「よし、今日は聖職者らしく、人々を幸福へ導く方法を考えるとしよう」
我がキリッと表情を引き締めてそう言うと、午後の紅茶の準備をしていたシザーリアが、がしゃんとティーカップを取り落とした。
そして、無表情のまま「失礼いたしました」と言って、割れたカップを片付け――なぜか、風邪を引いた子供を心配するようなせつない眼差しで、我にこう言いおった。
「ヴァイオラ様……あなた様は少しお疲れのようです。すぐにベッドを用意して参りますので、午睡をなさって下さいませ」
「……どういう意味じゃ」
こやつの忠誠を疑うわけではないが、なんか我はしょっちゅう、失礼なイメージで捉えられとる気がする。
「いえ、私の勘違いかも知れないのですが、あなた様は聖職にこそ就いているものの、信心の浅さにかけては、イワシの頭以下のようだと考えておりましたので」
……忠誠、疑った方がええんか、こら。
「勘違いでしたのなら、深くお詫び申し上げます。しかし、普段から教会での礼拝は上の空でやっておられますし、賛美歌は歌詞をまともに覚えておられませんし、説教は同じ内容をときどき使い回しなさったりするので、これはブリミル教を信仰していないのだと、ずっと思い込んでおりました」
そ、そ、そそそそんなことはないぞ。お前が見た時は、きっとあれじゃ、体調が悪かったんじゃ。
普段はもう、練りに練られた完璧な説教で、群がる信者どもを感動の涙に沈めまくりなんじゃよ!?
「左様ですか? 教区の信者の皆さんにアンケートを取りましたが、ヴァイオラ様の説教を聞きに行く理由は、その内容が素晴らしいからではなく、演台の上でたどたどしい説教をつっかえつっかえ話すヴァイオラ様がかわいいから、そのお姿を拝見しに行くのだ、という意見が、85パーセントを超えておりましたよ?
あと、最前列で演台の下から見上げるように観覧すると、ときどき法衣のすそから下着が覗けるという意見も3パーセントほど」
「って、うえ、ちょ……なにそれこわい」
羊のよーに大人しく説教を聞いておった我が信者どもが、狼の群れにしか思えんなってきたんじゃけど!?
「ご安心を。3パーセントの不埒者については、きっちり始末をつけさせて頂きましたので」
「あ、そりゃーよかった、グッジョブじゃシザーリア……って違ぁーう!」
話がズレ過ぎじゃ!
「わ、我が言いたいのはじゃな! もうすぐ、国と国とのブライドっちゅう、ビッグなイベントがあるじゃろ? あれに、我が何かしら関われんかということじゃ!
結婚式を司るのはブリミル教会で、我はブリミル教の枢機卿じゃ。トリステイン、ゲルマニアの二国を結ぶ、アンリエッタ姫とアルブレヒト三世閣下の婚姻……このハルケギニアの平和のためにも、ぜひとも我自ら、祝福してやりたいのじゃ!」
「まあ」
気合いの入った言葉をぶつけると、シザーリアも我の本気っぷりをようやく察してくれたのか、深々と頭を下げてきた。
「そのような広き慈愛のお心をお持ちとは、このシザーリア、深く感服いたしました」
「うむ、わかればよい。……で、我がどんな風に祝えばいいか、ちと考えたいから、知恵を貸せ。我ひとりでなく、人の意見も取り入れれば、きっとより素敵にエレガントに祝えるであろうからの」
「はっ。喜んでお手伝いさせて頂きます」
かくして。我とシザーリアプロデュースによる「大型企画! アンリエッタとアルブレヒト三世のラブラブ☆ウエディングプランbyロマリア」計画が発動したのじゃった。
「ヴァイオラ様。『企画』に相当する意味合いの単語が多過ぎはしませんか」
「え? ……あ」
まあ、その……気にせん方向で、ひとつ。
■
ん? なぜ我が、縁もゆかりもない連中の結婚に、こんなに関心を示しているのか、って?
うむ、まあ、我としても、トリステインの姫とゲルマニア皇帝がくっついたところで、別にどうでもいいんじゃがな。結婚それ自体ではなく、その副次的効果に、大いに期待できるものがある故、ちと応援してやろうと思うたのじゃ。
王族の結婚による好景気? あー、それもある。大規模な国際的イベントを利用した、コネクション構築? もちろんそれもする。だが、第一目標はそんな瑣事ではない。
こないだ、トリステインを訪ねた時、兄様が……マザリーニ宰相が言うとったのじゃ。
アンリエッタ姫と、ゲルマニア皇帝の婚姻が成れば、休暇を取ってロマリアに帰ってくると。
つまり! 結婚式がうまくいき、その後のゴタゴタが少なければ少ないほど、兄様は我のところに、早く帰ってきてくれるのじゃー!
兄様ご帰還のためならば! 我は、全然知らん奴らの結婚式でも、全力全開で祝いまくってくれようぞ!
「というわけで、さっそく連中の結婚を、よりハッピーでプロブレムレスにする介入方法を検討するのじゃ」
我の書斎に、わざわざ黒板と白墨を用意させ、シザーリアひとりを相手に、マジ会議のような雰囲気を醸し出してみた。
「議員シザーリア君、何か意見はあるかや?」
「はい」
シザーリアも、事務机をどこからか持ってきて着席し、発言の際は挙手と、見事に空気を読んでおる。
「まずはシンプルに、結婚祝い品を贈ったり、ヴィンドボナの教会と相談して、式場の装飾を豪華にしてみてはいかがでしょう?」
「うむ、悪くない。採用じゃ。
じゃが、仮にも王族同士の結婚式。我らが何もせんでも、贈り物も式場の飾り付けも、最上級のものがセッティングされとるじゃろう。
他の連中が間違いなくすることに混ざるより、我は他の誰もしておらぬことをして、式に貢献したい」
「と、おっしゃいますと」
「今度の結婚は、いわゆる政略結婚じゃ。アルビオンの脅威に、トリステインとゲルマニアが、力を合わせて対抗する、という名目で……まあ、財政も軍備もちょろいトリステインが、ゲルマニアに守ってもらうために、同盟を結ぶ。
で、その同盟締結の条件が、アンリエッタ姫の嫁入りじゃっちゅうわけよな。ゲルマニア皇帝は、自分の権威を確かなものにするために、ブリミルから続く王家の血を欲しておる。トリステインを守ってやる対価として、アンリエッタ姫を妃にというのは、悪くない買い物じゃろうて。
しかし、その取引を喜べん奴ももちろんおるわな。金子の代わりに、ゲルマニアにお支払いされるアンリエッタ姫とかがのぅ。
実際、結婚が決まって以来、奴は目に見えて憂鬱そうにしとるらしい。国のためとはいえ、好きでもない男のところに嫁がされるんじゃから、仕方ないっちゃ仕方ないんじゃが」
我じゃったら、たぶん母国に対して挙兵するな……レコン・キスタに参入することも辞すまい。
「ま、そんなわけで、ちょっと可哀相なアンリエッタ姫じゃが、まさか同情で、結婚をやめろとは言えん。
やめたらやめたで、トリステインはゲルマニアの協力無しで、アルビオンに向き合わねばならなくなるからの。
では、あっちを立たせてこっちも立たせる、誰も我慢せんで済む、みんなハッピーな結婚の在り方はないのか?」
「はい」
「何じゃな、シザーリア」
「その条件であれば、アンリエッタ姫殿下にさえ納得して頂ければ、全て丸くおさまるのではないか、と考えられますが」
「素晴らしい……お前は本当に優秀な脳みそを持っとる。
ご褒美に、白墨をプレゼントしよう」
「ありがたき幸せ」
我の差し出した白墨を、両手で恭しく受け取るシザーリア。……ついノリでくれてやったが、こいつ、白墨なんぞどうするんじゃろ。
まあとにかく、シザーリアが言うたことはまさにどんぴしゃりで、この結婚の瑕疵と、その解決法を同時に示してくれておる。
結婚なんつうもんは、もともとお互いに好き合っとるからするもんじゃ。周りの利益のために、義務としてせねばならん結婚は、あまり幸せとは言えんじゃろう。
政治的に見ても、国同士の結束を固めるための結婚で、花嫁が花婿を嫌っとったら、これはちょいと具合が悪い。夫婦間がぎくしゃくしておれば、周りの家臣たちはフォローに回らねばならぬ。つまり、いらん手間がかかる。
ちゃんとした夫婦生活を営める程度に、妻と夫がお互いに心を通わせるまで、お世話をしてやらにゃならんというのは、面倒くさいことじゃろうな。
で、その面倒くさい役を割り当てられるのが、トリステイン側では、あの面倒事収集家の兄様であろうということは、想像に難くない。
んなことになったら、休暇取って帰省どころではない。何とかせねばならぬ。
具体的には、シザーリアが言ったように、アンリエッタ姫に、この結婚を納得させなければならぬ。
アンリエッタとアルブレヒト三世が、夫婦水入らずで放っといた方が気が利いとるってくらいのラブラブっぷりになれば、周りの者たちは手がかからんで助かるじゃろう。
手がかからない、イコール、兄様の仕事が楽になる、イコール、手が空くので早めに休暇、イコール、兄様おかえりなさーい! わーい! でフィニッシュ……となる!
