機動戦士ガンダムF91 パン屋の俺が宇宙海賊になって、最推しのヒロインを処刑台から奪い去る話 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
「宇宙世紀の歴史? そんなの、教科書に載ってる無味乾燥な年表を眺めてりゃいいだろ。でも、その行間にある『空気』までは、誰も教えてくれなかったんだ」
僕、Seabook Arno(シーブック・アノー)は、Frontier Ⅳ(フロンティア4)の抜けるような青空を見上げて、小さくため息をついた。工業高校に通う日常。油汚れにまみれた作業着。どこにでもいるはずの僕の人生に、あの日、最初の亀裂が入ったんだ。
ニュース画面の中では、「軍事予算縮小に伴う、旧型大型MSの廃棄処分」という味気ないトピックスの背景映像として、かつて地球を騒がせた「マフティー動乱」の資料映像が流れていた。Mafty Navue Erin(マフティー・ナビーユ・エリン)の処刑。ハサウェイ・ノアという名前の青年が世界を変えようとして、そして無残に散ったあの日から、もう18年も経つのか。
「……結局、何も変わらないんだな」
そう呟いた僕の背中を、いきなり誰かが思いっきり叩いた。
「なに黄昏れてんのよ、お兄ちゃん! ほら、母さんからまた連絡。今夜も帰れないってさ!」
振り返ると、そこには妹のReece Arno(リズ)がいた。不機嫌そうな顔をしていても、どこか愛嬌がある。
「モニカさんのことだろ? いつものことじゃないか」
「もう! そうやって物分かりいいフリして。本当は寂しいくせに!」
リズを適当にあしらって歩き出すと、街角の大きなモニターに、Strategic Naval Research Institute(サナリィ)が開発した新型の小型Mobile Suit(MS)、Formula 90(F90)の映像が流れていた。
120年代に入り、地球連邦軍の軍事予算は縮小の一途を辿っていた。それに対し、MS開発を独占していたAnaheim Electronics(アナハイム・エレクトロニクス)は、大型化した既存機体の高性能化で利権を維持しようとした。しかし、サナリィは「高密度実装技術」によるMSの原点回帰と小型化を提言したんだ。
F90は全高14.8mと、それまでの標準的な18mから20m級の機体に比べて3割もの小型化を実現している。バックパックに搭載されたミノフスキー・イヨネスコ型熱核反応炉の出力は3160kW。この数値は、実際の戦闘において「被弾率の低下」と「驚異的な推力重量比」を両立させることを意味する。政治的に言えば、高コスト化した大型機を嫌う連邦政府にとって、サナリィの提案はアナハイムの独占体制を打破する絶好の切り札だったわけだ。
それを見た瞬間、僕の背筋に冷たいものが走った。かつて、この世界には「サイコフレーム」なんていう、人の意志を吸い込んで形にするような、正気じゃない技術があったらしい。母さんは、それを「人の手に余る狂気」だと切り捨てていた。だからこそ、今母さんが作っている「バイオ・コンピュータ」は、もっと人間に寄り添った、優しい技術なんだって……そう、僕に聞かせてくれた。
「でも、それだって結局は兵器なんだよね」
ふと横を見ると、通学路の向こう側に、一人の少女が立っていた。Cecily Fairchild(セシリー)。風に揺れる美しい髪。誰に対しても凛としていて、それでいてどこか遠くを見つめているような、儚げな瞳。
「……あ」
視線が合う。彼女は一瞬だけ驚いたように目を見開いたけれど、すぐに柔らかく、それでいて少しだけ寂しそうな笑みを浮かべた。
「シーブック君。……マフティーのニュース、見ていたの?」
「ああ、まあね。僕らには関係ない、遠い国の話だけど」
「そう……だといいわね」
彼女のその言葉の意味を、当時の僕はまだ知らなかった。この青い空の向こう側で、Oldsmobile(オールズモビル)と呼ばれる火星独立ジオン軍の残党がうごめき、そして彼女の家族が「貴族主義」という名の狂気を育てているなんて、微塵も思っていなかったんだ。
僕の手はまだ、油と教科書に触れるためだけに。セシリーの手は、ただ健やかに明日を迎えるためだけに。けれど、運命という名の巨大なMSは、もう僕たちのすぐ後ろまで、音もなく迫っていたんだ。