機動戦士ガンダムF91 パン屋の俺が宇宙海賊になって、最推しのヒロインを処刑台から奪い去る話 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
「……お兄ちゃん、何その顔。まるでBio-Computer(バイオ・コンピュータ)のデバッグに失敗した時みたいな、情けない顔してるよ?」
Reece Arno(リズ・アノー)の、どこか楽しげな声がリビングに響く。宇宙世紀0123年、7月。外は人工の太陽が、不自然なほど完璧な夏を演出している。僕は、手元の端末に映し出された1通の招待状を前に、さっきから生返事しかできていなかった。
「……Strategic Naval Institute(サナリィ)の、新型MSお披露目式典、だってさ。……母さんが、僕を名指しで招待してる」
僕がそう呟くと、キッチンの奥で小麦粉まみれになっていたCecily Fairchild(セシリー・フェアチャイルド)が、ぱっと顔を上げた。
「それって、リズちゃんが言ってたF91より速い機体のこと? ……Monica Arno(モニカ・アノー)さん、やっぱりあなたを、まだあっちの世界に留めておきたいのかしら」
セシリーの瞳に、微かな不安の影が差す。彼女は、僕が再び白い翼を背負って、遠い宇宙へ行ってしまうことを何よりも恐れている。僕だってそうだ。あの、M.E.P.E.(金属粒子剥離現象)によって脳を直接焼かれるような加速と、死の予感に満ちた静寂。あんな場所には、二度と戻りたくない。
「——違うよ、セシリーさん。母さん、追伸でこう書いてたもん。『シーブック、あんたが直したオーブンのデータも持ってきなさい。熱効率の計算が甘いわ』って」
リズが端末を奪い取り、画面を僕の鼻先に突きつける。そこには、確かに母さんらしい、愛想のない、けれど不器用な招待の言葉が並んでいた。彼女は、僕をパイロットとして呼び出しているんじゃない。1人のエンジニアの卵として、そして、自分の息子として、新しい世界を見せようとしているんだ。
「……なんだ。結局、オーブンの説教をされるだけか」
僕は溜息をつきながらも、心のどこかで、重い石が取れたような感覚を味わっていた。
宇宙世紀0123年7月。フロンティア・サイドの復興は、緩やかに、けれど着実に進んでいる。
この時期、地球連邦軍はサナリィへの依存を一段と強めていた。なぜなら、Frontier Ⅰ(フロンティア1)におけるF91の圧倒的な戦果が、Anaheim Electronics(アナハイム・エレクトロニクス)の大型MSを「過去の遺物」へと変えてしまったからだ。AE社との癒着が強かった軍上層部も、政治情勢の激変とロナ家の脅威を前に、MSのダウンサイジングというロジカルな解答を受け入れざるを得なくなった。次世代機F92の開発は、月面のVon Braun(フォン・ブラウン)市で最終段階に入っていた。
「……行こう、セシリー。リズも。……母さんの完璧な計算に、僕たちの日常の工夫をぶつけてやるんだ」
僕が立ち上がると、セシリーは安心したように微笑み、リズは「やった! 月の旅行だ!」とはしゃぎ出した。
Gundam F91(ガンダムF91)は、全高15.2m、出力4890kW。MCA(マルチ・カセット・アクチュエーター)によって極限まで研ぎ澄まされたその性能は、かつての僕を縛る鎖だった。けれど今は、僕たちが新しい時代を生きるための、一つの通過点に過ぎない。
僕は、窓の外に広がる、青い、どこまでも続く人工の空を見上げた。そこには、あの戦場の闇も、殺人兵器BUGB-01(バグ)の羽音も、もう聞こえない。聞こえるのは、セシリーが焼くパンの香ばしい匂いと、リズの騒がしい笑い声。それだけで、僕のバイオ・コンピュータは、どんな戦闘データよりも力強い、生きるためのエネルギーを生成し続けている。
「——さあ、お兄ちゃん! 準備して! 月に行くなら、とびきり可愛い服を買ってもらわなきゃ!」
「……わかったよ。……僕の財布が、月の裏側まで吹っ飛ばされないことを祈るよ」
僕たちは、光の中に歩き出した。新しい日常、新しい冒険。宇宙世紀の物語は、まだ始まったばかりだ。