青春を求めて実力主義の教室へ   作:リリリリら

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七十一話

極上のカツ丼の匂いが漂う、平和な学生寮の一室。

だが、そのテーブルを挟んで向かい合う二人の少年の間に流れる空気は、一瞬にして『高校生の日常』から、血の匂いが立ち込める『裏社会の深淵』へと変貌していた。

 

「お前は……『外からの力』に、自分の日常を壊されそうになったら、どうする?」

 

父親という巨大な権力、月城という理不尽な刺客によって、自らの平穏を脅かされている影の支配者・綾小路清隆からの問いかけ。

 

俺――呉 刃叉羅は、どんぶりに置いた箸から手を離し、ゆっくりと口の中に残ったカツを飲み込んだ。

 

そして、事なかれ主義の高校生の仮面を外し、暗殺者としての冷たい笑みを浮かべた。

 

「俺の日常を壊す、か」

 

俺は、極めて平坦な声で答えた。

 

「命までは取らない。ただ、二度と俺の平穏を脅かそうなんて考えられないように、穏便に『再起不能』にする程度にとどめるさ」

 

「……穏便の意味を辞書で引き直した方がいい。相変わらず物騒なやつだな」

 

綾小路が、全く表情を変えずに淡々とツッコミを入れる。

 

「ははっ、俺なりの最大限の譲歩だぜ」

 

俺は肩をすくめた。

 

「それにしても、前にも聞いたが……お前の親父さんは、マジでなかなか強烈な『モンスターペアレント』だな。息子の退学のために理事長代理まで送り込んでくるとは」

 

俺が呆れたように言うと、綾小路は湯呑みのお茶を一口啜り、俺の目を真っ直ぐに射抜いた。

 

「……以前、お前は言っていたな。実家が『殺し屋のツテ』を持っていると。もしオレが父親を処理してほしくなったら、相談しろと」

 

「お?」

 

俺は思わず片眉を上げた。

以前、綾小路の親父が学校に乗り込んできたと聞いた時、俺は冗談半分でそう持ちかけたことがあった。

 

「なんだ? ついにイカれた親父さんを、物理的に排除する気になったのか?」

 

俺が面白がって尋ねると、綾小路は小さく息を吐いた。

 

「まあ、今は外部との連絡は取れないルールだから、すぐには無理だがな」

 

俺が現実的な問題を指摘すると、彼は静かに頷いた。

 

「分かっている。……だが、卒業までに、真剣に検討しておく」

 

「――――マジかよ」

 

俺は、目を丸くした。

親の暗殺の依頼を「真剣に検討する」と無表情で言い放つ高校生など、この世界広しといえど目の前の男くらいのものだろう。

 

「まあ、いざって時は一族のネットワークを使って、直々に依頼を通してやるよ。ダチの親殺しだ、特別割引でな」

 

俺が冗談めかして笑うと、綾小路は不意に、その漆黒の瞳の奥に『純粋な探求心』のような光を宿した。

 

「……それにしても。お前の実家は、一体どうなっているんだ?」

 

「あ?」

 

「以前、お互いに『裏の世界の事情を抱えている』と軽く話し、それ以上は踏み込まないという暗黙の了解があったが。……オレの『知的好奇心』が、お前の持つその異常な身体能力と、底知れないバックボーンの正体を求めている」

 

綾小路は、箸を置き、両手をテーブルの上で組んだ。

 

「ふっ……どうしたんだ? 急に」

 

俺は、面白そうに彼を見つめ返した。

 

「お互い、詮索はしないルールだったろ? 随分と積極的じゃないか」

 

「そうだな。だが、オレが一方的に聞き出すのはフェアじゃない。……オレから、先に『誠意』を示そう」

 

「は?」

 

俺が虚を突かれて怪訝な顔をする前で。

綾小路清隆は、自らの最も深い闇の底の蓋を、いともあっさりと開けてみせた。

 

「オレは、とある施設で育った。通称『ホワイトルーム』と呼ばれる場所だ」

 

淡々とした、まるで他人の履歴書を読み上げるかのような無機質な声。

 

「父親がその施設の運営をしている。……そこは、人間の遺伝子や生まれ持った才能といった不確定要素を完全に否定し、『極限の環境と教育』さえ与えれば、人工的に天才を作り出せるという理念のもとに作られた施設だ」

 

「……人工の、天才?」

 

「ああ。物心つく前の幼児の頃から、一切の娯楽も自由も与えられず、ただひたすらに人間の限界を超えるための学問、格闘術、あらゆる知識を徹底的に叩き込まれ続ける。……脱落すれば廃棄される、白だけの無機質な部屋だ」

 

俺は、言葉を失った。

 

彼が語るその光景の異常さは、裏社会で血の匂いを嗅ぎ続けてきた俺の想像すらも容易に超えていた。

 

子供から一切の感情を奪い、ただの『完璧なデータ』として育て上げる地獄の培養炉。

 

「オレは、そのホワイトルームの第四期生であり……そこで生き残った、唯一の成功体だ。施設を運営するあの男からは、『ホワイトルームの最高傑作』と呼ばれている」

 