うむ、完璧じゃ。アンリエッタ姫がラブ臭を漂わせるだけで、誰も彼もが幸せに!
「決まりじゃな、シザーリアよ。哀れな姫に恋心をプレゼントして、無機的で義務的な結婚を、夢と希望と愛にあふれたものに様変わりさせてくれよう。
これは誰も手をつけておらぬ、最高の贈り物になろうて」
我は、ニヤリと悪い笑みを浮かべる。
くくく、王族の結婚も恋心も、我にかかれば利益(兄様と一緒に過ごす日々)のための糧に過ぎぬわ。
「……で、問題は、どうやってアンリエッタ姫に、アルブレヒト三世を想わせるかじゃが……何かいいアイデアはないか?」
「はい、ヴァイオラ様。このような場合、問題を解決する手段は、およそ二通り考えられます。
ひとつは、アルブレヒト三世閣下の長所を、アンリエッタ姫殿下にアピールすること。
もうひとつは、アンリエッタ姫殿下が、アルブレヒト三世閣下に好意を持てない原因を排除することです」
「ふむ、道理に適っておるの。よし、ひとつ目から検討してみよう。アルブレヒトの奴の長所、か……」
まず、大国ゲルマニアをまとめあげておる、その辣腕ぶりかのう。
もともと小国の群雄割拠状態にあったゲルマニア地方は、ひとつの国として統合された現在でも、権力闘争の激しい、完全実力主義の国家じゃ。
アルブレヒト自身も、並み居るライバルたちを倒して、ようやく王座につくことができたという。
しかも皇帝になったらなったで、今度は下から追い落とされる危険に晒されるゆえ、なお血で血を洗う大闘争を続けねばならない。
そんな世界で権勢を維持するには、知力、体力、カリスマといった、王者に相応しい才能を軒並み揃えておかなければならんじゃろう。
ついでに言うと、前に一度何かの機会で見たことがあるが、顔も悪いもんじゃなかった。むしろ、初老に差し掛かりつつある渋い中年で、かなりイケとる方じゃと思う。まあ、兄様には及ばんがの。
つまり、まとめると、ひとりの男としては、めちゃくちゃ優良物件だと思うわけじゃ。
ゲルマニアという国を見てみれば、競争は激しいが、その分経済も活発に動いとる。技術開発も盛んで、新しいもの、より良いものがどんどん作られておる。現在でもたくさん儲けとる上、将来性も二重マルじゃ。
ううむ、挙げれば挙げるほど、トリステインの姫なんぞにはもったいない嫁ぎ先ではないか?
まあよい。次は、欠点探しじゃ。
たとえ政略結婚でも、相手が嫌う要素のない素敵な男性なら、ワガママ姫もふらつくじゃろう。
……しかし、何かあるか? アルブレヒトの欠点。
顔よし、資産よし。権謀術数渦巻く政界で上手く立ち回っとる男じゃ、心の底が悪党だとしても、世間知らずの妻を優しく扱うくらいは楽勝のはず。つまり性格も(アンリエッタ姫の主観上は)、優良であるはずじゃ。
歳が離れとることも、特に問題にはならんじゃろうし(我なんか、歳の離れた兄様に求婚されたら、きっと嬉しくて夜も寝られんはずじゃ)、となると、何が問題なんじゃろ?
「ヴァイオラ様。ひとつ、思い当たるふしがあるのですが」
悩む我に、シザーリアが挙手という助け舟を出してくれる。
「申してみよ」
「は。長い歴史を誇るトリステイン人は、新興国であるゲルマニアを、野蛮な国であると軽んじる風潮があると聞きます。
始祖から授かった魔法を操るメイジこそ、支配階層の貴族として相応しく、お金を払えば平民でも貴族になれるゲルマニアは、始祖を軽視し、拝金主義の蔓延する、誇りなき人々の国であるという考え方ですね」
「ふむ、なるほど……そういう考え方もあるのか」
普段から、始祖のことなんてロクに考えとらんかったから、想像もしとらんかったわい。
「金儲けに必死になる者は、心が貧しいと考えている人もいるのでしょう。
芸術、マナー、教養、道徳といった点で、ゲルマニアは一段低く見られているようです。もし、アンリエッタ姫殿下も、そのような先入観をお持ちだとしたら……」
「うまいっ! 確かにそれはありそうじゃ。トリステイン人ときたら、どいつもこいつも頭の固い、保守派揃いじゃからの。
となると、芸術性とか教養の分野で、優れたところを見せつければ、見直されるかも知れんというわけか」
「まさに、その通りでございます。
ただし、気をつけねばならないのは、芸術性と言っても、それが金満主義を想像させるような、華美過ぎるものでは逆効果だという点です。
たとえば、宝石を散りばめた装飾杖を贈ったりしては、金額で芸術をはかる不粋者と見られかねません」
「そうじゃな。トリステインにも、見る目のある知識人はちゃんといるじゃろう。
そこらの世間知らずの小娘なら、宝石のゴテゴテついた派手な杖の贈り物を、何も考えんと喜ぶかも知れんが、まともな感性の持ち主なら、そういう品は安っぽく感じてしまうじゃろう……逆にセンスの無さを知らしめる結果になる。
絵画とか彫刻とかいった美術品を贈る場合でも、見る目は相当厳しいじゃろう。
第一、進歩的なゲルマニアと、保守的なトリステインとでは、美的感覚に大きな隔たりがある可能性もある。単純な贈り物で、相手を満足させられるじゃろうか?」
「それを贈ることで、アンリエッタ姫殿下のお心を翻すことのできる物品というのは、おそらく存在しないでしょう。
姫殿下は王族なのですから、美しいもの、高価なものは見慣れておられるはずです。そんなお方のお心を揺るがすには、前代未聞の、よほど飛び抜けたモノでなければ……」
「となると、プレゼントではいかんな。モノではなく、ゲルマニアのセンスの良さと、知的水準の高さを知らしめることができて、なおかつアンリエッタ姫に、深い感動を与えるような何か……」
うーん、何じゃろか?
我がロマリアなら、アクレイリアの街並みとか、たくさんの寺院とか、綺麗で感動できるものがたくさんある。
ガリアもグラン・トロワに代表される美しい建築物が多いし、料理が美味いことでも有名じゃ。
アルビオンは、何つってもその景色の雄大さ。宙に浮かぶ白の国は、外から眺めても素晴らしいし、中から下界を見下ろすのも、心が震えるものじゃ。
子供の頃、観光でアルビオンに行った時、白い雲の中に浮かぶ大陸の偉容と、その更に上を編隊飛行するアルビオン空軍船団の美しい姿を見て、感動に腰が抜けそうになったのを覚えておる。
空の大陸という自然の美と、艦隊の描く幾何学的な美しさ。その見事な融合が……ん?
「そうじゃっ! ゲルマニア空軍による、航空ショーというのはどうじゃろう!?」
「航空ショー……で、ございますか?」
いまいちピンとこないらしく、小首を傾げるシザーリア。
「お前は見たことがないかの? 空軍がよくやるデモンストレーションでな、何十隻という戦艦が、矩形をいくつも重ねたような隊列を組んで、それを崩さぬように空を翔けるのじゃ。
もちろん、矩形にこだわることはない。戦艦の並び方を利用して、空に美しい幾何学模様を描くことが、このショーの醍醐味じゃからのう。
どのような形を描いて飛ぶかは、指揮する者のセンス次第……」
「理解いたしました、ヴァイオラ様。つまり、その隊列の美しさでもって、ゲルマニアの芸術観を見直させる、というわけですね?」
「左様。幾何学模様の美術ゆえ、必要になるのは数学的な美的感覚じゃ。そして、数学上の美は、おおむね全人類共通の感覚と見て差し支えあるまい。
さらに、大編隊の飛行というのは、それだけで雄大。アンリエッタ姫の心に、少なからぬ驚きを与えるじゃろう。
さらにさらに! それをトリステイン貴族どもが見れば! ゲルマニア空軍の規模の大きさ、高い練度をアピールすることができる!
