エルヴィン・スミスの演説が終わった。
その後、訓練兵たちは一人、また一人と去っていく。
俯いたまま歩く者がいた。拳を握り締め、悔しそうに歯を食いしばりながら去る者がいた。膝が震え、隣の訓練兵に肩を支えられながら、その場を離れる者もいた。
カイは、その背中を黙って見ていた。
(まあ、責めることは出来ないな)
巨人がいる壁外へ向かう。
自分の意志で、あの『地獄』へ進む。
トロスト区で巨人を見た。仲間が食われる姿を見た。血と肉と蒸気の匂いを嗅ぎ、悲鳴を聞き、立体機動装置のガスが尽きる恐怖も知った。
その上で、調査兵団を選ばないことを臆病だと笑える人間は、少なくともカイではない。
(普通は行かない。死にたくないなら、尚更だ)
死にたくない。
生きたい。
安全な場所へ行きたい。
その願いは、人間として真っ当なものだ。
むしろ、自分から死に近い場所へ向かう者たちの方が、余程どうかしている。
(調査兵団は、やっぱり異常者の集まりだな。自由、人類の勝利、壁外への希望。言葉は綺麗だが、実態は巨人のいる場所へ自分から進む連中だ)
カイは、去っていく訓練兵たちから目を外す。
そして、残った者たちへ視線を向けた。
ミカサ・アッカーマン。
アルミン・アルレルト。
ジャン・キルシュタイン。
コニー・スプリンガー。
サシャ・ブラウス。
クリスタ・レンズ。
ユミル。
ライナー・ブラウン。
ベルトルト・フーバー。
そして、カイ・シュナイダー。
(アニはいない。憲兵団側。ここは原作通りだな)
アニ・レオンハートは、この場にはいない。
彼女は憲兵団へ進む。成績上位十名に入り、内地へ向かう権利を得た訓練兵として、その選択をする。
この場にいないことが、自然だった。
(エレンは……別枠か)
エレン・イェーガーも、通常の新兵としてこの場に立つ存在ではない。
彼は巨人化能力者であり、人類の希望であり、同時に危険物でもある。王政や憲兵団が黙って見ている筈が無く、調査兵団としても普通の新兵と同じ扱いには出来ない。
リヴァイ班の管理下に置かれるのは、自然な流れだった。
(俺をリヴァイ班に入れない判断も、当然と言えば当然だな)
エレンの監視と、いざという時の処分を担う部隊。
そこに、訓練兵上がりの新兵であるカイを入れる。
表向きの理由を作るには、少し無理がある。
トロスト区で戦果を挙げた。
精鋭班に組み込まれた。
それでも、リヴァイ班に入れる理由としては弱い。
何より、カイには裏の役割がある。
(調査兵団の新兵。エルヴィン直属の秘匿特殊戦力。固定分隊なしの訓練・観察期間。……肩書きだけで面倒臭いな)
昨日、カイは調査兵団幹部の前で呪術を見せた。
呪力強化、『脱兎』、影収納、簡易結界、『玉犬・渾』。
領域展開と反転術式の名前も出した。今の自分には出来ない高等技術として説明したが、名前だけでも『縛り』の対象にはなる。
呪術を公開すればするほど、呪術を知る者が増えれば増えるほど、カイの実力は底上げされる。
ただし、単純な『術式の開示』よりも効果は低い。
呪力、術式、結界術、領域展開、反転術式。呪術体系全体へ公開対象を広げている以上、当然といえば当然だ。
(それでも、永続的な底上げは大きい。呪力操作、呪力総量、術式効果。伸びるなら伸ばした方が良い)
だが、情報を出せば出すほど、秘匿は難しくなる。
王政に知られれば、拘束、尋問、研究対象、利用、処分。どれになるか分からない。
少なくとも、自由に動けることは無くなるだろう。
(調査兵団の内側に置かれる方が、遥かにマシだ。首輪付きの自由でも、王政に首根っこを掴まれるよりは良い)
そんなことを考えていると、声を掛けられた。
「おい、カイ」
振り向くと、ジャンが立っていた。
隣にはアルミンもいる。
ジャンは、調査兵団に残ったことで、まだ気持ちの整理がついていないのか、少し不機嫌そうな顔をしている。だが、いつものような棘は少し薄い。
「結局、お前も残ったんだな」
「最初から調査兵団志望だったからな」
