ステラティア ~魔女狩りの剣士とエルフの神官と~ 作:八月森
「一つだけ、この状況を打開できるかもしれない案がある、と言ったら……貴女は、信じてくれますか?」
私は背中越しにティアさんに問いかける。
「その方法は、貴女に危険を強いるものです。なおかつ、確実に打開できるとは断言できません。もしかしたら、より悪い結果になってしまうかも……それでも……」
「――信じるよ」
彼女は、即答する。
「あたしは、難しいことは分かんない。この状況をなんとかする方法も思いつかない。だから、ステラをただ信じるよ。あたしにできることなら、なんでもやるから!」
「ティアさん……」
一度は裏切った私を、それでも信じると言ってくれるティアさん。ただの感謝に収まらない温かい気持ちが、胸の奥に湧き上がってくる。だから、私は……
「ありがとうございます、ティアさん。――失礼します」
だから私は振り向き、強引に彼女も振り向かせ、空いている左手で彼女の頬に手を添え――その唇に、自身の唇を重ねた。
「んむ!?」
彼女の目が見開かれる。くぐもった声が漏れる。こうされることは想定していなかったのだろう。先刻傷つけたばかりですぐにまたこうして同じ行為をすることに、罪悪感もかき立てられる。でも、すみません。こうするしか思いつかなかったんです。
ズ……
唇を介して彼女の体力が私に流れ込み、すぐさま悪しき魔力に――穢れに変換される。それは私の中の『私』を刺激し、その力と繋がろうと手を伸ばす。
先ほどティアさんに打ち込まれた法術の炎によって私は意識を取り戻し、身体を
けれど、その外からの穢れと繋がろうとしていた、内にある『私』自身の穢れ、魔女としての力と感覚。それが、この身に余韻を残していた。触れ合った唇の感触も。
だから、確信があった。その感覚に私から手を伸ばして繋ぎ直せば、内に眠る魔女の力を行使することができる。と――
実際にはわずかな時間だったはずだ。けれど敵から武器を突きつけられている現状で、無防備な姿を晒す危機感は、この行為を非常に長いものとして感じさせた。心臓がドクドクと脈打っている。ティアさんの身体から力が抜けていく。早く終わらせなければと焦りながらも、彼女の唇の感触を味わいたい欲望も湧き上がってきて……
「――は、ぁ……!」
欲求を強引に断ち切って唇を離す。これ以上は彼女の身体が保たないし、私も『私』に呑み込まれる恐れがある。
ティアさんは少し潤んだ瞳でこちらを見ていた。力の抜けた彼女を左手で抱き留める。その頃には、遠巻きに浮遊していた血の球体の一つが剣に形を変え、こちらに向かって飛来してきていた。私は右手一本で黒剣〈ローク〉を水平に構え、同時に
「ふっ!」
――呼気と共に、横薙ぎに剣を振るった。
黒剣と血剣は十字に交差し、激しく打ち合わされる。しかし血の武器は先ほどまでと同じく瞬時に形を変え、続けざまに攻撃を繰り出してくる――はずだった。
けれど、実際にはそうはならなかった。黒剣に触れた血の武器は空中で形を崩し、どろりと床に落ち、血溜まりを作る。
「!? どうして……!? 操れない……!?」
この日、初めてデュエッサが動揺する声が響いた。操れないのは当然だ。私の加護がそう仕向けたのだから。
その事実に小気味よさを覚えたのも束の間、もう一つの血球が刃を形作り、こちら――というより、ティアさんを突き刺そうと迫ってくる。動揺しているはずなのに、こんな時でも魔女の狙いはいやらしい。
私はティアさんをかばいながら、血剣の切っ先に〈ローク〉の切っ先を突き合わせた。
キィィィン――
と、硬質な衝突音を響かせた直後に、やはり血剣はどろりと崩れ落ち、先刻と同じように床の血溜まりと化す。
「な――」
デュエッサが驚愕に声を漏らすのと、左手に抱いたティアさんが力を取り戻すのとは、ほぼ同時だった。彼女から手を離して、安否を確かめる。
「――驚かせてしまいすみません、ティアさん。立てますか?」
「うん……加護のおかげで、もう大丈夫。……いったい、何をしたの、ステラ? 何がどうなってるの?」
「今の私は、魔女の力を一時的に引き出している状態です。……貴女から奪った、体力と引き換えに」
私は申し訳ない想いと共に、彼女に返答する。けれど彼女は――
「そんなの全然いいよ。いくらでも
そう言って、むしろ私のほうを心配してくるティアさん。加護によって無尽蔵の体力を得ているとはいえ、一歩間違えれば死ぬまで吸い尽くしてしまっていたかもしれないのに、全くもう、この人は……
「ええ。意識は私のままです。もちろん悪意に呑まれる危険はありましたが……そうまでしなくては、あの魔女には対抗できなかった」
私はそう言ってデュエッサを見る。彼女はそれまでの余裕を失い、再び左手首から流れる血を操り、投げ槍に変化させて攻撃してくるが――
ギィン――!