アルブレヒト三世こそは、強い国をまとめる強い男、というイメージを、トリステイン全体に刷り込むことができるっちゅうわけじゃ!」
軍隊をまるごと動かす、大迫力の美しいショーを見せられたアンリエッタ姫の、感動に打ち震える様子が、目に見えるようじゃ。
そのタイミングで、アルブレヒトから「このショーは、君だけのために用意したんだよ」なーんて言われてみい!
「まあ、なんてステキ! 今すぐ挙式しましょう、マイダーリン!」なんてエンディングも夢ではないぞ!
「どう思う、シザーリア!?」
「完璧です、ヴァイオラ様。近年まれに見るグッド・アイデアと存じます」
無表情ながらも、微妙に瞳を輝かせ、グッと親指を立ててみせるシザーリア。
こやつがここまで褒めてくれるならば、我も自信を持てるというものじゃ。
「そういえば、ヴァイオラ様。もうすぐ、神聖アルビオン共和国の親善大使が、艦隊とともにトリステインを訪ねるという話を聞きましたが……」
「おう、そうじゃ! 失念しておったわ。
アルビオン空軍といえば、空の覇者という異名を持つほど、練度の高い軍隊じゃ。軍事行動ではなくとも、奴らの飛行はさぞ素晴らしかろう。
逆を言えば……奴らより素晴らしい飛行を見せれば、ゲルマニアの格は一段も二段も上がる……。
こうしてはおれん、今すぐアルブレヒトに手紙を送って、航空ショーのための訓練をやらせるよう説得しなければ! アルビオン親善大使の到着に間に合わなければ、台なしじゃからの!」
我は仕事机につくと、引き出しから羊皮紙を二枚、羽根ペンを二本取り出して、そのセットの一対をシザーリアに寄越した。
「シザーリア、お前も手紙を書くのを手伝え。
我は、アルブレヒト宛ての手紙を書く。その間にお前は、我の言う通りに、別の手紙を並行して書いていってくれ。時間をなるべく節約したいでの」
「かしこまりました。宛先は?」
「ゲルマニアのバイエルン市、モーガン社の社長、ホフマン氏じゃ。
いいか、言う通りに書くんじゃぞ。……ヴァイオラ・マリア・コンキリエ個人として、風石を購入したい……量は、二千五百立方メイル分。届け先は、ボン空軍基地……目録には、アルブレヒト三世閣下への、モーガン社からの献上品という一文を添えること……支払いは、バイエルン銀行を通して、我が個人資産から……」
シザーリアに口述させながら、我自身も、アルブレヒトへの手紙をしたためていく。
我の書いとる方は、もちろんアルブレヒトに、航空ショーの実施を提案する内容じゃ。といっても、直接的な言葉を使って提案したりすると、ロマリアからゲルマニアに対しての内政干渉と見なされかねないので(我もゲルマニア皇帝も、そういうのを注意せねばならん程度の高い身分についてしまっておる。少々面倒じゃが、仕方がない)、単純な結婚祝いの文句に見せかけて、当たり障りのない言葉の裏に別の意味を潜ませ、遠回しに表現しなければならない。
頑張って二種類の文面を考え、書いて書かせて。なんとか、二枚の手紙は無事に書き上がった。
シザーリアに書かせた奴をチェックして、問題がないとわかると、文面の下に我のサインを書き込んで、これにて完成。あとは二枚ともたたんで封印し、風竜便を呼んで超特急で届けさせる。
我らの仕事はここまでじゃ。あの提案を採用して、アンリエッタを口説きにかかるかどうかは、アルブレヒトの裁量次第。ふたりがうまくいくことを祈ってはおるが、我がプランを実施しろとかいうような強制はせぬ。
まあ、ゲルマニア空軍宛てに、風石をたっぷり贈ってやったから、アルブレヒトとしては断りにくかろうがの、ウエヘヘヘ。
「しかし……よろしいのですか、ヴァイオラ様?」
「ん? 何がじゃ」
手紙を風竜便に渡してから、シザーリアがなんか言うてきたので、我は問い返した。
「いえ、アルブレヒト三世閣下への贈り物として、二千五百立方メイルもの風石は、大変素晴らしいと思うのですが……むしろ、高価過ぎはしませんでしょうか?
女神の杵亭の再建も進行中の現在、あまり極端な出費は、おすすめできかねます」
ふむ、確かにの。艦隊に充分な飛行練習を積ませるのに、必要と思われる量を贈ったわけじゃが……ちょいと値が張る買い物ではあった。
だが、お前はまだ若い。金の動かし方というのを、いまいち理解しておらんようじゃ。
「よいか、シザーリア。金を惜しむ気持ちは、確かに大切なもんじゃ。我とて、財布を落としたら……その中に、一ドニエしか入っていなかったとしても、悔しくて泣きたくなるじゃろう。
だが、それは何の益もない金の失い方じゃからよ。他にも、安く買えるものを、高い値で買ってしもうたり、自分にとって役に立たんものを、わけもわからず買ってしもうたり……金額に関わらず、そういう出費はできるだけ回避すべきじゃな。
じゃが、惜しんではならん出費もある。絶対に欲しいものがある時、金を出すことが自分のためになると確信できる時、そういう時は遠慮なしに金を出さんといかん。金額は売り物の評価じゃ。金を出すっちゅうことは、その売り物の価値を認めることじゃ。価値あるものを手に入れたいなら……金を惜しんでは、ならん」
「アンリエッタ姫殿下と、アルブレヒト三世閣下の婚姻に、それだけの価値を……?」
「ああ、認めておる。正確には、二人の結婚による、トリステインとゲルマニアの協調に、な」
二国が密に結び付けば。ゲルマニアの有能な指導者が、トリステイン内政に力を貸してくれるようになれば。兄様の負担は、必ず減る。
そうすりゃ兄様は、もっと休めるようになる。休暇を取って、ロマリアに帰ってきてくれる。
兄様と過ごすひとときを買えるなら――我は、一億エキュー出したって惜しくはないのじゃ。
■
ヴァイオラがゲルマニア皇帝に手紙を出してから、一月ほどが経ったある日――神聖アルビオン共和国からの親善大使が、トリステインを訪れた。
超巨大戦艦レキシントン号を筆頭としたアルビオン艦隊が、迫力の面でトリステイン艦隊を圧倒しつつ、悠然と空を行く。トリステイン艦隊指揮官ラ・ラメー伯爵をして「戦場では出会いたくないものだな」と言わしめるそれは、まさに空の覇者と呼ばれるに相応しい貫禄であった。
二つの艦隊は、手旗信号で挨拶を交わしたのち、軍隊式の礼として、空砲を撃ち鳴らし合った。まずレキシントン号が、火薬のみの砲撃で空気を震わせる。それに応えて、トリステイン艦隊も同じく、火薬のみの砲撃をアルビオン艦隊に浴びせた。
しかし、ここで有り得ないことが起こった。トリステイン軍の砲声と同時に、アルビオン艦隊の端にいた小型艦が火を噴き、木の葉のようにくるくると墜落してしまったのだ。
それが何を意味するのか、トリステイン軍が理解するより早く、レキシントン号から信号が届く――『なぜ実弾で攻撃するのか』――『そちらに敵意ありと判断、当方は自衛のため、応戦を開始する』――。
トリステイン軍は大いに慌てた。『今のは当方の攻撃にあらず』――『誤解である』――そういった内容の信号を送ったが、レキシントン号からの返事はなかった。
レキシントン号の長距離砲が、再び空気を引き裂く轟音を発した。今度の発射は空砲ではない……無慈悲な弾丸が、トリステイン艦隊に襲い掛かる。
聡い者たちは、アルビオン艦の墜落が、アルビオン艦隊自身による、トリステインに攻撃を仕掛ける大義名分を得るための自作自演だと気づいていた。この親善訪問自体が、侵略行為をカムフラージュする罠だったのだ。
しかし、それに気づいたところで、強大な戦力を持つレキシントン号以下アルビオン艦隊に太刀打ちできるかと言うと、話は別だ。
なし崩し的に、大空戦が始まった……トリステイン側に、圧倒的に不利な条件で。
■
その知らせを受けた時、余は――ゲルマニア皇帝アルブレヒト三世は、王宮の中庭で薔薇の剪定をしていた。
美しい薔薇を育てることは、多忙な余の数少ない楽しみのひとつだ。ゆえに、宰相の報告に耳を傾けながらも、余は鋏を動かす手を止めることはなかった――今手がけている黄薔薇は、つぼみをどれだけ落とすかで、残った花の咲き具合が調節できる。大輪過ぎても品がないし、小さ過ぎても貧相だ。さて、どうするか……。
「閣下、聞いておられますか?」
「ああ、聞いているとも。トリステインが、軍を派遣して欲しいと言ってきているのだろう?」
余が応えると、宰相(余の倍は生きていそうな老人だが、老いてなお火の如く元気なのは、いかにもゲルマニア的で好ましい)は大きく頷いた。
「その通りです! アルビオン軍の攻撃に対して、トリステイン空軍も必死の抵抗を試みておりますが、戦力差は歴然、あと数時間もつかどうかというところまで追い詰められているようです。ここは同盟国として、速やかな救援の手を、」
「救援部隊の編成に、あと二、三週間かかる模様……そう、トリステインの使者に伝えたまえ」
ぱち、と、鋏で黄薔薇のつぼみをひとつ切り落として言うと、勢い込んだ宰相の言葉も、途中で切り取ったように止まった。
「聞こえたかね? 軍の派遣には、まだしばらく時間がかかると伝えるのだ。
知らせを持ってきた使者は、我々の返事を待っておられるのだろう? 早く行ってあげるといい」
余がそう念を押すと、宰相は喉にパンでも詰まらせたように喘ぎ、信じられないものを見るような目を余に向けた。
「み、見捨てるとおっしゃるのですか? トリステインを……?
