──ぼんやりとした表情が恐ろしい。
心ここに在らずといった様子に声をかけたが、その声は震えていなかっただろうか。こればかりは自信はなかった。
あ、と声に気づいた小さな体が跳ねてこちらを見る。
そうして家族と揃いの黒髪を揺らして、兄よりも華奢な体を必死に動かして、父に良く似た顔が幸せそうに緩んで、母と同じパールグレーの瞳に黄色が滲んでいく。
「──父様!」
その子供らしい明るい声色で呼ばれる度に、オリオンは言い知れぬ不安から開放されるのだ。
第一子であるシリウスは癖のある髪質や性格などヴァルブルガに似た。ならば、きっとレギュラスはオリオンに似たのだろう。
ブラック家に相応しい、少し高慢きちな輝かんばかりの美貌は正しく若き日のオリオンと瓜二つ。サラサラな髪質も、溢れんばかりの知識欲も、少し好奇心旺盛なところも、幼き日のオリオンと似ていた。
だがしかし、オリオンと決定的に違う点があった。
艶やかな癖のない黒髪、真っ白に透き通った肌と子供らしいまろい頬。そして、特別血が濃い純血の中で稀に見られる感情の起伏で変化するパールグレーの瞳。
何よりも異質なのは、その独特な死を匂わせる影のある雰囲気だった。子供であるはずなのに、何も言わず無表情でいるだけで凄みを感じる死の気配。
──まるで、卿のようだ。
そう思考して既視感の正体に納得する。その背筋が凍るようなゾッとするまでの影は、それこそ卿がまだ学生であった頃にそっくりだった。
ぱっと花咲くような子供らしい無邪気な笑みや、天真爛漫な振る舞いで緩和されているが間違いなく資質を持って生まれていた。
それだけならまだしも、レギュラスは才能も魔力も一際高く優秀な子供だった。頭の出来も、魔力の量も扱い方も何から何まで「優秀」の一言に尽きる純血らしい力を持っていた。
もはや役満と言っても過言じゃない。
シリウスという稀な前例や、兄弟揃って特別優秀、両親揃って卿の
というか、オリオンとヴァルブルガは実の息子を見て完全に目が覚めた。
着実にアカン方向へ進んでいく我が子を見て「ア、やばいうちの子、闇の帝王★二世にされちゃうかも」というある種の危機感により完全覚醒。
流石に血の繋がった実の息子が大量虐殺に手を染める様を想像して、両手を上げて賛成できるほど卿に入れこんではいなかった。
あと、付け加えるならば学生時代のマグルで言う厨二病丸出しだった卿を思い出し、更には姪であるベラトリックスの卿への忠誠や苛烈なまでの執着を見て、同じ道に進んだらどうしよう…という懸念もあった。
──その結果、オリオンとヴァルブルガは数段飛ばして究極の結論に至った。
それは、もはや純血やスリザリン家系なんてどうでもいいから真っ当に育って欲しいという純然なる親の心だった。
親としては当たり前の気持ち、されど純血貴族としては有り得ない考え。二人は、あれほど大事に思っていたはずの純血主義を一切口に出すことが無くなった。
何故ならば下手に純血主義を拗らせて卿のようになってしまったら、間違いなく悲惨なことになる。
なんなら既に第一子であるシリウスの教育に失敗し、弱冠9歳にして反純血主義のマグル贔屓。更にはヴァルブルガ譲りの激情家かつ天邪鬼気質、やるな言うなをやれ言えと変換する。
まさに育児失敗ランキング堂々一位、どうしてこうなったとしか言いようがない。
つまるところ過激な純血主義と反純血主義、どちらに転んでも最悪であることに変わりはなかった。
ならばいっそのこと潔癖なまでのマグル排他を殴り捨てて、積極的…とまでは行かずともマグルの文化に触れさせて純血主義にも寛容な大人に育てようとした。
今まで雇っていた純血主義のナニーと家庭教師は解任し、マグル文化に寛容なナニーとマグル界にも精通した家庭教師を雇い直した。おそらく、これがレギュラスの気質にハマったのだろう。
才覚は卿の焼き増しといっても過言じゃないが、性格は誰に似たのか温厚で好奇心旺盛な節がある。最初は引け腰だったはずが、いつの間にか新しいナニーと家庭教師に懐いていた。
更には以前にも増してイキイキと子供らしい一面を見せるようになって、オリオンとヴァルブルガは英断だったと胸を撫で下ろした。
そして、副産物としてナニーにも家庭教師にも反発しがちだったシリウスも、今のナニーと家庭教師を気に入って問題行動がかなり少なくなっていたのだ。