黒剣の切っ先を血の槍と衝突させる。
「――これが、私の魔女としての力の一つ、『離反の指先』。この右手に宿った
「悪神の、加護……」
アスタリアを初めとする善神群が人々に加護を授けることは知られていても、アスティマを初めとする悪神群が授けることは基本的にない。当たり前だ。アスタリアの被造物は彼らにとって敵であり、蹂躙する対象なのだから。
だから悪神は魔族や、私たち魔女に加護を授ける。より効果的に人々に害をなせるように。稀に悪意の強い人間に授ける場合もあるが……
「人々や動植物、そして魔術や法術、自然現象に至るまで、この物質世界の全ては秩序によって成り立っています。この右手は、
私の内に眠る魔女の力は生まれた時から把握していた。――その危険性も。
使いようによっては、生物の身体を動かす内臓や血管、それらを正しく稼働させている身体の仕組みという秩序を破壊し、死に至らしめることさえ可能だろう。それを使いこなせるかは正直賭けだったが……勝算がなかったわけじゃない。
「そしてこの剣――〈ローク〉が加護を制御し、先鋭化させることで、切っ先にまでその力を乗せることが可能になります。どうやら加護も魔術の一種とみなしているようですね」
少々判定が大ざっぱな気もするが、おかげでこの危険な加護の力を暴走させることなく操れている。師匠に感謝だ。
と……
「……ステラ、あなた……魔女の力だけを引き出して、意識は人間だとでも言うつもり……? あなたは、魔女なのよ……! そんな都合のいい話が……!」
よほど想定外だったのか、デュエッサからはいつもの余裕が消えていた。それに笑みを浮かべながら、私は言葉を返す。
「ええ、貴女の言う通り私は魔女。『無秩序』の魔女、ステラ・フェルムリエスです。魔女として生まれたから、大人しく魔女として行動する――……そんな秩序に、私が従うとでも?」
「……! この……!」
頭に血を上らせた魔女は、さらに左手首から鮮血を噴出させる。しかし今度は散らばったままで静止し、それが細かい無数の血の針になって……次の瞬間、横殴りの雨のように、私たちに降り注ぐ。
「これならどう!? その右手で破壊するにも限度があるわよねぇ!」
確かに、この血の雨の全てを右手一本で防ぐのは難しい。防御の魔術の詠唱も間に合わない。ティアさんが咄嗟に法術を唱えようとする気配も感じる。けれど――
「《風よ!》」
私は両手で構えた黒剣を、下からすくい上げるように逆袈裟に振るう。それをなぞるように円を描いて暴風が吹き荒れ……降り注ぐ血の雨を、全て破壊する。
「な――」
今の私は、魔女の力を引き出している。ならば当然、
「加護の力を武器に乗せることができたのですから、
台詞の終わりと共に黒剣を素早く連続で振るうと、その軌跡をなぞるように風の刃が発生し、デュエッサに向けて撃ち放たれる。魔女は初撃を浮遊してかわすも、続く二撃目を避けられないと判断したのか、左手を前方にかざし、流れる血から盾を生み出し防ごうとする。が、秩序を破壊する力を乗せた風の魔術は、盾を易々と破壊し……彼女の左腕、その肘から先を、切断する。
「く、あ……!」
魔女の苦悶の声。わずかに遅れて、ぼとりと落ちる左腕。肘の切断面からは多量の血が流れ落ちている。魔女自身も痛みで集中が途切れたのか、ふらつきながら着地する。
「ぐ……痛い……痛いわ……でも、この感触……これは…………これなら……」
ぶつぶつと何かを呟くデュエッサ。秩序によって活動する肉体には、私の加護の力は猛毒にも等しいはずだ。ダメージはある。ここで一気にたたみかける! 私は〈ローク〉を水平に構え、横薙ぎに振り抜いた。
「《ローク風刃一刀流一の太刀、風刃一閃――ストームブレイド!》」
先ほどよりもさらに巨大な風の刃――『離反の指先』の力を乗せたそれが、眼前の全てを切り裂くように放たれる。デュエッサの魔術では防げないはず――!
「ふ、ふふ……正直、見くびっていたのは認める。考えを改めるわ。だから、お返しに見せてあげる――……