同盟を結んだばかりの友好国を見捨てるなど、誇りを捨て去るような行いですぞ!?」
義憤にかられてのことだろう、いつもは冷静な宰相が、顔を赤くして叫ぶ。
本当に彼は、いつもなら冷静で、損得のわかる男なのだが……やはり、突然のことで動揺しているのだろう。余は道理を説いて、彼の気持ちを落ち着ける必要があると認めた。
「いいかね、宰相……これは必要な措置なのだ。
我々ゲルマニアが、圧倒的に有利な条件でアルビオンに対処するために、トリステインには一時的な犠牲になってもらわねばならない」
「ど、どういうことでございますか」
「考えてもみるがいい。ゲルマニアは、トリステインと組んでアルビオンに対処する。この『対処』という言葉は、侵略という危害から自分達を防衛するという意味合いでも使えるが……ハルケギニア統一をうたう、神聖アルビオン共和国という危険の原因がある限り、防衛を続けなければならないというのは、あまりに非効率的だ。よって、いずれは『対処』を、アルビオンに対する攻撃という意味で使う必要が出てくるだろう。
その時、ゲルマニアとトリステインで、アルビオンに攻め込もうと考えた時……我々は非常に面倒な立場に立たされる。
問題となるのは、距離だ……トリステインにとって、アルビオンは海と空を挟んだお隣りさんに過ぎないが、ゲルマニアにとっては、敵は海と空と、トリステインを挟んだ向こう側になるのだよ。
その距離は、あまりに遠過ぎる。戦争において、補給線が長ければ長いほど不利になるというのは、今さら言う必要もなかろう。ゲルマニア軍は、いつ補給線を断たれ、敵地に取り残されるかという恐怖を味わいながら、アルビオンと戦わねばならなくなる。
おっと、トリステインに物資を支援してもらえばいいではないか、とは言わないでくれ。それは一見道理のようだが、ゲルマニア軍を食わせるほどの余裕を、将来的にトリステインが持つとは、余は信じていない。農業生産量は並、技術力は我々より三段は下、国庫は火の車で、宰相や財務卿の金策でかろうじてもっている。いざ戦争をするとなれば、借金や増税をして、ようやく自国の兵を食わせられる、といった程度だろうな。
つまり、トリステインは、ともに戦う隣人として以外には役に立たないのだ……ゲルマニアは、長く伸びきった補給線を守らねばならないから、どうしても地力を削られる……色々な意味でギリギリの友軍と、後方の不安な自軍でもって、敵のホームで戦う。そんな戦争は、非効率にもほどがあると思わないかね? 宰相……?」
ぱちり、ぱちりと、要らないつぼみを摘んでいく。
「この問題を解決するには、どうすればいいか? 答えは簡単……トリステインというクッションが、無くなってくれればそれでいいのだ」
ぱちり。ぱちり。
「まずは、アルビオンにトリステインを落としてもらう。トリステインがアルビオンの一地方ということになれば、その一地方はゲルマニアに接している――アルビオン本国ならまだしも、征服したばかりで不安定なもとトリステインに駐留しているアルビオン軍程度なら、ゲルマニア軍の敵ではない。
トリステインを乗っ取ったアルビオン軍が駆逐され、我らゲルマニア軍がトリステインに入れば、その土地はトリステインとして復活するのではなく、ゲルマニアの一地方となる……」
ぱちり、ぱちり、ぱちり。
「トリステインがゲルマニアになれば。アルビオンは、海と空を挟んだ、目と鼻の先だ。
アルビオンに攻め込む決定をする前に、ゲルマニア領トリステインを、巨大な補給基地へと作り変えておけば――もともと農業国という下地はあるし、我が国の開発力を投入すれば、五年ほどで立派な食糧庫となろう――そのあとでなら、ゲルマニアは非常に短い補給線で、危なげなくアルビオン本国を攻めることができる。
やや長期的な戦略ではあるが……トリステイン、アルビオンという二国を、ゲルマニア領として手中におさめることができるかも知れんわけだ。どうかね? 非常に安全で、利益も大きい、効率的なやり方だとは思わないか」
ぱちり。――む、いかん。このつぼみは、落とさずに置いておいた方が、バランスが良かったな。
「た、確かに……確かに、閣下のおっしゃる通りかも知れませぬ……。
しかし、そうなると、アンリエッタ姫殿下はどうなります? ゲルマニア国内での、閣下の権威を固めるためにも、姫殿下との結婚は必須。トリステインを見捨てて、姫殿下を失っては、本末転倒です」
ふむ、宰相もかなり冷静になってきたようだ。しかし、そんなことを言うようでは、まだ本調子とは言いかねるな。
「宰相……アンリエッタ姫殿下は、はっきり言ってしまえば箱入り娘だ。家臣たちに大事にされて育ち、戦争を経験したことがない。
そんな姫が死ぬことなど、有り得ると思うかね? 歴史に残る、勇敢な王たちのように、兵を率いて戦場に向かって……戦死する様子が想像できるか? 本人にそんな度胸のあるわけはないし、周りの人たちも許さんよ。
まず間違いなく、彼女はトリステイン空軍がやられると同時に、遠くへ逃がされる。逃亡先はもちろん、同盟国であり、安全なここ、ゲルマニアだ。
我々は姫殿下を保護し、救援の遅れたことを謝罪するとともに、侵略者に奪われた領土奪還を誓う。やがて、トリステインからアルビオン軍を追い出す頃には、アンリエッタ姫殿下はゲルマニア皇妃だ。だとすると、取り戻した土地(トリステイン)はゲルマニア皇妃に返されることになり、ゲルマニア皇妃の土地ならば、当然そこはゲルマニアの土地ということになる。
何も、問題は、ない」
余が、つぼみ摘みに使った鋏をセーム革で拭い始めた頃には、宰相は絶句してたいそう静かになっていた。
冷静になっては欲しかっただけで、発言量的に静かになって欲しかったわけではないのだが……まあいいか。
「他に質問はあるかね、宰相」
「いえ……ございませぬ」
「よろしい。では、速やかにトリステインの使者のもとへ向かいたまえ。それと、空軍にも連絡を。ゆっくり時間をかけて、準備をしてもらわねばならんからな」
余の言葉に、つらそうな様子で頷いた宰相が、踵を返そうとしたその時……。
「か、閣下! 失礼いたします!」
血相を変えた文官が、中庭に駆け込んできた。
「何事か?」
この中庭は、余のプライベートな空間だ。余の許可無しに立ち入ることは不敬であり、その罪は、彼の持ち込んだ用事がよほどの大事でなければ、許されることはない。
それだけの覚悟をしてのことか、それとも見た目通りの動揺で、頭が回らなくなっているのか……とにかくその文官は、おののいた様子で、余に一通の手紙を差し出した。
「ロマリアのコンキリエ枢機卿様から、閣下宛てに私信が届いております。風竜便で、速達で出されたものなのですが……」
「それがいったい……む? どういうことだ、日付が一月も前になっているではないか」
手紙を開き、中をあらためて、余は首を傾げた。文面には、筆を取った日付が記されていたが、それが一月も前のものなのだ。普通の馬車便で出しても、到着がこんなに遅くなることは有り得ない。
「は、はい、それが、手紙を受け取った検閲官が、検閲作業中に、誤って関係のない書類の束に重ねてしまって、見逃してしまった手紙であるらしく……つい先ほど、書類整理中に、偶然発見したのだそうです。そのため、お届けが今日まで遅れまして……」
「検閲室長に、その検閲官を解雇するように伝えたまえ」
余に宛てられた手紙や小包は、余の手に届く前に、全て検閲官たちによって検査される。くだらない内容のものであったり、危険なもの(毒物が染み込ませてあったり、発火の術式が付与されていたりする場合がある)が送られてきた時は、ここで差し止められるのだ。
「は、該当の検閲官は、すでに処分されております。そして、その者の仕事を、室長が引き継いだのですが……その、コンキリエ枢機卿様からのお手紙が、非常に重要な内容を含んでいるらしいと、室長が申しますので……」
「重要な内容? 御定まりの、結婚祝いの手紙に過ぎないようだが……?」
余は、手紙の文面に視線を走らせながら呟いた。これまでに、各国の権力者、著名人が送ってきたのとほとんど変わらぬ、祝福の手紙だ。ありふれた美辞麗句を重ねているだけで、何も特筆すべき内容など――。
「………………っ!?」
核心は、半分ほど読み終えたところで、突然現れた。
しかしこれは……この手紙が、一月も前に書かれたものだとすると……!
