機動戦士ガンダムF91 パン屋の俺が宇宙海賊になって、最推しのヒロインを処刑台から奪い去る話 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
「……ねえ、シーブック君。トビア君から、また手紙が届いたわよ」
Cecily Fairchild(セシリー・フェアチャイルド)の、どこか慈しむような声が響く。宇宙世紀0136年、初夏。僕たちがこの海辺の街に馴染んでから、さらに数年の月日が流れていた。
公式設定 U.C.0136年。歴史の裏側では、木星帝国の残党による「神の雷」計画を巡る新たな争い——Steel Seven(鋼鉄の7人)による作戦が終結した頃だ。
僕は、小麦粉で白くなった手を叩き、彼女が差し出した封筒を受け取った。差出人は、Tobias Arronax(トビア・アロナクス)。かつて僕がKinkedo Now(キンケドゥ・ナウ)として、その背中を見せ、海賊の理を叩き込んだ、最高に生意気で真っ直ぐな後輩だ。
「……あいつ、元気にやってるみたいだな。ブラック・ロータスなんて名乗って、まだ宇宙を駆け回ってるのか」
手紙には、木星の影が完全に払われたこと、そして彼が新しい仲間と共に光の先へ向かおうとしていることが、熱い言葉で綴られていた。僕は、窓の外で洗濯物を干しているReece Arno(リズ・アノー)の姿を見た。彼女ももう、立派な大人の女性だ。最近ではStrategic Naval Research Institute(サナリィ)から時折、技術顧問として意見を求められることもあるらしい。あんなに「お兄ちゃん!」と泣きついていた妹が、今では僕のパンの焼き上がりにダメ出しをするまでになった。
「——シーブック君。もし、あなたが望むなら、またあの子たちの力になりに行ってもいいのよ?」
セシリーが、僕の顔を覗き込む。その瞳には、かつてBerah Rona(ベラ・ロナ)として数多の戦士を率いた女王の鋭さはもうない。でも、僕がもし「行く」と言えば、彼女は笑ってエプロンを脱ぎ、再び僕の隣で宇宙を駆けてくれるだろう。僕にはそれがわかっている。
でも、僕は首を横に振った。
「……いや、いいんだ。僕の役割は、あの日、ドゥガチとの戦いで終わったんだよ」
僕は、カウンターに置かれた、少し焦げたクロワッサンを手に取った。
「今の僕の戦場は、ここだ。このパンを、世界で一番美味しく焼くこと。そして、リズやセシリーが、明日も同じように笑っていられる場所を守ること」
セシリーが、僕の手をそっと握った。彼女の掌は、10年前よりも少しだけ硬くなっていた。それは、僕と一緒にパンを捏ね、庭を耕し、この日常という名の難攻不落の要塞を、共に築いてきた証拠だ。
「……そうね。私も、ここのサンドイッチが好きだもの。トビア君たちには、彼らだけの情熱があるわ。僕たちには、僕たちだけの、このパンの匂いがあるように」
セシリーが、少しだけ悪戯っぽい微笑みを浮かべる。僕は、彼女のそんな表情を見るたびに、胸が締め付けられるような想いになる。10年以上一緒にいて、いまだに初恋の相手を目の前にしているような気分にさせられるなんて、宇宙世紀の物理法則はどうなってるんだ?
公式記録において、僕たちはもう死んだ人間だ。でも、僕はここにいる。小麦粉にまみれ、時折パンを焦がし、妹に小言を言われ、愛する人と夕日を眺める。
それは、Gundam F91(ガンダムF91)の最大稼働をもってしても到達できない、究極の安らぎだった。F91は全高15.2m、出力4890kWを誇り、MCA(マルチ・カセット・アクチュエーター)構造によって高機動を実現したが、その代償として機体表面の金属粒子を剥離させるMEPE(金属粒子剥離現象)を引き起こした。かつての僕はその「質量を持った残像」に命を預けて戦ったが、今の僕を支えているのは、地に足のついたこの確かな暮らしだ。
「——さあ、夜の仕込みを始めよう。明日は日曜日だ。街の子供たちが、僕のパンを待ってるんだからな」
僕は、再びエプロンの紐を締め直した。かつての残像は、もうどこにも見えない。でも、僕が焼くパンの匂いは、確かにこの風に乗って、誰かの明日を少しだけ幸せにしている。
宇宙世紀0136年。燃え尽きた翼の代わりに、僕は今、愛する人を抱きしめるための、温かな両手を持っている。それが、僕の選んだ、最高に平凡で、最高に特別な、僕自身の結末なんだ。