機動戦士ガンダムF91 パン屋の俺が宇宙海賊になって、最推しのヒロインを処刑台から奪い去る話 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
「……お兄ちゃん。……ううん、キンケドゥ。そろそろ、酸素の節約モードを解除してもいいよね?」
Reece Arno(リズ・アノー)の、震える声がコクピットに響く。宇宙世紀0123年9月。僕たちが乗ったGundam F91(ガンダムF91)・量産先行試作型は、月面でのあの爆発から逃れ、暗黒の宙域で漂流に近い航行を続けていた。
「ああ。……ごめん、リズ。怖かったよな」
僕は、重い瞼をこじ開けた。視界に映るのは、月面での熱波で焼けた装甲の残骸と、機体各所から漏れ出す冷却ガスの白い煙。U.C.0123年9月。Von Braun(フォン・ブラウン)の港で起きた原因不明の爆発事故は、連邦政府の公式発表によればテロとされ、犠牲者リストの筆頭にはSeabook Arno(シーブック・アノー)の名前が刻まれたはずだ。
僕は、もう、いない。パンの焼ける匂いも、学園での退屈な授業も、Cecily Fairchild(セシリー・フェアチャイルド)と歩いた夕暮れの並木道も。すべては、あの月の爆光の中に置いてきたんだ。
「お兄ちゃん、これからどうするの? セシリーさんは……ベラさんは、あそこに残ったままで……」
「……助けに行く。でも、今のままじゃダメだ」
僕は、コンソールに表示された機体ステータスを指先でなぞった。F91・量産先行試作型は、全高15.2m、出力4890kW。この機体が急がれた背景には、連邦軍が宇宙世紀0100年以降の戦力均衡を維持するため、Anaheim Electronics(アナハイム・エレクトロニクス)の大型高価格機から、Strategic Naval Institute(サナリィ)の小型高性能機へとロジカルな転換を迫られていた政治的情勢がある。
Bio-Computer(バイオ・コンピュータ)は、僕の絶望を読み取ったかのように、静かに、けれど力強く脈動している。母、Monica Arno(モニカ・アノー)が言っていた『あんた自身を捨てなさい』という言葉の意味が、今、冷たい宇宙の静寂の中で、じわじわと僕の脳細胞を侵食していく。
僕たちが今、この死の宙域で生き延びているのは、一隻の「幽霊船」の接近を待っているからだ。サナリィの極秘回線を通じて、母さんが教えてくれた座標。そこには、連邦にもCosmo Babylonia(コスモ・バビロニア)にも属さない、第3の意志が集う場所があるという。
「——目標確認。……来るよ、リズ。僕たちの、新しい家だ」
モニターに映し出されたのは、巨大な帆を広げた、まるで16世紀の帆船を思わせる歪な、けれど美しい宇宙戦艦。Mother Vanguard(マザー・バンガード)。それは、Berah Rona(ベラ・ロナ)という名を背負ったセシリーが、いつか必ず戻ってくる場所。
「……リズ、僕はこれから、Kinkedo Now(キンケドゥ・ナウ)として生きる。お前も、ここではリズ・アノーじゃない。……わかるな?」
「……うん。わかってるよ。私だって、お兄ちゃん……キンケドゥの妹として、この海賊船で精一杯、やってやるんだから!」
リズは、涙を拭って、僕の手を強く握り返した。その掌の温もりだけが、僕がシーブックであった最後の証拠だ。
ハッチが開かれ、マザー・バンガードのドックへと吸い込まれていくF91。そこには、すでに数機のMSが並び、不敵な面構えの男たちが僕たちを待ち受けていた。僕は、パイロットスーツのヘルメットを被り、鏡に映った自分自身に、最後の中指を立てた。
「——待ってろよ、セシリー。僕が、この宇宙で一番かっこいい海賊になって、お前を奪い返してやる」
バイオ・コンピュータの警告音は、もう聞こえない。聞こえるのは、新しい時代の産声と、僕の胸の中で燃え盛る、静かな怒りの炎だけ。宇宙世紀の物語は、ここから加速する。日常という名の安らぎを捨て、僕は戦場という名の真実へと身を投じる。それが、僕が選んだ、唯一にして最高の再起動なんだから。