「……君、ご苦労だった。下がってよろしい。
宰相、この手紙に書かれていることで、少し相談がある。先ほどの指示は忘れて、ここに残ってくれたまえ」
「? は、はい」
文官は会釈をして中庭を出ていき、あとにはもとの通りに、余と宰相が残った。
余は、読み終えた手紙を宰相に渡し、花壇のそばにしつらえてあるベンチに腰掛けた。
「読んでみたまえ。最初の方の、つまらん挨拶や祝いの言葉は飛ばしていい。
問題は、三段落目からだ。それが一月前に書かれた、ということを考慮に入れて、意見を聞かせて欲しい」
宰相は、手紙を渡された時こそ、訝しげな表情をしていたが、指定された箇所を読み始めると眉をひそめ、次第に目を見開いて、驚きをあらわにしていた。
それも仕方あるまい。あんな、途方もないことが書かれているのでは。
余がその重要性を認めた部分を、以下に引用する。
■
――さて、親愛なるアルブレヒト三世閣下。かくしてお妃になられるお方の生国の安全も、あなた様の双肩に委ねられることになりました。
夫として、男として、一国の皇帝として、その重みをむしろ、誇らしく思っておられることでしょう。
貴国ほどの強さがあれば、いかな危険とて、あなた様の背後にある守るべきものを傷つけ得ないであろうというのは、まったく疑いようがありません。
ところで、これはアンリエッタ様と同じ性別を持つ者としての意見なのですが、女というのは、伴侶の頼りがいのある姿を見ることに、非常な喜びを感じます。
そこで、式を挙げる前に、一度貴国の軍隊の勇姿を、アンリエッタ様に見せて差し上げてはいかがでしょう。
もっとも、女性は男性に比べ、軍隊の強さを判断する方法を知らぬものです。説明を受けてもピンと来ぬものですし、純粋な争いを見るのは、恐ろしく感じたりもします。
一目見て強さがわかるもので、なおかつ、女性の感性でもって、美しさを感じられる軍隊の勇姿……かつて一度だけ、それに当て嵌まるものを目にしたことがあります。アルビオン空軍の、隊列飛行訓練です。
無数の船が、一糸乱れぬ連携で並びながら飛び、大空に模様を描くあの芸術です。
あれは軍事に疎い私の目から見ても、操船する者たちの腕前や、指揮をとる者の従う者たちの信頼の強さを察することのできる、まさに軍隊としての強さを象徴するものでした。
私は、ゲルマニア空軍がアルビオン空軍に劣らぬ練度を誇っていることを疑いません。きっとその気になれば、アルビオン空軍よりも素晴らしい空の絵画を、トリステインとゲルマニアの空に描けることでしょう。
ところで、来月にはトリステインに、神聖アルビオン共和国の親善大使が、空軍を引き連れて訪れるそうですね。
今のアルビオンは、王権を排したばかりで、安定しておりません。それゆえ、今回の訪問には、他国に対し、自分たちの力を見せつけて牽制する目的もあるはずです。
となると当然、彼らは練習に練習を重ねた、完璧な隊列でトリステインの空に現れることでしょう。親善という建前の裏に、トリステインに競り勝とうという本音を隠して(もちろん、自軍の規模と練度を示すことで、アルビオンに介入させまいとする無言の示威行為を行なうだろう、という意味です。けっして親善大使の皮を被った攻撃部隊がやってくる、などという風にはお取りにならないで下さい)。
即ち、今回の訪問では、アルビオンとトリステインの二つの空軍が、正面からぶつかり合うことになるはずなのです(お互いを目視比較する、という意味であって、直接的な戦闘が行われる、という意味でないことをご了解下さい)。
残念ながら、トリステインはアルビオン空軍には勝つことができないでしょう(見栄え的な意味で)。そして、この空軍比べの結果は、そのまま両国の威信の差を表すことになります。
トリステインがここで敗北を喫することは、おそらく良い結果を生まないでしょう。トリステイン国民にとっても不幸なことですし、アンリエッタ様も悲しまれます。
しかし、その親善大使を迎えるトリステイン空軍の背後に、アルビオン空軍より大規模で、美しい隊列を維持するゲルマニア空軍が控えていたなら?