「まあ、そうだろうな。トロスト区じゃ、精鋭班にまで入ってたんだろ?そんな奴が今更憲兵団に行くとは思わねぇけどよ」
ジャンは、納得したような、少し面白くなさそうな顔でそう言った。
憲兵団に入り、内地で暮らす。
ジャンが元々抱いていた目標だ。
その彼が、こうして調査兵団に残っている。今この場に立っている。
その事実は、ジャン自身の中でもまだ完全に整理されていないのだろう。
「精鋭班に入ったのは、ピクシス司令の判断だ。俺から頼んだわけじゃない」
「分かってるよ。けど、普通の訓練兵は入らねぇだろ、そんなもん」
「俺も驚いた」
「本当かよ」
「本当だ」
カイが答えると、ジャンは胡散臭そうに目を細める。
「お前、そういうことを平然と言うから分かりにくいんだよ」
「慌てて言えば分かりやすいのか?」
「そういう話じゃねぇ」
ジャンは顔を顰めた。
そのやり取りを見て、アルミンが小さく苦笑する。
「でも、カイが残ってくれたのは心強いよ」
「そうか?」
「うん。トロスト区でも、エレンの護衛側にいたし……それに、カイは昔から調査兵団に入るつもりだったんだよね」
「ああ」
カイは頷く。
「それは変わってない」
「そっか」
アルミンは、少しだけ安心したように頷いた。
だが、その表情はすぐに曇る。
「エレンは……僕たちとは、別になるんだよね」
「だろうな」
カイは答える。
「巨人になれるんだ。普通の新兵と同じ扱いには出来ない。王政や憲兵団が黙って見ているような存在でもない」
「……うん。分かってる」
アルミンは頷く。
分かってはいる。
だが、納得しきれているわけではない。
それは、カイにも分かった。
「エレンはエレンだよ」
「ああ」
「でも、周りはそう見てくれないかもしれない」
「だから、近くに分かっている奴が必要なんだろう」
カイは、少し離れた場所にいるミカサへ視線を向けた。
ミカサは、周囲の話を聞いているようで、その意識の大半をエレンへ向けているように見えた。
(ミカサは、まあ当然として。アルミンもエレンから離れる気は無いだろうな)
エレンが何処に行こうと、ミカサは追う。
アルミンも、形は違えどエレンから離れない。
そういう関係だ。
「お前はどうなんだよ、カイ」
ジャンが聞いてきた。
「どう、とは?」
「団長に呼ばれてたんだろ。お前も、何か特別扱いでもされんのか?」
「トロスト区での戦闘報告と、調査兵団に入る意思を確認されただけだ」
「だけ、ねぇ」
ジャンは納得しきっていない顔をしたが、それ以上は踏み込まなかった。
疑っているというより、単純に気になっているだけなのだろう。
カイは、それで十分だと思った。
「まあ、精鋭班に入った奴なら、団長に呼ばれてもおかしくはねぇのか」
「そう思っておいてくれ」
「言い方が胡散臭ぇんだよ」
「善処する」
「絶対する気ねぇだろ」
ジャンは呆れたように言う。
その時、コニーが横から顔を出した。
「何だ?カイが特別扱いされる話か?」
「されない」
カイは即答した。
「何だ、されないのか」
「何で少し残念そうなんだ」
「いや、カイが偉くなったら、飯の量が増えたりしないかと思って」
「それはサシャの発想だろ」
カイがそう言うと、少し離れたところにいたサシャが顔を上げた。
「呼びましたか?」
「呼んでない」
「飯の話ですか?」
「違う」
「肉ですか?」
「もっと違う」
サシャは心底残念そうな顔をした。
「調査兵団に入ったら、肉は食べられますかね」
「食べられる訳ねぇだろ」
ユミルが冷たく切り捨てる。
「壁外で巨人に食われる可能性の方が高い」
「それは困ります」
「肉の心配より命の心配をしろ」
「死ぬ前に食べたいです」
「最悪の覚悟の決め方だな」
クリスタが、困ったように二人を見ている。
その光景に、カイは僅かに息を吐いた。
(こういう空気は、悪くないな)
トロスト区では、多くの訓練兵が死んだ。
トーマス、ミーナ、ナック、ミリウス。
他にも多くの者が、巨人の口に消えた。
それでも、生き残った者たちは話している。