綾小路の無機質な瞳は、その凄惨な過去を語っている間も、一ミリの揺らぎも見せなかった。

 

彼にとって、それは悲劇でも何でもない。ただの『事実』なのだ。

 

静寂。

カツ丼の冷めていく微かな匂いだけが、部屋に漂っていた。

 

「……おいおい」

 

俺は、頭を掻きむしりながら、深くため息をついた。

 

「どうしたんだよ、急に。そんな、お前の命やアイデンティティに関わるような超一級の機密情報を、なんで俺に全部打ち明けるんだ?」

 

俺が問うと、綾小路は極めて合理的な、彼らしい答えを返してきた。

 

「お前なら、この情報を口外することも、オレを脅すために利用することもないと確信しているからだ。……それに、オレが話せば、お前も話してくれると思っているからな」

 

等価交換。

自らの最大の秘密を明かすことで、俺の秘密を引き出そうとする、彼なりの最大の誠意だった。

 

「それに、打算もある」

 

綾小路は、冷徹な目で続けた。

 

「おそらく、二年生に上がってから……新入生の中に、オレの後輩である『ホワイトルーム生』が、オレを退学させるための刺客としてこの学校に送り込まれてくる」

 

「……なるほど。あのイカれ親父が、月城だけじゃなく、お前と同じ環境で育ったバケモノを直接差し向けてくるってわけか」

 

「ああ。オレ一人で対処できない事態になった時……いざという時に、お前に『協力』してほしいという狙いもある」

 

「――――」

 

全くもって、理にかなっている。

俺という暴力をいざという時のジョーカーとして組み込んでおきたいと考えるのは当然の帰結だ。

 

「……はあ。まったく、お前にそこまで言われたら、こっちも黙ってるわけにはいかなくなるだろうが」

 

俺は、完全に白旗を上げ、背もたれに深く寄りかかった。

 

「いいだろう。……お前の誠意に対する対価だ。俺のバックボーンも、教えてやる」

 

俺は、自分の黒く染まった強膜の瞳を指差した。

 

「お前は、人間の才能は環境で作り出せるって理念の施設で育ったんだな。……それなら、俺のバックボーンは、お前の育ったホワイトルームと『完全に真逆』だ」

 

「真逆?」

 

綾小路が、興味深そうに首を傾げる。

 

「俺の実家は、『呉一族』っていう、一千三百年の歴史を持つ、裏の世界では名の知れた暗殺者の一族だ。別名……【禁忌の末裔】とも呼ばれてる」

 

俺の言葉に、綾小路の瞳が微かに動いた。

 

「俺たち呉一族は、お前のところの『環境至上主義』とは正反対だ。一族の歴史が始まったその日から、代々世界中の強者、優れた遺伝子を持つ武術家やアスリートだけを外部から取り込み、交配を繰り返してきた」

 

「……なるほど。『品種改良』か」

 

綾小路が、俺の言葉の本質を即座に言い当てた。

 

「そういうことだ。千三百年の血の選別の結果、俺たち呉一族の人間は、生まれた時から通常の人間とは根本的に異なる肉体を手に入れた。異常な身体能力、異常な耐久力、そして独自の脳内麻薬の異常分泌による、致死レベルの痛みへの耐性。……これらは全て、後天的な努力じゃどうにもならない、先天的な才能の結晶だ」

 

俺は、自らの血塗られた肉体の成り立ちを、淡々と語った。

 

「そして……俺たち呉一族の血を濃く引く者だけが使える、一族秘伝の技術がある。……それが、【外し】だ」

 

「外し……」

 

綾小路が、その単語を反芻する。

 

「人間の脳は、筋肉が自らを破壊しないように、普段は無意識に30%程度の力しか出せないようにリミッターをかけている。だが、千三百年の品種改良で異常な耐久力を得た俺たち呉一族は、その脳のストッパーを意図的に『外す』ことができる」

 

俺は、自分の手のひらを強く握り込んだ。

 

「100%の潜在的な筋力を強制的に解放し、鬼神の如き膂力とスピードを発揮する技だ。」

 

「……脳の、リミッター解除」

 

綾小路は、俺の話を静かに、しかし脳内で凄まじい速度で処理しているようだった。

 

「ただし、この『外し』の解放率は、個人の遺伝的な才覚によって明確な差が出る。普通の呉の人間でも20%や30%。優秀な奴でも60%前後だ」

 

俺は、ニヤリと笑って、綾小路を見つめた。

 

「一族の中で、潜在能力を完全に解放する……【100%の外し】を使いこなせる人間は、今、俺を含めて一族に『三人』しかいない」

 

「……お前を含めて、三人」

 

綾小路の瞳が、僅かに見開かれた。

 

「ああ。俺と、少し年上の『一族最狂の魔人』。そして、当主である俺の曾祖父さんだ」

 

俺の話を最後まで聞き終えた綾小路は、しばらくの間、静かな沈黙を保っていた。

 

人工の天才と、天然の怪物。

 