それに比例してヴァルブルガも大噴火する頻度が少なくなり、「ブラックの姫君」と呼ばれていた頃のような淑女に戻ってきた。
きっと、これが正解だったんだろう。
今でも家訓の通り、純血を重んじる考えは変わっていない。それでも、マグルを過激に排他するのではなく、血が混ざらなければ上手く共存していくのも悪くないとオリオンは思った。
「ねえ、父様。あした、魔法を教えてほしいんだ。ぼく、もっともっといろんな魔法が知りたい!」
ほら、見ただろう。この輝かんばかりの笑みを。
僕とヴァルの決断は合っていた、ちゃんとこの子の笑顔を守れたのだ。
レギュラスは魔法が大好きだ、それこそ魔法で出来ないことはないと思うほどに。本人の常軌を逸した才覚と豊かな想像力もあって、一度学んだ魔法はすぐに使いこなせる。
古くからの言い伝えで『優れた魔法使いは溢れんばかりの好奇心と想像力を持ち合わせている』というが、正しくレギュラスはその言い伝え通りの魔法使いになるだろう。
その好奇心で危険な闇の魔術に傾倒したり、やってることはどうあれ優れた魔法使いである卿を崇め奉らないか心配ではあるが……ともかく、オリオンを含めた家族のみならず親交のある者ならば、どれほど魔法が好きか知っているくらいレギュラスは魔法が大好きなのだ。
もちろん、この可愛らしいお願いを断るなんて無粋なことはしない。
するすると教えたことを吸収していく様は面白い以外の何物でもないが、あまり教えすぎるとホグワーツに行った時の楽しみが一つ減ってしまうだろう。
「構わないよ。でも、ここは少し趣向を変えてみないかい?そう、絶対にホグワーツじゃ教わらない魔法をね」
「どんな魔法?」
「きっとレギュラスも気にいるような、陳腐で凡愚…それでいて極めて愉快な魔法さ」
「それってすごく素敵だ!」
レギュラスはワクワクした表情で両手を握って喜んだ。
しかし、そこで中々やって来ないオリオンとレギュラスを呼びに来たのか、それともただ単に耳聡いだけなのか、シリウスがひょっこりと出てきて「はいはい!俺も気になる!」と挙手したのだった。タイミングの良いところで来るなあ…と二人は顔を見合せて笑った。
が、それを許すわけもなく奥から眉を釣り上げたヴァルブルガが顔を出し、「まだ説教は終わってませんよ!」と叫んだ。オリオンは心底楽しそうに笑いながら「魔法の話は説教が終わってからにしようか」と言い、無慈悲な宣告にシリウスはガックシと項垂れながら戻って行った。
嗚呼、なんて幸せな生活なんだ。
未だ情勢は不安定なまま、むしろ渦中と言っても過言じゃない。色々と懸念すべき点は多いが、これまでもこれからも家族と過ごす時間が幸せなものだったらいいとオリオンは心の底から願っている。
✶
そんな願いも虚しく、二年後の九月。
考えうる限りで一番最悪な報せがブラック家に訪れた。それは、今年ホグワーツに入学した長男のシリウスに関する報せだった。
ブラック家は代々スリザリンの系譜である。
「──シリウスがグリフィンドールに入ったですって!?」
それが長年の常識…──だったのだ。
スリザリンの系譜に生まれた子がレイブンクローに行くことはあっても、ハッフルパフ、特にグリフィンドールへ行くことは有り得ない。あってはならないことなのだ。
ブラック分家の三姉妹であるベラトリックス、アンドロメダ、ナルシッサも、マルフォイ家のルシウスも、レストレンジ兄弟も、例外なくスリザリンだった。
その親を見ても例に漏れずスリザリン。レイブンクローに入った者もいるが、それも極めて稀な例だ。
ましてや、スリザリンと犬猿の仲であるグリフィンドールに入った者など長い歴史を見ても誰一人としていないのだ。
「せめて、せめてレイブンクローなら誤魔化しがついたのに!何故、グリフィンドールなの!これではあの方や信奉者の格好の餌食じゃない!!私たちじゃ、庇いきれないわ!!」
ヴァルブルガは顔を覆って泣き叫んだ。
かつてのヴァルブルガであれば、グリフィンドールに入った時点で衝動的に吠えメールを送り付けていただろう。
だが、それはもう昔の話。今では長い時間をかけてマグルに寛容な思考へ変化していった。そして卿への忠誠心も著しく低下していた。
卿<家族、純血≧マグル。