冗談を言い、飯の心配をし、互いの顔を見て、まだ生きていることを確認している。
だからこそ、次に死ぬ時はあっけない。
そのことを、カイは知っている。
(知っていても、全部は止められない。トロスト区でもそうだった)
イアンも、ミタビも、多くの駐屯兵も死んだ。
カイが動いても、全ての死は止められない。
呪術を使えば救えた命もあるかもしれない。だが、その時のカイは呪力が尽きかけており、状況も複雑だった。
後から考えれば、ああすれば良かった、こうすれば良かったと幾らでも思い付く。
だが、戦場で全てを選べるわけではない。
ふと、視線を感じた。
顔を向けると、ライナーと目が合う。
ライナーは、いつも通りの顔をしていた。
頼れる兄貴分の表情。訓練兵時代から変わらない、周囲を安心させる顔。
その隣には、ベルトルトがいる。
ベルトルトは少し不安そうに立っているが、それも普段通りと言えば普段通りだ。
(ライナーとベルトルトも残ってる。……まあ、原作通りだな)
戦士である二人が調査兵団へ入る。
エレンに近づくためか、壁外調査で機会を探るためか。
細かい理由は兎も角、彼らがここにいること自体は原作通りである。
カイは二人の正体を知っている。
だが、それを表に出すつもりはない。
(今ここで何かする意味は無い。下手に触れば、こっちの情報だけが増える)
ライナーは、すぐに視線を外した。
表面上は何も無い。
何も無いまま、時間だけが進む。
それで良い。
今は、まだ。
その後、調査兵団の兵士から、今後の説明が行われた。
支給される装備。
生活場所。
訓練予定。
壁外調査へ向けた準備。
上官への報告と命令系統。
訓練兵団とは違う。
ここから先は、訓練ではない。
それを、説明する兵士の声や、周囲の空気が伝えてくる。
やがて説明が終わり、新兵たちが移動を始める。
カイも流れに合わせて歩き出そうとした時、調査兵の一人が近づいてきた。
「カイ・シュナイダー」
「はい」
「団長がお呼びだ」
「分かりました」
カイが答えると、ジャンがこちらを見た。
「また呼ばれてんのか」
「そうらしい」
「本当に戦闘報告だけか?」
「そういうことになっている」
「なっているって何だよ」
「言葉の綾だ」
「余計胡散臭ぇ」
ジャンは顔を顰めた。
アルミンは何か言いたそうにしていたが、結局口には出さなかった。
カイは軽く手を上げる。
「すぐ戻る」
「ああ」
ジャンは短く返した。
アルミンも頷く。
カイは調査兵について歩き出す。
(目立たないようにするのも、そろそろ限界か?)
団長に二度も呼ばれている時点で、目立たない訳がない。
だが、完全に目立たないことは、もう諦めるべきなのだろう。
呪術を公開した。
調査兵団の内側に、自分の異常を置いた。
ならば、多少の視線は避けられない。
(問題は、その視線が王政や憲兵団まで届くかどうかだ)
そこだけは、避けなければならない。
カイは、調査兵の後ろを歩いていった。
案内された部屋にいたのは、エルヴィンだけだった。
リヴァイも、ハンジも、ミケもいない。
机の上には、書類が積まれている。トロスト区攻防戦後の処理、兵員の再編、物資、エレンの扱い、調査兵団の次の動き。
どれも軽い内容ではないのだろう。
紙の束だけで、人が死んだ後の重さが伝わってくるようだった。
「来たか」
「はっ」
カイは敬礼する。
「楽にしてくれ。長くは掛けない」
「分かりました」
カイは敬礼を解き、姿勢を正したまま立つ。
エルヴィンは、書類から視線を上げた。
「今日から君は、表向きは他の新兵と同じく調査兵団の一員として扱う」
「はい」
「ただし、分隊への正式配属はまだ行わない。しばらくは訓練と観察期間だ」
(まあ、そうなるよな)
固定分隊なし。
新兵として扱いつつ、置き場所を決めない。
便利だが危険な駒を、何処へ置くか見極めるための時間。
カイは、エルヴィンの判断をそう解釈した。
「君の力は、許可なく使わないこと。王政、憲兵団、他の兵士、同期にも明かさない」