互いが歩んできたあまりにも特殊で、そして対極にある道のりが、この狭い学生寮の一室で完全に交差していた。

 

(……一三〇〇年に及ぶ、人間の品種改良。そして、脳のリミッター解除か)

 

綾小路は内心で、戦慄と共に、深い知的好奇心を満たされていた。

 

(オレが育ったホワイトルームは、極限の環境と教育によって、後天的に天才を作り出す施設だ。それに対し、呉一族は、一三〇〇年という途方もない時間をかけて、DNAレベルから先天的なバケモノを作り上げてきた。……まさに、真逆の理念)

 

綾小路の脳裏に、Aクラスのリーダー・坂柳有栖との会話が蘇る。

 

『天才とは、DNAによって定められた才能を持つ者のことです。環境で作り出された偽物を、私が打ち倒してみせます』

 

坂柳の言う『天才の定義』

その究極の到達点にして、外部から優秀なDNAを取り込み続け、純度を極限まで高めた存在。それこそが、目の前にいる『呉 刃叉羅』という男なのだ。

 

(環境が人を創るのか、それとも血が人を創るのか。……あの男の悲願である人工の天才と、一三〇〇年の歴史が生み出した天然の怪物。もし直接殺し合えば、どちらが上なのか)

 

綾小路の内に、彼自身も気づいていないような、純粋な闘争への興味が湧き上がっていた。

 

だが、同時に彼は冷静に結論づける。

 

(……真っ向からの殺し合いになれば、オレが彼に勝つ確率はゼロだ。思考力や学力といった頭脳戦であれば、オレの方が優位に立っている自負はある。だが、千三百年という気の遠くなるような歴史が練り上げた武術の極意と身体能力は、個人の努力や後天的な教育でどうにかなる次元の代物ではない)

 

「世界は、本当に広いな」

 

やがて、綾小路がポツリと口を開いた。

 

ホワイトルームという閉鎖空間で『最高傑作』と呼ばれ、無敗を誇ってきた彼にとって、一三〇〇年の歴史を持つ暗殺一族の全貌は、自らの知る世界の狭さを痛感させるものだった。

 

「ああ。世界は広いぜ。例えば俺の身内には、理屈の全く通じねえイカれたバケモンがいるしな」

 

俺は一族の中で暴れ回る、あの戦闘狂の顔を思い浮かべながら苦笑した。

 

「一歩外の裏社会に出りゃ、闘うたびに底知れず進化していく『帝王』みたいな男や……俺でも勝てる気がしねえ、人生の全てを懸けて己を練り上げた『武の権化』みたいなオッサンもいる」

 

「……」

 

綾小路は静かに耳を傾けている。

 

「それに、俺の知らない世界には、まだまだ俺より強いヤバい奴らがゴロゴロ隠れてるんだろうしな。上には上がいるってこった」

 

俺は軽く肩をすくめ、オレンジジュースの入ったグラスを揺らした。

 

「……お前も、ホワイトルームなんて狭い水槽からせっかく抜け出してきたんだ。せいぜい、この平和な箱庭で『普通の高校生』を満喫するこったな」

 

俺は、すっかり冷めてしまったカツ丼の最後の一口を掻き込みながら、笑って言った。

 

「ああ。オレの目的は、この学校で普通の三年間を送ること、ただそれだけだ」

 

綾小路も、空になったどんぶりを置き、静かに頷いた。

 

「お前の情報は、オレの中で留めておく。……オレの話も、他言無用で頼む」

 

「当然だ。俺とお前は、互いの闇を共有し合った『共犯者』みたいなもんだからな。……まあ、お前の親父からの刺客が来たら、そん時は俺も少しだけ力を貸してやるよ」

 

「……助かるよ」

 

窓の外では、三月の夜風が静かに吹いている。

 

完全なる『環境』の産物である、白き部屋の最高傑作。

完全なる『血統』の産物である、暗殺一族の最高傑作。

 

全く異なるアプローチで限界を突破した二人のバケモノによる、静かで、しかし確かな『不可侵と共闘の同盟』が結ばれた夜だった。

 

「さて、飯も食い終わったし、俺は明日ひよりに作るお菓子のレシピでも考えるとするかな。お前も早く自分の部屋に帰れよ、軽井沢からお呼びがかかるかもしれないぜ?」

 

俺がわざとらしくニヤニヤしながら追い出しにかかると、綾小路は静かに立ち上がった。

 

「ごちそうさま。美味かった」

 

「おう。次からはちゃんと金取るからな」

 

綾小路が部屋を出て行き、一人になったリビングで。

俺は、静かに自分の手のひらを見つめた。

 

(……ホワイトルーム、か)

 

俺の平穏な日常に、いつかその刺客の影が落ちる日が来るのだろうか。

だが、相手がどんな人工の天才であろうと関係ない。

 

俺のこの手は、ただ一人、ひよりという天使を守り抜くためだけにあるのだから。

 

暗殺者の少年は、迫り来るであろう新たな盤面の波乱を予感しながらも、ただ愛する少女との明日を思い描き、静かに目を閉じるのだった。

 

 

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