アルビオン空軍は、自分たちより強大な力に立ち向かう愚を犯さぬでしょうし、トリステインは、友誼を結んだゲルマニアという国への信頼をより強くするでしょう。
そしてアンリエッタ様も、閣下への親愛の情をさらに深め、お二方の結婚をより幸福なものにするでしょう。
無論、私はあなた様に、空軍に命じて編隊飛行の訓練をさせ、トリステイン空軍がアルビオン親善大使を迎える場に派遣しなければならない、と言っているわけではありません。
このようなイベントを行うかどうかの判断は、閣下にお任せします。行わずとも、私にも閣下にも害はないでしょう。私はただ、トリステインとゲルマニアの友好を考え、つたないアイデアを提案させて頂いたに過ぎません。
トリステインとゲルマニアが仲良くして、世界が平和であれば、私はそれでいいのです。
もしも、もしも私の案を採用して頂けるなら、非常に光栄に思います。しかし、提案だけして、何の手伝いもしないというのも、いささか無責任でありますので、空軍の訓練に欠かせない風石を寄贈させて頂くことにしました。
この手紙と前後して、モーガン風石社から、二千五百立方メイル分の風石が、ボン基地に到着することでしょう。
既に申しました通り、空軍の訓練と準備を行うかの判断は、閣下にお任せしますので、しない場合でも、この風石をお返し下さる必要はございません。私からの、結婚をお祝いするためのプレゼントとしてお納め下さい。
どちらを選ばれるにせよ、私はゲルマニア軍が、トリステイン、ひいてはハルケギニアの平和を維持してくれる力であることを、一切疑いません。遠いロマリアからですが、トリステインと貴国との友好に基づいた同盟が、曇りもひび割れもなく結ばれ続けるさまを、じっと見守らせて頂きます。
世界平和に花束を。アルブレヒト三世閣下とアンリエッタ様の未来に、始祖の祝福がありますように。
――ヴァイオラ・マリア・コンキリエ。
■
「し、信じられませぬ。この手紙が、一月も前に書かれたものだなどということは……」
額に浮いた汗を袖で拭いながら、宰相は言った。
「括弧を使って、わざわざ直接的な表現を否定してありますが……それを除いて読めば、今日起きたことを、まるで見てきたかのように記しておるではないですか。
アルビオン親善大使が、トリステイン空軍と戦うということ、そしてトリステイン空軍では、アルビオン空軍に勝てないということ……さらに、アルビオン軍の親善大使という姿が偽装であり、本来の目的がトリステインへの攻撃であったということも、看破しておられる。
これは……これはまるで、予言の書ではないですか!」
恐れに近い感情を滲ませて、宰相は叫ぶ。
余も、彼とほぼ同じ畏怖の気持ちを感じていたが、それでも訂正すべきところを訂正するだけの冷静さは生きていた。
「それは違うな、宰相。その手紙に書かれていることは予言じゃない……推理だ。
冷静に、そして深く考えさえすれば、今日のアルビオンの襲撃を、我々でも予想することはできたはずだ。アルビオンの情勢、そして連中の、ハルケギニア統一という目標……必ず、近いうちにトリステイン進攻は起こるはずだった。
そして、親善大使という形で、トリステインの懐に飛び込んでくることも……難癖をつけることで、一方的に不可侵条約を破棄して、被っていた羊の皮を脱ぎ捨て、狼の本性をあらわにすることも……言い当てるのは不可能ではなかった。むしろ、これ以上に進攻に適した機会などない、とすら思えるほどだ。
コンキリエ枢機卿は、我々が考えなかったことを、一月前に考えただけに過ぎない。そこにあるのは、予言という神秘的な能力ではなく、ただの優れた頭脳の働きだ……」
そう、そして彼女は――コンキリエ枢機卿ヴァイオラ・マリアは――それを阻止し、トリステインを救おうと、余に手紙を書いたのだ。
それも、余がトリステインを見捨てるであろうことをすら、予想して。
空軍を、今日の事件のために備えさせるかどうかは余に任せると言いながら、ロマリアからじっと見ているとも言っている。これは、ロマリアという国自体が、ゲルマニアを評価すべく観察しているとも取れる。同盟国の危機に、きちんと動くかどうかを。
しかも、風石の寄贈という方法で、「急な話で、空軍の準備が間に合わなかった」と弁明する余地をなくしている。もしそんな言い訳をすれば、ゲルマニア軍は、よそから軍備をととのえるお膳立てをしてもらいながら、それを無駄にした無能である、というレッテルを貼られることになる。
完全にしてやられた。敵国であるアルビオンではなく、かりそめの同盟を結んだトリステインでもなく、蚊帳の外であるはずのロマリアに、余の策謀は完全に潰されたのだ。今、トリステインを見捨てることは、ロマリアに余の不誠実を知らしめることであり、ロマリアがことの真相をアンリエッタ姫にばらせば、彼女は絶対に婚約を破棄するであろう。余が心から望む、始祖の血筋は永遠に手に入らなくなる。
それだけならまだいい。よくはないが、得られるはずのものが手に入らないだけで、まだ我慢はできる……問題は、このことがゲルマニア国民に知れ渡った場合だ。
同盟国を見捨てる王を、国民はけっして支持しないであろう――たとえ、遠大な発展のために必要なことだとしても――だ。王としての余の力は、間違いなく落ちる。そこを、余を追い落として、玉座につかんとして蠢動している者たちに突かれたら、確実に破滅だ。
ロマリアに首輪をつけられた余は、コンキリエ枢機卿の見えざる手に、身を委ねるしかなくなってしまったのだ――。
「宰相。お前はコンキリエ枢機卿がどういう人物か、知っているかね」
「は。お会いしたことはございませんが、噂は聞いたことがあります。
自分の教会の庭で、貧民たちが商売をすることを認めたり、死にかけの平民を、自分の衣服が血で汚れることも厭わず治療したり……まさに、聖人と呼ぶに相応しいお方であると……」
「そう、その通り。余の知っている彼女も、そういう人物だ。
下々の者に優しく、人を幸せにすることを生きがいにしている、生まれたての子供のように無垢な精神を持った人物……つまりは、ただのお人よしだ」
そう、ただのお人よしだと思っていた。
余は去年、一度だけ、コンキリエ枢機卿と会ったことがある。ハンブルクに建設された、聖ジークフリート教会の落成式で。
背が低く、顔立ちが幼く、落ち着きがなかった。見た目は、まるっきり子供に見えた――晩餐会でも、余ったプリンをやたら欲しがっていたし。
あの時は、まるでとるに足らない人物だと思っていた。のちにロマリアから流れてくる、聖女のごとき評判を聞いても、無邪気で無害な子供が、小さな手でできるつまらない善行をして、それを周りの暇人どもが大袈裟に宣伝しているのだと思っていた。目の前の人間は救えても、世界は絶対に救えない、無力で無知な平和主義者。そういう人物だと、思い込んでいた。
だが、実際はどうだ?
「アルビオンの謀略を看破し、余の動きまで読み切り、さらに両方を封殺すべく、手を打ってきた……。
短い言葉で余に釘を刺し、さらに確実にトリステインを守らせるために、大金を出した。風石二千五百立方メイル? モーガン社に、いったい何千エキュー払った?
ただのお優しい平和主義者なら、何の問題もない。だが、知恵と権力と財力を兼ね備えた平和主義者となると……!」
その存在は、いっそ危険ですらある。世界が平和になるよう、裏で権力者たちに糸をつけて操る大蜘蛛――あの愛らしい女性(少女とすら表現したくなる)が、そんな途方もない怪物に思えてきた。
宰相も余と同じく、コンキリエ枢機卿という人物の奥深さにぞっとするものを感じたらしく、顔を青くして、言った。
「か、閣下。枢機卿様の本性がどうあれ、我々はトリステインを見捨てるわけにはいかなくなってしまったようです。
どうか、ご命令を……トリステインが敗北するまでに、派兵が間に合わなければ、どのようなことになるか想像もつきません」
そうだ。今は時間がないのだった。
トリステイン・アルビオンを併呑するための長期計画を捨てるのは惜しいが、余はまだまだゲルマニアに君臨し続けなくてはならない。ここでは終われないのだ――素早く決断を下す。
「ボン基地に連絡を。トリステイン軍を救援するため、ローエングラム伯爵の部隊を派遣する!
彼の補佐には、ミッターマイヤーとロイエンタールをつけろ! 全速力で戦場に駆け付け、アルビオン艦隊を完膚なきまでに叩きのめすのだ!」
「はっ!」
宰相は力強く頷くと、一礼して中庭を去っていった。
余は――余は、たった独りになると同時に、やけに疲れた気分になり、ベンチに座ったまま目を閉じ、大きなため息をついた。
「誰の言葉、だったか……?