「承知しています」
「ただし、命に関わる緊急時は別だ。その時は、君の判断に任せる」
カイは、僅かに目を細めた。
許可制。
だが、緊急時は自分の判断に任される。
この一文があるか無いかで、戦場での動きは大きく変わる。
「必要があれば、私から個別に命令を出す」
「了解しました」
「君の立場は難しい。通常の新兵として扱われる一方で、通常の新兵ではない。だからこそ、軽率な行動は避けてほしい」
「分かっています」
カイは答える。
だが、一つ確認しておくべきことがあった。
「質問しても宜しいでしょうか」
「何だ?」
「緊急時の判断には、どの程度まで含めますか」
エルヴィンは、少しだけ目を細める。
「具体的には?」
「自分の命だけでなく、班や同期、上官、作戦そのものが崩れる可能性がある時です。呪術を使わなければ誰かが死ぬ、あるいは作戦が失敗する。そういう場面で、命令を待つ余裕が無い場合」
「その場合は、君の判断に任せる」
エルヴィンは即答した。
その答えの速さに、カイは少しだけ驚いた。
「ただし、使用後は必ず報告すること。何を使い、誰に見られ、どのような結果になったか。そこを誤魔化されると、こちらも君を守れない」
「はい」
「君を守るためでもあり、調査兵団を守るためでもある」
「理解しています」
エルヴィンは頷いた。
「それと、エレンについてだが」
その名が出た瞬間、カイの意識が僅かに鋭くなる。
「彼はリヴァイ班の管理下に置かれる。君をそこに入れる予定はない」
「妥当だと思います」
「理由は分かるか?」
「エレンの監視と、いざという時の処分を担う部隊に、訓練兵上がりの新兵を入れるのは外聞上不自然です。それに、私を入れる場合、表向きの理由が必要になる」
「その通りだ」
エルヴィンは、僅かに口角を上げた。
「君には、別の形で動いてもらう。必要な時に、必要な場所へ送る。そのためにも、今は通常新兵として周囲に馴染んでもらう」
「分かりました」
「不満は?」
「ありません」
これは本心だった。
リヴァイ班に入れば、エレンの近くにはいられる。
だが、目立つ。
不自然な配置は疑問を生む。
疑問は調査を呼ぶ。
調査は、呪術に近づく。
(それは、面倒どころじゃ済まない)
カイに必要なのは、自由に動ける余地だ。
表向きは通常新兵。
裏では個別命令。
この形が、今は最も都合が良い。
「最後にもう一つ」
エルヴィンの声が、少しだけ低くなる。
「君が我々を信用して力を明かしたことは理解している。だが、我々も君を完全に信用したわけではない」
「当然です」
「それでも、君を王政に渡すつもりはない。少なくとも、現時点では」
「……ありがとうございます」
「礼を言うには早い。これは善意ではなく、判断だ」
「それでも、です」
カイは静かに答えた。
王政に渡されない。
それだけで、今は十分だった。
エルヴィンは、しばらくカイを見ていた。
やがて、書類へ視線を戻す。
「下がっていい」
「はっ」
カイは敬礼し、部屋を出た。
扉を閉めると、廊下の空気が僅かに冷たく感じる。
(調査兵団の新兵。エルヴィン直属の秘匿戦力。王政には出せない異常。……肩書きだけは随分増えたな)
カイは、廊下の先へ歩き出す。
自由の翼を背負った。
だが、その翼は軽くない。
王政へ渡されることのなかった異常。
調査兵団の内側に秘匿された呪術。
表向きは一人の新兵として、裏ではエルヴィン・スミス直属の秘匿戦力として。
カイ・シュナイダーは、調査兵団に入団した。
アンケート第2回です。見た感じ、半分程度の方が、「私に委任する」という立場のようで……。この様子だと、3回目は不必要ぽいかな?取り敢えず、また好きな所に投票してください。後、恋愛要素って要ります?「作者に展開は委任する」立場の方は、①と②に投票してください。原作の展開的に、ヒロインはユミルやクリスタになるかも。
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