけどね。あいつの国、トリステイン。あそこじゃ、あんたのお仲間さん……マザリーニ枢機卿ってやつが、宰相として国の舵取りをしてるらしいね」

「は、はい、そうですじゃ! 兄さ……オホン、マザリーニ枢機卿は、私心なき態度で政治にのぞみ、内外から非常に高い評価を受けておられます!」

 大好きな兄様の話が思いがけず出て、我は思わず身を乗り出してしもうた。

「そうらしいね。だとしたら……あたしの国でそれを見習うのも、悪くないかも知れない。信用できる、清廉な人格と高い政治能力を持った聖職者を迎え入れれば、国民の心もついてくるだろうし、統治もうまくやれるかも知れない……」

 じっ、と、イザベラの鋭い眼差しが、我を見つめた。

 内側まで見極めるように。ポーカーで、相手の手のうちを読み切り、勝負をかけるように。

「ヴァイオラ・マリア・コンキリエ枢機卿。

 あんた、ロマリアを出て、あたしに――ガリア王家に仕える気は、ないかい?」

「……………………は?」

 えっと?

 ――――――は?

 

 




今回のお話はここまで。続きはまたいずれじゃ。
しっかし……長かった。けど何とかなった。
我はそれなりに満足じゃ。

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