『王者に相応しい人間とは、民衆に親しまれ、権力者からは畏怖される者のことである』とは……。
コンキリエ枢機卿……彼女はどうやら、余よりも一枚以上、上手であるらしい。ハルケギニアとは、余が考えているより、ずっと広いものであるのだな……」
ああ、そうだ。今の気分を表す、ぴったりの言葉を思いついた。
『井の中の蛙、大海を見せつけられる』だ――。
■
結論から言うと、ゲルマニア軍は間に合った。
少ない戦力ながら、ラ・ラメー伯爵率いるトリステイン空軍は必死に戦い、時間を稼いでいた。
しかし、ほとんどの艦が落とされ、ラ・ラメーも死を覚悟したその時に、援軍は現れた。
まず到着したのは、神速の用兵術を誇るミッターマイヤー提督の率いる部隊だった。この艦隊に守られ、ラ・ラメーは無事、ヴァルハラ以外の行き場所がないと思われた戦場から生還する。
その後、トリステインはタルブの上空を、後発のローエングラム、ロイエンタールの艦隊が埋め尽くした。その数、ミッターマイヤー隊を合わせて、約五十隻。それは、強国ゲルマニアを象徴するような威容であり、特にローエングラム伯爵の乗る旗艦ブリュンヒルトの、白く輝く美しい姿は、一種の神々しさすら漂わせていた。
あまりの大部隊に、動揺するアルビオン艦隊。それを率いる司令官ジョンストンは、楽勝だと思っていた戦闘に割り込んできた強敵に、恐慌をきたした。
本来、ジョンストンは政治家であり、軍事は畑違いだった――圧倒的に格下の相手を、一方的に蹂躙するだけなら、彼でも問題なかったのだが、このような敵が力を増した状態においては、彼では役者が不足していた。
そんなジョンストンに取って代わり、指揮権を受け継いだのが、レキシントン号艦長、ヘンリ・ボーウッドである。
彼は生粋の軍人だった。命令によって敵と戦うことが仕事であり、それを誇りにしていた彼にとって、今回の騙し討ち作戦、そしてトリステインを一方的に侵略する仕事は、まったく気乗りのしないものだった。
しかし――しかし、目の前に強敵が現れたとなれば、話は別だ。
やる気のある有能な司令官が指揮を取り始めたアルビオン艦隊は、一気に持ち直した。ベテランのボーウッドの指示に従い、巧みな連携を見せて、ゲルマニア艦隊に食い込んでいく。
敵が強敵らしいということを知り、士気を高めたのは、ゲルマニア軍も同様だった。若い金髪のローエングラム伯爵は、『獅子』という二つ名と、高いカリスマ性を持つ将軍だった。彼の命令によって、ゲルマニア軍は三方向から、アルビオン艦隊を包囲する作戦に出た(かつて、ダゴン上空戦と呼ばれる戦いで使用された戦法で、三つに分かれた部隊の連絡さえ完璧なら、無類の強さを誇った)。
特に攻撃力の高い、月目のロイエンタール提督の部隊が、包囲によって行き場をなくしたアルビオン艦隊を、次々落としていく。
しかし、アルビオン艦隊も負けてはいない。レキシントン号の長距離砲で牽制しつつ、進路を一点に集中した紡錘陣形により、ゲルマニア艦隊の内部を食い破ろうとする。
速度、火力、数ならゲルマニアが勝ち、射程、命中率、防御力ならアルビオンが勝っていて――連携、指揮官の腕前ならば、互角といったところだ。
戦局は拮抗していた。ともに多くの艦を撃ち落とし、タルブの草原に敵の廃艦を並べていく。
予定では、アルビオン軍はとっくに地上に兵を下ろし、火竜部隊にタルブ村を制圧させるはずだったのに、今はまったくそんなことができる状態ではない。
タルブ領主アストン伯爵や、居合わせたトリステイン兵士たちの地上での仕事は、タルブ村民を安全な場所まで逃がすという、思いのほか地味なものとなった(もっとも、地上に降下されなかったおかげで、村民にひとりの死者も出ずに済んだというのは、僥倖だろうが)。
トリステイン王宮を飛び出し、民衆を救うべく駆け付けたアンリエッタ姫も、村民たちを逃がす仕事を手伝っていた。
彼女はウエディング・ドレスのスカートを引き裂き、引き止めるマザリーニに破いた切れ端を投げつけてまで、民のためにここまでやってきたのだ。
いざとなれば、自分の身を盾にしてでも、国を、民衆を守ろうと……。
そんな彼女の中には、民を思う気持ちの他にも、政略結婚で、望まぬ相手に嫁がされることへの、反抗の気持ちもあったかもしれない。
野蛮なゲルマニア皇帝の嫁になるくらいなら、この身を戦場に散らしてもいいという、後ろ向きな気持ちだ。
しかし、そんな考えは、上空で激しくアルビオン艦隊と争う、ゲルマニア艦隊の勇猛な姿を見て、あっという間に消し飛んでしまった。
ゲルマニア皇帝は、約束通り、軍を派遣してくれたのだ。そして彼らは、自分が野蛮と蔑んでいたゲルマニアの人たちは、本来何の関係もないトリステインのために、命をかけて戦ってくれている。
今、落ちたゲルマニア艦の中には、アンリエッタと同じ年頃の兵士がいたかも知れない。好きな人がいて、その人と結婚したいと思っていた若者が。
でも彼は、国にいて安全に過ごすより、戦地に赴くことを選んだ。
必死に戦って、そして、トリステインを守って、死んだ。
「姫殿下!」
やや遅れて、破れたドレスを頭にくくりつけたマザリーニや、トリステイン貴族たちが追いついてきた。彼らもまた、杖を握り、覚悟を瞳に宿らせ、侵略者たちと戦うつもりでやってきたのは明白だった。
しかし、戦場が空以外になく、地上での戦闘は考えられないと気付くと、彼らもまた避難民の誘導に手を貸した。姫が現状を見て、真っ先に動いたことで、彼らも状況を見て判断することを覚えたのだ。
こうしてタルブ村民は、アストン伯爵のみならず、アンリエッタ姫、マザリーニ枢機卿、その他大臣級のトリステイン貴族たちに守られながら避難するという、トリステイン一のVIP待遇を受けることになった。
「ねえ、マザリーニ」
道中、アンリエッタは、隣を歩く宰相に囁いた。
「私、ゲルマニアの人たちのことを、誤解していたのかも知れません。国のために尽くすということ、約束を守るということの意味も……。
アルブレヒト三世様のこと、今はまだ、愛せるとは言えませんが……この戦が終わったら、逃げずに、きちんと向かい合って話をしてみたいと思います。
王族として、そうすべきだと――ええ、きっとそうすべきなのだと……私、今、悟りました」
その表情に、悲劇じみた諦めはない。未来を見据え、新しい道を模索する若さの輝きがあった。
マザリーニは、世の中の父親が、立ち上がり歩くことを覚えた小さな娘に向けるような、慈愛の眼差しを姫に向け、満足げに頷いた。
「ウエディング・ドレスは、また仕立て直させればよいでしょう。お二人の中に近付きの気持ちが生まれるなら、ドレスなど……む? あれはっ!?」
バルバルバル、と空気を引き裂く音を聞き、マザリーニは空を仰いだ。
その音は、戦の終わりの先触れだった。敵を打ち倒し、トリステインを、その同盟国を勝利に導く、不死鳥の羽ばたき。
かつてタルブで、『竜の羽衣』と呼ばれていた、謎の鉄塊――旧日本軍の誇る空戦用飛行機械『ゼロ戦』が、風竜をすら遥かに凌ぐ速度で、ゲルマニア艦隊とアルビオン艦隊の間を駆け抜けていく。
「ふっ……うふふ……あーっはっはっはっは――っ!」
ゼロ戦を操縦するパイロット、ガンダールヴ平賀才人の後ろで、桃色の髪をたなびかせる美しい少女、『ゼロ』のルイズ・フランソワーズは、高らかに笑っていた。
その手の中では、秘宝である水のルビーと、始祖の祈祷書が不思議な光を放っている。
「主人公は、最高のタイミングで登場するものだって、お母様が言ってたわ……ついに、ついによ! 私のための見せ場が! 初めて訪れたんだわ! チョイ役じゃない、紛れも無い活躍の場が!」
「お、おい、ルイズ? どうしたんだお前? よく聞こえないけど、なんかすっげーメタなこと言ってないか!?」
「気のせいよ。それよりサイト、あの一番大きいフネに近付ける? 私、選ばれちゃったみたいなの……この力を使えば、この戦いを終わらせられるわ!」
「あのでかいのだな? わかった!」
散開するアルビオンの火竜騎士たちを、機銃で蹴散らしながら、ゼロ戦は矢の如く空を翔け、レキシントン号に肉薄する。
ルイズは始祖の祈祷書を開き、そこに見出だした呪文を――虚無魔法の基礎の基礎、爆発魔法『エクスプロージョン』を唱え始めた――。
■
――私はこの戦の真に驚くべき完璧な記録を持っているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない。
まあ、ルイズさんの魔法でアルビオン艦隊が一掃されたのは皆さんご存知の通りなので、あえて記す必要もなかろうというのが本音である。ご了承下さい。
「ちょ、待ちなさいよっ! わ、私の大活躍は、」
アーアーキコエナーイ(´・ω・`)
■
トリステイン・ゲルマニア連合艦隊がアルビオン艦隊を打ち破ったという知らせは、あっという間にハルケギニア中を駆け巡った。
当然、ゲルマニアにいた余のもとにも、その知らせは届いた。ローエングラム伯爵からの使者が、勝利とともに、詳しい戦闘の内容も持ち帰った。
余は王宮の執務室にて、宰相リヒテンラーデとともに、使者からの報告を聞いていた。それは喜ばしいものであり、同時に驚嘆に値するものだった。
「ふむ、つまり、我が軍とアルビオン軍は拮抗状態にあり、そこに飛び込んできた謎の『不死鳥』の放った光が、アルビオン艦隊だけを破壊し、飛び去ったと言うのだね?」
「はっ、その通りです、閣下。間違いなく、この目でその様を目撃いたしました! 風竜より速く飛び回り、目に見えぬブレスで火竜を薙ぎ払い、太陽を思わせる強烈な光が天地に満ちたと思うと……次の瞬間には、アルビオン艦隊のみが、船体や帆から火を噴き、地面に落下していったのです。
あれはきっと、始祖の使いに違いありません。始祖が、我々に味方して下すったのです。あの光が、アルビオン艦隊を全滅させていなければ、我々は……負けたかも、とは言いませぬが、さらに十隻はフネを失っていたかも知れません」
「なるほど……そうか」
余は、安堵のため息をつきかけるのを、すんでのところで防いだ。
さすがのコンキリエ枢機卿も、そのような得体の知れない救いの手が、トリステインに現れるなどとは、予測していなかっただろう。
その始祖の使いとやらは、誰に言われたわけでもなく、勝手にやってきたものだ。おそらく、ゲルマニアが派兵せずとも、勝手にやってきて、アルビオン艦隊を蹴散らしたに違いない。
どっちにしろ、トリステインは勝つ運命にあったのだ。
余は考える――もし、ゲルマニアが助けに行かなかった場合のことを。始祖の使いの力を借りてとはいえ、トリステイン一国だけでアルビオン艦隊を撃退していた場合のことを。
その場合、同盟を結んでおきながら、助けをよこさなかったゲルマニアは、トリステインに頭が上がらなくなってしまっただろう。同盟も、向こうにずっと有利な条件で、結び直されてしまうことになったはずだ。
今思えば、派兵しておいて本当によかった。コンキリエ枢機卿の提案は――半ば、脅迫とも言える強制力を持ってはいたが――結果として、余とゲルマニアの立場も、危ういところから救い上げてくれたのだ。
余が物思いに耽っている間にも、使者は続ける。
「アンリエッタ姫殿下や、マザリーニ枢機卿様からも、感謝のお言葉を頂きました。特に姫殿下は、我が軍がアルビオン軍と戦う姿に、いたく感動なされたご様子で……」
「? ……待て、なぜアンリエッタ姫が、お前たちの戦う姿を見れる? トリスタニアの王宮におられたのではないのか?」
「いえ、かの姫君は、トリステイン貴族たちを率いて、戦場たるタルブへ駆けつけておられました。
トリステイン地上軍の先頭に立ち、杖を掲げてユニコーンを駆るお姿の凛々しいこと! まさに、我が国の妃になられるに相応しいお方であらせられました!」
敬意のこもった口調で語る使者を前に、余は静かな衝撃に撃たれていた。
一国の姫が、戦場に出向いた? それも、他の貴族たちを率いる形で?