そんな方程式が出来上がっているのだ。もしシリウスがレイブンクローに入っていたなら、ヴァルブルガはオリオンと共に卿を言いくるめただろう。
しかし、卿はホグワーツ出身でスリザリンとグリフィンドールの険悪さを身に染みるほど理解している。グリフィンドールに入った反乱分子であるシリウスを野放しにするつもりなんてないだろう。
きっとシリウスは卿に始末されてしまう。ホグワーツにいる間は何事もなくても、卒業後も無事というの保証は無いのだから。
「ああ、なんてことだ……どう説明すればシリウスが卿に始末されないだろうか。あの子は確かに勇敢な子だ、私たちのような臆病者ではない…実力も同年代の子供よりあるだろう、だがまだ子供だ。卿に太刀打ちできるわけが無い……」
オリオンは目を伏せて思考する。
冷静なように見えて、普段から青白い顔をしているのに完全に血の気が引き真っ白な顔色となっていた。滲んだ汗がブラックの端正な顔を伝う。
何とかシリウスもレギュラスも家族全員を守る方法を考えるが、何一つとしていい案と言える物は思い浮かばなかった。
そもそも家族全員というのが無理難題で、ブラック家はいつまでもシリウスを抱え込む訳にはいかない。何故なら、いわゆる『血を裏切る者』となったシリウスを家系図から抹消せず、匿うということは闇側に離反者となる恐れがあると認識されてしまう。
そうなってしまえばブラック家は共倒れとなってしまう、それだけは何としてでも避けなければならない。
「もし、あの方にシリウスの二の舞にならないようにレギュラスを差し出せと言われたら?私は正気でいられる自信がないわ!」
「だが、卿は確実にレギュラスを求めるだろう。本来ならホグワーツに行く前に、卿に子供の顔を見せなくてはならないのを私たちは拒絶していた……
その結果、シリウスがグリフィンドールに行ってしまったとなれば、それを逆手にとって卿は強請りにかけるだろう」
「どうすれば、シリウスを、レギュラスを守れる?あの子達は少し人よりも才能を持って生まれた子供なのよ。兄弟揃って驚くほど勇敢だけど、まだ幼い子供よ……それなのに、大人であり親である私たちでは到底守り切れそうにないということが情けないわ…ッ!」
淑女としてのマナーも忘れて、この時ばかりは少女のように感情的になって不安を口にするヴァルブルガ。それに対して、冷静に返しているように見えてオリオンの手は震えて瞳も忙しなく動いている。
騒ぎすぎてしまったのだろう、かたん…と小さな物音と共に扉が開いてレギュラスが顔を覗かせた。
「父様、母様…?」
寝ぼけ眼を擦って、大声の理由を探りに来た勇敢で優しい子。長男の強行から酷い運命を押し付けられそうになっているとは知らず、無垢なパールグレーの瞳は変わらずに二人を見つめていた。
ヴァルブルガは堪らずにレギュラスを力強く抱きしめて涙を零す。
「嗚呼、レギュラス!貴方もシリウスも、私たちがちゃんと守るわ!そう、貴方が心配することなんて一つもないわ。安心して、眠りなさい。きっと、大丈夫だわ」
「なんのこと?守るって……」
当然ながら、事情も知らないレギュラスは訝しげに眉を少し寄せて困惑して見せた。
気にしないでと言うヴァルブルガに対して、レギュラスは明らかに納得していない様子でこれはキチンとした説明をしなければベッドに入らないと予想できる。
先程からずっと顎に手を当てて熟考していたオリオンが重たい口を開く。
それはあまりにも飛躍した考えで、一番合理的な決断だった。
「──ホグワーツ卒業後、シリウスは勘当しよう
それが、あの子と私たちを守る最後の手段だ」
自衛さえもままならないホグワーツ一年生の頃に放逐してしまえば、きっとシリウスはすぐさま卿やその信奉者に始末されてしまうだろう。
だから、せめて戦い方を十分に学んだ卒業後に勘当するのだ。その時期にもなれば、きっとシリウスと一緒に戦ってくれる友も出来ていると信じて。
シリウスもブラック家も守る為に、オリオンは愛する息子を手放す覚悟を決めた。
恨まれてもいい、蔑まれたっていい。
素知らぬところで幸せになってくれたら、僕らはそれでいいんだ。
──ただ、愛されていたという
訳も分からないと言いたげな表情をするレギュラスと、驚愕した直後に覚悟を決めた瞳をしたヴァルブルガをオリオンは抱きしめた。
今ここにいないシリウスの分まで、力強く。