機動戦士ガンダムF91 パン屋の俺が宇宙海賊になって、最推しのヒロインを処刑台から奪い去る話 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
「……ちょっとキンケドゥ、いつまでその古いBio-Computer(バイオ・コンピュータ)のチップを眺めてるの? 補給物資の搬入、手伝ってくれないと困るんだけど!」
Reece Arno(リズ・アノー)の、少しだけ大人びた——けれど相変わらず鋭い声が、Mother Vanguard(マザー・バンガード)の薄暗いハンガーに響く。宇宙世紀0128年、某月。僕たちがこの海賊船に身を寄せてから、3年の月日が流れていた。公式設定、U.C.0123年の建国戦争から5年。歴史の表舞台では、Cosmo Babylonia(コスモ・バビロニア)が貴族主義の理想を掲げ、木星帝国(ジュピター・エンパイア)との不気味な接触を強めている時期だ。
僕は、油の染みた作業着の袖で額の汗を拭い、手のひらの中にある小さなチップをポケットにねじ込んだ。それは、僕がSeabook Arno(シーブック・アノー)だった頃、母、Monica Arno(モニカ・アノー)から最後に手渡されたバックアップデータ。もう二度度、あの頃のパンの匂いには戻れない。けれど、この冷たいシリコンの欠片だけが、僕が人間だった頃の重力を思い出させてくれる。
「わかってるよ。……今行く。リズ、お前も無理するなよ。その年齢でプチMSを操るなんて、サナリィのテストパイロットでもやらないぞ」
「ふん、誰のせいでこんなに逞しくなったと思ってるのさ。……いいから、こっち! 木星から届いたっていう、例の特等席の客人が到着したみたいだよ」
リズが指差した先。マザー・バンガードのハッチが開くと、そこにはこの荒くれ者たちの船には似つかわしくない、妖艶で、どこか狂気を孕んだ眼差しを持つ女性が立っていた。
——Europe Dogatie(エウロペ・ドゥガチ)。木星帝国総統の娘であり、この宇宙のパワーバランスを根底から覆しかねない、毒を秘めた一輪の花。
「……あなたが、噂のエースね? シーブック・アノー……いえ、今はKinkedo Now(キンケドゥ・ナウ)、だったかしら」
彼女が僕の顔を覗き込み、耳元で囁く。その香水は、Cecily Fairchild(セシリー・フェアチャイルド)がつけていた石鹸の匂いとは正反対の、鼻を刺すような、けれど抗いがたい死の予感を孕んでいた。僕のバイオ・センサーが、最大級の警戒信号を鳴らす。けれど、僕は顔色一つ変えずに、彼女の冷たい指先を退けた。
「……名前なんて、ただの記号ですよ。僕が何者であれ、この船の流儀に従ってもらう。たとえ、あなたが木星の姫君であってもね」
「ふふ、冷たいのね。……でも、その瞳。奥底に隠している執着。嫌いじゃないわよ」
エウロペは、僕の肩を指先でなぞりながら、優雅な足取りで艦内へと消えていった。リズが僕の脇腹を思い切り肘で突く。
「……何あのアロマ攻撃! キンケドゥ、あんな妖しい女の人に絆されちゃダメだよ! セシリーさんに言いつけるからね!」
「……よせ。あんなの、僕の好みじゃない。僕が好きなのは……もっと、不器用で、真っ直ぐな奴だ」
僕は、遠い宇宙を見上げた。そこには、今もコスモ・バビロニアの象徴——Berah Rona(ベラ・ロナ)として、冷たい玉座に縛り付けられているセシリーがいる。
この時期、Strategic Naval Institute(サナリィ)は、連邦軍の主力MS決定戦を制したF91のデータをもとに、次世代機開発を極秘裏に進めていた。それが、後のF97——Crossbone Gundam(クロスボーン・ガンダム)へと繋がる系譜だ。全高15.9m、出力5280kW。木星圏の高重力下での活動を前提としたこの機体は、背部に4基の大型可動スラスターをX字型に配置し、推力100000kgを超える圧倒的な機動力を誇る。なぜサナリィが、連邦の公認を得ずにこれほど攻撃的な機体を海賊に供与したのか。それは、木星帝国の野心に対して連邦軍が公式に動けないという政治的空白を、実戦データの収集という名目でサナリィが埋めるという、極めてロジカルかつ危険な利害一致によるものだった。
「——行くぞ、リズ。マザー・バンガード、抜錨だ。木星の雷鳴が届く前に、僕たちが嵐を巻き起こしてやる」
僕は、クロスボーン・ガンダムX1のコックピットへと飛び乗った。そこには、シーブック・アノーという少年の遺品はもう何もない。あるのは、一人の男が愛を貫くための、無慈悲な牙だけだ。
宇宙世紀の物語は、加速する。かつての日常を糧にして、僕は今、最強の海賊としてリロードする。