そんな度胸と、責任感を備えた女だったのか? 戦を恐れ、真っ先に逃げ出しそうな、弱々しい娘だと思っていたのに――余の、人を見る目は――いったい。
報告を終えた使者を労い、退室させる。余は俯き、密かに笑っていた。その様子を目にする権利は、ただひとり、信頼する宰相にのみ与えた。
「どう思う、リヒテンラーデ……アンリエッタ姫のことを?」
「迂闊なお方のようですな。自分の身に間違いがあれば、王家の血が絶えてしまうというのに、戦場に出るなど……。
迂闊で、感情に流されやすく……しかし、人を従える才覚と、敵を許さぬ闘争心と、我を通すエネルギーをお持ちの、女傑であると思われます」
「お前もそう思うか。確かに、虎のような女だな。
まったく、ふふ、ふふふ……このゲルマニアの王妃としては、これ以上ない女ではないか?」
余の中で燃え盛る炎が、勢いを増したのを感じた。
余は今まで、野心という蝋燭に、巨大な炎を燃やし続けてきた。ゲルマニアの頂点に立ち、それだけで終わらず、世界にまで進出するという夢を見る、自分を強く、大きくしていこうという心にのみ、生命力を注いできた。
その、野心の蝋燭に――恋という名の蝋燭が近付き、飛び火した。
「宰相。余は、本気でアンリエッタが欲しくなってきた。
このような血のたぎる思い、もう何年も忘れていたものだ――同盟も駆け引きも関係ない。ただ、あの女を余に振り向かせ、惚れさせたい。
そのためなら、いくらでもトリステインに協力してやろう――どう思う? 余は皇帝として、馬鹿なことを言っていると思うか?」
「いいえ……それでこそ、胸に情熱を持つことで知られる、ゲルマニア人でございますよ、皇帝(カイザー)」
老宰相は、どうやら心から、そう言ったようだった。
■
アルビオン軍の騙し討ちと、それの撃退が行われた翌日、情報ギルドはこぞって号外を出しました。
彼らは本来、週一のペースでその時々の世界情勢をまとめ、教会などの掲示板に張り出すことで、人々に世の中の動きを教えてくれます。もっとも、平民の識字率はあまり高くないので、主に読むのは貴族の皆様です。そして、特に裕福なお方は、情報を記した紙(新聞、というらしいです)を、直接自宅に配達させます。
我が主、ヴァイオラ・マリア・コンキリエ様も、ギルドから新聞を定期購読しているひとりです。ヴァイオラ様は、聖職のかたわら、たくさんの会社の経営もしておられるので、世界情勢は常に頭に入れておく必要があるのです。
さて、先ほど私は、七つの情報ギルドから、それぞれ別の新聞を受け取りました。
これをヴァイオラ様にお渡しする前に、内容をざっと確認して、重要と思われる記事を朱で囲むのが、私の仕事のひとつです。
ヴァイオラ様は、自分の出した手紙が、ゲルマニア皇帝にどのような影響を与えたのか、気にしておられるご様子でした。
さて、市井の噂で、アルビオン軍とトリステイン・ゲルマニア連合軍が戦ったという話は聞きましたが――どのような記事になっているのでしょうか?
■
トリステインの危機に、颯爽と駆けつけるゲルマニア軍! 親善大使を装ったアルビオン軍の謀略を粉砕!(ウィークリー・アクレイリア)
アンリエッタ姫殿下、アルブレヒト三世閣下に感謝の意を表明。閣下を晩餐に招待――トリステイン・ゲルマニアの友好関係、より緊密に(フィレンツェ・タイムズ)
マリアンヌ妃殿下とアンリエッタ姫殿下、宰相マザリーニ枢機卿とヴァリエール公爵を、トリステインの摂政に任命――姫殿下がゲルマニアに輿入れの後は、この二人によってトリステインが運転される体制がととのう(ケーニヒスベルク産業経済新聞)
マザリーニ枢機卿のコメント「責任ある任につき、光栄であるとともに、身の引き締まる思いである。まだしばらくは、休むことはできなさそうだ」(トリスタニア・ニュース)
モーガン社の愛国的行為に、賞賛の声! ゲルマニア空軍に、風石を寄付――モーガン社社長ホフマン氏、「どうしてこうなった」と謙虚なコメント(ボン国際情報紙)
アルビオン艦隊を壊滅させた、謎の飛竜の正体にせまる! 目撃者によると、体にピンク色のケルプ(海藻)を付着させていたため、飛行能力を持った海竜の亜種ではないかとの予想が……(週刊メー)
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「………………」
以上の記事を朱で囲むと、私は新聞をたたみ直し、ヴァイオラ様の寝室に向かいます。
我が主は、ベッドの上に寝転んだ状態で、私を迎え入れました。
「おー、シザーリア。新聞はどうじゃった? アルブレヒトの奴は、うまくやっとったか?」
ヴァイオラ様は、無邪気な様子でお尋ねになりました。枕を抱いて、うつぶせになって、足をパタパタさせながら、私を上目遣いに見ておられます。
淑女としてはしたないので、本来なら注意すべきなのでしょうが――大変可愛らしいので、あえてスルーさせて頂きます。
「ヴァイオラ様。その質問にお答えする前に、ひとつ確認させて頂いてよろしいでしょうか?」
「ん? なんぞ」
「ヴァイオラ様の目的は、アンリエッタ姫殿下と、アルブレヒト三世閣下の仲を緊密にすること……それでよろしかったですね?」
「うむ、その通りじゃ」
きっぱり言って頷いた主に、私も頷きを返します。
「だとすると、これ以上ない大成功かと存じます」
「そ、そうか! うまくいったか!」
ぺかーと、太陽のように輝かしい笑顔を浮かべて、ヴァイオラ様はベッドの上をごろんごろんなさり始めました。
「うえへへへー。やっとじゃー。やっとこれで兄様が……さ、シザーリア、新聞をよこせ。我にも、成功した計画の記事を楽しませるのじゃ」
「は。どうぞ、こちらになります」
私は、仰向けになった状態で止まったヴァイオラ様のお手に、新聞の束をお渡ししました……。
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「のじゃああああああぁぁぁぁぁぁっ!」
……読み終わった瞬間、なぜかヴァイオラ様は、新聞をまとめて壁に叩きつけ――布団をかぶって、丸パンのようになってしまわれました。
何がお気に召さなかったのでしょうか? 不思議です……。